☰58〕─1─ハーグ密使事件。伊藤博文は、日本を滅ぼす大国を探した大韓帝国の裏切り行為に激怒した。明治40年~No.182No.183No.184 @ ⑱ 

ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実

ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 アメリア領事ゴードン「此の国には法律というものがない。一番カネを出した者が偉く、正義も思いのままだ」
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 アメリカのユダヤ系国際金融資本は、満州利権が手に入れられなかった為に反日派となった。
 アメリカのキリスト教会は、朝鮮半島キリスト教化する為に多くの宣教師を送り込んだ。
 アメリカの宣教師の大半は、反天皇反日派であった。
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 高宗は、「我が国は、東海の東にあり」と述べていた。
 中華帝国の2000年間属国であった朝鮮は、地理的表示を自国ではなく中国の表記を利用していた為に、東海は中国から見て渤海湾若しくは東シナ海と半島東沿岸部を指していた。
 朝鮮が、中華帝国表記を無視しして自国中心で表記する事はあり得なかった。
 つまり、日本海を東海と言う事はまずあり得ないし、若し東海と言っても東海岸に沿った近海を指していた。
 属国の朝鮮王朝が中国の中華帝国に逆らい、臣下の朝鮮国王が中華皇帝の権威を傷付ける事は、まずあり得なかった。
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 朝鮮は、欧米列強の軍事力を利用して日本を半島から追い出し、日本を孤立無援に追い込み、欧米列強の強大な軍隊に攻め滅ぼさせるべくあらゆる隠謀をめぐらせていた。
 朝鮮は、決して日本の友好国ではなく、明らかなる日本の敵であった。
 だが、それは朝鮮とて同じことであり、朝鮮が生き残る為には避けられない道であった。
 日本と朝鮮は、明白なる敵国であった。
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 朝鮮は、卑屈なまでに大国に依存し、大国に寄生する事で生き長らえてきていた。
 朝鮮の伝統的外交とは、唐の属国となった統一新羅以来、事大主義による大国に媚び諂う密使による卑屈な「告げ口外交」である。
 大国に何を告げ口するかといえば、日本を貶める為に口から出任せの悪口のみである。
 サムライ日本にとって、人の目を盗んでコソコソと行う密使外交は呆れはてるばかりであったが、放置しては日本国家の滅亡につながる恐れがあった。
 日本にとって、昔から、朝鮮は信用も信頼も置けない油断も隙も無い陰湿で陰険な近付きたくない相手であった。
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 植民地政策の専門家である新渡戸稲造は、初代韓国統監の伊藤博文に朝鮮を保護国ではなく植民地化する事が国益の為であると提言した。
 伊藤博文は、朝鮮を植民地化する事には反対で、朝鮮は主体性を持った自主独立国とし発展させるべきであるとの自説を通した。そして、日本同様に近代化させる為に日本はカネ・ヒト・モノの全般にわたって支援を惜しむべきではないと訴えた。
 日本人の移民を促進する事はいらざる揉め事の原因になるとして反対し、韓国の事は朝鮮人自身に任せるべきだとの自説を譲らなかった。
 「君朝鮮人は偉いよ、この国の歴史を見ても、その進歩した事は、日本より遙か以上であつた時代もある。この民族にしてこれしきの国を自ら経営できない理由はない。才能においては決してお互いに劣る事はないのだ。然るに今日の有様になったのは、人民が悪いのじゃなく、政治が悪かったのだ。国さえ治まれば、人民は量においても質においても不足にない」
 新渡戸稲造「伊藤公は世間でも知る通り『朝鮮は朝鮮人の為』という主義で、内地人の朝鮮に入り込む事を喜ばなかった」
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 1907年度 大韓帝国の国家歳入は、腐敗役人の横領と両班の搾取で748万円に過ぎず、対して、歳出は王族や高級官吏の放蕩三昧の経費が嵩んで3,000万円に上っていた。財政不足分は、日本が肩代わりして血税から立て替えた。現在の貨幣レートからすると、当時の1万円は約3万円になる。
 これ以降も日本政府は歳入不足分を補?し続け、1910年には約1億400万円に達した。
 1910年には、明治天皇も見かねて臨時恩賜金3,000万円(現代のレートで9,000万円相当)を大韓国帝国政府に与えた。
 大韓帝国政府は、当然の様に受け取り感謝はしなかった。 
 偏狂的自己中の朝鮮では、目上の者からの恵みには平身低頭で感謝してその恩義に報いようとするが、目下の者からの施しは死にも勝る侮辱としてその屈辱を百倍にして返そうと付け狙った。
 古代から。朝鮮は、倭国・日本より優秀な上位国にあるるという自意識から、大陸の強大国を利用して日本を徹底して破壊し、日本を屈服させようとした。だが、朝鮮領として領有しようとはしなかし、大陸の強大国の領土にする事にも反対であった。敵国日本がいなくなれば、朝鮮のみが強大国の隣国として取り残されるからである。
 朝鮮人の日本差別・日本蔑視は、古代から日本人よりさらに激しく強く、中国の属国となった統一新羅からは儒教価値観でさらに増幅されていた。
 儒教の教義とは、人・組織・国家を厳格な上下関係で固定し、絶対不変の社会秩序とするものである。つまり、古代中国の一君独裁体制による専制君主政治が理想であった。
 半島の小国が生き残る為には、大陸の強大国に服従しない中程度の隣国・島国を共通の敵として利用する事であり、隣国・島国を弱体化さる為に内戦を誘発させ強力な統一政権の成立を阻む事であった。
 日本の平和は、古代から朝鮮に馴染まず、中国との距離を置く事で守られて来た。
 日本は開国以来、清国・ロシア帝国アメリカそして西欧列強の軍事力を使って、日本を半島から排除しようとする大韓帝国に振り回されていた。
 日本人による朝鮮人差別は、人の影でコソコソと、神国日本を滅ぼす為に足を引っ張る行為を当然の権利としてうそぶく朝鮮人気質への嫌悪で増幅した。
 日本の安全保障戦略は、朝鮮半島を大陸からの侵略に備える防衛の最前線にする為に、日本を強大国に売って生き残りを図る大韓国帝国を隷属化し、親日政権を樹立して間接支配する事であった。その為にも、事大主義で強大国に媚び諂い、日本を売るという姑息な裏切り行動を手加減せずに糾弾する事であった。
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 1907年 日本軍部は、ロシア軍の復讐戦を警戒して、ロシア帝国を仮想敵国とする帝国国防方針を策定した。想定敵国の順位は、アメリカ、ドイツ帝国、フランスの順であった。
 アメリカは、日本とロシア帝国満州問題で急接近して友好関係を強める事に警戒した。
 セオドア・ルーズベルトは、自国の海軍力は日本海軍に較べて老朽化して脆弱であるとして、ドイツ帝国や清国との提携を断念して、日本との関係改善を図った。だが、日本に対する優位を確保するべく、アメリカ艦隊の世界一周の途中で日本に寄港させ海軍力を誇示して圧力をかける計画を立てた。世に言う、白色艦隊である。白色艦隊は、平和親善の為に世界一周したわけではない。それを信じる反戦平和主義者は、全ての歴史が理解できない救いようのない馬鹿である。
 1月16日 高宗は、表面的には日本との互恵的協調関係に合意しながら、裏ではロシア帝国などの欧米列強に日本を悪し様に誹謗中傷する密書を送った。
 自立した独立国家として、日本の保護下に甘んじて国家を再建し国力の増強を図る事を断固拒否し、祖国防衛と民族の存続の為に大陸の軍事大国と極秘の対日攻守軍事同盟を模索した。
 大韓毎日申報は、日本批判として、高宗がアメリカ、ロシア帝国、フランス、ドイツ帝国の元首に送った大韓帝国の窮状を訴えた親翰を掲載した。
 大韓政府は、日本の難癖を恐れて同親翰は偽物であると発表した。
 日本側は、親翰は本物である事知っていたが、親日路線をとる大韓政府を追い詰める事は得策ではないとして、大韓帝国政府の公式発表を受け入れた。大韓毎日申報の反日愛国を煽る報道を抑える為に、社長ベゼルを大韓帝国から追放する様にイギリス政府に要請した。
 イギリスは、朝鮮における日本の優先権を尊重して、要請を受け入れた。
 高宗は、イギリスが日本の朝鮮侵略のお先棒を担いでいるとして不快感を露わにした。
 2月4日 第一次日露協商。ロシア帝国は、北満州を勢力圏に留めると同時にインドへの侵攻の為に、日本の韓国における優先権を認めるという「韓国・内外モンゴル及び新疆交換論」を提案した。東アジア政策は、軍事国家として力を強めてきた日本の政策を、北進策から南進策に転換させる事であった。日本を、欧米列強の植民地や利権の多い南方に進出させて摩擦を起こさせて疲弊させ、これ以上の北上を阻止しようとしたのである。
 日本は、韓国問題の解決もさることながら、アメリカ資本に有利な門戸開放と機会均等の圧力に対抗し、アメリカ勢力の満州浸透を阻止する為にロシア帝国との提携を必要とした。
 伊藤博文統監ら併合消極派は、両班層の保守派による腐敗で国土が荒廃し搾取で餓死寸前の貧しい民衆を救済するべく、親日派と協力して既存の特権階級を押させ込んで内政干渉を推進していた。
 彼等は、日本人と朝鮮人は水と油の様に全く正反対の気質を有している事を痛感し、如何に誠意を以て努力しても決してわかり合えないと実感した。
 明治天皇は、古代からの隣国の誼として、朝鮮を消滅させるような日韓併合に反対し、より緩やかな関係での共存を求めた。
 伊藤博文「旭日の旗と八卦の旗が並び立てば、日本は満足する。日本は、何を苦しんで韓国を滅ぼす必要があるか」「併合は厄介である」
 陸奥宗光ら併合反対派は、国家破綻をきたして自助能力のない大韓国帝国に深入りする事は、沈没する船に乗船するのと同じ事で、百害あって一利なしとして猛反対していた。
 陸奥宗光「日本の国防という観点からではなく、経済破綻し悲惨な内政状態に憂えての感情過多を、国家の外交に持ち込むな」
 大韓帝国は、表面的には親日的として日本の要求を受け入れ国内改革を行っていたが、その実は反日的として日本の諸改革を妨害し民衆に敵日意識を植え付けるべく行動していた。
 山県有朋小村寿太郎ら併合積極派は、国家間の条約や協定を平気で反故にして裏切り、信義を踏みにじって敵に走る大韓帝国を放置しては、日本の安全は保てないと確信していた。
 小村寿太郎「適当の時機において韓国の併合を断行する」
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*ハーグ密使事件(日本を滅ぼす為の悪口・告げ口外交)
 伊藤博文は、日本が如何に配慮し良かれと思って協力しても、朝鮮の2000年近く続けてきたく大国依存体質と奴隷根性は抜けきらないと痛感した。
 如何に、国内を犠牲にしてヒト・モノ・カネを費やして朝鮮を自主独立国としようとも、反日に走って親日にはならなず、真の友好も望めないと絶望した。
 朝鮮を国家として存続させる事は、日本の安全はおろか国家の存続さえも脅かすとしてして、中華とロシアの侵略から共同して戦うという日朝同盟の夢を捨てた。
 4月 高宗は、オランダのハーグで第二回万国平和会議が開催される事を知るや、軍事圧力で強要した第二次日韓協約は国際法違反であると告発する為に密使を送る事にした。
 欧米列強に、日韓保護条約は日本に銃を突き付けられて強要された不当条約であと説明し、条約の無効に支援を要請しようとした。
 同月末 2名の密使とハルバートは、高宗の密命を受けて日本側の監視をかい潜って漢城を出発し、途中のサンクトペテルブルグで語学に堪能な親露派の李瑋鐘と合流した。
 6月 高宗は、ロシア皇帝ニコライ2世に、ハーグ会議に参加して第二次日韓協約(日韓保護条約)無効の訴えができる様に助力を要請する密書を送った。
 ロシア政府の新任外務大臣イズボルスキーは、大国の軍事力をあてにして日本を追い出そうとする謀略は、大韓帝国の為にならないと忠告して、申し込みの件を拒否した。
 ニコライ2世も、朝鮮の独立支援を求める高宗の請願を、にべもなく却下した。
 武力・軍事力に自信を持つ者は、如何に正論を唱えようとも武器を持って戦おうとしない敗北者を嫌悪し、「虎の威を借りる狐」を戦争、暴動、革命を撒き散らす邪悪な平和主義者として憎悪した。
 ロシア軍は、日本軍に負けたとは思わず、名誉挽回の再戦を希望したが、国内の暴力的共産主義革命騒動でそれどころではなかった。
 高宗は、国内的な反日抗議運動が不発に終わった為に、国際世論に日本に強制された不法な協定であると訴えるべく、ハーグで開催される第2回万国平和会議に密使を送った。
 国際法理を守ろうとする国際社会は、大国を利用して日本を貶める陰険な密使外交を文明国が行う正当な外交とは認めず、朝鮮の訴えを非文明国の戯言として支持しなかった。
 6月10日 フランスは、インドシナ半島の領有権を確保し、日本の南下を阻止する為に、日本との間で日仏協商を結んだ。
 日本は、シベリア鉄道敷設に資金援助したフランス(パリ・ロスチャイルド家)の経済・金融力を利用する為に、フランスの要請に従って日本国内でのベトナム独立運動を取り締まった。
 日本政府は、日本の安全の為に、植民地化されて苦しんでいるアジア諸民族の期待を裏切った。アジアに対する、日本の裏切りはこの時から始まった。
 アジア主義の右翼は、国家の安泰の為に白人列強追随政策に転じた政府に反発して、アジア民族の独立と自立を掲げて、各地で盛り上がりを見せている民族主義運動を支援した。
 6月12日 伊藤博文は、駐韓日本軍の将校達に訓示の述べた。
 「暴徒を討伐する際において、良民に危害を加える事は最も慎まねばならない」「討伐自体は過剰に行ってはならない」「多くは脅迫の下にその群れに投じたる者にして、一般の国民に至ってはその脳裏に多少の排日思想を抱くも、公然と干戈を執りて日本に抗する者に非ず」
 6月15日 高宗の密使は、ハーグに到着するや、ロシア代表ネフリュドルに平和会議に出席できるように助力を要求した。
 日韓併合派は、朝鮮批判を強め、国論を韓国処分論でまとめようとした。
 6月29日 ハーグに到着した密使一行は、ロシア代表ネフリュドルの助言に従って、開催国オランダ政府のフォンテッス外相に正式参加を申し込んだ。
 フォンテッス外相は、外交権のない大韓帝国の国際会議への参加は認められないと拒否した。
 会議開催の主管当事者であるオランダは、外交権を持たない大韓国帝国の参席は認められないとして、会場入りさせえ拒否した。
 オランダは、日本の進出から植民地蘭領インドを守る為に、コソコソと動き回る密使に関わり合って朝鮮問題に深入りする気はなかった。
 密使一行は、アメリカやイギリスなどの代表団を巡って会議参加の支援を要請した。
 各国代表団は、大韓帝国は日本の保護国であり外交権がないとして要請を拒否し、日本に対する告発は国際法上無効であるとして却下した。
 国際社会は、武器を取り、敵を殺しても、自国の主権と国土・国民を守ろうとしない国家・政府は「まとも」ではないとして存続を認めなかった。そうした自立心なき国が、平和を脅かし、戦争の原因になるとして排除しようとした。
 時は、宗教的人種差別主義に基づく帝国主義精神が色濃く残る時代であった。
 世界常識は、大国の軍事力を当てにして生き残ろうとする国家・政府を軽蔑し、他国の若者を犠牲にしても生き残ろうとする人間を冷血な卑劣?として侮蔑した。
 自分の運命を自分で切り開かず、自分の命を自分で守らない、無責任な人間はまともな人間ではなく蔑むべき奴隷とされた。
 高宗による日本告発は、正常な判断が出来きる人が取るべき行動ではない、忌むべき狂人的行為とされた。
 国際外交とくに公式な国際会議に於いて、参加資格のない国が参加している国を貶める為に密使を送って陰謀を企む行為は許されず、密使を送った国家・政府・元首は相手にされる事はなかった。
 まして、国際外交の場で認知されていない外国人民間人を介して裏工作を行う事も、外交の権威を失墜させる最も恥ずべき行為と軽蔑された。
 高宗が、保護国として外交権を奪われた国家の元首の立場から、日本の不当な行為を告発する正式使節団を送っていたら、日本支配が変わらなくとも歴史での取り扱いは確実に変化したであろう。
 そもそも、保護国化を決めた1905年11月17日の第二次日韓協約を納得して署名したのは高宗本人である。
 国際外交に於いて、国家・政府・国家元首が如何なる理由や事情があるにせよ公式の条約や協定が調印されたからには、よほどの変更すべき理由が出現しない限り履行する義務がある。
 韓国は、自分の都合で国際法の最低限ルールを破り、国際外交の秩序を崩壊させようとしたのである。
 帝国主義時代において、この密使事件を理由にして日本が韓国に対して宣戦布告しても、韓国には日本を非難する権利はないし、諸外国は日本の正当行為として侵攻を容認した。
 国際外交の場で、韓国は国際法に則った行動をしない非常識な国である以上、日韓協約は国際法上正当な協定であると承認された。
 クロフォード(ケンブリッジ大学国際法教授)「強制されたから不法という議論は第一次世界大戦以降のもので、当時としては問題になるものではない」「国際法は文明国間にのみ通用され、非文明国には通用されない」(2001年11月 韓国主催日韓併合再検討国際会議)
 欧米列強は、大韓帝国の陰湿な密使外交で世界秩序が脅かされる事を嫌い、日本に処理を望んだ。
 朝鮮の民族運動は、国際的評価を得られず、国際世論の理解も得られなかった。
朝鮮の日本に対する抵抗運動は、嫌悪されこそすれ、同情されず、支援も受けなかった。
 朝鮮人の国際認識の欠如と他人蔑視的自己中心意識の強さゆえに、国際的連帯は得られなかった。
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 ロシア帝国は、密使を使ってコソコソ動き回る大韓帝国を文明国とは見なさず軽蔑して見限った。
 親露派朝鮮人は、ロシア軍を使って日本を滅ぼそうとしたが、ロシア帝国に見捨てられた反日の求心力を失った。
 日本は、国家の安全と国民の生命を守る為に朝鮮を処分する必要に迫られた。
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 欧米列強は、日本による韓国の保護国化は当然の事であると承認し、「第二次日韓協定に違法性はない」と判断を下していた。
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 7月3日 反日朝鮮人は、国際社会に日本の横暴を告発する為に、反日義兵闘争を活発化させ、各地で日本軍と激闘を繰り返していた。
 日本政府に、ハーグの国際会議に高宗の密使が現れ、日本を非難し告発する為に会議参加を求めているとの情報がもたらさせた。
 漢城伊藤博文総監は、報告を得るや、統監としての面目が潰されたとして激怒した。そして直ちに、大韓政府の李完用首相を呼びつけて裏切り行為に怒りを爆発させた。
 「皇帝は自ら保護条約を無視し、宗国である日本に向かって叛を謀るとは何事か。これによって日本は、貴国に対してただちに宣戦を布告するに充分な理由を有した事になる!」 伊藤博文は、密使を派遣した高宗の裏切り行為に激怒した。
 伊藤博文「韓国人の何人が、自らその独立を主張したであろうか。かつまた、韓国人の何人が、自ら韓国の独立を承認したであろうか。あるならば聞きたい。韓国人は、三、四千年来、固有の独立を有するように言っているが、自分は、これを承認できない」
 日本は、周囲を軍事大国に囲まれていた為に、理解を示して朝鮮の主張を認め要求を受け入れたら、弱体化したとして攻撃される恐れがあった。そこで、朝鮮の利敵行為を放置しては日本の安全が脅かされるとして、断固たる処置をとる事を決定した。
 第一、朝鮮人が一度の要求で納得して本心から親日になる事はありえなかった。
 弱味を見せれば、朝鮮人の要求が際限なく続く事は歴史が証明していた。
 朝鮮は、日本の上位を占める事を優先して、対等な友好を求めてはいなかった。それは、中国とて同じ事であった。
 日本と朝鮮の間で、対等による友好関係や同盟関係は不可能であった。
 伊藤博文総監は、高宗に謁見して事の真偽を詰問した。
 「かくの如き陰険なる手段をもって日本の保護権を拒否せんとするよりは、むしろ日本に対して堂々と宣戦を布告さらるるのは捷径(手っ取り早い方法)なるにしかず!」 
 高宗は、伊藤総監の剣幕と日本側の強硬姿勢に腰砕けとなり、密使の件には関係ないとシラを切り通した。
 大韓帝国は、本心から日本を嫌っていても、決然として日本と戦う意志はなかった。サムライ日本と違って、一か八かの、生死を賭けた絶望的戦争をする勇気がなかっただけである。
 だが、朝鮮は日本との対等な関係での連携を望まなかった。
 統監府は、高宗は密使を派遣していないとハーグの国際会議参加国に伝えた。
 高宗の密使は、国際会議から門前払いを受けた分、反権力的気運を持つ有識者から歓迎され、黄禍論から日本の大国化を嫌う人種差別主義者の支援を得た。彼等の後押しを得て国際記者協会などの出席して、日本の犯罪行為を強く非難する声明を読み上げた共感を得た。
 各国の文化人や報道関係者による国際協会は、日本の横暴ぶりに憤慨し、大韓帝国から来た密使に同情して日本批判の演説を許可した。
 反日ユダヤ系報道機関は、不法な犯罪行為を行っているという大韓帝国の訴えを取り上げた。
 ハーグ密使は、大国間の利害によって国際会議参加は失敗したが、国際世論に反日という一石を投じる事が出来た。





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ほんとうは「日韓併合」が韓国を救った!

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