☲25〕─2─朝鮮半島における警察官の内48.32%が親日派朝鮮人警察官で、武器を携帯して半島の治安を維持していた。昭和19年5月~No.82No.83No.84 @ ⑲ 

帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い

帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い

  • 作者:朴 裕河
  • 発売日: 2014/11/07
  • メディア: 単行本
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 親日派朝鮮人は1割。反日朝鮮人は3割、中間の朝鮮人は6割。
 現代韓国では、親日派知日派韓国人ゼロ、反日派韓国人7割、中間の韓国人は3割。
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 朝鮮人とは、日本国籍を持つ朝鮮系日本人であった。
 国際社会は、朝鮮人を日本国民と認めていた。
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 親日派朝鮮人は、日本人の戦友として、日本人と共に戦った。
 反日朝鮮人は、キリスト教朝鮮人テロリストに協力していた。
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 朝鮮人は、朝鮮半島に約3,000万人が生活し、日本全国には約200万人が散らばって生活していた。
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 日本人共産主義者が、中国共産党経由でソ連からの反天皇反日活動資金をえ、日本国内はのちろん朝鮮半島や中国大陸で暗躍していた。
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 アメリカへの情報提供者は、日本人に厭戦気分を掻き立てる為に、アメリカ軍の謀略放送から仕入れた日本軍敗走の噂を日本国内に流していた。
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 軍国日本は、国内外に数多くの敵を抱えながらアメリカ軍・イギリス軍と絶望的死闘を繰り返していた。
 全滅する日本軍、玉砕する日本人兵士は、哀れであった。
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 神風特別攻撃隊大和隊第1隊隊長植村昌久の愛娘・素子への遺書「私は、お前が大きくなって、立派な花嫁さんになって、仕合わせになったのを見届けたいのですが、若しお前が私を見知らぬまま死んでしまっても、決して悲しんではなりません。
 追伸。素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機に御守りにして居ります。だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。素子が知らずにいると困りますから教えて上げます」
 特攻隊員は、靖国神社で家族に会う事を誓って飛び立っていった。
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 朝鮮半島から、朝鮮人労働者や朝鮮従軍慰安婦を連れ出せたのは1944年だけであったが、朝鮮人を運び出すだけの船舶数はそれ程多くなかった。
 あるのは、老朽艦数隻のみであった。
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 反日独立運動家は、「挺身隊に参加すると慰安婦にされる」と叫んで回り、昭和天皇を守る為に日本軍に協力するなと訴えた。
 韓国のキリスト教会は、反戦平和から、連合軍の地下放送を利用して、日本軍が敗走し始めている事実を流し始めていた。
 その噂を信じた朝鮮人は、娘を山に隠すか、無理矢理に誰かと結婚させた。
 朝鮮国内では、日本の戦争に協力しない厭戦気運が広がり始めた。
 反日独立運動家は、日本からの独立を勝ち取るべく地下武力組織を組織し、日本軍内の朝鮮人兵士に対して叛乱を起こして参加する様に呼びかけた。 
 戦時中の、日本の植民地崩壊は内側から始まった。
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 京城公立中学校において、入学条件には朝鮮人も日本人も差別なく学力があれば入学でき、校内で日本語を強要して朝鮮語の使用禁止はなかった。
 日本人生徒と朝鮮人生徒が喧嘩すれば、原因の如何に問わず喧嘩両成敗として両者を罰し、日本人生徒により厳しい処分を言い渡した。
 朝鮮人だからと言って差別される事なく、服装は自由とされた。
 だが、朝鮮服を着用して登校する朝鮮人学生は少なかった。
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 日本人青年の夥しい死体が、太平洋の孤島や大陸の山野を埋め尽くしていた。
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 5月27日 アメリカ軍は、西部ニューギニアの北西部ビアク島に上陸した。
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 6月6日 ノルマンディー上陸作戦。
 アメリカ軍兵士は、戦闘が終わるとフランス人娼婦買いの為に街に繰り出し、娼婦を買う金を払うのが嫌な者は一般女性を強姦した。
 性病がアメリカ軍兵士の間に急速に蔓延して、戦力の低下が心配された。
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 6月15日 アメリカ軍のサイパン上陸。
 日本軍守備隊3万1629人。
 アメリカ軍6万6,779人。
 6月19日・20日 マリアナ沖海戦。日本海軍は、惨敗し、制空権と制海権を失った。
 アメリカ海軍潜水艦隊は、西太平洋海域を哨戒し、日本の輸送船を発見しだい撃沈した。
 日本は輸送船を失い、南方との通商ルートは連合軍の攻撃で遮断された。
 6月25日 大阪朝日北鮮版(ハングルと漢字混じりの誌面)は、地元警察が朝鮮人娼婦の待遇改善を管轄自治体に申し込んだ事を報じた。
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 7月〜9月 遅延型冷害が発生し 、大凶作となって食糧不足が深刻化した。
 日本は、生きる為の食糧を国外に求める事ができなくなり、餓死地獄におちいるのも時間の問題となった。
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 7月 第18軍は、大本営からの「西部ニューギニアへの転進」という内意に従わず、撤退するより攻勢を選び、アイタペの米豪軍への攻撃を実行したが失敗した。 第18軍は、敗残兵を集めて玉砕ではなく持久戦を選び、ジャングルで徹底抗戦を続けた。
 生きて帰れる望みはなく、国や故郷や家族や恋人を思い、それら全てを守る為に命を捧げ、生きて捕虜になるまいと戦死を覚悟した。
 日本軍兵士は、体力の限界を超え精神力で、絶望的状況下でも諦める事なく戦っていた。
 第18軍は、45年7月に抗戦の限界を感じて「9月末の玉砕」を残存部隊に命じた。
 7月3日 ビアク島玉砕。日本軍1万2,400人だが、兵士や4,000人で、残りは基地設営隊や開拓勤務隊で戦闘要員ではなかった。
 アメリカ軍2万5,000人が、4月28日に第一滑走路完成した所で上陸して猛攻を加えた。
 日本軍は抵抗空しく玉砕し、生きの残ったのは520人のみであった。
 非戦闘員も、勇敢に戦ったが戦死した。
 7月4日 大本営は、インパール作戦中止措置を発表した。
 軍司令官の牟田口廉也中将の無謀な命令で、多くの将兵が戦死した。
 7月9日 サイパン島玉砕。日本軍守備隊、戦死者約3万人、捕虜921人。
 民間人・軍属、8,000〜1万人1,000。
 戦死した日本軍兵士や軍属は、靖国神社に祀られた。
 アメリカ軍、戦死者3,441人、戦傷者1万1,685人。
 現代。韓国人や中国人の観光客が、バンザイ・クリークで死者の尊厳を冒涜する様に戯けて記念写真を撮り、日本人慰霊碑に対して悪戯をして喜んでいる。
 マッピ山にある幾つかの慰霊碑が、何者かに破壊されている。
 バンザイ・クリークの忠魂碑を冒涜する様に、2005年にガムが貼り付けられるなど、数多くの蛮行が後を絶たない。
 7月7日 サイパン島の陥落。アメリカ軍に追い詰められてたが、日本人は兵士も民間人も日本の最後の勝利を信じて共に戦い、日本を守る為に玉砕した。
 日本軍兵士・軍属・民間人約4万1,244人が死亡し、捕虜は921人であった。
 日本人女性は、アメリカ軍兵士の虐殺行為を信じ、アメリカ軍の捕虜になる事を嫌って崖から飛び降りて自殺した。
 日本人女性は操を守り、日本男子は自己犠牲的に女性の貞操を守って死んだ。
 そうした日本人兵士が、靖国神社に祀られた。
 現代日本反戦平和教育は、「社会の為・地域の為・他人の為」といった戦前の公益優先の教育を非人道的であるとして完全否定した。そして、靖国神社を目の敵とした。
 生き残った日本将兵は、日本人民間人を敗戦後まで守り通した。アメリカ軍は、その孤軍奮闘に感激し、敬意を持って「太平洋の奇跡」と讃えた。
 連合国軍は、総力戦で、兵士や民間人に関係なく皆殺しにしていた。日本政府と軍部は、戦場となる危険のある沖縄から一般市民を避難させる事に決めた。そして、対馬丸や病院船の悲劇が生まれた。
 サムライを愛する日本人は、如何に不利な戦況にあっても、救援がない事がわかっていても、けっして諦めず、最後の勝利を信じて戦い抜いた。約束を破り、仲間を裏切り、相手の背後に回って後ろから短剣を突き刺す卑怯な真似を、「恥」として最も嫌った。
 連合国は、日本人兵士捕虜を取らない事を暗黙の了解事故として進撃していた。そして、各地で日本軍は玉砕し、非戦闘員である日本人居留民も自決した。
 日本海軍の敗北が続き、制海権と制空権が弱まるや、各海域で護衛のない輸送船は攻撃を受けて撃沈された。船舶不足となり輸送力は激減し、日本の敗退は明らかとなった。
 日本国内の食糧不足も深刻となり、南方はもちろん朝鮮からの米の輸送量は減少し、食糧供給は悪化した。
 日本は、飢餓状態に追い込まれたが、国内で一人の餓死者を出す事はなかった。戦場で大人は戦死もしくは餓死したが、国内の女子供はひもじさに苦しんだが餓死しなかった。
 日本男子は、将来ある子供達の命や最愛なる家族を守りたいという純真な精神で、特攻機に乗って戦死した。
 大場栄陸軍大尉は37名の日本人兵士を率い、アメリカ軍4万5,000人敵に廻し、女子供ら数百人の日本人難民を守り通した。アメリカ軍は、戦略で翻弄された。アメリカ兵は、大場大尉を畏敬の念を込めて「フォックス」と呼んだ。
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 南洋諸島に移住していた日本人の殆どが、沖縄県民であった。
 本土の日本人は、沖縄人を差別していた。
 バンザイクリフで崖から海に身を投げて自殺した女性は、日本軍や日本仁避難民と同行を拒否された沖縄人であった。
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 7月12日 朝鮮総督府は、労働不足を補うために、「昭和19年度内地樺太南洋移入朝鮮人労務者供出割当数調」を作成した、朝鮮13道(日本の都道府県に相当)に朝鮮人1万人の徴用を命じた。
 軍国日本は、戦局の悪化に伴い朝鮮での反日的暴動が激増する事を恐れ声明を出すと共に、憲兵隊や警察に国家滅亡を防ぐ為に利敵行為者の取締の強化を命じた。
 連合軍の大反攻で苦境に追い詰められ始めた軍国日本は、敗北を避け、好条件での戦争終結を目指すべく、なんとしても朝鮮の戦争協力を必要としていた。
 軍国日本が朝鮮人に求めた戦争協力とは、戦場に立って共に戦う兵士ではなく、後方での肉体労働あった。
 軍部は、日本人よりも教育度が低く日本語が堪能ではなく、命令違反を繰り返し、集団行動を嫌い、個人行動に暴走しやすい、自己中心的朝鮮人を兵士として利用する事には消極的どころか反対であった。
 つまり、日本の戦争は、日本民族のみで戦うべきである、と。
 「未婚女子の徴用は必至にして中に此等を慰安婦となすが如き荒唐無稽なる流言巷間に伝わり此等悪質なる流言と相俟(あいま)って労務事情は今後益々困難に赴くものと予想せらる……
 鮮内外に於ける労務者の供給確保の為には労務動員手段の強化……は必至にして……国民徴用令、労務調整令違反の根絶……労務に関する悪質流言の取締……等警察力を以て指導取締を強化する……を必要とする」
 7月26日 李垠殿下は、副官や参謀を伴って空母鳳翔に乗艦し、海軍の攻撃708飛行隊や攻撃405飛行隊とともに合同で夜間雷撃訓練を行なっていた麾下の陸軍飛行98戦隊を視察した。
 京城日報は、「年齢17歳以上、勤務先後方00隊慰安部、月収300円以上(前借300円迄)」という今井紹介所の慰安婦募集広告を掲載した。
 その他の新聞も、同様の慰安婦募集広告を掲載していた。
 日本人や朝鮮人の娼婦達は、高額報酬に釣られて軍隊慰安婦募集に応募した。
 貧困ゆえに、家族を養う為に多くの朝鮮人女性が応募した。
 当時の朝鮮人女工の平均月給20円の処、月給は200円以上で、前金として3,000円を支給するとされた。
 速めに募集に応じた慰安婦は、十数万円もの金を家に送金した。
 その後も、日本や朝鮮の新聞に慰安婦募集の公告が掲載された。
 その結果、従軍慰安婦の大半が日本人女性であったと云われている。
 朝鮮で新聞広告による応募が思った以上に少なかった為に、朝鮮総督府と日本軍は強制的に従軍慰安婦狩りを行ったといわれている。
 日本に女郎や芸者など風俗文化があったのと同様に、朝鮮も古代から高貴なキーセン文化があった。
 日本のは、身分卑しい百姓・町民が楽しむ庶民文化であった。
 朝鮮は、王侯貴族や両班が戯れる宮廷文化であった。
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 8月 女子挺身勤労令が施行されたが、日本内地では日本人女性は臣民として積極的に協力したが、半島の朝鮮人女性は非協力的であった。
 女子挺身隊員は、日本ではほぼ全ての日本人女性が名乗り出たが、朝鮮では極一部の朝鮮人女性が志願しただけであった。
 朝鮮総督府は、戦況悪化の中、朝鮮で暴動が起きる事を恐れて強制動員を避けた。
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 8月3日(7月24日〜) テニアン島玉砕。日本軍守備隊8,500人中戦死者8,010人。捕虜313人。
 アメリカ軍5万4,000人、戦死者328人、戦傷者1,571人。
 ローラ・ヒレンブランド『アンブロークン』
 「皆殺しの命令により、日本軍はテニアンにて5,000人の韓国人捕虜を虐殺した」
 「日本人は皆殺しの方針を導入していた。そして5,000人の韓国人全員を虐殺していた」
 ニューヨーク・タイムズ紙は、日本人による韓国人捕虜5,000人を虐殺したと記述した『アンブロークン』を3年間ベストセラーリストとした。
 アンジェリーナ・ジョリーは、同書籍をもとにして反日戦争映画を製作した。
 アメリカの公式記録には、日本軍による韓国人虐殺を証明する記述は存在しない。
 太平洋の島嶼で玉砕する運命にあった日本軍守備隊には、日本軍兵士と共に戦友である朝鮮人志願兵を殺すだけの気持ちのゆとりはなかった。
 日本軍は、アメリカ軍が攻撃してくる前に日本人以外の島民を安全な場所へ避難させた。
 日本軍守備隊と日本人民間人が玉砕した島々では、島民の犠牲者は少なかった。
 日本人の考えは、戦争するのは日本人だけで、日本人でない島民は戦争で死ぬ必要はないというものであった。
 日本軍は、戦時国際法を遵守し、戦争をするのは軍服を着て銃を持つ兵士だけで、軍服を着ず武器を持たない日本人民間人は戦闘の邪魔として後方に下げた。
 日本人民間人が戦争の犠牲になったのは、孤島の一部に追い遣られ、逃げ場を失ったからである。
 どうせ死ぬのなら、日本軍と共に戦って死のうと覚悟を決めて玉砕した。
 日本人が玉砕したのは、戦い、逃げて逃げて、逃げ場を失ったからである。
 逃げてなを戦えるのであれば、玉砕などしなかった。
 だから、島嶼攻防戦は玉砕で終わり、インパールニューギニア島では悲惨な白骨街道を残した。
 8月8日 閣議は、国民徴用令の適用を免除されていた朝鮮人にも実施すると決定した。
 朝鮮人徴用労務者の日本本土への派遣は、9月より敗戦までの11ヶ月間実施されたが、翌45年3月頃に連合軍の攻撃が激しくなり下関ー釜山間の連絡船の運航が困難になった。
 戦後の外務省の調査によると、戦争中の徴用令で日本に渡航した朝鮮人は約60万人で、1957年までに大半が帰国して約300人が自由意志によって日本に留まったとされた。
 8月10日(7月21日〜) グアム島玉砕。日本軍守備隊約2万2,554。戦死者1万8,500人、捕虜1,250人。
 グアム守備隊の生き残り約300名は、最後の最後まで諦めず、日本軍の勝利を信じてゲリラ戦で抵抗を続けた。
 アメリカ軍5万5,000人。戦死者2,124人、戦傷者5,676人。
 太平洋の孤島を守備する日本軍兵士は、輸送船を失い、補給が断たれ、援軍もなく、物資もなく、逃亡も出来ず戦死するか餓死するしかなかった。
 日本軍には、助けてくれる味方はなく、玉砕を続けていた。
 アメリカ軍重爆撃機Bー29による、日本本土無差別絨毯爆撃が本格化して、日本本土は焦土と化し、、軍人はおろか非戦闘員も攻撃対象となった。
 総力戦に於いて、都市無差別爆撃は合法とされた。
 だが、日本軍の南京及び重慶等への爆撃は戦争犯罪とされた。
 8月19日 大本営は、サイパン・グアムの陥落後、島嶼防衛戦術を水際撃退の短期決戦から洞窟及び地下陣地による長期持久戦に切り替え、玉砕目的のバンザイ突撃や特攻を禁ずと全部隊に通達した。
 ペリリュー島守備隊・第14師団約1万2,000人は、全ての島民や日本人民間人をパラオ本島に疎開させ、4月から9月までの5ヶ月間の突貫工事で島全体を要塞化した。
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 日本軍兵士は、太平洋の孤島で、大陸の山野で、敵の圧倒的な物量を持った大兵力と絶望的死闘を繰り返していた。
 守るべき家族と祖国日本と天皇の為に、最後の一人になるまで戦い抜き、カミカゼ特攻となり、万歳突撃をして、玉砕した。
 彼等は、護国の守護神として靖国神社に祀られた。
 女や子供や老人までもが、戦場を遠く離れた後方で、戦場で戦っている男達の分まで雨あられと降る大量の爆弾の中を逃げ回りながらも国土と家庭を守っていた。
 身の上の不運を呪うことなく、泣き叫ぶことなく、歯を食いしばって耐えに耐えながら、歴史と文化と祖先神・氏神の人神信仰を守っていた。
 全ての日本人は、全員で国難を戦っていた。
 日本人は、朝鮮人とは違うのである。
 もし日本人なら、自分の娘はもちろん知人の娘や他人の娘であっても、目の前で強制連行されそうになったら殺されても助けようとした。
 日本人は、家族の為ならば戦争も辞さない覚悟があった。
 日本人は、家族の為ならば戦争を恐れなかったし、家族を守る為ならばむしろ進んで戦争を行った。
 日本人は、家族を守る為に戦争を行った。
 家族の為に、日本人は武器を持って敵兵と戦って、敵兵を殺した。
 全ては、家族の命を守る為の戦争であった。
 家族を守る為に戦った日本人と、家族を見捨てて戦わなかった朝鮮人とは、正反対に違うのである。
 日本人は、卑怯・卑劣・陰険・虚偽・不誠実・嘘・偽り・騙し・狂言を心の穢れとして最も嫌った。
 自分の悲劇や悲しみだけを大声で泣き叫び、悔し紛れに転げ回って大地を叩き、他人の話に耳を貸さず、激情に駈られ我を忘れて暴れ回る事を、子供染みた馬鹿げたみっともない行為と嫌悪した。
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 朝鮮人は、家族の為に、家族を守る為に、日本人と戦ったのか?
 韓国人・朝鮮人は、日本を非難する前に、自分達は本気で、死を覚悟して日本人と死闘を繰り広げた想起すべきである。
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 8月23日 総督府は、女子挺身隊勤務令を公布したが、日本へ渡る航路は安全ではなく、強制連行された朝鮮人少女を日本の軍需工場に送る事ができなくなっていた。
 中国・満州と朝鮮間での移動は、安全であった。
 ここに、国際社会が戦争犯罪と告発する従軍慰安婦問題が発生した。
 軍部は、戦争の勝利より日本兵士の性的欲求を解消する事を優先し、朝鮮人少女狩りを命じたと言われている。
 マイク・ホンダ「日本人は戦時中、20万人の慰安婦に休みも与えず毎日20人の相手をさせて死にいたらしめた」
 世界戦史では、日本人将兵は戦争よりも朝鮮人慰安婦とのセックスに明け暮れていたといわれている。
 朝鮮から動員された女性は、約4,000人であったと言われている。
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 多くのカミカゼ特攻隊員や将兵達は、「戦死したら、魂となって靖国神社で会おう」と誓い合って出征し、一つしかない尊い命を散らした。
 靖国神社に祀られている魂には、名前があり、故郷があり、家族があった。
 我が子を戦死させた遺族は、靖国神社に行けば戦死した我が子の魂に再開できると信じて、死ぬその日まで毎年の如く靖国神社に参拝し、切なさで涙を流しながら静かに冥福を祈った。
 靖国神社とは、静かに祈る場所である。
 結婚もできず死んだ我が子が不憫に思い、せめてもの親心で花嫁人形を奉納した。
 靖国神社とは、若くして戦死した日本男子や女性や子供が人神として祀られている神聖な宗教施設であり、生き残った老いた両親や身内が敬虔な気持ちで念ずる尊き祈りの場である。
 あるのは、祈る為の宗教的施設と、緑と水をたたえた静寂だけである。
 反日国際世論は、靖国神社侵略戦争を肯定する、邪悪な、非人道的で、好戦的宗教施設として参拝する事を非難している。
 中国人は、火炎瓶を投げつけて全てを焼き払おうとした事を英雄的行為と称えた。
 韓国人に至っては、小便をして聖域を穢し、自慢してブログに載せた。
 靖国神社は、国内外から執拗な非難攻撃を受け、無宗教の無名戦士国立墓地構想によって廃絶の危機に晒されている。
 靖国神社の祭神を、神道的な有名戦士とするのか、国際的な無名戦士とするのか。
 身内が祀られている靖国神社を守れるのは、人神への信仰心と人生への悲哀の心を持った日本民族日本人だけである。 
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 朝鮮独立運動家は、朝鮮を日本支配から解放する為に、日本と朝鮮に極秘に潜り込み、日本軍内にも潜入していた。
 反天皇反日朝鮮人は、勇猛果敢に活動していた。
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 日本軍の被害は、戦死ではなく、餓死と病死が多かったといわれている。
 日本国内でも、朝鮮でも、台湾でも、疫病が蔓延したが、餓死者はいなかった。
 軍国日本は、世界を相手に一国で絶望的な戦争を続けていた。
 日本人兵士はもちろん、女も、子供も、「死」を覚悟して、国體と祖国を守る為に戦った。
 昔の日本人は、サムライとして、悔いなく生き、名誉ある死を、肝に銘じていた。
 あくどく、えげつなく、そして卑猥なほどみじめに、ダラダラと生き長らえる事を嫌った。
 日本民族は、「絆」を大事にし、助け合い、励まし合い、慰め合って、共に戦っていた。
 清く、美しく、そして爽やかに、その短い命を潔く美しく飾ろうとした。
 日本人男子や大和撫子は、生命力ある光り輝く「死に花」を咲かせようとした。
 死んだ日本人は例外なく、「靖国神社の桜の花」を心に思い描いていた。
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 2004年12月 反日韓国人団体・海外犠牲同胞追悼事業会は、パラオ本島の国会議事堂から150メートル離れた所に、日本を糾弾し貶める目的で、捏造碑文を刻んだ「韓国人犠牲者の苦難」という「韓国人犠牲者追念平和祈願塔」を建立した。
 日本外務省は、外交問題に発展させる事を恐れて、官僚的事なかれ主義で抗議せず黙認した。
 同様の反日記念碑が、日本軍が玉砕した戦場に次々と建てられている。
 日本の政治家も、見て見ぬふりをして逃げた。
 現代では、中国がパラオに進出し、韓国と協力して反日活動を活発に行っている。
 将来。戦前の日本を知るものが減っていけば、中国マネーでパラオ親日派から反日派に変わるかもしれない。
 日本は、太平洋の親日派島嶼国家に対して冷淡である。
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 2014年5月14日 msn産経ニュース 「慰安婦問題で韓国政府、「強制性立証に首相謝罪、賠償」を模索 韓国紙[「慰安婦」問題]
 14日付の韓国紙、韓国日報は、慰安婦問題をめぐり、韓国政府が「慰安婦動員の強制性立証」「日本の首相による謝罪」「被害賠償」の3段階の解決策を模索していると報じた。15日に東京で開かれる日韓外務省局長級協議で、日本側にこうした構想を提示するという。韓国外交筋の話として伝えた。
 韓国外務省当局者が4月下旬、ソウル郊外の支援施設「ナヌムの家」で共同生活する元慰安婦らと面談し安倍晋三首相による公式な場での謝罪や、被害補償を求めるとの立場を聴取。こうした意見を韓国政府としての解決策に反映したもようだ。(共同)」
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 2014年5月17日 msn産経ニュース「慰安婦問題「世界1億人署名運動」の現況 反日団体「挺対協」の目論見は成功するか?[韓国]
 【ウイークリーワールド】
 水曜デモに参加する元慰安婦の女性たち(前列)
 元慰安婦たちを支援している反日団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(ソウル市麻浦区、尹美香代表)が昨年3月、日本政府に公式謝罪と法的賠償を求める「世界1億人署名運動」を始めた。なぜ無謀とも言える1億人もの膨大な署名を集めようとしているのか。目標を達成するのには時間が相当かかることが予想される。目標を世界の1億人に設定した意図は判然としないが、慰安婦関連の動きが最近、韓国内だけでなく米国など海外にも広がっており、挺対協が慰安婦問題の世界拡散を狙っていることは間違いなさそうだ。
 挺対協の公式ホームページにアクセスすると韓国語だけでなく、英語や日本語、中国語、独語、仏語、スペイン語の7言語で署名を求めるサイトが別途設けられており、韓国語、英語、日本語の3言語で直接署名する専用サイトもある。
 1億人署名運動のサイトをみると、「私たちは、国際人権機構および世界市民社会へ日本軍『慰安婦』問題解決こそが人類共通の課題であることを認識させるだろう。加えて、日本政府が一日も早く日本軍『慰安婦』被害者に謝罪と賠償を実施し人権を回復させるよう促し、戦争や内戦下での女性に対する性奴隷・組織的強かんなどの暴力が起こらないよう国際社会とともに努力する。そのために“世界が要求する。日本政府は日本軍『慰安婦』被害者に公式に謝罪し法的賠償せよ!”1億人署名運動を展開する」と訴えている。
慰安婦問題「世界1億人署名運動」の現況 反日団体「挺対協」の目論見は成功するか?
 続いて、「私たちは次のように求める」とある。
・日本政府は、日本軍「慰安婦」犯罪に対する国家責任を認め、被害者に公式謝罪と法的賠償を実施せよ!
・韓国政府をはじめとした被害国政府は、日本軍「慰安婦」被害者の人権回復のため日本および国際社会に対する積極的な外交活動を展開せよ!
・国連とILOなどの国際機構は、日本政府が国際機構の勧告を遵守し即刻日本軍「慰安婦」問題を解決するよう求めよ!!
 挺対協のHPによると現在、署名はネット上で約83万人、街頭などネット以外で28万人の計111万人集まっているという。署名運動を開始して1年以上たつが、このペースだと果たして1億人を本当に集められるのか疑問だ。
 ただし韓国メディアによると、今年1月下旬、挺対協と民間団体がフランス・パリに出向き、「世界1億人署名運動」を行ったという。フランス市民や観光客に対し、日本軍によって韓国人女性が慰安婦にされた問題を説明して署名を呼びかけたという。署名運動は2月にはドイツ・ベルリンでも行われ、欧州各国で展開されると報じていた。
 今年1月下旬から2月上旬にかけてフランス南西部アングレームで開かれていた国際漫画祭でも、韓国政府による元慰安婦がテーマの企画展が開かれたほか、米国のカリフォルニア州グレンデール市に「慰安婦」像が昨年7月に設置されるなど、慰安婦問題が海外にまで飛び火し始めている。
慰安婦問題「世界1億人署名運動」の現況 反日団体「挺対協」の目論見は成功するか?
 1990年に女性団体など16団体によって結成された挺対協は、今や韓国政府もその影響力を無視できない存在となっている。ソウルの日本大使館前で慰安婦問題を抗議する「水曜デモ」を主催するなど、反日活動を続けている。
 毎週水曜日正午から行われている「水曜デモ」は1992年1月に始まり、真夏の炎天下でも、真冬の吹雪の中でも行われ、一日も欠かしたことがない。挺対協など支援者らが元慰安婦を車両に乗せて日本大使館前まで連れて来ているが、猛暑や零下の中、引っ張り出される高齢の元慰安婦たちが気の毒に思える。
 「ナヌムの家」に暮らす元慰安婦たちの生活が記されている「ナヌムの家のハルモニたち−−元日本軍慰安婦の日々の生活」(慧眞著)によると、元慰安婦の中には水曜デモに参加したがらない人もいるそうだが、挺対協に支援してもらっている手前、仕方なく参加しているようにみえる。
 日本に対し強硬な姿勢を崩さない挺対協が逆に慰安婦問題の解決を難しくしているとの指摘も出ている。」(韓国ウオッチャー)



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ひと目でわかる「慰安婦問題」の真実

ひと目でわかる「慰安婦問題」の真実