🗻19〕─1─倭国・ヤマト王権・日本は戦争難民を無制限に無条件で受け容れていた。徐福伝説。~No.62No.63No.64 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 古代日本には、中国や朝鮮とは違って民族差別や排他主義はなく、朝鮮や中国からの戦争・経済・政治・環境など様々な理由による難民を無制限に受け入れていた。
 日本は、移民・難民大国であった。
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 2008年 韓国政府は、国内にある、ヤマト式葬祭儀礼としての前方後円墳13基を気のない適当な考古学的調査をしてから、公園に整備する為に破壊した。
 ヤマト朝廷は、臣下の礼をとる有力豪族に対して、前方後円墳と葬祭儀礼を執り行う事を許可した。
 それは、ヤマト文化の伝播の明石であった。
 文化は、半島から列島に伝わって熟成し、高度化した文化が列島から半島に逆上陸していった。
 その文化の発信源は大陸であり、半島起源は少ない。
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 紀元前219年 徐福は、不老不死の妙薬を手に入れろという始皇帝の命を受けて、童男童女3,000人と五穀(中国の五穀は麻・黍・稷・麦・豆)の種子と様々な分野の技術者を引き連れて、東海の蓬莱島に住む仙人を探し出航した。
 紀元前208年 徐福は、日本に上陸して死去したと言われている。
 徐福の子孫が、日本人と言われている。
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 渡来人と帰化人は、大陸や半島から逃げてきた。
 帰化人は、勇気ある移民ではない。
 渡来人は、惨めな難民である。
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 百済糸と高句麗系は、中華帝国の軍事力を利用して国を滅ぼされて、日本に逃げててきた戦争避難民であった。
 新羅系は、中華帝国の属国として貧困化した為に日本に逃げてきた政治難民もしくは経済難民であった。
 ヤマト王権は、彼らを分け隔てなく受け入れた。
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 天皇による日本支配を手助けした帰化人。
 天皇支配を拒否する地方勢力を助けた渡来人。
 帰化人は信用できたが、渡来人は信用できなかった。
 渡来人を信用した日本人は、騙され、裏切られ、被害を受けた。
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 帰化人とは。古代朝鮮の統一戦争で新羅に滅ぼされた、高句麗百済からの戦争難民の事である。
 彼等は、高度な大陸文化を持った王侯貴族などの貴人や、高レベルな漢籍教養を身に付けたエリート階級の文武百官や、特殊な技能・技術を持った優れた職人集団らであった。こうした優れた朝鮮人が、東アジア世界で文化・教養・技術の多方面で遅れていた、万世一系男系天皇(直系長子相続)が支配する日本に移住した。
 朝鮮の一般庶民にとって、百済王家であろうと、新羅王家であろうと、唐王朝であろうと、支配者が誰になろうとも関係がなかった。貧しい彼等は、慣れ親しんだ故郷を捨ててまで、危険な海を渡って未開の野蛮国日本に移住する気はなかった。
 帰化人は、日本に骨を埋める覚悟で天皇に忠誠を誓い、日本の発展に多大なる貢献をした外国人の事である。
 百済系は、主に西日本などに移住し、政治、経済、外交、産業、農業などの国家機構の整備で才能を発揮した。
 高句麗系は、主に東日本などに定住して軍事や畜産などで地域を開発し、天皇に反旗を翻す古代氏族や渡来系武装集団と戦った。
 東国の高句麗帰化人と西国の百済帰化人は、王国の滅亡と共に追放された祖国・朝鮮半島への望郷の念に痛哭しながら、いつかは新羅王朝を倒して郷土に帰り祖先の墓に詣でる事を誓った。
 亡国の民となった彼らは、その想いを果たす事を最大の課題として天皇に忠誠を誓い、名前を古代朝鮮姓から日本風に創氏改名した。
 亡国の民の「回帰の怨念」が、日本民族の潜在意識の一つとなって心に暗い影を宿した。それが、日本人の半島侵略願望を生んだ。
 鮮日同祖論とは、そういう事である。
 もし、日本の朝鮮侵略を犯罪とするならば、鮮日同祖論を科学的論理的に完全否定すべきである。
 815年(第52代嵯峨天皇の御代)の『新撰姓氏録』に記載された1,182氏のうち、帰化氏族は326氏であった。
 日本の「姓」は、天皇から下賜されたもので、氏族の名である。氏族から分家した者は、各地で個々に家を起こし、家名として「苗字」を自分で名乗った。
 1841年 明治政府は、姓を廃止して苗字のみとした。
 ちなみに、
 現代の日本の姓は30万以上あるといわれているが、その中に半島出身者の血が確実に流れている。
 中国の姓は、約3,000といわれている。
 韓国・北朝鮮の姓は、全てが、歴代中国皇帝から賜ったもので、200程度といわれている。
 日本の姓は、日本独自のものが大半で、中国はもとより朝鮮との縁は少ない。
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 帰化系日本人とされる人物 … 秦河勝(大避神社・原始キリスト教徒・中東人かユダヤ人。中国人でも朝鮮人でもない)。坂上田村麻呂田村神社)。和気清麻呂和気神社)。柿本人麻呂柿本神社)。山上億良。百済王族(百済王神社)。高句麗王族(高麗神社)。新羅人新羅神社)。行基(大菩薩)。鑑真(大和上)。最澄伝教大師)。法然(円光大師・明照大師)。その他。
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 近江の穴太衆は、大陸の石積み技術を持って日本に帰化した集団であった。
 古代においては、古墳の石室などを手かげていた。
 戦国時代の築城における石垣は、日本独自の工夫がされ、実戦向きであり芸術品であった。
 朝鮮における城塞の石垣は、独自性がなく、中国の影響が強かった。
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 A級戦犯東郷茂徳キリスト教徒、夫人はユダヤ人)は、豊臣秀吉朝鮮出兵で日本に強制連行された陶工の子孫で、日本に帰化した朝鮮系日本人であった。死亡後は、靖国神社に祀られた。
 朴春琴(パク チュングム、ぼく しゅんきん)は、在日朝鮮人でありながら、国政選挙で日本人の支持を受けてに当選して衆議院員議員を2期務めた。
 洪思翊は、朝鮮人であったが、陸軍中将まで昇進して日本軍を指揮した。戦犯として処刑されて、靖国神社に祀られた。
 李参平は、日本に強制連行され、死亡後は陶山神社に祀られた。
 帰化した朝鮮系日本人は、日本人による差別や迫害に負けず、各方面で日本人以上に活躍していた。
 日本の発展は、彼等に負うとこが多く、彼等がいなかったら現代の日本は存在しなかったかもしれない。 
 天皇の臣民・日本人は、大元帥天皇に忠誠を誓う帰化人は差別しなかったが、国家元首天皇への忠誠を拒否する渡来人は差別した。
 日本人の朝鮮人への差別感・蔑視感は、日本民族として神の裔・天皇への態度で決まった。
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 帰化人に関係する神社 … 白髭神社、白城神社、寒川神社、八坂神社、稲荷神社、白山神社三島大社大国魂神社箱根神社八幡神社平野神社赤城神社、漢国神社、高石神社、妙義神社王子神社宇治神社、高向神社、出雲大社氷川神社宇佐神宮熊野那智大社伏見稲荷大社調神社浅草神社上賀茂神社下鴨神社、木島神社、貴前神社、若狭神社、気比神宮金山彦神社、尾上神社、諏訪大社、その他。
 日本民族の神社とされるのは、極論すれば、皇室に関係する天孫系神社のみである。伊勢神宮橿原神宮白峯神宮赤間神宮吉野神宮平安神宮明治神宮近江神宮、その他。
 その神々は、高天原から降臨した「天つ神」である。天皇神・天皇霊と民族神・民族霊が一体化している為に、永遠の命を持って、死ぬ事はないとされている。
 天つ神は、「命と血」を通して、万世一系男系天皇(直系長子)の「心と志」と共に存在している。万世一系男系天皇(直系長子)がいなくなれば、「命と血」が絶えて天っ神の消滅する。それが、日本の天皇神話である。
 それ以外の神々は、土着した「国つ神」である。日本人の家・家庭・家族の氏神・祖先神である為に、氏子と崇敬者とその土地に住む住民が、真摯な心で協力してまつり盛り立てなければ死滅し、消滅するとされた。
 それが、国際派日本人とマルクス主義者日本人が嫌悪し破壊しようとしている、古代日本人の民族信仰である。
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 弓削道鏡(法王、弓削神社)は、女帝・第46代孝謙天皇の愛人で、女帝の「愛」を根拠にして天皇の位を要求した。道鏡は、臣下として、君臣の分を越えようとしたのである。一説に、道鏡は渡来人の子孫とされている。
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 渡来人は、「徳」至上主義の基で「禅譲」と「放伐」を信奉していた。
 渡来人の大半は、日本の仮想敵国である新羅からの移住者である。
 新羅人は、すぐに人を信じる「お人好し」の日本人が最も不得意とする、陰謀や謀略や諜報と言った「謀」の才能に長けていた。
 日本に渡来してきた新羅系とは、帰化系の様なエリート集団ではなく、半島では暮らせなくなった貧農や犯罪者や兵隊崩れなどの食い詰め者か、或いは日本征服的目的で潜入した工作員であった。
 新羅出身者は、古代朝鮮姓(多字姓)を獣の姓として捨て、中国姓(一字姓)に改名して国際化(中国化)していた。そして、多字姓(日本姓)にこだわり国際化できない日本人を野蛮人と見下していた。
 新羅系渡来人のみは、固有の民族性を守り日本人に同化・帰化する事を拒絶し、天皇への忠誠を誓わず、日本に愛着を持たず、勝手に東国各地に武装移住して自分の利益の為に生活を始めた。
 半島との独自の交易で一般的日本人より豊かな生活を享受し、国内国家的に天皇と日本に頼ることなく自活していた。
 渡来人の最終目的は、朝鮮人として日本から独立する事であった。
 「郷に入っては郷に従う」式の没個性的日本式水平思考の処世術を嫌い、「相手の権利を低めて最小限に押さえ込み、自分だけの権利を高めて最大限に強要し、脅迫する」という個性的中国式垂直思考の処世術を貫いた。
 それを、相手に悟られない様に押し付けるのが大陸式の生き方であった。
 自己中心的な彼らが一番嫌う言葉が、没個性的な集団主義の「世の為、人の為」「自分を犠牲にしても社会に尽くす」であった。
 「個」人優先の朝鮮系渡来人らにとって、大事なのは自分一人であり、守るべきものも自分一人であった。
 日本人などは最初から眼中になく、日本人の生死などは一斉考慮しなかった。
 朝鮮人独立運動は、平安初期に活発化し、各地で暴動や内戦を起こしていた。
 渡来人は、祖先神信仰としての神の裔・天皇を殺そうとしていた。
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 日本支配への願望は、捨てがたい朝鮮人の深層心理である。
 朝鮮王朝が、万世一系男系天皇制度(直系長子相続)日本を支配できるか?
 それは不可能である。
 なぜなら、中国中心の正統派儒教価値観による虐殺文化である、「徳」至上主義の「禅譲」と「放伐」を正当化しているからである。
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 朝鮮の歴代王朝は、地方王朝の百済王朝を滅ぼし、百済王族を皆殺しにし、百済王国の臣民を大虐殺し、古代朝鮮式多字姓の百済人を朝鮮半島から追放した、中国式一字姓新羅王朝の後継者を任ずる事で統治権の正統性を主張していた。
 新羅は、百済高句麗儒教的「王道」を踏み外して「徳」を失ったから、天の子である唐皇帝の承認を得て討伐し、朝鮮を統一して「徳」を回復したとしている。
 韓国・朝鮮の主要宗族は、新羅王朝の中国式一字姓を持った約200の貴族出身とされている。庶民の中国姓は、高麗王朝時代に国王から賜ったとされている。李氏朝鮮時代には、朝鮮人の大半が身分に関係なく中国式一字姓を持っていたとされている。その比率は、同時代の日本よりも多いとされている。
 ちなみに、中国の姓は多字姓で約3,000とされている。
 新羅人を朝鮮・韓民族の正統な祖先とする以上は、新羅人によって武力で半島を追い出された百済人と遊牧民族姓を持った高句麗人が、歴代天皇に忠誠を誓う帰化人となって造った日本の支配者にはなれない。
 新羅朝鮮人が、国家元首である天皇に忠誠を誓わず、日本の政治家や官僚や軍人となって日本人の上に立ち命令を下す事は、歴史的事実として朝鮮の日本侵略である。
 歴代天皇サムライ日本人は、百済人と高句麗人に恩義を感じ、彼等の仇敵である新羅との友好を拒絶し、国交を断絶して、人的交流を制限した。
 追い出した勝者の子孫が、追い出された敗者の子孫が築き上げた生活空間を奪うのは、明らかな犯罪である。
 追い出された敗者の子孫が、奪われた祖先の故地を回復する事は、果たして犯罪になるのか? である。
 世界史・大陸史・人類史は、追い出された子孫が、追い出した子孫を攻撃し、奪われた祖先の土地と名誉を回復する事は合法で正当な行為と認めている。
 その好例が、約2000年後に、ユダヤ人が建国したイスラエルである。
 朝鮮と日本は、逃れがたき宿命を背負った敵であり、一度も対等な関係での同盟を組んだ事はない。両国間の海峡は、友好ではなく、大量の血が流された怨念渦巻く海峡である。
 儒教の「徳」至上主義からすれば、日本は「徳」なき敗者が建国した蛮族の国であり、日本人は王道を行く朝鮮に弓を引く裏切り者・犯罪者でしかなかったのである。
 渡来人は、自分が生きやすい様に日本を新羅・朝鮮化しようとし、けっして日本人の為の日本にはしようとはしなかった。天皇への忠誠心がないだけに、日本を唐・中国の属国にしようとし、日本人を唐・中国の下層民か奴隷にしようとした。帰化を嫌った渡来人は、日本人を野蛮人と軽蔑し、真っ当な人間とはみていなかった。
 渡来人は口々に、「日本は日本人だけの日本ではなく、そこに住む全ての人の土地である」と主張する。つまり、日本の指導者・天皇は、日本国籍を所有する日本人ではなく、日本という土地に住む実力・能力のある優秀な人物がなるべきであると。
 渡来人は、閉鎖的硬直的な血筋・血統・皇統を優先する神の裔・万世一系男系天皇制度(直系長子相続)を破壊し、中国の様な開放的柔軟的な「徳」を重視する人物優先制度を導入して、非日本人でも天皇に即位できるようにしようとした。渡来人は、血筋を神聖視する祖先神・氏神・現人神信仰の日本人を、徳も道徳もない教養なき野蛮人・未開人と決めつけていた。
 彼等の、真の目的は、日本を欲望抑制型の神話的霊力天皇の呪縛から解放し、中国の様な自由で勝手気ままな欲望解放型の人間社会にする事であった。
 自然の流れとして、日本人は東アジア人として、欧米化ではなく中国化しやすい性質を持っている。
 儒教的「徳」とは、実力・能力を備えている事である。
 指導力とは、聖人君主の様に「道徳」を実行できる事である。
 正統派儒教から、中国皇帝と同格を主張する日本天皇を朝鮮国王の下位に置き、日本天皇を「日本国王・日王」と侮辱した。
 そして、同父異母間での近親結婚を繰り返し、姓の違う宗族から養子を取って跡取りとし、女性を玉座に就けるなど、儒教価値観に反する蛮行を繰り返していたがゆえに、軽蔑し差別していした。
 歴史的事実として。日本の周辺には、日本を理解してくれる友好国はかったし、日本に味方してくれる同盟国もなかった。
 日本は、東アジア世界では信頼されていなかったし、好かれてもいなかった。
 日本は、何時の時代でも、周囲を敵に囲まれた四面楚歌の孤独な状態にあった。
 そして、国内にはいつ反乱を起こすかわからない渡来人が多数入り込んでいた。
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 大和王朝は、百済王朝と同族とする説がある。
 そして、
 天皇家・大王家は、朝鮮人とされている。
 とんでもない暴論であり、悪意に満ちた暴説である。
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 朝鮮は、中国の永遠の属国として、中華皇帝に任命されて正統な国王となり、国内を国際的中国化する為に中国の思想・文化・制度を無条件に変化させずにそのまま導入した。
 日本は、本音で中国の臣下として属国になる事を嫌って冊法体制を拒否したが、中国や朝鮮に比べてはるかに文明度が低かった為に、建前で中国皇帝に朝貢して中国の思想・文化・制度を積極的に取り入れた。
 だが。大陸的な中国や朝鮮とは違う島国日本としては、日本の風土には馴染まない点が多々あった為に変化させて根付かせ、どう手直ししても日本化できないモノは完全排除した。
 日本は、朝鮮とは違って、独自性を貫く事で国際的中国化を拒絶し、大陸化を回避した。
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 中国化とは、欲望を持った人間にとっては理想社会であり、社会が地獄となる早道である。
 どんなえげつない事をしても自分一人が生き残り、どんなに汚い事しても自分一人が富を独占する。
 それが、東アジアの価値観である。
 そこには、日本の価値観は存在しない。
 現代日本は、中国化しつつある。 
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 日本文明の神道国家日本と中華文明の儒教国家中国及び朝鮮は、全く異質な存在である。
 神道価値観は相互補完共生で、儒教価値観は上下従属共生である。
 それは、水と油の関係である。
 漢字文化圏は、単ある漢字を使用するだけの関係で有り、日本は関係がない。
 なぜなら。日本は、漢字以外に、ひらがな・仮名・ローマ字など多様な文字言語を使用している。
 文字言語に価値観があるとすれば、日本文明は多種多様な価値観を複雑に内蔵している。



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