☰49〕─1─三国干渉。閔妃は、日本とロシア帝国を戦わせる為に、日本が所有する朝鮮利権を剥奪してロシア帝国に譲渡した。明治28年~No.134No.135No.136 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日清戦争後。東学党の指導者は、朝鮮の近代化と民衆の幸福の為には日本との提携しかなとして、日本に渡り朝鮮開化党と盟約を交わして「進歩党」を結成した。
 進歩党は、改革開放を目指す諸派を取り込んで親日的組織である「一進会」を結成した。
 親日派は、清国が近代化に失敗して植民化されていく姿を見て、守旧派が目指す儒教では社会改革はおろか自己更正も絶望と痛感し、日本からの全面援助を受けて国家を改造するしかないと決断した。
 そして、朝鮮へのロシア帝国の侵略を阻止し、祖国を白人の植民地にしない為に日本軍に協力した。
 国際感覚を持った朝鮮人は、時代の変革を自覚し柔軟的に新しい西洋の価値観を受け入れ、親日派として祖国を豊かに発展させるべく日本との提携を希望した。
 民族優位意識の強い朝鮮人は、時流を否定し中世以来の古い儒教的価値観に固執し、反日派として清国やロシア帝国に支援を求めた。
 朝鮮の進路を決めるのは、朝鮮人であった。
 他国に責任を転嫁して泣き叫んで逃げる人間は、大人の分別を持たない幼稚な子供である。
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 清国は、「夷を以て夷を制す」の戦略から、満州を欲しがっているロシア帝国に日本への干渉を誘導した。そして、「刀を借りて人を殺す」の戦術から、ロシア帝国の軍事力を利用して日本を滅ぼそうとした。
 ワシントン会議に出席していた中国代表の顧維鈞は、日露戦争前に清国とロシア帝国が共同して日本を攻撃するという清露軍事密約を交わした事を披露した。
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 李鴻章は、ロシア帝国の干渉を予想して、日本に遼東半島租借権を認めた。
 ロシア帝国は、李鴻章から対日賠償の借款供与の申し込みに対する代償として、満州の権益拡大と満州里から沿海州に至る東清鉄道敷設権を要求した。
 李鴻章は、ロシア帝国の要求を全て受け入れ、300万ルーブルの賄賂を受け取った。
 中国人は、日本人では考えられない、転んでもタダでは起きない強かな処世術をもっていた。
 李鴻章は、日本とロシア帝国を戦わせる為に、日本によって独立した朝鮮の全ての利権をロシアに投げ与えた。
 李氏朝鮮は、自主独立国として自立する事をせず、事大主義として清国からロシア帝国宗主国を代えた。
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 日本は、油断も隙も無い敵国に囲まれているという恐怖の状況下であっただけに、共に戦ってくれる同盟国を求めていた。
 軍国日本の安全保障として、親日派となって提携できる相手を作る為に、建て前で国際協調を表明しながら、中国の革命派、朝鮮の開化派、東南アジアの独立派を支援していた。
 日本には、対等関係での合邦論者はいたが、帝国主義的植民地論者はいなかった。
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*三国干渉
 張之洞「ロシアは西洋の列強の中では最も公明正大だ。三国干渉で日本に打撃を与えて事は、他の諸国が中立しているよりも立派だ」明治28年
 1895年4月23日 ロシア帝国は、不凍港として遼東半島の旅順を獲得する為に、フランス、ドイツ帝国と手を組んで日本が獲得した遼東半島を返還する様に圧力をかけた。
 三国は、九州の日向灘や高知の土佐沖などの日本近海に軍艦を派遣し、日本に軍事的威圧を加えて。そして、遼東半島を返還しなければ、宣戦布告をすると脅した。
 伊藤博文陸奥宗光らは、清国との戦争に勝てば、ロシア帝国が干渉してくる事は承知していたし、数カ国がそれに便乗して清国内で植民地を獲得する為に同調する事も予想していた。そこで、力の均等による平和を得る為に、ハワイ王国の領土化で忙しいアメリカの調停を受け入れた。
 日本軍部は、ロシア帝国が東アジアに勢力を拡大する為に旅順を獲得しようとしていると分析した。
 日本政府は、三国干渉に対抗する為に、イギリス、アメリカの支援を取り付けようとしたが失敗した。
 イギリスは、ロシア帝国のアジア進出には神経を尖らせていたが、フランスが同調していた為に日本を援護する事なく静観した。イギリス外交は、露仏同盟によって植民地支配が脅かされると警戒していた。
 4月30日 日本は、ロシア帝国と戦うだけの国力がなかった為に、屈辱感を味わいながらやむなく三国干渉を受け入れた。
 タダで返還すのでは、国家の面目が潰れ、戦死者に申し訳がたたず、国民感情を激昂させる等々の理由から5,000万円で清国に買い取らせるという形を取った。
 だが、国民は大国の横暴に屈した政府の不甲斐なさに激怒した。
 明治天皇は、激昂する国民世論を鎮める為に詔勅を発した。
 国民は、天皇詔勅が出た以上は不承不承従った。これが、政治家や軍人の発言であれば、逆効果となって暴動が起きて収拾がつかなくなった事であろう。
 日本軍部は、ウラジオストクと旅順の両軍港を手に入れ、サハリンから満州にかけてロシア軍の圧力が強化された事に危機感を強くした。
 日本は、ロシア帝国との間に存在する朝鮮の反日的行動に神経を尖らせた。
 日本人は、ロシア帝国への憎しみ以上に、友好国と信じてきたドイツ帝国への怒りを強めた。
 王妃閔妃は、日本の大陸への野望を砕いたロシア帝国の実力を再認識し、「露以日制」政策を採用して、日本を滅ぼす為にロシア帝国に接近した。反日強硬派の閔妃にとって、日本がロシア帝国や清国に軍事占領され植民地になっても、朝鮮の独立のみが守れればそれで良かったのである。
 閔妃派も、日本によって政権中枢から閉め出され事に恨み骨髄となり、親露派となりロシア帝国の力を借りて政権復権と日本追放の機会を覗った。清国に次いでロシア帝国にも、国内で対日戦用の軍事基地を提供し、日本侵攻の為にロシア軍が駐屯する事に同意した。
 ロシア帝国は、日本海を支配し大平洋と東シナ海へと自由に航行する為に、高宗と閔妃に同情し反日行動を支持した。
 高宗も、日本の朝鮮への影響力を強めた事に嫌悪し、ロシア帝国の朝鮮進出を内心歓迎した。但し、今は、戦勝国日本に疑われない様にする為に、便宜的に開化派の金弘集を首班にした親日政権樹立を許した。
 親日派朝鮮人は、アジアを裏切る行為であるとして中立を主張して猛反対した。
 親日派は、閔妃の密命で見るも無惨に惨殺された開化派指導者金玉均の意思を受け継ぐ者達であった。
 金玉均は、親日派として、日本の支援を受けて国内改革を進めようとしていた。
 閔妃派や保守派は、日本式の近代的法治国家への国内改革を苦々しく眺めていた。
 親露派は、日本の国情や軍事情報をロシア帝国に逐次知らせていた。
 金弘集政権は、断髪令を発布した。
 保守派は、「洋倭排斥」を主張して反対運動を起こし、各地で義兵が叛旗を翻して役所を攻撃した。
 ロシア帝国、イギリス、フランスは、清国に対して、対日賠償金に必要な資金を借款供与する見返りとして、清国内に多くの利権を獲得した。
 ロシア帝国とフランスは、共同で清国に借款を成立させる為に、露仏銀行を設立した。
 外国から資金を供与される国は、無条件で外国の奴隷となった。
 外国から金を貰う者は、相手国の有利になる様に自国を売った。
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 ウィッテ「ロシアの為には、強大であるが活動的素質のない支那を隣接国としている事が最も利益である。これこそが東方におけるロシアの安全を保障する良策であり、ロシア帝国の将来の繁栄を保証する所以である。故に日本をして大陸の根幹を張り、遼東半島の様なある場所には北京の死命を制するに足る地域を領有させる事は、到底我々の容認しえない所である。─私はこの結論に基いて、日支両国間に新たに成立した条約の実効を妨害する必要があると提議した」
 陸奥宗光日英同盟に期待している人は多い。しかしイギリスは、人の憂いを自分の憂いとして助ける様なドン・キホーテではない。同盟で日本の安全を保障するならば、イギリスもそれによって自国の安全保障を得る代償が要る。日本の国力は、イギリスの長い防衛線に寄与する力があるだろうか。イギリスは日本が同盟国として、大陸で戦い、シンガポール以遠に艦隊を出す能力があるとは思っていない。三国干渉の時にも、もし、イギリスが一言、同盟と言ってくれたらならば、伊藤内閣は、それに賭けて、大勇断をしたかもしれない。しかし、イギリスはそうとは言わなかったので、三国干渉を受諾した」
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 弱肉強食の帝国主義時代に、武力を軽視し、武力を放棄し、武力を貶んだ民族・国家の末路は惨めであった。
 人類史上、個人的な非暴力無抵抗主義は存在するが、政府・国家には存在しない。
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 5月 高宗は、在韓ロシア公使ウェーバーの助言を得て、開化派の金弘集首相を罷免し、反日派の朴定陽を首班に指名した。
 守旧派は、国民の間で盛り上がる反日気運を利用して、日本が行ってきた諸改革を旧に戻し始めた。
 5月4日 日本は、軍事力を背景として外圧を掛けてくる列強の圧力に屈し、三国干渉を受諾した。
 徳富蘇峰「力が足らなければ、如何なる正義公道も、半文の価値もない」
 日本軍は、宿敵・ロシア帝国の侵略から祖国日本を守る為に、臥薪嘗胆のスローガンから一層の軍事力の強化に努めた。
 閔妃や高宗ら反日派は、三国干渉でロシア帝国に日本が屈した事を見逃さなかった。
 朝鮮国内では、反日運動が盛り上がり、反日暴動が絶えなかった。
 5月末 日本に割譲された台湾の住民は、抗日義勇軍を組織して黒旗軍と協力して日本軍と抵抗した。
 日本軍は、台湾の鎮圧が遅れると、朝鮮での反日暴動を誘発し、清国の報復戦を誘い、ロシア帝国満州進出を促す恐れがあるとして、10月に台南を攻略した。
 だが、住民による激しい抵抗はその後も続いた。
 7月 朴定陽首相は、朴泳孝ら親日派を全ての公職から追放し、親露派や親米派を登用した。
 ロシア帝国アメリカなどの公使館が漢城内の貞洞街に集中していた為に、親露派や親米派は貞洞派と呼ばれた。
 欧米列強は、日本が朝鮮の利権を独占している事に抗議していた。
 朴定陽政権は、日本公使に相談せず、国際法を無視して両国間の条約、協約、協定すべてを破棄し、日本が合法的に得ていた全利権を取り上げて諸外国に再配分した。
 アメリカは、鉄道敷設権と金鉱採掘権を。
 ロシアは、森林伐採権と鉱山採掘権を。
 ドイツは、金鉱採掘権を。
 フランスは、鉄道敷設権を。
 高宗と閔妃は、以前と同じように国費を私的に流用して放蕩な生活を再開する為に、日本指導で行われていた全ての改革案を白紙に戻した。
 日本は、閔妃の策謀で全てを失った。
 朝鮮は、上から下までまたしても腐敗堕落し、民衆の塗炭の苦しみをよそに大金を湯水の如く浪費した。
 特権階級である両班は、日本によって抑えられていた権利を回復し、得られていたはずの富を得る為に、領民から奪えるだけの税をむしり取った。
 閔妃派は、日本の影響力を弱め、二度と朝鮮に侵略の触手を伸ばせない様にする為に、ロシア公使ウェーベルと咸鏡道の港を貸与する密約を結んだ。将来、軍港としてロシア艦隊の基地となる事に合意されていた。
 朝鮮は、軍事力を付けて自力で国家を守るという自主防衛を放棄し、大国の属国に甘んじ、大国の軍隊に依存して自国を守ろうとした。
 文尊武卑の非暴力的儒教価値観から、武器を持って人を殺す武官を知性なき下級職として軽蔑していた。
 儒教を信奉する彼らは、日本のサムライを人殺しの教養なき野蛮人と侮蔑していた。
 国家は自力で立つという気概をなくし、国民は生きる事に執着しながら奴隷のように無気力となって堕落し、民族は他人に頼らずに道を切り開くという活力をなくして滅亡へと向かった。
 朝鮮人は、利己主義が強いだけに、公徳心も愛国心もなかった。
 事大主義による大国への依存から、自立心・独立心は蝕まれ、公益より個人益を優先する風潮が生まれた。
 朝鮮は、植民地帝国清国・中国から世界的超軍事大国ロシア帝国に自国の運命を委ねた。
 日本は、自国の安全の為に、隣国朝鮮がロシア帝国の勢力下に入る事は看過できなかった。
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 反日朝鮮人は、日本を朝鮮半島から完全追放する為に、清国の軍事力からロシア帝国の軍事力を引き入れる事にした。
 7月6日 乙未事変閔妃は、日本が三国干渉で譲歩して朝鮮に於ける影響力を弱めた隙をとらえ、ロシア帝国の軍事力を利用してクーデターを起こした。
 閔妃派は、大院君を失脚させ、大院君派を追放した。
 金弘集政権は、近代化を優先して中立の立場を取った。
 大院君は、権力の座に復帰する為に、反閔妃派を集めて極秘に閔妃誅殺計画を進めた。
 9月1日 三浦梧楼陸軍中将は、新たな公使として漢城に赴任した 閔妃は、融通性のない無骨な三浦梧楼公使を嫌悪した。
 閔妃派は、ロシア帝国の支援を受けて反日政策を実行した。
 李氏朝鮮は、高宗・閔妃閔妃派と高宗の父親である大院君派に分かれて対立していた。
 周辺諸国である日本、清国、ロシア帝国は、良きにつけ悪しきにつけ李氏朝鮮の派閥抗争に影響されていた。
 日本は、清国とロシア帝国の侵略から祖国を守る為には、朝鮮に親日派政権を樹立する必要があり、親日派を強化する為に内政干渉を行っていた。
 高宗は、大院君派に対抗する為に、親日派の重鎮・朴泳孝を政権内に引き入れた。
 朴泳孝は、政府内で支援者を増やし、親日派の政治的影響を増していった。
 さらに、閔妃の動きを監視すべく、日本軍人の調練を受けた訓練隊に王宮警備を命じた。 更なる独自の軍事力を付ける為に、訓練隊を増員し、優秀な若い将校団を日本に留学させ計画を実行した。
 野心的な青年は、日本留学すれば出世につながるとして日本留学を希望した。
 400人近い日本留学希望者から、親日派有力者の子弟21名が1898年に日本の陸軍士官学校等に入学した。
 日本軍は、王宮直属の近衛部隊である侍衛隊(教官はアメリカ人)750名に対抗する為に、王族警護を任務とする訓練隊約800名を朝鮮政府軍ないに新設した。
 反日派の侍衛隊と親日派の訓練隊は、絶えず対立し、騒動を起こしていた。
 親露派は、親日派の勢力拡大に危機感を抱き、朴泳孝追い落としの為に閔妃に接近した。
 閔妃と親露派は、高宗に、朴泳孝ら親日派を日本の手先で、訓練隊を利用して朝鮮を乗っ取ろうとしていると誣告した。
 高宗も、朴泳孝に逮捕状を出し、政権内の親日派を追放して、念願としていた親政を始めた。
 朴泳孝は、難を逃れて日本に亡命した。
 日本の陸軍士官学校に留学していた朝鮮人将校団は、官費を止められ、帰国できず、亡命者となった。
 日本政府は、彼等は帰国すれば将軍か政府高官になる逸材と認めて、留学費と生活費の支援を行った。
 高宗は、日本人が教官を務める訓練隊を解散させる意向を伝え、洋風にされた官服を朝鮮伝統の朝鮮服に戻す事を命じた。
 三浦公使は、全ての元凶である閔妃の排除を決意した。
 生かして監禁しても何れは表に現れて反日活動を繰り返すとして、殺害以外ないと判断した。
 閔妃殺害を正当化する為に、大院君を担ぎ出す手筈を整えた。
 朝鮮政府は、落ち目となった宗主国清国・中国を切り捨てるべく断髪令を公布した。今後は清国人の様な辮髪を止め、ロシア人に倣って西洋風の髪型と衣服にする様に命じた。
 中国人以上の中国人を目差していた儒教至上の知識人エリート層は、西洋化は民族の堕落であるとして猛反対した。
 近代化政策が推進されればされるほど、彼等は日本人の横暴であるとして反日義兵闘争に加担した。
 10月 李周会と禹範善は、大院君の密命を受けて、朝鮮宮内府顧問の岡本柳之助に接触して閔妃誅殺計画を持ちかけた。
 朝鮮の日本公使三浦梧楼は、ロシア帝国と同盟して日本を半島から追放しようとしている反日派の閔妃を殺害し、対ロシア攻守同盟を強化する為に親日派による政権を樹立すべく反日派を中央から閉め出した。
 開化派は、日本の支援を得て権力を握ろうとした。
 追い詰められた親日派は、政変の元凶は閔妃として、日本公使館に集まって政権奪還のクーデターを計画した。
 国際世論は、日本の王妃暗殺という蛮行に激怒して朝鮮への同情が集まった。
 10月5日 岡本は、大院君と閔妃誅殺に関して密約を交わし、クーデタ−の準備に取り掛かった。
 日本公使の三浦梧楼も、ロシア帝国に接近する閔妃の存在は日本の安全の脅威と感じて排除を考えていた。
 閔妃暗殺は、日本の計画ではなく朝鮮国内の権力闘争の延長にある事件であり、日本は大院君の謀略に加担したに過ぎない。
 10月7日 閔妃派は、日本が軍事教官を派遣して訓練している訓練隊の解散を命じた。






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