☱2〕3〕─1─キリスト教系朝鮮人テロリストは、日本国内に潜伏した。第一次世界大戦に参戦。大正2年~大正6年~No.2No.3No.4No.5No.6 @ 

在日朝鮮人ってどんなひと? (中学生の質問箱)

在日朝鮮人ってどんなひと? (中学生の質問箱)

  • 作者:徐 京植
  • 発売日: 2012/01/26
  • メディア: 単行本
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 塩野七生歴史認識は共有できない。しかし事実は共有できるはずだ」
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 朝鮮の食糧不足は深刻であり、朝鮮人の生活は極貧で悲惨であった。
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 朝鮮の貧困階層は、仕事を求めて日本へ移住した。日本人低所得労働者は、失業という恐怖に怯えて朝鮮人を差別した。
 金のない朝鮮人移住者は、都市部では家賃の安い貧民窟・部落に潜り込み、地方では賃金の高い鉱山・炭坑(軍艦島)などのタコ部屋・飯場に入り込んだ。
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 日本が近代国家として経済を発展させると、貧民窟・部落の住人数も急増した。
 無政府主義的気分は、一般日本人や日本社会への不満を持つ貧民窟・部落などの下層民層に広がっていった。
 貧しさと差別に苦しむ貧民窟・部落には、反天皇・反政府・反体制が自然と広がった。
 キリスト教会とマルクス主義者は、政府に見放され社会から疎外された貧民窟・部落に入り支持者・同調者を広げていった。
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 明治以前の親天皇派非人・エタ・乞食などの賤民と、明治以後の反天皇的下層民・貧民・部落民とは違う。
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 「暗殺」という漢字は日本国語である。
 ヨーロッパでは暗殺の事をassassinationと言い、その語源はイスラムイスマーイール派により行われた暗殺のアサッシンAssassinspmである。
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*近代的天皇制度と大日本帝国  
大日本帝国憲法
 第一条 大日本帝国万世一系天皇これを統治す。
 第三条 天皇神聖にして侵すべからず
 第四条 天皇は国の元首にして統治権を総覧し此の憲法の条規により之を行う。
 第十一条 天皇は陸海軍を統帥す。
 第二十九条 日本臣民は法律の範囲内において言論著作印行集会及び結社の自由を有す。
 第五十五条 国務各大臣は天皇を輔弼しその責に任ず。
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 大日本帝国憲法は、天皇に主権を認めた立憲君主制で、帝国議会と枢密院は諮問機関であった。
 代議士は、選挙権を持つ国民の総選挙で選ばれた。
 議会は、予算決定権を持ち、軍部が暴走しない様に制御していた。
 天皇は、議会で成立した全ての法案を拒否する事なく裁可した。
 戦前の日本は軍国主義国家として議会制民主主義が存在していなかったというのが、現代日本の日本史の定説である。
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 伊藤博文有栖川宮熾仁親王は、皇位継承法において女系継承案を認めようとした。
 井上毅は、女系では、皇統変革もしくは皇統断絶の恐れがあるとして反対した。
 議論の結果、神の裔・祭祀王という神代から続く天皇の正統性を守る為に、父系による男系継承案を採用し、母系の女系継承案を廃止した。
 天皇の廃絶と皇室の断絶を願っていたのは、中華皇帝を戴く中国と中華皇帝の臣下である朝鮮であった。
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 タイ王国は、国土を焦土と化し多くの犠牲者を出す無益な戦争を避ける為に、非暴力無抵抗主義を貫き、少数の国民を犠牲にして、わずかな国土をイギリスとフランスに割譲した。タイは、力のバランスを上手く利用して平和を維持した。
 タイは「平和」を選び、日本は「戦争」を選んだ。両国は、正反対の方法で植民地になる事なく祖国を守った。
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 平和至上主義の現代日本人と戦争容認の古き日本人は、同一の日本人か?さもなくば全く違う日本人か?
 現代日本人の多くは、自己の信念が脆い為に外圧に弱く、外国の強硬な要求が理不尽でも不承不承ながら受け入れた。
 昔の日本人は、国際的に孤児になろうとも道理にあわない外圧は撥ね付けたが、国益に叶うものは国際協調の原則から受け入れた。
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 朝鮮の古典は、漢文として存在するが、ハングルとしては存在しない。
 ハングルとしての朝鮮史は、ない。
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 日本が朝鮮を併合することによって、朝鮮は近代化され以前よりも真面な生活ができるようになった。
 朝鮮における身分制度は、日本によって廃止された。
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 朝鮮人は、日本の近代的な栄養管理・衛生指導・医療の普及によって、平均寿命が24歳から56歳にのびた。
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総督府武断政治
 1913年 北日本で混合型冷害が発生して大凶作となる。
 袁世凱軍は、南京を占領するや、日本は革命派を支援しているとして逃げ追いくれた日本人居留民3名を捕らえ犯罪者として虐殺した。
 清国が辛亥革命で崩壊するや、中国大陸は南北に大きく分裂し、さらに幾つもの軍閥が割拠して、何時終わるか分からない泥沼の凄惨な内戦状態に突入した。
 軍部は、北への脅威に備える為に、安定した中国の再建を期待して北京の袁世凱を支援した。
 右翼は、キリスト教徒白人の植民地支配から独立を掲げ、「強者を挫き、弱者をたすく」の義侠心から孫文ら革命派を支援した。
 日本政府は、内政不干渉の原則から袁世凱を唯一の正統な支配者と認めたが、欧米列強の対中政策を考慮して、内紛に深入りする事なく中立の立場を堅持していた。
 大陸進出を目論む日本の資本家や会社経営者は、政府の曖昧な態度では西洋の国際資本との競争には勝てないと不満を抱き、攻撃的な大陸政策を求めた。
 アメリカでは、大国化して競争相手に成長した非キリスト教徒にして非白人である日本人への敵意が増大し、各地で排日運動が盛んとなった。人種差別的排日運動は、隣国のカナダにも広がって、幅広い国民の支持を得た。
 カリフォルニア州は、排日運動が最も盛んな州で、一早く日本人移民者の土地所有を禁止する排日土地法を成立させた。
 朝鮮総督府寺内正毅総督は、恐怖の武断政治を行い、警察と憲兵隊を大増員して反日朝鮮人を弾圧した。
 内務省警保局は、年々増加する朝鮮人留学生が独立運動に参加する傾向がある為に、内偵を使って朝鮮人留学生の反日度の識別調査を全国で実施した。
 5月 アメリカ在住の朝鮮人は、反日団体「興士会」を結成して独立運動を開始した。
 サンフランシスコには8,000人以上の会員を持つ反日組織「共立協会」があり、ハワイには会員数4,000人以上を持つ反日結社「合成協会」が存在していた。
 後年。「共立協会」と「合成協会」が合同して「大韓国民会」を組織し、アメリカに逃亡してきた独立運動家を支援し、日本・朝鮮・中国で活動している朝鮮人テロリストに資金を送金していた。
 朝鮮在住の外国人宣教師や欧米の特派員は、朝鮮人独立運動総督府の非人道的弾圧等の情報を、国外の反日朝鮮人に伝えると共に世界中に発信していた。
 京城の総人口は約70万人で、キリスト教徒20万人、天道教(旧東学党)30万人、仏教徒5万人であった。朝鮮人の信仰心は、強烈さを嫌う曖昧な日本人の信仰心とは違って、他者を排除するほどに狂信的であった。
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 1914年 内務省は、「朝鮮人識別資料に関する件」を通達した。
 東京には、官費留学生30名を含む640名の朝鮮人留学生がいた。
 留学生の多くは、にこやかに親日的を装っていたが、秘密裏に反日独立運動に参加していた。
 日本に留学した朝鮮人も中国人の目的は、「彼を知り己を知れば、百戦あやうからず」であり、日本との友好を求めていたわけではない。
 当然、帰国すれば反日派となった。
 朝鮮人留学生は、表面的には互助会的な「学友会」を組織して親睦活動を行っていたが、裏では反日活動を続けていった。
 反日朝鮮人達は、日本国内のキリスト教関連」施設を隠れ家に使っていた。
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 秘密結社「独立義軍府」事件。
 数多くの反日朝鮮人テロ組織は、一つの組織に統合される事なく、朝鮮、日本、中国で勝手に活動していた。
 朝鮮人テロリスト達は、明治憲法下で政党を結成し話し合いで独立しようとせず、次期天皇である裕仁皇太子かその家族を暗殺して日本からの独立を勝ち取ろうとしていた。
 現代に於いて、朝鮮人テロリストによるヒロヒト皇太子=昭和天皇への暗殺テロに対して、日本皇室に同情するを言葉は国内外から聞こえてこない。
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 3月 総督府は、慢性的な食糧不足と常態化した飢餓を解消する為に自作農を増やす事が急務と考えた。
 農地を近代的に開発するべく土地調査事業を本格化させ、不動産登記令を公布した。
 さらに、自然崩壊による洪水を防止する為に、山林破壊の焼き畑農業を禁止した。神道信仰にもとずく緑化政策として、山野の植林と灌漑用水の堰堤やダム建設を強制した。
 神道的「自然との補完共生」思想を、破壊・略奪型農業の朝鮮農民に強要した。
 伝統農法を守ろうとする農民は、日本農法に反発し、反日運動を支援した。
 王族や政府高官や両班・地主が不法耕作していた国有地や官有地の隠し田は、全て国有地に再編入された。
 そこで生活していた農民は、土地を奪われ貧民となって路頭に迷った。
 流民は、土幕民と呼ばれ、北部朝鮮から満州の間島地方に流れ地元の中国人から迫害され、一部の者はアメリカに移住して白人から差別された。
 土幕民は、祖先からの農地を略奪した日本人を憎悪し、民族独立運動に積極的に協力した。
 ジャーク・プズー゠マサビュオー「朝鮮は日本の植民地政策と、組織的な経済近代化改革の影響を受け入れた後、再び独立の機会を得て、1,000年以上の間、農民の宿命であった不安定な境遇を改善する事ができたのである」(『新朝鮮事情』)
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 国家元首及びその家族と政府高官に対する暗殺テロは重罪で、たとえ失敗した未遂であっても厳罰に処せられ、如何なる理由があっても許されない。
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 6月28日 ボスニア州都サラエボで、オーストリア帝国の皇太子夫婦が共産主義セルビア民族主義者に暗殺された。
 自動車パレードが行われている最中に、爆弾テロ事件が起きた。
 皇太子夫婦は、怪我を負った人々を見舞う為にパレードを再開した。
 暗殺者は、人々に混じって近づいて皇太子夫婦を射殺した。
 後年。朝鮮人テロリストは、昭和天皇を暗殺する為の手本とした。
 フェルディナン大公は、民族宥和派として戦争を避ける為にセルビアを訪問した。
 セルビア軍の過激派将校達は、オーストリアとの不利な戦争に「スラブ同胞愛」でロシア帝国を引き込むべく、テロリスト3人に暗殺訓練を施した。
 オーストリア帝国ハプスブルク家としては、国際的テロリストによって次期皇帝を暗殺された悲しみから報復として宣戦布告した。
 オーストリア帝国は、テロに対する報復、テロから帝室を守る、戦争によってテロ攻撃の根絶、以上の正しい理由と正しい意図のもと戦時国際法上の手続きに従って宣戦布告して戦争を仕掛けた。
 セビリア一国の軍事力は、オーストリア帝国の軍事力の敵ではなかった。
 オーストリア帝国にとって、これは国際テロに自衛目的の正しい戦争であった。
 戦争を始めるにあたり、セビリアの後ろにロシア帝国がいる為に、同盟国のドイツ帝国に協力を要請した。
 オーストリア帝国が一国のみで、冷静な外交解決ではな激高して軍隊を派遣してセルビアの首都ベオグラードを軍事占領して、問答無用でテロ組織とその支援者を摘発して処刑していれば世界戦争には発展しなかった。
 戦時国際法は、国家元首及びその家族に対するテロ行為は、如何なる理由があっても許されないし、テロに対する攻撃は正当防衛と認めている。
 世界常識は、弱者の抵抗としてのテロ攻撃を認めていない。
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 セルビア将校団の戦略は、オーストリアにテロ攻撃を加えて挑発して戦争を起こさせ、「スラブ同胞愛」でロシア帝国を戦争に引き込み、セルビア・ロシア連合軍でオーストリア帝国首都ウィーンを軍事占領しボスニア・ヘルツェゴビナ州を併合して領土を拡大する事であった。
 セルビア愛国組織は、軍国日本とファシスト中国との戦争に長引かせようとした上海の大韓民国臨時政府と幾つかの点で共通する目的を持って、オーストリア帝国皇太子夫妻を暗殺した。
 他国要人を暗殺する国際テロは、多国間戦争を起こさせる意図のもとで実行された。
 暗殺テロは、平和と安定と発展の為ではなく、戦争と混乱と破壊の為に仕掛けられた。
 事実。オーストリア帝国皇太子夫妻暗殺は、ヨーロッパ王侯貴族世界の名門王家ハプスブルク家の崩壊の序曲であった。
 ロシア帝国は、「スラブ同胞を救え」として総動員命令を発した。
 オーストリア皇帝は、息子夫婦であり、次期皇帝候補をテロで暗殺された以上、皇帝として、国家元首として、親として、報復としてセルビア攻撃を命じた。
 オーストリア帝国にとって、国家元首の名誉と国家の存続を懸けた「正しい戦争」であり、犯罪集団・国際テロリストに対する「正義の戦争」であった。
 もし戦争を仕掛けず暗殺テロに屈しては、オーストリア帝室は消滅し、オーストリア帝国は崩壊した。
 ゆえに。皇帝の臣民であるオーストリア国民は、テロリストを支援したセルビアに対して報復戦争に参加した。
 ドイツ皇帝は、軍人官僚等がシュリーフェン・プラン(積極的国土防衛作戦計画)を発動する恐れがある為に、ロシア皇帝に動員命令の自重を要請した。
 シェリーフェン・プランとは、仏露協商に対抗する作戦で、両国の一国がドイツを攻撃する意図の元で軍隊を動かせば、自衛行動として攻撃される前に先制攻撃を加えると言う作戦計画であった。
 ロシア皇帝ニコライ2世は、世界戦争に発展する恐れがあるとして動員命令の取り消しを求めた。
 ロシア政府を支配し政治家を動かしていた官僚は、戦争回避を求める皇帝の命令を無視した。
 ロシア軍は、政府の命令に従って大部隊を国境に集結させ始めたが、本気で戦争する気はなかった。
 ドイツ軍は、ロシア帝国の大動員に過剰反応し、中立国ベルギー王国経由でフランスを攻撃した。
 ドイツ皇帝は、祖国防衛を主張する官僚を止める事ができなかった。
 テロリストの一発の銃弾で、1,000万人が戦死する、誰もが望まなかった第一次世界大戦が勃発した。
 反オーストリア派テロリストとセルビアの関係は、朝鮮人テロリストの大韓民国臨時政府ファシスト中国の関係ににている。
 オーストリア帝国セルビアに侵攻したのと、日本帝国がファシスト中国を攻撃したのもにている。
 その結果、オーストリア帝国の消滅と日本帝国の崩壊にもつながる。
 世界が、姿を消したオーストリア帝国と日本帝国に同情しないのも、旧帝国領に新たな民族国家が独立した事を歓迎したのもにている。
 世界の歴史は、セルビアのテロリストも朝鮮人テロリストも非難する事なく、民族独立の英雄としている。 
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 いかなる国家でも、国家元首へのテロ攻撃を絶対に許さず、正当防衛としてテロ攻撃を行った相手には容赦ない報復を行う。
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 7月28日 オーストリア帝国は、バルカン問題を解決させるべくセルビアに対して宣戦布告した。第一次世界大戦の勃発である(〜18年)。
 国家元首オーストリア皇帝は、テロリストによって次期皇帝の皇太子が暗殺された悲しみ以上に、多くの国民が犠牲になるとして戦争には反対した。
 国民の多くは、戦争反対の皇帝とは反対に、帝室の尊厳と帝国の名誉を守る為に戦争を支持した。
 ロシア帝国は、テロによる犯罪行為であっても、汎スラブ主義からセルビアの独立を支持してオーストリア帝国に宣戦布告した。
 ドイツ帝国は、共産主義テロから専制君主の存続を守る為に、汎ゲルマン主義からオーストリア帝国に味方してロシア帝国に宣戦布告した。
 イギリスとフランスは、対ドイツ包囲網からロシア帝国に味方して参戦した。
 欧州列強は、世界中の植民地に駐屯していた軍隊をヨーロッパ戦線に投入した。
 戦闘は、地球規模に拡大して第一次世界大戦に発展した。
 世界は、依然として、白人キリスト教徒が非白人の大半を植民地人として奴隷的に支配している時代であった。非白人の植民地人には、人権が認められてはいなかっいた。
 こうして、「敗戦から革命」という狂信的マルクス主義者による隠謀が成功した。
 中国の正統政府とされる袁世凱の北京政府は、揚子江流域の革命派政権及び反袁世凱軍閥との内戦状態で参戦どころではなく、中立を宣言していた。
 イギリスは、日英同盟に基づき、香港や威海衛など中国の租界を守に日本軍の出動を要請した。
 日英同盟には、他国から攻撃されない限り参戦義務は無かった。
 国際派日本人は、日露戦争での恩義に報いる為にも同盟国イギリスを助けるべきであるし、困っている味方を救うのは人の道であると主張した。
 大陸への野心を抱く好戦的右翼は、ドイツ艦隊を日本近海から排除し、ドイツ帝国が所有する山東半島南洋諸島を獲得する好機であると政府を突き上げた。
 第二次大隈内閣は、中国にある欧州列強の利権を掠め取ろうとしていると邪推され、痛くもない腹を探られる事を警戒して中立を宣言していた。
 8月 イギリスのシナ海で活動するドイツ仮想巡洋艦の捜索と撃退という限定的支援を要請した。
 8月23日 日本政府は、イギリスへの恩義もさることながら国際社会での孤立を避ける為に、イギリスに味方して参戦を決定した。シナ海からドイツ艦隊の即時撤去と山東省の租界地を中国に返還する事を要求して、ドイツ帝国に宣戦布告した。
 日本海軍は、ドイツ帝国の植民地である南洋諸島の占領の為に艦隊を派遣した。
 加藤高明外相「日本がこの機会にドイツの根拠地を東アジアから一掃し、一段と国際的な地位を高める事には利益がある」
 井上馨は、非白人の日本が、国際社会で列強としての地位を獲得して発言力を付ける為には、ドイツ帝国が持っている租界と利権を引き継ぐ必要があるとして、積極的な行動を求めた。
 山県有朋は、欧米列強内に根強く存在する人種差別に基づく黄禍論を警戒し、山東半島を攻撃すれば中立を保っている中国との関係を悪化させるとして、慎重な行動を求めた。
 日本は、専守防衛の原則から、アジアの平和と安全を優先するとして中国にあるドイツ帝国関連地域への攻撃に留め、欧州戦線への派兵要請を断った。
 ドイツは、日本の近代化に貢献した恩義に対する裏切り行為と激怒した。その対日悪感情は、ヒトラーやナチ党にも受け継がれた。
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 兵士専用慰安婦
 連合国でも同盟国でも、前線より後方の兵站地には司令部から任命された管理人が慰安婦を集めて慰安所を設置し、軍管轄地内で認可なく売春行為を行う売春業者は違反者として罰した。
 性病対策として。兵士専用慰安婦は、兵士以外の男と性交渉して性病を感染されないようにする為に慰安所から出る事を禁止して厳しく管理し、性病に感染して否か定期検診を行い、慰安婦には性病感染を防ぐ為に幾つもの義務を厳格に課した。
 指定地域の外に出た兵士専用慰安婦は、憲兵隊に発見されるや、軍医に性病検診され、感染していたら専用の病院へ強制的に入院させられ治療が施されて管理人に引き渡された。
 兵士専用慰安婦は、体を売って金を稼ぐ汚い人間として軽蔑され、人間的扱いを受けられず、行動の自由も奪われていた。
 何れの国の軍隊も、性病から兵士を守る為に兵士専用慰安婦を帯同していた。
 それでも、兵士の性病罹患者は絶えなかった。
 生死を賭けた戦場を這いずり回る兵士にとって、明日戦死するかもしれないのに、性病の感染を恐れて禁欲などできず、占領地で敵国の女を強姦する事のみが生きている実感を与えてくれていた。
 兵士は、騎士でも、紳士でも、武士でもなかった。
 M・ヒルシュフェルト『戦争と性』
 兵士専用慰安婦を帯同していなかった軍隊は、アメリカと幾つかの国だけであった。
 シベリアに出兵した日本軍兵士の多くは、白人売春婦との性交渉で性病に感染して戦力が低下していた。
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 1915〜23年 オスマン・トルコ帝国は、国内のアルメニア人を排除する計画を立て実行した。
 アルメニア人約250万人の内150万人が虐殺や追放され、大量の遺体が捨てられたユーフラテス川は血で赤く染まった。
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 1915年 「国権恢復団」中央本部事件。
 1月 日本は、北京政府に対して「対華21ヵ条要求」(5号21ヵ条)を突き付けた。
「対華二十一箇条の要求
 第1号 山東省の旧ドイツ権益の継承。
 第2号 大連・旅順の租借期限及び南満州鉄道の権益期限を99ヵ年に延長。
 第3号 南満州ならびに東部内蒙古の鉱山の権益。
 第4号 漢治萍公司の日中合弁。
 第5号 中国を日本の影響下に置く為の諸措置を相にする事。」
 中国側は、希望条項である第5号7項目は中国の保護国化につつながるとして拒否した。
 両国の交渉の結果、日本側は中国の言い分を受け入れて第5号要求を削除した。
 日本の要求は、日清戦争以来、日本が犠牲を払って合法的に手に入れた権利であった。
 山県有朋は、アメリカが中国市場への参入を目差している以上、日本に一方的有利な条件での交渉はアメリカを刺激すると警告した。
 5月9日 日本は、中国側の要請に従い、見せ掛けの最後通牒を付けて「対華14ヵ条要求」を公表した。
 中国は、日本側の不当要求で日華条約を受け入れると公表し、この日を「国辱記念日」とした。
 反日的国際世論は、中国の味方をして、日本が中国を侵略していると非難した。
 国際資本は、中国市場を独占する為に、日本資本を中国から完全排除しようとしていた。
 誰が、4億人の中国市場を手に入れるかである。
 日本は中国の面子に配慮して譲歩したが、その全てが中国人に裏切られ窮地に追い込まれた
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 中国には、日本との友好などは念頭にはなく、如何に日本を悪用して個人利益を得る事かしか興味がなかった。
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 5月25日日本と中国は、旧ドイツ帝国権益を引き継ぐという「山東省に関する条約」と旅順及び大連の租借期限延長を含む「南満州及び東部内蒙古に関する条約」を締結した。
 中国の民族主義者は、屈辱であるとして反日暴動を起こした。
 外交オンチの日本は、日本に多少の不都合、不利益が生じようとも相手の立場を考慮して、悪者になる事を承知で強硬発言をしたり、譲歩した。そうした人の好い行為の大半が裏目に出て、相手に悪用されて日本を窮地に追い込んだ。
 アメリカは、日本有利の日華条約締結に不快感を表明し、中国の領土保全と門戸開放に違反すると警告を発した。
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 1916年 朝鮮総督府は、李氏朝鮮時代からの悪習であった初潮前の少女を妓生として売買する事を禁止する布告を行った。
 貧困家庭における事情を考慮して売春行為までは禁止できず、妓生になる最低年齢17歳と定め、悪徳な朝鮮人女衒を厳しく取り締まった。
 性犯罪を減らす為に日本の遊郭を参考にした公娼制度を導入し、故あって娼婦為った女性を食い物にする朝鮮人やロシア人の売春宿を取り締まり、性病検査や健康管理を義務付けた。
 朴正熙大統領は、日本の公娼制度を参考にして、外貨を稼ぐ為に連合軍兵士相手の国営キーセン制度を始めた。
 産業のない韓国では、大金を稼ぐ売春産業は重要な産業であった。
 古田博司李朝の宮廷の官妓は、ちょうど現代の北朝鮮喜び組のようなもの」
 朝鮮総督・長谷川好道は、日本政府に対して、貴族院選挙で朝鮮人投票権を与えるように要請した。
 後年。日本政府は、30年代以降、日本在住の朝鮮人男子で年齢と住居に関する必要条件を満たす者に選挙権を与え、ハングルで投票用紙に記入する事認めた。同時に、天皇と国家に忠誠を誓い学力の或る者には日本国内で公職に就く事を許し、職場で朝鮮人だからとして差別し厭がらせを加える事を禁止した。
 6月6日 第四次日露協約。日本は、幕末からロシア帝国の軍事力による南下に恐怖し、その自衛措置として軍事国家の道を推し進めて来た。だが、犠牲を出して獲得した朝鮮と満州南部をアメリカの資本家から守る為に、最も警戒すべきロシア帝国と対米攻守同盟とも言うべき協定を締結した。
 7月 内務省は、「要観察朝鮮人視察内規」を通達した。日本の警察当局は、一部の朝鮮人留学生を学生ではなく反日政治活動家として監視を強化した。
 8月3日 新聞各社は、梨本宮方子(まさこ)女王と朝鮮王世子李垠(りぎん、朝鮮語でイウン)との婚約を一斉に報道した。
 「日鮮融和」の大義の為の政略結婚で、方子女王の意思か無視された。
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 1917年 上海に亡命していた朝鮮人独立派は、大韓皇帝は日韓併合で主権を放棄したとみなし、放棄された主権は国民が拾う必要があると主張した。
 2月 イギリスは、ドイツ海軍潜水艦による攻撃で連合国船舶の被害が激増するや、日本海軍に地中海派遣を要請した。
 日本は、自由貿易主義の海運国として航行の安全を確保する事と、貿易立国として世界市場での地位を獲得し、戦後の経済活動に支障を出さないようにするべく、艦隊派遣を受諾した。その見返りとして、ドイツ帝国の利権の引き継ぎを認めさせた。
 3月15日 ロシア帝国で、二月革命が起きた。
 ニコライ二世は、国内の混乱を鎮める為に英断をもって退位し、内戦を回避する為に18代304年間続いたロマノフ王朝を終焉させた。
 戦争に敗れた王国で、君主が敗戦責任を認めて退位すると、人民はその戦争責任を追求して元君主を処刑し、王朝を消滅させた。
 6月14日 皇居の鳳凰の間で、大元帥の正装をした大正天皇は、陸軍大将の正装をした純宗と会見した。日本は、朝鮮との立場を公式の場で明らかとした。
 民族主義者は、優秀民族としての面子が潰されたとして激昂し、日本と天皇に対して屈辱を晴らすべく暴力的独立運動を極秘に進めた。
 11月6日 10月革命。反宗教無神論共産主義者は、謀略を駆使して内戦を誘発し、旧体制を流血の中で葬り去る為にソビエト政権を樹立した。
 ロシア共産党は、プロレタリアによる一党独裁体制を確立し、「暴力と死」で人民を恐怖支配した。政府や党の幹部の大半が、非ロシア系ユダヤ人であった。
 レーニンは、「従順な人民」を理想として、トルストイキリスト教人道主義を嫌悪し、ガンジーの非暴力・無抵抗主義を奨励した。
 経済は破綻して失業者が溢れ、飢餓の発生で数百万人が餓死した。
 非ユダヤ系ロシア人やウクライナ人は、ユダヤ人の隠謀として、ユダヤ人を憎悪した。
 「光復団」事件。
 イギリスは、ドイツ軍の攻勢に押されて敗色が濃くなるやアメリカの参戦を求め、悪意に満ちたプロパガンダをおこなっいた。
 「ドイツ軍が、赤ん坊を放り上げて銃剣で刺して殺した」
 「ドイツ兵が、村中の女性を強姦し、ムラ人全員を虐殺して全てを略奪した」
 「ドイツ軍は、病院や学校を攻撃し、病人や子供を見境なく皆殺しにした」
 国際世論を賑わせたドイツ軍の残虐行為は、追い詰められたイギリスによる捏造で、事実に反する嘘であった。
 戦時に於けるブラック・プロパガンダは、劣勢にある者が優勢にある敵を貶める為に行う謀略である。
 つまりは負け犬の遠吠えであるが、アメリカ世論をドイツ軍への義憤を感じて参戦した。 優勢者が行う情報戦とは、主にホライト・プロパガンダである。
 欧米社会は、何れかの価値観を一つしか信じない為に、意図的なプロパガンダに躍らされ易い体質を持っている。




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