☯目次〕─11─江戸時代。朝鮮通信使の犯罪。暗黒の李氏朝鮮史は儒教=朱子学。~No.1 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義民族主義のブログである。
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 日本人は、歴史が嫌いであり、歴史が理解できないし、歴史を学ぼうとはしない。
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 朝鮮半島は、朱子学儒教に毒されて人心は荒廃して人災地獄が500年以上続いていた。
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宗教地政学
2022-10-23
☯2〕─1─宗教地政学儒教と中華秩序の脅威。〜No.2No.3 
2022-10-30
☯3〕─1─宗教地政学。朝鮮は儒教を受け入れて中国化を国是とした。〜No.5No.6 
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大陸と半島。
大陸と半島。
2019-09-27
☯4〕─1─朝鮮半島における大陸文明の痕跡。「河」と「江」。〜No.7No.8No.9・ 
2018-08-06
☯5〕─1─同じアジア人でも日本人と中国人・韓国人・朝鮮人の国民性・民族性は似ていない。~No.10No.11 @ ① 
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2023-07-23
☯6〕─1─書評『朝鮮半島の歴史』新城道彦著。内憂外患の600年直視。 〜No.12No.13No.14 
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2019-10-22
☯7〕─1─東アジアは、儒学道教ではなく韓非子(かんぴし)や孫子で動いている。〜No.15No.16・ ② 
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正統派儒教朱子学
朝鮮国王は、中華皇帝の忠実な僕・臣下である事を土下座して誓い、中華皇帝の慈悲で国王位を承認してもらい、正当な国王として朝鮮国を統治した。
その御礼として、命じられた人数の女性(妓生、宮中慰安婦)を中華皇帝に献上した。
琉球国王も朝鮮国王と同じように臣下の誓い琉球王国統治権を授かっていたが、貢ぎ物は女性ではなく海外の珍しい品物であった。
中国と関係を持つという事は、そういう事である。 
2019-12-07
☯8〕9〕─1─日本人が理解できない儒教思想の本質。〜No.17No.18No.19No.20No.21・ 
2019-06-22
☯10〕11〕─1─中華の歴史は、古代から儒教価値観で同じ様な事を繰り返している。〜No.22No.23No.24No.25・ 
2023-04-26
☯12〕─1─朝鮮半島で徹底的に排撃された異端の学問「陽明学」。〜No.26No.27 
2019-03-20
☯13〕─1─朝鮮半島の人災地獄。朝鮮儒教朱子学)による人命無視の過酷な身分制度と露骨な男尊女卑であった。〜No.28No.29・ * ③ 
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主体思想。    
2018-11-12
☯14〕─1─朝鮮には、個人の主体はあっても国家・政府の主体はない。~No.30No.31No.32・ ④ 
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事大主義。
2018-08-12
☯15〕─1─事大主義は朝鮮民族の宿痾である。中国人になれなかった事が、朝鮮人の「恨」と「怨」であった。~No.33No.34No.35・ @ 
2018-08-13
☯15〕─1─清国は、李氏朝鮮との宗属関係を保護属邦関係・主従関係に変更するべく圧力をかけた。~No.36No.37No.38・ @ ⑤ 
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儒教による宗教弾圧。仏教、キリスト教
儒教は神仏を認めず否定した。
2018-08-14
☯16〕17〕─1─李氏朝鮮は、排他的儒教価値観の尊皇攘夷思想でキリスト教徒を大虐殺した。~No.39No.40No.41No.42No.43No.44・ @ ⑥ 
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儒教が原因で技術の遅れ貨幣経済が発達しなかった。。  
2018-08-15
☯18〕19〕─1─朝鮮は、中国に倣って朱子学の正統派儒教実学を否定し技術を軽視しモノ作りを潰した。~No.45No.46No.47No.48No.49No.50・ @ ⑦ 
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儒教による妓生文化。中華皇帝貢ぎ宮廷慰安婦
2019-05-17
☯20〕21〕─1─中国の妓女制度が朝鮮で特殊な伝統的妓生(キーセン)文化を生んだ。〜No.51No.52No.53No.54No.55No.56・ ⑧ 
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朝鮮通信使は両国の友好・親善の使節ではなかった。
2018-08-11
☯22〕─1─朝鮮通信使の日本観は、反日・侮日であった。~No.57No.58No.59・ 
2019-12-08
☯22〕─2─朝鮮通信使は日本に対するヘイトスピーチを広めた。〜No.60No.61No.62・ ⑨ 
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暗黒の李氏朝鮮史。明国を裏切り清国に忠誠を誓った朝鮮人
2019-03-21
☯23〕24〕─1─権力闘争と腐敗堕落の朝鮮王朝。科挙と古代式中央官僚集権。勢道政治。世道政治。〜No.63No.64No.65No.66・ * ⑩ 
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2018-08-07
☯25〕26〕─1─朝鮮とは、朝貢(貢物)が鮮(すくな)い。えげつないサルフ山の戦い。江戸幕府の和議成立。1600年。~No.67No.68No.69No.70・ @ 
2018-08-08
☯27〕─1─倭乱より凄惨な丁卯胡乱丙子胡乱。責任者の先逃(ソンド)文化イガンジル。1627年。~No.71No.72No.73・ @ 
2019-07-24
☯27〕─2─恥辱と屈辱に塗れた惨めな丙子胡乱。皇帝用語「皇」「勅」の国書問題。〜No.74No.75No.76・ 
2018-08-09
☯28〕29〕─1─水戸藩徳川光圀は、中国礼賛の儒学者の妄説に激怒し、朝鮮におもねる亡国の歴史を排除して、正しい日本史を残そうとした。1636年。~ No.78No.79No.80No.81・ @ 
2018-08-10
☯30〕31〕─1─朝鮮通信使一行の素行の悪さや傲慢な態度は有名であった。1666年。~No.82No.83No.84No.85・ @ ⑪ 
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2021-11-22
☯32〕─1─日本が8ヶ月に渡る朝鮮通信使一行(約500人)の日本滞在費100万両を負担した。~No.84No.85 
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2022-10-28
☯33〕─1─竹島記す江戸期の航路図。竹島、1897年の米国地図に日本領と表記。~No.86No.87 
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 儒教朝鮮の特徴は、古典的徳社会であり、男尊女卑と身分社会であり、恨と恩の文化であり、事大主義と夜郎自大である。
 儒教原理主義は、寛大で呪いの土俗的巫術は許されても、不寛容で普遍宗教に発展する可能性のある仏教や神信仰は徹底して弾圧した。
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朝鮮通信使の真実 江戸から現代まで続く侮日・反日の原点 (WAC BUNKO 313)
本当に悲惨な朝鮮史 「高麗史節要」を読み解く (角川新書)
真実の朝鮮史【663-1868】
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朝鮮半島をめぐる歴史歪曲の舞台裏 韓流時代劇と朝鮮史の真実 (扶桑社BOOKS新書)
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 歴史的外交方針は、属国として中華帝国ヘの変わる事のない忠誠を誓う事、上位国として日本を差別し・嘲笑し・友として交わらない事であった。
 対日戦略は、中国やロシアなどの大国に媚び諂い、日本を滅ぼす為に大国をけしかけて日本を攻撃する軍隊を引き出す事であった。
 日本から見ると、朝鮮半島の向こうに日本を侵略しようとする世界的な敵国が絶えず存在していた。
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 反日派敵日派は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国、韓国、北朝鮮
 親日派知日派は、古朝鮮百済高句麗、古新羅渤海。 
 668年の統一新羅以来、日本と朝鮮との間には友好・親善・善隣など一切存在しなかった。
 日本が受けた恩とは、親日派知日派からである以上、親日派知日派には感謝する必要があった。
 対して、反日派敵日派には恩を受けてはいない以上、反日派敵日派に感謝する必要はない。
 朝鮮通信使は、反日派敵日派の李氏朝鮮からの国使に過ぎない。
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 崇峻天皇は、天皇への忠誠心や崇敬心を持たない利得の朝鮮系渡来人によって暗殺された。
 天皇殺しの朝鮮系渡来人を陰で操っていたのは、ヤマト王権内で専横を極めていた蘇我馬子であった。
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 キリスト教朝鮮人テロリストは、日本人共産主義者テロリスト同様に昭和天皇・皇族を惨殺する為につけ狙っていた。
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 古代から、日本国内には、天皇を殺し、天皇制度を廃絶し、皇室を根絶やしにしようとする反天皇勢力が存在していた。
 命を犠牲にして天皇・皇室を守っていたのが、下層の庶民(百姓や町人)、賤民(非人・穢多)、部落民(山の民・海の民・川の民)、芸能の民(歌舞伎役者・曲芸師)、異能の民、異形の民など諸々の日本民族日本人であった。
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☵68〕─1─2030年、韓国は三流国並に落ちた日本を抜いて豊かな国になる。~No.497No.498No.499 

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 2022年1月13日 MicrosoftNews ダイヤモンド・オンライン「2030年までに韓国に抜かれる日本、「逆転」のため今やるべきこと
 © ダイヤモンド・オンライン 提供 韓国は1人当たりGDPで日本を追い越そうとしていて、このままではその後も差は広がる。日本が「逆転」できるかの鍵は?(写真はイメージです) Photo:PIXTA
 韓国はさまざまな指標で
 日本より「豊かな国」になる
 韓国はこれまで高い経済成長率で日本との差を縮めてきた。そして、いま日本を追い越そうとしている。
 成長率の高さから見て、どのような指標でも韓国は日本より豊かな国になり、今後、日本との格差を広げていくだろう。
 同じことが台湾についても言える。韓国と台湾はドル換算の1人当たりGDPでほぼ同程度の水準だ。台湾も高い成長率で日本の水準に近づき、いま日本を追い越そうとしている。
 しかし、韓国も台湾も産業構造で製造業の比率が高く、輸出に対する依存度が高い。経済全体の情報化が進みつつある世界のなかで、必ずしも未来型の産業構造とは言えない。このような構造の国が将来も成長を続けられるかどうかは疑問だとする意見もある。
 また、人口高齢化に伴う労働人口増加率の低下が成長率を低下させるとの見方もある。事実、韓国の成長率は、ここ数年は鈍化している。
 それでも日本が韓国を今後「逆転」するのは容易なことではない。
 OECD予測の1人当たりGDP
 2030年までには日本を抜く
 以下では、OECD(経済開発協力機構)が公表している2060年までの長期推計を手がかりに、韓国と日本の成長の違いを考えることにしよう。
 図表1は、OECDの2018年ベースライン予測で示されている1人当たりGDP(2010年ドル表示)の推移だ。
 韓国は30 年までには日本を抜いて、さらに成長を続け、日本との差を拡大していく。そして、アメリカの水準に近づいていく。
 韓国の成長率が鈍化するとの意見があるが、OECDの予測は今後も韓国の成長が続くとしているのだ。
 台湾についても、多分、同じことが起こるだろう。ただし、台湾はOECD加盟国でないので、この予測には含まれていない。
 なお、図表1は10年の購買力平価による評価だ。これは、現実の為替市場における為替レートではなく、10年と同じ購買力が維持できるように為替レートが変化した場合の値だ。
 10年はかなりの円高だったので、このときの購買力が将来も続くということはかなりの円高が続くことを意味する。現実には、その後、為替レートは大きく減価しているので、ドル表示の値は小さくなっている。
 したがって、将来の値を市場為替レートで比較すれば、日本の1人当たりGDPはもっと小さくなる可能性が高い。
 なお、OECDは14年にも長期推計を行なっており、1人当たりGDPについての結果を05年の購買力平価で公表している。それを見ると、60年における韓国の1人当たりGDPアメリカとほとんど同じ水準にまでなる。
 18年の予測では、韓国の将来の成長率が14年の推計に比べると低く予測されており、60年の韓国の1人当たりGDPアメリカの 87%程度だ。
 日本の経済停滞の原因は、
 高齢化・労働力減少だけでない
 経済成長には、資本や労働力の投入量、さらには技術進歩などが決定要因になるが、一定の仮定の下で、つぎの関係が得られる。ここで、aは労働分配率を示す。
 (経済成長率)=a(労働力増加率)+(1-a)(資本増加率)+(技術進歩率)
 上式右辺の第2、3項を「資本・技術要因」と呼ぼう。
 以下では、経済成長率、労働力増加率、および資本・技術要因の関係を見る。
 OECDの長期推計では労働力の推計も公表されている。これを用いて労働力の増加率が分かる。
 そこで、上式を用いて資本・技術要因が計算できる。さまざまな実証分析でaの値は0.6程度と推計されているので、ここではaの値を0.6として計算した。
 まず、2000年から20年までを見よう(図表2)。
 ここで、「GDP成長率」とは、00年から20年までの期間の実質GDPの年平均成長率だ。
 日本のGDP成長率は0.85%で、ここに示す国の中で最も低い。
 それは人口高齢化のために労働力が減少したことの反映だ。 日本が低成長から抜け出せない大きな要因がここにある。
 ただし、原因はそれだけでなく、資本・技術要因の値が低いことも大きな要因だ。
 日本の場合、資本増加率がほとんどゼロだ。それに加え、技術革新もなかなか進まず、デジタル技術に対応できていない。
 日本経済停滞の原因は、高齢化のために労働力増加率が低いことだけではないのだ。
 それに対して、韓国のGDP成長率はずば抜けて高い。
 労働力の増加率が比較的高かったことが一要因だが、米英やOECD平均と比べてさほどの差があるわけでない(むしろ、アメリカのほうが高い)。
 韓国の高成長は資本・技術要因
 技術革新が日本の未来を決める
 韓国のGDP成長率が高かったのは、資本・技術要因によるところが大きい。
 資本・技術要因は通常の意味での技術進歩だけではない。教育による人的能力の向上、競争社会の実現、意思決定の迅速化なども含まれる。
 韓国の場合、こうした要因の寄与が大きかったと考えられる
 図表3は、2020年から40年までの予測を示す。
 日本では人口高齢化が今後も40年頃までは続くと予測されているので、労働力の減少も続く。
 OECDの予測では、日本の成長率は過去より高くなる(20年から40年までの平均で実質年率1.1%)とされているが、それでもここに示した国のなかでは成長率が最も低い。
 韓国の労働力の成長率は、今後、減少に転じる。それは出生率が低いからだ。日本ほどではないが、労働力をめぐる条件はこれまでとは違ったものになると予測されている。
 だが、OECD予測によれば、労働力が減るにもかかわらず、経済は成長する。
 40年までの年平均成長率を見ると、韓国が2.2%と最も高い。
 これは資本・技術要因が成長に寄与するからだ。過去に韓国の高度成長を支えた要因が、将来も続くことになる。
 一方、米英の労働力増加率はかなり高い。これは移民の増加を考慮しているのだろう。
 将来を見通す場合、労働力は推計しやすい。結果もかなり正確だ。 しかし、資本・技術要因について将来を見通すのは極めて難しい。
 資本・技術要因の値は、韓国以外では、将来のほうが過去より高くなる。とくに米英がかなり高い。
 日本の資本・技術要因は、これまでの1.10%から将来の1.58%へと、かなり高まると予測されている。これは、ほぼアメリカ並みの値だ。
 ただ過去の値が低いことを考えると、本当にこのように高い値を実現できるのかどうか、疑問なしとしない。
 しかし、OECDが予測する1.1%の成長を実現するには、これが不可欠だ。
 技術革新や規制緩和、組織間の労働力の流動性確保などがどの程度行なわれるかが、今後の日本の成長率を決めることになる。
  (一橋大学名誉教授 野口悠紀雄)」
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☵67〕─1─韓国左派与党文在寅政権の反日政策で日韓関係は最悪となった。~No.494No.495No.496 

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 歴史的事実として、日本は被害者であり、中国や朝鮮は加害者である。
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 2022年1月3日 MicrosoftNews  JBpress「日本に謝罪を要求する権利もないのに債権国のように振る舞う韓国
 © JBpress 提供 日本が韓国の謝罪要求に応じて謝罪と補償を繰り返す中で、それが韓国の惰性になったと筆者は指摘する(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)
 (ファンドビルダー:韓国コラムニスト)
 特定の行動を繰り返せば、それは習慣化する。ひとまず習慣化すれば、その行動は無意識に(自動的に)なりやすい。すなわち、慣性ができるのだ。慣性による行動は、止めるのが難しい。韓国が日本に謝罪を要求して、日本が謝罪するという現象は、このような慣性における行動パターンの典型だ。
 日本はこれまで、韓国に対して天皇、首相、官房長官などの名義で謝罪を何度も繰り返してきた。世界的に見て、特定国が特定国に向かって、国家の次元による謝罪をこれほど数多くしたケースはほとんど例がない。それでも、今日の韓国政府と韓国人は満足せずに、相変らず日本に向かって「謝罪しろ!」と要求している。
 このような韓国の態度は、あたかも債権者が債務者に向かって、法的な取り立てをするのに似ている。しかし、これまで韓国が謝罪を受けたのは、韓国に法的権利があったためでは決してなかった。日本は、韓国に謝罪しなければならない法的義務は全くない。日本はその間、道義的な次元で謝罪したのだ。
 明らかなのは、誰も韓国に「謝罪を要求する権利」を与えたことがないという点だ。同じように、誰も日本に「謝罪する義務」を課したことはない。
 過去、韓国(朝鮮)は日本に併合された。当時の韓国は、日本と戦争をしたわけではなかった。戦争をした場合ならば、戦勝国と敗戦国に区分され、敗戦国は戦勝国に向かって謝罪したり、賠償金を支払うことが普通だ。ところが、韓国は戦勝国でもないのに、今まで何度も日本から謝罪を受け、補償も受けてきた。運が良い方だ。だが、運が良いといって、分別をわきまえない行動をしてはならない。
 残念なことに今日の韓国は、あたかも自身が戦勝国にでもなったかのように行動する。債権者でもあるかのように、日本に向かって常に高姿勢で叱り飛ばす。今日の韓国人は、あたかも自分が生まれた時から、「謝罪を受ける権利」のようなものを、天から与えられたかの如く行動するのだ。
 日韓関係悪化の一因である「過度の謝罪」
 謝罪を受ける権利がないにもかかわらず、韓国人は謝罪を受ける権利を自らに与えた。すなわち、慰安婦問題に関連する韓国の謝罪要求は、2011年の韓国内の憲法裁判所判決(「韓国政府が日本に向かって慰安婦問題の措置を要求しないのは違憲」という判決)を根拠としている。徴用工問題に関連する謝罪要求の根拠は、2018年の韓国内の大法院判決(日本企業に賠償を命令した判決)だ。このように、韓国は極度の自己中心的な態度で、日本に謝罪を強要している。
 謝罪を受ける権利がない韓国が、暇さえあれば、日本に向かって謝罪の真正性などを云々し、追加謝罪を強要する現在の姿は、まさにコメディだ。このような水準の韓国に、国際法遵守などの理性と常識を期待するのは、初めから無理であった。
 権利と義務が存在しない「謝罪」というものによってもたらされた、日韓関係の悪化は深刻な水準だ。韓国がもし正常国家ならば、日本の道義的な謝罪に対し、適正な範囲で受け入れ、円満に関係悪化を終えただろう。
 逆説的に、今日の日韓関係が悪化した原因は、「過度に多かった日本の謝罪」も挙げることができる。不必要な日本の謝罪が繰り返されて、惰性(あるいは慣性)が生じ、結果的に韓国人は、日本の謝罪を当然のことと見なすようになったのだ。
 ここに、ある1カ月間の実験について話そう。毎日、各家庭に1万ウォンずつを無償で与え、町内の人々の反応を観察する実験だ。
 初めは、町内の人々は、戸惑った様子で無償金を受け取った。これが何日か繰り返されると、すぐに町内の人々は気分が良くなった。10日ほど経つと、町内の人々は、無償金を受け取る時間を心待ちにするようになった。あらかじめ家の前に出てきて、待機するようになったのだ。
 さらに20日ほど経つと、町内の人々は、無償のお金を当然だと考えるようになった。そして実験の最終日、お金を分け与える人が、町内をそのまま通り過ぎていった。すると町内の人々はとても怒り、「私のお金はどこへ行ったのか?」「どうして私のお金、1万ウォンをくれないのか?」と不満を吐き出した。
 好意がつづけば、それを権利と勘違いすることになる。今日、韓国が見せる姿は、まさにこれである。今の最悪の日韓関係も、「日本の持続的好意」と「これを権利と勘違いした韓国」が、合作で作り出した不幸だといえる。
 日本に免罪符を与えない韓国の「堕落」
 好意を権利と勘違いすることとともに、少なくない韓国人が、中世の堕落した聖職者よりずっと堕落した態度を見せるのも、日韓関係の悪化の大きな原因になっている。何のことかといえば、今日の多くの韓国人が、「日本に免罪符を与えてはいけない」という言葉を頻繁に使うということだ。
 1995年に発足した日本の「アジア女性基金」では、日本の首相の謝罪手紙とともに、1人当たり約500万円の慰労金を元慰安婦に支給した(61人の韓国人元慰安婦が受領、一部前慰安婦は受領拒否)。ところが、これに対し、当時の挺身隊対策協(慰安婦関連反日団体)は、アジア女性基金の慰労金を受領しないように元慰安婦に圧力をかけて、以下のように警告した。
 「罪を認めない日本の同情金を受け取るならば、被害者は、自発的に出て行った公娼になることであり、日本に『免罪符』を与える結果を招く」
 2015年の慰安婦問題合意の時も、韓国のメディアや国民は「今回の合意で日本に『免罪符』を与えることになるようで心配だ」という反応を見せた。
 「免罪符」(indulgentia:贖宥状)は、中世のローマカトリック聖職者が、金銭や貢物を捧げた人々に、罪を赦免するという意味で発行した証書だ。堕落した聖職者を象徴する表現でもある。
 結局、日本に免罪符をあげたくないということは、日本がいくら謝罪し補償しても、韓国人は日本を非難して断罪することを、永遠に楽しみたいということだ。これは、中世の堕落した聖職者よりもはるかにたちが悪い。なぜなら、中世の聖職者は、たとえ堕落していても、金を受け取れば、最小限、免罪符を与えるのに対し、今日の韓国は、謝罪と補償を受けながらも、免罪符を与えていないためだ。
 金を受け取とることによって免罪符を渡した中世の聖職者と、謝罪と補償を受けても免罪符を渡そうとしない今日の韓国人では、どちらがより悪辣だろうか。
 債権者のように振る舞う隣国の醜態
 旧約聖書箴言にはこのような一節が出てくる(30章、21~23節)。
 誰からも謝罪を受ける権利を与えられたことのない者が、錯覚と妄想に陥って、あたかも自身が債権者であるかのように、謝罪する義務がない隣人に向かって、絶えず謝罪を強要することは、まったくもって非常識だ。さらに、強要するだけでは飽き足らず、世界中のいろいろな所に出向いて策略し、隣人を貶すという悪習まで日常化された状況ならば、もはや最悪だろう。
 日本に対する韓国のこのような病的な状態を、聖書にある「地は三つのことによって震う、いや、四つのことによって、耐えることができない」に、新しく追加するとしても、全く問題ない。個人でも国家にしても、自身の身の丈を知り、それ相応の行動をしなければならない。そうでなければ、醜態をさらすことになるだろう。
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☵66〕─1─韓国左派与党文在寅政権の反日政策で日韓関係は最悪となった。~No.491No.492No.493 

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 2021年12月30日 MicrosoftNews 時事通信「日本製鉄資産の売却命令=元徴用工訴訟で2例目―韓国地裁
 【ソウル時事】韓国の大邱地裁浦項支部は30日、韓国最高裁で賠償判決が確定している元徴用工訴訟で、日本製鉄の韓国内資産の売却命令を出した。同支部などが明らかにした。
 元徴用工訴訟で売却命令が出るのは9月の三菱重工業に続き2例目。日本政府は最高裁の確定判決を国際法違反として認めず、日本企業に実害が生じる「現金化」に強く反対してきた。ただ、日本製鉄側は即時抗告するとみられ、実際に売却されるまでには時間がかかる見通しだ。
 原告側によると、売却命令の対象は日本製鉄が韓国で設立した合弁会社の株式約19万5000株(額面価格で約9億7400万ウォン=約9400万円)。」
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 12月31日 MicrosoftNews ダイヤモンド・オンライン「韓国・文政権を「日本がついに無視」、対日政策で迷走の1年を振り返る
 © ダイヤモンド・オンライン 提供 韓国の文在寅大統領 Photo:Pool/gettyimages
 反日姿勢を
 貫く文政権
 日本人にとって韓国はわかりにくい国だ。特に今年の文在寅政権の対日政策は右往左往した。韓国の裁判所の慰安婦問題判決、徴用工問題の請求権の扱い、東京オリンピックを巡る反日の動き。文政権は、対日で時に歩み寄りとも思える姿勢も示したが、実際には原則を変えてはいない。
 こうした、文政権の反日姿勢に対し、菅義偉前首相、岸田文雄首相は文大統領との会談に応じず、韓国を無視する姿勢を貫いた。
 来年3月に大統領選を控えており、2021年は文政権にとって実質的には最後の年である。日本政府としては、次の大統領が誰になるか、その対日姿勢を見極めようというのが基本的なスタンスである。
 多くの日本人にとって
 韓国が理解し難い理由
 韓国は隣国である。文化的にも東アジアの文化圏にあって近い関係である。日韓の交流は活発だ。日本人も韓国人もお互いの文化芸能に憧れ、親近感を抱いている。それでも日本人にとって韓国人は理解し難い国である。
 その根本原因は、韓国人が頭ではなくハートで考えるからであろう。韓国人が頭で考えていれば、日本人も韓国人を論理的に理解することが可能であろう。しかし、韓国人がハートで考え、日本に対しては感情的に行動するから、ますます理解が難しくなる。
 韓国の外交は、日韓関係ばかりでなく対米関係、対中関係などでも国益ではなく感情で動いている。感情で動く典型的な例が、東京オリンピックで見せた韓国の不可解な行動である。(『韓国が「オリンピック精神より反日活動」を重んじる理由、元駐韓大使が解説』を参照)
 韓国の外交が国益で動いていれば、交渉の余地はある。しかし、歴史問題において韓国の外交はとても国益に基づく行動とは思えない。韓国人の行動様式は自己中心的であり、客観的に分析した行動とは思えない。
 日本に対しては戦前の被害者意識がある。韓国人は、「自分たちは日本を許そうという気持ちがあるが、日本がそれに応えてくれず、むしろ保守化傾向を強め、反韓嫌韓に向かっている」とみている。
 日本人の大半は日本が民主主義国となったと認識しているが、こうした見方にはっきりと言及した韓国の大統領は金大中(キム・デジュン)元大統領くらいである。特に、革新系の故盧武鉉ノ・ムヒョン)大統領と文大統領は、日本が保守反動化していると指摘し、民主化している事実を否定する傾向が強い。そのため日本人とは全く異なる日本を描いている。
 ただ、韓国の国民は決して日本が嫌いではなく、国民と政府の意識に大きなギャップがある。韓国人は日本よりも中国のほうが嫌いである。しかし、政府レベルでは全く逆である。こうした国民レベルと政府レベルでの対日認識の違いが、日本人の韓国理解を難しくしている側面もある。
 元慰安婦や元徴用工の
 問題を巡り裁判所が迷走
 今年の日韓関係に関する出来事を振り返ると、まずは1月8日、元慰安婦が日本政府を相手取って提起した訴訟に対するソウル中央地裁の判決があった。この判決では「日本帝国主義の反人道不法行為に対して国家免除(主権免除)を例外的に適用してはらない」とし、原告にそれぞれ1億ウォン(約967万円)の支払いを命じた。
 しかし、ソウル中央地裁は4月21日、別の元慰安婦が日本政府に損害賠償を求めた訴訟で、「国家の行為や財産は他国の裁判所で裁かれない」という、1月とは全く逆の判決を言い渡した。これは国際慣習法の「主権免除」を認めたものであり、国際法的にはこちらが正道である。
 2015年の安倍晋三首相と朴槿恵大統領による慰安婦問題の合意について、文大統領は「韓国国民の情緒にそぐわない」として認めてこなかった。だが、1月の判決後の年頭記者会見で日本人記者の質問に答え、「正直困惑している」と述べ、慰安婦合意についても政府間の公式合意であることを認めた。
 こうした一連の流れは、これまでの文政権の姿勢や裁判所の判決の大きな変更となる。とはいえ、日本政府が慰安婦問題については韓国政府が解決すべきと主張しているのに対し、「おばあさんたちも同意できる解決方法を探っていけるよう韓日間で協議していく」として韓国政府による独自解決を否定している。
 元徴用工についても同様のことがいえる。ソウル中央地裁は6月7日、元徴用工や遺族が日本企業16社を相手取った集団訴訟で、原告の個人請求権は1965年の日韓請求権協定で消滅はしていないが「訴訟では行使できない」として却下した。これまでの判決では三菱重工や日本製鉄に賠償命令が出されていた。
 文大統領は一連の判決について「判決は尊重せざるを得ない」としていたが、1月の記者会見では「日本企業資産の現金化は韓日関係には望ましくない」と語り、解決に向けた日本との外交協議に期待を示した。
 文大統領の対日姿勢の変化と
 韓国司法界の分断
 こうした司法の判決が大きく分かれる背景には文大統領の姿勢の変化と司法界の分断がある。
 文大統領は昨秋以降、対北朝鮮関係で米バイデン政権の協力を得るために日米韓協力を強化する必要性を感じたこと、そのためには日韓関係を改善する必要があること、8月の東京オリンピックの機会を利用して北朝鮮との対話を模索していることなどの理由によって日本に歩み寄る姿勢を見せ始めていた。
 それでも元慰安婦や元徴用工の問題を、韓国独自の解決ではなく、日本政府との外交協議で解決しようとしていた。
 また、韓国社会の分断が保革の対立ばかりでなく、世代間、男女、貧富の分断など広い範囲に及び複雑化しているが、こうした分断が司法界にも波及している。その結果、国際法を重視する裁判官と、弁護士団体「民主社会のための弁護士会」に近く国内法を重視する革新系の裁判官とで、主張がはっきりと分かれてきている。
 文政権の日本への歩み寄りの姿勢やソウル中央地裁の判決に日本はどう対応するのか。
 日本は「あくまでもこれらの問題は韓国独自に解決すべき問題である」として突っぱねている。これに対し韓国は「自分たちは日本を許し歩み寄ろうとしているのに、日本がかたくなである」として反発している。こうした行き違いが新たな対立の火種となっている。
 東京オリンピック
 注目された反日姿勢
 東京オリンピックを巡り韓国の反日姿勢が改めて注目を集めた。それは以下の4点である。
(1)東京オリンピックのホームページに掲載した聖火リレーの地図に竹島があることについて、竹島は虫眼鏡で見ないとわからないほどの小さな点であったが、次期大統領候補などがオリンピックボイコットを主張した。
(2)オリンピック選手村の食堂で提供する食事に対し、福島県産の食材を使用することに懸念を示し、大韓体育会は独自にホテルを借り、韓国から持ち込んだ食材で調理した。
(3)選手村に横断幕を掲げ、豊臣秀吉朝鮮出兵の際、日本水軍を打ち破った李舜臣(イ・スンシン)将軍の国王への報告になぞらえて、韓国選手団を鼓舞する言葉を書き記した。
(4)日本のゴルフチームのユニホームなどが旭日旗を連想させるとして、これを使用しないように求めた。
 オリンピックは平和の祭典である。日本はこれを使って竹島の政治宣伝をしようとしたことはなく、韓国を挑発する意図はない。しかし、韓国側は国民感情を高め、東京オリンピック批判を強めた。
 こうした行動は日本人による韓国への嫌悪感を助長するだけでなく、国際的にも韓国の品位を傷つけるものである。しかも日本は新型コロナの感染拡大という中で大きな犠牲を払ってオリンピックを開催しているのである。こうした日本に対し敬意を払うのが友好国であり、国際的にも日本は高い評価を得ている。
 なぜ韓国がこうした行動に出るのか、その真意が筆者にはよく理解できない。ただ、言えることは韓国の外交は国益ではなく、国内政治への波及、国民感情によって動かされているということである。こうした行動は韓国にとって大きなマイナスであることを肝に銘じるべきではないか。
 日韓首脳会談が
 実現しなかった事情
 文大統領は6月、英国コーンウォールで開催されたG7サミットに招待され出席したが、菅首相(当時)との首脳会談は実現せず、「あいさつ」だけにとどまった。文大統領は英国での首脳会談で、オリンピックに合わせた自らの訪日について話したかったようである。
 文大統領は訪日に当たり、「元慰安婦・元徴用工問題」「輸出管理強化問題」「福島原発処理水問題」の3つの懸案を首脳会談で一気に解決したいとしていた。だが、その後、「そのうちの1つで前向きな議論が行わなければならない」とハードルを引き下げ、訪日の道を探った。
 日本側は「15分程度」の会談を持つと韓国側に伝えたが、それでは懸案についての前向きな話し合いにはならないとして、韓国側が文大統領の訪日を断念した。
 韓国側は再三、日韓関係改善の道を探ろうとし、そのための首脳会談の実現に前向きな姿勢を示している。しかし、日本側は歴史問題など韓国側が懸案の解決に独自に取り組むことが先決であると突っぱねてきた。今のままでは韓国側といくら話しても意味がないというのが実態であり、それを露骨な形で韓国側に示したものである。
 韓国人はプライドの高い国民である。儒教的には韓国より下位にある日本から無視されることは自尊心が許さないであろう。日本の対応がさらなる反日に結び付く可能性がある。特に次期大統領選挙の与党系有力候補である李在明(イ・ジェミョン)氏が大統領となれば、反日は一層強化される可能性がある。
 他方、日本はこれまで韓国の要求に最後は妥協してきた経緯があり、それが韓国の要求を高めさせた過去もある。ここは日韓関係に悪影響があろうとも日本の立場を毅然と最後まで貫くことが必要であろう。
 韓国が期待する岸田首相でも
 基本的な姿勢に変化はない
 韓国は、安倍・菅政権について保守色の強い政権と考え、よりリベラルな岸田首相になれば日本の姿勢に変化があるかもしれないと期待していた。また、茂木敏充前外相の後任となった林芳正氏は韓国といい関係にあるとして、期待を高めていた。
 しかし、日韓首脳の電話会談、短時間の外相会談を通じ、日本の立場は安倍・菅時代と変わっていないことが明らかになったはずである。
 岸田首相は外相時代の15年に日慰安婦合意をまとめた。過去の経緯に照らせば、日本が譲歩する余地はなかったが、それでも双方の歩み寄りによってこれが最終的な合意だというものが出来上がった。それを覆したのが文大統領である。
 一度合意をほごにされている岸田首相としては文大統領との新たな合意には抵抗があろう。それ以上に与党の大統領候補は文大統領よりも反日色の強い李在明氏である。岸田首相が文大統領と手を握ったとしても、李在明氏に覆される可能性が高い。
 韓国との話し合いは、次の大統領が誰になり、どのような対日政策を取るか見極めてからでも遅くはない。文大統領の残りの任期中には日韓関係に動きはないと考えてよさそうである。
 なお、筆者は22日に新刊『さまよえる韓国人』を出版する。これまで5冊の本を出してきたが、韓国という国は理解が難しい国であることが実感された。そこで韓国の理解し難い側面にスポットライトを当てながら、文政権が国内の対立を助長し、国内の分断を深めたことが、ますます「さまよえる韓国人」を作ったことを、読者の皆様に知っていただきたかったからである。
 韓国では次期政権ができても安定政権とはならないだろう。今後とも「さまよえる韓国人」が続くのではないか。
  (元駐韓国特命全権大使 武藤正敏)」
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🏹目次〕─10─後白河法皇。鎌倉仏教。平清盛~鎌倉時代・元寇~豊臣秀吉の唐入り・朝鮮征伐。~No.1 * 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義民族主義のブログである。
   ・   ・   ・   
 日本の人口。
 奈良時代は約550万人(公地公民で農地が急増)
 平安時代は約644万人
 鎌倉時代は757万人
 室町時代は約818万人
 戦国から江戸時代(1600年代)は約1,227万人(農地を増やして年貢米取り立てた)
   ・   ・   ・   
 歴史的事実として、日本は被害者であって加害者ではない、中国や朝鮮は加害者であって被害者ではない。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人には、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力はなく、その為、日本民族の歴史が理解できない。
 戦争に反対する現代の日本人には、死を覚悟し命を賭けて戦った武士・サムライと百姓や町人を語る資格はない。
   ・   ・   ・   
第77代後白河法皇
2019-07-19
🏹2〕─1─天皇・皇室と下層民との深く濃い絆。後白河法皇と遊女の『梁塵秘抄』。〜No.2No.3No.4・ 
   ・   ・   ・   
平清盛の日宋交易と貨幣経済
2020-01-29
🏹3〕─1─末法の地獄から日本を地位と金による豊かさで救おうとした平清盛。〜No.5No.6No.7・ 
   ・   ・   ・  
公家の中央集権体制と武士の封建制度の争い。
2020-01-31
🏹4〕─1─源平合戦は国家体制を賭けた戦いだった。〜No.8・ 
2024-02-06
🏹4〕─2─鎌倉時代に日本総人口の3分の1が死に絶えた。寛喜の大飢饉と念仏宗教。〜No.9 
2024-01-15
🏹4〕─3・A─牙を抜かれ、朝廷の「武力担当」になった武士。〜No.10 
2024-01-17
🏹4〕─3・B─鎌倉幕府が定着させた、権威の朝廷と権力の武家による「一国二制度」。〜No.10 
   ・   ・   ・   
源頼朝源義経
2018-07-06
🏹5〕─1─蒙古は、高麗人約60万人を強制連行し遼河以東の遼東地域に入植させた。源頼朝源義経。1183年~No.11No.12No.13・ @ 
   ・   ・   ・   
仏教文化
2021-09-13
🏹6〕─1─誰も助けてくれない超ダークな平安時代。「羅生門」と「今昔物語」。~No.14No.15No.16 
  ・  ・  
鎌倉新仏教。宗教改革
2022-02-21
🏹7〕─1─鎌倉仏教とは捨てない仏教。日本仏教は日本独自の特異な日本だけの仏教。~No.17 
2023-11-29
🏹7〕─2─鎌倉仏教は暴力と腐敗を肯定の神聖平安仏教から異端俗世仏教として誕生した。~No.18No.19 
2020-01-30
🏹8〕─1─末法の地獄から日本を慈悲仏教で救おうとした鎌倉新仏教。~No.20・ 
2023-04-29
🏹8〕─2─日本の企業の原型を作った天才僧侶・法然の「念仏宗」とは?~No.21No.22 
  ・  ・  
親鸞
2021-09-14
🏹9〕─1─平安時代のカブラ頭は非人の証。非僧非俗は親鸞の禿頭宣言。〜No.23・  
2022-04-14
🏹9〕─2─他力は自力の母。五木寛之石原慎太郎。〜No.24 
2023-11-25
🏹9〕─3・A─殺生が“仕事”の武士の心をつかんだ親鸞悪人正機説。〜No.25 
2023-12-29
🏹9〕─3・B─「歎異抄」は親鸞の「君たちはどう生きるか」だ。「災害と真宗史」。〜No.25 
   ・   ・   ・   
チンギス・ハーン
2020-02-01
🏹10〕─1─チンギス・ハーン。第82代後鳥羽天皇。1200年~No.26No.27No.28・ 
   ・   ・   ・   
後鳥羽上皇
2020-03-10
🏹11〕─1─承久の屈辱。京都幽閉。武士は皇室・上皇家の私有荘園を没収した。承久3(1221)年~No.29No.30No.31・ 
   ・   ・   ・   
御成敗式目。武士文化。鎌倉文化
2019-10-19
🏹12〕─1─日本の近代化・遵法精神への端緒は御成敗式目である。〜No.32No.33・ 
   ・   ・   ・   
2022-02-06
🏹13〕─1─執権北条泰時は人身売買を再び禁止した。『吾妻鏡』。寛喜2年(1230年)。〜No.34 
   ・   ・   ・   
鎌倉時代の自然災害。 
2021-11-21
🏹14〕─1─感染症と災害、飢饉、元寇に苦しんだ武家政権鎌倉時代。〜No.35No.36No.37・ 
2021-09-03
🏹14〕─2─鎌倉時代。房総に未知の大津波襲来 M8級巨大地震。〜No.38No.39No.40・ 
   ・   ・   ・   
高麗。モンゴル。蒙古。
2018-08-02  
🏹15〕─1─高麗と朝鮮は、人口減少のモンゴル族、漢族、満州族にとって人的資源の草刈場であった。~No.41No.42No.43・ @ 
2018-07-08
🏹15〕─2─蒙古は、高麗に5度侵略し、指定した数の処女を献上する事を命じた。1206年~No.44No.45No.46・ @ 
   ・   ・   ・   
アジアに於ける蒙古。
2021-07-16
🏹16〕─1─アジア諸国は「元寇」にどう立ち向かったのか?~No.47No.48No.49・ 
   ・   ・   ・   
世界での災害。
2018-07-10
🏹17〕─1─1250年代後期にインドネシアで巨大噴火。日本とロンドンで大量の餓死者。~No.50No.51No.52・ 
   ・   ・   ・   
フビライ元寇
日蓮国難
2021-05-04
🏹18〕 ─1─日蓮聖人と『立正安国論』。国難、蒙古と高麗そして中国共産党とロシア。~No.53No.54・ 
  ・  ・ 
元寇と高麗。
2018-07-09
🏹19〕 ─1─高麗王は、フビライに日本征討を懇願し、蒙古軍の軍船建造を願い出た。三別抄。1270年~No.55No56No.57・ @ 
  ・  ・  
文永の役。(1274年)
2018-07-11
🏹20〕─1─元寇における残虐行為の、加害者は高麗で、被害者は日本である。10万人対1万人。1274年~No.58No.59No.60・ @ 
2021-06-22
🏹20〕─2─元寇幕府軍が一騎打ちでボコボコにされた」は本当か。「蒙古襲来絵詞」~No.61No.62No.63・ 
2022-01-10
🏹20〕─3─高麗・蒙古連合軍は日本を侵略して日本人を見境なく虐殺した。~No.64No.65No.66・ 
  ・  ・  
弘安の役(1281年)。
2021-12-31
🏹21〕 ─1─高麗王が弘安の役(第2回日本侵略戦争)を始めた。朝鮮半島の歴史は加害者の歴史。~No.67・ 
2022-04-23
🏹21〕 ─2─中国・朝鮮の侵略から日本と壱岐を守る人神・少弐資時壱岐神社=靖国神社。~No.68No.69 
  ・  ・  
2021-06-28
🏹22〕─1─日本人は捕虜にした蒙古兵と高麗兵を殺さなかった。~No.70No.71No.72・ 
  ・  ・  
元寇の実態。
2022-07-09
🏹23〕─1─日本侵略である元寇が失敗した本当の原因は、高麗国の軍船建造における手抜きであった。~No.73 
2022-09-22
🏹23〕─2─蒙古兵は鎌倉武士団にとってそこまで強大な敵ではなかった?~No.74 
2022-10-22
🏹23〕─3・A─蒙古襲来とは騎馬武者の鎌倉武士団と蒙古の寄せ集めの歩兵集団の戦争だった。~No.75 
2023-02-24
🏹23〕─3・B─なぜ、日本は当時最強の「モンゴル帝国」を追い払うことができたのか?~No.75 
2024-03-20
🏹23〕─3・C─現代日本には国難に命を犠牲にして戦った30代の北条時宗はいない。~No.75 
   ・   ・   ・   
元寇を教えない中国。
2021-07-05
🏹24〕─1─中国義務教育は日本人被害者の元日戦争(元寇)を一切教えない。~No.76No.77No.78・ 
  ・  ・  
元寇アイヌ。 
2020-01-27
🏹25〕26〕─1─安東氏。アイヌ人は、樺太から沿海州沿岸の村を襲撃し、蒙古軍の樺太侵略を撃退した。~No.79No.80No.81No.82No.83No.84・ 
   ・   ・   ・   
第96代後醍醐天皇
2018-07-14
🏹27〕28〕─1─後醍醐天皇は日本を朱子学による中央集権国家へと大改造しようとしたが失敗した。~No.85No.86No.87No.88No.89・ @ 
   ・   ・   ・   
南北朝
2018-07-13
🏹29〕30〕─1─皇国史観民族主義軍国主義の源泉は、皇室が分裂した南北朝にあった。~No.91No.92No.93No.94No.95No.96・ 
   ・   ・   ・   
室町時代
2018-07-21
🏹31〕32〕─1─正統な天皇制度は日本国及び日本民族を消滅から救う最後の拠り所である。後小松天皇。~No.97No.98No.99No.100No.101No.102・ 
2020-02-14
🏹33〕34〕─1─明国は南朝系九州王国を属国とした。日本分裂崩壊の危機。 ~No.103No.104No.105No.105No.106No.107・ * 
   ・   ・   ・   
2018-07-24
🏹35〕36〕─1─滅びの美学。楠木正成足利尊氏七生報国観応の擾乱。1284年~No.108No.109No.110No.111No.112No.113・ @ 
   ・   ・   ・   
極東アジアにおける貨幣経済
2018-07-23
🏹37〕─1─世界最貧国・日本における農業と貨幣経済イノベーション。~No.114No.115No.116・ @ 
   ・   ・   ・   
東アジアの戦争は儒教が原因。
2021-10-30
🏹38〕─1─儒教・春秋学における公羊派の膨張的世界主義と左氏派の防衛的本土主義。~No.117No.118No.119・ 
   ・   ・   ・   
足利義満室町文化北山文化
2018-07-25
🏹39〕─1─高麗の水軍と海賊は、対馬で島民を虐殺し、日本人を中国に奴隷として売った。足利義満。伊賀・甲賀。モンゴル諸王国の滅亡。1373年 ~No.120No.121No.122・ @ 
   ・   ・   ・   
前期倭寇
2018-07-27
🏹40〕41〕─1─前期倭寇対馬壱岐・五島の島民による復讐戦・弔い合戦であった。1392年~No.123No.124No.125No.126No.127No.128・ @ 
   ・   ・   ・   
明国。
2021-02-23
🏹42〕43〕─1─明の洪武帝福建省の閩人に琉球移住を命じた。久米三十六姓。~No.129No.130No.131No.132No.133No.134・ 
  ・  ・  
2018-08-05
🏹44〕─1─明国が、日本人を中国から追放し、日本国との国交回復を拒絶した理由とは。~No.137No.138No.140・ @ 
   ・   ・   ・   
李氏朝鮮李成桂
🏹45〕─1─李氏朝鮮王家は虐殺を繰り返した為に呪われた一族であった。~No.137No.138No.140 
   ・   ・   ・   
永楽帝
2018-07-28
🏹46〕─1─永楽帝は、天命論で帝位を簒奪し甥とその家族を皆殺しにした。足利義満と天命論。1392年~ No.141No.142No.143・ @ 
   ・   ・   ・  
世宗大王
対馬侵略。
2018-07-29
🏹47〕─1─世宗大王は、対馬を侵略し、島民を虐殺したが、武士の反撃で惨めに敗走した。1409年~No.144No.145No.146・ @ 
  ・  ・  
ハングル誕生。
2018-07-30
🏹48〕─1─第1回朝鮮通信使。平仮名・片仮名を真似て訓民正音諺文・ハングルを作った。1421年~No.147No.148No.149・ @ 
2018-07-31
🏹48〕─2─両班儒学者は、ハングルを下層民用の卑しい文字として使用を拒否した。1446年~No.150No.151No.152・ @ 
  ・  ・  
2020-01-23
🏹49〕50〕─1─世宗大王による儒教的「奴婢従母法」と中国従属の「貢女(コンニヨ)」。〜No.153No.154No.155No.156No.157No.158・ 
   ・   ・   ・   
後期倭寇
2018-08-01
🏹51〕─1─後期倭寇は東アジア史を動かした。バイキングと倭寇。1506年~No.159No.160No.161・ @ 
2019-04-13
🏹51〕─2─倭寇の人身売買は貴重な労働力確保であった。日中朝を席巻した海賊集団の謎。〜No.162・ 
2023-07-19
🏹51〕─3─中国がみた戦国時代の日本人は凶暴であった。鄭舜功『日本一鑑』。〜No.163No.164 
   ・   ・   ・   
海賊大名。
2019-10-09
🏹52〕─1─日本の海賊は海上大名(武士)であってパイレーツ、バイキング、後期倭寇とは違う。〜No.165No.166No.167・ 
   ・   ・   ・   
東山文化。足利義政
2019-12-03
🏹53〕─1─東山文化。足利義政現代日本人の原型。外交権は天皇。軍事権は幕府。~No.168No.169・ * 
2023-10-07
🏹54〕─1─応仁の乱の背景は「餓死寸前民衆」が「無責任幕府」にブチ切れて起きた。~No.170 
   ・   ・   ・   
2021-09-02
🏹55〕56〕─1─室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナーキーな世界。~No.171No.172No.173No.174No.175No.176・ 
  ・  ・  
中世日本の分裂国家と多様性。
2021-09-30 
🏹57〕58〕─1─中世日本は地方ごとに分裂し独自性が濃く多様性に富み争いが絶えなかった。~No.177No.178No.179No.180No.181No.182・ 
   ・   ・   ・   
2021-07-04
🏹59〕─1─中国の最新鋭国家運営システム「律令制」はなぜ日本で消滅した。~No.183No.184No.185・ 
   ・   ・   ・   
豊臣秀吉の唐入り、朝鮮征伐。
 対馬壱岐の日本人にとって唐入りと朝鮮征伐は、祖先が中国人や朝鮮人によって虐殺された事に対する正当な合法的な復讐戦・報復戦であった。 
2018-08-03
🏹60〕─1─豊臣秀吉の唐入り。朝鮮は、日本を文明なき下等で野蛮と見下し軽蔑し油断していた。1585年~No.186No.187No.188・ @ 
2018-08-04
🏹60〕─2─壬辰・丁酉倭乱。李舜臣。奴婢や白丁は、叛乱を起こして日本軍に協力した。1592年~No.189No.190No.191・ @ 
2018-10-30
🏹60〕─3─李舜臣東郷平八郎の違い。~No.192・ @ 
2023-04-27
🏹60〕─4─李舜臣と亀甲船は、文禄・慶長の役で秀吉率いる日本軍を苦しめた。~No.193No.194 
   ・   ・   ・   
2022-08-21
🏹61〕─1─韓国人が「豊臣秀吉=虐殺者」をまだ許せない深い訳。~No.195No.196No.197 
   ・   ・   ・   
2022-11-02
🏹62〕─1─東大教授が太鼓判を押す、中世武士の愛すべき「デタラメ」。~No.198No.199No.200 
   ・   ・   ・   
2023-05-05
🏹63〕─1─秀吉の朝鮮出兵。世界で日本人は売れたが朝鮮人は売れなかった。~No.201No.202No.203 
   ・   ・   ・   
2023-05-22
🏹64〕65〕─1─中国史とつなげて学ぶと日本史の常識が覆る理由。~No.204No.205No.206No.207No.208No.209 
   ・   ・   ・   
2023-11-06
🏹66〕─1─日本人は性善説を誤読して逃げ込んだ。~No.210 
2023-11-26
🏹66〕─2─性悪説の正しい意味。荀子の真意は「人間にはルールと恩賞が必要」。~No.211No.212 
   ・   ・   ・   
日本論。
2024-01-13
🏹67〕─1─日本国・日本民族の誇る意外な世界一から謎すぎる日本のミステリーまで。~No.213No.214 
2024-02-23
🏹67〕─2─ミス日本に選ばれたウクライナ出身女性、日本人とは何か。~No.215No.216 
   ・   ・   ・   


 戦争反対で戦う事を放棄した現代の日本人と死ぬのを覚悟で戦った昔の日本人は、別人のような日本人で、現代の日本人が昔の日本人を語る資格はない。
 つまり、現代の日本人は土地に拘り一所懸命に戦って生きていた武士や百姓とは無関係であり、よって武士や百姓でもなければ、武士や百姓の子孫でもない。
 特に、キリスト教徒やマルクス主義者・共産主義者に武士や百姓、日本民族の歴史を語る資格はない。
   ・   ・   ・   
 天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者とは、日本民族であり、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
 身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少ない。
   ・   ・   ・   
 天皇の正統性とは、最高神の女性神を神聖不可侵にして絶対不変の根拠とする、民族宗教、神話物語、血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇制度である。 
 天皇の正当性とは、イデオロギーで作成された憲法・法律を根拠とする、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇制度である。
 現代日本の国民世論の90%以上が、正統性の男系父系天皇制から正当性の女系母系天皇制度への制度変更を要求している。
 現代の日本人は、昔の日本人・日本民族とは別人のような日本人である。
 戦後民主主義教育を受けた高学歴な知的インテリや進歩的インテリ、特にマルクス主義者・共産主義者といわれる日本人の多くは民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力が乏しいかない為に、日本民族の歴史・宗教・文化が嫌いである。
 現代の国際常識、世界正義は、男女平等、女性権利の向上、フェミニズムジェンダーで、正統性男系父系天皇制度は悪とされている。
   ・   ・   ・   
 日本の天皇制度は、閉じた王家として、即位する正統必須条件は、日本民族であり、民族宗教、神話物語で語られる最高神・女性神からの血筋を神聖不可侵の絶対根拠とする血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇家・皇室の家族・一族のみである。
   ・   ・   ・   
 親日派知日派は、古朝鮮百済高句麗、古新羅渤海
 反日派・敵日派は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国
 韓国は反日派・侮日派であり、北朝鮮は敵日派・嫌日派である。
 日本人にとって朝鮮人とは、信用・信頼できる友・友人ではなく、頼もしい親友ではなく、命を預けて共の戦って生きる戦友でもなかった。
 いつ何時、寝首を掻きに来るか判らない、安心しているといきなり後ろから突然襲ってくる、油断も隙もない敵であった。
   ・   ・   ・   
 592年 渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)は、大臣(おおおみ)の蘇我馬子に軽はずみの戯れ事を真に受け第32代崇峻天皇を暗殺し、馬子の娘を略奪して妻とした。
   ・   ・   ・   
 668年 草薙剣盗難事件。新羅の僧沙門道行は、尾張熱田神宮に祀られた御神体である「草薙剣」(三種の神器の一つ)を盗んで新羅に逃げ帰ろうとした所を捕らえられた。
   ・   ・   ・   
 668年~780年 新羅は、朝貢の為に遣日本使を30回以上送った。
 新羅は、対唐(中国)政策として日本天皇に臣下の礼をとって忠誠を誓ったが、それは本心ではなくウソであった。
 つまり、朝鮮半島には信用・信頼、信義・道義など存在しない。
 日本にとって朝鮮は、親日・知日ではなく友・友人、親友、戦友にもならず、反日・敵日・侮日として油断も隙もない恐ろしい「寝首を掻きにくる敵」であった。
   ・   ・   ・   
 724年~749年 聖武天皇の御代では、日本各地で自然災害と西国で反乱が多発し、夥しい人々が犠牲となった。
   ・   ・   ・   
 811(弘仁2)年 弘仁新羅の賊。新羅船3隻は、新羅海賊船団20隻以上を手引きして対馬を襲撃した。
   ・   ・   ・   
 813年 第52代嵯峨天皇新羅の漁民と海賊の船団110人は、肥前の五島などに上陸して襲撃し、島民100人以上を殺害し、日本人を拉致して行った。
 五島の島民は、新羅人9名を殺し、多くを捕らえて役所に突き出した。
   ・   ・   ・   
 820年 弘仁新羅の乱。
 天皇への忠誠を拒否した新羅系渡来人700人以上は、駿河遠江の2カ国で分離独立の反乱を起こした。
   ・   ・   ・   
 869年 貞観の入寇。新羅の海賊。
   ・   ・   ・   
 870年 太宰少弐・藤原元利麻呂は、「新羅と通謀して謀反を企てている」との告発で捕縛された。
   ・   ・   ・   
 893(寛平5年)および894年 寛平の韓寇。新羅の海賊は熊本、長崎、壱岐対馬を侵略。
   ・   ・   ・   
 898年と899年に、大規模な反天皇武装蜂起を起こした。さらに各地で、幾つかの反日暴動を起こしていた。
   ・   ・   ・   
 906年 延喜の新羅の賊。
   ・   ・   ・    
 997(長徳3)年 長徳の入寇。高麗の海賊の侵略。
   ・   ・   ・   
 1019年 刀伊の入寇満州騎馬民族女真族による北九州侵略。
   ・   ・   ・   
 文永の役(1274年)と弘安の役(1281年) 元寇。元(中国)・高麗・旧南宋連合軍による日本侵略。
 高麗軍は、日本人を虐殺し、子供約300人を強制連行し戦利品として忠烈王に献上した。
 日本人の子供たちは奴隷にされ、生きて日本に帰る事はなく異国で死んだ。
   ・   ・   ・   
 1419年 応永の外寇世宗大王李氏朝鮮軍による対馬侵略。
   ・   ・   ・   
 日本の歴史には2つあって、民族の伝承・宗教によるローカルな神話物語とアフリカを源流とする科学的根拠によるグローバルな人類史である。
 ローカルな神話物語とは、古事記日本書紀を正統根拠とする日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話、つまり女性神天照大神最高神とする天皇神話である。
 それが、皇国史観であった。
 グローバルな人類史には、科学的経験的正当性はあっても宗教的合理的正統性はない。
 神話物語と人類史の2つを持つのは、民族としては日本民族琉球民族アイヌ民族だけで、国家としては日本国だけで、その歴史に正当性を裏書きしているのが正統な天皇の神格である。
 その意味で、日本は特殊で特別であるが、日本国と日本人が優れているとは無関係である。
 天皇は日本を統一して日本建国宣言の詔を発していない為に、日本には建国年と建国記念日は存在しない。
   ・   ・   ・   
 ロバート・D・カプラン「揺るぎない事実を私たちに示してくれる地理は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素が、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右するのだ。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる」(『地政学の逆襲』朝日新聞出版)
   ・   ・   ・   
 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
   ・   ・   ・   
 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
   ・   ・   ・   
 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
   ・   ・   ・   
 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
   ・   ・   ・   
 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
   ・   ・   ・   
 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
   ・   ・   ・   
 日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、禍の神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
   ・   ・   ・   
 仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
 神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
 神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
   ・   ・   ・   
 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
   ・   ・   ・   
 日本の宗教とは、人智・人力では如何とも抗し難い不可思議に対して畏れ敬い、平伏して崇める崇拝宗教である。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
   ・   ・   ・   
 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、科学、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
   ・   ・   ・  
 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
   ・   ・   ・   
 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
   ・   ・   ・   
 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
   ・   ・   ・   
 昭和・平成・令和の皇室は、和歌を詠む最高位の文系であると同時に生物を研究する世界的な理系である。
 武士は文武両道であったが、皇室は文系理系双系であった。
   ・   ・   ・   
 徳川家康は、実理を優先し、読書を奨励し、経験を重視し、計算の数学と理・工・農・医・薬などの理系の実利で平和な江戸時代を築いた。
 が、馬車や大型帆船は便利で富をもたらすが同時に戦争に繋がる恐れのあるとして禁止し、江戸を守る為に大井川での架橋と渡船を禁止した。
 つまり、平和の為に利便性を捨てて不便を受け入れ、豊よりも慎ましい貧しさを甘受した。
 それが、「金儲けは卑しい事」という修身道徳であったが、結果的に貧しさが悲惨や悲劇を生んだ。
   ・   ・   ・   
 日本で成功し金持ちになり出世するには、才能・能力・実力が必要であった。
 日本で生きるのは、運しだいであった。
 日本の運や幸運とは、決定事項として与えられる運命や宿命ではなく、結果を予想して自分の努力・活力で切り開く事であった。
 それは、自力というより、神か仏か分からない他者による後押しという他力に近い。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、いつ不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
 それ故に、狂ったように祭り繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
 「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
 江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
 田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
 植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
 平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
 「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
 最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」
   ・   ・   ・    
 日本文化とは、唯一人の生き方を理想として孤独・孤立・無縁を求める文化である。
 日本の宗教とは、虚空・虚無という理想の境地に入る為に自己や自我など自分の存在を肯定も否定もせず、ただただ無にして消し去る事である。
 それ故に、日本文化や日本の宗教は男が独占していた。
 日本民族の伝統的精神文化は宮仕えする男性の悲哀として、行基西行、一休、鴨長明兼好法師芭蕉葛飾北斎など世捨て人・遁走者、隠者・隠遁者・遁世者、隠居、孤独人・孤立人・無縁人への、一人になりたい、一人で生きたいという憧れである。
 そして日本で女人禁制や女性立ち入り禁止が多いのは、宗教的社会的人類的民族的な理由によるジェンダー差別・女性差別・性差別ではなく、精神力が弱い日本人男性による煩わしい女性の拘束・束縛からの逃避願望である。
   ・   ・   ・   
 日本民族心神話において、最高神天皇の祖先神である女性神天照大神で、主要な神の多くも女子神である。
 日本民族は、あまた多くの女性神に抱かれながら日本列島で生きてきた。
   ・   ・   ・   
 鎖国下の江戸時代、日本の文化はあるがままでの共存と共生であり、日本の生き方は身の回りでの絆と繋がりであり、日本の生活は目の前の地産地消であった。
   ・   ・   ・   
 日本の戦争は、外国からの日本侵略と天皇殺害に対する合法的正当防衛としての積極的自衛戦争であった。
 自衛とは、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、アメリカの軍事侵略、ソ連コミンテルン中国共産党によるイデオロギー侵略であった。
 そして、日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストによる昭和天皇と皇族の暗殺失敗と、大陸系渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)による第32代崇峻天皇を暗殺である。
   ・   ・   ・   
 日本民族にとって、中国人と朝鮮人天皇殺し・神殺し・仏殺しの、冒してはならい穢してはならない尊き存在に対する「畏れ」を知らない、バチ当たりな、心が穢れた非人間であった。
 例えれば、イエス・キリストを殺したユダヤ人である。
 それ故に、日本は中国と朝鮮に対して偏見を持ち差別してきた。
 ユダヤ人のイエス・キリスト殺しは、聖書における信仰宗教であった。
 渡来人(外国人移民)の第32代崇峻天皇暗殺は、歴史的事実である。
 日本民族は、命を捨てても天皇を助け皇室を護ろうとするが、決して天皇を殺し皇室を滅ぼそうとはしない。
 歴史的事実として、権力闘争・政争で、天皇に即位する前の皇族は殺害され天皇を退位した上皇法皇島流しにあったが、日本民族日本人によって殺された天皇は誰もいない。
   ・   ・   ・   
 歴史的事実として、古代から、日本は被害者であり、中国や朝鮮は加害者であった。
   ・   ・    ・   
 古代から北九州や西中国地方には、日本天皇への忠誠を拒絶し反旗を翻し日本国から独立する為に、中国大陸や朝鮮半島の敵日勢力と手を組み軍事支援を得て天皇に対して反乱を起こそうと企む反ヤマト王権勢力が存在していた。
 ヤマト王権は、国内外に数多くの敵と戦いながら日本統一を行い、天皇の下で日本を一つにまとめいた。
 天皇制度国家日本を取り巻く環境は、昔も現代も同じで、むしろ現代の方が悪化している。
 日本は、古代と同じように中国(中国共産党)、韓国・北朝鮮そしてそこに現代ではロシアが加わった4か国対日包囲網の中に存在している。
 そして、国内外に反天皇反民族反日的日本人達が暗躍している、彼らはマルクス主義者(共産主義者)とキリスト教徒、その他である。
   ・   ・   ・   

🏹20〕─3─高麗・蒙古連合軍は日本を侵略して日本人を見境なく虐殺した。~No.64No.65No.66  

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 歴史的事実として、日本人は被害者であって、中国人と朝鮮人・韓国人は加害者である。
 つまり、残虐な犯罪者は日本ではなく中国と朝鮮であった。
 「目には目を、歯には歯を」の普遍的権利からすれば、日本には中国や朝鮮に対して同等行為での復讐権や報復権がある。
 中国人と朝鮮人は、日本人以上に殺しを好み血に飢えた猟奇的虐殺者であった。
   ・   ・   ・   
 日本人が平和に目覚め戦争を止める為に武器を捨て侵略者である中国人や朝鮮人に降伏し命乞いをしても、日本天皇日本民族を裏切り、中国と朝鮮に味方し、日本天皇と日本国を引き渡さない限り惨殺された。
 それは「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」である。 
 昔の日本人にはできなかったが、現代日本であればそれを実行する日本人がいるかもしれない。
   ・   ・   ・  
 2014年6月8日 産経WEST「関西歴史事件簿
 元寇文永の役(上) モンゴル・朝鮮軍が日本で行った殺戮…それでも日本の武士「勇敢にして死をみること畏れず」
 今から740年前、中国全土をほぼ手中にし、日本も従属させたいモンゴル帝国(元)皇帝のフビライ・ハーンは朝鮮半島を治める高麗と連合で3万以上の兵を派遣する。元寇(げんこう)と呼ばれる日本本土が2度にわたり侵略を受けた事件である。対する日本は鎌倉幕府執権・北条時宗の命で集まった御家人ら約1万人。武勲をあげて所領拡大を目指した御家人らの士気も高かったが、兵力の差もさることながら、集団戦法と未知の兵器を前に日本の武士は次第に翻弄されていった。
 突貫作業
 元への服属を求めるフビライの国書を携えて日本に渡った使節がたびたび追い返されたため、業を煮やしたフビライは武力による日本進攻を決意。軍船を造るにあたって、文永11(1274)年1月、戦艦300隻など軍船の建造を高麗に命じている。
 平成23年、長崎沖の海底から弘安4(1281)年の2度目の元寇で使ったとみられる沈没船が見つかっている。ほぼ完全な状態だったため復元してみると全長が27メートルに及んだ。
 これは当時の海外渡航用の貿易船と同じ構造で、一隻で100人程度の兵士が収容できる規模だったといい、1回目の進攻作戦でもこのような船を求めたことだろう。
 だが、日本に大船団を出すのに風向や潮の流れなどを考えると、建造期間は半年しかなく、元が派遣したホン・タグの指揮の下、高麗は約3万人の労働者を動員して、昼夜関係なく突貫に次ぐ突貫の作業だったという。
 その様子は、「疾(はや)きこと雷電のごとし。民、これに苦しむ」などと表現されている。
 しかし、このときの現場を監督するキム・バンギョンは、強固な船だと期限内の完成は難しいと判断。費用が安くて簡単な構造の高麗船でしのぎ、期間内に高麗が造った船は大小900隻に達する。
 そして総司令官のキントが着任後の10月3日、総勢3万人以上からなる兵を収容した船団は合浦(がっぽ)(現在の大韓民国馬山)から出港する。兵の3分の2はモンゴルと中国で、あとの3分の1が高麗だった。
 上陸許す
 連合軍の船は、戦艦のほか上陸用舟艇、補給船などからなり、日本近海は巨大なマストがたなびく、おびただしい数の軍船で埋め尽くされていた。
 時宗も高麗へ送り込んだスパイから間もなく攻めてくることを察知し、上陸が予想される九州北部の日本海沿岸に兵を配するも、まずは数で圧倒されることになる。
 10月5日、対馬の小茂田浜に上陸した元・高麗連合軍により、島を守る対馬守護代、宗資(助)国ら80人の兵や島民はことごとく殺害される。
 壱岐でも惨殺を繰り返し九州沿岸に迫ってきた連合軍に16、17の両日、肥前・松浦や平戸島鷹島などが次々に攻められ、討たれた兵の数は数百にのぼったともいわれている。
 対馬壱岐での敗戦の報に接した御家人らはただちに九州の拠点・大宰府へ向かい、その結果、九州の御家人を統括する鎮西奉行少弐資能(しょうにすけよし)の3男、景資(かげすけ)を総大将に集まった兵は約1万人。
 だが、元・高麗連合軍の動きは早く、20日に主力部隊の博多上陸を許す。3方から上陸する兵力は2万人で、日本側の数はその半分に満たなかったのだが、それでも士気は高かった。
 ひるまない武士
 当時の御家人は戦(いくさ)で手柄をあげては、恩賞として新しい土地をもらうことを誉れとしていた。このため、われ真っ先に敵陣に突っ込んで功を競うことこそが潔(いさぎよ)い戦い方だった。
 御家人からすれば後鳥羽上皇と戦った承久の乱(1221年)以来、久々に訪れた所領拡大のビッグチャンス。当然、博多でも敵陣に突っ込んでいく。
 対する元・高麗連合軍は組織ごとに動く集団戦法だったので、先陣を切った御家人らが取り囲まれては討ちとられるといったシーンが相次いだ。
 さらに突然、けたたましい音とともに破裂する物体に終始、悩まされる。未知の兵器「鉄炮(てっぽう)」である。
 直径20センチ、重量4キロの球体が破裂してその破片が約50平方メートルに飛び散る仕組みで、殺傷能力は低かったようだが、強烈な爆音と爆風は勇猛な御家人らも腰が抜けるほどだった。
 コンパクトな短弓も驚異で、射程圏は約30メートルと日本の長弓に比べて6割程度だったが、その分、連射が効き、矢の先に毒が塗っていたために殺傷能力は高かった。
 日本側の視点で当時の戦いの様子を描いた「蒙古襲来絵詞(えことば)」では、御家人らに目がけて投げられた鉄炮が爆発し、短弓の矢が人だけでなく馬にも向けられていた様子がうかがえる。
 それでも立ち向かっていったため「勇敢にして、死をみることを畏(おそ)れず」などとする元側の記述もみられる。
  (園田和洋)」
   ・   ・   ・   
 民族兵士が少ないモンゴル軍の正攻法は、占領した国や新たに領地とした地域の元敵国人を最前線に立たせて敵を攻撃させ、消極的な戦いをすれば味方でも容赦なく見せしめとして惨殺した。
 その典型例が、日本を侵略し日本人を虐殺した高麗軍であった。
 少勢のモンゴル軍が最強の軍団であったのは「地獄のような殲滅」で、一人でもモンゴル人が殺されれば町一つを皆殺しにし、攻めれた国の都市の一つを皆殺しにして恐怖心を広めて他の都市の抵抗心・反抗心を打ち砕いた。
   ・   ・   ・   
  
 昔の日本人は、戦争を嫌う現代の日本人とは違い、一所懸命で、神国・国土・領土を守る為に死を覚悟して侵略者と殺し合った。
 その結果、武士集団は虐殺されようが、全滅しようが、玉砕しようが、根絶やしにされようが、全員が死に絶えようとも意に介する事なく戦った。
 それは日本が掲げた積極的自衛戦争という、正しい戦争であり、正義の戦争であった。
 平和に生きる現代の日本人には、戦争をした昔の日本人、武士や百姓を語る資格はない。
 戦争には、勝てなくても、死んでも、戦わねばならない正しい戦争・正義の戦争・聖戦は存在していた。
 それが、日本の軍国主義であった。
 それを否定したのが、平和憲法こと日本国憲法の第9条である。
   ・   ・   ・   
 憲法第9条を擁護し自衛の軍国主義を否定するのは、日本国内であればマルクス主義者・共産主義者、リベラル派・革新派そして一部の保守派の護憲派であり、国外であれは中国共産党、韓国・北朝鮮、ロシア、アメリカ、そしてキリスト教会と一部の仏教勢力である。
   ・   ・   ・   
 6月14日 産経WEST「関西歴史事件簿
 元寇文永の役(中) 赤ん坊を股裂き、子供を奴隷として拉致、女性は手に穴開け数珠つなぎ…博多を血と炎で染めた蒙古・朝鮮軍の残虐・非人道行為
 (上)朝鮮人が日本で“殺戮”…から続く
 九州・博多から侵略する2万人にのぼる元・高麗連合軍は、兵の数の優位と鉄炮(てっぽう)なる新兵器、集団戦法などを駆使し、日本の武士団を撃破しては町を焼き払い、逃げる民間人を殺すなどやりたい放題。また、捕らえた女性をひもで数珠つなぎにし、日本の攻撃から船を守る盾(たて)にしたほか、拉致した子供を奴隷として高麗国王に献上するなど、残酷で非人道的な行為も数限りなかった。
 侵略される町々
 文永11年10月20日、船で博多湾に集まった元・高麗連合軍の兵は早朝を期して上陸を始めた。日本側は鎌倉・北条時宗と京都へ敵襲来の知らせと援軍を求める急使を送ると、大宰府に本陣を置き、至急集まった周辺の御家人ら総勢5千数百人で待ち構えた。
 最初に戦闘状態に入ったのは午前10時ごろ。場所は上陸地点のひとつ、百道(ももち)原をさらに進んだ麁原(そはら)。相手はキム・バンギョン率いる高麗軍約4500人で、迎え撃つ日本側は約1300人とも。
 前日に元軍のホン・ダク率いる先遣隊が占拠した小高い「麁原山」周辺をめぐる攻防戦とみられるが、数で劣るのに単独で突っ込んでいく日本に対し、鉄炮などの新兵器と集団戦を展開する高麗軍にじりじり押される。
 ここで菊池武房らは約3キロ東の赤坂に撤退することを決め、途中に湿地帯が広がる鳥飼潟へ高麗軍を誘い込む。すると、術中にはまった高麗軍はぬかるみに足をとられて思うように進むことができず、戦闘は膠着(こうちゃく)状態に陥る。
 一方、元・高麗連合軍約5400人に上陸された箱崎には島津氏、少弐氏、大友氏などから1000人しか動員ができず、いきなり劣勢に立たされる。
 日本側の大将・少弐景資の放った矢が、元軍に2人いた副司令官のうち1人を射抜き、負傷させる戦果もあったが、博多の息浜(おきのはま)まで攻め込まれるなど、やりたい放題に暴れられる。
 この戦いで箱崎(筥崎)神社が焼失する。博多の中心部でも元や高麗の兵による殺害や略奪、放火などが横行したことで地は血に染まり、空は炎で真っ赤に染まったともいわれている。
 相次ぐ残虐行為
 このような行為は博多の前の戦場だった対馬壱岐でも同様で、高麗の歴史書には、「入対馬島、撃殺甚衆」と、キム・バンギョンの高麗軍が対馬で島民を皆殺しにしたとする記録が見られる。
 日蓮宗の宗祖・日蓮が当時、関係者から聞いた出来事をまとめた文書にも同様のことが書かれている。
 生け捕りにされた女性は手のひらに穴が開けられ、ひもを通されると数珠つなぎにされ、日本の攻撃をかわす盾として船壁に並べられたという記述は残酷で生々しい。
 奴隷の手に穴を開ける行為は高麗以前から朝鮮半島にはあったとして、日蓮はこれを高麗の仕業と断定しているが、伝聞をもとにした記述のため、異論も出ている。
 ただ、山に逃れた島民をしつこく捜す元と高麗の兵士が、赤ん坊の泣き声などをたよりに見つけ出すと全員を殺害し、赤ん坊も股裂きなどにした残虐な話は数知れず。
 壱岐でも同様の行為があり、元・高麗連合軍が暴れ回った後は武士だけでなく一般島民の死体の山で埋まり、生存者はわずか65人だったともいわれている。
 さらに、元の総司令官が帰還後、日本から連行した少年・少女200人を奴隷として高麗国王と妃であるフビライ・ハンの娘に献上するといった拉致同然の行為が高麗側の記録で確認されている。
 突然に消えた敵
 戦いは元・高麗連合軍が優位のまま夜に入った。ここで双方とも兵を引くのだが、元・高麗連合軍は陸地に前線基地を設けることなく、全軍、博多湾に停泊していた船に引き払ってしまったのだ。
 しかも、一夜明けるとあれだけ湾内を埋め尽くしていた船がすべて姿を消していた。まるで忍術を使ったように影も形もなくバッと消えていたのだ。
 当然、今日も戦いが続くと思っていた日本の御家人らは、キツネにつままれたようにあっけにとられたことだろう。
 元の記録には戦ったことだけが記述されているが、高麗の記録にはこのときのいきさつが多少なりとも書かれている。
 それによると、船に帰投後、元の総司令官、クドゥン▽副司令官、ホン・タグ▽高麗軍司令官、キム・バンギョン-が今後の展開について意見を交わしたとされている。
 キムが「敵地に入って士気も上がり、必死の覚悟で戦っている」と戦闘の継続を主張したが、クドゥンは「疲弊している兵士をこれ以上使い、日増しに増える敵と戦うのは良策ではない」として撤退を決めたという。
 その決断の裏には、少弐景資の矢で負傷した元の副司令官の存在や、武器・食料の補給の問題もあっただろう。
 でも、気象や潮の流れなどの条件が重ならないと船を動かすことはできず、しかも渡航に1カ月かかった時代である。900隻の大船団が遠くの沖合にいるならまだしも、すべてが忽然(こつぜん)と海上から消えたのはミステリーとしかいいようがない。
 これを神風、つまり台風を原因と見る向きもあるが、どうやら、それだけではなかったようである。
   ・   ・   ・   
 6月22日 産経WEST「関西歴史事件簿
 元寇文永の役(下) 元寇「新説」…蒙古・朝鮮連合軍900隻「消滅」の最大理由は朝鮮の「手抜き建造」か
 日本を力で服従させようと、文永11(1274)年10月、900隻、3万人余りの兵力で九州・博多に押し寄せた元・高麗連合軍は散々に暴れまわった揚げ句に、一夜にして視界から消えてしまう。タイムスリップか神隠しか。決死の覚悟で戦いに挑んだ日本の武士団もキツネにつままれたような感覚に襲われたことだろう。原因については神風、つまり天候が有力視されるが、高麗が建造したとされる船の構造にも重大な欠陥があったともいわれている。
 撤退は予定通り?
 ベネチアの商人、マルコ・ポーロが「黄金の国」と紹介した日本がどうしても欲しかったのだろう。2度にわたり攻め、うち最初にあたる今回の文永の役の目的は戦力を知るための偵察だとする見方がある。
 とはいえ、気象や風の向き、潮の流れなどいろんな条件が合わないと航海に出ることのない当時、九州・博多で優勢に戦いを進めていた元・高麗の兵と船が翌朝にはすべて消えたのはやはり謎といえる。
 そんな中で撤退の理由を考えるなら、戦いが長引くと元・高麗の兵が疲労する一方で、日本側の兵力は増強されることが予想されたことだろう。
 陸上戦を得意としてきた元にとって海上戦は未知数だけに、海に停泊中に武士の夜襲を受けて大損害を被る可能性も考えていたのかもしれない。
 後世に書かれた日本の歴史書には、元・高麗の船を追いかけた武士が沖合で漂流する船団を見かけたという記述があるため、夜闇にまぎれて撤退したのは間違いなさそう。
 京都の公家の日記にも京都が当日、悪天候に見舞われたことが書かれており、九州も悪天候ということも予想される。
 だが、元・高麗軍の敗因ともされてきた神風については、当時の10月20日が現在の暦では11月下旬にあたるため、時期的に台風の発生は考えにくい。
 このため、撤退後、海上でもたついている間に台風ほどではないにしろ、何らかの悪天候に遭った「事後の神風」だったとも考えられる。
 あやつり人形
 戦闘、悪天候による元・高麗軍の被害はひどかったようで、失った兵は派遣時の半数に近い約1万3500人にのぼったことが、高麗の歴史書「高麗史」に書かれている。
 また、当時の高麗の様子についてもこのように書かれている。
 《働き盛りの男は船の建造にとられ、兵士の多くは戦いで負傷したほか、帰国中の暴風雨で溺死したため今では国内には老人と子供だけ。しかも日照りなどが続き稲も実らず、草や葉で飢えをしのいだ》
 30年間にわたる抵抗も及ばず、1259年に元の支配下に置かれると、属国としての道を歩むことになった高麗の悲哀を物語る話である。
 当時の高麗王の忠烈王は高麗が元に帰属した後、人質として皇帝、フビライ・ハンの下で長年暮らし、フビライの娘を夫人に迎えるなど、モンゴル一族に変心して帰国している。
 そして、フビライに日本侵略を進言したのも忠烈王だったともいわれ、王はそのときの助成も買って出たのだという。
 このためか、高麗全土は前線基地にされ、900隻の船の建造を押しつけられてしまう。しかも半年という期限付きで。費用も負担しなければならない状況に追い込まれている。
 自業自得とはこういうことをいうのだろう。
 手抜きの悲劇
 船の建造は若い作業員を大量動員して突貫に次ぐ突貫だった。そこで思いついたのが、中国船のように底が二重構造の巨大船ではなく、規模が小さくて技術的にも簡単な高麗船でしのぐことだった。
 「単に兵を運ぶだけ」などという軽い発想でやった手抜き工事だったのだろう。確かに期限内に900隻を収めることはできたのだが、やはり船の強度に問題が出た。
 日本撤退後、一瞬にして船団が消えた原因は、突貫による手抜きで造られた船底の浅い高麗船が、強風と高波とそれに伴う船同士の衝突に耐えられなかった可能性が高い。
 さらに、鎧などの武具を身につけていたことが災いし、多くの兵士は泳ぐこともできなかった。
 日本が確認した元・高麗軍の座礁船は約150隻にのぼったことから、たぶん全滅に近い被害だったのだろう。元は今回の被害を教訓に頑丈な船を4千400隻建造し、7年後、今回の4倍の16万の兵をもって再び日本を攻める。
 一方、鎌倉幕府元寇来襲に備えて今回、戦場となった周辺に防塁を築き、兵力を増強する。またこの戦いで焼失した筥崎(はこざき)宮が再建されると、亀山上皇が「敵國降伏」の扁額を納めるなど各地で元寇退散の機運が高まった。」
   ・   ・   ・   
 古代から北九州や西中国地方には、日本天皇への忠誠を拒絶し反旗を翻し日本国から独立する為に、中国大陸や朝鮮半島の敵日勢力と手を組み軍事支援を得て天皇に対して反乱を起こそうと企む反ヤマト王権勢力が存在していた。
 ヤマト王権は、国内外に数多くの敵と戦いながら日本統一を行い、天皇の下で日本を一つにまとめいた。
 天皇制度国家日本を取り巻く環境は、昔も現代も同じで、むしろ現代の方が悪化している。
 日本は、古代と同じように中国(中国共産党)、韓国・北朝鮮そしてそこに現代ではロシアが加わった4か国対日包囲網の中に存在している。
 そして、国内外に反天皇反民族反日的日本人達が暗躍している、彼らはマルクス主義者(共産主義者)とキリスト教徒、その他である。
   ・   ・   ・   
 親日派知日派は、古朝鮮百済高句麗、古新羅渤海
 反日派・敵日派は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国
 韓国は反日派・侮日派であり、北朝鮮は敵日派・嫌日派である。
 日本人にとって朝鮮人とは、信用・信頼できる友・友人ではなく、頼もしい親友ではなく、命を預けて共の戦って生きる戦友でもなかった。
 いつ何時、寝首を掻きに来るか判らない、安心しているといきなり後ろから突然襲ってくる、油断も隙もない敵であった。
   ・   ・   ・   
 古代から北九州や西中国地方には、日本天皇への忠誠を拒絶し反旗を翻し日本国から独立する為に、中国大陸や朝鮮半島の敵日勢力と手を組み軍事支援を得て天皇に対して反乱を起こそうと企む反ヤマト王権勢力が存在していた。
 ヤマト王権は、国内外に数多くの敵と戦いながら日本統一を行い、天皇の下で日本を一つにまとめいた。
 天皇制度国家日本を取り巻く環境は、昔も現代も同じで、むしろ現代の方が悪化している。
 日本は、古代と同じように中国(中国共産党)、韓国・北朝鮮そしてそこに現代ではロシアが加わった4か国対日包囲網の中に存在している。
 そして、国内外に反天皇反民族反日的日本人達が暗躍している、彼らはマルクス主義者(共産主義者)とキリスト教徒、その他である。
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 親日派知日派は、古朝鮮百済高句麗、古新羅渤海
 反日派・敵日派は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国
 韓国は反日派・侮日派であり、北朝鮮は敵日派・嫌日派である。
 日本人にとって朝鮮人とは、信用・信頼できる友・友人ではなく、頼もしい親友ではなく、命を預けて共の戦って生きる戦友でもなかった。
 いつ何時、寝首を掻きに来るか判らない、安心しているといきなり後ろから突然襲ってくる、油断も隙もない敵であった。
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 592年 渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)は、大臣(おおおみ)の蘇我馬子が言った軽はずみな戯れ事を真に受け第32代崇峻天皇を暗殺し、馬子の娘を略奪して妻とした。
   ・   ・   ・   
 668年 草薙剣盗難事件。新羅の僧沙門道行は、尾張熱田神宮に祀られていた三種の神器に一つ「草薙剣」を盗んで新羅に逃げようとしたところを捕らえられた。
   ・   ・   ・   
 668年~780年 新羅朝貢の為の日本に遣新羅使を派遣し、遣日本使が30回以上。
 新羅は、対唐(中国)政策として日本天皇に臣下の礼をとって忠誠を誓ったが、それは本心ではなくウソであった。
   ・   ・   ・   
 724年~749年 聖武天皇の御代では、日本各地で自然災害と西国で反乱が多発し、夥しい人々が犠牲となった。
   ・   ・   ・   
 811(弘仁2)年 弘仁新羅の賊。新羅船3隻は、新羅海賊船団20隻以上を手引きして対馬を襲撃した。
   ・   ・   ・   
 813年 第52代嵯峨天皇新羅の漁民と海賊の船団110人は、肥前の五島などに上陸して襲撃し、島民100人以上を殺害し、日本人を拉致して行った。
 五島の島民は、新羅人9名を殺し、多くを捕らえて役所に突き出した。
   ・   ・   ・   
 820年 弘仁新羅の乱。
 天皇への忠誠を拒否した新羅系渡来人700人以上は、駿河遠江の2カ国で分離独立の反乱を起こした。
   ・   ・   ・   
 869年 貞観の入寇。新羅の海賊。
   ・   ・   ・   
 870年 太宰少弐・藤原元利麻呂は、「新羅と通謀して謀反を企てている」との告発で捕縛された。
   ・   ・   ・   
 893(寛平5年)および894年 寛平の韓寇。新羅の海賊は熊本、長崎、壱岐対馬を侵略。
   ・   ・   ・   
 898年と899年に、大規模な反天皇武装蜂起を起こした。さらに各地で、幾つかの反日暴動を起こしていた。
   ・   ・   ・   
 906年 延喜の新羅の賊。
   ・   ・   ・    
 997(長徳3)年 長徳の入寇。高麗の海賊の侵略。
   ・   ・   ・   
 1019年 刀伊の入寇満州騎馬民族女真族による北九州侵略。
   ・   ・   ・   
 文永の役(1274年)と弘安の役(1281年) 元寇。元(中国)・高麗・旧南宋連合軍による日本侵略。
 高麗軍は、日本人を虐殺し、子供約300人を強制連行し戦利品として忠烈王に献上した。
 日本人の子供たちは奴隷にされ、生きて日本に帰る事はなく異国で死んだ。
   ・   ・   ・   
 1419年 応永の外寇李氏朝鮮軍による対馬侵略。
   ・   ・   ・ 

🎍目次〕─9─ナラ豪族連合。ヤマト王権の日本国統一。倭の五王~白河法皇。朝鮮の日本侵略史。~No.1 * 

   ・   ・   ・
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義民族主義のブログである。
   ・   ・   ・   
 日本の人口。
 奈良時代は約550万人(公地公民で農地が急増)
 平安時代は約644万人
 鎌倉時代は757万人
 室町時代は約818万人
 戦国から江戸時代(1600年代)は約1,227万人(農地を増やして年貢米取り立てた)
   ・   ・   ・   
 歴史的事実として、日本は被害者であって加害者ではない、中国や朝鮮は加害者であって被害者ではない。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人には、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力はなく、その為に日本民族の歴史が理解できない。
 戦争に反対する現代の日本人には、死を覚悟し命を賭けて戦った武士・サムライと百姓や町人を語る資格はない。
   ・   ・   ・   
倭国大乱(弥生の大乱)。
2021-01-10
🎍2〕─1─倭国大乱(弥生の大乱)は気候変動で食べ物がなくなったからであった。環濠集落は城。146年〜189年。~No.2No.3No.4・ 
   ・   ・   ・   
ナラ豪族連合。
2022-07-16
🎍3〕─1─蘇我、大伴、物部.....「豪族」と「氏族」の違いとは?? 古代の日本を動かしてきた人々。~No.5 
2018-05-26
🎍3〕─2─ヤマト王権はナラ豪族連合である。第10代から第16代仁徳天皇までの天皇日本武尊神功皇后応神天皇。~No.6・ @ 
2023-03-10
🎍3〕─3─日本初の本格的な国造りの地はなぜ「飛鳥」の地だったのか。~No.7 
   ・   ・   ・   
ヤマト王権の日本統一。
2022-09-08
🎍4〕─1─歴史教科書の“嘘”と多様な古代史。「中央集権」は形だけ。~No.8No.9No.10 
2023-11-04
🎍4〕─2─学校で習った中国の歴史書日本書紀はデタラメばかり。~No.9No.10 
2021-01-07
🎍5〕─1─日本全国にあった古代王国。ヤマト王権征服王朝。~No.11・ 
2023-10-29
🎍5〕─2─ヤマト王権に従わなかった人々は虫けらのように扱われた。蔑称・「土蜘蛛」。~No.12 
2024-02-14
🎍5〕─3─なぜ京都は「平野が少ないのに繁栄した」のか?地理的条件と古代の勢力図。~No.13 
   ・   ・   ・   
古代国家形成。
2021-11-05
🎍6〕─1─倭国、古代国家ヘの道。天皇を犠牲にする天皇下駄論、天皇人身御供(生け贄)説。~No.14No.15No.16・ 
2022-09-01
🎍7〕─1─古代の地名が示している「古代豪族」が得意とした”技能”とは?~No.17 
2023-08-05
🎍7〕─2─謎に満ちた古代日本の王権争奪戦を考察! 古代日本列島各地の王の序列とは?~No.18No.19 
2023-12-07
🎍7〕─3─大和王権はどのような制度でどのような範囲を支配したのか?~No.19 
   ・   ・   ・   
倭の五王。広開土王。
2018-05-27
🎍8〕─1─倭の五王。広開土王。日本生まれの武寧王南宋は、倭王武朝鮮半島南部の統治を認めた。400年~No.20・ @ 
2023-10-31
🎍8〕─2─推古天皇よりも古い “幻の女帝” 『飯豊青皇女(いいとよあおのおうじょ)』。~No.21No.22 
   ・   ・   ・   
百済第25代武烈天皇武寧王
2018-12-28
🎍9〕─1─日本生まれの百済王子・武寧王は、武烈天皇の軍事支援で百済王国に帰国して、百済王に即位した。502年~No.23No.24No.25・ 
   ・   ・   ・   
奈良時代
2023-10-28
🎍10〕─1─日本書紀は天帝・中華帝国に対する天皇家と日本国の独立宣言書であった。~No.26 
2018-11-30
🎍10〕─1─日本における「愛国」の始まりは奈良時代であった。『日本国紀』。~No.26・ @ 
   ・   ・   ・   
2022-08-09
🎍11〕─1─独裁者「隋の煬帝」の悲惨すぎる末路。~No.29No.30No.31 
   ・   ・   ・  
2018-05-29
🎍12〕─1─日本と朝鮮半島の関係は、想像以上に活発だった古代の国際交流。〜No.32No.33No.34 
   ・   ・   ・  
第32代崇峻天皇
2018-05-29
🎍13〕─1─磐井の乱任那滅亡。崇峻天皇暗殺。百済の賄賂事件と仏教・ヨガの日本伝来。507年〜No.35No.36No.37・ @ 
   ・   ・   ・   
第29代欽明天皇
2019-05-26
🎍14〕─1─欽明天皇。日本人は、越国で難破した高麗使節船の乗組員を助けた。573年。〜No.38No.39No.40・ 
   ・   ・   ・   
仏教の日本伝来。 
2018-05-30
🎍15〕─1─中国仏教は、異民族が漢族の儒教中華帝国を征服し漢族を支配する為の革命宗教・革命思想であった。仏教の日本伝来。~No.41No.42No.43・ @ 
   ・   ・   ・   
聖徳太子斑鳩宮。
2018-06-05
🎍16〕─1─聖徳太子は、仏教を導入する為に使節を隋の煬帝に送った。隋王朝は、高句麗などの周辺諸国を侵略していた。隋の滅亡。592年〜No.44No.45No.46・ @ 
2019-10-11
🎍16〕─2─聖徳太子は、神道価値観に仏教の行動的規範と儒教の道徳的慣習を加えた。法華経。~No.47・ 
2022-01-16
🎍16〕─3─聖徳太子の第1回宗教改革とは日本の仏教国家化と仏教寺院の総合病院化であった。~No.48 
2022-02-11
🎍16〕─4・A─聖徳太子は仏教を利用して諸改革を行い日本を中国化から救った。~No.49 
2023-12-14
🎍16〕─4・B─聖徳太子が目指した理想の国家とは男系父系天皇が統治する国であった。~No.49 
   ・   ・   ・   
第33代推古女帝。飛鳥。
2018-06-07
🎍17〕─1─第33代推古天皇。男系女性が天皇に即位して統治する国・日本は、世界の非常識である。~No.50・ @ 
2024-02-07
🎍17〕─2─飛鳥は国際都市としてギリシアやペルシアの影響を受けていた。~No.51No.52 
   ・   ・   ・    
唐仏教。
2018-06-09
🎍18〕─1─玄奘三蔵法師。唐王朝の侵略に対する倭国百済新羅高句麗自衛戦争。万葉仮名。624年 ~No.53No.54No.55・ @ 
   ・   ・   ・  
斑鳩。第35代皇極女帝。大化改新
2023-12-01
🎍19〕─1─百済を滅ぼした唐・新羅連合軍。大化改新百済を助ける日本。白村江の戦い百済の滅亡。645年~No.56No.57No.58 @ 
   ・   ・   ・   
中国の領土拡大戦争と仏教。
2018-06-12
🎍20〕─1─唐(中国)は強国吐蕃チベット)を弱体化させる為に仏教を伝えた。~No.59No.60No.61・ @ 
   ・   ・   ・   
大津宮
第38代天智天皇。第40代天武天皇藤原鎌足
2018-06-14
🎍21〕─1─天智天皇天武天皇壬申の乱親日派高句麗の滅亡。667年~No.62No.63No.64・ @ 
2018-06-15
🎍22〕─1─古代史15の新説。古代豪族・蘇我氏と新興豪族・藤原氏。兄天皇から弟皇太子への譲位表明と壬申の乱。~No.65No.66No.67・ @ 
   ・   ・   ・   
2022-07-11
🎍23〕─1─則天武后は中国史上唯一の女帝。唐王朝帝位簒奪者。~No.68No.69No.70 
   ・   ・   ・   
第41代持統女帝。
2018-06-16
🎍24〕─1─持統天皇渤海国の建国。則天武后と革命宗教・仏教。687年~No.71・ @ 
2022-02-01
🎍24〕─2─藤原京に外国人居住の可能性 水洗トイレ遺構を調査。~No.72No.73 
   ・   ・   ・   
記紀神話
2020-12-08
🎍25〕─1─正統男系父系天皇神話の『古事記』は滅びの物語であり滅びの美学の手本である。~No.74・ 
2024-01-22
🎍25〕─2─6世紀半ばに感染症天然痘」は朝鮮から日本に伝来した。『古事記』『日本書紀』~No.75 
2024-03-06
🎍25〕─3─記紀神話における天孫降臨物語には2系統あった。~No76 
   ・   ・   ・   
2020-12-07
🎍26〕─1─男系父系天皇を正統とする正史『日本書紀』と皇国史観。~No.78No.79No.80・ @ 
   ・   ・   ・  
万葉集
2018-06-17
🎍27〕─1─帰化系日本人・山上億良。『万葉集』巻五(八九四)好去好来(かうきよかうらい)の歌。~No.81No.82No.83・ @ 
2018-06-20
🎍27〕─2─大伴家持萬葉集』。「君が代」と大君の思想。保田與重郎小川榮太郎。~No.84No.85No.86・ @ 
   ・   ・   ・   
第45代聖武天皇
2018-06-18
🎍28〕─1─聖武天皇は、日本を仏教国家にする為の宗教改革を行った。行基東大寺の大仏。神仏混合の始まり。723年~No.87No.88No.89・ @ 
2018-07-16
🎍29〕─1─天平9(737)年の疱瘡(天然痘)大流行(パンデミック)。死屍累々の死の島国日本。~No.90・ @ 
2021-03-29
🎍29〕─2─聖武天皇は自然災害の「責めは予(われ)一人にあり」との詔を宣布した。自然災害は神の天罰。~No.91・ 
2023-11-20
🎍29〕─3・A─聖武天皇の汚点。罪なき人々を自害に追い込んだ「残酷な処世術」。 ~No.92 
2023-11-30
🎍29〕─3・B─奈良時代に100万人以上が病死した経済を回復させたのが『墾田永年私財法』である。 ~No.92 
   ・   ・   ・   
2022-07-30
🎍30〕─1─藤原氏のルーツは地方豪族で常陸・中臣氏その前が卜部氏。日本神話では天児屋命。~No.93No.94No.95  
   ・   ・   ・   
天平時代は自己責任。
2018-07-17
🎍31〕─1─天平時代。平城京の窃盗事件。盗まれた品物は自己責任として自分で探した。~No.96No.97No.98・ @ 
   ・   ・   ・   
第46代孝謙女帝=第48代称徳女帝。血統断絶の危機。
2018-06-19
🎍32〕─1─称徳女帝は天皇弓削道鏡に譲り弓削系皇室を作ろうとした。751年~No.99No.100No.101・ @ 
   ・   ・   ・   
半島系渡来人と奈良仏教。
2018-10-18
🎍33〕─1─新羅と奈良仏教。半島系渡来人のドス黒い怨念・憎悪が東日本、関東に渦巻いていた。~No.102No.103No.104・ @ 
新羅仏教。
2020-07-26
🎍33〕─2─新羅仏教は弥勒菩薩弥勒信仰は救世主(メシア)信仰で革命宗教。~No.105No.106No.107・ 
   ・   ・   ・   
平城京
第50代桓武天皇
2018-06-21
🎍34〕─1─桓武天皇蝦夷独立戦争坂上田村麻呂アテルイ空海最澄玄宗皇帝。平安京遷都。密入国していた新羅人難民達。770年~No.108No.109・ @ 
2022-10-24
🎍34〕─2─何故、平安京京都盆地の北部につくられたのか。~No.110 
  ・  ・  
2018-06-23
🎍35〕─1─新羅の日本侵略。関東での弘仁新羅の乱。古代新羅と統一新羅高野山金剛峯寺比叡山延暦寺。806年~No.111No.112No.113・ @ 
   ・   ・   ・   
2019-10-12
🎍36〕─1─王土王民思想は、独立国家の統治理論であり国防思想である。〜No.114No.115No.116・ 
   ・   ・   ・   
平安仏教。
2023-01-20
🎍37〕─1─日本密教は政治権力と結びついて国家宗教となった。〜No.117No.118 
空海。 
2019-06-27
🎍38〕─1─空海を旅する芸能の心髄をめざして。〜No.119No.120・ 
最澄
2021-07-28
🎍38〕─2─平安時代、才能も地位もあった僧が出世できなかった理由。〜No.121No.122・ 
仏教思想
2024-03-09
🎍38〕─3─平安時代の仏教思想が窃盗・強盗の犯人に対する死刑を廃止した。弘仁9年(818)。〜No.121No.122 
   ・   ・   ・ 
平安時代。王朝文化。公家文化。
2018-06-24
🎍39〕─1─貞観の入寇。渡来人や反天皇派日本人の反乱。日本の女流作家と身分卑しい庶民の和歌。元慶関東地震。824年~No.123No.124No.125・ @ 
2022-06-17
🎍40〕─1─平安時代の歴代天皇の御憂慮が日本史の大転換点。清和・陽成・光孝の御代。~No.126No.127No.128 
2023-11-17
🎍40〕─2─百済系渡来人・興世書主が嵯峨天皇に認められ、破格の出世をした理由。~No.127 
2024-02-27
🎍40〕─3─大和朝廷渤海王国は東アジア戦略から国交を開いていた。~No.128 
  ・  ・  
2018-06-26
🎍41〕─1─統一新羅の日本侵略と虐殺・略奪・強制連行。日本は加害者ではなく被害者であった。~No.129No.130No.131・ @ 
  ・  ・  
2018-06-28
🎍42〕─1─菅原道真遣唐使廃止。寛平の韓寇。高麗建国。平将門契丹族の高麗侵略。渤海国滅亡。亀州大捷。894年~No.132・ @ 
2023-02-12
🎍42〕─2─承平天慶の乱藤原純友の乱平将門の乱。~No.133 
2023-11-22
🎍42〕─3・A─平安貴族は下賎の国民から税金を吸い上げる事しか考えていなかった。~No.134 
2024-02-12
🎍42〕─3・B─平安貴族らの栄華を可能にした「律令制」という“中央集権システム”の本質。~No.134 
2024-02-20
🎍42〕─3・C─上級貴族の年収は3億円超、下級貴族は680万円以下…平安貴族たちの給与格差の実態。~No.134 
  ・  ・  
2023-12-03
🎍43〕─1─朝廷を裏から牛耳る闇の女帝藤原詮子藤原氏の全盛期。~No.135 
2018-06-29
🎍43〕─2─女系で出世した藤原道長刀伊の入寇天皇に反逆する日本人達。1015年~No.136・ @ 
2024-02-19
🎍43〕─3・A─藤原道長が「我が世の望月」という言葉に込めた2つの意味。~No.136 
2024-03-03
🎍43〕─3・B─天皇家を世界最古の王家としたのは藤原道長の功績。~No.136 
 ・  ・  
2019-01-09
🎍44〕─1─刀伊の入寇。古代から日本民族は被害者である。国防の為に九州武士団が誕生した。1019年~No.138・ @ 
🎍44〕─2─武士の起源とは。正統な武士は武装貴族だった。~No.139No.140 
  ・  ・  
2018-07-01
🎍45〕─1─平安時代は魔界の時代で、都大路には無数の死体が転がる地獄であった。安倍晴明。~No.141No.142No.143・ @ 
   ・   ・   ・   
平安武士。
2018-07-02
🎍46〕─1─日本武士は死の穢れに満ちた卑しい芸能者で、最初の仕事は用心棒・護衛・警護であった。~No.144・ @ 
2024-01-23
🎍46〕─2─藤原道長刀伊の入寇後一条天皇。老人子供は虐殺され壮年の男女は拉致された。~No.145 
2024-02-26
🎍46〕─3─道長に敗れたほうの藤原氏、左遷先で海賊から日本を救ったのに恩賞はゼロ。~No.146 
   ・   ・   ・   
平安京はブラック社会であった。
2021-04-07
🎍47〕─1─平安時代は地獄。平安京は群盗が横行する無法なダークサイドシティであった。~No.147・ 
2022-07-27
🎍47〕─2─平安時代。血筋・家柄に関係なく努力を怠る貴族は簡単に没落した。~No.148 
2023-11-21
🎍47〕─3─優雅な上流階級のイメージはウソだらけ。平安貴族のヤバすぎる裏の顔。~No.149 
2024-01-12
🎍47〕─3・B─平安時代の総人口1,000万人に対して貴族は500人足らず。~No.149 
2024-01-28
🎍47〕─3・C─平安時代の貴族は「藤原だらけ」。平安貴族のヤバすぎる「裏の顔」。~No.149 
2024-01-29
🎍47〕─3・D─平安貴族にお金持ちはいなかった。平安社会は物々交換経済。~No.149 
2024-02-21
🎍47〕─3・E─平安時代の「貴族ではない人たち」は何をして暮らしていたのか?~No.149 
2024-03-05
🎍47〕─3・F─地方都市のなかった平安社会、なぜ「国府」は発展しなかったのか?~No.149 
2024-03-11
🎍47〕─3・G─平安時代の「雅び」の闇はどす黒い。~No.149 
   ・   ・   ・   
院政時代。
2018-07-04
🎍48〕─1─白河天皇鳥羽天皇後白河天皇平清盛安徳天皇法然親鸞。高麗と『三国史記』。岳飛と秦檜。1052年~No.150No.151No.152・ @ 
   ・   ・   ・   
平安時代の天災。
2021-09-25
🎍49〕─1─1000年前「未知の巨大地震」が発生か、九十九里浜に大津波の跡。~No.153・ 
2024-01-20
🎍49〕─2─ 清和天皇の被災者救済の為の「減税」。平安時代の災害。~No.154 
2024-01-21
🎍49〕─3─仁和大地震と仁和大洪水。東西同時多発の南海トラフ巨大地震。~No.155 
   ・   ・   ・   
漢族系宋(北宋)王朝。
2018-07-05
🎍50〕─1─科挙で近代的官僚システムを完成させた漢族系宋(北宋)王朝。~No.156No.157No.158・ @ 
   ・   ・   ・   
2022-01-22
🎍51〕─1─古代から反中=知中・保守と崇中=親中・革新との死闘が続いている。~No.159No.160No.161 
   ・   ・   ・   
2022-02-20
🎍52〕─1─日本は「民族の血統」を大事にする世界でも珍しい国である。~No.162No.163No.164 
   ・   ・   ・   
2023-03-21
🎍53〕─1─墨書土器に陰陽道修験道の「呪符」も。~No.165No.166No.167 
   ・   ・   ・   


 戦争反対で戦う事を放棄した現代の日本人と死ぬのを覚悟で戦った昔の日本人は、別人のような日本人で、現代の日本人が昔の日本人を語る資格はない。
   ・   ・   ・   
 平安時代初期。日本国内で新羅系渡来人による反乱や暴動が続発していた。
 帰化人とは、天皇に忠誠を誓い、日本国の為に働いた人々である。
 渡来人とは、天皇への忠誠を拒否し、日本国ではなく自分の為のみに仕事をした人々である。
   ・   ・   ・   
 世界観と善悪の判断基準は、中国・朝鮮と日本に全く違う。
 中国・朝鮮と日本の間には越えられない壁がある。
 中国・朝鮮の中華儒教と日本の論語儒教は交わる事がない異質なものである。
 日本と中国・朝鮮は理解できない異なる存在である。
   ・   ・   ・   
 日本天皇と日本国と日本民族日本人は一心同体である。
 日本天皇が廃絶されると日本国と日本民族日本人も死滅する。
   ・   ・   ・   
 日本は、加害者ではなく被害者であった。
 中国と朝鮮は、被害者ではなく加害者である。
   ・   ・   ・   
 朝鮮の反日派諸王朝による日本侵略が絶えなかった。
 反日派敵日派、統一新羅、高麗、朝鮮、大韓帝国
 親日派知日派古朝鮮百済、古新羅高句麗渤海
 加羅任那)は、縄文時代から倭族が多く住み、ヤマト王権の支配地であった。
   ・   ・   ・   
 日本の歴史には2つあって、民族の伝承・宗教によるローカルな神話物語とアフリカを源流とする科学的根拠によるグローバルな人類史である。
 ローカルな神話物語とは、古事記日本書紀を正統根拠とする日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話、つまり女性神天照大神最高神とする天皇神話である。
 それが、皇国史観であった。
 グローバルな人類史には、科学的経験的正当性はあっても宗教的合理的正統性はない。
 神話物語と人類史の2つを持つのは、民族としては日本民族琉球民族アイヌ民族だけで、国家としては日本国だけで、その歴史に正当性を裏書きしているのが正統な天皇の神格である。
 その意味で、日本は特殊で特別であるが、日本国と日本人が優れているとは無関係である。
 天皇は日本を統一して日本建国宣言の詔を発していない為に、日本には建国年と建国記念日は存在しない。
   ・   ・   ・   
 親日派知日派は、古朝鮮百済高句麗、古新羅渤海
 反日派・敵日派は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国
 韓国は反日派・侮日派であり、北朝鮮は敵日派・嫌日派である。
 日本人にとって朝鮮人とは、信用・信頼できる友・友人ではなく、頼もしい親友ではなく、命を預けて共の戦って生きる戦友でもなかった。
 いつ何時、寝首を掻きに来るか判らない、安心しているといきなり後ろから突然襲ってくる、油断も隙もない敵であった。
   ・   ・   ・   
 592年 渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)は、大臣(おおおみ)の蘇我馬子に軽はずみの戯れ事を真に受け第32代崇峻天皇を暗殺し、馬子の娘を略奪して妻とした。
   ・   ・   ・   
 668年 草薙剣盗難事件。新羅の僧沙門道行が草薙剣を盗んで新羅に逃げるが捕まる。
   ・   ・   ・   
 668年~780年 新羅朝貢の為の日本に遣新羅使を派遣し、遣日本使が30回以上。
 新羅は、対唐(中国)政策として日本天皇に臣下の礼をとって忠誠を誓ったが、それは本心ではなくウソであった。
   ・   ・   ・   
 724年~749年 聖武天皇の御代では、日本各地で自然災害と西国で反乱が多発し、夥しい人々が犠牲となった。
   ・   ・   ・   
 811(弘仁2)年 弘仁新羅の賊。新羅船3隻は、新羅海賊船団20隻以上を手引きして対馬を襲撃した。
   ・   ・   ・   
 813年 第52代嵯峨天皇新羅の漁民と海賊の船団110人は、肥前の五島などに上陸して襲撃し、島民100人以上を殺害し、日本人を拉致して行った。
 五島の島民は、新羅人9名を殺し、多くを捕らえて役所に突き出した。
   ・   ・   ・   
 820年 弘仁新羅の乱。
 天皇への忠誠を拒否した新羅系渡来人700人以上は、駿河遠江の2カ国で分離独立の反乱を起こした。
   ・   ・   ・   
 869年 貞観の入寇。新羅の海賊。
   ・   ・   ・   
 870年 太宰少弐・藤原元利麻呂は、「新羅と通謀して謀反を企てている」との告発で捕縛された。
   ・   ・   ・   
 893(寛平5年)および894年 寛平の韓寇。新羅の海賊は熊本、長崎、壱岐対馬を侵略。
   ・   ・   ・   
 898年と899年に、大規模な反天皇武装蜂起を起こした。さらに各地で、幾つかの反日暴動を起こしていた。
   ・   ・   ・   
 906年 延喜の新羅の賊。
   ・   ・   ・    
 997(長徳3)年 長徳の入寇。高麗の海賊の侵略。
   ・   ・   ・   
 1019年 刀伊の入寇満州騎馬民族女真族による北九州侵略。
   ・   ・   ・   
 文永の役(1274年)と弘安の役(1281年) 元寇。元(中国)・高麗・旧南宋連合軍による日本侵略。
 高麗軍は、日本の子供約300人を捕らえ忠烈王に戦利品として献上した。
 日本人の子供たちは奴隷にされ、生きて日本に帰る事はなく異国で死んだ。
   ・   ・   ・   
 1419年 応永の外寇李氏朝鮮軍による対馬侵略。
   ・   ・   ・   
 ロバート・D・カプラン「揺るぎない事実を私たちに示してくれる地理は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素が、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右するのだ。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる」(『地政学の逆襲』朝日新聞出版)
   ・   ・   ・   
 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
   ・   ・   ・   
 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
   ・   ・   ・   
 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
   ・   ・   ・   
 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
   ・   ・   ・   
 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
   ・   ・   ・   
 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
   ・   ・   ・   
 日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、禍の神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
   ・   ・   ・   
 仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
 神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
 神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
   ・   ・   ・   
 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
   ・   ・   ・   
 日本の宗教とは、人智・人力では如何とも抗し難い不可思議に対して畏れ敬い、平伏して崇める崇拝宗教である。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
   ・   ・   ・   
 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、科学、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
   ・   ・   ・  
 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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 昭和・平成・令和の皇室は、和歌を詠む最高位の文系であると同時に生物を研究する世界的な理系である。
 武士は文武両道であったが、皇室は文系理系双系であった。
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 徳川家康は、実理を優先し、読書を奨励し、経験を重視し、計算の数学と理・工・農・医・薬などの理系の実利で平和な江戸時代を築いた。
 が、馬車や大型帆船は便利で富をもたらすが同時に戦争に繋がる恐れのあるとして禁止し、江戸を守る為に大井川での架橋と渡船を禁止した。
 つまり、平和の為に利便性を捨てて不便を受け入れ、豊よりも慎ましい貧しさを甘受した。
 それが、「金儲けは卑しい事」という修身道徳であったが、結果的に貧しさが悲惨や悲劇を生んだ。
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 日本で成功し金持ちになり出世するには、才能・能力・実力が必要であった。
 日本で生きるのは、運しだいであった。
 日本の運や幸運とは、決定事項として与えられる運命や宿命ではなく、結果を予想して自分の努力・活力で切り開く事であった。
 それは、自力というより、神か仏か分からない他者による後押しという他力に近い。
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 日本民族は、いつ不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
 それ故に、狂ったように祭り繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
 「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
 江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
 田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
 植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
 平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
 「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
 最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」
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 日本文化とは、唯一人の生き方を理想として孤独・孤立・無縁を求める文化である。
 日本の宗教とは、虚空・虚無という理想の境地に入る為に自己や自我など自分の存在を肯定も否定もせず、ただただ無にして消し去る事である。
 それ故に、日本文化や日本の宗教は男が独占していた。
 日本民族の伝統的精神文化は宮仕えする男性の悲哀として、行基西行、一休、鴨長明兼好法師芭蕉葛飾北斎など世捨て人・遁走者、隠者・隠遁者・遁世者、隠居、孤独人・孤立人・無縁人への、一人になりたい、一人で生きたいという憧れである。
 そして日本で女人禁制や女性立ち入り禁止が多いのは、宗教的社会的人類的民族的な理由によるジェンダー差別・女性差別・性差別ではなく、精神力が弱い日本人男性による煩わしい女性の拘束・束縛からの逃避願望である。
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 日本民族心神話において、最高神天皇の祖先神である女性神天照大神で、主要な神の多くも女子神である。
 日本民族は、あまた多くの女性神に抱かれながら日本列島で生きてきた。
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 鎖国下の江戸時代、日本の文化はあるがままでの共存と共生であり、日本の生き方は身の回りでの絆と繋がりであり、日本の生活は目の前の地産地消であった。
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