☱21〕─2─自然災害被災地で犯罪行為を行う民族と行わない民族。~No.46 @ 

世界史としての関東大震災―アジア・国家・民衆

世界史としての関東大震災―アジア・国家・民衆

  • 発売日: 2004/09/01
  • メディア: 単行本
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 上海の大韓民国臨時政府は、朝鮮人テロリストを関東大震災の東京に送り込んでいた。
 ソ連は、支援物資を積んだ輸送船を派遣すると日本側に伝えた。
 日本は、共産主義者工作員が送り込まれるとして拒否した。
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 日本人には、助け合う良い日本人もいたが、殺し合う悪い日本人もいた。 
 人数的に言って、悪い日本人はごく例外で、良い日本人の方が圧倒的に多かった。
 ほんの僅かな悪い日本人の為に、日本人全体が悪人として非難され、罵詈雑言を浴びせられるのは不当である。
 だがらといって、大多数の良い日本人で少数に悪い日本人が起こした犯罪行為を隠蔽する事は許されない。
 善い事も悪い事も、公平に歴史に記す事が正しい歴史である。
 ゆえに、日本人による朝鮮人惨殺は歴史的事実である。
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 自然災害の被災地や戦闘後の廃墟で、生き残った被災者の大半が正常な心理状態を保てず、デマや偽情報を真実と信じ込み異常な行動を取る事が多い。
 被害が深刻であればあるほど、法の秩序が崩壊し治安が悪化して無法地帯化となり、異常心理の被災者による暴動や略奪、殺人が強姦が起きるのは世界の常識である。
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 東京だけで、10万人近くが死亡した。
 普通の精神の持ち主であれば、発狂する被害である。
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 関東大震災の余震は、その後も続いていた。
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 2017年9月14日号 週刊新潮「変見自在 高山正之
 略奪する民
 3・11大震災が起きたとき、世界は驚愕した。『被災者は助け合い、少ない食べ物を分かち合っていた。略奪や暴動は噂も聞かなかった。みな整然としていた』とCNNは伝えた。
 ニューヨーク・タイムズも『商店の襲撃や援助物資の奪い合いは全くなく、冷静に苦境に耐える民の姿に感動した』と報告する。
 論評の中に日本嫌いの同紙のニコラス・クリストフの体験記もあった。
 彼は阪神大震災の現場を踏んでいた。彼は日本人が非キリスト教徒なのに高潔な精神を持つという話を信じなかった。
 そんなわけはない。野蛮人の下卑た素顔を暴いてやると現地に入った。
 ロサンゼルス・タイムスのサム・ジェムスンも同じ思いでまずアウトロー山口組の根城を目指した。
 連中は今が稼ぎ時。略奪強姦に忙しいからと訪ねたらヤクザが被災者のために炊き出しをしていた。
 クリストフはサムを嗤った。オレは絶対日本人の尻尾を掴む。彼は崩れた街を駆け巡ってついに数人の男が食料品店を荒らし、奪う現場に行き遭った。
 やっぱり。勝ち誇って略奪された店主の怒りの声を期待した。『いや彼らはあっちの人や』。言われてみて確かに彼らは妻の祖国の言葉を話していた。
 彼は悔しくてこの話をずっと伏せてきた。3・11のあとやっと記事にした。『東北の人たちのマナーは16年前の阪神の人たちと同じだった』と。
 韓国の中央日報の記者、朴素荃(パクソヨン)も二つの震災を取材していた。
 そこには略奪の影もないどころか自分のことで手一杯のはずの被災者が一見(いちげん)の彼女らにまで親切を忘れない姿に『日本の高い市民意識を改めて確認した』と書いていた。
 そうした日本人の姿は江戸期に来たスイス外交官エメ・アンベールも明治期に来たラドヤード・キプリングも書いている。
 そんな日本人が大正12年9月1日の関東大震災のときだけおかしくなったと今、韓国人や共産党が言う。
 日本人はその手の話にうんざりしている。加藤康男朝鮮人虐殺はなかった』にはあの日、被災した日本人が3・11と同じに振る舞う姿が描かれている。
 焼け出され、食べるものもない被災者のために『波止場人足が決死隊を組んで水没した倉庫に潜り飲料や果物を運び出し配った』と朝日新聞の羽田三吉記者が報じている。
 その一方で『品川に武装した鮮人が押し寄せ、麻布3連隊が出動』(北海タイムス)『日暮里近くで女性が鼻梁を削がれ、局部にも重傷を負って倒れていた。7、8人の鮮人に輪姦されたという。青年団が警戒している』(河北新報)と伝える。
 強姦したうえ鼻を削ぐような風習は日本にはない。
 在京新聞社の多くは倒壊するか焼け落ちて輪転機は止まっていた。それでもガリ版刷りの号外を出して情報を被災者に伝えていた。
 それが指摘するのが震災による火災の延焼を免れた牛込、四谷などで震災の翌日になって不審な火の手が上がったことだ。そして暴行や略奪騒ぎがそれを追うように続く。
 当時、東京には半島から来た8万人の朝鮮人がいた。彼らの振る舞いはヨーコ・カワシマ・ワトキンズ『竹林はるか遠く』が語る日本仁避難民を集団で襲って犯し、奪い、殺していく鮮人と同じに見える。
 あるいは通化の大虐殺から逃げ延びた佐藤和江さんが先日の産経新聞で語った『鉈(なた)をもって追いかけてくる朝鮮人』に似る。
 関東大震災の折に『略奪放火のデマで虐殺された』という朝鮮人犠牲者の追悼式に今年は小池百合子が挨拶文を出さなかった。
 それで朝日が怒り狂って小池を罵っていた。彼女のこれまでの所業はいろいろ問題であったけれど、これは悪くない。
 日本人があの日だけ特別に狂ったというなら、その証拠を出すがいい。略奪で歴史を刻む朝鮮人があの時だけは大人しかったというならその証拠を示せ。 
 デマで新聞を作るのは米国だけでいい。」
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 9月2日 産経ニュース「【関東大震災94年】朝鮮人追悼式・小池都知事の文書送付取りやめ 主催者側「寄り添う姿勢ない」×女性団体「父祖の名誉回復を」…「虐殺」めぐり対立
 「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」会場などでは警察官ともみ合う場面もあった=1日、東京都墨田区(寺河内美奈撮影)
 関東大震災から94年となる1日、東京都立横網町公園墨田区)の都慰霊堂で、震災で亡くなった人々を悼む都慰霊協会主催の大法要が営まれた。公園内では小池百合子都知事らが追悼文送付を断った朝鮮人犠牲者を追悼する式典や、その犠牲者数に疑義を唱える団体の慰霊祭も開催。警察官や都庁職員らが警戒する中、小競り合いが散発し、「慰霊の日」の公園内は騒然とした空気に包まれた。
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 大法要には秋篠宮ご夫妻ご臨席の下、遺族や都の関係者ら約600人が出席。安藤立美副知事は「誰もが安心して暮らせる東京をつくり上げるため、防災対策に全力を尽くしたい」などとする小池氏の追悼の辞を代読した。
 一方、公園内にある朝鮮人犠牲者追悼碑前で行われた「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」は日朝協会東京都連合会など複数の団体で構成される実行委員会が主催。43回目の今年は、あいさつや哀悼の辞で小池氏や山本亨・墨田区長の追悼文送付取りやめを「流言飛語で命を奪われた犠牲者や遺族に寄り添う姿勢が全く見受けられない」と次々に批判する声が上がった。
 この式典から数十メートル離れた場所で行われたのが、追悼碑の「6千人」とする朝鮮人犠牲者数に疑問を唱える女性団体「そよ風」が初めて開いた慰霊祭だ。鈴木由喜子代表は「生き残った人々は虐殺の加害者とされ誹謗(ひぼう)中傷を受けた。父祖の名誉回復に努める」と開催趣旨を説明する。
 主張の異なる団体がそれぞれ式典を開催したことで、園内は警視庁の警察官や都職員らが厳重警戒していたが、一部の参加者や見物人らと警察官がたびたびもみ合いになるなど会場が騒然となる場面もあった。
 毎年ボランティアで大法要の受付をしている墨田区の自営業男性(71)は「今年は特に警察の数が多く、例年とは違う雰囲気。慰霊の日なのだから、亡くなった人々の霊を静かに追悼する日であってほしい」と訴える。
 この日、都庁で行われた小池氏の定例会見では、追悼文送付を断ったことに関する質問が相次いだ。小池氏は「大法要の追悼文で知事として、犠牲となられた全ての方々へ哀悼の意を表させていただいた」と改めて説明。朝鮮人らに対する虐殺の有無についての考えを問われた際は「いろんな史実が書かれている。どれがどうなのかというのは歴史家がひもとくものではないか」と述べるにとどめた。
 「朝鮮人虐殺」、殺害された人数・軍の関与…諸説あり
 関東大震災の際に起きたとされる「朝鮮人虐殺」をめぐっては、殺害された朝鮮人の人数や軍、警察の関与に諸説があり通説的な見解はない。
 平成20年に政府の中央防災会議の専門調査会が過去の災害教訓をまとめた報告書では、関東大震災時に発生した殺傷事件の全犠牲者数を「正確な数はつかめないが、震災による死者数の1〜数%」と推定。朝鮮人犠牲者に関する記録として、司法省(当時)が作成した資料にある233人を提示した。朝鮮総督府が把握した震災による朝鮮人の死者・行方不明者832人という数字も挙げている。
 このほか「本事業の目的は歴史的事実の究明ではない」と断った上で、殺傷事件を検証したコラムを掲載。朝鮮人の犠牲者数として、大韓民国臨時政府の機関誌「独立新聞」に掲載され、後に研究者らに多く引用された6661人などの数字を取り上げた。
 一方、政府は今年5月、「虐殺事件」への日本政府の関与について、「調査した限りでは、政府内にその事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」とする答弁書閣議決定した。「歴代政府が遺憾の意を表明したことについては確認できなかった」とも指摘している。
 ■関東大震災と「朝鮮人虐殺」
 大正12年9月1日の関東大震災では、混乱の中で「朝鮮人が暴動を起こした」などの情報が流れ朝鮮人らが殺害された。都立横網町公園には民間団体が建立し、現在は都所有の朝鮮人犠牲者追悼碑があり、「あやまった策動と流言蜚語(ひご)のため六千余名にのぼる朝鮮人尊い生命を奪われた」などと刻まれているが、都は「6千人が正しいか、正しくないか特定できない」との立場をとっている。」
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 日本人と中国人・韓国人・朝鮮人の行動及び思考は、正反対に近いほど違う。
 その違いは、日本人は自然災害対応脳であり、中国人・韓国人・朝鮮人は人災対応脳であるからである。
 反日派や日本嫌いの外国人には、被災地での、中国人・韓国人・朝鮮人らの個人行動は理解できるが、日本人の集団行動は理解できない。
 その違いを目の当たりにしても、日本人を信用せず非難と批判を止めない。
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 奪い合う人災対応脳から助け合う自然災害対応脳に強制的に改造したのは、徳川家康であった。
 徳川家康は、手の付けられない獰猛な狂犬であった日本人を従順で大人しい飼い犬に去勢した。
 日本人が災害時に被災地で暴動や略奪そして強姦や殺人を行わないのは、徳川家康人間性を奪った日本人改造にあった。
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関東大震災の社会史 (朝日選書)

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  • 作者:北原糸子
  • 発売日: 2011/08/10
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いわれなく殺された人びと―関東大震災と朝鮮人

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