☲24〕─1─日本軍の玉砕と国民徴用令。二等国民の朝鮮人は日本軍兵士に向かず戦場から逃げた。昭和19年 ~No.76 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 親日派朝鮮人は1割。反日朝鮮人は3割、中間の朝鮮人は6割。
 現代韓国では、親日派知日派韓国人ゼロ、反日派韓国人7割、中間の韓国人は3割。
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 朝鮮人は、性格・体力・精神力・能力から労働者に向いていたが日本軍兵士には不適格であった。
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 日本人は一等国民であり、朝鮮人は二等国民であった。
 一等国民の日本人は、死ぬ兵士に適していた。
 二等国民の朝鮮人は、兵士には向かず生きる徴用工に向いていた。
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 儒教は、良い鉄は釘にはならず優れた君子は兵士にはならないとして、武官や犯罪・治安担当官吏を下級官吏と軽蔑していた。
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 日本人は、天皇と国を護る兵士になる事は男子の本懐として感激した。
 中国人や朝鮮人は、兵士になる事をもっとも嫌っていた。
 日本人は武を尊び、中国人と朝鮮人は文を貴んだ。
 日本人と中国人・朝鮮人は、水と油の如く、交わる所がなく、理解しあう事はなかった。
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 朝鮮総督府は、日本国内で食糧が不足しているのを知りながら、朝鮮半島内の食糧を確保する為に朝鮮米の内地への移送を最低限に減らした。
 その為に、日本国民は飢えに苦しみ始めた。
 朝鮮総督府は、日本国民より朝鮮人の保護を優先し、日本国民が幾ら飢えようとも朝鮮人が飢える事は看過できなかった。
 何故か、各戦場で玉砕・全滅の情報が伝えられ、明らかに戦局が悪化している現状で、朝鮮で大規模な反日暴動が起きれば日本は一溜まりもなく敗北するからであった。
 朝鮮の治安を守る事が、絶望的な戦局にあっても日本国民が一丸となって死力を尽くして戦っている日本を支える事だったからである。
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 正しい現状認識があれば、朝鮮人女性を強制連行して従軍慰安婦にする事も、朝鮮人男性を強制的に徴用工にする事も、あり得ない事が分かる。
 如何に、現代日本にそうした真面な現実認識がないかがわかる。
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 連合軍の攻撃による撃沈された輸送船の被害総トン数
 1942年  97万
 1943年 178万
 1944年 382万
 1945年 181万
 商船建造総トン数
 1942年  26万
 1943年  76.9万
 1944年 169.9万
 1945年  55.9万
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 堀内光男(千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会会長)「太平洋戦争で、6万人を超える船員が犠牲になった事はあまり知られていない。軍人・軍属の戦死者の比率は約」21%だが、船員の死者割合は推計43%。いかに過酷な犠牲を強いられていたかがわかる。
 広大な太平洋での戦争遂行には、船による武器弾薬や兵隊の輸送が不可欠だった。だが、海軍は手薄な護衛しかつけずに民間会社の船を中心とした輸送船団を送り出し続け、米潜水艦などによって次々と沈められた。船員は『使い捨て』されたと言える。
 2012年9月、『戦没した船と船員の資料館』を訪ね、実態を調べた。ショックだったのは、国が船員不足を補う為、2ヶ月程度の訓練しか受けさせていない速成の少年船員を送り出した事だ。
 20歳未満の少年船員の犠牲者は約1万9,000人。そのうち14〜16歳の少年が7,000人を超えているという。
 軍属として扱われなかった船員も多く、そうした船員の遺族には何の補償もなかった。船員を含め、海に沈んだままの遺骨は30万柱に上る。この『海の墓標』の存在を忘れるべきではないだろう」
 大正時代に生まれた男子約1,456万人の内約200万人が、軍人・軍属として戦死した。その数は、戦没者の9割で、7人に1人が戦没した事になる。
 門田隆将「太平洋戦争は、大正世代の戦争だった。この世代は、戦場で自分だけ生き残る事を恥と考え、逃げる事なく戦って無くなった」
 自分の事しか考えず戦わず逃げる様に教えられた戦後教育を受けた昭和世代に比べて、大正世代はサムライ精神を持った明治世代に育てられた為に天皇と国と家族の為に戦った。
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 連合軍は、通商破壊作戦として、南方資源地帯からの戦略物資輸送と前戦への兵力補充を妨害する為に、日本の輸送船を発見しだい攻撃して撃沈していた。
 日本海軍は、輸送船団護衛の為の艦隊を編成したが貧弱で船舶の被害は鰻上り煮上がっていたが、戦闘艦の圧倒的不足で輸送船を守る事が出来なかった。
 喪失船舶を補充する為に新たな船を建造して投入するが、間に合わなかった。
 撃沈された輸送船と共に、多くの日本人将兵が海の藻屑と消えた。
 徴用された多くの朝鮮人も、輸送船内で日本人兵士と共に溺れ死んだ。
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 堀辰雄「これからあまり長く生きられない、死んで行く人間には、自然や空が美しく見える」
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 日本政府は、日本国籍保有者に対して国民徴用令を出した。
 不足した兵力と労働力を補うべく、朝鮮人を徴兵する為に徴兵試験を導入し、国民徴用令を施行して朝鮮人女子挺身隊を編成した。
 日本軍は、朝鮮人を兵隊として徴兵する事には不賛成であったが、志願した親日派朝鮮人から厳選して兵隊に採用した。
 朝鮮人は文弱で、精神的にひ弱で、肉体的にか弱で、窮地に追い込まれると子供の様に泣け叫んで手に負えなくなる。
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 日本人の最大の失敗は、朝鮮人を友人・戦友となって共に戦ってくれると信じた事である。
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 昆明などのアメリカ軍基地アメリカ人兵士や整備士達は、中国人が経営する不衛生な慰安所を利用した為に半数近くが性病に感染して戦力を低下せていた。
 パイロットや高級将校達は、重慶政府が用意した高級娼婦を相手にしていた為に性病は免れていた。
 アメリカ軍は、原則的に軍直営の慰安所を設営せず、現地調達的に地元民間業者営業のいかがわしい慰安所を利用していた為に、性病に罹る兵士や整備員が続出していた。
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 1944年 日本近海に、アメリカ海軍潜水艦が出没し始め、日本の艦船を攻撃し始めていた。
 軍艦はもちろん、民間船も、全ての船を撃沈した。
 日本軍部は、サイパン、グアム、テニアンなどが戦場になると判断して、それら島々で生活していた日本人民間人をフィリピンや台湾などに避難させる為に輸送船を出した。
 アメリカ軍は、難民を乗せた輸送船を発見しだい撃沈した。
 撃沈したアメリカ軍航空機は、漂流する日本人を女子供関係なく銃撃して殺害した。
 アメリカ海軍潜水艦は、浮上し、乗組員は漂流者を七面鳥か狐の如く射殺して数を競争したとされている。
 こうした人種差別的虐殺行為は、公式報告書としてワシントンに送られたといわれている。
 アメリカ軍の虐殺行為が知れ渡るや、太平洋諸島に残っていた日本人民間人は日本軍守備隊と運命を共有し、女性も子供も日本の勝利を信じて絶望的な戦いに参加した。
 全ての戦場が、人種差別や民族偏見で殺し合っていた。  
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 アメリカ海軍潜水艦は、台湾とフィリピンの間にあるバシー海峡で、日本の300隻の輸送船を撃沈して10万人以上の日本兵を溺死させた。
 夥しい数の兵士が、台湾とフィリピンの海岸に打ち上げられた。
 溺死した日本軍兵士は、全て靖国神社の祭神として祀られた。
 そこに、朝鮮人慰安婦が乗船していたのかは不明である。
 2015年4月18日 産経ニュース「バシー海峡戦没者慰霊式典 台湾南端の潮音寺
 18日、台湾南部屏東県の潮音寺で営まれたバシー海峡戦没者慰霊式典(田中靖人撮影)
 【恒春(台湾南部)=田中靖人】台湾とフィリピンの間のバシー海峡先の大戦中に戦没した将兵を慰霊する式典が18日、台湾の南端、屏東県恒春の潮音寺で営まれた。
 潮音寺は1981(昭和56)年、自身も輸送船が撃沈され同海峡で生死をさまよった中嶋秀次氏=故人=が、私財と寄付金で海峡を見下ろす高台に建てた。この日は、大阪日台交流協会の有志約20人が参列。同協会の野口一会長は「今日の日本の平和と繁栄がバシー海峡での犠牲の上に成り立っていることを後世に伝えていく」と述べた。
 同海峡では戦時中、米軍の潜水艦により多数の艦船が撃沈され、少なくとも10万人が死亡したとされる。台湾南部の海岸にも多数の遺体が流れ着いたという。
 潮音寺では8月に戦後70年の慰霊祭が行われる予定で、寺が建てられる経緯を著書「慟哭(どうこく)の海峡」にまとめた作家、門田隆将氏の講演などが企画されている。」
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 1月6日 厚生省は、朝鮮総督府に対して、「第二次許可認可等行政事務簡捷化に関する件」で、「慰安所的必要に依り酌婦女給を雇入れの場合」という公文書を作成した。
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 2月 東條内閣は、戦局の悪化で労働力不足が深刻化した為に、中国人労働者の本格移入を決定した。
 苦しい戦時下の国内での治安を維持する為に、脅迫或いは強制による連行ではなく、求人募集による希望者に限定するように示唆した。
 だが、大陸及び半島からの海上輸送はアメリカ軍の潜水艦と航空機に攻撃され、大量の輸送船が撃沈されて、南方戦線との輸送路もままならぬなり様であった。
 軍部は、単純労働者である中国人や朝鮮人を日本に移送する輸送船があれば、玉砕している最前線により多くの兵員や武器弾薬及び食料を送る事を望んでいた。
 中国人労働者の日本国内への移入は、昭和20年5月迄に3万8,935人であった。
 日本側の賃金・労働時間・食糧等の待遇に不満を抱た中国人労働者の暴動事件が、敗戦間際の20年6月に秋田県花岡炭鉱で起きた。
 戦後。中国共産党政府は、軍国日本の非人道的「労工狩り」と「強制連行」にる犠牲者を、当初320万人としたが2014年頃には579万人と訂正した。
 元日本人兵士の証言と日本人支援者の協力を得て、中国人元労働者及びその遺族による強制連行と戦時労働における未払い賃金請求等の損害賠償裁判を起こしている。
 もし。一人でもその訴えを認めれば、中国共産党政府が認定している579万人の元労働者とその家族数千万人に対する賠償が命じられる事になる。
 国際世論は、中国を支持し日本に厳しく、日本は真摯に謝罪し中国人に対して賠償すべきであると認めている。
 日本国内には、中国の賠償請求に協力する良心的日本人が多数存在する。
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 日本国内にいた朝鮮人労働者や中国人労働者が、日本の為に働いていたわけではなかった。
 それは、昔も今も変わらない真実である。
 中国人や朝鮮人は日本人が窮地に落ちた時、必ずしも日本人の味方となって助けてくれるわけでもないし、共に日本の為に戦ってくれる分けでもなかった。
 中国人や朝鮮人は、日本で犯罪行為を行う危険性があった。
 中国人や朝鮮人が、日本人の為に行動する事はあり得なかった。
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 アメリカ軍報告書「心理戦チーム報告書第49号」。アメリカ軍は、北ビルマのミートキーナ付近で朝鮮人慰安婦20名を保護して尋問を行った。
 彼女らは、戦場を彷徨って汚れてはいるが、ワンピースを着て、やや小太りであった。
 その証言から、金銭目的の「職業的な野営随行慰安婦」で、大金を貯金していると報告した。
 「欲しい物品を購入するお金はたっぷり貰っていたので、彼女達の暮らし向きは良かった」
 「彼女達は蓄音機を持っていたし、都会では買い物に出掛ける事が許されていた」
 「慰安婦は接客を断る事が許されていた」
 「慰安婦は、朝鮮に帰る事を許されていた」
 「結婚の申し込みの事例は沢山あった」
 「稼ぎの総額の50ないし60%を受け取った」
 「稼いだ大金は、朝鮮の家族の元に送金していた」
 従軍慰安婦は、わりかし自由に行動し、大金を稼いでいた。 
 アメリカ軍は、朝鮮人慰安婦は強制連行され強要された「性の奴隷」ではないとの結論を出した。
 彼女らは貧しさゆえに朝鮮人女衒に買われ、日本軍周辺の慰安婦施設に売られ、慰安所では行動の自由が認められ高額の報酬を得ていた専門の売春婦であったと報告された。
 戦争の激化により、朝鮮半島の治安維持は日本人に代わって朝鮮人が主体として行い、警察官の90%以上が朝鮮人であり、政治家の80%が朝鮮人であった。
 もし。慰安婦狩りを行ったとするなら、それは日本人ではなく朝鮮人であった。
 そして。朝鮮人は、目の前から少女や女性が強制連行されても止めようとしなかったし、暴動を起こして助け出そうともしなかった。
 日本軍は、兵士の士気を維持する為に、慰安所の健全な運営と慰安婦の健康状態に神経を使い、朝鮮人や日本人の民間悪徳業者「女衒」が慰安婦を強制連行して連れて来ない警察と協力して監視を強めていた。
 戦地における慰安所施設に携わる女衒の身許を詳しく調べ、厳選して許可証を与えた。
 犯罪行為があれば許可証を取り上げ、軍管理の慰安所から追放した。
 この意味に於いて、日本軍は従軍慰安婦問題で関与していた。
 日本人警察官は、朝鮮半島で少女らを誘拐する朝鮮人の犯罪集団を取り締まり、戦地の慰安所で欠員がでない限り慰安婦渡航を禁止し、渡航する際は犯罪的女衒でないを厳重に調べ慰安婦の自由意思かどうか確認した。
 軍管理の慰安所朝鮮人慰安婦は、約4,000人といわれている。
 民間の犯罪的売春街における朝鮮人慰安婦の数は、不明とされた。
 問題となっている従軍慰安婦はこの民間売春施設の方で、韓国側が徹底して聞き取り調査をしたが、日本軍関与の強制連行を証明する資料がなかった為に3年ほどで中止し、日本に不利になる証言と事実を曲げた資料を基にした反日的「証言集」を発表した。
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 2月〜4月 セマラン事件。白馬事件。インドネシアのジャワ島中部の日本軍守備隊は、日本兵が強姦事件を起こして地元住民に反日運動に走る事を恐れて、民間業者に慰安所設営を要請した。
 民間業者は、日本本土や朝鮮から従軍慰安婦を呼べない為に、中国人や地元の女性やオランダ人抑留所からオランダ人を強制連行して慰安婦とした。
 インドネシア南方軍第16軍の一部将兵が、オランダ人女性35名を民間人抑留所からジャワ島セマラン慰安所に強制連行して売春を強要した。
 軍司令部が許可したのは、「同意の上で……自発的に働く」と言う条件の元であったので、直ちに慰安所を閉鎖した。 
 戦後。国際軍事法廷は、事件にかかわった将兵と軍属を逮捕して、民間業者ではなく慰日本人軍人13名をB級C級戦犯として処刑し、残りを厳刑に処した。
 強制連行し慰安婦として、強制売春をさせて裁かれた裁判はこの一件のみであった。
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 2月2日 マーシャル諸島ルオット環礁の日本軍守備隊の玉砕。戦死者、2,900人。
 2月4日 マーシャル諸島のクェゼリン環礁玉砕。日本軍戦死者、3,900人。
 2月7日 日本軍は、夥しい犠牲者を出したガダルカナル島から完全撤退した。
 2月8日 朝鮮においても、総動員法にもとずく全面徴用が実施された。だが、民間船の多くが軍の輸送船に転用されていた為に、人やモノの移動は思うように進まなかった。
 連合軍の攻撃により、日本と朝鮮・満州間の海上輸送網は安全ではなくなりつつあった。
 朝鮮人を労働者として強制連行する事は、不可能になった。
 2月18日 エニウェトク環礁玉砕。日本軍戦死2,677人。
 2月24日 ブラウン環礁玉砕。日本軍戦死者、2,812人。
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 朝鮮人は、一等国民の日本人とは違って、二等国民として兵役が免除され、戦場に送られる事はなかった。
 朝鮮人兵士は志願兵であり、朝鮮人軍属は日本軍と雇用契約がなされていた。
 戦場に送られた朝鮮人兵士と軍属には、軍国日本の強制は存在しない。
 現代日本反戦平和市民団体と左翼・左派のマルクス主義者は、軍部の強制があったと主張している。
 国民の義務として戦死が強制されていた日本人は、兵役の義務がなく戦場に行く事のない朝鮮人を軽蔑し差別した。
 民族差別は、死ぬ事を運命付けられた者・日本人と生き残る権利を手に入れている者・朝鮮人の間に生じていた。
 植民地支配責任や戦争責任や戦後責任に伴う、謝罪要求と賠償問題はこうして生まれた。
 国際世論は、全ての事実を知った上で、韓国の要求を認めて日本を非難している。
 アメリカなど諸外国の議会は、韓国の告発を正当なものと承認して、日本への非難決議を行った。
 日本を弁護する意見は、一つも存在しない。
 今や、竹島は韓国領となろうとしているし、日本海は東海と改称されようとしている。
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 朝鮮の女性人口で、17歳が24万2,000人で、18歳が22万7,000人であった。
 1929年 光州学生事件。朝鮮人学生は、日本人中学生が朝鮮人女学生をからかった事に激怒して乱闘騒ぎとなった。
 朝鮮人市民達は、日本人の同胞への日頃からの差別に不満を抱いていただけに、乱闘を起こした朝鮮人学生を庇う為に半島全土で抗議運動を行った。
 朝鮮総督府は、朝鮮人達が反日暴動を興す事を恐れて喧嘩両成敗とした。
 学校当局は、事件が風化して暴動の再演がない事を確かめながら、秘かに恐る恐る朝鮮人学生への処分を行った。
 日本人は、朝鮮人が激高して暴れ出したら手が付けられない事を知っていただけに、腫れ物を触るように細心の注意を払っていた。
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 軍国日本は、企業の要請を受け、1年半の間に200万人(〜400万人)の朝鮮人を、朝鮮半島から日本国内に強制連行したと言われている。
 同時に、20万人の朝鮮人女性を強制連行して南方の日本軍の慰安所に送ったとされている。
 軍部は、戦争継続が不可能になる事を知りながら、戦争を無視して、可能な限りの輸送船を掻き集めて強制連行に協力した事になる。
 多くの朝鮮人テロリストも、強制連行の中に潜り込み日本に潜入し、日本国民に敗戦情報を流して厭戦気分を煽った。
 下町の庶民の間で、大本営発表とは異なる日本軍の敗走情報が正確に流れていた。
 憲兵隊や警察当局は、庶民に対する監視を強化して、戦争遂行の為に躍起となって謀略情報元を探った。
 朝鮮人独立運動家と日本人共産主義者は、天皇制度国家日本を滅ぼす為に、軍国日本の国内情報と日本軍の軍事情報を正確に連合国側に伝えていた。
 軍国日本は、獅子身中の虫を抱えながら、絶望的な戦いを「最後の勝利」を信じて戦っていた。
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 日本海軍の相次ぐ敗北で、制海権と制空権を失いつつあった。
 貴重な輸送船が連合国によって撃沈され、孤島に取り残された日本軍守備隊に満足な補給が出来ず、日本人兵士の多くが戦死ではなく餓死した。
 日本の戦争継続において、反天皇反日の意識が強い朝鮮は益のないお荷物であった。
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 台湾でも徴兵制が実施され、約21万人が日本軍と共に戦い、3万人以上が戦死した。
 日本政府は、戦死した台湾人を靖国神社に日本の神として祀り、感謝を込めてその神前で頭を垂れ、日本が存続する限り忘れない事を誓った。
 左翼・左派の日本人は、中国人、韓国人・朝鮮人アメリカ人達は、日本が国を上げて、全ての日本人が行う感謝の気持ちによる参拝を否定している。
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 3月 政府は、総力戦として、戦場に送る物資の生産増を図るべく女子挺身隊制度強化要綱を決め、挺身隊の奉仕期間を1年とした。
 現代韓国は、女子挺身隊は嘘で、本当は従軍慰安婦であったとしている。
 韓国の歴史は、これ以降、日本軍が朝鮮人女性を性の奴隷にする為に強制連行して、南方の戦場に送ったと教えている。
 国際世論は、韓国の主張を支持し、日本を時効なき戦争犯罪国家と罵った。
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 戦時中にも関わらず、朝鮮の産業に必要な電力エネルギーを賄う為に、戦費が必要な時に巨費を投じ、優秀な技術者と大量な労働者を送り込み、7年間の月日をかけて霞ヶ浦の2倍の貯水量を持つ水豊ダムと70万キロワットの発電所を完成させた。
 ちなみに、我が国最大のダムである黒部ダムは、33万5,000キロワットである。
 軍国日本は、戦後の経済復興の為に、戦争をしながら朝鮮半島のインフラ整備を行っていた。
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 3月8日 インパール作戦
 インパール作戦は、前年昭和18年に、インド仮政府のチャンドラ・ボーズ主席がインド独立支援を東條英機首相に要請した事と、第15軍司令官牟田口廉也中将の援蒋ルー遮断計画で開始された。
 だが。牟田口中将は、翌19年に戦局の悪化に伴い物資の徴発と補給の困難から中止を要請した。
 大本営は、東條英機首相がチャンドラ・ボーズとインド独立支援を約束し、インパール作戦を中止する事は面子に関わるとして、インパール作戦の決行を厳命した。
 チャンドラ・ボーズは、インパール作戦を強行させる為に、インド国民軍6,000人に日本軍に協力して進撃するように命じた。
 日本軍は、祖国の独立に執念を燃やすチャンドラ・ボーズとインド国民軍につられて、無謀なインパール作戦を決行した。
 だが。イギリスからの独立を希望するインド人は、日本軍の侵略を歓迎し、進んで日本軍に協力した。
 白人キリスト教徒の植民地支配に苦しむアジア人は、日本軍を解放軍として迎えた。
 西欧列強による植民地支配を永遠に希望するアジア人は、植民地支配を守る為に日本軍を侵略者としてゲリラ戦を仕掛けた。
 独立派は日本の味方であり、植民地支配擁護派は日本軍の敵であった。
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 文玉珠『ビルマ戦線 楯師団の「慰安婦」だった私』(梨の木舎
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