🪁10〕─1─儒教の毒。中華儒教による中華思想は漢の武帝時代に確立された。中国の侵略戦争は武帝が始めた。~No.26No.27No.28 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 中国は、中華儒教による侵略国家で、領土拡大の侵略戦争を繰り返していた。
 日本は、侵略国家ではなく、母国防衛の為の自衛戦争を行っていた。
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 中国は、日本とは違って領土拡大の侵略戦争を好み、東アジアの平和や平穏を破壊していた。
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 2017年9月号 Voice「中国の膨張を抑えよ
 儒教の毒   石平
 『儒教』の中には周辺民族を差別する中華思想がある
 青森沖を自国の庭のように
 ……
 中国という国は、自由や人権などの文明社会の常識とは無縁の野蛮国家であることがよくわかった。
 中国政府の野蛮さは、なにも国内の言論弾圧に限られたものではない。同じ今年7月、北京の野蛮政府は日本に牙を剥いてきた。7月15日、中国海警局所属の公船が九州北部の日本領海に侵入したのに続いて、17日には、同じ中国海警局所属の公船が2回にわたって青森沖の日本領海に侵入してきた。
 中国公船による尖閣諸島付近の日本領海への侵犯は日常茶飯事となっているが、今度は、中国政府自身でさえ日本の領土・領海だと認めているはずの九州や青森付近の領海に侵入してきた。他国の領海をあたかも自国の庭であるかのように好き勝手に出没するこの傍若無人の態度には、他国の主権や国際社会のルールを尊重する意識のかけらもない。
 このようにして、対内的には過酷な言論弾圧を行って国民の自由と人権を恣意的に踏みにじる一方、対外的には力に任せて周辺国の主権と領土を何の躊躇(ためら)いもなく侵犯する。これはまさに、野蛮国家・中国の現実の姿そのものである。
 しかし中国という国はいつから、このような異質な野蛮国家となったのだろうか。
 『野蛮の時代』を開いた秦の始皇帝
 中国大陸で統一された大帝国が誕生したのは、紀元前221年における秦王朝の成立である。それ以前の中国は春秋戦国時代にあって、多くの国々が大陸で並立する状態であった。諸国のあいだでときどき戦争も起こるが、その時代の中国人はむしろ、この国の長い歴史上最も自由な時代に生きていた。
 知識人たちが諸国を歩き回って自由な空気を吸い、多彩な学説や政策論を生み出してその優劣を競い合わせた。そのなかに儒家(じゅか)もあれば法家(ほうか)もあり、あるいは墨家(ぼくか)と呼ばれる思想集団もあった。『百家争鳴(ひゃっかそうめい)』と呼ばれる思想と学問の繁栄の時代は、彼らの手によって創り上げられた。
 しかし紀元前221年、戦国時代の強国の一つである秦国が他の6ヵ国を滅ぼして中国大陸を統一した。秦王朝の初代皇帝となったのは有名な秦の始皇帝であるが、まさにこの人の手によって専制独裁の中央集権制が創出された。
 中国という国はそれ以来、皇帝という一人の絶対的な独裁者が万民を支配するよな暗黒時代に入った。そして秦の始皇帝自身が『焚書坑儒(ふんしょこうじゅ。書物を焼かせ知識人を生き埋めにする)』を断行したのと同じように、皇帝独裁を守るための知識人に対する言論弾圧秦王朝以来の中国歴代王朝の伝統的政策となった。
 そういう意味では、2017年の今年に起きた劉暁波(りゅうぎょうは)氏への弾圧と謀殺は、紀元前221年から綿々と受け継がれてきた中国という野蛮国家の伝統そのものであるといえよう。『文明と野蛮』に関する現代の認識からすれば、中国の『文明の時代』は秦王朝の成立をもってすでに終わり、それ以来現代に至るまで、中国はまさに『野蛮の時代』のなかにあるのである。
 秦王朝は成立してわずか15年で滅亡したが、秦に取って代わって中国を支配したのは紀元前202年に成立した漢王朝である。
 いまでも、中国人は民族的には『漢民族』と呼ばれて、中国の文字は『漢字』と呼ばれる。そのことからもわかるように、中国の『国の形』が出来上がったのはやはりこの漢王朝の時代においてである。
 漢の武帝が『独尊儒術』を実行した理由
 漢王朝はまず、秦の始皇帝によって創出された中央集権の皇帝専制政治をその骨格のまま受け継いだ。そして、こうした皇帝専制の独裁政治を正当化するためのイデオロギーとして、儒教を国教の地位に祭り上げた。漢王朝第7代皇帝の武帝が『罷黜(はいちゅつ)百家、独尊儒術(百家を罷黜{排斥}し、独り儒術のみを尊ぶ)』の国策を打ち出してそれを実行に移して以来、春秋戦国時代では『百家』のなかの一つにすぎない儒教は政治の力によって『独尊』の地位を手に入れた。約1700年にわたる、儒教による思想統制の時代がそこから始まった。
 問題は、春秋時代に誕生した思想学説としての儒教を、漢の武帝が独裁政治を支えるためのイデオロギー装置として選んだのはいったいなぜか、である。それは当然、儒教、あるいは儒学自体の考え方や性格と関係がある。
 日本でも江戸時代以来、儒学が盛んに学ばれて孔子の『論語』がいまでも多くの人びとに愛読されている。日本人が儒教と『論語』に惹(ひ)かれているのはおそらく、そこで語られている仁愛や親孝行などの思想であろうが、それらはじつは、儒教と『論語』の一側面にすぎない。
 『論語』をはじめ、儒教の教えのなかには、皇帝独裁の専制政治の正当化に利するものが多くある。たとえば『論語 泰伯第8』には、『子曰く、民の之に由(よ)らしむ可(べ)し。之を知らしむ可からず』との有名な一節がある。
 ここでの『之』は、江戸時代の儒学者の安井息軒が『之の字は政教を指す』と解釈していることからもわかるように、要するに政府の政策や法令などを指している。したがってこの一節の意味は、『民衆というのは政府の政策法令に従わせるべきものだが、民衆に政策や法令の実体と理由を知らせてはならない』ということである。
 それはつまり、民衆はただひたすら独裁政治に従うべきもので、『知る権利』なんかはどうでもよい、という考え方だが、典型的な愚民政策である。そして漢の武帝の『独尊儒術』以来、中国の歴代王朝において、皇帝とその手足となる官僚たちが最も好んで口にする『論語』の言葉は『仁』でもなければ『愛』でもなく、まさにこの『民の之に由らしむ可し』の一言である。独裁専制政治にとってそれはあまりにも好都合で、あまりにも心地の良い一言だからだ。漢の武帝以来の中国の歴代王朝と皇帝が例外なく儒教を国家的イデオロギーに祭り上げていることの理由の一つも、まさにここにある。
 そしていまでも、共産党政権が何の躊躇いもなく言論の自由を弾圧し人民の知る権利を剥奪しているが、このような前近代的暴政の背景には、儒教に由来した中国伝統の愚民政策があるのであろう。中国の政治にはいまでも、『儒教の毒』が回っているのである。
 中華思想こそ最大の毒素
 儒教の生み出した毒素は愚民政策だけではない。もう一つ、漢王朝の時代から現代に至るまで、中国周辺の民族や国々に大きな災(わざわ)いをもたらした『儒教の毒』がある。それはすなわち、悪名高い『中華思想』というものである。
 中華思想とは要するに、中国の王朝と皇帝をこの世界の唯一の支配者とし、中国の文明はこの世界の唯一の文明だと自任する一方、周辺の民族は皆野蛮人であるから、中国の王朝と皇帝に服従中国文明の『教化』を受けなければならない、という考である。
 現代社会のわれわれの価値観からすれば、このような自己中心的な考え方はあまりにも荒唐無稽であるが、中国人自身は昔から、真剣にそう思っているのである。そして、このような荒唐無稽の『中華思想』の源は、やはり儒教である。
 たとえば『論語 八?(はちいつ)第三』には、孔子の次のような言葉が載せられている。
 『子曰く、夷狄(いてき)の君有るは、諸夏(しょか)の亡きに如かず』
 現代の日本語に訳せば、『野蛮人の国にいくら君主があったとしても、中国に君主が無い状態にも及ばない』となるが、周辺の国々を徹底的に貶(おとし)める一方、というよりも周辺の国々を徹底的に貶めることによって中国を持ち上げるという言い方である。孔子の発したこの言葉はまさに中華思想そのものであり、中華思想の発祥ともいうべきものだろう。
 孔子は、ここで周辺の国々や民族のことを『夷狄』という差別的蔑称で呼んでいるが、じつは中国では古来より周辺の諸民族を『夷蛮戎狄(いばんじゅうてき)』と呼んでいて、獣同然の野蛮人だと見なしている。そして、『夷蛮戎狄』という立派な差別用語の出典は、『論語』と並んで儒教の聖なる経典の一つとされている『礼記(らいき)』にあるのである。
 周辺民族を徹底的に差別して中国の『独尊』を唱える中華思想は、こうして儒教から生まれていることは明々白々であるが、このような思想からさらに生まれてくるのは、すなわち中国伝統の覇権主義的侵略政策である。
 周辺の国々は野蛮民族である以上、中華帝国が彼らを支配して『教化』していくのはむしろ当然のことだとされてしまう。獣同然の野蛮人は『領土』や『主権』をもつことなど最初から論外であって、中国の皇帝は世界の唯一の支配者であるから、中華皇帝は自らの領土をどこまで広げていっても自由だし、どこかの国を占領するのもまったくの勝手である。それは『占領』でもなければ『侵略』でもないのである。
 習近平に受け継がれた侵略政策
 このような乱暴な論理を振りかざしていると、『野蛮』という言葉に相応(ふさわ)しいのは周辺国家ではなく、むしろ中国自身であろう。そして、このような野蛮国の論理に従って侵略政策を大々的に推進した最初の中華皇帝は、すなわち前述の漢の武帝である。武帝の治世では、中華帝国が国境の西と北の『夷狄』たちに対して頻繁な討伐戦争を発動しただけでなく、南と東の『蕃夷』の国々にも侵略軍を差し向け、朝鮮半島を占領したりベトナムを侵略したりして、やりたい放題の覇権主義政策を推し進めた。
 このような帝国主義的侵略政策推進の親玉である漢の武帝こそが、儒教を国家的イデオロギーの地位に祭り上げた張本人である事実からしても、儒教こそが、中国伝統の覇権主義政策の精神的支えであり、中華思想という歪んだ考え方の核心を成すものであることがわかる。
 もちろん漢の武帝以来、一部の例外を除けば、中国の歴代王朝と皇帝はいつもにように、覇権主義中華思想に従って対外的領土拡大・侵略政策の推進に余念がない。そのなかでは、成功した王朝と皇帝もあれば、領土拡大に失敗した王朝と皇帝もある。その際、たとえば隋王朝の第二代皇帝の煬帝高句麗の征伐に失敗すると、隋王朝は直ちに崩壊した例からもわかるように、覇権主義的侵略政策に成功できるかどうかは、王朝の存亡を左右する大きな要素の一つともなっている。
 こうなると、中国の歴代王朝は中国全土を統一して政権の基盤を固めてから、必ずといってよいほど対外的侵略戦争に走ることとなる。そしてその都度、周辺の国々や民族に多大な被害を与えてしまうことはいうまでもない。いってみれば、儒教の毒素から発した中華思想と、それに基づく中華帝国覇権主義政策は、周辺民族と国々にとっての災いのもとなのである。
 中華帝国のこうした覇権主義の伝統は、現在の中華人民共和国にも見事に受け継がれている。
 中華人民共和国が成立したその年の1949年秋、初代主席の毛沢東の命令によって人民解放軍ウイグル人の土地である新疆(しんきょう)地域に侵入してそれを占領した。翌年の1950年には、独立国家であったチベットに対する軍事侵攻を行った。チベット全土を制圧したのち、中国に併合した。同じ1950年には朝鮮半島にも出兵して朝鮮戦争に参戦した。そして、同じ毛沢東政権下の中国は1962年に隣国のインドに侵攻して戦争を起こし、69年には友好国だった旧ソ連との国境を挟んで砲火を交えた。
 このようにして、中華人民共和国という国は建国以来、毎年のように侵略戦争を発動して領土拡大の覇権主義戦略の推進に余念のないことがよくわかるが、毛沢東もやはり、『全国統一を果たしたら必ず対外侵略をやる』という中華帝国の伝統を受け継いでいる。
 1976年に毛沢東が死に、訒小平がそれに取って代わって権力を握った。崩壊する寸前の中国経済の立て直しが何よりも急務だと思った訒小平は、『韜光養晦({とうこうようかい}実力のないときは野望を覆い隠し我慢して力を養う)』の戦略を打ち出して、諸外国と『友好親善』して中国経済の発展と国力の増強を図ることに専念する路線を進めた。
 そして訒小平路線が数十年間進められた結果、いまの中国は世界第二位の経済大国となって強大な軍事力を手に入れた。しかしそれゆえ、中国はもはや野望を隠す必要もなければ我慢することもない。『韜光養晦』戦略はすでに用済みとなった。
 そして、『韜光養晦』戦略を捨てて訒小平路線に別れを告げたのは、いまの習近平政権である。2012年秋に中国共産党の最高指導者となって以来、習近平主席は毛沢東と歴代皇帝の侵略政策を継承して、南シナ海東シナ海への赤裸々な軍事的進出を行ない、アジアの海を支配することによってアジア全体を支配する戦略の推進に全力を挙げてきている。彼のむざすところはまさに、中華帝国が再びこのアジアの主人としてアジアに君臨するという、中華思想の世界の再構築であろう。
 その一方、内政において習近平政権は毛沢東文革時代へ逆戻りするような過酷な言論弾圧や人権弾圧を行ない、中国を再び阿鼻叫喚の地獄へと落としていくのである。
 このようにして、儒教的愚民政策と、儒教から発するところの中華思想覇権主義戦略は再び、いまの中国共産党政権の中心的な政策路線となり、強大な軍事力をもつ野蛮国家・中国の存在は再び、アジアと世界にとっての最大の脅威となりつつある。
 中国の脅威に対処してアジアの秩序と日本の平和を守るためにはどうしればよいのか。それはいま、われわれにとっての死活問題となっているのである」
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 日本人の祖先の一つである漁労を生業とする南方系海洋民は、長江流域に移り住み稲作を生業とする揚子江の民と同居し、雑婚し、混血の民となって平和に生活していた。
 黄河流域の中原で生活していた戦闘的攻撃的な麦作と狩猟を生業とする北方系草原の民は、生活圏を広める為に南下し長江流域に侵出してきた。
 南方系揚子江系の混血の民である日本人の祖先は、海の逃れた。
 揚子江の民は、山奥に逃れ少数民族の祖先となった。
 日本人の祖先は、北方系草原の民の侵略で故郷としてた長江流域を失った流浪の民であった。
 北方系草原の民の中華帝国による侵略は、山を越えて現代のベトナムラオスミャンマー(旧ビルマ)にまで達した。
 侵略は、西のチベットウイグル、北のモンゴル、北東の朝鮮にまでおよんだ。
 中華帝国の凶悪・狂暴な侵略者による虐殺と略奪と破壊から逃れ得たのは、東の日本と琉球(現沖縄)そして台湾などの島嶼群であった。
 何故か、北方系草原の民は、山と川の住人であって海の住人であったからである。
 よって、中華帝国・中国の海の領土とは、沿岸周辺・近海の島々であって、日本・琉球などの遠洋の島嶼群ではない。
 ベトナムラオスビルマチベットウイグル・モンゴルは、多大なる犠牲者と甚大なる被害を出しても中華帝国・中国の侵略と戦った。
 朝鮮のみは、侵略されても抵抗をあまりせず、「忠良な賢臣」ではなく「従順な愚犬」として生きる道を選んだ。
 朝鮮は、中華帝国・中国の威光に震え上がり、厳命された人数の見目麗しい美女を宮廷慰安婦(妓生)として中華皇帝に献上していた。
 中華帝国・中国は、領土拡大の為に周辺地域を侵略したが、朝鮮だけは領土とする事を嫌った。
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 日本と中国・朝鮮は、水と油のように異質である。
 日本は、東アジアを支配している中華儒教を理解できない。
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 同じ儒教でも、日本儒教と中華儒教(中国儒教・朝鮮儒教)は似て非なるもので同じではない。
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 東アジア世界には、中華世界と日本世界の異なる世界が存在する。 
 中華世界には、王道を理想としながら王道はなく、あるのは覇道のみである。
 日本世界には、王道もないが覇道もなく、あるのは惟神の道としての神道である。
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西洋にとって、中国は分かりやすく理解しやすいが、日本は分かりづらく理解しづらい。
 なぜ、西洋の親和性が中国で濃く日本で薄いのか。
 中華儒教の野蛮民族への徳化・教化が、キリスト教の異教徒への布教に類似してるからである。
 特に、日本人を奴隷として売っていた中世キリスト教会は中華儒教と瓜二つである。
 日本神道には、徳化・教化さらに布教がない。
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 日本は、歴史的被害から、世界に対して、特に白人キリスト教文明圏と中華文明・中国帝国に対する復讐権・報復権を正当権利として持っている。
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 同じ人間を見ても、日本人の見方と中国人・朝鮮人の見方では全く異なっていた。
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 『史記』は、帝王学として武帝に献上された史書であって、中国人民の為に編纂された民族物語ではない。
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 中華儒教とは、国内で聖人君主と小人愚民を峻別し超えられない上下関係を社会に構築し、国外で周辺異民族を獣・蛮族と軽蔑する差別思想である。
 中華思想とは、文明を持たない異民族を中華文明で教化・徳化して人として正しい道に導くという思想で、その崇高な使命の為に武力を用いてもやむないとしている。
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 中国・朝鮮は、人間優位自然劣位世界として、中華儒教(中国儒教・朝鮮儒教)の単一な絶対的価値観が支配していた。
 日本は、自然共生共存補完世界として、日本神道・日本仏教そして日本儒教の複合・多様・多元な相対的価値観が支配していた。
 日本と似ているのは、インド・南アジアや東南アジアそして島嶼で地域である。
 東洋・アジアと言っても、中華の中国・朝鮮とインド・日本・島嶼では異なる。
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 儒教は、東アジアに広がったが南アジアや東南アジアには広がらなかった。
 日本は、東アジアと南アジア・東南アジアの境界に位置する。
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 漢の武帝までは、周辺異民族の侵略に苦しまれてきてきた。
 武帝は、異民族の侵略から黄河中流域=中原を守る為に、積極的防衛として周辺国・地域への侵攻を始めた。
 中華儒教は、異民族が支配する周辺国・地域への侵略を正当化させる為に中華思想を打ち出した。
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 東アジアで中華帝国が侵略占領できなかった唯一の国・民族が、日本である。
 日本の徳化・教化が、中華儒教の悲願である。
 故に、中国共産党尖閣諸島・沖縄そして日本の領有を狙っている。
 中世キリスト教会も、異教国日本を神の福音で生まれ変わらせ、異教徒日本人を正しい道に導くという神聖な使命から、日本人を奴隷として売っていた。
 中華思想による徳化・教化の実体は、静かな民族浄化で、野蛮人を地上から一掃する為に中華人男性と異民族女性を結婚させ新生中華人を増やす事である。
 静かな民族浄化は、現代のチベット・東ウイグル内モンゴルでも行われている。
 中華儒教からはすれば、静かな民族浄化は悪ではなく善であった。
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 毛沢東は、軍事力でチベットウイグル内モンゴルを領地とし、インドへ侵略し、朝鮮戦争を戦い、ソ連と砲火を交えた。
 訒小平は、ベトナムに二度の侵略戦争を仕掛けた。
 中国共産党にとって、戦争をしていない隣国は日本だけである。
 中国共産党は、結党以来、知日ではなく反日敵日で、表向き建前では友好親善を装うが本心は正反対である。
 中国の侵略は、奪う相手国内に味方・同調者を作り現政府・現体制を内部から攻撃し崩壊させる事である。
 親中国派の増加と反政府・反体制の活発化は、その表れである。
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 日本民族日本人は、中華のように異民族との終わりなき攻防を避ける為に、異民族を敵とせず、異質を異化として排除せず、違いを分かり合って曖昧に同化して受け入れてきた。
 その異質を同質にするシステムが日本天皇制度であった。
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 歴史上の、偉人や賢人である哲学者が経験と思弁で研鑽して生み出した哲学・思想、そして聖人・賢者の宗教家が経験と思索で修行して悟りを開いた宗教は、全てが正しく、全ての人々に幸福や安寧をもたらす尊いものであった。
 が、後世の人間が人類の叡智である哲学・思想や宗教を自己に都合のように解釈し、不寛容な絶対価値観を加えて変貌させた。
 哲学・思想そして宗教による、対立、抗争、暴動、戦争そしてテロはこうして始まる。
 陰惨な流血事件の元凶は、哲学・思想そして宗教ではなく、自己流に解釈する人間にある。
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 イスラム教テロリストの犯行は、イスラム教ではなく、神やマホメットの真意が理解できない思考停止状態の狂信的人間に問題がある。
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 孔子孟子らが生み出した原初儒教は、時代が下るに連れて幾つものの解釈が加わって変貌して中華儒教が生まれた。
 中華儒教の核心となったのが、南宋朱子学である。
 朱子学も、北宋時代、南宋時代そして元・明両時代と下るに連れいて変貌した。
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 日本人が好んでいる日本儒教孔子孟子の原初儒教であって、朱子学の中華儒教ではない。
 中華儒教を正統派儒教とするなら、日本儒教は異端派儒教である。
 日本儒教の変貌した原因は、日本価値観を含んだ日本国語による翻訳ではなく意訳である。 
 日本国語による意訳が、中華儒教を歪曲し、日本人の心に根付かせた。
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 朝鮮人は、中華儒教朝鮮語に直訳し、朝鮮人を階級社会に固定化し自由を奪い威圧した。
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 仏教は、日本では広く定着したが、朝鮮では弾圧された。



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