🗾18〕─1─縄文文化は、世界の古代文明に匹敵する日本固有の優れた平和で安定した古代文化であった。~No.83No.84No.85 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本の縄文人は、南は沖縄から北は北海道・北方領土樺太・千島列島そして朝鮮半島南半分に広く住んでいた。
 それが、日本列島を中心とした縄文文化圏であった。
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 2016年5月号 歴史通「本当は、いつから? 世界に誇る縄文文化 川粼貴一
 『四大文明説』など、唱えた学者の妄説にすぎない。今や縄文に光が!
 注目される縄文時代
 縄文文化の精神性の高さや文化の独自性が、今、世界の考古学者から注目されている。
 縄文時代の火焔(かえん)土器や土偶の芸術性の高さに目を奪われた片も多いだろう。これらを創造した縄文人は日本人の祖先である。その縄文人が、東アジアの中では日本人にだけ遺伝子に大きく関係しているが、近年の分子人類学の研究によって明らかになってきた。
 縄文時代とは、旧石器時代に続く新石器時代をいう。旧石器時代には、岩石を割ったままの打製石器をそのまま斧や槍に利用した。それに対して、岩石の〝刃〟の部分を磨いて磨製(ませい)石器として使用する時代区分を新石器時代という。旧石器を使用していた旧人(学名ホモ・ネアンデルタールシス)は、手の指や関節の構造が異なって、私たち新人(同ホモ・サピエンス)のように石を磨くのは困難だった。
 その新石器時代を、日本だけは縄文時代と呼んでいる。新石器時代には、自然破壊的な大規模の農耕が世界的に行われるようになったが、縄文人は定住して、循環型社会の採取狩猟生活を営んでいた。
 これまで、縄文時代は『1万2000年前から2200年前』と考えられてきた。それが最近では、『1万6500年前から3000年前』と大きく遡(さかのぼ)る研究結果が発表されている。
 この年代の推定方法について、数理歴史学者の宮本美典(びてん)氏は警鐘を鳴らす。
 『近年、放射性炭素同位体の測定結果をもとに、年代がどんどん繰り上げられる傾向があります。その測定方法を検証すると、意図的に古い年代を出しているとしか考えられません。とくに、縄文時代の終わりは、続く弥生時代の始まりと関係しているので、日本の歴史を大きく変えてしまう危険があります』
 ……
 中国・朝鮮人とは違う遺伝子
 縄文人とはどういう人たちなのか。近年、分子人類学の発展によって、人類がアフリカで誕生してから世界に拡散した様子が分かってきた。
 細胞の中にミトコンドリアという、熱を産生する器官がある。このミトコンドリアの遺伝子は母親から子どもに受け継がれて、父親からは伝えられない。ミトコンドリアの遺伝子を解析していくと、世界中にいる人間(新人)の共通の祖先は、約20〜10年前にアフリカにいた女性と考えられている。
 一方、ヒトの性染色体の遺伝子はXとYの2種類があって、女性は『XX』、男性は『XY』の組み合わせで性別が決定される。そのうち、Y染色体の遺伝子は父親から息子に伝えられる。男性特有のY染色体を解析して遡ると、9万年前(±2万年前)にアフリカにいた男性だったと考えられる。
 日本人のY染色体に関しては、東アジアの中でハッキリとした特徴があることが、ここ数年の研究でわかってきた。
 日本人のY染色体で、もっとも多いのはO型(約54%)で、D型(=D1b。約32%)が続く。新人の遺伝子には、古いA型から新しいT型まで大きく分けて20のグループがある。A型は現在でもアフリカに多いが、D型は初期にアフリカを出発したグループである。ただし、あとからアフリカを出発したグループが必ず高度な文明を築いたわけではない。
 日本人男性の約半数を占めるO型は中国や朝鮮半島で多数を占める型なので、日本人は大陸や朝鮮半島の人々と共通の祖先を持つ人が多いことがわかる。ところが、日本人男性の3分の1を占めるD型は、大陸や朝鮮半島にはほとんどいない。D型とは、縄文系だったことが、縄文人の歯髄(しずい)に含まれる遺伝子の研究でわかってきた。
 D型のY遺伝子を持つ男性は、アイヌ人の約90%、沖縄の人々の50%を占める。本土の男性では30%以上がこのD型である。日本人男性の遺伝子の分布から、縄文人(D型)がいた日本に大陸系の弥生人(O型)が移ってきて混血が進んだという仮説と辻褄が合う。
 その一方で、現代の日本人は、縄文人の影響を強く残していて、大陸や朝鮮半島の人々とは、かなり異なることが遺伝学的にも確認できたのだ。したがって、中国や朝鮮が『日本人は子、弟』と決めつける優越感も、沖縄県の翁長知事が『沖縄人は先住民族』という国連での発言も、どちらも自分の都合のよい、勝手な思い込みであることがわかる。
 ちなみに、世界の中で、D型の遺伝子が存在する地域は二ヶ所あって、それはチベットとインド洋に浮かぶアンダマン諸島(インド)の原住民である。アジアの島や高原にD型が残っているのは、アジアに広まっていたD型の人々が、のちに侵出してきた漢民族などのO型の人々によって駆逐された歴史を物語るだろう」
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 9月5日 産経ニュース「【科学】縄文人はアジアの“古株” 2万〜3万年前には出現か
 縄文人は、東アジアや東南アジアに住み着いた共通の祖先から最も早く枝分かれし、約2万〜3万年前には出現していた可能性があるとの研究成果を、総合研究大学院大学などのチームが専門誌に発表した。
 人類がアフリカからユーラシア大陸の東方へ進出した際に、縄文人につながる集団が現れたと考えられるという。チームの斎藤成也・総研大教授は「縄文人ユーラシア大陸の他の集団と比べても非常に特異だといえる」としている。
 チームは、福島県北部にある三貫地貝塚で発掘された約3000年前の人骨を基に調査した。人骨の奥歯からDNAを抽出し、その配列を解析。東京周辺にいる現代の日本人や中国人、アフリカ人や南米の先住民など世界各地の集団と比べた。
 その結果、縄文人は東ユーラシア大陸の集団に近いものの、その中では遺伝子的に大きな差があることが判明。東ユーラシアの中では早い段階で出現したことが分かった。約1万5000年前にアジアからベーリング海峡を渡ったとされる、アメリカ大陸の先住民よりも前に現れたとみられる。
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 10月4日 産経ニュース「新潟・長岡の縄文土器を14日から展示 大英博物館 「歌舞伎や浮世絵と並ぶ日本文化の傑作」
 3日、ロンドンの在英日本大使館ロビーに展示された新潟県長岡市所蔵の火焔型土器(共同)
 新潟県長岡市が所蔵する縄文時代の火焔型土器4点が同市の馬高縄文館からロンドンの大英博物館日本ギャラリーに貸与され、14日から3年間常設展示されることになり、在英日本大使館で3日、プレ展示会が開かれた。
 火焔型土器は現在の新潟県信濃川流域で縄文時代中期の約5千年前につくられた。燃え上がる炎のような形状で芸術家の故岡本太郎氏がその造形美を高く評価した。
 展示会では長岡市高橋譲教育長が「長岡の宝である火焔型土器を世界に紹介できるのは光栄」とあいさつ。大英博物館での展示を仲介した国学院大の小林達雄名誉教授(考古学)は講演で、独特の造形について「画家がキャンバスに絵を描くように縄文人が思いの丈を表現した」と指摘。「歌舞伎や浮世絵と並ぶ日本文化の傑作」と話した。(共同)」
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 人類は、アフリカの大地で類人猿の中から突然変異・ミュータント・奇形児として生まれたのであって、創造主である絶対神によって作り出された不完全・未熟な操り泥人形でもなければ、地球外から移住してきた殺す事を生き甲斐とした血に飢えた宇宙人でもない。
 人は、神の申し子でもなければ、神の子孫でもなく、神に愛された優れた知的生命体でもない。
 生き神も、生き仏も、ありえない。
 生命の誕生は、宗教ではなく自然の営みである。
 人はおろか全ての生物の大本を辿ると、その命は、原初の地球に生まれた一個の単細胞である。
 単細胞体とは、寿命の内を全機能を使って本能的に生きるだけの生命体である。
 ゆえに、命は尊い
 幾つかの人類は、弱肉強食という血の掟によって生存競争で絶滅したのではなく、気候変動に伴う住環境の変化に適応できず適者生存という自然の理に従って自然消滅した。
 生きるに最悪な劣悪環境に適応し、生きる智恵を最大限に発揮した生物のみが生き残った。
 その一種が、現代の人類である。
 安全で充ち足りた安心できる優良環境に生きる生物は、生命力無く、何れは絶滅する。
 不自由で不便で不満だらけな劣悪環境に生きる生物は、みなぎる活力を持って、しぶとく生き残る。
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 縄文人琉球人、台湾先住民、揚子江流域系非漢族少数民族は、血を同じくする同種である。
 黄河流域系漢族と朝鮮人とは、異なる種である。 
 大ざっぱで乱暴な分類をすれば、縄文人琉球人・台湾先住民・揚子江流域系非漢族少数民族は同じ民族といえるが、黄河流域系漢族と朝鮮人とは別の民族である。
 琉球人は、縄文人の血が流れる日本民族の一員であって、漢族の中国民族でもなければ、朝鮮民族ともつながりはない。
 だが、琉球人の中に偶然に紛れ込んだ漢族の血が日本民族を嫌い、先祖返りとして漢族との合体・融合を切望している。
 日本民族は、漢族や朝鮮人が作る観念に凝り固まった融通なき冷血な中華世界・唐を尊敬しても馴染まず、その向こうにあるインド・ガンダーラチベットなどの西方浄土の天竺に憧れ救いを求めた。
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 戦闘的好戦的なのは、漢族や朝鮮人であって、日本民族日本人ではない。
 なぜなら、日本民族日本人が相手にしたのは、獲物・食べ物を奪い合う競争相手ではなく、命の危険をもたらす恐れのある自然であった。
 日本民族が生きていたのは、自然災害多発地帯日本列島であり、休みなく襲ってくる自然災害の中で殺し合いなどやっている暇などなかった。
 日本民族日本人が相手にしたのは、人ではなく自然であった。
 尽きる事のない自然災害を生き残る生き方が、日本民族の生き方である。
 それが、日本民族日本人の数千年という歴史である。
 大噴火と火砕流、大雨と大洪水、大地震と大津波、高温と日照り、暴風と竜巻、大寒波と雪崩、凶作と飢餓・餓死、疫病などなど、その度に家財産を失うどころか自分と家族の命を奪われる危険があった。
 日本のムラは、世界の村とは違って、自然災害多発地帯日本列島に生きる運命共同体である。
 日本人の自分・個人を抑えた集団主義とは、大陸の集団主義とは違って、自然災害多発地帯日本列島で生きる智恵である。
 自然災害多発地帯日本列島は、住み易い良い所であるが故に日本列島を逃げ出した日本民族日本人は誰もいない。
 自然災害多発地帯日本列島を逃げ出した日本民族日本人は、一人もいなかった。
 日本民族日本人は、自然災害多発地帯日本列島で生きてきた。
 一年中何処かで発生する甚大な大災害の中で、個性を発揮して哲学・主義・思想で論理的に大激論したり、自分の取り分を増やす為に権利を主張して感情的に大喧嘩して、何の得があるのか。
 日本に根付いたのは、多様な相対的価値の寛容な日本神道と日本仏教であり、単一な絶対的価値の不寛容なキリスト教共産主義ではなかった。
 キリスト教には、多発する自然災害の1つでも消し去る「奇跡」は起こせない。
 共産主義共産党宣言、1847年)の階級闘争理論には、多発する自然災害を生き抜く有効な「生きる術」を持ってはいなかった。
 日本の多発する自然災害の前では、キリスト教共産主義もそして儒教さえも無力であった。
 それ故に、日本では、お遊びのような、お気楽な、道楽的娯楽的趣味的な哲学も思想も主義も生まれなかった。
 人間の叡知で組み立てた理論・原理・原則など、多発する自然災害の理不尽さの前では無意味であった。
 多発する自然災害の前には、生まれる前の罪「原罪・宿罪」など存在せず、悔い改める事も、赦しを請う事も、告白する事も、ない。
 自然災害の中にあるのは、合理的な論理ではなく、理屈抜きの情緒と人情であった。
 多発する自然災害の中を、「人は如何に生きるべきか」という事だけである。
 多発する自然災害に向かって論理的に優れた技巧で弁舌を行っても、自然災害は感激して被害をださず消えてはくれない。
 日本の自然災害は、ギリシャローマ神話の神々が気まぐれで起こしているモノではなかった。
 ギリシャローマ神話の神々であれば、人間の論理的弁舌に言い包められて自然災害を中断させて消し去ったであろう。
 多様な価値観を有する、ギリシャローマ神話の神々と日本神話(天孫降臨神話)の神々は違う。
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