☲27〕─1─日本国籍女性に対する女子挺身勤労令。昭和19年9月No.88No.89No.100 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 親日派朝鮮人は1割。反日朝鮮人は3割、中間の朝鮮人は6割。
 現代韓国では、親日派知日派韓国人ゼロ、反日派韓国人7割、中間の韓国人は3割。
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 日本人女性や少女は死を覚悟して戦争に協力したが、朝鮮人女性は非協力的で逃げた。
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 朝鮮の人口で日本人が占める割合は、大正期で約1%、昭和6年で2.5%、戦争中は徴兵や徴用で成人男性は戦場に送られた為に女性や子供が大半で、終戦まで日本人居住者が増える事はなかった。
 日本人移住者が目指したのは、魅力の乏しい朝鮮半島ではなく、希望が溢れている満州であった。
 朝鮮半島に於いて、日本人は女子供が大半の少数派として、徴兵や徴用が免除されていた朝鮮人に囲まれていた。
 語学の苦手な日本人は、何とか日常会話としての朝鮮語を覚えたが、それ以上には上達しなかった。
 日本人子弟にとって、苦労して朝鮮語を学んで学業に励んでも何ら利点は無かったので、耳障りな発音の朝鮮語などを覚える意欲が無かった。
 むしろ、朝鮮人の方が語学能力に優れていて、学校で日本語を学び、政治や経済から科学や日常語までの全分野における近代的用語が和製漢字であった為に、日本語を巧みに話していた。
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 9月 昭和天皇は、木戸内大臣に、無条件降伏でなく名誉を維持する為に、一回でも局地的戦闘に勝利して後に条件付和平に持ち込む意向を示した。
 同様に、内閣も軍部も帝国の体面から「一撃講和論」を主張していた。
 だが。アメリカは、例外なき無条件降伏のみを主張し、日本側の如何なる望みも受け入れる気はなかった。
 日米交渉の多くは、大国アメリカの主張が一方的にまかり通り、アメリカへの依存度が高い日本のみが譲歩と犠牲を強いられる外交交渉であった。
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 朝鮮人テロリストは、地下秘密結社「建国同盟」を結成した。サンフランシスコからの朝鮮語放送で、戦況を逐一知り、日本軍が敗走している事を日本国内で言い触らしていた。
 日本人は、日本の敗北の噂が流れても、最後には神風が吹き勝利する事を頑なに信じて戦い続けた。
 日本人は、頑固で、頑迷で、一度信じた事は決して変えようとせず、どんなに苦しくとも歯を食いしばり、諦めず、死抜きで信じ切って行動した。
 日本人は、臣民として、天皇を信じ、天皇を守る為に戦っていた。日本人は、靖国神社で、大忠臣・楠木正成湊川神社)の様に「七生報国」を誓った。
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 日本政府は、国際的な総力戦を戦いぬく為には国外も国内も関係なく、日本国民で有れば男も女も関係ないとして「女子挺身勤労令」を施行した。
 朝鮮においても内鮮一体の掛け声から適応されたが、朝鮮総督府は日本国にの様な強制は避けた。朝鮮人女性には個人の意思による応募とされた為に、挺身隊に参加する者が少なかった。連合軍の攻撃によるに海上封鎖が厳しくなると、海峡を越えて日本に内地に向かう事が危険となり、地域の工場で勤労奉仕した。
 もし、朝鮮で女子挺身隊や従軍慰安婦を強制動員して連行すれば反日感情に火をつけ、反日暴動が起きかねなかった。
 第一、連合国の猛反撃で戦局が悪化して朝鮮内で強硬手段をとれる状態ではなかった。
 日本軍には、朝鮮での反日暴動を鎮圧するだけの兵力は残ってはいなかし、連合国の攻撃を避けながら鎮圧部隊を送りとどける自信もなかった。
 「火病」を民族病とする朝鮮人が、抵抗もせず、抗議もせず、暴動もせず、日本の強制のままに女性(数十万人)まで従順に差し出すはずがなかった。
 日本人の強制連行を許したとすれば、同じ朝鮮人でありながら見殺しにした事になる。
 鉄道で中国や満州に向かう事は可能であったが、民間人が船舶で南方各地に移動する事はできなかった。
 よって、朝鮮内で従軍慰安婦の強制連行があったとしても、南方各地で死闘を繰り返す日本軍部隊に供給する事は不可能であった。
 もし強行するというのであれば、戦争勝利を犠牲にして、補充兵や戦略物資を減らす必要がった。
 朝鮮は、日本に比べて、背筋が寒くなるほど人間としての情が薄い。
 それが、従軍慰安婦及び奴隷的労働者の強制連行事件の本質である。
 韓国及び北朝鮮が、日本に強制連行問題を糾弾するとき、自分たちの不甲斐なさを証明している。
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 朝鮮に於ける国民徴用令は、44年9月から翌年3月の7ヶ月間だけであった。
 日本人青年が国の命令で強制的に戦場に送られた為に、朝鮮で労働動員として徴用が実施された。
 貧しい朝鮮人達は、出稼ぎとして日本行きの徴用に応募し、募集人数の数倍が殺到していた。
 崔基鎬(チェキホ)「採用者(徴用者)達は、歓喜に溢れ……就業後も休祭日は自由に札幌に繰り出し、ショッピングはもとより銭函湾での船遊びまで楽しんだ」
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 9月7日 インパール作戦の中止。日本の第15軍は、全滅に近い被害を受けて敗走した。
 日本陸軍航空隊は、危険を承知で、敵軍の中で孤立して補給を受けられない友軍に対して手榴弾等の武器を上空から投下した。
・日本軍9万2,000人。インド国民軍6,000人。
 日本軍被害。戦病死者3万2,000人(その大半が餓死者)。傷病者4万人以上。
 インド国民軍被害。戦病死者1,500人。要入院患者2,000人。
 日本軍兵士の屍体が放置され、白骨街道と呼ばれた。
・イギリス軍・インド軍15万人。
 戦死者1万7,000人。第33軍団のみで傷病者4万7,000人。
 敗走したドイツ国民軍は、この後もインド独立の為に日本軍に協力した。
 戦後。イギリスは、日本軍に協力したインド人兵士を反逆罪で裁判にかけた。
 インド人民は、彼らを救うべく反英運動を起こし、それが独立運動に発展した。
 イギリスは、植民地支配を続ける為に武力で弾圧したが、独立運動を止める事が出来なくなった。
 日本軍のインド侵略が、インド独立を加速させた。
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 菊池健治「英軍は散在したまま置かれている我が傷病兵を次々に運び出し、一部をジープで連れ去ったが残った者は街道脇に並べて水をかけた。状況を目撃した栃平星一主計曹長は、イギリス兵士も親切だと思ったが、一人の兵士が屈み込んだと思うと、並べられた数十名の日本傷病兵の列を炎が走り、黒煙があがった。かけたのは水ではなくガソリンであり、英兵はまだ生命のある我が傷病兵を焼き殺したのだ」(『日本を衰亡へ導く「東京裁判史観」』)
 白人にとって、日本人は人権なき獣であった。
 連合軍の捕虜となって助かる可能性の高い日本人兵士捕虜は、高学歴で英語などの西欧語が話せる若者かキリスト教徒であった。
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 9月10日 ビルマ雲南省方面。日本軍拉孟守備隊約1,500人は、一個師団以上の中国軍の猛攻を約三ヶ月間食い止めたが全滅した。
 中国軍は、日本人兵士を捕虜とはせず皆殺しにした。
 日本共産党は、同胞を殺すのは忍びないとして、反天皇反日を誓う日本軍兵士を積極的に助けた。助けられた日本軍兵士捕虜は、共産主義の再教育を受け、共産主義に洗脳されて日本に帰国した。戦後日本の始まりである。
 金光「戦死せし将兵の遺族をよろしくお願ひす、地下に於いて遥かに国軍の勝利を祈る」
 9月14日 日本軍騰越守備隊1,500人は、7月上旬から、中国軍の大軍に囲まれ猛攻を受けて玉砕した。
 絶望の中で戦い日本の勝利信じて戦死した全ての日本軍兵士は、現代の反戦平和市民団体が嫌悪する靖国神社に軍神として祀られた。
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 軍部は、全部隊に対して短期決戦の玉砕を禁止し、長期持久戦を命じた。
 戦場における、救いのない、希望のない、絶望的地獄が始まった。 
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 1922年 国際連盟は、戦勝国日本に対して、旧ドイツ帝国植民地のパラオ諸島サイパンテニアンなどの南洋委任統治権を承認した。
 日本は、パラオに南洋統治の行政機関「南洋庁」を設置して、搾取の為の支配ではなく地域創生の統治に心掛けた。
 インフラ整備と殖産興業の為の資金を拠出し、原住民を指導する為の人を派遣した。
 軍国日本の南洋進出は、左翼・左派の反日的日本人が言うような侵略ではなかった。
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 日本軍は、パラオ人を軍事施設建設の為に徴集し挺身隊を組織してニューギニアに送り込み、その多くが戦死した。
 パラオ空襲で、アメリカ軍の空襲で約200人が犠牲となった。
 補給路が断たれたパラオ本島(バベルダオブ島)では、日本軍兵士やパラオ人が餓死した。
 軍国日本はパラオ人に大変な迷惑をかけたが、現代日本人はその事実を忘れている。、
 9月15日(〜11月25日)ペリリュー島攻防戦。
 アメリカ軍兵力、4万8,000人。銃器、4万7,000挺。戦車、117輌。
 日本軍守備隊兵力、1万500人。銃器、5万200挺。戦車、16輌。
 中川洲男大佐は、激戦となって全滅する事が分かっていた為に、ペリリュー島民約900人と一般日本人約160人を本島に避難させた。
 日本軍は、サムライ精神として、戦争を行うのは軍人の仕事として一般人を巻き込む事を極力避けた。
 アメリカ軍は、を「2、3日で陥落できる」と豪語て上陸した。
 アメリカ軍は、夜陰に乗じた日本軍守備隊による万歳突撃に恐怖して、日本軍に提案した。
 「勇敢な日本軍の皆さん。夜間の斬り込みは止めて下さい。止めてくれたら、我々も艦砲射撃と飛行機の爆撃は即座に中止します」
 日本軍兵士は、決死の斬り込みでアメリカ軍が震え上がっている事に、自分達の死が無駄ではないと喜んだ。
 ペリリュー島には、日本人慰安婦による女性兵士伝説がある。
 10月 アメリカ海軍潜水艦の攻撃で、太平洋沿岸は安全ではなくなった。 
 10月12日〜14日 台湾沖海戦。日本海軍航空隊は、全滅に近い被害を受け、日本本土と近海の防空能力を失った。
 10月15日 マニラの第26航空戦隊司令官有馬正文少将は、敵機動部隊がフィリピンに来襲したとの報告を得るや、中攻機に乗り込んで出撃して壮絶な最後を遂げた。
 「この戦争は、年寄りが死ななければならぬのだ」
 有馬少将は、安全な後方で命令だけしている軍首脳部に対して憤りを感じていた。
 日本のエリートは、今も昔も、現場に立って陣頭指揮を執ろうとはせず、現場に来ても危険になると直ぐに逃げだす、そうした無責任な者が多かった。
 10月18日 大本営は、捷一作戦を発動した。
 第一航空艦隊司令官大西龍治郎中将は、「統帥の外道」と知りながら、「神風特別攻撃隊」を編成した。
 特攻隊の若者達は、戦争である以上は戦死は避けられないと諦め「御国の為に散って靖国の桜の下でまた会おう」と誓い合って飛び立った。
 これが、韓国・北朝鮮や中国、そして反日派日本人が全面否定する、靖国神社の祭神達である。
 10月19日 パラオ諸島アンガウル島玉砕。日本軍1,250人は、15倍のアメリカ軍と壮絶な戦いを約一ヶ月間繰り広げて全滅した。捕虜となった日本人兵士は、59人のみであった。
 各島の日本軍守備隊は、援軍が来ない事知りながら援軍が来ると信じ、絶望的で助からない事を知りながら奇跡に勝利して助かる事を信じて、僅かな希望を諦める事なく戦っていた。
 10月20日 アメリカ軍は、レイテ島サマールに上陸した。
 10月23日 レイテ海海戦が始まる。
 日本海連合艦隊は、奮戦虚しく主力艦の多くを失い、制海権を奪われた。
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 10月25日 日本軍は、最後の勝利を信じ、非人道的自殺作戦である「神風特別攻撃隊」を始めた。
 大西瀧治郎中将「戦争は負けるかもしれない。しかしながら後世において、我々の子孫が、祖先はかく戦えりという歴史を記憶する限り、大和民族は滅亡する事はないであろう」
 日本人は、マルクス主義者や一部のキリスト教徒以外は、「死」を覚悟して天皇と国家を守る為に絶望的な戦争を続けた。
 子孫に恥じないように、子孫に迷惑をかけないように、子孫の誇りになる様に、すべてが子孫の為に……
 嘘八百大本営発表を鵜呑みにして、最後の勝利を信じて挫ける事なく戦場に赴いた。
 前線も、銃後も、全てが戦場となって戦っていた。
 日本国内や朝鮮では、日本軍が負けつつあるとの闇情報が流れていた。
 憲兵隊や警察当局は、そうした厭戦意識を煽る謀略情報の出所を必至になって追い求めていた。
 悲壮感を持った日本人は、滅びの美学に憧れるだけに、勝とうが負けようが精一杯悔いのない様に死力を尽くしていた。
 船が確実に沈没することが分かっていても、最後の最後まで船に留まって修復しようとした。
 倒産する会社にあって、なおも再建できると信じて努力した。
 逃げ出さない、弱音を吐かない、くだくだと愚痴をこぼさない、あれやこれやと言い訳をしない、それが現代の日本人とは違った昔の日本人であった。
 朝鮮人には、幾ら日本的精神教育を叩き込んでも、死を覚悟したサムライ精神を持つ事がなかった。
 マルクス主義者にも、一部のキリスト教徒にも、サムライの心や誠や志はないし、民族的絆もなかった。
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 戦争も終盤に入り、太平洋の島嶼では日本軍守備隊の玉砕が相次ぎ、日本人青年がカミカゼ特攻として出撃していた。  
 内地の労働不足は深刻化した為に、二等国民である朝鮮人を一等国民に引き上げ、国民の義務を課す為に徴用令を適用した。
 だが。本土決戦が現実化していた為に、朝鮮人による暴動を警戒して腫れ物に触れるように気を使った。
 事業者も、動員した朝鮮人労働者に対して日本人労働者とかわらない賃金を支払ったが、作業習熟度や作業能力などで厳格に計算した。
 真面目に働いた者には高額を、不真面目でサボり気味な者には低額を。
 だが、低額賃金を受け取った不真面目な朝鮮人労働者は、日本人の差別と激怒し、日本への不満を募らせた。
 ある炭鉱では、朝鮮人炭鉱夫に対して月額150円〜180円。出炭量成績によっては、200円〜300円を精勤として支払った。
 当時の。日本人巡査の初任給は月額45円で、上等兵以下の兵士は俸給10円以下であった。
 300円とは、大佐クラスの俸給であった。
 日本に動員されて来た朝鮮人労働者は、厚生省統計によると約32万3,000人で、軍人・軍属が約11万3,000人であった。
 日本政府も軍部も、国内の朝鮮人による犯罪、暴動、騒動を恐れていた。
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 10月27日 毎日新報は、短期間で高額の賃金が得られるとして従軍慰安婦の募集記事を掲載した。
 従軍慰安婦は、秘密でも何でも無く、新聞の広告欄に堂々と募集記事が載せられていた。
 日本においては、売春は合法的なサービス業とされて、誘拐を伴った人身売買の犯罪行為ではなかった。
 日本人売春婦は、暗黙の了解事項として年齢制限があり、本人が希望すれば一般人として普通の生活に戻る事ができ、一般的に差別される事は少なかった。
 日本の娼婦と外国の娼婦とは、社会の見方だ全く異なる。
 キリスト教社会や儒教社会では、最も軽蔑される卑しい職業の汚れた人間と軽蔑され差別されていた。 
 神道社会や仏教社会では、同情的に見られ差別される事が少なかった。
 反日朝鮮人は、日本軍への協力を阻止し、反日暴動を起こす為に、「挺身隊は慰安婦」とのデマを流した。
 一部の親は、娘を女子挺身隊に出して日本軍に協力させない為に、村に残っている男と無理やり結婚させた。 
 日本軍兵士・軍曹の月給が30円当時、従軍慰安婦は平均1,500円の収入があったといわれている。敗戦後、帰国した従軍慰安婦は3万円近い貯金をしたといわれている。
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 レイテ攻防戦。後退しながら戦う日本軍兵士は、飢えを凌ぐ為に村を襲っては食糧を調達していた。
 村人はゲリラに協力して、飢えと感染症で体力が弱っている日本軍兵士を襲って殺していた。
 フィリピン人ゲリラは、殺した日本軍兵士の指を切断し、殺した証拠としてアメリカ軍に見せていた。
 アメリカ開拓時代。アメリカ人が、敵対するインディアンを殺した証拠として味方するインディアンに殺したインディアンの頭の皮を要求していたのに似ている。
 アメリカ軍兵士は、殺した日本人の骨や頭の皮を戦利品として身近に飾って勇気を自慢していた。
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 日本軍は、兵員や武器弾薬を輸送する輸送船が不足した為に、国際法を無視して病院船を転用していた。
 アメリカ軍は、日本側の白い病院船を偽装された軍用輸送船として攻撃し、拿捕するか撃沈していた。
 軍国日本は、そこまで追い詰められていた。
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 11月 アメリカ海軍潜水艦は、日本海にも出没する様になり、大陸と日本をつなぐ全ての航路が安全ではなくなった。
 陸軍第4航空軍司令官富永恭次中将は、陸軍の意地から、海軍航空隊の神風特攻隊に張り合って陸軍特攻隊を出撃させた。
 翌年1月迄に、62回、400機を特攻させた。
 富永中将は、翌年1月16日に、戦場離脱するように、第14方面軍の命令を待たずにルソン島から台湾に逃げた。
 若き日本兵達はよく戦ったが、幾人かのエリート将官らは部下を置き去りにして敵前逃亡した。
 丸暗記だけで成績優秀なエリート達は、自分だけ助かる為に逃げ惑い、責任を他人に転嫁して恥じなかった。
 日本の不幸は、そうした無責任なエリートが政治や軍事を指揮していた事である。
 日本のエリートが、日本に悲劇をもたらした。
 11月17日 マニラにいた南方軍装司令部は、フィリピン決戦を目前にしてサイゴンに後退した。
 全軍に「総軍が脱げだした」という噂が広がった。 
 11月20日 日本海軍は、秘密兵器である人間特攻魚雷「回天」による攻撃を開始する。
 日本軍は、非人間的に、人間を爆弾と一緒に敵艦に突っ込ませる特攻を実行しながら、必死の思いで戦っていた。
 日本軍兵士が相手にしたのは、敵兵であった。
 11月24日 ペリリュー島玉砕。「サクラ、サクラ・・・」
 戦死者、日本軍1万695人。アメリカ軍2,336人。
 捕虜、捕虜、202人。
 アメリカ軍は、捕虜となった日本兵が武器を隠し持っているのを警戒して、全員を全裸にして収容所まで歩かせた。
 日本人兵士捕虜は、人間性を一切否定され家畜の様に追い立てられ、抵抗すれば玉砕者として闇から闇に処分された。
 連合軍は、日本軍の捕虜虐待に対する報復として、日本人兵士捕虜を黄色いサルか害虫と見なし人間性を全て否定した。
 ジェームズ・H・ハラス「海兵隊にとって、ペリリュー島で遭遇した、緻密に計算された堅牢な縦深陣地群、自らの兵力を温存しつつ米軍側に最大限の出血を強いる戦術を取る日本軍の守備隊は、いわば、硫黄島や沖縄の前兆でもあった」(『ペリリュー島戦記』)
 ニミッツ「すでに制空制海権をとっていた我が軍が、死傷者あわせて1万人を超える犠牲者を出して、この島を占領した事は、今もって疑問である」
 パラオ共和国では、島民の命を救って玉砕した日本軍の潔さに感動して「ペリリュー島の桜を讃える歌」を歌い継いでいる。
 太平洋上の島嶼諸国は、親日的で、日本軍を侵略者と嫌悪していない。
 ニミッツ「ペリリュー攻撃は、アメリカの戦争における他のどんな上陸作戦にも見られない最高の損害比率を出した。1万人を数える犠牲者を出して、この島を落とした事は、今もって疑問である」
 アンガウル島 日本軍守備隊玉砕。戦死者1,200人。
 アメリカ軍約2万人。
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 1982年 再建されたペリリュー神社には、戦死した日本軍兵士が神として祀られている。
 1996年10月 パラオで戦死した家族や帰還した元日本兵達は、日本人墓地に石碑を建てた。
 「パラオ諸島における(旧)日本陸海軍戦没者鎮魂の碑」碑文「第14師団は太平洋戦線の戦局打開のため北満州よりパラオに転進、パラオ諸島守備の任つき、所在陸海軍部隊あわせ米軍と激しい攻防戦の中、終戦となり、この攻防戦で壱萬六千三百五十四名の戦没者を出した。
 尚、浦賀に帰還した復員兵は陛下のお出迎えを受け、陛下より師団に次のようなお言葉を賜った。
 陛下のお言葉『パラオ集団は寔(まこと)に善く統率力徹底して立派に戦闘し復員も善く出来て満足に思う』」
 2015年4月9日 産経ニュース「【両陛下パラオご訪問】ペリリュー島戦没者慰霊碑にご供花へ
 天皇、皇后両陛下が慰霊に訪れる「米陸軍第81歩兵師団慰霊碑」の近くに置かれた花束=9日、パラオペリリュー島(共同)
 【ペリリュー島パラオ共和国)=伊藤真呂武、今村義丈】戦没者慰霊のためパラオ共和国を訪問中の天皇、皇后両陛下は9日午前(日本時間同)、激戦地だったペリリュー島で、日本政府が建立した「西太平洋戦没者の碑」を訪れて犠牲者を追悼される。両陛下は、宿泊先となった別の島の沖に停泊中の海上保安庁の巡視船から、ヘリコプターに乗って、ペリリュー島に移られる。
 碑のそばでは、ご訪問に合わせて日本から訪島した、先の大戦での同島などでの戦いから生還した元日本兵らと面会される予定。
 ペリリュー島では先の大戦で上陸してきた米軍約5万人を迎え撃った日本軍約1万人がほぼ全滅。日本政府が昭和60年に米軍上陸地点に近い島南端に碑を建て、英霊を慰めてきた。
 両陛下は、米軍の慰霊碑にも供花するなどし、同日夕に帰国の途に就かれる。」
 親日国家パラオ国旗は、日の丸のデザインに色違いで採用し制定された。
 反日派韓国人は、日本の日章旗旭日旗を戦犯旗と嫌悪し、公衆の面前で引き裂き燃やしていた。
 靖国神社に祀られている日本兵士の御霊を侮辱し、尊厳を踏みにじっている。
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  韓国人犠牲者の苦難
 「相当数の韓国人が、大日本帝国に主権を奪われ、第2次世界大戦前に祖国、両親、兄弟、姉妹、妻、子供から遠く離れたパラオに連行され、移住者という口実の下、日本軍のために農業、鉱業、漁業、要塞建築といった重労働に従事した。
 しかし、第2次世界大戦勃発後、当時における全ての韓国人労働者は日本軍に徴発された。
 韓国人女性は、エンターテイナーとして日本兵のために働く事を強いられた。太平洋戦争末期、パラオ地域における韓国人は5,000〜6,000人にまで増加し、その中にはエンターテイナーとされていた韓国人女性約500人や、満州のいわゆる関東軍とともにパラオに来た相当数の韓国人兵士が含まれていた。
 そして、当時における韓国人は隔離され、文字通り奴隷とされた -2,000人にものぼる韓国人が、飢餓、病気、日本人による虐待・暴行、事故、米国機による空爆のため悲痛な死を遂げたとされる。
 戦争中に建設された橋の一つに、通称アイゴー橋と呼ばれていたものがあり、地元の人々に広く知られていた。アイゴーというのは、韓国人が非常に極限の困難な状況において発する韓国語の感嘆詞である。このような通称は、当時の韓国人がどれだけの困難や苦痛を味わわなければならなかったかをよく表している。
 今の世代の韓国人による次の祈りでさえ、私たちの同胞の深い悲しみを癒やすには不十分であろう。なんじの魂が、極楽浄土にゆかれ、涅槃を享受し、永遠の平和の中安らかに眠れますように。祖国の地は決してなんじを忘れません。
 2004年12月
 海外犠牲同胞追年事業会会長 李龍澤」
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 Bー29による東京初空襲。連合軍は、全ての都市を無差別絨毯爆撃し、女子供に関係なく日本人を焼き殺した。
 人種差別主義者は、日本人を人格を持った人間とは認めず、戦闘後に日本人捕虜を玉砕したという報告書を提出して処分した。
 死人には口なしであるり、日本人がどれだけ死のうが関心を持っ白人はいなかった。
 アメリカ軍は、戦時国際法を無視して非戦闘員の大虐殺を始めた。
 日本は総力戦として、前線の戦場でも、後方の銃後でも、最後の勝利を信じて夥しい屍体の山を築きながらも戦っていた。
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12月 太平洋の幾つかの島守備隊は、アメリカ軍の上陸を免れたが、時折激しい空爆を受けていた。
 絶海の孤島という絶望的状況下で、制海権を失った為に食糧や医薬品の補給を受けられず餓えと疫病が蔓延し、栄養不足による体力低下で病死者を出し始めていた。
 自給の為に食べられる農産物を作り始めたが、生産量は不足した。
 一部の部隊は、決戦用の食糧を確保する為に、戦力にならない朝鮮人軍属の処分を決定した。
 飢え死に間近という極限状態に置かれた日本軍部隊は、「玉砕」という名の下に朝鮮人軍属の殺害を決めた。
 そこには、朝鮮人は日本人ではないという民族差別が存在し、日本人を助ける為に朝鮮人を殺そうという非人間的選択が働いた。
 生殺の選択基準が、天皇と国家への忠誠心であった。
 軍国主義者日本人は、国家元首昭和天皇を暗殺しようとした朝鮮人の忠誠心を疑い、心底から生死を共にできる戦友とは信じ切れていなかった。
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 朝鮮半島では、反日地下組織やキリスト教会から日本軍の敗退が知らされるや、朝鮮人の間で不穏な空気が漂い始めた。
 朝鮮人は、心底から日本に協力する意思はなかった。
 新たに組織された日本軍の中の朝鮮人は、日本の為に戦う気が無く、軍事教練を積極的に受ける意志もなかった。
 軍事教練を指導する古参の日本軍兵士は、玉砕を続ける日本軍将兵を思う度に、「ケンチャナヨ」とうそぶく朝鮮人のやる気なさに激怒して、殴る蹴るのリンチ的暴行を加えた。
 朝鮮人は、人間扱いしない日本軍への憎悪し、日本人を「チョッパリ(豚の足)」、「ウェノ」と軽蔑して反日独立運動に参加した。
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 アメリカ軍は、軍国日本を海上封鎖する為に、日本と朝鮮の港湾施設に大量の機雷を敷設した。
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 2014年5月28日 msn産経ニュース「「犬畜生」…靖国神社にハングルで「中傷」落書き 警視庁に被害相談[事件・トラブル]
 靖国神社の大鳥居にあったハングルの落書き=28日午後、東京都千代田区(小野淳一撮影)
 靖国神社(東京都千代田区)の大鳥居の柱に、侮蔑表現ととれるハングルの落書きが見つかっていたことが28日、関係者への取材で分かった。靖国神社は警視庁に被害を相談。警視庁は器物損壊容疑にあたる可能性もあるとみて調べている。
 靖国神社によると、落書きが見つかったのは、参道入り口に立つ大鳥居(第1鳥居)の社殿に向かって左側の柱。26日に「ハングルの落書きがある」との情報提供があり、黒のインクで書かれたとみられる落書きを確認した。書き込まれた時期は不明。警視庁には28日に被害相談したという。
 落書きには、「笑い」を意味するようなものや、「犬畜生」と書こうとした形跡もあった。
 靖国神社権禰宜の樋口知明広報課長は「大鳥居には数十年前から落書きが見受けられたが、今回のような内容をきっかけにエスカレートするおそれもある。慰霊の場にふさわしくなく、絶対にやめてほしい」と訴えている。」
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 天皇を守り、祖国を守り、家族を守り、愛する人を守る為に、自己犠牲として戦死した日本人兵士は、例外なく靖国神社の祭神として祭られている。
 日本を守る為に戦った祖先を持つ日本人は、靖国神社を尊き聖地とし、心の拠り所とし、戦死していった祖先の御霊に、「今在るのは貴方達の犠牲のお陰です」と感謝を込めて参拝している。
 中国人と韓国人・朝鮮人は、靖国神社を否定し、神社を破壊し祭殿を放火する為に火炎瓶を持ち込み、日本人の心と神となった霊魂を穢す為に小便を引っかけ唾を吐き付けている。
 日本人の伝統的祖先神・氏神という人神信仰は、中国や韓国・北朝鮮などのアジア諸国から攻撃されている。
 世界の宗教関係者は、中国や韓国・北朝鮮などの反宗教的暴挙を非難する事なく、沈黙して黙認している。 
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 2014年3月2日 ニューヨーク・タイムズ紙は、昔から、親中国反日報道を社是として、アメリカはおろか世界の世論に強い影響力をもって日本叩きの過激な記事を掲載している。
 「安倍晋三首相タイプのナショナリズムは、日本の対米関係にとってさらに深刻な脅威となっている。彼は修正主義的な歴史の利用は、アジア地域全体への危険な挑発である」
 「安倍首相やその他のナショナリスト達は、1937年の日本軍による南京虐殺など実際には全く起きていなかったと主張する。安倍政権は日本軍によって性的奉仕を強制された韓国人女性の問題を見直し、その女性達への謝罪を撤回するだろうという事を言明した」
 「安倍首相は、戦争犯罪人をも含む戦死者達を祀った靖国神社を参拝した。アメリカ側からの参拝自粛を求める明白な意思表示があったにもかかわず、参拝を断行したのだ」
 アメリカ・メディアは、戦前から押し並べて日本に厳しく、日本の主張を正当なものであると正しく取り上げる事は極稀である。
 アメリカの古いユダヤ人団体の多くも、戦前から親中国反日的な活動を続け、ユダヤ人難民の救済を希望した昭和天皇の戦争責任を追及し、実際に助けたA級戦犯達が祀られている靖国神社の廃絶を求めている。


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