☰56〕─2─大韓帝国は、日韓議定書を取り交わしたが、反日工作として李承晩を密かにアメリカに派遣した。明治37年2月10日 ~No.164No.165No.166 @ 

米国に堂々と対した大韓民国の大統領たち

米国に堂々と対した大韓民国の大統領たち

  • 作者:李 春根
  • 発売日: 2014/05/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 中東・中近東・アフリカのイスラム世界では、ロシア帝国と一国で戦った小国日本の勇気を称え、他国の援軍もなくロシア軍を撃退して勝利を収めた日本軍の武勇を尊敬していた。
 白人の植民地支配に抵抗する独立運動家や白人の人種差別に反対する非白人種は、押し並べて「親日派」となっていた。 
 ガートルード・ベル「供をしたベトウィン達は宿営地で夜遅くまで日本軍がロシア軍を蹴散らして行く情報を歓声を交えて、語り合っていた」
 「彼らはまだ見ぬ日本人を同じ部族と信じ、それは小アジアでも同じだった。」(『シリア縦断紀行』)
 ハフェズ・イブラヒム(エジプトの詩人)「日本人は東洋にかっての日々を取り戻し黒人にも褐色の人にも同じ権利を認めさせた」
 アルモヤド紙「植民地から脱する白人との戦いに協力を得るべきだ」
 アメリカ・イスラム系黒人組織「日本は白人の仕切る悪の世界を終わらせる為に再臨した預言者
 マルコムX「私は軍隊に入って戦いたい。ただ入りたい軍隊はただ一つ、日本陸軍だ」
 白人の圧迫を受けていた非白人の間で、親日派が多かった。
 反日派は、朝鮮と中国と白人支配で利益を得ている非白人であった。
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 親露派朝鮮人は、ロシア帝国の勝利に貢献すべく日本軍情報をロシア軍に知らせようとしたが、全ての通信手段が日本軍によって遮断されていた。
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 反日朝鮮人は、ロシア帝国を勝たせる為に日本軍の後方で暗躍していた。
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 日本軍は、国際法を無視して、中立を宣言している韓国内の情報手段を武力で切断した。
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 アメリカは、フランスがロシア帝国との条約で戦争に介入しない様に圧力をかける為に艦隊をヨーロッパに派遣し、フランスとイギリスが対ドイツの同盟を締結する様に斡旋した。
 セオドア・ルーズベルト「私は、日本が韓国を掌握する事をこの目で見たい。日本は、ロシアに対し阻止勢力となるだろう、日本がこれまでしてきた事から推察して、彼等には韓国を掌握する資格がある」
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 2月10日 日露戦争勃発。
 日本政府は、ロシア帝国満州と朝鮮に軍事拠点を築いて日本の安全を脅かし、日本はその脅威を取り除く為に話し合いによる外交努力を重ねたが、ことごとく拒否されたとして、ロシア帝国に対して宣戦布告した。
 東洋の小犬が、巨体のシロクマに噛み付いたのである。
 大韓帝国は、日本の後ろに立って、隙あらば日本の頭を棍棒で叩き割ろうとしていた。
 清国・中国は、日本が弱って立てなくなるのを待ちながら、青竜刀の刃を研いでいた。
 ロシア皇帝ニコライ2世は、平和を乱し戦争を起こしたのは好戦的な日本であると非難して宣戦布告を行った。
 ロシア政府は、宣戦布告前に奇襲攻撃してきた日本軍の卑劣さを、国際世論に訴えた。
 国際世論も、日本の卑劣な騙し討ちを批判した。
 ロシア軍は、ナポレオン軍を破ったという自信と世界の最強軍団であるという実力から、弱小な日本軍を蹴散らして朝鮮から日本本土まで占領すると豪語していた。
 ロシア軍も、大軍を満州に駐屯させその経費が国家財政を圧迫していた為に、日本軍同様に速やかな開戦を希望していた。
 日本軍は、満州への進軍に際して、その後方に位置する朝鮮が非協力どころか利敵行為に走り、各地の反日義兵団の活動が活発にある事を最も恐れた。
 日本外務省は、親日の開化派を使って、大韓政府との間で秘密協定を結ぼうとしていた。
 親露派などの反日勢力は、ロシア軍の最終勝利信じて、日本有利の協定に反対した。
 2月12日 漢城に駐在していたロシア公使パブロフは、公使館員と共に公使館を閉鎖して退去した。
 親露派は、ロシア帝国と組んで日本を滅ぼして利益を得ようとしていただけに、ロシア公使等の脱出に衝撃を受けた。 
 高宗は、朝鮮からロシア帝国軍が姿を消した為に、直ちに、日本に緒戦の勝利を祝う電報を明治天皇に送った。同時に、本心とは裏腹に、全土に日本軍に協力する事を命じた。 
 日本側の疑念を受けない為に、親露派などの反日的政府高官らを守るべく罷免し、勅命をもってアメリカや清国や日本などに外遊させた。
、それは、「敵を欺くなら・まず味方から」という戦略であった。
 高宗は、英明な君主として、勝ち馬のロシア帝国に味方し、日本側に証拠を掴まれないように細心の注意を払いながら日本軍の情報をロシア軍に流していた。
 反日義兵団は、日本と天皇を滅ぼすべく、日清戦争では中国軍に全面協力し、日露戦争では日本軍の後方でロシア軍の為に破壊工作を行っていた。朝鮮人は、表面では日本人に協力する振りをしながら、裏では利敵行為を行っていた。
 2月23日 日韓議定書。
 日本政府は、日清戦争での苦い経験から、朝鮮の利敵行為を封じ込める為に、軍事的圧力を加えて日韓議定書を押し付けた。
 大韓政府は、李氏王家に危害を加えない事を条件として秘密協定を結んだ。
 高宗は、日本軍の緒戦の勝利に驚いたが、最後にはロシア軍が勝利すると信じていた。だが、日本軍の支配下に置かれた身としてやむをえず、協定を受け入れた。
 日本軍部は、満州の主戦場への兵站輸送と部隊間の情報連絡の安全を確保する為に、大韓帝国への保護監督権を強化し、反日義兵団の破壊工作を封じた。そして、同議定書を盾にとって、満州侵攻に必要な要地を朝鮮人から強制的に収用した。
 開化派は、条文が日本の保護国になった様に解釈される為に、国民の反発を買うとして発表せず秘密協定とした。
 日本側も、対露戦争が始まった所で、反日義兵団が日本軍の後方で騒動を起こし混乱を拡大する事を恐れて、秘密にする事に同意した。
 だが、朝鮮の「帝国新聞」は、知る権利を盾にし、秘密協定の大要を掲載して国内に渦巻く反日意識を煽った。反日派は、事実上の日本の保護国化かであるとして反対し、ロシア帝国に日本軍の動静を極秘に知らせていた。
 親日派一進会(会員約10万人)は、日本人にならって頭髪を切り洋服を着て、日本軍に協力して軍需物資の運搬や敵状の偵察などを行った。
 大韓帝国は、政治犯である李承晩を出獄させ、アメリカに日本の横暴を訴えるべくワシントンに派遣した。
 だが。副大統領は、大韓皇帝の密使を適当にあしらって取り上げなかった。
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 2月24 第一次旅順港閉塞作戦(海上封鎖作戦)は、失敗した。
 閉塞艦隊5隻に決死隊77名の志願募集が行われ、2,000人以上の水兵が応募した。
 艦隊参謀長の加藤友三郎は、国を想い、国を愛し、国を敵から守る為に、自己犠牲を申し込んだ若き水兵達の純真さに思わず号泣した。
 当時の日本人にとって、ロシア帝国の侵略から国を守るという意気込みで、国民としての義務として戦場に立っていた。
 対するロシア人にとっては、領土拡大を目的とした伝統的な皇帝と貴族達の戦争であって、自分達の戦いではないという厭戦気分のままで戦場に送り出されてきた。
 3月27日 第二次閉塞作戦は、4隻の閉塞船を投入して実行されたが、またもやロシア軍に察知されて失敗した。
 この作戦で、閉塞船「福井丸」を指揮した広瀬武夫少佐が戦死した。
 広瀬武夫は、靖国神社の軍神として祀られた。
 5月2日 第三次閉塞作戦は、12隻もの閉塞船を用いた最大規模の作戦であったが、天候不順と陸上砲台からの迎撃で失敗した。多数の将校、准士官下士及らも戦死又は行方不明となった。
  閉塞作戦は三次に亘って行われたがいずれも失敗に終わったが、ロシア軍は自殺好意的な日本海軍の戦闘意欲に恐怖した。
 靖国神社に祀られた広瀬武夫は、各国の海軍将校の手本として称えられた。
 来日した外国の軍人の多くは、同じ軍人として祖国を守る為に戦死した日本軍人への敬意として、例外なく靖国神社を参拝した。
 靖国神社は、全ての国の軍人にとっての世界的な聖地であった。
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 2月27日 大韓政府は、国民の不満を鎮める為に、同議定書を官報で告示した。国民世論は、政府の日本に対する弱腰に激怒して反対運動を起こした。
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 3月 伊藤博文は、対露開戦が避けられなくなった以上、高宗と大韓政府が日本に協力するか確かめる為に訪朝した。
 親露派は、伊藤が好色家で女にだらしない事を知り、王宮から選りすぐり美女をその宿舎に送り込んだ。その中に、王家に近い両班出身の蠔貞子がいたという。
 当時から、日本人男性は女にだらしなく、美女に弱いというのが評判となっていた。
 3月11日 日本軍部は、満州への本格侵攻を目前にして、朝鮮内での混乱を恐れ、後方の治安を維持する為に約1万3,000人の部隊を朝鮮各地に駐屯させた。
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 4月 日本政府は、戦争に勝利する為に、対韓基本方針を協議し、対韓施設綱領を決定した。
 明治天皇も、政府が決定した基本方針を裁可した。
 4月3日 朝鮮占領軍は朝鮮駐劄軍と命名され、長谷川好道大将が司令官として着任した。
 長谷川司令官は、朝鮮政府軍や警察当局に対して反日義兵団による攪乱を封じ込める様に命じ、大韓政府には破壊工作が英雄行為として広がらない様に厳しい報道規制を命じた。
 反日派は、大韓帝国は独立国でり、国民には知る権利があると反発した。
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 5月1日 日本軍第一軍約4万2,000人は、鴨緑江南岸に集結し、ロシア軍の大軍が守る一大防御戦を総攻撃した。白兵突撃で、突破して清国領満州に進軍した。
 日本は、緒戦の勝利に沸いた。
 高宗と親露派は、ロシア軍が日本軍を満州の奧懐に誘い込んで殲滅するという、基本戦略を実行しているだけであると深読みしていた。
 開化派は、朝鮮の独立を守るべく日本軍に協力した。
 日本軍の軍需物資を運搬する朝鮮人労務者は、強制的に徴用されただけに、日本軍の苛酷な命令に憤り、日本軍兵士の差別に憤慨し、反日的意識が蔓延し始めた。
 5月4日 日本軍第二軍約3万6,000人は、遼東半島の塩大澳に上陸し、地元の満州人を人夫として大量に雇用した。
 親露派は、日本軍主力が満州に移動して日本側の監視が弱まった事を見計らって、日本側の情報をロシア軍に流し始めた。
 反日義兵団は、ロシアの大軍が日本軍を撃破し南下するのを固唾を飲んで願っていた。
 朝鮮駐劄軍は、戦争の行方を左右しかねないとして、大韓政府に強圧を加えて反日派の利敵行為を暴力的に押さえ込んだ。9月12日 破壊活動を行っていた反日派3名を、公開で処刑した。朝鮮市民は、その不当行為に激怒した。
 ロシア政府にしてもロシア軍にしても、宗教的白人至上主義から、朝鮮人は日本人同様に教養なき野蛮で薄汚い「黄色いサル」にすぎず、朝鮮人が伝えてくる日本側の情報は信用しなかった。
 もし、この時、ロシア軍と反日義兵団が協力していたら日本軍は大敗北し、日本は解体されロシア帝国の領土か植民地となっていた。
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 8月10日 連合艦隊は、黄海の海戦で旅順艦隊を撃破したが、全滅させるには至らなかった。
 旅順艦隊は、旅順港に入り込み、世界最強のバルチック艦隊が到着するのを待つ事にした。
 8月14日 ウラジオストク艦隊は、旅順艦隊と合流するために南下していたが、朝鮮の蔚山沖で日本海軍第2艦隊と遭遇して大打撃を受けて北方へ敗走した。
 8月18日 開化派と東学党の残党は、日本式立憲君主制を確立する為には、日本の支援が欠かせないとして一進会を設立した。
 本軍の勝利が伝わるにつれて、一進会に参加する者が増えて翌05年には26万人を越えた。
 一進会は、日本軍の勝利に貢献する為に、戦場での通訳や軍需物資の運搬や鉄道などの敷設工事に協力した。
 会員の増加に伴い、利権や金銭を目的とした朝鮮人が増えて規律が乱れ始めた。
 反日団体は、親露派として、日本に協力する一進会への襲撃を繰り返し、日本軍が敗北する様に活動を続けていた。
 日本にとって、日本軍の後方で暗躍する親露派朝鮮人は頭痛の種であった。
 8月22日 日本政府は、大韓政府と第一次日韓協定を締結し、財政と外交を制限する為に顧問を置く事を認めさせた。さらに、反日義兵団を封じ込める為に警察と軍隊にも日本人顧問を送り込んだ。
 朝鮮内の反日派の利敵行動を封じ込め為の、事実上の軍政であった。
 日本人顧問を押し付けられた部局の朝鮮人は、日本人の横暴に激怒し、清国やロシア帝国に日本側の情報を流して活動を支援した。
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 10月15日 バルチック艦隊は、バルト海のリバウ軍港を出港した。
 各国の軍事専門家は、日本軍の敗北を確信した。
 10月17日 大蔵省主計局長目賀田種太郎は、大韓政府の財務顧問となる。 
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 11月 ワシントン密使事件。大韓皇室のお抱え英語教師ハルバート牧師は、高宗の密命を受けてアメリカに帰国し、ルート国務長官に日本の犯罪的内政干渉を訴えた。
 ルート国務長官は、公式の国書を持った外交使節でもなく、大韓皇帝の委任状も持たいない、として門前払いした。
 当時の国際外交は、帝国主義特有の老獪であったが、高度な知的ゲームを楽しむ西洋的貴族志向が強く、正々堂々と戦う騎士道精神が貴ばれていた。
 白人至上主義が国際常識とされていた帝国主義時代。負けるかもしれない絶望的戦争を死に物狂いで戦っているサムライ日本は称賛されたが、戦いもせず裏でコソコソと密使を送って悪口を言いふらす姑息な行動を行う両班朝鮮は嫌われた。
 朝鮮人は、軽蔑され、相手にされなかった。
 自意識の強い朝鮮人は、相手が自分をどう見ているかなど一切関心がなく、自分の言うことを聞かない相手の無知蒙昧を口汚く罵った。
 自己中の朝鮮人は、自分が絶対に正しいという確信を持っていた。
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 12月5日 第三軍は、夥しい犠牲を払って旅順の203高地占領し、翌05年1月元旦に旅順要塞を陥落させた。
 諸外国の軍人は、第三軍司令官乃木希典大将(下級武士、乃木神社)の武士道を称賛した。
 高宗と親露派は、ロシア軍勝利を疑わなかっただけに、相次ぐロシア軍の敗北に愕然とした。だが、最後の最後でナポレオンを破ったロシア軍の底力を信じ、日本側の情報を流し続けた。
 ロシア軍は、情報ばかり流して血を流す様な実力行使を行わない朝鮮人を軽蔑し、その反対に少数兵力で死に物狂いで奮闘する日本軍の勇気を称賛した。
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 武器を持って戦わない者は、自分は平和主義者だといっても「卑怯」と軽蔑され、誰からも相手にはされなかった。



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