- 作者:徐正敏
- 発売日: 2013/04/01
- メディア: 単行本
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
朝鮮半島の総人口は2,189万人で、日本人は約58万人で、わずか2.6%にすぎなかった。
日本人は、語学能力がなく朝鮮語を自由に話せなかったが、日本語を公用語として普及させていたから朝鮮語を覚える必要がなかった。
朝鮮語を話せなかった日本人は、京城・釜山・仁川など都市部でなら何不自由なく生活できたが、一歩郊外に出れば生活に困り、地方に行ったら途方に暮れた。
朝鮮人は、優れた民族言語に誇りを持っていただけに、野卑な日本語を本気で覚えようという意思はなく、内心で下等言語である日本語を馬鹿にしていた。
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遊郭は日本、台湾、朝鮮にもあり、日本の遊郭では日本人娼婦が大半であったが、台湾や朝鮮では朝鮮人女性が多かった。
遊女達は、民間の娼婦よりも軍隊の慰安婦の方が稼ぎも待遇も良い為に、慰安婦になる事を希望していた。
民間の遊郭組合は、軍慰安婦募集を控えるように要請した。
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日本は、朝鮮を救済するべく配慮し、国費を投じた。
朝鮮総督府は、朝鮮が凶作となり飢餓に陥っても、朝鮮人が餓死しない様に腐心した。
軍国日本は、朝鮮統治で悪い事もしただろうが、それ以上に良い事もした。
朝鮮では、飢餓が発生しても餓死者は出なかったし、疫病が発生しても病死者は少なかった。
日本は、朝鮮に対してできる限りの事をしていた。
朝鮮人は、より高い所得と良い職場を求めて毎年10万人以上が自発的に日本に渡った。
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*朝鮮における凶作
1937年 朝鮮が旱魃に襲われて米の生産量が激減した為に、日本への米穀移出量は激減した。
その結果、日本国内の米は減少した。
第一次人民戦線事件。山川均、加藤勧十ら労農派を一斉に検挙した。
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2月6日 大阪毎日新聞(朝鮮版)「密航を企つ 資産家の息子」
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3月17日 総督府は、日本語を唯一の公用語とする事を各官署に通達し、朝鮮語の使用は一般会話の私語のみに制限した。日本語の公用化は、植民地支配の犯罪とされた。
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4月7日 福岡日日新聞「対馬に密航鮮人ブローカー」
4月21日 福岡日日新聞夕刊「山に逃げ込んだ密航鮮人」
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5月11日 大阪毎日新聞(長崎版)「(朝鮮人)密航団を厳重取締る」
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6月 安昌浩(アンチャンホ)は、同友会事件で逮捕された。
軍国日本にとって、朝鮮を信用していいものかどうか不安であった。
軍部は、朝鮮人を皇軍兵士にする事には反対で、むしろ軍属として扱う事を決めていた。
6月3日 大阪毎日新聞(山口版)「闇の玄海を行く 密航の定期船」
6月4日 普天堡(ポチョンボ)襲撃事件。金日成は共産ゲリラ約200人を率いて、朝鮮領内の小さな町の普天堡を襲撃し、駐在所・郵便局・小学校などを焼き払い現金約4,000円を強奪し、警察官ら多数を殺害して銃や弾薬も奪って逃走した。
日本軍は、討伐隊を満州に派遣した。
共産ゲリラは、日本軍討伐隊の攻撃で壊滅させられた。
金日成は6名の部下を連れて、1940年に命辛々ソ連に逃げた。
ソ援軍は、金日成を工作員として雇った。
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7月7日 盧溝橋事件。華北の共産系パルチザンは、日本軍(総兵力30万人)に戦争を起こさせる為に日本人居留民(1万7,000人)を襲撃していた。
天津近くに駐屯していた中国軍(数万人)は、天津市内の日本人租界に散発的に攻撃を加えていた。
支那駐屯軍(5,000人)は、自重を要請する東京中央の命令を無視し、独自の判断で暴走して第29軍(14万人)を攻撃して侵略を始めた。
日中戦争の勃発である。
中国軍(総兵力200万人以上)は、華北周辺の中国軍(75万人以上)に動員命令を出し、華中の諸部隊(数十万人)にも北上を命じ、日本軍殲滅を命じた。
抗日中国人組織は、200万人以上を集めて抗日戦支援運動を開始した。
北京の日本軍特務機関と第29軍軍事顧問桜井徳太郎少佐は、劣勢な日本軍では日本人居留民を守れない為に、これ以上の戦闘は危険と判断して停戦協定成立に奔走した。
7月19日 宋哲元将軍は、戦争拡大を避けるべく停戦協定に従って、支那駐屯軍の香月清司司令官を訪問して遺憾の意を伝えた。
7月23日 朝鮮総督府は、半島全体に戦時体制令を発し、反日勢力への臨戦態勢に入った事を宣言した。
7月29日 通州事件。中国兵は、計画的に女子供に関係なく日本人居留民264名を虐殺した。
中国側は、事件の原因は日本側にあると非難し、国際社会に訴えた。
国際世論が、中国の言い分を認めたた為に、日本は孤立化した。
外務省と陸軍省は、約束を破り残虐行為を繰り返す中国軍に対して、懲罰の鉄槌をくだすべきとの強硬意見を主張した。
参謀本部は、中国増派は持久戦に巻き込まれる恐れがあって不利であり、今は対ソ戦への備えが急務として増派に猛反対した。
軍部の総意は、如何なる被害を出そうとも戦争拡大には反対であった。
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8月14日 上海。スターリンの密命を受けた中国軍機は、日本租界を含む共同租界を爆撃して、多数の被害を出した。翌15日 日本海軍機は、中国軍に対して報復爆撃を行った。中国軍(40万人以上)は、日本軍の侵略行為に対する自衛行動として、6,000人の日本人居留民を守る日本海軍陸戦隊(3,700人)への攻撃を開始した。
第二次上海事変が勃発した。
ナチス・ドイツはヒトラーの命令で、中国軍強化に協力するべく軍事顧問団を派遣し、ドイツ軍式の軍事教練をほどこし、日本軍に勝つ為に最新鋭の強力な武器を大量に送った。
国際的武器市場において、ドイツ軍仕立ての中国軍が侵略者日本軍に勝つ事で、ドイツ製兵器の優秀さを証明する事ができた。
ユダヤ系国際金融資本は、ドイツの軍需産業と石油・化学産業に巨額の投資を行っていた。
アメリカの国際的石油資本は、ドイツ軍に石油を供給し、ドイツ石油・科学財閥と人造石油開発の共同研究を行っていた。
日本政府は、蒋介石の南京国民政権を中国の正統政府と認めない立場から、国と国との全面戦争とはせず、よって宣戦布告を行わず単ある武力紛争と見なして支那事変と呼んだ。
軍部は、この政府見解に従って、国民党軍及び武器を持って抵抗する便衣隊のみを敵として攻撃したが、武器を持たない中国人民を保護し、戦争避難民に生活物資を分け与えて支援し、破壊された橋や鉄道や堤防などを修復し日常生活の復旧に力を貸した
45年までアメリカは、抗日中国に28億ドルの資金援助と膨大な戦略物資を与えたが、10億ドルは使途不明で消えたとされている。
いずれにしても、中立国アメリカは軍国日本と戦う中国を軍事支援していた。
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朝鮮出身の衆議院代議士・朴春琴は、二等国民として差別されている朝鮮人の地位向上の為に、階級・学力・体力等の条件でしか軍人になれなかった所を一般朝鮮人でも兵士になれるように「朝鮮人志願制度」を請願した。
軍部は、朝鮮人テロリストによる昭和天皇や皇族の暗殺未遂事件を教訓として、朝鮮人の志願制度拡大には消極的であった。
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日本軍兵士による強姦事件が多発し、日本軍兵士における性病感染者の増加で攻撃力が低下する事を恐れた。
シベリア出兵した7万2,000人の日本兵士の1万人以上が、白人のロシア人女性を強姦して性病に感染し、戦死者よりも性病患者が多かったといわれ。
日本人男性は、性欲を抑えられない、性交渉にだらしない飢えた色欲獣と揶揄された。
上海派遣軍参謀副長岡村寧次大佐は、シベリア出兵の失敗を教訓として、長崎県知事に慰安婦を送る事を要請した。
朝鮮人女衒達は、大金が稼げると見るや朝鮮で従軍慰安婦を募集し、貧しい農村地帯を廻って娘達を騙して掻き集めてきた。
正統派儒教に於いては、女性は人と見なさず、男あるいは夫の取り合え自由な所有物でしかなかった。
特に長女は、家族の犠牲として売春婦に売られたが、世間体として「日本に働きに行く」「日本に嫁に行く」など「日本」を出して言い繕った。
朝鮮人女衒は、朝鮮人慰安婦を取りまとめて、日本軍兵士が払った金を不当に搾取し、慰安所から逃げられないように監視していた。
朝鮮語が理解できない外国語音痴の日本人は、朝鮮人慰安婦が内を話しているか分からない為に、彼女らの面倒を朝鮮人女衒に任せるしかなかった。
ただ、性病が日本軍隊内で蔓延する事を防げた為の性病検査や健康診断を徹底して行った。
海外に派遣された日本軍は、日本人女性や朝鮮人女性が売春する民間委託の慰安所を従えながら各地を転戦していた。
慰安所のある日本軍占領地では、日本人兵士による地元女性への強姦事件や地元住民への差別も少なく治安が維持されていた。
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8月21日 中国とソ連は、日本を共通の敵として不可侵条約を締結し、対日攻守同盟の密約を交わした。それは、軍事同盟的意味合いがあった。
ソ連は、抗日中国軍にヒト・モノ・カネの軍事支援を開始した。その資金は、アメリカの国際資本家から出ていた。
日本と朝鮮の共産主義者は、スペイン内戦を見習って、天皇制度打倒の人民戦線活動を活発化させた。
アメリカやイギリスなど人民戦線派も、抗日中国を支援するべく反日運動を盛り上げた。
東南アジア経済を支配する華僑も、祖国を日本の侵略から救う為に蒋介石を支援し、日本製品のボイコット運動を開始した。
軍国日本は、国際的に孤立した。
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9月 第二次国共合作。国民党と中国共産党は、抗日民族統一戦線に合意した。
抗日中国軍内の朝鮮人組織は、日本軍内の朝鮮人兵士の脱走を手助けし、日本軍補給部隊内の朝鮮人軍属から軍情報を聞き出していた。
こうした経路で、日本軍の武器弾薬や軍需物資の一部が抗日中国軍に流失していた。
9月15日 東亜日報「巧妙な密航船術」
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10月 李覚鐘は、「皇国臣民の誓詞」を南次郎朝鮮総督に提出した。
親日派朝鮮人は、日本が強制するまでもなく、日本姓への創氏改名を希望し、自発的に朝鮮神宮への参拝を行った。
10月1日 総督府は、「皇国臣民の誓詞」を制定し、朝鮮人を皇民化する為に暗記を徹底させた。そして、学校や職場で宮城遥拝と神社参拝を強制した。
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11月3日 ブリュッセル会議。アナトリー・コーシキン「西欧列強は、ソ連を日中戦争に引き込むことが最も都合が良いと考えていた」(『大国の攻防』P.23)
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12月13日 第二回南京事件。
反天皇反日の宣教師は、日本軍の残虐行為を国際世論に訴えた。
12月23日 総督府は、各学校、公官署、各職場に天皇の御真影を配付し、礼拝を強要した。
朝鮮各地のキリスト教会は、人である国家元首・万世一系の男系天皇(直系長子相続)を現人神とする事に嫌悪し、絶対神への信仰から異教徒の神を祀る神社への参拝を拒否した。
朝鮮人キリスト教徒も、侵略者日本人への不服従から御真影への礼拝を拒絶した。
アメリカ系宣教師は、自由と平等を掲げて、朝鮮人キリスト教徒の信仰を支持し、朝鮮人の独立運動を支援した。
忠良たる臣民である事を誇りとする日本人にとって、神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)の神性を否定される事は、最大の屈辱であった。
神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)を敬愛する日本人は、日本の心を踏みにじる朝鮮人を憎み、日本の魂を侮辱する朝鮮人を差別した。
まして、神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)を暗殺しようとする朝鮮人を許す事が出来なかった。
だが、日本人が抱いた朝鮮人への差別意識は「悪」とされ、犯罪とされた。
戦後の日本は、全ての事実を理解した上で、全て戦前の軍国日本に罪があったと認めて謝罪し、そして犯罪行為に対する償いとして賠償金に応じた。
戦前の神国日本と戦後の平和国家日本とは、全く正反対の日本である。
当然、戦前の昔ながら民族的日本人と戦後の現代的な国際派日本人は、似ても似つかない別人の日本人である。
現代の日本人には、サムライとしての素養も志も品位・品格・品性もなにもない。
平和愛好家の現代日本人は、死を恐れないサムライではない。
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