☲30〕─1─捕虜収容所の所長や幹部は日本人将兵で、下級監視要員は朝鮮人の志願兵や軍属であった。~No.121No.122No.123・ @ ㉓ 

日本軍の捕虜政策

日本軍の捕虜政策

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 親日派朝鮮人は1割。反日朝鮮人は3割、中間の朝鮮人は6割。
 現代韓国では、親日派知日派韓国人ゼロ、反日派韓国人7割、中間の韓国人は3割。
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 朝鮮人は、古代から現代そして将来にわたって、幾ら、心を開いて話し合おうとも、親しく接して交流を深めようとも、変わる事なき反日である。
 両国の間には、本当の意味での友好は存在しない。
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 戦闘能力の高い優秀な親日派朝鮮人志願兵は、全て激戦地に投入されていた。
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 反日朝鮮人・独立派朝鮮人朝鮮人テロリストは、到る所い忍ぶ込んでいた。
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 朝鮮人は、総じて役に立たずで、そこに居るだけの案山子に近かった。
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 2017年2月号 WiLL「韓国 大動乱
 助けず・教えず・関わら
 韓国には『非韓三原則でいけ 高山正之/加藤清隆
 一歩進んだと思えば二歩後退。古代そのものの国との付き合いは
 なぜそんなに騒ぐ?
 加藤 韓国の朴槿恵騒動ですけれど、僕はなにかピンと来ないんです。国民が100万人も集まって、辞めろ、辞めろと大騒ぎしているのに、朴槿恵大統領はあまり無念だという顔をしないし、淡々としている。なんだか現実感がないですね。
 ……
 高山 あの国は、そもそも古代から進歩していない。もともと中国からも見捨てられた土地だった朝鮮半島は掃き溜めみたいなところで、ほとんど無人の時代もあった。日本が任那(みまな)に日本府をおいたりするようになって、わずかな文物が日本からわたっていくようになったんだ。室町時代にさんざん苦労して朝鮮通信使がやってきて、水車のつくり方だとか、メッキの仕方だとか、紙の漉(す)き方とか、日本から、いろいろな技術を学ぶわけ。筑波大大学院教授の古田博司先生によると、縫い針すらなかった。
 ……
 高山 進歩しないどころか退歩する国だよ。水車のつくり方を教えても、もう次の世代はわからなくなる。文化が退行することがあるというのは、日本人にはわかりにくいけどね。
 加藤 よけいなお節介だったとは思いますが、日本は朝鮮を独立させるために、日清戦争を戦い、ロシアとも戦って、別にしたくてしたわけじゃないのに韓国併合までして、朝鮮半島経営のために国家予算の4分の1を注ぎ込んで、田畑を耕し、道路を引き、鉄道を引き、公衆衛生の概念を持ち込み、国民が読み書きできるようにしてやって近代化させたわけですよね。いくらなんでも、ああ、こういう統治のしかたがあるのかと、気がつかなかったんでしょう。
 高山 元KBSの東京特派員で朴槿恵の顧問でもある田麗玉(チョンヨオウ)という女性が『日本はない』という日本を完全否定する本を書いている。野蛮な植民地支配を体験した唯一の民族として常に日本を攻め続けなければならないと思い込んでいるんだ。日本統治から学ぶどころか、四夷八蛮のくせにわが国を支配しやがってみたいな感じだね。
 加藤 古田博司先生も、朝鮮半島に関してはもうかかわるなとおっしゃっていますね。
 高山 『教えず、助けず、関わらず』。それが、古田先生が長年、朝鮮学をやってきてたどり着いた結論、つまり古田三原則なんです。こっちから見れば朝鮮人にそっくりな中国や満州はモンゴルは併合しているのに、朝鮮は絶対併合しない。お互いによく似ているから併合したらヤバイと直感が働くのだろう。ところが、日本はそんなところをアメリカに押し付けられたんだね。
 加藤 日韓併合のときですね。
 韓国・朝鮮の民衆は悪魔憑き
 高山 1905年に セオドア・ルーズベルトが朝鮮にあった米国の在外公館を全部閉めて、引き上げてしまった。李氏朝鮮はもはや国家の体裁も能力もない。あとは日本が面倒見ろと言った。安産保障上、重用だから、嫌だと放り出すわけにはいかない。
 伊藤博文はしかたなく米国の駐日公使だったダーラム・スティーブンスをアドバイザーに雇い、朝鮮を保護国にしてインフラを整備し自立を促した。
 しかし何の改善の兆しも見えない。スティーブンスはサンフランシスコに里帰りしたとき、記者団から朝鮮の先行きを聞かれ、韓国はおよそ自治能力に欠けるから、いったん解体するしかないと語った。そうしたら翌日その記事を読んだ朝鮮人がホテルにやってきて殴る蹴るの暴行を受けた。ほうほうの体で逃げて、フェリーで故郷に戻ろうとしたところを別の朝鮮人に射殺された。朝鮮に関わるとそういうことになる。伊藤博文も暗殺された。
 結局、併合して一から教育しなおすしかなかった。その日帝36年のあいだに起こった騒擾(そうじょう)は、共産党暴動と3・1事件の2回だけだった。朝鮮にとって、いちばん幸せで安定した時代だった。死刑囚だって一人もいなかったくらいなんだから。
 ……
 韓国・朝鮮の暴走する民衆というのは悪魔憑きですよ。旧約聖書に、悪魔が乗り移った2,000頭の豚が、ガリラヤ湖になだれ込んで溺れ死ぬ話が出てくるよね。それと同じ異様さをあの国民は持っている。
 呉善花(オソンファ)さんから聞いた話だけど、キリスト教徒でも、祈り始めると忘我の興奮状態に陥って大きな木を揺さぶり倒してしまうという。そういう国民性は治らない。だから逆に言えば、日本は36年であの国から手が引けてよかった。
 巻き添えを食らったのがB・C級戦犯だ。先の戦争で、10万人近い白人兵がろくに戦わず降伏した。10万人のために収容所を作り、3度の飯を食わせ、健康を管理するのに現役将兵を使ったら戦争する兵が足りなくなる。そこで朝鮮人軍属を収容所看守として入れた。そしたらヴァン・デル・ポストの『戦場のメリー・クリスマス』が描写するように、彼らは収容所で白人兵を殴ったり蹴ったり、かなり虐(いじ)めた。戦後、朝鮮人軍属は30人ぐらい死刑になっている。その上司である日本人の憲兵隊や、収容所長が、その巻き添えになって処刑されているんだ。だからもう絶対、朝鮮人・韓国人に関わっちゃいけない。
 ……」
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 人は、人に好かれる善人は1割もいない、許しがたい悪人は2割以上いる、善い事も悪い事も行いそうな普通の人が7割前後いる。
 日本人も例外ではなく、陰湿なイジメや嫌がらせを行うが、社会秩序を崩壊させ無法地帯と化すような暴動、強奪、強姦、殺人などの凶悪犯罪に暴走する事はない。
 日本人の性格は、自分一人だけでも生き残る為に、人を押しのけ、蹴倒し、殺そうといった、精神的な強靭はなく、気が小さくひ弱であった。
 「他人は他人、自分は自分」として、そうした犯罪行為が目の前で起きても、つられてそうした犯罪行為を行わない、それが感化されず同調しない不感症的日本人である。
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 朝鮮人は文弱で武を嫌う為に、日本人と違って武士・兵士には不向きであった。
 その為に、朝鮮人に対して、根刮ぎ兵士にする徴兵制を採用せずではなく、希望者のみを兵士にする志願制を採用した。
 志願者を厳密な心身検査をおこなっても、兵士に採用できる者はほんのわずかな朝鮮人だけであった。
 志願兵として合格させても、日本人徴兵と同じ過酷で厳しい人間性無視の軍事訓練に耐えきれる朝鮮人は少なかった。
 過酷な軍事教練に耐えた朝鮮人志願兵でも、大半が玉砕・全滅確実な地獄の様な最前線に派遣できず、その多くは後方勤務に回すしか使い道がなかった。
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 朝鮮人志願兵が多くいたのが、捕虜収容所や軍需物資集積所・補給所などであった。
 日本人徴兵にとって、朝鮮人志願兵は命を預けて死地で戦う戦友ではなかった。
 朝鮮人志願兵は、銃を構えて日本人徴兵の後ろに立っていた。
 朝鮮人軍属は、日本軍の武器弾薬や燃料など軍需物資の傍らに立っていた。
 多くの朝鮮人が、日本軍隊内のそこかしこにいた。
 朝鮮半島は、日本国内に比べて戦争に遠く平穏で平和であった。
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 捕虜収容所や補給所などの後方勤務に配属される日本人徴兵は、二流以下の弱兵として日本軍兵士から軽蔑され差別され嫌われていた。
 つまりは、日陰者であった。
 朝鮮に対する差別意識の強かった日本人徴兵は、捕虜収容所や補給所など戦死(玉砕・全滅)の危険性のない、何時でも逃げ出せる後方勤務は真面な兵士ではない朝鮮人志願兵にお似合いだと唾棄していた。
 朝鮮人志願兵は案山子よりはマシとして銃を持たせて、日本軍主力部隊の後方に配置して地獄の様な最前線に送る事はしなかった。
 戦地に立っていた朝鮮人志願兵は、実弾を装填した銃を持った案山子と同じで、見せ掛けに過ぎなかった。
 敵に偵察から見れば、何時逃げ出すか分からない戦えない朝鮮人志願兵でも銃を持って日本軍陣地に立っていれば、日本軍陣地の防衛力として数えた。
 最前線で最も怖いのは、圧倒的な物量で猛攻撃してくる敵の大軍ではなく、猛攻を受けている防衛陣地からの戦闘蜂起の敵前逃亡である。
 つまり、朝鮮人志願兵は日本兵と違って最後の一人になっても戦って戦死せず、攻撃されたら陣地を放棄して敵前逃亡すると危惧したからである
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 歴史的事実として、朝鮮人は日本人と違って、死ぬ事が分かっているような絶望的状況で一人になっても祖国を守った事がない。
 朝鮮人は、必ず、勝者になる大国・強者の陰に隠れてコソコソと行動してうまい汁を吸っていた。
 隣りに立っている味方も力を失い劣性になれば平然と見捨て、昨日まで戦った優性となった敵にはせ参じ、昨日までの味方に襲いかかって忠誠心を見せる。
 裏切り当たり前として勝ち馬にに乗るのが、朝鮮の処世術であった。
 つまり、いざという時には信用できない相手であり、絶体絶命下でも共の戦える戦友にもなれない相手であった。
 そこから生まれた呼び名が、勝者でもなく敗者でもない「三国人」である。
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 靖国神社は、戦死・病死・餓死したか敵前逃亡の不名誉な死かは問わず、朝鮮人志願兵を日本人徴兵と別け隔てせず天皇の為日本の為に戦って戦死された尊き英霊として祀った。




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