☷18〕─1─米国で「慰安婦像公園」計画が最終段階。~No.52 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2022年9月18日 YAHOO!JAPANニュース FNNプライムオンライン「米国で「慰安婦像公園」計画が最終段階 日本人会の悲痛な声も…注目の特別会合開催へ
 アメリカ東部のペンシルベニア州フィラデルフィア市で、韓国系団体が慰安婦像を設置 した公園を計画している問題が重要な局面を迎えている。この計画を担当する市の芸術委員会は、計画のプレゼンテーションと意見表明を行う特別会合を9月19日に、そして10月12日の定例会議で計画の是非を決する投票を実施すると発表した。
 【画像】公園の説明資料 中心部には慰安婦像が設置される
 この投票で芸術委員会委員の過半数が賛成すれば計画は実行に移されることになる。慰安婦像には「組織的な性奴隷」「犠牲になったアジア、オセアニア、ヨーロッパの数十万人の少女と女性を記念するもの」という碑文まで刻まれる予定だ。
 一体、なぜこのような事態がアメリカで起きているのか。また、これまでに何があったのかをその背景を取材した。
 市の中心部に計画された「慰安婦像公園」
 アメリカ国内にはすでに10数か所に慰安婦像が設置されているようだが、1776年に独立宣言が採決され、アメリカが誕生した歴史あるフィラデルフィアの中心部に、「慰安婦像公園」の計画が発表されたのは、2021年2月のことだ。地元紙は、韓国系アメリカ人の市議などが韓国系団体と協力して、この話を推し進めてきたと報じている。
 「公園と(慰安婦)像が一緒に作られるのは、世界で初めてのことです」。
 計画を推進する韓国系団体の代表は説明会で、「過去と向き合わなければ、未来の世代に平和をもたらすことはできない」、「30年代から40年代にかけて日本が占領したアジア・オセアニアの国々から、20万人以上の少女や女性を性奴隷にした制度という歴史に触れることができる」といった意見を述べていた。
 さらに、この像はカリフォルニア州グレンデール市に作られたものと同じものを想定しているという。ソウルの日本大使館前にある少女像とも同様のものだということだが、彼らはあくまで「芸術作品」と強調していた。
 また、この像には以下のような碑文も刻まれることが判明する。
 「この銅像は、1931年から1945年まで日本帝国陸軍による組織的な性奴隷制の犠牲になったアジア、オセアニア、ヨーロッパの数十万人の少女と女性を記念するものである」。
 碑文の内容については日本政府の立場と違うところがみられる。日本政府は、1997年の閣議決定で軍などによる「強制連行」を直接示す資料はないとしている。また、「性奴隷」という表現については2015年の日韓合意で事実に反するため使用するべきではないと韓国側と確認したとしている。さらに、慰安婦の「数十万」という数字は史実に基づくとは言いがたいと説明している。
 これでは、日本と韓国間にさらに亀裂を深めさせ、現地に在住する多くの日本人、特に子ども達の生活にも影響を与えることだろう。そして、そもそもなぜアメリカにこの銅像が設置される必要があるのか。さらに、この芸術委員会のメンバーには、歴史などの専門家はおらず、建築家、芸術家、彫刻家などで構成されている。この時点での説明会では、特段大きな反発もなく、計画を進めることが委員の予備投票で承認されてしまった。
歴史的根拠は?市の回答に疑問点が次々と…
2 022年2月には、市による慰安婦像設置に関する説明と公聴会もオンラインで開催された。
 この内容については、会議の中や事後に質問されたものについて、日本語でも回答が公開されている。
 主な質問と回答を抜粋して紹介する。
 質問:
 平和公園と平和の少女像が、民族の分断をさらに進め、反アジアの差別を助長するのではないか?
 回答:
 サンフランシスコやカリフォルニア州グレンデールに建てられた同様の銅像が、民族間の溝を深め、反アジアの憎悪を増大させていないかどうか、米国司法省に問い合わせをしました。 これらの都市のアジア系アメリカ人や太平洋諸島出身者のコミュニティでは懸念がありましたが、銅像に起因すると思われるヘイトクライムの増加は確認されませんでした。
 質問:
 特定の国を非難する彫像は芸術品なのか?
 回答:
 パブリックアートは物議を醸し、人々が難しい話題について会話するための機会を提供することができます。
 質問:
 「平和の少女像」と題されたページの説明文に「性奴隷」とあるが、「慰安婦」という言葉を使うべきではないか?
 回答:
 平和公園委員会では、強制連行、強姦、殺人の被害を正確に表現している被害者の要望を受け、事実に基づく表記を行っています。 「慰安婦」は、売春婦を意味する婉曲的な日本語の訳語です
 このフィラデルフィア市の進める「慰安婦像公園」の問題は大きくわけて2つあると考える。
 1つは誰しもが賛同する「平和」や「平等」という価値観を全面に押し出す一方で、歴史的な根拠、事実、背景についての検証も行われていないとみられ、一方的に推進する韓国系団体の主張を鵜呑みにしてしまっていること。2つ目に、ヘイトクライムがないことを理由に挙げているが、明らかに日本を対象に批判する内容であり、地元フィラデルフィアでも日本人のみならず、様々なコミュニティから反対活動が起きている状況で、それを実行に移せば、地域の分断、差別、偏見につながることが考慮されていない点だ。
世界的な韓国系団体による運動の「最新版だ」
 フィラデルフィア市でなぜこのような計画が進められているのか?この計画を取材してきた、フィラデルフィアの地元紙「フィラデルフィア・インクワイアラー」の記者で、ジャーナリストのクレッグ・マッコイさんに話を聞いた。
――なぜこの計画が進んでいるのか?
 これは国際的な運動です。この慰安婦像は世界中に設置され、あるところでは反対運動が起こり、またあるところでは成功しています。この一連の運動の最新版と言えるでしょう。
――韓国人コミュニティはフィラデルフィアではどのような影響力を持っているのか?
 私たちの地域の韓国系アメリカ人コミュニティは、かなり大きく成長していると思います。韓国系アメリカ人の声を聞く機会が増え、組織化も進んでいます。
――今後のこの動きはどうなるのか?実現してしまうのか?
 韓国系アメリカ人協会と、フィラデルフィア地域の日本系アメリカ人協会とが対立していますが、それだけではありません。早くから支持していた政治家の一人が手を引いて、支持を撤回し、フィラデルフィアの市長もどちらかの立場を取ることはないと言っています。一方で市長のもとには芸術や文化に携わる人たちがいて、この動きを支持している。非常に複雑な状況なのです。
――フィラデルフィアの芸術委員会のメンバーは、日本と韓国の間で結ばれた合意などを知っていたと思うか?
 いいえ、知らないと思います。アメリカには、「ママとアップルパイ」という表現があります。これは、議論にならないこと、つまりすべての政治家が賛成するようなことです。この計画の当初、人々は歴史的な知識もなく、詳細も知らない、被害者に配慮した計画を誰が気にするのだろうと感じました。そのため、早い段階では支持されるようになった。それが、あなたや人々、メディアの報道によって変化したのだと思います。
 マッコイさんは、あくでも「中立」な立場として取材を行っていることを強調していた。一方で、この問題の深刻さも理解した上で、賛成派、反対派が双方活動していることで、今後の推移は見通せないとしている。どちらの意見にも配慮した「妥協案」に落ち着く可能性も指摘した。
 日本人会は「アジア人攻撃」「日本批判の拠点化」に懸念
現地に在住する日本人・日系人コミュニティからは大きな懸念の声が挙がっている。この計画に反対の活動をしている、「フィラデルフィア日本人会」の船木真理会長と、パット・デイリー副会長にも話を聞いた。
――計画の説明を聞いてどう思ったか?
 船木さん:
 正直なところ、なぜフィラデルフィアで?これがもし本当に進んでしまうと、この地域の日本人・日系人コミュニティ、日本人およびそのご家族、あるいはアメリカに帰化された方々にとって非常に安全を脅かされる存在になると思いました。
――日本人会としての行動は?
 船木さん:
 私たちは、あの像が設置されてきた世界各地で何が起きてきたのかということ、日本を攻撃する活動が行われる拠点として使われてきたことに対して、非常に大きな懸念を持っています。それが、特に新型コロナウイルスの感染でもって広まったアジア人差別、あるいはアジア人を攻撃するという動きにさらに火に油を注いでしまい、地域の安全、安心な暮らし、特にこちらの方々にとってアジア系の方々、それが日系なのか、韓国系なのか、中国系なのかというのは決して区別がついているわけではないですから、日本人、日系人コミュニティだけではなくて、アジア人全体にとって非常に暮らしにくい状況になるのではないかということを懸念し、この像を公共の場所で設置すべきではないという考えを表明してきました。
――計画を推進している人達の動きをどう見ているか?
 船木さん:
 日本と韓国、あるいは朝鮮半島の方々との関係を悪い方向に、明らかに悪い方向に持っていく動き。これがどういうメリットがあるのかというのはよくわからないなというのが正直なところです。
 日本人会に広がる支援…今、日本人に求めることは?
 さらに、船木さんはこうも続けた。
 船木さん:
 ユダヤ人委員会の方々からは、「決してホロコーストを記憶する意図と同じ像ではない」というお声を頂いておりますし、黒人系の団体からもやはり我々の考えにご賛同いただく声を頂いております。さらに韓国系の方々もすべての方々が同じ考えではなく、一部にはこの動きに賛同する方々もいるようですが、特に関心のない方々もいらっしゃるようだと理解しております。
 また、パット副会長は推進派の説明には、次のような懸念を持っているという。
 パットさん:
 もしこの像の設置が許可されたら、抗議活動が始まる場所になると思います。公共の公園である以上、韓国の団体が好きな時に好きなだけ抗議することは間違いないでしょう。そして彼らは、大勢の人が集まることができるあの場所が好きだと、目的の中で述べています。
 推進派が説明会で「彫刻と向き合うにはとても静かで、集会やセレモニーにも対応できるような場所です」と発言していたことが思い出される。
 一方で、船木さんは苦しい立場もあると話した。フィラデルフィア日本人会の中にも、韓国人と結婚した人や、繋がりを持つ人はいる。そのため、日本人会としては歴史認識の部分で意思を統一する考えはないという。
 船木さん:
 これが正しかった、本当にあったのか。あるいは捏造なのかということ。個人的には見解はありますが、日本人会として何か持つわけにはいかないだろうと。歴史的に何があったんだというところまでは踏み込んで、何らかの立場をとるわけにはいかない。
 そして、日本の国民や、世界各地にいる日本人・日系人コミュニティなどに次のようなお願いも託された。
 船木さん:
 歴史問題、そこを持ち出しても決して相手側と何らかの合意点に至ることは決してないわけで、簡単に解決できる問題ではないだろうと思っています。
理想的にはそこで委員会の方々に「我々は政治には踏み込みたくない」と思ってもらえるかもしれないけれども、最悪の場合むしろ逆に相手側のロビー活動の方がうまくいってしまって、日本人・日系人コミュニティ側は、何か歴史に根差さない不当な動きをクレームしているだけだという結論に至ってしまうかもしれない。逆の効果を及ぼしてしまうかもしれない。
 支援してほしいのは、この像と同じような像が建てられてきた世界各地で日本人・日系コミュニティを攻撃する材料として使われてきたんだと。その結果として、各地で日本人・日系コミュニティの方々に対する差別、あるいは攻撃が起きた。それをフィラデルフィアでは起こしてほしくない。起きてほしくない。と同時に、パンデミックが広がる中で、アジア人の差別・攻撃というのが起きましたので、同じようにあなた方、韓国系、中国系、あなた方のコミュニティも攻撃されますよ。そういう世界は嫌でしょうということ。それを皆さまでご支援いただくのが一番良いのかという風に思っています。
 船木さんや有志のメンバーは19日の特別会合にも参加するという。この像が作られた場所でこれまでに何が起きてきたのか。その事実を、日本人会を代表する弁護士が15分ほど意見陳述を行った後に、2分間という限られた時間ではあるが意見表明するという。
 FNNは推進する韓国系団体にも取材を申し込んだが、9月18日現在返事は来ていない。
開催迫る、焦点の「特別会合」
 匿名のアメリカ人識者は取材に、ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦像と、それを支援している団体の活動の様子を挙げ、「明らかに日本に挑発的である。記念のためのものではない。これは攻撃的なもので、そこは対立があった。策略として日本人を厳しい立場に追い込んだり、相手をすぐに追い詰めたりするのは、ある意味天才的だ。日本人の立場は厳しいというか、自分の立場を説明するのが難しい問題だと思う」とも語っていた。
 焦点となる特別会合は現地の9月19日午前9時30分(日本時間19日午後10時30分)から、そして最終的な結論を行う投票は10月12日行われる。
 FNNはこの委員会の動きについて、市の行政を担う全ての市議会議員に対して、「公園計画の賛否」「碑文の記載される内容の歴史的根拠」「2015年の日韓合意に対する考え」などを含んだ質問状も送付した。この点についても9月18日時点で返信は来ていない。
 特別会合後に控える10月の投票について、フィラデルフィア市に問い合わせてみたところ以下のような回答だった。
・委員会の委員の定数(5人)を満たした上で、過半数の賛成で決定される
・委員が提案を承認しない場合、この提案は設計通りに進められないことを意味する
・委員が提案の継続を決議した場合、追加情報を検討するための別の会合が必要であることを意味する。
・委員はまた、承認(条件付き)に投票することもできる。これは、承認される前に、提案に一定の変更を加える必要があることを意味する
 現地日本人会からあがる悲痛な声とともに、この計画がどのような推移をたどっていくことになるのか。引き続きお伝えしていきたいと思う。
 【執筆:FNNワシントン支局 中西孝介】
 中西孝介」
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☷17〕─1─ハンギョレ新聞「日本はいつドイツを見習うのか」。韓国軍によるベトナム戦時民間人虐殺。~No.49No.50No.51 

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 ナチス・ドイツは、反天皇反日親中国派の人種差別主義者として人道に対する犯罪行為であるユダヤ人虐殺=ホロコーストをした。
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 昭和天皇・軍部・陸軍は、親ユダヤ派親ポーランド派で人道貢献・平和貢献を行い、ポーランドユダヤ人難民を助けて、親独派、右翼・右派の上海ホロコーストを阻止した。
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 日本とドイツは同罪ではない。
 当然、日本はドイツを見習う必要はない。
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 2022年9月17日 YAHOO!JAPANニュース ハンギョレ新聞「日本はいつドイツを見習うのか
 [ハンギョレS]来週の質問
 過去のナチス戦争犯罪について反省し続けてきたドイツ政府が15日(現地時間)、再びユダヤホロコースト犠牲者に対する追加の補償・賠償案を発表した。現在生存している約28万人のホロコースト犠牲者の老後のケアのために13億ユーロ(約1890億円)を支出するという内容だ。対象にはロシアの侵略でウクライナを脱出した8500人のユダヤ人被害者も含まれる。
 ドイツが1952年9月に初めてイスラエル政府、ユダヤ人団体と「ルクセンブルク合意」を結んで以降、ナチスによるユダヤ人集団収容や虐殺などのホロコースト戦争犯罪に対して補償や賠償を続けてきたということは、よく知られた事実だ。ドイツはこの合意で国の集団虐殺に対する責任を認め、犠牲者個人に補償・賠償を行うことに同意し、その後ドイツがユダヤ人被害者に支給した補償・賠償金は800億ユーロを超える。ドイツはナチスの行わせた強制労働に対しても2000年に入って「記憶・責任・未来財団」を設立し、89カ国の65万人あまりの被害者に44億ユーロを支給している。
 このようなドイツの態度は、韓国最高裁日帝強占期の強制徴用被害者に対する賠償を命じる判決を下したにもかかわらず「1965年の韓日請求権協定ですでに解決済み」として知らぬふりをする日本の傍若無人な態度とは、大きく異なる。日本はさらに、最高裁の強制徴用賠償判決を口実として、半導体に必要不可欠な部品の韓国への輸出を規制する報復措置まで取った。
 ドイツにしても、最初から過去の過ちを潔く認め、積極的に補償や賠償を行ったわけではない。第2次世界大戦の直後には、ドイツ社会にも過去を無視したり忘れようとする雰囲気があった。ルクセンブルク合意当時は、ユダヤ人の被害に対する賠償に賛成する世論は11%程度にとどまった。ドイツ経済界はユダヤ人に対する補償・賠償がアラブ諸国との事業に悪影響を及ぼす恐れがあるとして、反対のロビー活動を展開した。当時のコンラート・アデナウアー首相は議会で、保守政権党のキリスト教民主同盟の議員の造反票にぶちあたり、野党の社会民主党などの進歩勢力の賛成票に頼って合意案を可決させなければならなかった。しかしその後、ホロコーストの惨状が大衆に広く知られるようになったことで、過去のナチスの犯罪に対する道徳的・歴史的責任意識はドイツ社会のコンセンサスになる。
 またドイツは同日、歴史教育に今後3年間で約1億ユーロを支出する計画も発表した。最近の世論調査で、米国と欧州の若い世代の大多数がホロコーストについてよく知らないと答えたことに対する対応だという。これについて同国のオラフ・ショルツ首相は、ホロコーストの惨状を証言する生存者が徐々に減っているため、ナチスの犯罪を青少年に教育することはよりいっそう重要になっていると述べている。クリスティアン・リントナー財政相は「今日の私たちに(ナチスの犯罪に対する)個人的責任があるわけではないが、過去にドイツの名で行ったことに対する道徳的義務と歴史的責任はある」とし、「ホロコーストの記憶を保存することも私たちの責任」だと語った。
 かつて日本の安倍晋三元首相が慰安婦合意に関連して「これ以上謝罪しない」と厚かましく強弁したのとは、あまりにも異なる歴史認識である。
 パク・ピョンス|国際ニュースチーム先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )」
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2022-08-28
☳41〕─3─韓国は非人道国家で戦争犯罪国家である。韓国軍によるベトナム戦時民間人虐殺。〜No.149  ⑰ 
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2022-09-08
🎄65」─4─ポーランド、ドイツに戦争賠償180兆円請求。独政府は応じず。~No.227 
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2022-09-09
🎄65」─5─戦前日本の埋もれた功績(人道貢献)に光を当てた初代駐日ポーランド大使の特別展。~No.228 ⑱ 
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 歴史的事実として、古代から、日本は被害者であり、中国や朝鮮は加害者であった。
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 日本の戦争は、外国からの日本侵略と天皇殺害に対する合法的正当防衛としての積極的自衛戦争であった。
 自衛とは、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、アメリカの軍事侵略、ソ連コミンテルン中国共産党によるイデオロギー侵略であった。
 そして、日本人の共産主義者無政府主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストによる昭和天皇と皇族の暗殺失敗と、大陸系渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)による第32代崇峻天皇を暗殺である。
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 日本民族にとって、中国人と朝鮮人天皇殺し・神殺し・仏殺しの、冒してはならい穢してはならない尊き存在に対する「畏れ」を知らない、バチ当たりな、心が穢れた非人間であった。
 例えれば、イエス・キリストを殺したユダヤ人である。
 それ故に、日本は中国と朝鮮に対して偏見を持ち差別してきた。
 ユダヤ人のイエス・キリスト殺しは、聖書における信仰宗教であった。
 渡来人(外国人移民)の第32代崇峻天皇暗殺は、歴史的事実である。
 日本民族は、命を捨てても天皇を助け皇室を護ろうとするが、決して天皇を殺し皇室を滅ぼそうとはしない。
 歴史的事実として、権力闘争・政争で、天皇に即位する前の皇族は殺害され天皇を退位した上皇法皇島流しにあったが、日本民族日本人によって殺された天皇は誰もいない。
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 古代から北九州や西中国地方には、日本天皇への忠誠を拒絶し反旗を翻し日本国から独立する為に、中国大陸や朝鮮半島の敵日勢力と手を組み軍事支援を得て天皇に対して反乱を起こそうと企む反ヤマト王権勢力が存在していた。
 ヤマト王権は、国内外に数多くの敵と戦いながら日本統一を行い、天皇の下で日本を一つにまとめいた。
 天皇制度国家日本を取り巻く環境は、昔も現代も同じで、むしろ現代の方が悪化している。
 日本は、古代と同じように中国(中国共産党)、韓国・北朝鮮そしてそこに現代ではロシアが加わった4か国対日包囲網の中に存在している。
 そして、国内外に反天皇反民族反日的日本人達が暗躍している、彼らはマルクス主義者(共産主義者)とキリスト教徒、その他である。
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 親日・知日は、古朝鮮百済高句麗、古新羅渤海
 反日・敵日・侮日は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国、韓国・北朝鮮
 韓国は反日派・侮日派であり、北朝鮮は敵日派・嫌日派である。
 日本人にとって朝鮮人とは、信用・信頼できる友・友人ではなく、頼もしい親友ではなく、命を預けて共の戦って生きる戦友でもなかった。
 いつ何時、寝首を掻きに来るか判らない、安心しているといきなり後ろから突然襲ってくる、油断も隙もない敵であった。
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 日本に逃れてきた朝鮮半島の難民や移民達には、帰化人と渡来人の二種類がいた。
 帰化人は、天皇に忠誠を誓い、日本国の為に働いた。
 渡来人は、天皇への忠誠を拒否し、日本国の為ではなく自分の利益の為に働いた。
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 日本人の朝鮮人や中国人に対する偏見や差別はここから始まっている。
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 大陸系渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)は、第32代崇峻天皇を暗殺した。
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 663年 唐は、白村江で日本軍を破り、日本侵略の為に山東半島などに大船団を終結させた。
 愛国者大伴部博麻は、白村江の戦いで捕虜となって唐に連れて行かれ、唐軍の日本侵略情報を日本に知らせる為に自分を奴隷に売って資金を作り、唐に残っていた遣唐使に渡して急ぎ帰国させた。
 天智天皇は、唐軍の侵略に備えて北九州から瀬戸内海にかけて水城(みずき)を築き、全国から防人を集めて配置し、万全な防備体制を固めた。
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 668年 草薙剣盗難事件。新羅の僧沙門道行は、尾張熱田神宮に祀られた御神体である「草薙剣」(三種の神器の一つ)を盗んで新羅に逃げ帰ろうとした所を捕らえられた。
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 672年 壬申の乱天武天皇の反唐派(反中派)・保守派は、近江朝廷を滅ぼし、大友皇子を自害に追い込み(追謚・弘文天皇)、親唐派(親中派)を政治の中枢から追放した。
 「大友王子とその周辺の五大官、そしてブレインの亡命百済人のみによって運営されていた近江朝廷は、急速に親唐外交路線へと傾斜していき、対新羅戦用の徴兵を急いだ」(倉本一宏『内戦の日本古代史』、講談社
 生き残った親唐派(親中派)の日本人や渡来人達は、地方ヘと逃げて土着した。
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 668年~780年 新羅は、朝貢の為に遣日本使を30回以上送った。
 新羅は、対唐(中国)政策として日本天皇に臣下の礼をとって忠誠を誓ったが、それは本心ではなくウソであった。
 つまり、朝鮮半島には信用・信頼、信義・道義など存在しない。
 日本にとって朝鮮は、親日・知日ではなく友・友人、親友、戦友にもならず、反日・敵日・侮日として油断も隙もない恐ろしい「寝首を掻きにくる敵」であった。
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 724年~749年 聖武天皇の御代では、日本各地で自然災害と西国で反乱が多発し、夥しい人々が犠牲となった。
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 764年 藤原仲麻呂の乱帰化人対渡来人の攻防。
 親唐派の藤原仲麻呂は、新羅討伐を計画して軍備を整えていた。
 孝謙上皇(女帝)は、唐から帰国した吉備真備坂上氏など帰化人軍事勢力らと図って藤原仲麻呂を滅ぼした。
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 811(弘仁2)年 弘仁新羅の賊。新羅船3隻は、新羅海賊船団20隻以上を手引きして対馬を襲撃した。
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 813年 第52代嵯峨天皇新羅の漁民と海賊の船団110人は、肥前の五島などに上陸して襲撃し、島民100人以上を殺害し、日本人を拉致して行った。
 五島の島民は、新羅人9名を殺し、多くを捕らえて役所に突き出した。
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 820年 弘仁新羅の乱。東国・関東には半島から逃げて来た移民・難民が多数住んでいた。
 天皇への忠誠を拒否した新羅系渡来人700人以上は、駿河遠江の2カ国で分離独立の反乱を起こした。
 が計画的な反乱ではなかったので、朝鮮半島の統一新羅は動かず日本を侵略しなかった。
 同様に、日本各地に定住していた新羅系渡来人や百済帰化人・高句麗帰化人も反乱に同調せず、日本を揺るがす内乱・内戦に発展しなかった。
 834年 日本人百姓は、偏見と差別、新羅系渡来人への憎悪から武器を持って新羅村を襲撃した。
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 869年 貞観の入寇。新羅の海賊。
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 870年 太宰少弐・藤原元利麻呂は、「新羅と通謀して謀反を企てている」との告発で捕縛された。
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 893(寛平5年)および 寛平の韓寇。新羅の海賊は熊本、長崎、壱岐対馬を侵略。
 894年9月 唐の将軍を加えた新羅船100隻、2,500人が、対馬を襲撃した。 対馬の文屋義友は約500人の手兵で迎え撃ち、敵の大将を含む302人を撃ち取った。 捕虜となった新羅人の自白「朝鮮半島は不作により人民は飢えに苦しみ、治安が悪化していたため〝王の命令により〟襲撃した」
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 898年と899年に、大規模な反天皇武装蜂起を起こした。さらに各地で、幾つかの反日暴動を起こしていた。
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 906年 延喜の新羅の賊。
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 935年 統一新羅は、高麗の王建によって滅ぼされた。
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 997(長徳3)年 長徳の入寇。高麗の海賊の侵略。
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 1019年 刀伊の入寇満州騎馬民族女真族による北九州侵略。
 『韓国人に不都合な半島の歴史』 著者 拳骨たくみ「太宰府が4月16日に送った報告書が『朝野群載』(巻20)に記載されている。
 その記述によると、彼らは畠を食いつくし、馬や牛、犬の肉まで食べたという。年寄りから子供らはみな惨殺され、壮年の男女400~500人は船に乗せられ拉致された。
 ……
 高麗海軍による攻撃を受ける最中、賊たちは日本人捕虜たちを殺したり、す巻きにして海に投げ込んだりした。
 高麗は日本人を救出し、300人余りが助かったと生存者の供述書に書かれているが、この時点で拉致された人々の80%近くが死亡していることがわかる。
 ……
 一方の日本は、高麗に対して不信の念を強くしていた。
 権大納言藤原実資は、『賊は刀伊ということだが、捕虜を尋問したところ『高麗国が刀伊を防ぐために自分たちを派遣したが、刀伊に捕縛された』と答えている。数千もの賊がいて、なぜ捕まったのが高麗人だけなのか。賊は高麗人が嘘をついて刀伊人であるとしているのではないか』との見解を示した(『小右記』)。
 この不信感には先述したように、かつて新羅による海賊行為がしばしば見受けられたことで、裏で高麗が糸をひいているのではないかと考えられたからに他ならない。
 これらの事例からも、日本が韓国を古来から尊敬していたなどという話は、まったくの架空であることがわかるだろう。
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 文永の役(1274年)と弘安の役(1281年) 元寇。元(中国)・高麗・旧南宋連合軍による日本侵略。
 高麗軍は、日本人を虐殺し、子供約300人を強制連行し戦利品として忠烈王に献上した。
 日本人の子供たちは奴隷にされ、生きて日本に帰る事はなく異国で死んだ。
 捕らえた捕虜で、元南宋人(中国人)は助けたが、蒙古人や高麗人は殺した。
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 虐殺から生き残った対馬壱岐・北九州の住民は復讐で怒り狂い、前期倭寇となって報復として高麗(朝鮮)や元・明(中国)を荒らし回り殺害・強奪・強制連行を行った。
 前期倭寇が行った残虐行為は、「目には目を、歯には歯を」の「相手の仕打ちに対して同様の仕打ちで対応する」という合法的正当行為であった。
   ・   ・   ・   
 1392年 李成桂は、主君の高麗王を裏切って殺害し、高麗王族を根絶やしにする為に女子供まで容赦なく虐殺して、主家の高麗王朝を滅ぼして半島を統一した。
 李成桂は、明帝皇帝に臣下を誓い、明国の属国になり、半島に於ける正当な唯一の支配者・統治者と認められ、その証として「朝鮮」という国名と民族名を下賜された。
 この後、独立国君主でない朝鮮国王は、新たに国王に即位する為には明国皇帝からの認可が必要とされ、明国からの皇帝勅使一行を王都の城門前まで出向き土下座して迎えた。
 朝鮮の小中華思想では、中華皇帝によって正当性を認められた朝鮮人を上位者とし、正当性を認められていない日本人を下位者とし、その偏見で日本人を野蛮人と軽蔑し見下して差別した。
 歴史的事実として、人種・民族・部族に対する偏見・軽蔑・差別・迫害・弾圧・虐殺において、最も激しいのは中国であり、次ぎに朝鮮で、日本は東アジアで最も少ない。
 朝鮮人や中国人は、性悪説として、気が強く傲慢で、嘘をつき人をよく騙す。
 日本人は、性善説で、気が弱くお人好しで、嘘をつかず人に騙されやすい。
   ・   ・   ・   
 1405年~1433年 明の永楽帝イスラム教徒で宦官の鄭和は、大艦隊を率いて南海遠征を行った。
  ・  ・  
 1419年 応永の外寇世宗大王李氏朝鮮軍による対馬侵略。
 朝鮮軍、227隻、1万7,285人。
 島民114人を虐殺し、民家1,939戸を焼いた。
 対馬守護代宗貞盛は反撃し、朝鮮軍2,500人(一説では3,700人)を撃ち取り、日本側の戦死者は123人。
 朝鮮軍は、台風を恐れて全軍撤退し、事実上の敗走であった。
  ・  ・  
 1428年 世宗大王は、日本からコメ作りや水車の製造など多くの事を学んだ。
   ・   ・   ・   
 後期倭寇は、対馬壱岐・北九州などに拠点を持っていたが、日本人は1割以下で、大半が中国人・朝鮮人南蛮人であった。
 日本人は、大陸や東南アジアとの正当な合法的交易で利益を上げていて、人が嫌う危険な海賊行為=倭寇で荒稼ぎするほど物好きではなかった。
   ・   ・   ・   
 歴史的事実として、日本国内には中国や朝鮮のような血に飢えた盗賊・野盗・山賊・海賊のような兇悪な犯罪集団は少なかった。
 黒沢明監督の映画「七人の侍」の世界が日本の乱世であった。
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🔂2〕─2─「韓国人は、日本人と別人種」と考える人の超盲点 「私もモンゴル人力士に似ている」と思ったら…~No.3 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本人、中国人、韓国人・朝鮮人は、人種として東アジアに住むモンゴロイド黄色人種)であるが異系であり、民族としては歴史・文化・伝統・宗教・言語・その他のルーツを別にする異種民族である。
 最大の違いは、生きてきた孤立した列島、大陸、半島という自然環境である。
   ・   ・   ・   
 2022年9月11日 MicrosoftNews 東洋経済オンライン「「韓国人は、日本人と別人種」と考える人の超盲点 「私もモンゴル人力士に似ている」と思ったら…
ムーギー・キム
 © 東洋経済オンライン 日本人のルーツに関する「科学的・学術的な論文に基づく教養と国際感覚獲得の旅路」へ、ムーギー氏がご案内します(写真:Fast&Slow/PIXTA
 「グローバルな視点」で見た時、日本は他国に比べ、どのような国なのだろうか?
 これに答えるのが、『最強の働き方』『一流の育て方』などのベストセラーでもよく知られる、著作累計70万部のムーギー・キム氏。京都に生まれ、日韓両国の文化の中で育ち、フランス・香港・シンガポールで学び働いてきた。
 そのムーギー氏が「人生を通じて最も書きたかった1冊」という新著『そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。:文化・アイドル・政治・経済・歴史・美容の最新グローバル日韓教養書』が発売された。「韓国へのイライラ、日本へのモヤモヤが、同時に解消する」「両国の視点で、フェアに書かれている」「都合のいい部分ばかりつなげず、確かな学術論文に依拠している」と多方面で反響を呼んでいる。
 本記事では、ムーギー氏が「『韓国人は、日本人と別人種』と考える人が陥りがちな超残念な深刻盲点」について解説する。
 日本人と韓国人は「DNAはほぼ一緒」という科学的常識
 まず、エリザベス女王陛下が崩御されたことに、心から哀悼の意を表したい。私ですら悲しいのだから、イギリスの皆様の心痛はいかほどのものだろうか? 2週間以内に国葬の見通しとのことだが、国葬とはこのような方に対し、広いコンセンサスがあるなかで静かに執り行われるべきものであろう。
 【グラフ】1人あたりGDP、日本と韓国を比べると?
 さて、日本と韓国「歴史問題がどうも決着しない」深い訳、「豊臣秀吉=虐殺者」韓国人がまだ許せない深い訳など、私が本連載のコラムを書くたびに、ヤフコメランキングや雑誌アクセスランキングでしばしば1位に輝くが、同時にコメント欄が激しく炎上し、焦土と化す。
 気弱な私のハートにグサッとくる言葉でいえば「韓国人は日本人と違う人種だから、付き合わないほうがいい」。
 しかし毎回「ちょっと待ってよ!」と思うのは、日本人と朝鮮半島の人々は人種的には同じ黄色人種モンゴロイドである。DNA検査でも、ほとんど塩基配列が一緒だということはご存じだろうか?
 言語や伝統的な宗教哲学、政治体制の違いと文化の違いから、「民族的には異民族」だが、
 日本と朝鮮半島で、人種は同じである。
 だからこそ両国を比較すると、人種はほぼ同じなのに、「日本のこのような独自の文化はどこから発達したのか」という興味深い問いへの答えが浮き上がるのだ。
 今回は新刊『そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。』から、日本人のルーツに関する、(ネットの無責任な書き込みではなく)科学的・学術的な論文に基づく教養と国際感覚獲得の旅路にご案内しよう。
 更新世末期(3万年~1万年前)の日本列島には、大陸系や南方系と考えられる人々が分布していた。
 DNA解析でわかった、日本人のルーツとは?
 そんな先住民の子孫である縄文人と、その後に朝鮮半島や大陸からさまざまな経路で渡来してきた人々との混血により、現代日本人が成立したという「二重構造モデル」は、学術的には広く受け入れられている。
 渡来してきた人々の移動開始時期は、紀元前2500年とも1000年とも500年とも言われる。
 そしてとくに、長期にわたって主に朝鮮半島から鉄と稲作を持って渡ってきた人々と、その前からいた縄文人は一部混血をしたり、その文化を受け入れたりして、弥生人が形成された。
 つまり弥生人には、主に朝鮮半島から渡来した人、縄文人との混血、そして新たな文化を受容した縄文人が含まれる。
 弥生人に対しては、突然、日本列島に降ってきたか湧いてきたような認識の人が少なくないが、元をたどれば、総じてアジア大陸の影響を受けた民なのである。
 一方、アイヌ系と沖縄系では混血があまり進まず、実際にも縄文人の遺伝子特徴を強く残すのは、北海道のアイヌの人々であることも、アカデミックの世界では常識である。
 この意味で、「縄文人こそ日本のオリジナリティの証だ」と主張する方には特に、ぜひ北海道のアイヌ文化の保護に、より尽力してほしいところである。
 (これをお読みの皆様にも、砂澤ビッキの作品をはじめとしたアイヌ文化の素晴らしい彫り物に、ぜひ触れてほしいところだ)
 2012年、日本人類遺伝学会が編集する国際専門誌電子版に、「1人当たり最大約90万カ所のDNA変異を解析し、非常に高い信頼性で、先住民の縄文人と、朝鮮半島から来た弥生人が混血を繰り返して現在の日本人になったとする混血説が裏付けられた」と、総合研究大学院大学(神奈川県)などのチームが発表している。
 古代の倭国と、伽耶百済の特別な関係
 また、近年では2019年5月13日に国立科学博物館により発表された話だが、いまの日本人のDNAを全ゲノム解読できるようになった結果、縄文人由来のものは10%程度にすぎず、紀元前から朝鮮半島より渡来した弥生人と混血したことが示されている。
 じつは、ほかにもさまざまな人々が日本列島に渡って混血してきたという説も唱えられているが、その後も弥生時代から飛鳥時代にかけて、多くの人々が百済高句麗などから渡来し、大和政権で大きな役割を果たしていたことはよく知られているとおりだ(この時代に大量に流入した東アジア系の人々を古墳人と呼び、現在の日本人の遺伝子と最も近いという研究も存在する)。
 1984年、全斗煥(チョンドゥファン)大統領の初訪日時の晩さん会で、昭和天皇が、日本建国当時の朝鮮半島国家による役割について言及したのも検索可能なので、ご参照いただきたい。
 なお、「朝鮮半島には人がおらず、日本列島から朝鮮半島に人が渡って百済などを建国してその後、日本列島に戻ってきた」という説を唱える人がいるが、さすがにこれは無理があるだろう。もとはといえばアフリカ大陸にいた私たちの祖先を、どれだけ不自然なルートで移動させるのだろうか。
 実際のところ、中国の文献にも、朝鮮のほうが日本より何百年も前から登場している。また、百済のほうが倭国より上国として書かれており、百済から倭国に文化が伝えられたことも記載されているのである(ただこれは当然で、当時アジア文明の中心地であった中国に近いほど先進文化があるのは、当たり前のことだろう)。
 ともあれ、日本と朝鮮半島南部(とくに伽耶百済)との間では、何百年もの間、人の往来が盛んだったのは確かである。
 「純ジャパ」も「純コリ」も存在しない
 このような人口移動や交流の歴史を考えると、よく聞く「純ジャパニーズ」という概念が、空想の産物であることがわかるだろう。
 これまで述べてきたように、日本人の多くは、縄文系と朝鮮半島や大陸系の混血であり、また混血の程度は地域によってさまざまに異なるのだ。
 もちろん朝鮮半島の人々の祖先も、もとから朝鮮半島にいたはずはない。その先祖には、たとえば北方民族だけでなく、ヒマラヤ山脈南の南方ルートで東南アジアを経て、いまの中国北東部から朝鮮半島に移り住んだ人々もいる。
 また、韓国人の遺伝子には中国人に近い遺伝子や、モンゴル人に近い遺伝子も入っている。私もお風呂に入るときに鏡を見ると、モンゴル人力士に実に似ている。
 ちなみに、『Genome Biology and Evolution』に掲載されている論文「The Origin and Composition of Korean Ethnicity Analyzed by Ancient and Present-Day Genome Sequences」によれば、これらの混血は、朝鮮半島への移住前から起こっていたとされている。
 これらの研究が示唆するのは、「どこどこの国の人は、もとはといえば何人などと、ひとつの源流に遡ることなど不可能」だという事実だ。
 中国人やモンゴル人に関しても、結局のところ、みんなアフリカからさまざまなルートを辿って巡り合った人と交配して子孫を残してきた。
 自国の祖先は進化論やアフリカ起源を無視して、天から降ってきたか地から湧いてきたとでも言い張らない限り、これは動かせない事実である。
 つまるところ、「純コリアン」というのも想像上の存在で、「純中国人」「純モンゴル人」にしても、またしかりなのである(ただ、自分のDNAや由来の一部を憎み蔑むという謎の習性は、多くの民族で見られる現象でもある)。
 もちろん、国家や民族は、生物的DNAではなく、自分および自分が所属する集団は何であるかという主観的認識と、政治的プロパガンダに大きく左右される。また、どこの民族も「内集団バイアス」があり、隣近所より自分たちが優れていると思いたがるし、どこの国にもその起源を語る神話がある。
 だからこそ、教養ある態度を身につけるには、歴史と神話の境を知ることが重要なのだが、2022年の今になっても、古代の神話と歴史を混同し、排他的アイデンティティをつくってしまった人たちが、ヤフコメなどで人種差別的な書き込みをしては、規約違反で消去されてしまうのである。
 あなたもムーギー・キムさんも、DNAはほぼ同じ!
 ともあれ今回は、科学的なファクトに基づく数多くの学術論文をまとめた日韓の人種的共通性について、新刊『そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。』から抜粋して紹介させていただいた。
 これを機に、「この記事を読んでいる自分と、ヤフコメ欄で黒焦げに炎上しているムーギー・キムさんのDNAは、ほぼ一緒かぁ……」と、私への親近感と好感度が爆上がりすることを、祈念する次第である。」
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 日本民族とは、数万年前の旧石器時代縄文時代からの歴史・文化・伝統・宗教・言語・風土そして生活習慣を同じくする日本列島の住人である。 
 乱暴に言えば、日本人とは日本列島に住む人間であり、人種や民族に関係なかった。
 何故なら、日本民族・日本人とは、日本列島に流れ着いた・逃げて来た人種・民族、言語、宗教、その他一切に関係ない弱者、気候変動による難民(たとえば飢餓)、政争・戦争の負け組(敗北者、逃亡者、犯罪者、亡命者)、その他が乱婚を繰り返して生まれた混血の雑種だからである。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、数万年前の旧石器時代(岩宿時代)・縄文時代にしろ、数千年前の弥生時代古墳時代にしろ、中国大陸や朝鮮半島に恩義を感じる必要はない。
 何故なら、渡来人とは、日本人のたっての願いで来てもらったのではなく、勝手に逃げて来た難民や敗者・亡命者・逃亡者・犯罪者などの弱者であったからである。
 当然の事ながら、現代の中国人や朝鮮人は昔の中国人や朝鮮人の子孫でもなければ血の繋がらない全くの別人である以上、日本人はことさら卑下して現代の中国人や朝鮮人に感謝する必要はない。
 むしろ、日本列島は中国大陸や朝鮮半島から感謝されて当然である。
   ・   ・   ・   
 日本人と言っても、血の繋がった日本民族と血の繋がらない日本国民とは違う。
 帰化人は心や志・精神・思いなどで深く繋がっているが、渡来人には如何なる繋がりもない。
 それ故に、日本民族帰化人を友・仲間・身内として受け入れたが、渡来人は他人として差別し排除して遠ざけた。
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 歴史的事実として、古代から、日本は被害者であり、中国や朝鮮は加害者であった。
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 日本の戦争は、外国からの日本侵略と天皇殺害に対する合法的正当防衛としての積極的自衛戦争であった。
 自衛とは、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、アメリカの軍事侵略、ソ連コミンテルン中国共産党によるイデオロギー侵略であった。
 そして、日本人の共産主義者無政府主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストによる昭和天皇と皇族の暗殺失敗と、大陸系渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)による第32代崇峻天皇を暗殺である。
   ・   ・   ・   
 日本民族にとって、中国人と朝鮮人天皇殺し・神殺し・仏殺しの、冒してはならい穢してはならない尊き存在に対する「畏れ」を知らない、バチ当たりな、心が穢れた非人間であった。
 例えれば、イエス・キリストを殺したユダヤ人である。
 それ故に、日本は中国と朝鮮に対して偏見を持ち差別してきた。
 ユダヤ人のイエス・キリスト殺しは、聖書における信仰宗教であった。
 渡来人(外国人移民)の第32代崇峻天皇暗殺は、歴史的事実である。
 日本民族は、命を捨てても天皇を助け皇室を護ろうとするが、決して天皇を殺し皇室を滅ぼそうとはしない。
 歴史的事実として、権力闘争・政争で、天皇に即位する前の皇族は殺害され天皇を退位した上皇法皇島流しにあったが、日本民族日本人によって殺された天皇は誰もいない。
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 古代から北九州や西中国地方には、日本天皇への忠誠を拒絶し反旗を翻し日本国から独立する為に、中国大陸や朝鮮半島の敵日勢力と手を組み軍事支援を得て天皇に対して反乱を起こそうと企む反ヤマト王権勢力が存在していた。
 ヤマト王権は、国内外に数多くの敵と戦いながら日本統一を行い、天皇の下で日本を一つにまとめいた。
 天皇制度国家日本を取り巻く環境は、昔も現代も同じで、むしろ現代の方が悪化している。
 日本は、古代と同じように中国(中国共産党)、韓国・北朝鮮そしてそこに現代ではロシアが加わった4か国対日包囲網の中に存在している。
 そして、国内外に反天皇反民族反日的日本人達が暗躍している、彼らはマルクス主義者(共産主義者)とキリスト教徒、その他である。
   ・   ・   ・   
 親日・知日は、古朝鮮百済高句麗、古新羅渤海
 反日・敵日・侮日は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国、韓国・北朝鮮
 韓国は反日派・侮日派であり、北朝鮮は敵日派・嫌日派である。
 日本人にとって朝鮮人とは、信用・信頼できる友・友人ではなく、頼もしい親友ではなく、命を預けて共の戦って生きる戦友でもなかった。
 いつ何時、寝首を掻きに来るか判らない、安心しているといきなり後ろから突然襲ってくる、油断も隙もない敵であった。
   ・   ・   ・   
 日本に逃れてきた朝鮮半島の難民や移民達には、帰化人と渡来人の二種類がいた。
 帰化人は、天皇に忠誠を誓い、日本国の為に働いた。
 渡来人は、天皇への忠誠を拒否し、日本国の為ではなく自分の利益の為に働いた。
   ・   ・   ・   
 日本人の朝鮮人や中国人に対する偏見や差別はここから始まっている。
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 大陸系渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)は、第32代崇峻天皇を暗殺した。
   ・   ・   ・   
 663年 唐は、白村江で日本軍を破り、日本侵略の為に山東半島などに大船団を終結させた。
 愛国者大伴部博麻は、白村江の戦いで捕虜となって唐に連れて行かれ、唐軍の日本侵略情報を日本に知らせる為に自分を奴隷に売って資金を作り、唐に残っていた遣唐使に渡して急ぎ帰国させた。
 天智天皇は、唐軍の侵略に備えて北九州から瀬戸内海にかけて水城(みずき)を築き、全国から防人を集めて配置し、万全な防備体制を固めた。
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 668年 草薙剣盗難事件。新羅の僧沙門道行は、尾張熱田神宮に祀られた御神体である「草薙剣」(三種の神器の一つ)を盗んで新羅に逃げ帰ろうとした所を捕らえられた。
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 672年 壬申の乱天武天皇の反唐派(反中派)・保守派は、近江朝廷を滅ぼし、大友皇子を自害に追い込み(追謚・弘文天皇)、親唐派(親中派)を政治の中枢から追放した。
 「大友王子とその周辺の五大官、そしてブレインの亡命百済人のみによって運営されていた近江朝廷は、急速に親唐外交路線へと傾斜していき、対新羅戦用の徴兵を急いだ」(倉本一宏『内戦の日本古代史』、講談社
 生き残った親唐派(親中派)の日本人や渡来人達は、地方ヘと逃げて土着した。
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 668年~780年 新羅は、朝貢の為に遣日本使を30回以上送った。
 新羅は、対唐(中国)政策として日本天皇に臣下の礼をとって忠誠を誓ったが、それは本心ではなくウソであった。
 つまり、朝鮮半島には信用・信頼、信義・道義など存在しない。
 日本にとって朝鮮は、親日・知日ではなく友・友人、親友、戦友にもならず、反日・敵日・侮日として油断も隙もない恐ろしい「寝首を掻きにくる敵」であった。
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 724年~749年 聖武天皇の御代では、日本各地で自然災害と西国で反乱が多発し、夥しい人々が犠牲となった。
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 764年 藤原仲麻呂の乱帰化人対渡来人の攻防。
 親唐派の藤原仲麻呂は、新羅討伐を計画して軍備を整えていた。
 孝謙上皇(女帝)は、唐から帰国した吉備真備坂上氏など帰化人軍事勢力らと図って藤原仲麻呂を滅ぼした。
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 811(弘仁2)年 弘仁新羅の賊。新羅船3隻は、新羅海賊船団20隻以上を手引きして対馬を襲撃した。
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 813年 第52代嵯峨天皇新羅の漁民と海賊の船団110人は、肥前の五島などに上陸して襲撃し、島民100人以上を殺害し、日本人を拉致して行った。
 五島の島民は、新羅人9名を殺し、多くを捕らえて役所に突き出した。
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 820年 弘仁新羅の乱。東国・関東には半島から逃げて来た移民・難民が多数住んでいた。
 天皇への忠誠を拒否した新羅系渡来人700人以上は、駿河遠江の2カ国で分離独立の反乱を起こした。
 が計画的な反乱ではなかったので、朝鮮半島の統一新羅は動かず日本を侵略しなかった。
 同様に、日本各地に定住していた新羅系渡来人や百済帰化人・高句麗帰化人も反乱に同調せず、日本を揺るがす内乱・内戦に発展しなかった。
 834年 日本人百姓は、偏見と差別、新羅系渡来人への憎悪から武器を持って新羅村を襲撃した。
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 869年 貞観の入寇。新羅の海賊。
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 870年 太宰少弐・藤原元利麻呂は、「新羅と通謀して謀反を企てている」との告発で捕縛された。
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 893(寛平5年)および 寛平の韓寇。新羅の海賊は熊本、長崎、壱岐対馬を侵略。
 894年9月 唐の将軍を加えた新羅船100隻、2,500人が、対馬を襲撃した。 対馬の文屋義友は約500人の手兵で迎え撃ち、敵の大将を含む302人を撃ち取った。 捕虜となった新羅人の自白「朝鮮半島は不作により人民は飢えに苦しみ、治安が悪化していたため〝王の命令により〟襲撃した」
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 898年と899年に、大規模な反天皇武装蜂起を起こした。さらに各地で、幾つかの反日暴動を起こしていた。
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 906年 延喜の新羅の賊。
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 935年 統一新羅は、高麗の王建によって滅ぼされた。
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 997(長徳3)年 長徳の入寇。高麗の海賊の侵略。
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 1019年 刀伊の入寇満州騎馬民族女真族による北九州侵略。
 『韓国人に不都合な半島の歴史』 著者 拳骨たくみ「太宰府が4月16日に送った報告書が『朝野群載』(巻20)に記載されている。
 その記述によると、彼らは畠を食いつくし、馬や牛、犬の肉まで食べたという。年寄りから子供らはみな惨殺され、壮年の男女400~500人は船に乗せられ拉致された。
 ……
 高麗海軍による攻撃を受ける最中、賊たちは日本人捕虜たちを殺したり、す巻きにして海に投げ込んだりした。
 高麗は日本人を救出し、300人余りが助かったと生存者の供述書に書かれているが、この時点で拉致された人々の80%近くが死亡していることがわかる。
 ……
 一方の日本は、高麗に対して不信の念を強くしていた。
 権大納言藤原実資は、『賊は刀伊ということだが、捕虜を尋問したところ『高麗国が刀伊を防ぐために自分たちを派遣したが、刀伊に捕縛された』と答えている。数千もの賊がいて、なぜ捕まったのが高麗人だけなのか。賊は高麗人が嘘をついて刀伊人であるとしているのではないか』との見解を示した(『小右記』)。
 この不信感には先述したように、かつて新羅による海賊行為がしばしば見受けられたことで、裏で高麗が糸をひいているのではないかと考えられたからに他ならない。
 これらの事例からも、日本が韓国を古来から尊敬していたなどという話は、まったくの架空であることがわかるだろう。
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 文永の役(1274年)と弘安の役(1281年) 元寇。元(中国)・高麗・旧南宋連合軍による日本侵略。
 高麗軍は、日本人を虐殺し、子供約300人を強制連行し戦利品として忠烈王に献上した。
 日本人の子供たちは奴隷にされ、生きて日本に帰る事はなく異国で死んだ。
 捕らえた捕虜で、元南宋人(中国人)は助けたが、蒙古人や高麗人は殺した。
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 虐殺から生き残った対馬壱岐・北九州の住民は復讐で怒り狂い、前期倭寇となって報復として高麗(朝鮮)や元・明(中国)を荒らし回り殺害・強奪・強制連行を行った。
 前期倭寇が行った残虐行為は、「目には目を、歯には歯を」の「相手の仕打ちに対して同様の仕打ちで対応する」という合法的正当行為であった。
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 1392年 李成桂は、主君の高麗王を裏切って殺害し、高麗王族を根絶やしにする為に女子供まで容赦なく虐殺して、主家の高麗王朝を滅ぼして半島を統一した。
 李成桂は、明帝皇帝に臣下を誓い、明国の属国になり、半島に於ける正当な唯一の支配者・統治者と認められ、その証として「朝鮮」という国名と民族名を下賜された。
 この後、独立国君主でない朝鮮国王は、新たに国王に即位する為には明国皇帝からの認可が必要とされ、明国からの皇帝勅使一行を王都の城門前まで出向き土下座して迎えた。
 朝鮮の小中華思想では、中華皇帝によって正当性を認められた朝鮮人を上位者とし、正当性を認められていない日本人を下位者とし、その偏見で日本人を野蛮人と軽蔑し見下して差別した。
 歴史的事実として、人種・民族・部族に対する偏見・軽蔑・差別・迫害・弾圧・虐殺において、最も激しいのは中国であり、次ぎに朝鮮で、日本は東アジアで最も少ない。
 朝鮮人や中国人は、性悪説として、気が強く傲慢で、嘘をつき人をよく騙す。
 日本人は、性善説で、気が弱くお人好しで、嘘をつかず人に騙されやすい。
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 1405年~1433年 明の永楽帝イスラム教徒で宦官の鄭和は、大艦隊を率いて南海遠征を行った。
  ・  ・  
 1419年 応永の外寇世宗大王李氏朝鮮軍による対馬侵略。
 朝鮮軍、227隻、1万7,285人。
 島民114人を虐殺し、民家1,939戸を焼いた。
 対馬守護代宗貞盛は反撃し、朝鮮軍2,500人(一説では3,700人)を撃ち取り、日本側の戦死者は123人。
 朝鮮軍は、台風を恐れて全軍撤退し、事実上の敗走であった。
  ・  ・  
 1428年 世宗大王は、日本からコメ作りや水車の製造など多くの事を学んだ。
   ・   ・   ・   
 後期倭寇は、対馬壱岐・北九州などに拠点を持っていたが、日本人は1割以下で、大半が中国人・朝鮮人南蛮人であった。
 日本人は、大陸や東南アジアとの正当な合法的交易で利益を上げていて、人が嫌う危険な海賊行為=倭寇で荒稼ぎするほど物好きではなかった。
   ・   ・   ・   
 歴史的事実として、日本国内には中国や朝鮮のような血に飢えた盗賊・野盗・山賊・海賊のような兇悪な犯罪集団は少なかった。
 黒沢明監督の映画「七人の侍」の世界が日本の乱世であった。
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👪33〕34〕─1─最新科学でわかった「不安に強くなる方法」に世界が注目。~No.96No,97No.98No.99No.100No.101 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 9月10日 MicrosoftNews ダイヤモンド・オンライン「最新科学でわかった「不安に強くなる方法」に世界が注目
 © ダイヤモンド・オンライン 提供 photo:Adobe Stock
 「運動」の驚くべき”癒し効果”にスポットを当てた研究が、今、世界的に注目を集めている。運動すると……「ストレスから守られる」「抗うつ薬に匹敵する”うつ改善効果”が得られる」「レジリエンス因子が増え、不安に強くなる」「遺伝と同レベルの認知症リスクを解消できる」「自然界で2番目に強い”睡眠導入剤”が体内で作られる」など、その驚きの研究結果をまとめたのが”運動×神経科学”の第一人者であるジェニファー・ハイズ博士だ。彼女の研究は、ニューヨーク・タイムズBBC、CNN、ハフポストなど、多数の国際的メディアに取り上げられて話題を呼んでいる。その内容を一般向けにわかりやすくまとめた初の著書の邦訳版『うつは運動で消える 神経科学が解き明かした「心の不調」のリセット法』が9月7日に発売となった。今回は、本書の発売を記念して、その内容の一部を特別に公開する。
 「不安に強い人」と「弱い人」その決定的な差とは?
 恐怖を経験した人すべてが不安障害になるわけでもありません。何が彼らを守っているのでしょう?
 それは、神経ペプチドY(NPY)と呼ばれるレジリエンス(回復力)因子です。これを多く作ることができる脳と、そうでない脳があります。
 たとえば、ニックとポールは一緒に戦闘に参加しました。そのうち、ポールはPTSDを発症し、ニックは発症しませんでした。NPYを多く持っていたニックは、脳をトラウマから守れたのです。
 「だったらNPYを増やしたい」と、あなたは思うかもしれません。私もそうです。賛成します。
 ここで、朗報です。NPYは、運動で増やすことができるのです。では、その運動法とはどんなものでしょう。
 不安を和らげるためには、どれくらいの運動が必要? 
 私の研究室では、最も少ない労力でNPY増加を実現する道を探したいと考えました。
 そして実験から、週に3回、30分程度の軽度から中程度の強度の運動をするだけで、不安な気持ちを和らげるのに十分であることを突き止めたのです。
 さらに、最も効果があった被験者は、最も不安を抱えていた人たちでした。うれしいことに、彼らの不安は運動後に軽減され、運動で得られる安心感はトレーニングを積むことでさらに増していきました。
 実際、運動は不安を和らげる効果が高いことがわかっています。また、不安障害に悩む人の不安症状を軽減するだけでなく、誰もが時折経験する不安感も軽減してくれます。
 (本原稿は、ジェニファー・ハイズ著、鹿田昌美訳『うつは運動で消える ~神経科学が解き明かした「心の不調」のリセット法』の内容を抜粋・編集したものです)
 ジェニファー・ハイズ
 世界トップのキネシオロジー(運動科学)学科を擁するカナダ・マクマスター大学のニューロフィットラボのディレクターであり、運動と神経科学研究の第一人者。主に、身体運動がメンタルヘルスや認知能力にもたらす影響について研究し、受賞多数。その研究は、ニューヨーク・タイムズでの特集をはじめ、CNN、NBCBBC、ハフポスト、CBSなど、国際的メディアの注目を集めている。初の著書の邦訳版『うつは運動で消える』が2022年9月7日に発売。
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👪30〕─1─「幸運を信じる人」の成績がいい科学的な理由。~No.91No,92No.93 

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 2022年8月26日 MicrosoftNews 東洋経済オンライン「「幸運を信じる人」の成績がいい科学的な理由 実験が明らかにした「儀式」や「お守り」の力
バーバラ・ブラッチュリー
 © 東洋経済オンライン 「自分は運がいい」と考える人は、脳の「実行機能」が高いそうです(写真:takeuchi masato/PIXTA
 世の中には「何をやってもなぜかうまくいく人」がいる一方、「何をやってもうまくいかない人」がいる。では、「うまくいく人」には、なぜ幸運が舞い込むのだろうか? 運がいい人と悪い人には、なにか私たちの知らない習慣や行動、考え方の違いがあるのだろうか?
 「運」の起源やメカニズムを科学的に検証し、どうすれば「運」を呼び込むことができるのかを解説した、心理学者・神経科学者のバーバラ・ブラッチュリー氏の著書、『運を味方にする 「偶然」の科学』より、一部抜粋・編集のうえ、お届けする。
 「不運だ」と思うと実行機能が損なわれる
 心理学者のリズ・デイとジョン・モルトビーは、幸運を信じると全体的な心理面でのウェルビーイングが高まるかどうかを検証した。
 調査では144人の男女に、幸運を信じているかどうかを尋ね、それぞれのうつ状態、不安、楽観主義、神経症傾向についても調べたあと、その結果になんらかのパターンをさがした。
 すると、自分や他人は運に恵まれていると強く信じていない人ほど、うつ状態にあったり、不安を覚えたりしていた。いっぽう幸運を信じている人は楽観的で、うつ状態でもなければ、不安を覚えてもいなかった。
 それとは別の調査でモルトビーの研究チームは「自分は運が悪い」と思い込んでいる人たちには「実行機能」が損なわれている傾向があることに気づいた。
 実行機能とは、計画を立てたり、当初の計画が失敗したときに代替案を立てたり、物事を整理して考えたり、いま着手している課題に集中したり、その課題を達成するまで注意を維持したりする一連の認知機能を指す。
 自分は幸運だと思っている人は、平均より上の実行機能をもっているわけではない。ところが自分は不運だと思い込んでいる人には、実行機能のはたらきが弱い例が多かった。
 その後、ついにリザン・ダミッシュ、バーバラ・ストーブロック、トマス・マスワイラーが、迷信によって困難な課題でのパフォーマンスが向上するか否かの研究に着手し、まず、前述の研究結果から得られた結論を検証することにした。
 つまり、成功する見込みがきわめて不確実である場合、心理的にきわめて高いストレスを覚え、認知機能も衰えるため、人は迷信的な儀式に頼りやすくなるという説だ。
 迷信的な儀式をおこなえば、緊張がやわらぎ、状況をコントロールできるという幻想をもてるようになる(それだけで十分な場合が多い)。すると、周囲に広がる混沌とした予測のつかない世界が、それほど不安には思えなくなる。
 これが事実だとするならば、迷信を実行に移せば、自己効力感(出来事を自分でコントロールできるという認識)が高まり、よりいっそう懸命に課題に取り組み、より長く努力を続けるはずだと、研究者たちは考えた。
 さらに、迷信を実行に移せば、楽観主義や希望といった感覚をもてるようになり、どんな課題に取り組んでいようと、パフォーマンスが向上するはずだった。
 「ラッキーボール」の驚くべき効果
 この仮説を検証するために、ダミッシュはいくつかの実験をおこなった。
 第1の実験では、ふたつのグループの学生(ゴルファーはいない)に、ゴルフボールのパッティングをしてほしいと頼んだ。ひとつのグループはただゴルフボールを渡され、「がんばって」と言われた。
 もうひとつのグループはゴルフボールを渡される際、「このボールはラッキーボールで、みんな成功したのよ」と言われた――そのボールには幸運が宿っていると吹き込まれたのだ。
 すると、いわゆるラッキーボールを渡された学生たちは、ボールについてなにも言われていない学生たちよりも、パッティングのスコアがよかった。
 第2の実験では、ふたつのグループの学生におもちゃをひとつ渡した。左右にバランスよく傾けて、小さなボールを穴に入れる仕組みのおもちゃだ。
 ひとつのグループは「これは指を交差させて幸運を願うしぐさの効果を調べる実験です」と言われた(ドイツでは幸運を願う際、「きみのために親指を押すよ」と表現する。この実験はドイツでおこなわれたので、実際にはこの表現が用いられた)。
 もうひとつのグループは、予想がつくだろうが、ただおもちゃで遊び、ボールを穴に入れてくださいと言われた。
 するとたしかに、幸運を願うしぐさの効果を調べる実験だと信じていたグループは、そうではないグループより、小さなボールを小さな穴により多く入れたうえ、要した時間も少なかった。
 ほかのふたつの実験では、あなたの幸運のお守りを研究室にもってきてほしいと、学生たちは事前に頼まれていた。
 そしてひとつのグループは記憶力テスト(基本的にトランプの神経衰弱で、カードをひっくり返してペアをつくる)やアナグラムの課題(8つの文字を組み合わせて、できるだけ多くのドイツ語の単語をつくる)に取り組むあいだ、お守りを身につけることを認められた。
 そして、もういっぽうのグループは、それぞれの課題に取り組む前に、お守りをとりあげられた。
 さあ、あなたにも予想がつくだろう――お守りを身につけていたグループは、お守りをとりあげられたグループよりも、記憶力テストとアナグラムの課題の両方でいい成績をおさめた。
 「幸運を信じる」ことの大きな恩恵
 ダミッシュはこうした結果から“幸運を信じる迷信を活性化させると、課題をこなす能力が自分にはあると思えるようになり、パフォーマンスが向上する”と述べている。
 宇宙における外部の力として、あるいは私たちの行動すべてにその効果があらわれる個人の特性として、呪術的思考、迷信、幸運を信じると、きわめて大きな恩恵がもたらされる。
 こうしたことを信じていればストレスや不安をやわらげられるし、不確かな状態に道筋が見えるような気がするからだ。
 (翻訳:栗木さつき)」
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🗻2〕─2─古墳時代。飛鳥時代前の中心地、御所市は大豪族・葛城氏の本拠地だった。~No.3 

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 2022年9月7日 MicrosoftNews 朝日新聞デジタル「「飛鳥時代前の歴史の中心地」についに文化財展示室、かわいい土偶
 清水謙司 
 豊富な考古資料を常設展示して、御所市の歴史を知ることができる=2022年9月1日、奈良県御所市、清水謙司撮影
 写真・図版写真・図版写真・図版写真・図版写真・図版写真・図版
 ついにできた。奈良県御所市に5日、常設の文化財展示室がオープンした。弥生時代の大規模水田跡や大型前方後円墳……。市内には全国に知られた有名な遺跡や古墳がいくつもある。地元で歴史や文化を学べる施設を求める声が寄せられており、リクエストにこたえる形で、多彩な出土品を展示する。
 御所市は大豪族・葛城氏の本拠地だったとされる。市教育委員会文化財課によると、コンテナ約3800箱分の遺物を収蔵しているというが、財政・人員面などから常設の展示施設はなかった。
 今回、満を持して開設した展示室(同市室)は、地域の児童館だった建物を活用。縄文~古墳時代を中心とした考古資料約140点や写真・解説パネルで、悠久の歴史を学ぶことができる。中井戸隆・文化財課長は、「ほとんど公費は使っていませんが、中身の濃いものに仕上がりました」。
 縄文時代晩期の近畿地方では多くの土偶がつくられた。展示室では、玉手遺跡と観音寺本馬遺跡で出土した土偶をセットで公開。県立橿原考古学研究所付属博物館で大人気の同遺跡の土偶を思い出しながら、顔や形を観賞するのも面白い。
 近くにあり、古墳ファンにはおなじみの大型前方後円墳・室宮山古墳(墳長238メートル、5世紀前半)も詳しく紹介している。埴輪(はにわ)などのほか、研究者が手がけたレーザー測量による図も公開。前方後円墳の形態がよく分かる。この古墳の魅力は、竪穴式石室の中に置かれた長持形石棺を間近に見ることができることだ。展示室の見学とあわせて、その散策も楽しめる。
 総数700基以上ともいわれる国内最大級の群集墳・巨勢山古墳群の出土遺物なども展示している。文化財課の金澤雄太さんは、弥生時代前期の大規模な水田跡が見つかった中西遺跡を例にしながら、御所市の考古学上の重要性を指摘する。常設展示で、「飛鳥時代の前の時代、御所が歴史の中心舞台だったことを見ていただきたいです」と話す。
 展示室は見学無料。開室時間は平日の午前9時から午後5時までで、土日祝日は休室。11月には巨勢山古墳群をテーマにした企画展を予定している。問い合わせは文化財課(0745・60・1608)。(清水謙司)」
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 ナラのヤマト王権が日本を統一するまでは、日本全国には大小幾つもの王国が存在して覇を争い、特に九州や中国地方の諸王国は中国大陸や朝鮮半島の反倭国反日)敵対勢力との関係を持ってヤマト王権と反目していた。
 中国大陸や朝鮮半島の反倭国反日)敵対勢力が脅威と感じるのは、ヤマト王権による日本統一で、分断・分裂による反目で群雄割拠の戦乱と混乱状態が好ましかった。
 ヤマト王権の下で日本を統一するか、中国や朝鮮のように諸王国が戦争を繰り返す混乱状態を続けるかであった。
 ヤマト王権・日本天皇による日本統一が周辺諸国に如何なる影響をもたらしたかは、歴史が証明している。
 それ故に、反日敵日の周辺諸国とのつながりを持った反天皇反民族反日本的日本人は古代から存在していた。
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 ヤマト王権には、日本を統一するまで日本を支配し統治する正統性はなかった。
 中国や朝鮮の支援を受けた九州や中国地方の諸王国が日本を統一すれば、日本は統一新羅以降の朝鮮と同じ運命を辿った事であろう。
 つまり、倭国の運命はヤマト王権大和朝廷)・ヤマト大王(日本天皇)にかかっていた。
 それは、無能な渡来人を排除し、有能な帰化人のみを登用し適材適所で日本統治に活用するかであった。
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 日本の歴史には3種類あって、1,日本民族の民話・伝承・寓話・宗教によるローカルな神話物語、2,アフリカを源流とする人類進化・文明発展史、3,記録が残る人間英雄伝説である。
 ローカルな神話物語とは、古事記日本書紀を正統根拠とする日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話、つまり女性神天照大神最高神とする天皇神話である。
 それが、皇国史観であった。
 グローバルな人類文明史には、科学的経験的正当性はあっても宗教的合理的正統性はない。
 神話物語・人類文明史・人間英雄伝説の3つを均等に持つのは、民族としては日本民族琉球民族アイヌ民族だけで、国家としては日本国だけで、その歴史に正当性を裏書きしているのが正統な天皇の神格である。
 その意味で、日本は特殊で特別であるが、日本国と日本人が優れているとは無関係である。
 天皇は正史で日本を武力統一して日本建国宣言の詔を発していない為に、日本には建国年と建国記念日は存在しない。
 現代日本建国記念日は、天皇神話物語であって人類文明史・人間英雄伝説ではない。
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 デュルケーム「(宗教の役割の一つは)共同体を維持する装置」(『宗教生活の原初形態』)
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 天皇の正統性とは、最高神の女性神を神聖不可侵にして絶対不変の根拠とする、民族宗教、神話物語、血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇制度である。 
 天皇の正当性とは、イデオロギーで作成された憲法・法律を根拠とする、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇制度である。
 現代日本の国民世論の90%以上が、正統性の男系父系天皇制から正当性の女系母系天皇制度への制度変更を要求している。
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 日本民族が崇拝してきた八百万の神々が正統な神である事を保証しているのは、最高神・女性神の血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇の神性である。
 つまり、民族宗教、神話物語でる天皇神話である。
 近代の憲法や法律の宗教法人法が認定する神仏には、合憲・合法に基づいた正当性がっても、神性・神聖の正統性はない、つまり金儲けの為に作られたウソの神仏である。
 当然、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇には神仏を認め保証する神力はない。
 日本の八百万の神々は天皇家の祖先神である伊邪那岐命イザナギノミコト)と伊邪那岐命イザナミノミコト)から生まれた、それが天皇神話である。
 八百万の神々の正統な神性は、天皇神話は保証している。
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 現代の日本人は、昔の日本人・日本民族とは別人のような日本人である。
 戦後民主主義教育を受けた高学歴な知的エリートや進歩的インテリ、特にマルクス主義者・共産主義者といわれる日本人の多くは民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力が乏しいかない為に、日本民族の歴史・宗教・文化が嫌いである。
 現代の国際常識、世界正義は、男女平等、女性権利の向上、フェミニズムジェンダーで、正統性男系父系天皇制度は悪とされている。
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 日本の天皇制度は、閉じた王家として、即位する正統必須条件は、日本民族であり、民族宗教、神話物語で語られる最高神・女性神からの血筋を神聖不可侵の絶対根拠とする血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇家・皇室の家族・一族のみである。
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 日本は建国物語として、世界のいずれの国とも違い、特殊・特別で、1,神の民族神話、2,人類の文明発展・進化・進歩の物語、3,人間の英雄伝説の3つを持っている。
 神の宗教的民族神話とは、古事記日本書紀を正統根拠とする天皇神話、つまり天皇の祖先である女性神最高神として崇める高天原神話・天孫降臨神話・諸神話である。
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 神代の民族固有神話を持っている国家や国民は、古代の古層を受け継ぐ日本以外に存在しない。
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 日本民族は、数万年前の石器時代縄文時代から日本列島に住んでいた。
 天皇家・皇室は、数千年前の弥生時代古墳時代に、内戦や争いを避け平和と安定を取り戻し、幸せと豊かさを求めたムラ論理で、古代の有力豪族達による長老者会議において衆議の結果として「天皇下駄論」・「天皇人身御供説」・「天皇生け贄説」で作られた、責任を押し付けて逃げるという無責任な生存論理である。
 その神聖不可侵の裁可者・天皇という地位を護る為に考え出されたのが、「政治的無答責の君主」、つまり政治権力も宗教権威も持たない天皇の権威つまり「天皇の御威光」である。
 祖先と国と民族に対して重い責任を負うのは、益荒男・日本男児の責務であって、手弱女・大和撫子ではなかった。
 故に、日本天皇は、最高神の女性神による民族神話、神話宗教、血筋・血統の家世襲万世一系で受け継ぐ事で正統性を与えられていた。
 民族神話で正統と認められた宗教的万世一系の男系父系天皇制度とは、いつ終わるか分からない弥生の大乱に辟易とした古代日本民族が、争いを避け、起きた争いを短期間で終わらせ、偽りでもいいから平穏無事を維持する為の歴史的叡智である。
 つまり、白黒を、善悪を、正邪を、ハッキリ区別しない為の宗教的正統な万世一系の男系父系天皇制度であった。
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 天皇下駄論・天皇人身御供説・天皇生け贄説とは、日本民族にとって面倒な事や厄介な事を困った事を「否応もなく」天皇と皇族に引き取って貰う事である。
 つまり、押し付けられる損な役回り・貧乏くじを嫌だと言わず拒否せず無条件に「引き受けて貰っている」、「やって貰っていただいている」、という事である。
 それが、天皇の御威光、天皇の権威、天皇の御稜威・大御心である。
 日本民族天皇・皇族・皇室を護ったのは、「責任逃れをする為に犠牲を強要していた」からである。
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 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中にはより過激に無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
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 現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
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 同じ儒教価値観で卑賤視され差別される部落民や賤民(非人・穢多・散所{さんじょ}・河原乞食・他)とでは、何故・どういう理由で偏見をもって差別されるかが違う。
 マルクス主義共産主義階級闘争史観やキリスト教最後の審判価値観では、日本の部落民や賤民を解釈できないし説明できない。
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 徳川幕府は、目の見えない視力障害者・検校が行う高利貸しを保護していた。
 検校の中には、御家人株を買って子供を武士にし、上司や同輩に賄賂を贈っていた幕臣にしていた。
 百姓や町人も、金を使って武士の身分を手に入れ、才覚で町奉行勘定奉行などの役職について出世した。
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 数千年前の弥生時代古墳時代から、日本国・日本民族を1つにまとめている3つの力が存在している。
 1つ目が武力の政治権力、2つ目が経済力の宗教権威、3つ目が文化力=畏れの天皇の御威光・権威・御稜威・大御心であった。
 日本の歴史において、政治権力と宗教権威は人間の強欲・私欲・個人欲で栄枯盛衰を繰り返し目まぐるしく入れ替わっていたが、その中で文化力の天皇の御威光だけは変わらなかった。
 そんな文化力の天皇の御威光を滅ぼうと忍び寄ってきたのが、キリスト教の宗教とマルクス主義共産主義イデオロギーであった。
 そして、現代日本人は日本のグローバル化の為にローカルな日本の文化力をゴミのように捨てようとしている。
 反天皇反民族反文化的行動を行っている日本人の多くが高学歴な知的インテリや進歩的インテリ達である。
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 世界の王侯貴族は他国からの軍人征服者であったが、日本の天皇は民族の伝統・文化・宗教の権威者であり保護者であった。
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 葛城氏(かつらぎうじ/かずらきうじ)は、「葛城」を氏の名とする氏族。
 古墳時代、大和葛城地方(現在の奈良県御所市・葛城市)に本拠を置いていた有力な古代在地豪族。武内宿禰(たけうちのすくね)の後裔とされる。6世紀の氏姓制度成立以前において、「葛城」が本来的なウヂ名として存在したかについては疑問があり、ここでは従来の「葛城氏」の呼称を用いて便宜を図ることとする。
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 蘇我氏の出自の謎 ~ベールに包まれた血脈の正体~
 歴史人編集部
 古代
 日本史
 2022.05.25
 蘇我氏・葛城氏の勢力基盤と渡来人集団の結集が権力の源
 蘇我稲目の墓と伝わる都塚古墳(みやこづかこふん)
6世紀後半の方形墳で、一説では蘇我稲目の墓であると言われている。別名は「金鳥塚」。一辺約42メートルあり、盛り土は全6段以上の石段に覆われていた。玄室内には二上山の凝灰岩で造られた家形石棺が安置され、柵越しに見学することも可能。
 蘇我氏大和国高市(たけち)郡曾我(そが)を本拠とする豪族であったが、葛城一帯を基盤とした同祖同族の葛城(かづらき)氏の血脈を受け継いで豪族として自立した。それは蘇我氏の初代・稲目(いなめ)が葛城氏の女性を妻に迎え、馬子(うまこ)という後継者をもうけたことに始まる。馬子は葛城氏と蘇我氏をともに継承するという絶大な地位と権力を生まれながらに手にしていたわけである。
 その蘇我氏朝鮮半島百済(くだら)から渡来したのではないかという仮説がある。それは蘇我氏の祖先系譜において蘇我石川宿祢(そがのいしかわのすくね)に続く3代の名前が満智(まち)・韓子(からこ)・高麗(こま)といずれも朝鮮三国に関わり深いものであったことに由来する。高麗の子が稲目とされている。だが、満智に始まる3代はあくまで系譜上付け加えられた架空の人物と考えられ、蘇我氏が実際に朝鮮半島から渡来したことを意味するものではない。稲目以前の系譜は他の豪族と共有されるものであったことから考えて、蘇我氏が朝鮮三国や半島出身者と職掌(しきしょう)上深い関わりをもった事実が反映されているのが、この3代と見なすのが妥当である。
 特に蘇我石川宿祢から高麗までの4代の系譜は、河内国石川地域を本拠とした蘇我倉(そがのくら)氏(後の石川氏)が作り出した祖先系譜と考えられよう。
 また、蘇我氏権力が強大化することになった要因は、外来の文化・技術をもたらした渡来人集団を支配下に置いていたことによる。例えば稲目は、欽明(きんめい)天皇の命により吉備(きび)に派遣されて白猪屯倉(しらいのみやけ)や児嶋屯倉(こじまのみやけ)などの設置・管理にあたったとされている。屯倉とは地方支配の拠点となる公共建物のことである。稲目の配下には王辰爾(おうしんに)の一族など大勢の渡来系書記官がおり、屯倉の設置・維持に関わる文書の作成・管理などに関与したはずである。
 稲目と蘇我氏はこのような各地への屯倉の設定を通じて、地方豪族との関係を深めていき、他の豪族に比べて地域利権の吸収を有利に進めることができたと見られる。
 蘇我氏と渡来人集団との接点は、蘇我氏が葛城氏から血脈と利権を継承して成立したことにより、葛城氏がその支配下の桑原・佐糜(さび)・高宮・忍海(おしみ)の四邑(むら)に強制連行した渡来人をそのまま受け継いだことに始まる。さらに稲目の時代に百済から公式に伝来した仏法の管理を稲目と蘇我氏が王権から委任されたことにより、仏法に付随して伝来した外来の文化・技術をもその管理下に置くことになり、ひいては渡来人集団全体が蘇我氏の管理下に入ることになったのである。
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 朝日新聞デジタル記事
 蘇我氏のルーツ、朝鮮半島出身の渡来人? 新説で迫る
 有料記事
 塚本和人2018年6月20日 11時00分
 巨大な石張りの溝が出土した小山田古墳=2014年12月、奈良県明日香村 
 写真・図版写真・図版写真・図版
 飛鳥時代天皇を超えるほどの権力を握ったとされる大豪族の蘇我氏。そのルーツが朝鮮半島西南部の全羅道(チョルラド)地域からの渡来人とする新説を、奈良県教育委員会の坂靖(ばんやすし)・文化財保存課長補佐(考古学)が唱えている。「日本書紀」では悪者扱いされたが、先進文化の受容など開明的だったとも言われる蘇我氏の実像に、新著「蘇我氏の古代学 飛鳥の渡来人」(新泉社、本体2500円)で迫った。
 近年、奈良県明日香村では蘇我氏との関わりが指摘される重要な発掘調査が相次いでいる。6世紀前半に王権内で権力を握ったとされる蘇我稲目(いなめ)の墓の可能性が指摘される都塚(みやこづか)古墳(6世紀後半ごろ)。また、養護学校の校舎建て替え工事に伴って新たに発見された小山田(こやまだ)古墳(7世紀中ごろ)をめぐっては、645年の乙巳(いっし)の変で滅ぼされた蘇我蝦夷(えみし)の墓との説も浮上した。専門家による蘇我氏関連の新刊本が相次いで出版されるなど、にわかに「蘇我氏ブーム」が起きている。
 坂さんは長年、奈良県橿原(かしはら)市の県立橿原考古学研究所に勤務。県内の遺跡の発掘調査にあたるとともに、韓国国立文化財研究所での研修経験を生かし日韓交流史についても研究を進めてきた。5~7世紀の東アジア情勢を踏まえ、考古学の立場から蘇我氏のルーツを追った。
 坂さんが注目するのが、5世…
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 歴史的事実として、古代から、日本は被害者であり、中国や朝鮮は加害者であった。
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 日本の戦争は、外国からの日本侵略と天皇殺害に対する合法的正当防衛としての積極的自衛戦争であった。
 自衛とは、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、アメリカの軍事侵略、ソ連コミンテルン中国共産党によるイデオロギー侵略であった。
 そして、日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストによる昭和天皇と皇族の暗殺失敗と、大陸系渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)による第32代崇峻天皇を暗殺である。
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 日本民族にとって、中国人と朝鮮人天皇殺し・神殺し・仏殺しの、冒してはならい穢してはならない尊き存在に対する「畏れ」を知らない、バチ当たりな、心が穢れた非人間であった。
 例えれば、イエス・キリストを殺したユダヤ人である。
 それ故に、日本は中国と朝鮮に対して偏見を持ち差別してきた。
 ユダヤ人のイエス・キリスト殺しは、聖書における信仰宗教であった。
 渡来人(外国人移民)の第32代崇峻天皇暗殺は、歴史的事実である。
 日本民族は、命を捨てても天皇を助け皇室を護ろうとするが、決して天皇を殺し皇室を滅ぼそうとはしない。
 歴史的事実として、権力闘争・政争で、天皇に即位する前の皇族は殺害され天皇を退位した上皇法皇島流しにあったが、日本民族日本人によって殺された天皇は誰もいない。
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 古代から北九州や西中国地方には、日本天皇への忠誠を拒絶し反旗を翻し日本国から独立する為に、中国大陸や朝鮮半島の敵日勢力と手を組み軍事支援を得て天皇に対して反乱を起こそうと企む反ヤマト王権勢力が存在していた。
 ヤマト王権は、国内外に数多くの敵と戦いながら日本統一を行い、天皇の下で日本を一つにまとめいた。
 天皇制度国家日本を取り巻く環境は、昔も現代も同じで、むしろ現代の方が悪化している。
 日本は、古代と同じように中国(中国共産党)、韓国・北朝鮮そしてそこに現代ではロシアが加わった4か国対日包囲網の中に存在している。
 そして、国内外に反天皇反民族反日的日本人達が暗躍している、彼らはマルクス主義者(共産主義者)とキリスト教徒、その他である。
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 親日・知日は、古朝鮮百済高句麗、古新羅渤海
 反日・敵日・侮日は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国、韓国・北朝鮮
 韓国は反日派・侮日派であり、北朝鮮は敵日派・嫌日派である。
 日本人にとって朝鮮人とは、信用・信頼できる友・友人ではなく、頼もしい親友ではなく、命を預けて共の戦って生きる戦友でもなかった。
 いつ何時、寝首を掻きに来るか判らない、安心しているといきなり後ろから突然襲ってくる、油断も隙もない敵であった。
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 日本に逃れてきた朝鮮半島の難民や移民達には、帰化人と渡来人の二種類がいた。
 帰化人は、天皇に忠誠を誓い、日本国の為に働いた。
 渡来人は、天皇への忠誠を拒否し、日本国の為ではなく自分の利益の為に働いた。
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 日本人の朝鮮人や中国人に対する偏見や差別はここから始まっている。
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 大陸系渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)は、第32代崇峻天皇を暗殺した。
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 663年 唐は、白村江で日本軍を破り、日本侵略の為に山東半島などに大船団を終結させた。
 愛国者大伴部博麻は、白村江の戦いで捕虜となって唐に連れて行かれ、唐軍の日本侵略情報を日本に知らせる為に自分を奴隷に売って資金を作り、唐に残っていた遣唐使に渡して急ぎ帰国させた。
 天智天皇は、唐軍の侵略に備えて北九州から瀬戸内海にかけて水城(みずき)を築き、全国から防人を集めて配置し、万全な防備体制を固めた。
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 668年 草薙剣盗難事件。新羅の僧沙門道行は、尾張熱田神宮に祀られた御神体である「草薙剣」(三種の神器の一つ)を盗んで新羅に逃げ帰ろうとした所を捕らえられた。
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 672年 壬申の乱天武天皇の反唐派(反中派)・保守派は、近江朝廷を滅ぼし、大友皇子を自害に追い込み(追謚・弘文天皇)、親唐派(親中派)を政治の中枢から追放した。
 「大友王子とその周辺の五大官、そしてブレインの亡命百済人のみによって運営されていた近江朝廷は、急速に親唐外交路線へと傾斜していき、対新羅戦用の徴兵を急いだ」(倉本一宏『内戦の日本古代史』、講談社
 生き残った親唐派(親中派)の日本人や渡来人達は、地方ヘと逃げて土着した。
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 668年~780年 新羅は、朝貢の為に遣日本使を30回以上送った。
 新羅は、対唐(中国)政策として日本天皇に臣下の礼をとって忠誠を誓ったが、それは本心ではなくウソであった。
 つまり、朝鮮半島には信用・信頼、信義・道義など存在しない。
 日本にとって朝鮮は、親日・知日ではなく友・友人、親友、戦友にもならず、反日・敵日・侮日として油断も隙もない恐ろしい「寝首を掻きにくる敵」であった。
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 724年~749年 聖武天皇の御代では、日本各地で自然災害と西国で反乱が多発し、夥しい人々が犠牲となった。
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 764年 藤原仲麻呂の乱帰化人対渡来人の攻防。
 親唐派の藤原仲麻呂は、新羅討伐を計画して軍備を整えていた。
 孝謙上皇(女帝)は、唐から帰国した吉備真備坂上氏など帰化人軍事勢力らと図って藤原仲麻呂を滅ぼした。
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 811(弘仁2)年 弘仁新羅の賊。新羅船3隻は、新羅海賊船団20隻以上を手引きして対馬を襲撃した。
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 813年 第52代嵯峨天皇新羅の漁民と海賊の船団110人は、肥前の五島などに上陸して襲撃し、島民100人以上を殺害し、日本人を拉致して行った。
 五島の島民は、新羅人9名を殺し、多くを捕らえて役所に突き出した。
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 820年 弘仁新羅の乱。東国・関東には半島から逃げて来た移民・難民が多数住んでいた。
 天皇への忠誠を拒否した新羅系渡来人700人以上は、駿河遠江の2カ国で分離独立の反乱を起こした。
 が計画的な反乱ではなかったので、朝鮮半島の統一新羅は動かず日本を侵略しなかった。
 同様に、日本各地に定住していた新羅系渡来人や百済帰化人・高句麗帰化人も反乱に同調せず、日本を揺るがす内乱・内戦に発展しなかった。
 834年 日本人百姓は、偏見と差別、新羅系渡来人への憎悪から武器を持って新羅村を襲撃した。
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 869年 貞観の入寇。新羅の海賊。
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 870年 太宰少弐・藤原元利麻呂は、「新羅と通謀して謀反を企てている」との告発で捕縛された。
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 893(寛平5年)および 寛平の韓寇。新羅の海賊は熊本、長崎、壱岐対馬を侵略。
 894年9月 唐の将軍を加えた新羅船100隻、2,500人が、対馬を襲撃した。 対馬の文屋義友は約500人の手兵で迎え撃ち、敵の大将を含む302人を撃ち取った。 捕虜となった新羅人の自白「朝鮮半島は不作により人民は飢えに苦しみ、治安が悪化していたため〝王の命令により〟襲撃した」
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 898年と899年に、大規模な反天皇武装蜂起を起こした。さらに各地で、幾つかの反日暴動を起こしていた。
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 906年 延喜の新羅の賊。
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 935年 統一新羅は、高麗の王建によって滅ぼされた。
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 997(長徳3)年 長徳の入寇。高麗の海賊の侵略。
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 1019年 刀伊の入寇満州騎馬民族女真族による北九州侵略。
 『韓国人に不都合な半島の歴史』 著者 拳骨たくみ「太宰府が4月16日に送った報告書が『朝野群載』(巻20)に記載されている。
 その記述によると、彼らは畠を食いつくし、馬や牛、犬の肉まで食べたという。年寄りから子供らはみな惨殺され、壮年の男女400~500人は船に乗せられ拉致された。
 ……
 高麗海軍による攻撃を受ける最中、賊たちは日本人捕虜たちを殺したり、す巻きにして海に投げ込んだりした。
 高麗は日本人を救出し、300人余りが助かったと生存者の供述書に書かれているが、この時点で拉致された人々の80%近くが死亡していることがわかる。
 ……
 一方の日本は、高麗に対して不信の念を強くしていた。
 権大納言藤原実資は、『賊は刀伊ということだが、捕虜を尋問したところ『高麗国が刀伊を防ぐために自分たちを派遣したが、刀伊に捕縛された』と答えている。数千もの賊がいて、なぜ捕まったのが高麗人だけなのか。賊は高麗人が嘘をついて刀伊人であるとしているのではないか』との見解を示した(『小右記』)。
 この不信感には先述したように、かつて新羅による海賊行為がしばしば見受けられたことで、裏で高麗が糸をひいているのではないかと考えられたからに他ならない。
 これらの事例からも、日本が韓国を古来から尊敬していたなどという話は、まったくの架空であることがわかるだろう。
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 文永の役(1274年)と弘安の役(1281年) 元寇。元(中国)・高麗・旧南宋連合軍による日本侵略。
 高麗軍は、日本人を虐殺し、子供約300人を強制連行し戦利品として忠烈王に献上した。
 日本人の子供たちは奴隷にされ、生きて日本に帰る事はなく異国で死んだ。
 捕らえた捕虜で、元南宋人(中国人)は助けたが、蒙古人や高麗人は殺した。
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 虐殺から生き残った対馬壱岐・北九州の住民は復讐で怒り狂い、前期倭寇となって報復として高麗(朝鮮)や元・明(中国)を荒らし回り殺害・強奪・強制連行を行った。
 前期倭寇が行った残虐行為は、「目には目を、歯には歯を」の「相手の仕打ちに対して同様の仕打ちで対応する」という合法的正当行為であった。
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 1392年 李成桂は、主君の高麗王を裏切って殺害し、高麗王族を根絶やしにする為に女子供まで容赦なく虐殺して、主家の高麗王朝を滅ぼして半島を統一した。
 李成桂は、明帝皇帝に臣下を誓い、明国の属国になり、半島に於ける正当な唯一の支配者・統治者と認められ、その証として「朝鮮」という国名と民族名を下賜された。
 この後、独立国君主でない朝鮮国王は、新たに国王に即位する為には明国皇帝からの認可が必要とされ、明国からの皇帝勅使一行を王都の城門前まで出向き土下座して迎えた。
 朝鮮の小中華思想では、中華皇帝によって正当性を認められた朝鮮人を上位者とし、正当性を認められていない日本人を下位者とし、その偏見で日本人を野蛮人と軽蔑し見下して差別した。
 歴史的事実として、人種・民族・部族に対する偏見・軽蔑・差別・迫害・弾圧・虐殺において、最も激しいのは中国であり、次ぎに朝鮮で、日本は東アジアで最も少ない。
 朝鮮人や中国人は、性悪説として、気が強く傲慢で、嘘をつき人をよく騙す。
 日本人は、性善説で、気が弱くお人好しで、嘘をつかず人に騙されやすい。
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 1405年~1433年 明の永楽帝イスラム教徒で宦官の鄭和は、大艦隊を率いて南海遠征を行った。
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 1419年 応永の外寇世宗大王李氏朝鮮軍による対馬侵略。
 朝鮮軍、227隻、1万7,285人。
 島民114人を虐殺し、民家1,939戸を焼いた。
 対馬守護代宗貞盛は反撃し、朝鮮軍2,500人(一説では3,700人)を撃ち取り、日本側の戦死者は123人。
 朝鮮軍は、台風を恐れて全軍撤退し、事実上の敗走であった。
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 1428年 世宗大王は、日本からコメ作りや水車の製造など多くの事を学んだ。
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 後期倭寇は、対馬壱岐・北九州などに拠点を持っていたが、日本人は1割以下で、大半が中国人・朝鮮人南蛮人であった。
 日本人は、大陸や東南アジアとの正当な合法的交易で利益を上げていて、人が嫌う危険な海賊行為=倭寇で荒稼ぎするほど物好きではなかった。
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 歴史的事実として、日本国内には中国や朝鮮のような血に飢えた盗賊・野盗・山賊・海賊のような兇悪な犯罪集団は少なかった。
 黒沢明監督の映画「七人の侍」の世界が日本の乱世であった。
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🎍4〕─1─歴史教科書の“嘘”と多様な古代史。「中央集権」は形だけ。~No.8 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 ナラのヤマト王権が日本を統一するまでは、日本全国には大小幾つもの王国が存在して覇を争い、特に九州や中国地方の諸王国は中国大陸や朝鮮半島の反倭国反日)敵対勢力との関係を持ってヤマト王権と反目していた。
 中国大陸や朝鮮半島の反倭国反日)敵対勢力が脅威と感じるのは、ヤマト王権による日本統一で、分断・分裂による反目で群雄割拠の戦乱と混乱状態が好ましかった。
 ヤマト王権の下で日本を統一するか、中国や朝鮮のように諸王国が戦争を繰り返す混乱状態を続けるかであった。
 ヤマト王権・日本天皇による日本統一が周辺諸国に如何なる影響をもたらしたかは、歴史が証明している。
 それ故に、反日敵日の周辺諸国とのつながりを持った反天皇反民族反日本的日本人は古代から存在していた。
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 ヤマト王権には、日本を統一するまで日本を支配し統治する正統性はなかった。
 中国や朝鮮の支援を受けた九州や中国地方の諸王国が日本を統一すれば、日本は統一新羅以降の朝鮮と同じ運命を辿った事であろう。
 つまり、倭国の運命はヤマト王権大和朝廷)・ヤマト大王(日本天皇)にかかっていた。
 それは、無能な渡来人を排除し、有能な帰化人のみを登用し適材適所で日本統治に活用するかであった。
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 2022年9月7日 MicrosoftNews 現代ビジネス「「中央集権」は形だけ、最古の貨幣「和同開珎」は鉄クズ! 歴史教科書の“嘘”と多様な古代史
 本郷 和人
 「一つの国家としての日本」は本当なのだろうか。
 「一つの言語」「一つの民族」「長い歴史と伝統のある国」……それは歴史の一側面に過ぎないのではないか。
 そう考え始めたきっかけは、歴史教科書の“嘘”。歴史学者として40年以上のキャリアを積み重ねた今、本郷和人氏が考える、多様で豊かな“たくさんの”日本史とは? 新刊『歴史学者という病』から抜粋します。
 (※本稿は本郷和人歴史学者という病』を一部再編集の上、抜粋しています)
 歴史教科書には「嘘」が交ざっている
 おそらく会社勤めの方ならば共感してくださるのではないかと思うが、40代も後半に差しかかってくると、自分が最終的にどのようなポジションに達し、どのようなコースを歩むのかが分かってくる。早い話、どのくらい出世するのか否か、定年まで楽しく仕事できるのか否かが見えてくるのだ。
 私は史料編纂所の中で仕事に対してそれなりに頑張ったし、人一倍努力もしたと思う。だが、それで報われたかというと、残念ながらそうでもなかったように思う。
 「無用者を気取っていたくせに、立身出世を気にするのはおかしいではないか」という読者諸氏のお叱りの言葉が飛んできそうである。
 だが、私も人間だ。自分より「?」と思っていた人間が自分を追い越して昇進したりする姿を見て、何も感じずにいることはできなかった。
 職場で感じる一抹の空しさと諦観、そして歴史学界隈での孤独──。
 このころの私は、研究対象である「歴史」のみならず、「歴史学」という存在について、いろいろ思索を深めていくことになった。
 良い機会なので、歴史学についての私の考えについて、少しまとめてみたいと思う。
 それは、「一つの国家としての日本」は本当なのだろうか? という話だ。
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 通常、我々は歴史の教科書などで、日本という国について次のように学び、イメージを与えられることになる。
 「一つの言語」
 「一つの民族」
 「一つの国家」
 「長い歴史と伝統のある国」
 だが、それは一つの見方に過ぎないのではないだろうか。
 そのように考え始めたきっかけは、我が国の歴史の教科書に記された事柄には「嘘」としか思えないようなものが数多く交ざっているように感じたことだった。
 「和同開珎」は流通していなかった!?
 たとえば、現行の教科書的叙述によれば、日本で最も古いお金は和同開珎だとされている。「708(和銅元)年から日本で鋳造・発行されたと推定される銭貨で、日本で最初の流通貨幣……」といった記述が大半だ。
 しかし、それでは和同開珎はどこまで「銭」だったのだろう。史実を眺めると、711年に「銭を貯めた者には官職をやろう」という蓄銭叙位令が出されている。集めた者には褒美をやると言っているわけだが、正式に流通している貨幣ならば、わざわざ官職など与えなくても皆がこぞって集めるはずである。
 これは和同開珎が、現実世界では銭=貨幣としては機能していないことの証左だ。アニメ映画『紅の豚』における名ゼリフ、「飛ばねえ豚はただの豚だ」ではないが、「使われない銭はただの鉄クズ」なのである。そもそも日本ではこんなに早い時代から貨幣制度が整っていたわけではない。
 全国に国は2つだけ? “中央集権国家”の嘘
 教科書では、「701年の大宝律令、つまり刑罰や政治を行う決まりを定めたことによって、天皇を中心とした中央集権的な国家体制ができあがった……」というようなことが必ず書いてある。素直に読めば、日本という国が古代の早期から法律制度を整え、全国を天皇がしっかり治めていたかのようである。
 だが、古代においては律令というものはまったく守られていなかった、と言ったほうが正確ではないか。
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 大宝律令を定めたとされる天武天皇は「全国に国を置き、地方行政に力を入れた」とされているが、当時の地図によると、東北地方には太平洋側に陸奥国日本海側に出羽国というたった二つしか置かれていない。
 しかも平安時代の中期になると、国司自身が任地に赴くことさえ希になる。武蔵守は武蔵国に赴任せず、実情として、家来を派遣して税金だけ徴収するというリモートワークの仕組みが中心だった。
 要は、かくあるべしという「建前」の律令と、では実際どう運用されていたのか、という「本音」の実情の両者が非常にかけ離れていたのが実態だ。
 律令の権威の弱さは、令外官の占める割合からも明らかである。律令政治においては、朝廷の主要な官職は律令に基づいて任命されるのだが、主要な中央官は、半分が律令に規定のない者、すなわち令外官であったことが分かっている。
 これは数的に把握できるため、推測などではない。
 日本の歴史学に残る“皇国史観
 私は和同開珎や大宝律令の歴史上の意義を真っ向から否定したいのではない。だが、歴史をつぶさに研究してきた立場からすると、和同開珎や大宝律令の意義を日本の歴史教科書は持ち上げすぎではないかと考える。
 日本の歴史、少なくとも古代と呼ばれる大和朝廷成立から奈良〜平安時代の日本においては、中央集権体制などと呼べるような状態にはなく、地方ではもっと豊潤で個性豊かな歴史が存在したはずなのだ。
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 日本の歴史教科書が教えるように、日本は古代から「一つの国家」として機能していたわけではない。
 それでは、なぜ、日本の教科書はそのような記述になっているのか。
 私はそこに、戦前の日本の歴史学の主流を占めた「皇国史観」の残滓、しっぽのようなものを感じる。「天皇を中心とした政治体制こそ正義の時代である」といったような概念だ。
 もっとはっきり言えば、そこまで露骨ではないけれども「古代至上主義」「京都至上主義」といった形で現在の日本の歴史学の中に生き残っているのではないだろうか。
 戦前の日本は歴史学を構築する際に、中国との関係もあり、「我が日本の歴史も古くあらねばならない」という切迫した思いに駆られていた。明治時代の元勲は、日本人の心をひとつにするために、天皇を日本のアイデンティティとした。
 「万世一系」の天皇を戴く国家である、ということを最大の売りにして、国家の統一をはかったわけである。こうした国家的アイデンティティの構築は、多かれ少なかれどこの国家でもやっていることだろう。
 ところが、日本では、軍部が台頭すると、「万世一系のオレたちは偉い」と自らの力を過信するに至った。時代が昭和になると、八紘一宇大東亜共栄圏といった概念を重用しはじめた。
 こうなると、いよいよ日本は歴史が古くないとマズい、隣国の中国との比較において、また東アジアにおける日本のプレゼンスを示すためにも、歴史が古い国であると、ことさら強調したのだ。
 〈日本は紀元前660年神武天皇が即位し建国された〉と平気で教えるのが戦前という時代であった。そして、この思想を強化するためにも、戦前の教育では、「輝ける古代」を称揚した。天皇中心の歴史という建付けにして、さも当然のように教科書に反映させ、国民に学ばせていたわけである。
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 「古代」「京都」「天皇」は一本の線でつながっている。そして、その三つの要素をつなげている線の正体は、おそらく「エリート主義的な歴史観」ではないかと思う。一部のエリートが、「日本の歴史として望ましい」方向にもっていった結果、デファクト・スタンダードとなった歴史である。
 だがこの歴史観は、実際の日本の歴史の一断面に過ぎないのではないだろうか。
 少なくとも、こうしたエリート主義的な歴史観とは異なった「歴史」が多数存在するのではないだろうか。我々歴史研究者は、もっとその事実に目を向けなければいけないのではないだろうか。」」
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