☯15〕─1─清国は、李氏朝鮮との宗属関係を保護属邦関係・主従関係に変更するべく圧力をかけた。~No.36No.37No.38 @ ⑤ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 マルクス「今日まであらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である。
 自由民と奴隷、都市貴族と平民、領主と農奴、ギルドの親方と職人、要するに圧制者と被圧制者は常に互いに対立して、ときに暗々のうちに、ときには公然と、不断の闘争を行ってきた。この闘争はいつも、全社会の革命的改造をもって終わるか、そうでないときには相闘う階級の共倒れをもって終わった」
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 西洋の公娼制度は、性病予防として19世紀に確立され、ヨーロッパ諸国の軍隊は兵士相手の売春施設「慰安所」を設置した。
 慰安所は、軍隊と民間業者の二つが経営管理するものに分かれ、軍管理が従軍慰安婦所に発展した。
 日本軍は、ヨーロッパの慰安所を真似して各地の駐屯地に設営した。
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 19世紀前半、欧米の地図には「日本海」という名称がすでに存在していた。
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 日本と朝鮮は、隣国であったが国交はなかった。
 両国は近づかない方が、お互いにとって幸せであった。
 無理して近づこうとすると、お互いに不幸になる。
 日本と朝鮮は距離を置いて、お互いに離ればなれにあったが幸福である。
 日本と朝鮮は、心と心を交わし合う事は有り得ない。
 心と心を通わして、お互いの距離を縮める事は。不可能である。
 それが、両国の歴史である。
 その事が理解できないのは、日本の愚かな所である。
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*動乱の東アジア諸国
 日本にとって、ロシア・ソ連は獰猛な前門の虎であり、中国は狡知に長けた後門の狼である。
 朝鮮は、日本にとって、隙あらば喉仏に食らい付こうとしている奸知の長けたジャッカルかハイエナである。
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 メッケル少佐「朝鮮半島が日本の脇腹に突き付けられた刃である」
 フォン・デル・コルツ元帥「軍事的に弱体な国家が武装国家に隣り合わせると、戦争は避けられない」
 J・C・フラー少将「国家の安全保障力が不十分であると、それはもっと基本的な戦争の原因となる。とりわけ周辺国が軍事的であれば、その傾向が強い」
 マッキンダー「島国が大陸国家と対峙する場合には、その中間にある半島部分を大陸国家に支配されない事が重要だ」
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*属国朝鮮の支配を正当化する清国=中国   
 清国の法規集の一つである『嘉慶法典』(1818年)は、朝鮮、琉球(沖縄)、ベトナムラオスビルマ、シャム(タイ)を朝貢を行う属国とし、日本と東南アジアの小港湾都市国家を貿易関係を持つが朝貢を行わない国と定めていた。
 清国は、仮想敵国日本の大陸進出を防ぐ為に、李氏朝鮮との宗属関係を保護属邦関係に強化するべく圧力をかけた。
 一部の革新派は、『朝鮮善後六策』に基づき、朝鮮を中国領の一部に編入して朝鮮省を設置しようとした。
 儒教価値観を神聖視する朝鮮人は、儒教を基にして、朝鮮が中国領になる事に賛成した。
 東アジア諸国は、西洋キリスト教列強の侵略に対抗する為に、儒教を共通価値観として一国に団結しようとしていた。
 事実。広大な中国は、多民族国家で、多種多様の価値観で分裂していたが、儒教価値観で一国に統合されていた。
 李鴻章の部下である呉長慶提督は、朝鮮農民の反乱を鎮圧するという名目で増派して、日本よりも優位な立場を確立すべきであると進言した。
 中国は、西洋的に近代化する日本をアジアの裏切り者と憎悪し、日本を討伐する為に満州と朝鮮の軍事要塞化を急いだ。
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 日本は、ロシア帝国の南下を阻止する為に朝鮮半島を防塁とすべく、清国からの自主独立を期待した。
 日本の万国法にもとずく日本一国の国際化と、清国の儒教価値観によるアジア全体の中国化は、戦争を起こす運命にあった。平和的な話し合いなど、不可能であった。
 朝鮮の歴代王朝は、国家の安定を維持する為に宗属関係を国是とし、事大主義から中国の歴代王朝を天朝として絶対服従を誓っていた。
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 朝鮮は、古代から万世一系男系天皇(直系長子相続)が支配する倭国・日本を敵と認識し、万世一系男系天皇(直系長子相続)を支配者として推戴する倭国・日本を滅ぼそうとしていた。
 朝鮮は、大陸の軍事力を利用して、万世一系男系天皇(直系長子相続)を殺害し、倭国・日本を消滅させようとしていた。
 朝鮮王国は、中国の属国として朝貢する事で、中国皇帝から国王の任命を受けていた。
 中国皇帝の臣下である朝鮮国王にとって、中国皇帝と対等を主張する日本天皇は認める事は、面子が許さなかった。 
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絶対神への信仰に燃えるキリスト教
 プロテスタンティズムアメリカ系キリスト教会は、250年以上の永きに渡りキリスト教を排除している背教日本人を強制改宗させ、民族中心主義である日本精神を捨て普遍主義のキリシタン精神を根付かせる為の強攻策を求めた。
 キリスト教徒日本人は、日本に「神の王国」を建設する為に教皇と教会に絶対服従し、天皇と国家に忠誠を誓う事を拒否して皇室の転覆に加担し、神社への参拝を拒絶して「神ながらの道」を破壊する為の陰謀をめぐらした。
 キリスト教会は、天皇に「絶対神の愛」への無知を自覚させ、普遍的価値で「国體の破壊」と「神道の解体」を神聖な使命としていた。異教徒天皇を改宗させ、自分の罪を悔い改め、教会の祭壇の前で土下座させようとしていたのである。
 教義を日本人に受ける様に歪曲して、日本国内で活発な布教活動を行い、信者を増やしていった。 
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 1641年 仁祖は、北京で西洋の進んだ西学を学んだ王世子を毒殺した。  
 朝鮮は中国の属国として、中国を慕う慕華思想のもと、事大主義で中国に大いに事える事を誓っていた。
 朝鮮の鎖国政策は、中国のみを手本として受け入れて、その他を未開の野蛮として完全に排除した。
 宗主国中国の前に、臣下として伺候し、中華皇帝の指示を神聖不可侵として受け入れた。
 中国人が押し付けてくる要求が、如何に無理無体な要求であっても従った。
 小国朝鮮は、安全と富の為に、大国中国に従い続けた。
 東アジアで、中国を盟主として従わない国は小国日本のみであった。
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 清国第4代康煕帝(在位1661〜1722)は、風俗を満州族風に改めさせ、だらしない漢族服を清潔で機能性に優れた満州服に替えさせた。
 チャイナドレスは、漢族服ではなく満州服であった。
 漢族は満州族の奴隷とみなし、満州族の高潔な血が薄汚れた漢族の血で怪我される事を防ぐ為に、満州族と漢族との交わりを禁じた。
 後宮からも、漢族の女性は排除された。
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 清国第5代雍正帝(在位1722〜35)は、雍正帝中国の支配者は満州族であるとして漢族の家奴(家庭内奴隷)制度を廃止した。
 満州族の故地を漢族に犯されない為に、満州に漢族が移住する事を厳禁とした。
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 1749(寛延2)年 朝鮮で、疫病が発生し、数百万人が発病して50万人以上が犠牲となった。
 中央政府は、正統派儒教により腐敗堕落し、被災者の救済を無視し、死ぬ人間は死ぬに任せていた。
 地方役人は、命じられた租税を取り立てる為に、被災民から暴力的に徴収した。
 ビショップ夫人「ソウルは、汚い事と臭い事では世界一」(『30年前の朝鮮』1890年頃)
 シャルル・ダレ神父「水は何処もまずい」(『朝鮮事情』)
 朝鮮の総人口、730万人。
 丁若𨉷「葛畑の中で慟哭している婦人の声、なお悲しい、役所行って泣きわめき、天を仰いで訴えても、軍人の夫は帰らない。舅死んで、喪に服しているのに幼子は、いまだ胎髪も乾いていないのに、三代の名前が軍籍に記されてしまった。
 役所で訴えようとしてみても、虎のような守衛に睨みつけられ、村長に怒鳴られ、一匹しかいない牛まで取られてしまう始末。いよいよ夫は深く考えたすえ、小刀を磨いて、室内に入るや、自ら陰茎を切りおとし赤い鮮血で、部屋の床を染めてしまった。これのために、子を産んだ罪をいかんせん。金もあり、権力ある者は生涯、風楽を楽しみながら一粒の米、一寸の布を納めることもないのに、同じ人間でありながら、なぜこれほどまでの偏差がひどいのか、流配の地で、重ね重ねて、九篇の詩を詠んだ」(『牧民心書』)
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 清国第6代乾隆帝(1735〜95)は、モンゴル・オイラートの血を引くジュンガル帝国を1757年に滅ぼしウィグルを平定して大帝国を完成させた。
 中国は、満州族の異民族外来征服帝国時代に世界のGDPの3分の1を占める大帝国となった。
 満州族乾隆帝は、モンゴル族ジンギスカンに匹敵する征服王であり、皇帝として1911年の辛亥革命までの清王朝の基礎を築いた功績は偉大であった。
 乾隆帝は、ソグド系の女性を愛して妃とした。
 女性は「香妃」として、30余年、乾隆帝に仕えて天寿を全うした。
 清朝後宮には、満州族モンゴル族ウイグル族など北方や西方の異民族女性はいたが漢族の女性はいなかった。 
 北京の宮廷公式言語は満州族語あって、漢族語は下層民の卑しい言語として排除された。
 文字は、北京宮廷の命令を帝国の隅々に伝える為に漢字を使用した。
 漢字は統一されたが、発音は統一されなかった。
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 正祖(1776〜1800)は、政治改革を行っていたが急死した。
 例によって、改革反対派による暗殺説が囁かれたが、真相は藪の中となって有耶無耶に処理された。
 朝鮮に於いて、王族や貴族の力が強く国王の権威は軽く、国王や王族の地位や命さえ重臣達に握られて哀れなほどにはかないものであった。
 儒教を重んじる保守派が強かった為に、政治や社会の諸改革は潰されてしまった。
 朝鮮が独自の力で変革を起こす事は有り得ず、100年を一日として変わらない生活を続けていた。
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 1811年 幕府は、財政難を理由にして、12回目の朝鮮通信使対馬止まりとして江戸への参府を断った。
 巨額の費用をかけて通信使を饗応していた諸藩は、差別意識を丸出しにしてくる傲慢な朝鮮人に僻していただけに、通信使の受け入れ中止を歓迎した。
 サムライの大半は、朝鮮通信使招聘がなくなったことに安堵した。庶民は、面白い見世物がなくなることにがっかりした。
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 1860(万延1)年 朝鮮で、土着信仰と儒教道教・仏教の教義を取り入れた反西洋の新宗教・東学が誕生した。
 東アジアの陰惨な動乱は、何時の時代でも、新たな宗教結社の結成からは始まった。革新的新興宗教が、新しい世界の扉を開く為に、古い宗教価値を破壊するべく戦争を引き起こしたといっても過言ではない。
 朝鮮には、儒教価値観から、人種差別と身分差別と地域差別と性差別の四つの差別が存在し、社会を救いがたいほどに蝕んでいた。
 両班‥48.6%(1900年代には65%)。良民(常民)‥20.1%。奴婢‥31.3%。
 朝鮮は、世道政治で腐敗し、庶民には救いがなかった。
 キリスト教は、将来に希望のない貧民層の間に信者を拡大していった。
 シャルル・ダレ神父「両班は、世界中でもっとも強力にして傲慢な階級である。彼等が強奪に近い形で農民から田畑や家を買う時は、ほとんどの場合、支払いなしですませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令は一人もいない」(『朝鮮教会史』)
 ビショップ夫人「官吏の腐敗は、目にあまった。私は、遠慮なく朝鮮官吏を批評する。彼等は、民の膏血を絞りとる吸血鬼だ。彼等は任地に赴かず、ソウルにいて宴楽をほしいままにし、自己の管轄内の住民を保護して善導する事が全くなく、虐待し誅求するのだ」(『朝鮮とその隣邦』)
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 1836年頃のキリスト教徒は、9万人から12万人といわれ、さらに増加していた。
 敬虔なキリスト教徒である黄嗣永は、北京のポルトガル人司教に、朝鮮のキリスト教化の為に軍隊の派遣を要請する手紙をしたためた。だが、手紙を出す前に黄嗣永は逮捕された。
 李氏朝鮮は、国家を守る為に、不法入国して布教活動を続けている宣教師の探索を強化した。
 日本以上のキリシタン弾圧が、始まった。
 正統派儒教は、現実を無視した空理空論の不毛の党争を続けていたが、貧民を取り込もうとしているキリスト教に対しては一致協力して弾圧を行った。
 中国や朝鮮の儒教は、天命に逆らう賊徒の命には生きる価値を認めなかった。
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 梁啓超「酷薄、残虐、驕慢で、猜疑心が強く、権謀術数しか知らなかった。大院君こそ、亡国の最大の元凶だ」
「高宗は懦弱、優柔不断で、事実を曲げた讒言を喜び、事理に闇く、側近達は阿諛迎合だけした」「高宗のような君主が、国を亡ぼさなかった例は、歴史上ほとんどない」
「(閔妃は)虚実で、虚飾を好み、政治を操る事に熱中した悪女」
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 アヘン戦争。漢族の商人は、アヘンは儲かるとしてイギリス商人に協力していた。
 清王朝は、アヘンは人間を廃人にする猛毒であるとして禁止した。
 イギリス人商人が、清朝の禁令を破り、中国でアヘンを密売する事は不可能であった為に、漢族商人に売っていた。
 漢族商人は、漢族役人に賄賂で抱き込み、上海の沖合いの島でイギリス商人からアヘンを受け取っていた。
 清王朝は、中国人をアヘン毒から救う為に、イギリスとの間でアヘン戦争を起こした。
 漢族は、金儲けの為ならば如何なる手段も躊躇なく実行し、利用できる相手は言葉巧みに近づいた。
 漢族商人達は、アヘン利権を守る為にイギリス軍に協力して清国軍を敗北させた。
 イギリスは、アヘン戦争の勝利で香港を手に入れ、対中貿易の拡大を勝ち取った。
 同時に、アヘン商売を合法化して利益を独占する為に、戦争勝利に貢献した漢族商人や腐敗漢族役人を差し出した。
 漢族商人達は、イギリスの軍事力を利用して上海周辺の揚子江流域での独立を目指したが、イギリスの裏切りで清王朝に引き渡され処刑された。
 清王朝から逃れた漢族商人や腐敗漢族役人は、東南アジアやアメリカへ移民として逃げた。
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 1839年のアヘン戦争後、西欧列強がアジアに活動範囲を拡大し始めるや、キリスト教徒は植民地拡大の尖兵として布教活動を活発化した。朝鮮にも、秘かに宣教師が上陸して布教を行った。虐げられている貧しい庶民の間でキリスト教は、西学として広まっていった。
 貧困に喘ぐ庶民は、排他的で硬直した儒教よりも開放的で救いをもたらしてくれるキリスト教に惹かれていった。
 儒教を正学とする知識エリート階級の両班と官吏は、儒教以外を邪学として斥ける為に衛正斥邪運動を起こした。
 フランス人宣教師10名が、見せしめとして公開で処刑された。
 数万人のキリスト教朝鮮人が、猟奇的に処刑されるか、陰惨な拷問で死亡した。 
 欧米のキリスト教国は、異教国が宣教師やキリスト教徒を虐殺した時、非人道を訴え、宣教師を保護する為に派兵した。
 清国軍が大敗したアヘン戦争を見聞した劉大至らは、儒教が支配する朝鮮の改革が必要であるとして、開化思想を広めた。
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 1860年 ロシア帝国は、朝鮮に国交を求める使節を派遣する。朝鮮は、鎖国政策から拒絶した。
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 1863年 長州藩は、イギリス・アメリカ・オランダ・フランスの四ヵ国艦隊に敗北した。
 惨敗した長州藩は、強大な軍事力を持つ四ヶ国連合国との講和談判に、若干24歳の高杉晋作を任命した。
 連合国側は、国際法に従い、勝利者として賠償金と彦島の租借を要求した。彼等の、真の目的は日本を分割して植民地化する事であった。
 高杉は、敗れたりと言えども日本男子として、祖先から受け継いできた土地をたとえ寸土でも割譲する事をは恥であるとして、毅然と拒絶した。
 外圧に弱い現代の日本人にはない、サムライの潔さである。
 金は稼げば得られるが、郷土を強国の軍事力に屈して割譲すれば、二度と取り返せない事を知っていたからである。
 大和魂を持った高杉ら20歳代の若者らは、身分に囚われる事なく天皇中心とした尊王攘夷の志を共にして立ち上がり、西欧列強の侵略から郷土を守ろうとした。
 天皇への忠誠心ゆえに死んだ忠君愛国者が、靖国神社に英霊として軍神として祀られた。
 サムライ日本時代であれば、竹島尖閣諸島北方領土といった領土問題は起きなかった。
 薩摩藩は、イギリス艦隊に完敗した。
 日本は、尊王攘夷運動を捨て、文明開化を行い、近代的立憲君主制を採用して軍事国家となった。
 日本の軍国主義化は、欧米列強の日本植民地化に抵抗する為のやむおえない選択であった。
 西洋による日本占領願望は、キリスト教世界を実現したいという西洋人の神聖なるDNAである。
 現代日本人には、軍事的経済的大国の圧力に抗して日本を守りきれるだけの気概はない。それに比べて、東南アジアやアフリカなどの発展途上国に対しては、傲慢で不遜な態度を取っている。
 サムライ日本の時代は、現代日本とは正反対の情緒を持っていた。
 それが、日本精神、日本心、大和魂であった。
 思慮分別に欠けた現代日本人は、近視眼的に視野狭窄に陥って、広角思考的な思慮遠望といった日本的なものは存在しない。
 志なき現代日本人が、明治維新当時の志士になぞらえる事は、あたかも浅知恵のサルがサムライの格好をして武士道を叫くのに似ている。
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 朝鮮には反日感情が渦巻いていた「日本人は西洋人と交わり、野蛮人と化した。動物と異なるところはない。朝鮮人で日本人と交わる者は処刑すべきだ」





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