韓国ドラマで学ぶ朝鮮王朝の歴史 (キネ旬ムック)

韓国ドラマで学ぶ朝鮮王朝の歴史 (キネ旬ムック)

  • 発売日: 2009/12/11
  • メディア: ムック
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 
 親露派反日派派勢力の拡大。
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 パトリック・ヘンリ「屈辱の平和は甘美ならず。尊厳は命より重し。我に自由・独立か、然らずんば死を与えよ。自由・独立は鮮血を以て勝ち獲るものなり!」
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 千葉で日本政府の保護を受けていた故大院君の孫李筇鎔(イジュニョン)は、朝鮮国王への野望を捨てず、自派閥を増やす為に王妃閔妃殺害事件に関与して日本に亡命していた者と密接な関係を続けていた。
 郄宗は、甥の李筇鎔が目障りな為に暗殺者を送り込んだが失敗した。
 朝鮮王家の王位を巡る骨肉の争いや政府高官等の政争は、日本人では想像できないほど陰惨で凄惨であった。
 おぞましい程の権力闘争は、朝鮮人の民族性でもあった。
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*高宗皇帝の敵日強硬政策
 1900年 日本政府は、友好の証しとして、資金を提供し技術者を派遣して、ソウルと仁川をつなぐ漢江大鉄橋を架橋させた。
 高宗は、親露派と協力して親日的な独立協会の打倒に乗り出した。
 中心的存在であった徐載弼は、中枢院顧問職を罷免されてから守旧派による脅迫が続いた為に、身の危険を感じて家族と共に再びアメリカに亡命した。
 徐載弼は、開化派の同志であった金玉均金弘集らの無惨な末路を見、その家族の悲惨な運命を見てきただけに、家族を守る為に迷う事なく祖国を捨てた。
 西欧文化に触れた朝鮮人は、個人欲の塊として腐敗堕落した儒教社会に絶望し、祖国への愛国心や忠誠心を捨て、命を賭けて祖国に尽くそうという公徳心を持つ事なく、個人の祖先崇拝を守るべく国外に逃亡した。
 そこには、国家や民族という運命共同体意識は皆無であった。
 正統派儒教は、王朝や国家の様な興りては滅ぶ陽炎の様なあやふやな幻影よりも、祖先から続く家族こそ迷う事なき実態である。人の道とは、国家への愛国心や皇帝・君主への忠誠心より、祖先の孝徳に感謝し、祖先を祭る事であると。祖先への孝の守る為なら、国家を裏切り、主君を見捨てる事も「やむなし」と。
 崔基鎬「儒教こそ李氏朝鮮を腐らせた最大の原因だった。李朝の太祖となった李成桂が、朝鮮を中国の属国とするおともに、それまで高麗の国教となっていた仏教を徹底的に弾圧して、中国の儒教をそのまま取り入れて、新しい国教としたことが、韓民族を5世紀にわたって〝北東アジアの病人〟とした。儒教李氏朝鮮にとって、死に至る病となった。……
 儒教は人間関係をあるべき型にはめて規定することにより、人の行動を律する教えの体系である。朝鮮では儒教のもとで、父親と息子の孝に基づく関係が、何よりも重視された。これは、君臣関係や、主従関係よりも、大切なものとされた。そして中国を宗主国である上国として仰いだから、儒者たちは明の歴代の皇帝のありもしない徳を称え、忠誠心が自国の王よりも、明の皇帝へ向けられた。
 朝鮮の儒教は、日本が儒教をつまみ食いして、〝日本型の儒教〟につくり変えたのと違って、社会から活力を奪ってしまった。人にとって、不孝こそが最大の罪であって、一族がすべてに優先した。……李氏朝鮮社会における女性の扱いにも表れている。妻は夫の両親に仕えることが、もっとも大切な役割とされ、夫との人間関係は軽んじられた」(『日本併合の真実』P.232・233・234)
 独立新聞は、近代化の歩みを止めない為に独立協会の援護し、儒教価値観に囚われて近代化を妨げる守旧派や利権に群がって私腹を肥やす親露派の腐敗を攻撃する論陣を張った。
 政府寄りの皇国協会は、開化派や親日派へのテロを始めた。
 高宗は、皇帝権力を強め宮廷費を増やす為に、党派抗争を煽っていた。そして、独立協会の解散と幹部の一斉検挙を命じた。
 中立派であった帝国新聞や皇城新聞は、権力で言論を弾圧し、反対派を不当逮捕する事に抗議した。
 万民共同会も、抗議集会を開催して、政府に不満を持ち下層階級の支持を拡大させた。
 高宗は、抗議を民意として受け入れ、逮捕した会員を釈放し、独立協会の復活を許可した。そして、政府側としてテロを行った者を逮捕させた。
 その裏は、商工業の発展で職を失う恐れのある行商人等を煽って、近代化を求める万民共同会などを襲撃させた。
 朝鮮は、高宗の王朝を維持しようとする強い意志によって、国際情勢に関係なく混乱を深め、国内は各党派による抗争が激化して分裂した。
 政府高官は、事態を収束させるより、各派が抗争で自滅する事を願い、相も変わらず贅沢な生活を楽しんでいた。
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義和団の乱(北清事変 1899〜1901年)   
 1900年 義和団の乱(扶清滅洋)。義和団暴徒は、各地でキリスト教会や外国人住宅を襲っては略奪と破壊を繰り返した。多くの外国人宣教師や外国人居留民を、子供・老人に関係なく殺害した。女性であれば、強姦してから殺すか、娼婦にする為に人身売買業者に売った。中国人信者数万人は、更に凄惨に猟奇的な方法で見せしめに惨殺した。
 宣教師の多くは、安全な日本に避難し、東アジア布教の拠点とする為に朝鮮で信者を増やした。
 朝鮮人キリスト教徒は、救国運動として反日勢力を支援し、活動資金に充てる為の寄付金を募集した。
 清国政府は、主権国家として治安を回復し、外国人居留民を保護する為に法秩序を確立する気がなかった。現場の中国人警察官も、命を危険に晒してまで外国人を守る気はなかったのである。
 諸外国の駐屯部隊は少数な為に、大都市内の租界を守るのが精一杯で、租界外の自国民を保護する事は事実上不可能であった。
 清国は、華北で起きた排外運動を利用し、義和団に味方して欧米列強に対して宣戦布告し、ドイツ公使と日本公使館書記生を惨殺した。
 日本・アメリカ・イギリス・ロシア・フランスなど八カ国は、自国の外交官と居留民を救出する為に出兵した。これは、国際戦争であった。
 連合軍は、世界常識である「目には目」の報復権利から、多くの中国人を殺害し、富裕層の邸宅から金銀財宝を略奪した。
 ロシア軍は、17万人の大兵力を満州に侵入させ、虐殺を繰り返して恐怖で全三省を軍事占領した。植民地化された地元住民は、奴隷として人権を持った人とは認められず、人間以下の家畜の様にあしらわれ搾取され殺された。
 清朝末期から、租界は無法地帯・中国に取り残された唯一安全の陸の孤島であった。
 租界とは、欧米列強が香港のように侵略して奪った土地ではなく、中国人が外国人(野獣のような文明を持たない汚らわしい野蛮人)を閉じ込める為に都市近くに設けた区域(檻)の事であった。
 ロシア帝国は、八ヵ国連合軍を裏切る様にして賄賂攻勢をかけて、第二次露清密約を締結し、さらに満州鉱山採掘権密約案を協議した。
 慶親王李鴻章などは、亡国につながるとして、最後まで反対していた。
 ロシア帝国は、長城以北の満州内蒙古保護領下する事を、清国に認めさせた。
 第5条 満州外モンゴル内モンゴルの諸省において、第三国に何ら便宜を与えない。
 第6条 満州には清国は鉄道施設をしてはならない。
 クロパトキン「この機に乗じて満州を占領する必要がある。……違法的でも何でも構わない、卑しくも我々が一度満州を支配したのは事実である。占領した以上は、これを利用しなければ嘘だ。この際何でもかんでも勢力を扶植するのが我々の利益である」
 日本軍部は、ウラジオストクと旅順の両軍港に艦隊を置き、サハリンから満州にかけて大軍を配置したロシア軍に危機感を強めた。
 日本は、ロシア帝国との間に存在する朝鮮の反日的行動に神経を尖らせた。
 日本を含む八ヵ国連合軍は、北京で義和団と清国軍に包囲されて攻撃を受けていた各国公館を救出した。
 北京に流れ込んだ八ヵ国連合軍は、虐殺と強姦と略奪を行った。
 ワルデルゼー(ドイツ軍司令官)「各国軍隊に三日間の略奪を許可した。そのあと私物とする為の略奪を許可した。この破壊と略奪による支那の損失の詳細な数量は永久に調べがつかないだろう」
 略奪行為が最もひどかったのはロシア軍であり、上級将校はその特権を用いて部下が奪ってきた高価な略奪品を横取りした。
 大陸の戦争では。戦闘後に、命がけで戦った将兵に対する当然の報酬として、占領地で略奪と強姦を行うのが当然の権利とされていた。
 それが世界常識であり、それをしない者には人に言えない後ろめたい理由ががあり、そしてしない者は命を的に一緒に戦う仲間とはみなされなかった。しない者は、必ず仲間を裏切ると。
 故に。サムライ的潔しさを貫いた日本は、世界常識がわからない野蛮国として国際社会で孤立した。
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 アムール川大虐殺事件。 満州義和団は、アムール河畔のロシア帝国領ブラゴヴェシチェンスクを占領した。
 ロシア軍は、ブラゴベシチェンスクを奪還するや、報復として現地のモンゴル人・満州人・中国人ら女子供に関係なく数千人を虐殺した。
 石光真清「この僅かな時間に、支那街に押し込まれた清国人三千名は黒竜江に引き出されて惨らしくも惨殺され、老若男女を問わぬ惨殺死体が筏のように黒竜江の濁流に流された」
 欧米列強は、同じ宗教的選民思想を共有するだけにロシア軍の残虐行為を不問に付した。
 中国人は、正統派儒教価値観に基ずく人種差別意識が病的に強いだけに、4億人の内の数千人が虐殺されようが気にはしなかった。
 日本は、ロシア帝国の侵略を警戒してきただけに、ロシア軍の残虐行為に恐怖し、明日は我が民族として国土を守る為の軍備増強を急いだ。
 土井晩翠「記せよせ西紀1千9百年 なんぢの水の墓なりき
 5千の生命罪なくて ここに幽冥の鬼となりぬ
 その凄惨の恨みより この岸永く花なけん」
 反日朝鮮人は、夷・ロシア帝国の軍事力を利用して夷・日本を滅ぼす為に、ロシア軍を朝鮮半島に引き込もうとしていた。
 日本にとって、極東アジアに於ける親日的意識による安定こそがの生命線であった。
 日本軍は、清国にはロシア帝国の南下を食い止める軍事力はない判断した。
 日本政府は、ロシア帝国との戦争に備えて、日本軍が朝鮮に上陸し、朝鮮国内を自由に移動できるように通行権交渉を行っていた。
 大韓政府は、ロシア軍を支援する為に、日本軍の通過は民衆の反日感情を悪化させ反日暴動を引き起こす恐れがあり、中立を表明する朝鮮への強圧的内政干渉であるとして拒否した。
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 マーク・ピーティー「西洋諸国がアジアに進出してきた事の対し、大日本帝国が領土を獲得していく際に最も気にかけていたのは、安全保障だった」
 F・H・ノーマン「明治維新政府は独裁的であった」「明治の政治家達に対して、属国になるか、もしくは発展して勝利する帝国になるかのいずれしかないと教えていた」
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 ニューヨーク州知事のセオドア・ルーズベルトは、朝鮮人の信義なき二枚舌外交に嫌悪し、「朝鮮は日本に委せたい。ロシアを牽制できるのは日本だけ」との発言を繰り返していた。
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 1901年 北京議定書。列強は、敗北した清国に対して、北京などに居留民保護目的の軍隊を駐屯させる事を認めさせた。後年、中国は日本軍の駐屯のみを否定した。
 ロシア帝国は、満州を植民地化する為に十数万人の軍隊を駐屯させた。南下して朝鮮を支配下に置く為に、清国と協定を締結した。清国とロシア帝国は、対日戦に協力するという軍事密約を結んだ。
 両国の共通の敵は、日本であった。そして、反日朝鮮人は日本を滅ぼす為に両国に協力した。日本は、敵に囲まれ、四面楚歌にあった。
 ロシア帝国は、義和団事件が収束しても、アジア侵略目的で十数万人の大軍を満州に駐屯させた。
 さらなる増員を行い、30万人以上を各地に配置した。それだけでも、日本軍総兵力に相当した。
 日本軍部は、ロシア軍の日本侵略近しと警戒した。
 ロシア軍は、対日戦に備えて、満州の各都市に大量の戦略物資を集積し、旅順を東アジア最大の要塞軍港とした。さらに、朝鮮政府の許可を得て、鴨緑江河口にある大韓国領竜岩浦に軍事基地を建設する為に森林を伐採した。
 朝鮮政府は、日本の抗議に対して、ロシア商人の材木伐採であると回答した。
 四ヵ国分割植民地化案。中国に利権を持つロシア帝国・フランス・ドイツ帝国は、清国を分割して植民地化する事をイギリスに提案した。
 イギリスは、ロシア帝国の南下を促進させるとして分割協議から離脱した。
 日本は、朝鮮に対するロシア帝国の脅威が増大すると警戒した。
 パリ・ロスチャイルド家は、パリからモスクワを経由して大平洋に出る大鉄道網を建設する為に、ロシア帝国シベリア鉄道の建設資金を融資していた。
 ドイツやオーストリアユダヤ系金融資本も、自国の経済発展の為にロシア領の石油や鉱石などの地下資源を確保するべく、ロシア帝国の財政や軍事に資金援助を行っていた。
 日本軍部は、ロシア軍が重装備した大部隊を満州に駐屯させ、日本艦隊に匹敵する艦船を旅順に配備した事に危機感を募らせた。さらに、朝鮮国内に日本侵攻の為の軍事拠点を獲得しようとしている事に恐怖した。
 明治天皇は、国力差からロシア帝国との戦争には反対で、できれば戦争を回避する事を願っていた。
 伊藤博文は、ロシア帝国との絶望的戦争を回避する為に、満州・朝鮮の交換を目的とした日露協定を申し込んだ。
 ニコライ二世やヴィッテ蔵相ら穏健派は、国内で頻発している共産主義勢力の暴動を鎮圧する事を優先して、日本との戦争を避けるべく提案に同意した。
 穏健派は、平和の為に日本との戦争に反対したのではなく、現時点での対日戦は不利であるとして反対しただけである。国内の混乱が治まってから、日本を攻撃し滅ぼすべきであると主張したにすぎない。
 ロシアの対日強硬派は、清国の同意が得られているという自信から、日本に南朝鮮の優先権のみを許し、北朝鮮と全満州の優先権はロシア帝国にあると通告した。
 日本とロシア帝国との戦争は、不可避となった。
 戦争を回避するには、ロシア帝国の朝鮮支配を認めるしかなかったし、それは近い将来に対馬と北海道がロシア帝国領になる事を意味していた。
 それは、自国領と自国民を侵略者に割譲して戦争を回避する、タイ式平和外交であった。
 日本人は、ロシア人より貧しかったが、祖国日本をロシア帝国の侵略から守る為に、重税を我慢して軍備を強化した。
 資源のない日本は、原材料の大半を国外から輸入して日用雑貨を生産し、非軍事的商品を外国に輸出して外貨を稼いでいた。
 帝国主義の時代においては、自国を武器を持って守ろうとしない民族には生きる権利は認められず、自力を捨て他力で国を守ろうとする国は容赦なく滅ぼされた。
 非暴力無抵抗主義で「攻める意思を見せなければ戦争に巻き込まれる事はない」という考えは、自由がない奴隷階級の考えであり、全ての権利を放棄して他人の奴隷となる事を希望する者である。
 サムライ日本人は、奴隷としての屈辱的な平和を拒否し、負けるかもしれない絶望的戦争を決断した。
 欧米列強の軍人は、両国が戦えばロシア軍が勝利し、ロシア帝国は日本を占領して、日本を領土化し、日本人を農奴・奴隷にすると分析していた。
 如何なる国家の指導者も、博学な国際的知識人も、弱小新興国日本が奮戦したところで超軍事大国ロシア帝国には勝てないと確信していた。日本が破滅的戦争を避ける方法は、ロシア帝国に無条件降伏し、平和の為に領土の一部を割譲して差し出すしかないと分析したいた。
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 2月 日本に留学していた朝鮮人将校団は、高宗の次男・義親王を皇帝に担ぎ出すクーデター計画を立てて革命一心会を結成して、小グループに分かれて許可もなく帰国した。
 2月2日 イギリス女王ヴィクトリアの葬儀。欧州の外交界で、「イギリスが同盟相手を探している」という裏情報が流れた。
 ドイツ皇帝ウィルヘルム2世は、本国に日英同盟を成功させる様に命じた。
 「もしイギリスが同盟相手に日本を選び、ロシアとフランスとの間に戦争が起きれば、ドイツにとっては好都合だ。ロシアは極東で叩き潰され、フランスも全ての植民地を失って弱体化するだろう」
 イギリスは、アジアの植民地をロシア帝国の南下から守る為に、日本が義和団の乱で見せた武士道精神に感動して同盟を締結したわけではなかった。単に、日本の海軍力でロシア軍の南下を阻止し、清国の利権を守る事のみであった。日本とロシア帝国の、全面戦争を求めてはいなかった。ロシア帝国の大敗は、「黄禍」の実現になるとして警戒していた。
 帝国主義時代に、その様な甘ちょろい三文小説の様な戯言は存在しない。
 大英帝国は、世界最大の植民地帝国であり、超リアリストとして老獪なな外交を行っていた。
 イギリスが日本の武士道精神に感動して同盟を結んだと信じる者には、歴史の何たるかが全く理解できない無能者である。
 イギリスは、1899年から南アフリカのダイヤモンドと金を略奪する為に、ボーア戦争を戦っていた。正規軍は、オランダ系入植者からなる民兵のゲリラ戦に苦戦を強いられて、中国に軍隊を派遣するゆとりがなかった。
 清国に期待して支援していたが、日本に敗れて見捨てた。
 日本は、大国清国を破ったといっても依然として小国に過ぎず、同盟を結んでも手綱を持って操れると踏んだ。
 イギリスも、宗教的白人至上主義から、本心で有色人種の日本人を対等とは見ず、犬に等しい下等な中国人よりは幾分かはまともとしか見ていなかった。
 ドイツ帝国は、日本にイギリスと同盟を結ぶ事は有意義な事であり、将来的にドイツ帝国も同盟に参加する事を臭わせた。
 ウィリヘルム2世は、日本とロシア帝国を戦わせる為に、日本に対して好意的中立を表明し、フランスがロシア帝国を援助する時は独仏国境に軍隊を集中させて牽制すると申し込んだ。
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 3月 加藤高明外相は、第二次露清密約は日本の安全保障を脅かすとして、ロシア帝国に抗議した。
 加藤高明「ロシアが満州から全面撤退しない限り、朝鮮半島問題の二国間交渉など受け入れられない」
 日本は、ロシア帝国の南下を阻止する為に、満韓交換交渉を行う。ロシア帝国は、日本の支配権は半島の南半分のみであると回答した。
 恐露症の伊藤博文山県有朋らは、ロシア帝国との絶望的な戦争を避ける為に、対露宥和政策を推し進めていた。
 桂太郎小村寿太郎らは、ロシア帝国との戦争は避けられないとして、露清分離工作と日英同盟を進めていた。
 日本は、外交努力で第二次露清密約と満州鉱山採掘権密約を廃棄させた。
 ロシア帝国は、国家の名誉とアジアにおける利権を守る為に、日本を相手に自衛戦争を決意した。
 こうして、日本とロシア帝国による極東アジアの覇権をめぐる戦争は不可避となった。
 明治天皇は、外国と同盟を結ぶにあたって、信用度を調査する様に外務相に命じた。
 外務相は、国際条約を一番多く破る国はドイツ帝国であり、次ぎにロシア帝国である。イギリスは国際的にウソつきであるとの評判であるが、ドイツ帝国ロシア帝国に比べると幾分かは信頼出来ると報告した。
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 4月24日 山県有朋「日本とロシアは近い将来、このまま行けば一大衝突を引き起こす可能性が高い、そうなる前に急いで同盟の成立を図るべきである」(『東洋同盟論』)
 伊藤博文井上馨ら日露協商派は、開戦を回避する為に、韓国の利権を守る為に満州の利権をロシアに譲るべきであると、「満韓交換論」を唱えた。
 山県有朋小村寿太郎日英同盟派は、日本をロシア軍の侵略から守る為にも早期に開戦するべきとして、満韓不可分一体論を唱えた。
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 6月 桂太郎陸軍大将は、軍事大国・ロシア帝国との戦争に備えて内閣を組閣した。
 朝鮮政府の失政と政府高官の腐敗と両班の横暴で、貧富の格差が広がって治安は悪化し、零細農民や都市下層民は地獄の様な生活を強いられていた。
 科挙に合格できない家柄の低い両班は、困窮する人民を集めて政治的宗教的な秘密結社を幾つも組織して反政府暴動を起こしていた。
 朝鮮政府には、統治能力がな為に混乱を鎮める事ができず、自分達の無能無策を隠蔽する為に社会の混乱を反日感情で解消しようとしていた。
 桂首相は、日本の安全の為には、大陸国と策謀して反日行動を止めない朝鮮を支配する必要があるとして、将来「韓国を保護国となす」という政綱を決めた。
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 11月 ロシア帝国ラムズドルフ外相の、クロパトキンへの書簡。「高すぎる代価まで払って、日本と新しい協定を結ぶべきでない。朝鮮をまったく諦めて日本にこれを譲るがごときは高すぎる代償である」
 ニコライ2世「日本が韓国に確固たる地歩を占めようとするならば、それはロシアにとって開戦理由となるであろう。日本が韓国で地歩を確立する事は、極東で新しい海峡問題を作り出すのと同じ意味になるものであり、ロシアはそれを決して許容しない」
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 12月 ラムズドルフ外相は、駐露フランス代理大使プーティロンに、朝鮮半島中立論を説明した。「我々は中立の朝鮮を必要とする。……我々がけっして日本に朝鮮を与えない事は確実だということを、日本は理解すべきである。もし朝鮮が自由でなくなれば、我々の極東における全戦略が脅かされる。朝鮮における日本の経済活動などは心配していないが、旅順からウラジオストックに至るルートは障碍なくしておきたい。もし日本がこれに同意しないのであれば、陸海における戦闘という犠牲を払わねばならない」
 ロシア帝国のアジア戦略は、カムチャッカ半島・サハリン・満州朝鮮半島占領し、オホーツク海日本海を支配して、太平洋に出ることであった。
 日本列島は、ロシア帝国生存権を脅かす位置に存在していた。
 大韓帝国は、統治能力がないだけに、日本とロシア帝国を戦わせることで生き残りを図っていた。
 軍国日本は、東アジアと日本の安全保障の為に、朝鮮を領土化するロシア帝国の中立論を戦争を覚悟して断固拒否した。
 対露開戦派は、日本がロシア帝国の植民地化されなくとも、北海道を割譲される事を警戒していた。
 一部の反戦平和派は、タイ方式にならって、北海道を譲っても話し合いで戦争を避けべきだと主張していた。


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まんが「日本の神話」

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