- 作者:石川 逸子
- 発売日: 1993/06/21
- メディア: 新書
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
親日派朝鮮人は1割。反日派朝鮮人は3割、中間の朝鮮人は6割。
現代韓国では、親日派知日派韓国人ゼロ、反日派韓国人7割、中間の韓国人は3割。
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アメリカ軍の基地周囲には、アメリカ兵の相手をする売春宿が数多く建ち並んでいた。
売春宿の主人は、地元の女性を騙したり誘拐したり借金の方などで集めて売春をさせて大金を稼いでいた。
売春婦達は、好きこのんで売春婦になったのではなく、孤児だったり、親の借金だったり、貧困ゆえにだったり、男に騙されたり、誘拐されたり、売られたりと、様々な理由でアメリカ兵の相手をしていた。
アメリカ兵達は、故郷に残してきた家族や恋人に隠れて売春婦達を買っていた。
売春婦の中には、自分の意思で売春婦になったわけではない女性もいた。
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韓国及び在日朝鮮学校の歴史許可書「日本帝国は、朝鮮民族を根絶やしにする為に『民族抹殺政策』を実行した」
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神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)制度国家日本は、絶体絶命の状況に追い詰められ、援軍なく孤軍奮闘していたが、朝鮮を味方として信用できたのか、朝鮮人を友人・仲間として信頼してよいのか、それは疑問であった。
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朝鮮人民約3,000万人は、目の前で行われた、日本軍の強制連行や従軍慰安婦狩りをなぜ黙認して止めようとしなかったのか?
朝鮮に駐屯していた日本軍は、10万人どころか5万人もいなかった。
最精鋭部隊な激戦地に送られて、朝鮮駐屯していたのは予備部隊であった。
日本軍には、有り余るほどの武器弾薬も石油も食糧もなかった。
総督府の責任者は日本人であったが少数に過ぎず、中堅幹部以下の職員は全てが朝鮮人であった。
憲兵隊の指揮官は日本人であったが、命令を遂行する現場の憲兵隊補助員や警察官は朝鮮人であった。
韓国と北朝鮮が、日本に戦争犯罪として強制連行と従軍慰安婦を糾弾する時、その事が問われる。
朝鮮人は、賢く勇敢で立派なのか?
或いは、みっともなく哀れでみじめなのか?
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支那派遣軍は、一部の兵力を南方作戦に転出された為に約300万に減少していた。
抗日中国軍は、日本軍の数倍の兵力を有し、戦略物師は日本軍よりも豊富であった。
中国共産党軍は、兵力数が不明であるが、戦略物資は日本軍よりも多かったといわれている。
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*太平洋戦争における反日派朝鮮人独立運動家の蠢動
韓国と中国の教科書は、自由な日本の教科書とは違って、国家の命令で作られた偏狭的排他的イデオロギー本である。
韓国・国定歴史教科書『高校国史・下』「太平洋戦争が起きると臨時政府は即時、対外活動を始め対日宣戦布告を発表し、韓国光復軍を連合軍の一員として参戦させた。……韓国光復軍は中国や東南アジア一帯で連合軍と共に対日戦に参加し、一方では祖国の光復を我々の手で戦い取るため直接、国内に進入し日本軍との全面戦を展開する計画だった」
日本に隣接する朝鮮半島は、古代から警戒すべき仮想敵国であった。この時も、油断すると寝首を掻かれる恐れがあった。だが、全面から襲い来る国際連合国軍の圧倒的な兵力と膨大な物資に防戦がやっとで、いつ裏切るかも知れない朝鮮を気にするゆとりは絶無であった。
古代から、日本と朝鮮には友好は存在しないし、本心から共同して戦う事はありえなかった。
古い常識を持った日本人は、融通をきかせて帰化する中国人を尊敬し憧れ信頼していたが、頑固に帰化を拒否する朝鮮人を胡散臭く眺めて決して信用しなかった。
日本は一国のみで独自の戦略で戦い、朝鮮は大陸に協力して戦った。
日本は、古代から同盟者を持たずに孤立していたが、寂しいとも、辛いとも、苦しいとも、決して弱音を口にせず照れ笑いで耐え忍んでいた。
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皇族の妃殿下方は、銃後で傷病兵の介護・看病を行うという伝統に従い日本赤十字や女子学習院同窓会で奉仕活動に参加した。
方子妃も、皇族の一員として加わった。
儒教に五月蠅い朝鮮人達は、高貴な身分の女性が下女の様に働く事に猛反対した。
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1941年12月10日 上海臨時政府は、中国を支援する為に対日宣戦を布告した。
抗日独立軍である光復軍(総兵力約300人)は、抗日中国軍と協力して各地で日本軍と勇猛果敢に戦っていた。
朝鮮人テロリストは、直接攻撃としてのテロ行為を止め、日本・朝鮮・満州等で暗躍して日本軍の情報を連合軍に通報した。
彼らに協力したのが、朝鮮内のキリスト教会であった。
12月26日 中国政府は、上海臨時政府を公式に認め、正式に財政支援を開始した。
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朝鮮人は、失敗や敗北を恐れない日本人と違って、決して自分の意思で前に出て行動する事はなかった。
事大主義から、強者に隠れて騒ぐだけで敵に立ち向かう事はしなかった。
弱者や被害者或いは犠牲者を装い、強者を焚き付けて敵を滅ぼそうとした。
日本との戦いでも、連合国や中国に戦わせるのみで、自分は安全な後方で高みの見物を決め込んでいた。
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日本に協力した親日派朝鮮人は、日本人兵士の戦友として共に戦った。
日本は、戦友として戦って戦死した親日派朝鮮人への敬意として靖国神社の祭神として祀った。
現代の韓国は、親日派朝鮮人を裏切り者としてその人格までも否定し、その子孫から社会的地位を剥奪し私有財産を没収した。
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軍国日本は、東にアメリカ、南にイギリス、オーストラリア、カナダの英連邦諸国、オランダ、西に中国と戦っていた。
北には、ソ連が不気味に存在していた。
軍国日本は、四面楚歌にあった。
そして、国内には天皇制度廃止を訴える日本人マルクス主義者と昭和天皇暗殺を企む朝鮮人独立派テロリストが存在していた。
軍国日本には、味方はいなかった。
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日本軍兵士への朝鮮人志願者数。
─────…採用人数 ‥志願者数
昭和13年…406人 ‥2,946人。
昭和14年…613人 ‥1万2,348人
昭和15年…3,060人‥8万4,443人
昭和16年…3,208人‥14万4,743人
昭和17年…4,077人‥25万4,273人。
昭和18年…6,300人‥30万3,394人。
日本軍に志願した朝鮮人は、約80万人。
日本軍は、朝鮮人を強制連行しなくても、日本軍人兵士になりたいという志願希望者が殺到していた。
朝鮮人には日本人とは違って、罰則付き無条件徴兵制ではなく、自由意志による志願制であった。
朝鮮人志願兵は、日本人徴兵の様に戦死の危険がある最前線に立たされる事は少なく、戦闘能力や忠誠心に疑問がある為に多くが輸送部隊の様な後方勤務であった。
「戦死した朝鮮人志願兵達は、戦死した後に、靖国神社の祭神として祀られ、昭和天皇や政府高官達に参拝される事を拒否していただろうか?」
津村忠臣「韓国・朝鮮出身の兵士等は、戦場に於いて実に勇敢でした。皆、志願した出征した選りすぐりの戦士でした。共に戦った戦友として、日本の国民の一人として、彼等の御霊に等しく感謝を捧げる事は、たとえご遺族の反対があっても妨げられるべきではないのです」(大坂靖国裁判における補助陳述)
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