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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本国建国したのは、初代神武天皇であった。
初代神武天皇がいなければ、日本民族日本人の日本国は生まれなかった。
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天皇を否定する者は、日本民族日本人と日本国を否定する者である。
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皇国史観に基づく愛国心の日本史は復活させるべきではないが、戦後に外圧として日本史を支配したマルクス主義(共産主義)の階級闘争史観やキリスト教の善悪・正邪二元論史観は捨てるべきである。
日本民族日本人は、民族中心の日本史を取り戻すべきである。
つまり、日本の歴史は中国や朝鮮の中華の歴史とは関係性は極端に少ない。
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日本は、中国や朝鮮とは友好国ではなく、民間交易はあっても国家としての国交はなかった。
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日本にとって中国や朝鮮は古代から敵国であった。
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朝鮮通信使は、日本にとってたいした歴史的意味はななく、徳川幕府は朝貢使節と見なして訪日旅行費一切を肩代わりし、帰国に際しては豪華な品物を下賜した。
それ故に、朝鮮通信使は無一文で日本を訪れ、金を使う事なく豪華な品物を貰って帰国した。
接待を命じられた大名・武士にとって、朝鮮通信使は乞食集団であった。
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明皇帝は、朝貢に来た朝鮮半島の李氏が粗末な服装で朝貢品も貧相であったので、「朝貢が鮮(すく)ない」から見下すように「朝鮮」も国名を与えた。
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2018年5月17日 週刊新潮「新潮新書 今月の新刊
『謎』はなぜ放置されてきたのか?
『神武天皇vs卑弥呼 ヤマト建国を推理する』 関裕二
今、考古学はヤマト建国の経過を、克明に描き出そうとしている。3世紀に奈良盆地の南東の隅に前代未聞の巨大人工都市・纏向遺跡(奈良県桜井市)が出現し、方々から人が集まってきたこと、纏向(まきむく)に前方後円墳が誕生し、この新たな埋葬文化を各地の首長が受け入れたこと、流通ネットワークを共有するゆるやかなつながりの連合体(ヤマト政権)が生まれたことが分かってきたのだ。
考古学が戦後一気に発展した理由は、はっきりしている。新幹線や高速道路網が張り巡らされ、全国でほぼ均等に、考古学の試掘が行われた形となり、無数の遺跡がみつかったのだ。
ただし、物の動きはつかめてきたが、『弥生時代後期の動乱を誰がどのように鎮めたのか』『なぜ各地の首長がヤマトに靡(なび)いたのか』などなど、大切な『人間の生き様』が、描けていない。
理由はいくつかある。まず第一に、考古学と文献学が垣根を築いて、互いの領域、専門分野に足を踏み入れようとしない。第二に、学問が蛸壺化した挙げ句、総合的な解釈は、一部の学者(長老格、大御所)に委ねられてしまっている。これでは、新しい発想は、なかなか認められない。そして第三に、邪馬台国論争に拘泥(こうでい)しすぎたことが、大きな足かせになってしまった。われわれが本当に知りたいのは、ヤマト建国の歴史であって、邪馬台国がどこにあったかではない。
この結果、日本人は、日本誕生のいきさつ、王家の正体、神道の真髄を、知らずにいる。
ならば、どうすればヤマト建国の物語を再現できるだろう。方法は意外に簡単ではなかろうか。戦後の史学界が切り捨ててしまった『神話』と『神がかった神武天皇の活躍』を見つめ直すだけで、多くの謎が解けると思う。
初代神武天皇の母と祖母はどちらも海神(わだつみ)の娘だったと『日本書紀』神話は説明する。問題は、王家を生んだ海神が、弥生時代後期に栄えた奴国(福岡市周辺)で祀られる神だったことだ。奴国は後漢から金印をもらい受けた当時の日本を代表する国だから、無視できない。さらに、奴国の縁者(神武)がヤマトの王に立っている謎。しかもその時『大切な金印をぞんざいに土に埋めてしまう(志賀島)』というミステリーも残した。これはいったいなんだ?
『日本書紀』は王家の歴史を知っていたからこそ、神話を創作し、都合の悪いことを隠蔽してしまったのではなかったか。しかし、謎解きのヒントなら山のようにある。志賀島の金印も、そのひとつだ。そして、卑弥呼と神武天皇にも、大きな秘密が隠されていた・・・。
王家の正体、日本誕生の謎、今こそ明らかにしてみようではないか。(『波』5月号より転載)」
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