🗾2〕─2─日本民族日本人は、性善説ではなく、性悪説でも性強説でもなく、気弱・軟弱・ひ弱な性弱説である。~No.5No.6No.7 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本民族とは、後がない極東の最果てにある孤独な自然災害多発列島に逃げ込んだ哀れでみっともない弱小な民族。
 日本列島は、世界中のあらゆる文明・文化・宗教・教養が流れ着くゴミ捨て場の様な極貧僻地であった。
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 集団主義とは、弱者の証しである。
 強者は、個人主義で生きる。
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 日本の「もののあわれ」とは、生きる事の辛さ切なさ悲しさを生きる希望と喜びに変えようという、理屈や思惑を超えた情念と悲哀を秘めた生命エネルギーの発露である。
 日本人を支えたのは、神話から続く魂の絆としての物語である。
 魂の歴史が、日本人を支えた。
 歴史は、生き方と死に方がある。
 死を見つめ、死を感じ、死する事を覚悟する。
 死に方を考え、死ぬ場所と時を考える。
 死ぬ定めゆえに、勇気を持って命ある限りを生きる。
 命尽きるまで、生き抜く。
 昨日までの自分を捨て、明日の自分の為に、今日の自分を変える。
 死の怖さを受け止める事で、生きる意味と有り難さと大切さを知る。
 日が昇り、日が沈む。
 春が来て、夏が来て、秋が来て、冬となる。
 命は死に、死によって何かが生まれる。
 日本人の精神的強靱さは、他人を組み伏せる腕力や圧倒する金銭や屈服させる弁舌ではなく、時々の移ろいに似合わせて自分を変幻自在に変えてゆく勇気にあった。
 日本人の覚悟とは、死ぬ定めと受け止める事で驚く事も恐れる事も嫌がる事でもないと、「今さら驚く事ではない」と騒ぎ立てずに一人端座して見つめる事である。
 ゆえに、生きる事は素晴らしく、命は愛おしく、全てが懐かしいのである。
 後は、限られた命を如何にして生きるかであった。
 生きる意義を見出す為に、自利自愛と共に他利他愛を調和させて、世の為人の為に尽くし尽くしきった。
 一期一会としての「おもてなし」が生まれた。
 其れが、現代人とは違う、古代からの日本人の死生観であった。
 其れが、絶対的単一な儒教価値観の中国や朝鮮にない、相対的多様な神道・仏教混合価値観である所の「もののあわれ」であり、武士道であり、大和心・大和魂であった。
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 日本人は、自然災害多発地帯で生きていて、気分は航海を続ける船乗りのようであった。
 航海途中であれこれ考えていては、嵐、浅瀬、岩礁などで遭難する恐れもあった。
 問題山積の日本人には、立ち止まり、手を止めて、一つ一つの問題の本質を徹底的に追求する粘り強い思考性はない。
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*戦いに負け続けた弱い日本民族の誕生。
 最も弱い部族は、中国大陸を這い回って逃げ、朝鮮半島からも追い出されて日本列島に逃げ込んだ。
 戦っては負けて逃げ回っていた彼らは、過ぎ去った辛い事や嫌な事はすぐ忘れ、明日を信じ絶望し諦める事なく、「思いやり」を持って助け合い、脳天気に「夢」や「希望」を持って歩き続けた。
 陽気に前ばかりを見て、未来を信じ、明日に期待を抱き、命ある限り生き抜く事だけに全力を尽くした。
 彼等は、底抜けに明るかった。
 弱いがゆえに、集団となって絆を大事にし、思いやりを持ってお互いの傷を嘗め合った。
 家族で助け合い、集団で庇い合い、仲間で慰め合って、いついかなる時も励まし合いながら行動をともにした。
 そして、仲間・集団に迷惑をかけない為に、決めた約束事は命を捨てても守った。
 自分勝手な理想を貫き、個人的な都合を押し付け、私的な利益を追求する事は、仲間・集団・組織を危険に晒す元凶であるよして最も嫌った。
 彼等は、如何なる変化にも対応する柔軟な心を持ち、如何なる苦難に出会っても強靱な精神で諦めなかった。
 辛抱強く、我慢強く、粘り強かった。
 耐え忍び、へとへとになっても、へこたれる事がなかった。
 自然を破壊し、生活環境に害をもたらす事は、神を恐れない悪逆な行為とした。ゆえに、神域を定めて人の立ち入りをて厳禁とし、如何なる理由があろうとも禁を犯した者は罰し、時には殺害した。
 この行為は、非人道的行為として非難を受けて、現代では存在しない。
 その結果、日本の豊かな自然は、経済の市場原理や企業の経営論理や個人の利得で破壊され、再起不能に近い崩壊を起こし始めている。
 日本人は、組織としての「和」を壊さない為に、病的なまでの神経質から相手を気にしすぎる。そこに、「和」を乱さない為に事なかれ主義が生まれた。
 暗闇や藪の中に潜む敵の目や猛獣の目に怯え、敵意のこもった周囲の恐ろしい視線から逃げ回った。
 相手の感情を害さない様に、言葉遣いは細心の注意を払った。
 気弱な日本語には、相手への思いやりが強いだけに、相手を傷つけ追い込み事を恐れ、言葉遣いに細心の気配りをした。
 ゆえに、大陸語の様な相手を呪い罵倒する様な激しい言葉は少ない。
 日本人は、言葉を「言霊」として大切にし、決して汚らしい言葉を使わなかった。
 その気苦労の多さから、相手を貶める様な策略を弄する事が出来ず、相手を再起不能までに論破する理論を生み出さなかった。
 日本人の議論下手は、何気なく話と言葉で、相手を傷つけ死に追い遣るかもしれないという気の弱さにある。
 世界常識では、日本人はコミュニケーションが下手で、その原因は閉鎖的日本語にあるとされている。
 弱者への惻隠の情、判官贔屓という気弱な日本精神や大和心といった日本民族日本人の心の原型を、この時期に形作っていった。
 人様に迷惑をかけない。仲間に迷惑をかけない。社会に負担をかけない。ゆえに、「お互い様」「あいみたがい」「袖振り合うも多少の縁」として、苦労を共有しながら日々の重労働に耐え忍んだのである。
 日本人は、他人の視線を気にしてビクビクする人一倍恐がりの気弱な民族である。「視線恐怖症」と「対人恐怖症」と「潔癖症」、そして失敗した事や怖い事をすぐ忘れる「健忘症」は、民族病である。
 自然界で、弱い動物ほど身を守り、子孫を残す為に群れをなして行動している。
 集団主義とは、最も弱い生き物が生き残る為の本能的行動である。
 集団は、「仲間意識」が強いだけに内向きな「甘え」が生まれ、「絆」を大事にして角を立てない様に言葉や態度を「曖昧」に濁し、強烈な個性を嫌って没個性を共有した。
 朝鮮を嫌って逃げ出した素戔鳴尊の神話とは、列島が大陸や半島から自主独立を宣言した逸話であり、日本人が中国人や朝鮮人から逃げ出した寓話である。
 日本神話とは、日本文明の独立神話である。
 日本民族日本人は、民族中心の物語を愛し、夢物語の様な神話の如き世界を大事にした。
 弱者とは、敗者ではない以上、負け犬の様に恐怖に怯えてがなり立てる事はしないし、辺り構わず見境なく半狂乱となって泣き叫ぶ事もしないし、冷静さをなくし自分を見失って右往左往と騒々しく逃げ惑う事もしない。何時いかなる時も、自制心を持って心穏やかに平常心を保っていた。
 「弱者の論理」とは、敗者の弁明ではなく、弱い者が持つ覚悟の現れである。
 筋の通らぬ要求や理不尽な外圧には正論を持って跳ね返し、如何なる犠牲を出そうとも決して諦めず立ち向かった。
 力不足で負け死ぬかも知れないと分かっていても、「仲間や家族の為」に武器を取って戦いを挑んだ。それが、非人道的戦法である玉砕や神風特攻で戦った、太平洋戦争・日米英戦争である。彼らは、圧倒的な国力と軍事力を持つ敵に負けたが、弱者であったが、敗者ではなかった。
 だが、現代の日本人は弱者ではなく敗者である。負け犬の如く怯え、我を忘れて惨めに泣き言を言いながら吠えている。
 「窮鼠猫を噛む」のは、弱者であって、敗者ではない。
 「鶏口となるも、牛後とならない」のも、弱者であって、敗者ではない。
 弱者と敗者の違いは、「命の価値」を理解した上で、「命の尊厳」を守る為に「戦争をする覚悟」があるかどうかである。つまり、「死者の魂」に対して宗教心を持って礼節を示せるかどうかである。
 何れも、命を軽視する「強者の論理」を信奉する現代日本には存在しない。
 今や、昔では思いもよらなかった自己満足的な凶悪犯罪が多発し、それを押し止める術も発想も失っている。
 知識あると自称する高学歴者達は、時間をかけて果てしなく議論を重ねているが、全てが現状に合わず難の足しにもならない、不毛な議論に終わっている。
 日本民族は、安易な暮らしを得る為に富豪の奴隷となる事を良しとはせず、如何に貧しくひもじくとも自分が立つ場所は自力で確保した。
 けっして、貧しても鈍する事はなかったのである。
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 日本民族は、弱い民族であるが、敗北者・敗者ではない。
 キャンキャンとわけもなく泣き叫ぶ負け犬でもないし、
 言葉なく震え上がり片隅にうずくまっている臆病な犬でもなかった。
 日本民族日本人は、強者として横柄な態度を取る中華民族中国人ではなかったし、強者の威を借りて空威張りする朝鮮民族朝鮮人でもなかった。
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 日本人の生物学的祖先は、単細胞のカビや菌であり、ウイルスやアメーバーなどである。
 日本人の人間的祖先は、アフリカ人である。
 日本人の人種的祖先は、北方系モンゴロイドと南方系モンゴロイドの混血である。
 日本人の民族的祖先は、雑種である。
 日本人は、取り立てて優れた特別の存在ではないし以上、選民思想は当てはまらない。
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*世界文明とその文明の起源
 ・日本文明 … 紀元前660年
 ・壇君建国神話…〃5000年
 ・黄河文明…〃1600年
 ・インダス文明…〃2300年
 ・シュメール都市国家…〃3000年
 ・エジプト古王国 …〃4000年
 ・エーゲ文明 …〃3000年
 ・ユダヤ文明…〃2500年
 ─韓国政府及び史学界は、壇君神話を、世界最古の文明と公式に認めている─
 世界的都市文明は、メソポタミア神話の偉大な王ギルガメシュが森林の神(杉の森の怪物)フンババを殺して生まれたとされている。
 人類は、過酷な自然環境の中で生きる糧を得る為に「自然を征服」し「自然を破壊」して「自然を開拓(フロンティアスピリット)」しながら生きてきた。
 大陸文明とは、破壊と略奪の文明である。
 キリスト教ユダヤ教の唯一絶対神は、自然と動植物を創造し、生殺与奪の権を信者に与えて自由にする事を認めた。
 人は、生存圏を確保する為に都合の良い民族中心の建国神話を創作して、風土に合った食文化を生み出した。
 限られた生活圏ゆえに、他の民族を根絶もしくは死ぬまで奴隷として酷使した。朝鮮や中国もここに入る。
 地球上には、砂漠やがれきの様な、人が住めない不毛の大地に古代遺跡が数多く残されている。
 大陸の世界文明とは、遺跡の上に立つ滅んだ文明である。
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 人類は、共同作業による分け隔てない平等な狩猟採集生活でストレスを感じず鬱病を忘れていたが、メソポタミア文明で農耕社会になって扁桃体でストレスを感じて鬱病を抱えた。
 文明が高度化する事で、人は数多くの社会的要因で仲間・集団から切り離されて孤独になり、一人という恐怖と不安でストレスを感じ鬱病を発症した。
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*日本人はどこから来たのか? それは愚問である。
 なぜなら、日本民族は混血民族である。移動した事のない韓(朝鮮)民族のような、純粋な単一民族ではないからである。
 日本人は、先祖代々、日本列島で暮らしてきたから日本(大和)民族なのである。
 朝鮮半島あるいは中国大陸で、日本(大和)民族となって民族大移動的に列島に移住したわけではない。
 雑多な人種が逃げる様に日本列島に集まって、初めて日本(大和)民族日本人となったのである、民族的には、大和民族日本人の事で、日本列島以外で形成されて列島に大移住したわ けではない。
 よって、日本人のルーツは日本列島にしかない。
 けっして、中国人や朝鮮人の子孫でもないし、単一民族でもない。
 日本人とは、日本人である。
 日本語の起源。①アルタイ語、トルコから中央アジア中国東北部、朝鮮の言語。②チベットビルマ語。③オーストロネシア語、南島語もしくはマレー=ポリネシア語。古代日本語は、複数の言語による混合語でありけっして単一言語ではない。
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 大陸から渡って来た北方系アジア人種は、先住民の列島民(南方系アジア人種)との間に、集団で生活する為に「強きを挫き、弱きを助ける」的な弱者の合意みたいなものを共有した。
 戦いや争いを避けるべく、同じ列島・地域・ムラに住む対等な仲間として海、山、野に棲み分けをハッキリさせ、特産物を公平に交換しあって平和に生活していた。
 運命共同体として共に生きる為に、集団・家・家族の一員となるべく、雑婚を繰り返し雑種化を強めて混血民族となった。
 雑種ゆえに、日本人の特性や特徴には「個性」がなく、曖昧で、つかみ所がなく、一言では説明ができない。
 自己主張する大陸人からすれば、個性が弱い為に理解しずらい人間である。
 これが、世界有数の臆病で気弱で恐がりの日本民族日本人の誕生である。
 この雑婚による混血化において、ユダヤ人の血が多少なりとも混じったとしても、何ら不思議はない。
 日本民族は、朝鮮の様な「美男美女」を生み出す純血の単一民族ではない。
 ゆえに、昔の日本人は、「人は見てくれではなく、心だ」と、金銭的に貧しくとも心を豊かにするべく粋がって痩せ我慢を公言した。
 民族的に、日本人には国際的な美男美女は生まれずらい。
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 日本民族は、中国人でもないし、韓国・朝鮮人とも違う。
 日本民族の血の中には、東南アジア諸民族の血も濃く流れている。
 日本民族の自立は、民族として中国化を拒否しところから始まった。
 日本民族とは、日本語を唯一の意思伝達手段とする日本文明を有する民族である。
 日本語には、音読みと訓読みがある。
 日本文字には、表音文字の平仮名と片仮名、表意文字の漢字がある。
 「国語の乱れは、国の乱れ」
 フィヒテ「ドイツ語を失わない限り、ドイツ民族は滅びない」
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*自立した女性の為の天皇神話。
 日本神話は、直系長子相続による天皇世襲と共に存在している。
 万世一系の直系天皇という世襲が消滅すれば、民族中心の日本神話も消滅し、全国の神社に祀られている現皇室に縁のある神々も消滅する。
 神道最高神は、世界宗教の常識外である「母親」の様な愛すべき女性神天照大御神で、霊験あらたかではないし、奇跡や御技にも無縁であった。
 個々に最高の才能・職能といった特性を持つオンリーワンの男性神や女性神らは、最高神とはいっても今だ未熟な天照大御神に正しい行いを教え、その働きに協力した。
 日本の神々には、越える事のできない上下関係や身分は存在せず、全てが対等関係とされた。
 オンリーワンの神々は、日本古来の古い神であり天照大御神に取って代わる事ができたが、分をわきまえて最高神・ナンバーワンとはならなかった。
 天照大御神は、民族の苦難を救う救世主ではなく、初代神武天皇同様に天皇・皇室のみの祖先神・皇祖であり、万世一系の直系天皇とその皇族のみがその「血筋」「血統」「皇統」によって祀る事ができる、神道最高神である。
 伊勢神宮天照大御神信仰や直系天皇中心の日本神話は断絶し、日本民族とは無縁の存在となり、神代から続く八百万の神々信仰は消滅する。
 <2009年 NHK調べ> 
  *女性の皇位継承に賛成             …  77% 
  *女系天皇の意味を理解した上で女系天皇に賛成  …  81%
 <2009年 朝日新聞
  *選択制夫婦別姓の導入に賛成(女性)     … 49% 
  50代以下で過半数
  30〜40代で70%以上  
 天照大御神の働きとは、神の国高天原で万民の祖先神以上に、率先して汗水流して働いた。人糞を畑にまいて土を育て、田圃に入り泥にまみれて米を作り、蚕小屋に入って幼虫の糞を浴びて絹を作り、作業小屋で機を織って布を作る事であった。
 高天原の神々は、人間以上に、神としてやらねばならない日々の勤めに精を出していた。重労働で疲れる事を喜びとして多くの農作物を収穫し、一年に一度きりの農作物をムラ人・集団生活者と差別なく「和」をもって公平に分け合った。
 人びとは欲張らず必要量だけを「いただきます」と感謝して食べ、「もったい」として無駄に捨てることなく、残りは天災などに備えて共同財産として保存した。
 天照大御神は、生まれたばかりの純真無垢な乙女の様に自分の未熟を認め、好奇心旺盛な少女の様に自分に足りない所を、他の優れたオンリーワンの神々から謙虚に学んだ。「自分を知る」がゆえに、一心不乱に彼らを真似そして模倣する事で成長しようとした。
 日本人の猿まね根性は、こうした神々の働きから来ている。
 そして、朝早くから夜遅くまで怠けずさぼる事なく自分の勤めを果たした。同時に、全ての神々と分け隔たりなく一緒になって唱い、踊り、戯れ、遊び、くつろいで日々を楽しんだ。
 そこには、大陸的な日々の労働による苦しみは存在しない。差別も格差もない。
 高天原は、世界常識的な絶対的権威で全てを支配するという上下関係ではなく、八紘一宇精神による大らかな大家族主義で、上に立つ者が下の者の努力に恩義を感じそれに報いようとするムラ社会である。
 オンリーワンの神々の教えを聞き、間違った事をすれば神々に怒られ説教された。最高神といえども、過ちは素直に認め、謝罪し、反省し、二度と同じ過ちを繰り返さないように自戒し、一度した約束は口約束であれ証拠がなくともキッチリと守った。
 それが、「天の岩屋の教訓」である。
 不当な上下関係を設けて差別し弱い者を虐める事、或いは他人と比べて憎悪する事や嫉妬する事を、「恥」とした。
 神の働きに対して真面目に生きない事、或いはどうにもならない理にひがみ根性で恨みがましくいじける事を、心の「穢れ」とした。それが、男系天皇神話の「恥」と「穢れ」理論である。
 「恥」や「穢れ」は、自分自身に問う自責の念であり、「罪」の様に高見にいる他者から押し付けられた責め苦ではない。
 神道の原風景であるムラ生活は、正統派儒教的男尊女卑のいびつな歪んだ個人主義の現代とは正反対の、男女同権か、さもなくば女尊男卑であった。つまり、神代の日本原風景とは、家・家族・家庭重視のもとで、没個性の亭主関白とは表向きで実態は個性豊かなカカァ天下であった。
 自立心旺盛な日本人女性は、馬鹿でろくでもない男に振り回される事を嫌い、やることなすことがいい加減で稼ぎの少ない駄目亭主に頼らなくてもすむ様に、手に職を付けた。
 「金は取られるが、手の職は盗られない」と言うのが、本来の日本女性が持っていた職業観であった。
 彼女らは、努力しない無能な男に負けないように、寝食を忘れて、妥協を嫌い、無駄を省き、完璧を目指して頑張った。彼女らの心情は「真面目に努力していれば、必ず誰かが見ていて、何時か必ず正当に評価してくれる」「努力は、報われる」と言う事である。
 それ故に、天皇霊を祀る伊勢神宮の女性神天照大御神が日本の最高神とされたのである。
 昔ながらの農村的女性は、男の所有物ではなく、ましてやお荷物でもなかった。大陸的に、女性だがらと差別的にいわれる事を最も嫌った。
 日本文明の真の姿とは、個性豊かな八百万の神々を尊ぶ、多種多様な価値観を持った集団主義による大家族であった。それが皇道、「八紘一宇」の精神である。
 一つの絶対的価値観しか持たない一神教とは、根本的に違う。
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*「力は正義なり」
 日本列島は、天変地異の自然災害が多い過酷な島嶼である。
 日本列島には、多元的で多種多様な多神教の相対的価値観だけが生き残り、一元的で画一された一神教の絶対的価値観は生き残れない。
 日本列島の大自然には、「全知全能な創造主による天地創造」や「絶対神の奇跡」や「死後の天国における永遠の命」は無意味で無価値である。
 日本は、島国として、途絶える事のない天災の中で地縁・血縁を「絆」とした仲間内のムラ社会を形成し、「血を流す争いを避ける」為に相対的集団主義・ムラ根性を生み出した。
 日本人は、苦境に追い込まれようとも逃げ出さず、逆境に遭っても諦めず、耐える事のない困難が迫り来ても絶望せず、野生の雑草の様に生き抜き立ち直ってきた。
 東アジアの中国や朝鮮は、都市社会として、「濃密な友情や信頼」を得る為には、血を流す争いは避けられないとして絶対的個人主義・大陸気質を創った。
 中国文明(中国・朝鮮)世界では、漢族化(中国化)を拒否する者は、臣下の身分にへりくだる事を拒否する者として容赦なく皆殺しにした。また、中国は、何時の時代でも数千万人の盗賊が存在する世界一の無法地帯であり、病的な人間不信社会であるだけに、彼らは情け容赦ない凶悪犯罪を平然と行っていた。
 中国文明の歴史において、身分・上下関係による「人」差別は必然の事であり、それ故に人権も人道も、道徳も良心も、そして「愛」という普遍的価値観による自己犠牲的精神も存在しない。
 中国民族は、正統派儒教価値観により世界一猜疑心の強い、人間不信の病的自己中心主義者である為に、「個の利」を離れた所で他人を思い遣る気持ちは微塵も無かった。
 よって、人を「上位者」か「敵」か「下位者」かの3種類に分けた。
 上位者には無条件で従い、下位者には無条件の忠誠を、そして敵は容赦なく虐殺し略奪した。
 上位者に逆らう者は、懲罰として家族・親族もろともに容赦なく殺した。
 正統派儒教の本質は、身分・上下関係といった人の序列を絶対化する権威学であり、自由・平等・博愛・慈悲は中華思想による華夷秩序を破壊するものとして否定した。そこには、友情などは存在しないし、対等・公平での約束や契約も存在しない。もしあるとすれば、相手を安心させ油断させる為の謀略でしかない。
 人を自由に解放する道教老子は、人を拘束する「仁」や「礼」を神聖視する儒教孔子を否定した。
 中国人と似た体質を持っているのは、ユダヤ人である。
 朝鮮は、中華文明圏の一員である以上、当然、似ている。
 日本人は、中華文明から離脱する為に独自の日本文明を形成してきた以上、中国人とは正反対に気質を持っている。
 中国の歴代王朝は、「大地続く限り全てわが領土」とする価値観から、全人類を臣下と見下し、全てを中国化する事を天命として、周辺諸国を侵略して抵抗する者を逆賊として虐殺した。
 史上最大の植民地帝国である中国は、各地に懲罰軍を派遣し、至る所で殺戮と略奪を繰り返して、死体の山を築き、自然を破壊しつくした。
 特に、天の子である皇帝の神聖を否定する宗教は容赦せず、信仰をめぐる虐殺は目をそむけたくなる様な惨状を呈していた。
 中国においては、普遍宗教はもちろん、如何なる民族宗教でも革命思想として絶えず弾圧された。唯一、世俗的な他人が不幸になっても自分一人に金儲けさせてくれる現世利益的宗教は許された。
 中国文明の生命力の源泉とは、人間の本能のままの尽きる事なき物欲にあり、全てを覆い尽くし貪欲に飲み込んでなをも満たされる事なき渇望感による、領土拡大の膨張意欲にある。
 それは、破壊による支配であり、創造による共存ではない。
 必然的に、土地を自分の所有にする為に「民族浄化」を行い、異民族は殺すか、追放するか、それとも奴隷とした。
 中国の侵略に対抗するには、平和を守るべく協調を重視して中国の属国となって「追随する」か、独立を守るべく戦争を覚悟して国力を付け「力による均衡」を維持するかであった。
 先手必勝の攻撃型国家である中国は、攻撃には強かったが守勢には弱かった。
 歴代王朝も、領土を拡大し殺戮と略奪を繰り返している時は自信満々に輝いていたが、膨張が止まり戦利品が無くなると意気消沈して活力を失った。
 尽きる事なき競争心・闘争心によって能力を開花させ安定した黄金時代を築いてきた中国文明は、他の文明・文化と平和な共存の道を選んだ時から衰退に向かう。
 人間不信から、家族の絆も社会の連帯感も稀薄となり、他人への猜疑心から法や秩序が崩壊し、自信の消失によって自暴自棄となって犯罪が多発した。社会が無政府状態に陥るや、仲間うちでの殺し合いが急増して内戦状態に移行した。利益の為に、平気で味方を裏切り外敵の侵入を許した。生来の、愛国心の欠如で国家は意図も容易く滅亡した。
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*弱者の理論と勝者の理論
 古代中国では、諸子百家としてあらゆる思想が自由に論じられた。
 漢王朝が、正統派儒教を国家の支柱としてからは、法家や医家など極一部を残して禁止された。
 特に、仏教などの宗教は徹底的に弾圧され、信者は見付けしだい残酷に惨殺された。
 中国の正統派儒教は、天の子・中華皇帝を中心とする差別的上下関係を絶対不可侵とする一君独裁体制の学問である以上、「人はすべて平等である」「万民の差別なきき幸福」などを説く普遍宗教を不埒千万として根絶やしとした。
 中国文明世界では、「平等な社会」を目指す宗教勢力を反乱を起こす賊徒として弾圧し、「世の為、人の為」という共同意識を暴動・戦争の原因になるとして禁止した。
 天災や飢饉や疫病で苦しむ人々を救済する慈善家は、謀反を企む極悪人として家族諸共に公開で惨殺した。
 正統派儒教は、人の生死を論じない反宗教無神論として、「弥勒仏が降臨して衆生を救済する」と触れ回った仏教徒を大虐殺した。
 日本人に慕われている弥勒菩薩は、中国では民衆革命の扇動家とされた。
 『論語』「怪力乱神を語らず」……科学的論理的に証明できない超自然的な神秘的出来事や、合理的理性では信じられない死後の世界や神仏は、幾ら論じても無意味である以上、語る価値がない。人は、今そこにある人智で理解できる事のみに関心を持つべきであって、人智で理解できない摩訶不思議な事を詮索しても答えが出ない以上は無意味である。人にとって、昨日や明日の事よりも今が大事である。
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 日本は、宗教制度としての神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)制度を守る為に、自主独立国として、正統派儒教による反宗教無神論の中国及び朝鮮との国交を断絶した。
 日本民族とは、神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)とは不可分の関係にある。
 神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)を否定した所には、日本民族は存在しない。
 日本民族にとって神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)は、中国や朝鮮の様な虐殺を起こさない為の安全機関である。 
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 朝鮮は、騙される方が悪い、殺される方が悪い、裏切られる方が悪いという「強者の価値観」で人間不信の中国化した。
 日本は、裏切られ、騙され、欺かれても、愚直なまでに人を信用しきると言う「弱者の価値観」で国風化した。
 中国や朝鮮の正統派儒教は、個人的な親に対する「孝」を全てに最優先する徳目とし、厳格な「仁」「礼」「義」で差別的上下関係・身分こそが社会に安定をもたらす制度とした。
 対して、
 日本派儒教は、神道と仏教の影響を受けて、自分の事は後回しにする「公」を優先し、他人を分け隔て無く思い遣る「心」を大事にし、上下関係や身分には敬意を払っても重きを置かなかった。
 正統派儒教の「徳」理念を絶対価値観とする中国文明圏の家・一族と、日本派儒教の「心」理念を相対価値観とする日本文明の家族・身内とは、微妙にニュアンスがことなる。
 日本が、相手を思い遣る日本文明の「弱者の論理」である集団重視の国風化を捨て、自分を第一とする西欧文明の「強者の論理」で個人重視の国際化する時、日本は地政学的にアメリカ化する事はまずありえない。
 歴史的事実として、単純に地理的条件から、日本は朝鮮同様に反宗教無神論の中国化するのが定めである。
 日本がアジアの一員になるという事は、アメリカ化もしくは西洋風を捨てるという事である。
 決して、キリスト教徒白人国家オーストラリアの様にはなれないという事である。
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 日本は、朝鮮や中国を嫌い、大陸から遠ざかり離れて生きる事を選んだ。
 日本民族は、大陸に足を踏み入れる事も、大陸の中国人や朝鮮人に近づく事も嫌った。
 日本人は、中国人や朝鮮人と離れて孤独に生きる道を選んだ。 
 日本人は、神に選ばれた特別な人間ではない、極普通のありきたりの人間である。
 日本には、選民思想は存在しない。
 日本に選民思想があると思う者は、何も分からない、何も理解できない、何も見えない、愚か者であり、無能者である。

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