🗾22〕─2─海を渡った縄文の特産品・加工品。天然アスファルト。琥珀。翡翠。黒曜石。~No.67No.68No.69 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 偶然と幸運と勢い(判断を誤っても上手くいった)。
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 南方系海洋民である縄文人は、海を川のように利用し、巧みな航海術で南から北へ、北から南へと移動して生産品・加工品を運んで活発な交易を行っていた。
 縄文人の移動・交易範囲は、日本列島を中心として南は台湾・沖縄・揚子江河口部から北は北方領土・千島列島・樺太、西は朝鮮半島南半分までである。
 その範囲に縄文人が住み、生産した特産品・加工品を船に乗せ遠くに運んで交易をして生活していた。
 それが、数万年前から約3000年前までの日本列島であった。
 日本民族日本人は、その縄文人の子孫である。
 縄文時代の宗教的遺産が、日本神道である。
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 黒曜石。
 3万年前 関東在住の縄文人は、伊豆七島まで船を出し、神津島で黒曜石を採掘して持ち帰っていた。
 縄文人達は、黒曜石はナイフとして使用した。
 ウィキペディア
 アメリカ合衆国オレゴン州レイク郡で採取された黒曜石
 黒曜石(黒耀石)(こくようせき、英: obsidian)は、火山岩の一種、及びそれを加工した宝石。岩石名としては黒曜岩(こくようがん)という。
 性質・特徴
 外見は黒く(茶色、また半透明の場合もある)ガラスとよく似た性質を持ち、割ると非常に鋭い破断面(貝殻状断口)を示すことから先史時代より世界各地でナイフや鏃(やじり)、槍の穂先などの石器として長く使用された。日本でも後期旧石器時代から使われていた。当時の黒曜石の産地は大きく3つに分かれており、その成分的な特徴から古代の交易ルートが推測できる。
 産出地
 北朝鮮と中国の国境にある白頭山でも産出があり交易されていたことが知られている。
日本における産出地

 火山活動が活発な日本であるが、流紋岩は酸性岩であり火山の多くが爆発的噴火をして火山灰やデイサイトとして拡散してしまう。そのため急冷されてガラス質になる条件が必要な黒曜石は特定の場所でしかとれない。日本では約70ヶ所以上が産地として知られているが、良質な産地はさらに限られている。後期旧石器時代縄文時代の黒曜石の代表的産地としては北海道遠軽町旧白滝村)、長野県霧ヶ峰周辺(和田峠)、静岡県伊豆天城(筏場や柏峠)、熱海市上多賀、神奈川県箱根(鍛冶屋、箱塚や畑宿)などの山地、海水に接して急冷される機会があった島嶼では、東京都伊豆諸島の神津島・恩馳島、島根県隠岐島大分県の姫島、佐賀県伊万里市腰岳、長崎県松浦市の牟田、同県佐世保市の東浜と針尾、同県川棚町の大崎などが知られる。このうち、姫島の黒曜石産地は、国の天然記念物に指定されている。
 黒曜石が古くから石器の材料として、広域に流通していたことは考古学の成果でわかる。例えば、伊豆諸島神津島産出の黒曜石が、後期旧石器時代(紀元前2万年)の南関東の遺跡で発見されているほか、伊万里腰岳産の黒曜石に至っては、対馬海峡の向こう朝鮮半島南部の櫛目文土器時代の遺跡でも出土しており、隠岐の黒曜石はウラジオストクまで運ばれている。また北海道では十勝地方も産地として非常に有名で、北海道では現在でも「十勝石」という呼び名が定着している。
 栃木県北部にある活火山・高原山を構成する一峰である剣ヶ峰が原産の黒曜石を使用した石器が矢板市より200km以上離れた静岡県三島市や長野県信濃町の遺跡で発見され研究が進められている。産出時期は古いものでは石器の特徴より今から約3万5千年前の後期旧石器時代と考えられており、その採掘坑遺跡(高原山黒曜石原産地遺跡群)は日本最古のものと推定されている。氷河期の寒冷な時期に人が近付き難い当時の北関東の森林限界を400mも超える標高1,500m近い高地で採掘されたことや、従来の石器時代の概念を覆すような活動・交易範囲の広さ、遺跡発掘により効率的な作業を行っていたこと等が分かってきて注目が集まっている。またこの新しい発見により日本人の起源、人類の進化をたどる手掛かりになるという研究者の発言も報道もされている。
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 2018年6月20日 読売新聞「縄文人天然アスファルト『精製』
 道路に用いるアスファルト。約4000年前の縄文人天然アスファルトを集め、『精製』して純度を高め、容器に入れて広く交易していた実態がわかってきた。狩猟道具作りなど縄文人の生活に欠かせなかったアスファルトの研究は、縄文時代の交易全体を考えるうえでも役立ちそうだ。(文化部 辻本芳孝)
 接着力に注目、東北などで流通
 『縄文時代も、地表に現れた分を集めたのでしょう』。秋田県能代市二ツ井町駒形の鉱山で、貝埋蔵文化財センターの加藤朋夏・文化財主査が砂礫(されき)層からにじみ出る黒いものを指した。濃厚でネバネバし、手で触れるとなかなか拭き取れない。現在は原油を精製してできるアスファルトを使うが、明治以前は、原油とともに産出する天然ものが使われていた。
 その北東約2キロの台地上の烏野上岱(からすのうわたい)遺跡では、収集した天然ものを精製したとみらる竪穴建物の工房跡が発見されている。工房跡の炉に据えられた三つの土器の中に、純度が高いものなど精製度合いがまちまちのアスファルトが残っていた。加熱すると悪臭が出るからか、工房は集落の外れにあったようだ。
 こうしたアスファルトの原産地は東日本の日本海側に集中し、新潟でも、その近くで精製遺跡が見つかっている。精製された完成品は土器に入れたり、布や笹(ささ)に包まれたりして運ばれた。消費地の一つ、岩手県一戸町の御所野遺跡は日本海から東に約90キロ離れている。アスファルトをヘラですくった跡が残る大型土器片が出土しており、同町教委の菅野紀子・文化財主任は『土器片をパレットにして熱を加えてアスファルトを溶かし、道具の接着などに使ったのでは』と語った。
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 縄文時代、岩手のコハクや新潟のヒスイ、南西諸島の貝製腕輪などの『希少品』は広く交易されていた。同様に、〝製品化〟されたアスファルトが『加工材料』としてどう流通していたかを解明しようと、北海道、東北地方、新潟県文化財担当者らが2013年に研究会を作り、調査してきた。
 研究では、各管内の遺跡の遺物を調べ直し、計約1,100か所で出土した漁労具や石器などにアスファルトの痕跡を確認。青森、秋田、岩手には各200遺跡以上あり、北東北での使用が盛んだったと推測された。
 研究会が注目したのは、使用される前のハンバーグ大の塊だ。内陸部や太平洋沿岸部で出土し、希少品と同じ場所で見つかる例もあり、交易ルートに乗って流通したようだ、
 日本海側から太平洋側に向かう流れに加え、従来の想定とは逆に、北海道から本州に流入した可能性も見えてきた。函館市の海岸近くの遺跡で多くの塊が見つかったが、使用された道具の出土は少なく、近くで原産地も見つかったからだ。ここで集積され、北海道北部で採れた黒曜石などと一緒に津軽海峡を越えたのかもしれない。
 重宝された理由は、強力な接着力だ。漆なども接着に用いられたが、アスファルトは防水性が高かったのも魅力だったようだ。槍先や石器の手持ち部分のほか、骨角器のモリやヤス、魚を捕る網のおもりの固定に利用された。
 また、土器や土偶の補修にも使われた。国宝の『合掌土偶』(青森県)にも手や足をアスファルトで接着した跡があった。このほか、秋田県の漆下遺跡では、漆との混合物を入れた小型土器が多数発見された。黒色を出す顔料として用いられていたようだ。
 この万能さが愛されたのか、副葬品として埋められた墓も見つかっている。
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 研究会は、天然アスファルトを土器で加熱し、精製する実験も行った。油分を揮発させ、不純物を取り除いたうえで、おき火でじっくり加熱すると純度がゲル状になると実証できた。
 遺跡に付着したアスファルトがどの原産地で採れたものかを成分で判別する試みも進む。弘前大の上條信彦准教授(考古学)は『硫黄同位体に基づき、北海道、秋田、新潟のアスファルトを判別できれるデータがそろってきた。当時は同じ交易ルートで様々な物が動いたと考えられ、この研究は、物流全体の解明にもつながる』と期待している。」
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 縄文は、文化であって文明ではなかったが、文明に発展する要素が内在されていた。
 縄文文化は、揚子江文明系海洋民混血児の移住で水田稲作文化を受け入れ、更に揚子江文明系弥生人の移住で弥生文化に変化した。
 朝鮮半島から、黄河文明系北方草原の民が麦作文化を持ち込んで弥生人倭人となり、そして日本人となった。
 日本民族日本人は、揚子江文明の流れを濃く受けた日本文明を築いていった。
 その象徴が、天孫降臨神話を正統性とする日本神道と日本天皇である。
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 中華文明には、北の強い黄河文明と南の弱い揚子江文明の二つが存在したが、揚子江文明は黄河文明の侵略で滅亡した。
 日本文明は、黄河文明とは違う文明である。
 日本文明・揚子江文明と黄河文明の関係は、戦争を繰り返したエジプト文明とチグリス・ユーフラテス文明に似ている。
 黄河文明は、草原地帯の騎兵・遊牧民文明と河川周辺地帯の歩兵・農耕民文明に分かれる。
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 揚子江文明は、周囲に戦争・競争する文明がなかった為に平和的で消極的で穏和・温厚であった。
 黄河文明は、北方の騎馬・遊牧民と南方の歩兵・農耕民との間で戦争を繰り返してきた為に積極的攻撃的好戦的であった。
 黄河文明系は、火のように、騙される人間が悪いという性悪説であった。
 揚子江文明系は、水のように、騙す人間が悪いという性善説であった。
 性善説に立つ日本人は揚子江文明系日本文明系であり、性悪説に立つ日本人は黄河文明系である。
 その意味でも、日本天皇・日本神道黄河文明系ではなく揚子江文明系であり、日本民族日本人も揚子江文明系に属す。
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 朝鮮は、両文明に挟まれ絶えず戦争に巻き込まれたアラビア半島西部の地中海沿岸地帯に似ている。
 朝鮮が両文明から侵略され征服されるのは、避けられない宿命であった。
 朝鮮を巡って戦争をしたのは、日本文明と黄河文明ではなく、騎馬・遊牧民文明と歩兵・農耕民文明である。
 そして、両文明が衝突する度に朝鮮人は戦争難民として日本に逃げ込んでいた。
 大量の朝鮮人難民を無条件で受け入れてきた日本は、非難されるどころか感謝されて当然である。
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 日本文明の成立に関与した朝鮮は、親日派知日派百済高句麗・古新羅で、それ以外の朝鮮は無関係である。
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 現代の中国人特に漢族は黄河文明の子孫で、揚子江文明系日本文明とは関係がない。
 日本文明の完成に協力したのは、西方遊牧民族系異民族征服王朝である隋と唐であった。
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 日本民族日本人と血が濃く繋がる親戚は、揚子江以南の山岳地帯に住む少数民族であって、黄河文明の子孫である漢族系中国人でもないし朝鮮人でもない。
 日本民族日本人が親近感を持って親しむべきは、漢族系中国人や朝鮮人ではなく、迫害され虐げられた貧しい揚子江文明系少数民族である。
 ましてやユダヤ人など関係ない。
 それでも他者を考えるべきだとするなら、考える他者は人類の原始に直結しているアフリカ人である。
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 日本民族日本人の原初の祖先は、南方海洋民であった。
 日本民族日本人は、混じりけなしの純血種ではなく、雑多な血が混じり合った混血の雑種民族である。
 偉くもなければ賢くもなく、ただ、自然と共に生きていただけである。
 
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