☰49〕─2─閔妃殺害。清露反日攻守軍事同盟。高宗は、ロシア帝国のウェーバー公使と反日密約を結び保護を求めた。明治28年10月8日~No.137No.138No.139 @ 

   ・   ・   ・
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 ロシア、清国(中国)、朝鮮の三ヶ国は、反日を共通課題として協力関係を結び、日本問題の最終解決法は戦争しなかいとの認識で一致していた。
 対日戦の為の三ヶ国関係の要となっていたのは、朝鮮であった。
 日本に戦争をもたらした元凶は、朝鮮である。
   ・   ・   ・   
 崔基鎬「清・露の両国は、朝鮮の内政が腐敗しようが、閔妃の勢道政治が国民を亡ぼそうが、まるで無関心であったから、ひたすら利権を貪って賄賂を取得することを競い合っていたが、日本の場合は、朝鮮の国家としての自主・独立のための支援に懸命だったんめ、財政・軍事・司法・内政などの改革を迫り、無償の資金を提供するなどした。が、一向に改革が進まない朝鮮に、日本の絶望感が広がっていった」(『日韓併合』P.176)
   ・   ・   ・   
 10月8日 乙未事変閔妃殺害事件。朝鮮訓練隊・朝鮮親衛隊・朝鮮警務使等の将兵と日本人暴漢(大陸浪人)は、景福宮を強襲し、警護していた侍衛隊を武力排除して、閔妃と十数人の官女を殺害した。
 この惨殺を目撃した高宗と王世子・李拓は、日本軍の蛮行に恐怖し、日本への憎しみを新たにした。
 日本人が指示して誰かが、閔妃の遺体にガソリンをかけて焼いた。
 高宗「我が臣僚のなかに不逞の徒がいた」
 純宗は、禹範善(ウボンソン)を実母殺害犯であると名指して、「現に朕が目撃せし国母の仇」と証言した。
 三浦公使は、開化派政権を樹立する為に、嫌がる大院君を無理やり担ぎ出して執政の座に就けた。
 大院君は、政権に復帰して権力を手に入れるや、三浦梧楼公使との密約に従って、閔妃派と親ロシア派を罷免して親日派を政権の中枢に据えた。
 大院君は、閔妃殺害を確認するや王妃の称号を剥奪した。
 後に、日本は閔妃の名誉を回復した。
 大院君は閔妃派への復讐を行おうとしたが、総理となった金弘集は反対派にも有益な人材がいるとして粛清に反対した。
 日本側も、王宮と政府の分離を建て前とし、これ以上の混乱は事態を悪化させるだけであるとして、金弘集の意見を支持した。
 高宗は、閔妃の次ぎに自分が殺害されると恐怖し、実父の大院君が刺客を送り込むので来るのではないかと猜疑心に駆られた。食事に毒が盛られることを恐れて、ロシア公使館から食事を運ばせた。
 伝統を重んずる両班は、開化派の近代改革に反対し、国母を殺害した日本側の蛮行に激怒した。
 同事件は、アメリカの軍事教官とロシア人電気技師によって伝えられた。
 国際世論は、日本の王妃暗殺という蛮行に激怒して朝鮮に同情した。
 日本は、国際問題化して朝鮮の権益を失う事を恐れ、速やかに同事件を解決する為に、事件の真相を明らかにするべく調査団を派遣した。
 10月17日 三浦梧楼公使は、大院君と金弘集総理に対して、ロシア帝国を利用して日本を攻撃しようとした親露派である閔妃派を中央から排除する様に命じた。
 反閔妃派は、金玉均への目を背けたくなる様な残虐な行為に対する恨みから、殺害した閔妃の死骸を陵辱し、辱めた。
 朝鮮には、日本とは違って、死者となった敵に対す尊厳を認めなかった。
 閔妃殺害は、大陸への侵略的野望を持つ日本の悪逆な犯罪とされた。
 乙未義兵闘争。閔妃派は、各地の反日派儒生らと共に、儒教価値観から国母・閔妃の殺害に抗議し、儒教的上下関係を破壊する西欧化した日本人を追い出す為に、武装蜂起した。
 反日運動は、燎原の火の如く広がった。
 日本の国防的朝鮮計略は、国際世論の批判で後退した。
 10月18日 日本政府は、対ロシア戦略から、日朝両国の関係悪化を避けるべく事件処理として小村寿太郎外務省政務局長を派遣し、三浦梧楼公使を罷免して、小村を後任公使とした。
 朝鮮政府は、閔妃殺害を謀議したとして、前軍部協辨・李周会、日本公使館通訳・朴銑、親衛隊副尉・尹錫禹とその家族を大逆罪で処刑した。
 漢城で事件処理に当たった小村寿太郎弁理公使と井上馨は、治外法権の領事館権利を主張し、三浦梧楼ら日本側の事件当事者48名を日本に召還した。
 民間人は広島刑務所未決監に収監して広島裁判所に、軍人は広島憲兵隊に拘置して広島第五師団の軍法会議に、それぞれ任せた。
 日本は、憲法三権分立を謳っていた。
 裁判所は、天皇のうから司法の大権を委託されていた。
 10月28日 朝鮮政府は、日本の圧力に屈して、犯人を日本人に化けた朝鮮人の仕業であるとして3名を処刑した。
 高宗は、閔妃暗殺に関与した朝鮮人を処刑したが、儒教倫理から父親の大院君の罪を問う事はせず政治への関与を封じた。
 閔妃と大院君との権力闘争は、ここに終了した。
 高宗は、閔妃を失った事で、政治の表舞台に出て反日親露路線を推し進めた。
 金弘集政権は、親日派として日本との提携以外に朝鮮の近代化はありえず、ロシア帝国に接近すれば植民地化されるとして高宗の親露路線には反対であった。
 日本は、閔妃暗殺に関与した事で朝鮮内での影響力を弱めて、金弘集政権を全面的に支援する事ができなくなっていた。
 国際世論は、朝鮮政府が日本の謀略ではなく自国民の犯行として処理した為に、自国の権利を自力で守らない自立性のない朝鮮を見限り、これ以上の日本批判を控えた。
 ロシア帝国はもちろんアメリカやイギリスの各政府は、日本が朝鮮国内での影響力を弱めた事に付け込んで、朝鮮での利権獲得に乗り出した。
 11月17日 朝鮮政府は、独立を宣言する為に独自の元号を制定して、中国の臣下として受け入れてきた中国の年号を廃止した。
 中国の太陰暦を廃止して、西洋の太陽暦を採用した。
   ・   ・   ・   
 ウォルター・C・ヒリアー(駐朝イギリス総領事)「朝鮮について幾らかでもご存知の全ての人々にとって、現在朝鮮が国として存続するには、大なり小なり保護状態におかれる事が絶対的に必要であるのは明白であろう。……清国軍が朝鮮から撤退後は日本がその役目を請け負った。最も顕著な悪弊を改革する日本の努力は、いくぶん乱暴に行われはしたものの、真摯であった事は間違いない」
 イザベラ・バード宗主国中国の影響の下に、朝鮮の両班達は貴族社会の全体的風潮である搾取と暴政をこれまで事実上ほしいままにしてきた。この点について日本は新しい理論を導入し、庶民にも権利はあり、各階級はそれを尊ばれなければならないという事を一般大衆に理解させた。……清との関係が終結し、日清戦争における日本の勝利とともに、中国の軍事力は無敵であるという朝鮮の思い込みが打破され、本質的に腐敗していた二つの政治体制の同盟関係が断ち切られた。貴族と平民との区別が少なくとも書類上は廃止され、奴隷制度や庶子を高官の地位に就けなくしていた差別もなくなった。残忍な処罰や拷問は廃止され、使いやすい貨幣が穴あき銭にとってかわり、改善を加えた教育制度が開始された。訓練を受けた軍隊や警察が創設され、科挙はもはや官僚登用に相応しい試験ではなくなり、司法に若干の改革が行われた。済物浦から首都に至る鉄道敷設が急ピッチで進められており、商業ギルドの圧力はゆるめられ、郵便制度が効率よく機能して郵便に対する信頼は各地方に広がった。国家財政は健全な状態に立て直され、地租をこれまでの物納から土地の評価額に従って金納する方式に変えた事により、官僚による搾取が大幅に減った」
 親日政権による日本を真似た近代的諸政策によって、朝鮮は近代的国家となり新たな産業が起きて発展し始めた。
   ・   ・   ・   
*ロシア公使館に保護を求める高宗・俄館播遷({がかんはせん}、露館播遷)
 ロシア公使は、義兵闘争で首都の治安が悪化したという名目で、仁川に入港したロシア軍艦から150人の精兵を呼び寄せロシア公使館の警固にあてた
 高宗は、清国に替わってロシア帝国を新たな宗主国とし、事大主義からロシア帝国に忠誠を誓った。
 11月28日 春生門事件。王の側近やキリスト教宣教師達は、高宗を大院君や開化派が支配する景福宮から救出し、安全な第三国の公館に動座させようとした。だが、計画は失敗した。
 高宗は、日本と敵対関係にあるロシア帝国に軍事支援を求めるべく行動を始めた。
 ロシア帝国も、朝鮮を勢力下に組み込む為に、親日の開化派政権を打倒して親露派政権を樹立するべく、貞洞派と共謀をめぐらした。
 11月29日 金弘集政権は、日本に倣って断髪令を発布し、高宗が模範として断髪を行った。
 閔妃の一族である閔泳駿は、高宗の内意を受けて、洋式化を堕落として嫌う両班を煽って暴動を起こした。
 金弘集は、2,000人以上に膨らんだ暴徒を鎮圧するに忙殺され、王宮警備は手薄となった。
   ・   ・   ・   
 1896年 鴟河浦(チハポ)殺人事件。独立派の金九(キムグ)は、日本人商人を殺害し金を奪って逃走した。
 独立派は、朝鮮独立の大義の為ならば、たとえ民間の一般人であっても日本人を殺害する事を認めていた。
 1月 両班や庶民は、格下と見下していた日本を真似した「断髪令」に猛反発して暴動を起こした。
 親日派朝鮮政府は、暴徒を鎮圧する為に軍隊を派遣した。
 親露派は、王宮の警備が手薄になった機をとらえてクーデターを起こした。
 各地の反日派も、「義を以て戦う」と言うスローガンで武装蜂起した。
 高宗は、身の危険を感じて、親露派を通じてロシア軍の国内への進駐を要請した。
 在韓ロシア公使ウェーバーは、対日戦は時期早々であると拒否した。
 ロシア帝国は、高宗を漢城のロシア公使館に保護する為の警備を決定したが、アメリカなどの非難を避ける為に、本国から新たな部隊を増派しないと決めた。 仁川に停泊しているロシア軍艦から陸戦隊を、公使館保護を名目として派遣する事に同意した。
 高宗は、ロシア公使との間で、日本の侵略から祖国を防衛する目的としてロシア軍に軍事基地用地を貸すという露韓密約を交わした。
 日本は、ロシアの侵略から祖国を守る為に軍事国家を目指していただけに、軍事基地提供の露韓密約は安全保障上の最大の脅威であった。
 1月18日 時事新報『人民の移住と娼婦の出稼』「同地(ウラジオストック)には多数の兵士屯在すれども婦人に乏しきが故に、何分にも人気荒くして喧嘩争論のみを事とし制御に困難なれば、日本より娼婦を輸入して兵士の人気を和げたし」
 井上虎治「ウラジオストックにいたムスメ(日本人女性)は、ロシアの軍人さんを相手とする事が多かった為にか、何かとやかましい規則(ロシア軍による)があった。例えば店で働く時の服装は、内地の女学生そのままの改良服に海老茶袴をはいて腰掛ける、といった珍妙な事に決まっていた。……ウラジオストックのムスメ達のこんな服装を知っていたロシアの人達が、観光団に加わって日本へ着いた時の事。歓迎の為に旗を振り波止場に並んだ小学生や女学生を見て、驚いたのなんの。こんなに大勢の、しかもあどけない顔形の醜業婦達が昼間から行列までつくって客引きする。さすがはムスメの原産地、とつくづく嘆声を洩らした」(『欧州灘のぞき』=宮岡謙二『娼婦海外流浪記』)
 2月10日 高宗は、王宮を抜け出してロシア公使館に逃げ込んだ。
 ロシア公使は、高宗を守る為に仁川湾に碇泊していた軍艦から水兵を呼び寄せて公使館を警備した。
 高宗は、ロシア公使館から政務を執り、金弘集政権の親日派閣僚の処刑命令を発した。
 一部の閣僚は、逃亡して、日本に亡命した。
 金弘集は、逃げるのは潔いとせず、暴徒によって酷たらしく惨殺された。
 朝鮮国王高宗は、ロシア公館に逃げ込むみ、今後はロシア帝国の属国として、ロシア帝国に従う事を国際社会に知らしめた。
 李氏朝鮮は、ロシアと日本を戦わせる為に、日本と仮契約していた京仁線敷設権を反故にしてロシアに与え、朝鮮鉄道の標準軌に採用していた日本の狭軌レールをロシアの広軌レールに変更した。
 2月11日 高宗は、極秘で閔妃殺害犯として禹範善ら数人の捕縛を命じた。(『朝鮮王朝実録』高宗33年)
 事件当時から。李氏朝鮮王宮では、閔妃を殺害したのは大院君派の朝鮮人であり、景福宮の配置を知らず閔妃の顔すら知らない日本人では不可能であるという噂はあった。 
 閔妃に仕えていた忠実な宮女が、銃で殺すと脅かされても主人である閔妃を敵の手に渡さないであろうと考えられていた。
   ・   ・   ・
 高宗と王世子・李拓は、身の危険を感じて、日本軍兵士の目を誤魔化して景福宮を脱出してロシア公使館に逃げ込み、日本侵略から祖国を救う為にロシア帝国の保護を求めた。
 スペア、ウェーベル両公使は、日本に対抗する為に高宗と親露派を温かく迎え、あらゆる支援を行う用意がある事を伝えた。
 欧米諸国は、王朝政府が自国を属国化しようと狙っている国家の公使館に逃げ込み、その国に利益をもたらすような執務を執り行うという、世界史に類例のない珍事に驚いた。
 高宗は、ロシア帝国の軍事力を背景として、現在の開化派による親日的政権を廃止し、閔妃派や親露派による新たな反日的政権を樹立した。
 開化派内閣を国を売る賊党と指弾し、金弘集総理と4大臣を逆賊として法院で裁かずただちに捕殺する様に命じた。
 朝鮮は、中国同様に人治国家であって法治国家ではなかった為に、国王の鶴の一声で全てが決まった。
 捕らえられた前領議政の金弘集は、反日派暴徒の群れに放り込まれて見るも無惨に惨殺された。
 国内改革を進めていた開化派の魚充中や鄭秉夏らも、惨殺された。
 新たに領議政となった親露派の尹炳始は、日本型の改革を破棄し、ロシアから財政と軍事顧問を受け入れてロシア指導の改革を始めた。
 朝鮮の鉄道敷設や鉱山採掘や森林伐採の諸権利を欧米列強に売却し、ロシア帝国には軍事的な意味合いの利権を与えた。
 李完用外部大臣は、ロシア帝国に多くの利権を売り渡すことは亡国になるとして猛反対した。翌年、親露派ではあったが、ロシア帝国に逆らったとして地方官に左遷された。
 日本は、朝鮮から排除された。
 高宗と朝鮮政府は、ロシア帝国の保護下で国家運営を行った。
 ロシア帝国の目的は、朝鮮を近代化する事ではないく、単に植民地として支配して富を搾取する事のみであった。
 よって、朝鮮が賄賂や買収で腐敗堕落しようと、高宗や両班が贅沢三昧の放蕩生活を続けようと、庶民が塗炭の苦しみに喘ごうと、飢え死にしようと、疫病で死のうと、気にはしなかった。
 片野次雄「さらに群衆は、金弘集の屍体の両足を荒縄でしばり、はやしたてながら、鐘路の四辻まで引きずっていった。沿道に群がった他の民衆は、その屍体に唾をはきかけ、口をかぎりにののしった。背筋が凍るほどにむごたらしい光景がそこにあった。流血の惨劇は、ほかにも多発していた」(『李朝滅亡 1864ー1910』P.262)
 ウェーバー公使は、日本軍が高宗奪還に暴走する事を警戒して、ロシア公使館の防衛強化の為に仁川等に碇泊しているロシア軍艦から水兵100名以上を館内の配置し、日本側の攻撃に注意する様に命じた。
 ロシア帝国は、日本との武力衝突は時期早々として表だっての反日派支援を控え、日本への懐柔策として高宗の引き渡しに同意した。引き換え条件として、朝鮮の軍事と経済を支配する為に軍事顧問や財政顧問を派遣する権利を日本に認めさせた。
 ロシア軍は、朝鮮内の暴動からロシア人居留民を保護する名目で、100名以上の水兵と大量の武器弾薬をロシア公使館に送り込んだ。
 大韓帝国の歳入は約750万円で、計画性のない乱脈財政と汚職の横行で破産状態にあった。財政健全化の為に、ロシア政府が推薦するアレクセーエフを顧問として招いた。
 台湾総督府の歳入は、2,542万円であった。
 朝鮮政府は、助力に対する感謝として咸鏡道の鉱山採掘権と鴨緑江および鬱陵島森林伐採権を、ロシア側に与えた。
 ロシア資本は、国際資本と協力して、日本の利権に食い込み朝鮮での利権を拡大させた。
 高宗ら反日派も、日本の利権を削減させる為に、鉄道敷設権などの権利をアメリカやイギリスの国際資本に与えた。
 ロシア政府は、皇帝ニコライ2世を筆頭株主とする国策会社・東亜工業株式会社を設立し、朝鮮への影響力拡大を図った。
 皇帝・国王を国家元首とする欧州諸国は、国家財政に負担をかけない為に、富の多くを安定した形で王室・帝室に集まるような機構を作り上げていた。
 日本も世界常識に従い、国家予算とは別な形で皇室費を運営する為に、天皇を大株主とした優良会社を幾つも所有していた。
 ロシア軍は、朝鮮侵攻と対日戦に備えて、採掘や伐採の労働者の中に多くの兵士を送り込んだ。そして、釜山湾外の絶影島を太平洋艦隊の海軍基地にするべく租借地として使用する事を求めた。
 日本は、対馬の対岸にロシア海軍の基地が出来る事に恐怖して、開化派の独立協会に圧力をかけて絶影島貸与を阻止させた。
 独立協会は、独立国を印象付ける為に、中国の属国を象徴する迎恩門を破壊して独立門を立て、中国使節を臣下として迎えた慕華館の屈辱的な扁額を独立館に改名した。さらに、民族啓蒙活動の一環として、下層階級の文字として軽蔑されていた諺文(ハングル文字)を使用した独立新聞を創刊した。
 日本は、両班勢力の反対を退け、民族言語としてのハングル普及に協力した。
 儒教知識人は、中国を上位の国として慕う事大主義こそ朝鮮が取るべき正しい道であり、高度な漢字文化による神聖な伝統が破壊されるとして猛反対した。
 親ロ派は、日本を全滅させるはずであった絶影島租借が阻止された事に激怒して、独立協会を潰す為に皇国協会などの民族主義団体を動員した。
 狂信的民族主義者は、独立協会員やその支持者およびその家族を襲撃し、時には殺害した。
 独立協会員は、身の危険を感じて日本やアメリカに亡命した。
 残った開化派は、日本の支援を受けて新たに万民共同会を組織した。
 反日派は、如何なる親日的組織も認めず、万民共同会も弾圧した。
 残った開化派幹部も、日本に亡命した。
 逃げ遅れた親日派は、国家への裏切り者として検挙され、その家族は奴卑として売られた。
 反日朝鮮人は、憂国から親日派要人へのテロを始めた。
 5月14日 小村寿太郎は、ロシア軍が朝鮮駐留部隊を増加させない為に、ウェーバー公使と朝鮮に関する覚書を交わした。
 ロシア側は、高宗を保護しているという強みがあったが、この時点で日本との緊張を増加させる事は好ましくはないとして、日本側の要求を受け入れて譲歩した。
   ・   ・   ・   
*東アジア諸国反日攻守軍事同盟 
 5月 日本政府は、ロシア帝国との緊張を緩和する為に、ニコライ2世戴冠式山縣有朋(下級武士出身)を特派全権大使として派遣した。
 高宗は、ロシア帝国を利用して日本に対抗するべく、ワシントンから帰国途中の閔泳煥駐アメリカ公使をサンクトペテルブルグに派遣した。
 閔泳煥は、ロバノフ外相に、ロシア帝国からの保護を強化してもらう為の五ヵ条の請願書を提出した。
 ロバノフ外相は、自国を自力で守る事を放棄し、大国に依存しようとしている属国意識の強い朝鮮を軽蔑した。
 如何に真っ当な公理公論で、筋道を立てて論じたところで、自分で血も汗も流さず他国にその犠牲を肩代わりさせようとする卑劣奸を信用しなかった。
 特に、自分の安全と繁栄の為に他国の若者の命を金銭・利益で買おうとする相手を憎んだ。
 ロシア帝国は、朝鮮を信義も礼節もなき最低の国家で対等に話し合う資格のなき国と見なし、満州を租借した後に、朝鮮を領土として消滅させる事に決めた。
 だが、せっかく飛び込んできた獲物をアメリカやドイツ帝国などに獲られない為に、思わせ振りな態度を見せながら適当にあしらって半年近く放置した。
 高宗を満足させるべく、身辺警護の為にロシア人将校を派遣した。安全を保障するかわりに、給与や生活の諸経費は全て朝鮮に負担させた。
 ロバノフ外相は、李鴻章と、日本を両国の共通の仮想敵国とする第一次露清秘密協定を結んだ。事実上の、軍事同盟であった。
 李鴻章は、50万ルーブルの賄賂を受け取った。
 シベリア鉄道が完成するまで、日本との軋轢を回避する為に同軍事同盟は極秘とされた。
 そして、イギリスやアメリカに警戒心を抱かせない為に細心の注意を払った。
 清国は、にこやかに日本との友好を表明しながら、その裏では日本への復讐戦の為に準備を進めていた。ロシア軍に、満州を自由に使う許可を与えた。
 儒教を信じる東アジア人は、怨みは決して忘れず、100年後でも、1000年後でも、必ず晴らす事を祖先に誓い、そして100倍返しで実行した。
 朝鮮は、大国の傀儡となり属国になろうとも、自国の安全を日本から守る為に戦争を起こさせようとしていた。
 ウィッテ蔵相「シベリア鉄道を建設する事で、極東に配備される我が艦隊に必要不可欠な石炭や食料を供給できる。確固たる軍事拠点を持つ事で、太平洋一体に大きな影響力を持つ事ができるようになるだろう」
 7月 若手の開化派官僚らは、政治混乱を鎮める為に政治結社・独立協会を設立し、親日的青年達が参加した。
 アメリカに亡命していた開化派の徐載弼は、帰国した。朝鮮の自主独立を勝ち取り、国民に自由民権を啓蒙運動を行う事を目的とした、独立協会を結成した。腐敗堕落した朝鮮の現状の改革を願う人々が参加し、3ヶ月で1万人が会員となった。そして、漢城の目抜き通りの鐘路の四つ角で万民共同会の集会を開き、世論を煽って政府に改革を求めた。
 高宗や守旧派は、親日的開化派の再結成と警戒した。
 独立協会は、高宗に対してロシア公使館から宮廷への帰還を求めた。
 9月 清国とロシア帝国は、南満州支線施設の密約に従って東支鉄道施設権協定を締結した。
 12月 韓善会事件。重臣や民衆は高宗が王宮帰還できないのはロシア公使館に軟禁されているかれであるして、国王奪還を計画する建てたが、発覚した。




   ・   ・    ・   

国民の神話  日本人の源流を訪ねて

国民の神話 日本人の源流を訪ねて

  • 作者:産経新聞社
  • 発売日: 2014/04/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)