☯15〕─1─事大主義は朝鮮民族の宿痾である。中国人になれなかった事が、朝鮮人の「恨」と「怨」であった。~No.33No.34No.35 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 何故。韓国人・朝鮮人は、祖先からの古代朝鮮姓名を捨てて中国姓名に創氏改名したのか。
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 朝鮮人は、中国人になりたかった。
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 明国と清国の属国であった李氏朝鮮時代は、最も惨めで、最も貧しかった時代である。
 誇りも、名誉も、一切合切なかった悲惨な時代であった。
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 李氏朝鮮は、鉄壁な鎖国政策を実施する為に、自由に店を構えて商いをする商人を徹底的に抑圧する「抑商政策」を採用し、許可を得ずに金を稼いだ商人や指定された市場以外で商いをした商人は捕らえて厳罰に処した。
 民衆を、生きるか死ぬかの飢餓線上に追い遣り、今日一日生きるに精一杯な貧困生活に落とす事で反抗心と向上心及び向学心を積み、518年という長い王朝時代を築いた。
 2015年11月号 歴史通「まるでインカ帝国なみ・・・古代に回帰する韓国
 古田博司
 李朝の場合、朝貢使節に特権商人が2、300人ついていって、宮中と官庁のために、絹織物、筆、墨、ハサミ、刀、針などを買い付けてくる。ものづくりをする発想も意欲もないから、自分たちでは針一本つくれなおのです。
 買い付けには対馬貿易で仕入れた日本の銀を使った。ところが対馬貿易から長崎貿易に移って、銀が朝鮮半島に入らなくなると、紅人参を持っていって、北京の両替商で金に換えるようになります。朝貢というのは、何もシナの文明を慕って遠路はるばる行くわけではない。ものが買えるし、ご褒美がもらえるから、民衆を貧困と飢餓に置き去りにしたまま、特権階級のエピゴーネン(追随者)たちがシナにショッピングに行く。これが朝貢の意味です。
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 朝鮮半島というに『廊下』あっては、交易を国家が独占する李朝北朝鮮のやり方が理にかなっているのです。この閉鎖的な防衛経済体制を理論武装したのが李朝では朱子学であり、北朝鮮の場合は主体(チュチェ)思想でした。
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 古代化する韓国
 近代を支えていたものが次々と崩壊して、韓国は古代に回帰していると言いましたが、そもそもわずか150年前まで、中国も朝鮮も古代国家でした。中世の封建時代を経ずに、古代から直接近代に移った国々です。韓国はそのことを認めませんが、韓国に封建制なんかあったわけがない。封建社会には各地方に領主がいましたが、中国でも朝鮮でも王宮は一つだけ。地方の土地もすべて王土(おうど)でした。これが古代国家の大きな特徴です。
 世界史では、土地の所有権が発生するのは中世からで、日本の場合で言えば武士と貴族が土地争いをしたのが中世初期の姿です。ところが、李朝などは山まで王土で、山に入ってはいけないことになっているのに、見張りもいないから、みんな勝手に出入りして、いつの間にかはげ山になった。日本が統治時代に植林したのに、今はまたはげ山になっている。北朝鮮なんかは鉄道の枕木まで持っていきます。韓国では所有観念が弱いので、今もって借りたものを返す習慣がうまく定着していない。ハサミとかハンカチを貸すと返ってきません。貸す時には捨てたと思ってあげてください。
 植民統治時代に、韓国は日本に収奪されたなどと、とんでもないことを言いますが、収奪できるものなど、半島には何一つなかった。行ってみたら中世ではなくて古代だったから、古代社会を近代化させるため、逆にすべて日本の持ち出しです」
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 朝鮮の伝統文化とされる「恨」とは、中華帝国に侵略され甚大な被害を受けようとも、中華世界の下位国という自己卑下から、見捨てられる恐怖ゆえに見せるいじましいほどの「甘え」である。
 その心情は、強面で乱暴ではあるが頼りがいのある男性に恋い焦がれる乙女の純情さ似ている。
 片思いの男に振り向いて貰いたいが為にみせる、切ない少女の「溜息」である。
 朝鮮は、「恨」の感情で、何でも許してくれる「優しい支配者」を求めていた。
 「恨」とは、自分が本来いるべき場所や地位に就けない事への無念さ、悔しさ、もどかしさの感情であった。
 朝鮮人の本心は、優秀な中国人となって劣等な日本人を支配する事であった。
 中国人になれなかった事が、恨であった。
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 2014年7月3日 中国共産党習近平国家主席は、韓国を訪問して朴槿恵大統領と首脳会談を行い、戦略的パートナーとしての関係を充実させる事で合意した。
 韓国は、日本より中国との関係強化を図る政策に重点を置いた。
 中国共産党政府も、軍事及び経済から日本を包囲し追い詰める為に韓国との協力関係を望んだ。
 韓国と中国共産党政府は、日本との対立を鮮明にした。
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 文藝春秋。SPECIAL 2014季刊秋号
 「『世界三大戦略家』が予言、牙を剝いた大国の運命
 それでも中国は自滅を止められない
 広がる中国包囲網。戦略オンチの大国に未来はあるか
 エドワード・ルトワック戦略国際問題研究所(CSIS)上級アドバイザー)と奥山真司
 ルトワック「私は、韓国が中国の『天下』に入りつつあると書きました。そう予測した原因は、韓国の人々、外交や経済などの当局者達が、すでに何年も前から怖がっている少年のような目で中国を見ていたらです。それでいて彼らは、中国の脅威を訴えるのではなく、逆に中国が慈愛に満ちた存在であるかのように描き出しています。韓国の主要紙を読むと、中国が怖い存在ではないというエピソードをしきりに報じています。これは、いうなれば『先回りしたストックホルム症候群(被害者が行動を共にした犯人に感情移入し、親和的な状態になってしまうこと)』というべき特殊なメンタリティなのです。
 ヨーロッパには数多くの小国があります。ドイツやスウェーデンのような大国の支配の前に、フィンランドノルウェーデンマークルクセンブルク、そしてベルギーのような小国たちが存続できたのは、これたの国が『タフに戦う姿勢を見せれば、小国でも独立を維持できる』『独立のためにはいかなる犠牲もいとわない』という文化的精神をもっていたからです。
 ところが韓国の文化的精神は、それとは全く反対です。彼ら『やさしい支配者』を求めている。そして、もしそれが実在しなければ頭の中でそれを作り上げてしまうのです。
 もし朴槿恵大統領が、ノルウェーフィンランド、それにイスラエルのような国のリーダーならば、北京に行って机を叩きながら、『北朝鮮の狂った男に武器を与えるのをやめなさい!』と言うはずです。しかし、実際に彼女が求めたのは、ハルビン駅に伊藤博文を暗殺した人物の記念館を建設することでした。北朝鮮──中国間は毎日、列車が行き来し、金正徳政権維持に必要となる物資を運搬しているのですが、そんなことは全く存在しないかのような振る舞いだったのです。
 韓国と北朝鮮、この二国に関して言えるのはまったく状況が変わらないことです。何度言っても躾が身につかず、カーペットにおしっこしてしまう子犬のようなもので、常に同じことの繰り返しです。北朝鮮が韓国からもっと資金が欲しいと思った時には、カーペットのおしっこ、つまりトラブルを起こします。韓国側はこのような行為に対して激怒したかのような公式声明を発表しますが、少し落ち着くとすぐに送金し始め、開城市で工場を開設したりするのです。自国民が砲撃されたりして殺されても、韓国側は絶対に報復しません。これは世界中のどこでもありえないことです」
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 2016年6月号 Hanada 「隣国のかたち 室谷克実
 『半島』と『島国』の韓国学
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 『半島』の語源とは
 振り返れば、ソウルの特派員から日本に戻り、『魏志』や『三国史記』(朝鮮半島に伝わる最古の史書、『三国志』とは別物)を読み始めてから、漢和辞典を牽(ひ)く機会が増えた。そのおかげで、『半島』という文字について、思いもよらなかった知識を得た。
 博学の読者には『そんなことも知らなかったのか』と笑われてしまうだろうが、敢えて書く。
 『半島』という熟語は、中国にはなかった。江戸時代に、日本の蘭学者が『ペニンシュラ』の訳語として考案したのだ。
 『ペニンシュラ』とは、PEN+ISLANDから成る。つまり、海に向かってペンのように突き出した土地のことだ(ペニンシュラをPENISに由来するというのは俗説)。これを『突地』『出地』などとはせず、『半島』とした。素晴らしい感性だ。
 江戸時代に日本でできた言葉なのだから当然のことだが、『魏志』にも『三国史記』にも『半島』という熟語は出てこない。『遼東』あるいは『遼東の地』であり、『遼東半島』はないのだ。
 韓国は戦後来、『日帝残滓(ざんし)追放』『倭色一掃』を国策に掲げてきた。いまも『国語芳醇(ほうじゅん)化』の名の下で、時として『追放すべき日本製熟語・ジャパニーズイングリッシュ』のリストを新聞紙面に載ったりする。
 ならば、韓国人は日本人に向かって『朝鮮半島ではなく、韓半島と言え』と要求する前に、自ら『半島』という倭製熟語を追放するべきなのではないのか」





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