☲31〕─1─日本国内の反日派朝鮮人はスパイとして日本国や日本軍の機密情報を連合軍に流していた。~No.124No.125・ @ ㉔ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 親日派朝鮮人は1割。反日朝鮮人は3割、中間の朝鮮人は6割。
 現代韓国では、親日派知日派韓国人ゼロ、反日派韓国人7割、中間の韓国人は3割。
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 日本にとって、朝鮮は苦楽を共にできる親友・友人ではなかった。
 日本人にとって、朝鮮人は安心して後ろを任せられる戦友ではなかった。
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 1944年末から、日本国内にいた約200万人の朝鮮人の中には反日朝鮮人キリスト教朝鮮人テロリストが潜り込む、日本や日本軍の機密情報を連合軍にながしていた。
 太平洋戦争末期、憲兵隊や特高は、本土決戦・一億総玉砕の為に国内で暗躍する朝鮮人スパイを逮捕して投獄していた。
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 軍部は、日本軍の敗走を誤魔化す為に「大本営発表」を行って情報操作を行っていた。
 が、日本軍の連戦連敗の情報は国民の間で広がり、勘の良い日本人は日本が負ける事を知っていた。
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 文在寅大統領「我が国民の独立運動は世界のどの国よりも熾烈でした。光復は決して外から与えられたものではありません。先烈たちが決死の覚悟で共に闘い勝ち取った結果でした。全国民が等しく力を合わせ成し遂げた光復でした」(2018年8月15日光復節記念演説)
 韓国の歴史教科書「連合国の対日戦勝によってもたらされたものだが、同時に我々の粘り強い独立運動の結果でもある」
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 如何なる国家も、外敵ではなく、内部から崩壊して滅亡する。
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 2018年7月19日 産経ニュース「【歴史戦】「日本に強制徴用された」半島出身者の遺骨返還事業で南北団体が合意 金大中氏三男が訪朝…進む対日“歴史共闘”
 4日、徴用工像(右)のそばで記者会見しシュプレヒコールを上げる市民団体メンバーら=韓国・釜山の国立日帝強制動員歴史館(共同)
 【ソウル=桜井紀雄】韓国と北朝鮮の団体が、日本による朝鮮半島統治時代に日本に「強制徴用された」とする朝鮮半島出身者の遺骨の返還事業に向けた協力で合意した。16日から訪朝していた統一問題に取り組む韓国側「民族和解協力汎国民協議会」(民和協)の金弘傑(キム・ホンゴル)代表常任議長が19日の帰途、北京国際空港で記者団に明らかにした。
 金弘傑氏は18日、平壌北朝鮮側民和協代表の金永大(キム・ヨンデ最高人民会議常任副委員長と合意文に署名し、北朝鮮側関係者の招請など民間交流の活性化も協議した。
 民和協は、徴用された朝鮮半島出身者の遺骨計約2200柱が日本全国の寺社に散在しているとみている。日本の市民団体や在日本朝鮮人総連合会朝鮮総連)などと協力するとともに、北朝鮮側とも協議を重ね、返還を目指すという。
 金弘傑氏は、2000年に初の南北首脳会談を行った金大中(キム・デジュン)元大統領の三男で、北朝鮮金正日キム・ジョンイル)総書記が11年に死去した際も訪朝し、弔意を表した。
 韓国と北朝鮮は8月にインドネシアで開幕するアジア大会の南北合同入場行進で、朝鮮半島に韓国が占拠する竹島島根県隠岐の島町、韓国名・独島=トクト=)を加えて描いた「統一旗」を使うことを推進している。
 北朝鮮は最近、国営メディアで慰安婦問題をめぐる日韓合意の履行を韓国に求める安倍晋三政権を非難するキャンペーンを展開。韓国では、日韓合意の破棄を主張する元慰安婦支援団体が別の団体と統合して組織を拡大するなど、影響力を増しつつある。この団体は、慰安婦問題で北朝鮮側と連携して対日批判を繰り広げてきた経緯がある。
 南北両政府の南北融和政策を追い風に、遺骨返還問題以外の日本が絡む歴史問題でも団体間の“歴史共闘”が進む可能性もある。 
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 7月26日号 週刊新潮「変見自在 高山正之
 Bの悲劇
 日本が敗けて間もなく金天海は在日朝鮮人連盟を立ち上げて『日本を我々連合国人の住み易いところにする』と宣言した。
 GHQは『朝鮮人第三国人だ』と言ったが金天海は『我々には最低限でも治外法権があるはずだ』と言い張った。
 神奈川税務署が在日の密造酒工場を摘発した。その夜、摘発責任者が襲われ、殺された。在日が治外法権をもつことを示すためだった。
 金天海は治外法権がある証拠に国鉄の無料乗車券を発行して在日はただ乗りできるようにした。
 満員で乗れなかった在日が列車の窓を割って乗ろうとして日本人男性に注意された。彼らは怒って男性をホームに引きずり出してスコップで殴り殺した。彼らに自制心はなかった。
 連盟には『学業奨励会』も作られた。そこに登録したら法政、中央、明治に自由に入学できた。中でも法政は人気が高かった。
 そんな古い誼(よしみ)があってのことだろうか。法政の学生がBC級戦犯で死刑を宣告された92歳の韓国人李某の半生をドキュメンタリーにまとめたと先日の朝日新聞が一面で報じた。
 不条理を訴える李某は17歳のときに軍属の募集があって採用された。仕事は泰緬鉄道のヒントク捕虜収容所の看守だった。
 その戦争の緒戦は日本の圧勝だった。ルーズベルトは日本を挑発して戦争に引き込んだくせに日本の実力を見損なっていた。
 彼は日本には碌な飛行機もなく、操縦士も近視で急降下もできないと信じていた。水深の浅い真珠湾では白人だって雷撃は不可能だ。日本軍に奇襲されても果たして希望する損害が出るかどうか心配していた。
 それが戦艦も巡洋艦もみな沈められ、想定の10倍の死者まで出してしまった。
 自分のペテンでそんなにたくさん米市民をしなせた自責の念で狼狽える大統領の姿をハミルトン・フィッシュの『ルーズベルトの開戦責任』に出ている。
 真珠湾でその有様だ。日本叩きにやってきた英戦艦プリンス・オブ・ウェールズは即座に沈められ、シンガポールもマニラもバンドンも半年ももたずに次々陥落していった。
 地上戦では手先のインド兵たちがやられると白人将兵はすぐ手を挙げた。南方に出た日本軍の総数を超える26万人が捕虜になった。
 日本の刑務所では囚人5人に1人の割で刑務官がつく。それに倣えばそんな怯懦(きょうだ)な捕虜のために3個師団分の将兵が必要になる。
 それでは戦争もできないので朝鮮人看守の出番になった。それは手を挙げた白人将兵にも意外だった。
 日本は捕虜を大事にした。日露戦争ではロシア兵が『マツヤマ』を叫んで投降してきた。青島(チンタオ)攻略で降(くだ)った独将兵は板東俘虜収容所で第九を演奏できた。
 それが朝鮮人看守に入れ替わった。戦後の在日の行いが示唆するように対応はすこぶる悪かった。
 H・ネルソンの『日本軍捕虜収容所の日々』には『朝鮮人は残虐だった。我々は彼をメフィストフェレスと呼んだ』とある。
 法政大学生が同情を寄せた李某は500人の捕虜を仲間6人で管理した。ビンタは日常のように食らわしたという。
 彼につけられた仇名は『トカゲ』だった。
 そして終戦。李某は捕虜虐待で訴えられた。
 一旦は釈放されたものの引き揚げ途中、香港で再度捕まり、C級戦犯として死刑が宣告された。
 しかし執行されることなく戦後11年目に出所できた。軍属として動員されたのだから恩給を払えという請求は却下された。
 結局朝鮮人看守は148人が起訴され23人が処刑された。戦場でもない後方勤務では異例の多さになる。
 この捕虜虐待関係では収容所長の中村鎭雄大佐ら日本人将校2人がB級戦犯として処刑された。
 国際法学者の一又正雄によるとBC級には区別があって捕虜を直接虐待した当事者はC級戦犯の監督に当たった上級士官がB級戦犯になる。
 戦争はやっぱり日本人だけでやるべきだった」
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日本国民は、一等国民として、一銭五厘の「赤紙」一枚で徴兵され、入隊されるや古参兵に鉄拳制裁でしごかれ、生きて還ってこられない地獄のような戦場に送り出され、そして戦死した。
 日本兵士の、3分の1は戦闘による戦死で、残りの3分の2は餓死や病死だったといわれている。
 根刮ぎ動員令が発せられるや、日本民族日本人であれば例外なく、老人だろうと、女性や子供だろうと、各種挺身隊として戦争に参加させられ、敵軍の攻撃・爆撃で多くの者が死んでいった。
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 朝鮮人は、二等国民として兵士には向かないとされ、志願者から厳選して少数だけ日本兵士に採用し、多数は不合格者とされ軍属となった。
 軍属となった朝鮮人は、日本軍と契約し、給金をもらい、戦場から離れた安全な後方勤務として捕虜収容所や武器弾薬・食料・水・医薬品などの補給所に送られた。
 志願しない者は、日本国籍取得の責任と義務から、徴用工・挺身隊として朝鮮半島内や日本の工場や鉱山に送られた。
 徴用工・挺身隊は、給料と食べ物を貰い死ぬ事はなかった。
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 朝鮮人には生きる道があったが、日本人には死ぬ道しかなかった。
 それゆえに、死ぬ定めの日本民族日本人に用意されたのが、鎮魂歌「海ゆかば」と靖国神社の桜であった。
 日本民族日本人は、死ぬに当たって「美しくありたい」と思い定めていた。
 それが、日本民族日本人の「死の覚悟」であった。
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 日本人と韓国人・朝鮮人は、正反対の別人のように性格から行動・思考まで大半が違う。
 日本人と中国人も、同様に違う。
 だが、中国人と韓国人・朝鮮人は同じくらいに似ている。
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 朝鮮は、困難・苦難を助け合い協力し合って乗り切る心許せる友人ではなかった。
 それは、古代、統一新羅以来一貫して変わらない事実である。
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 世界は、日本の弁明よりも、韓国人や朝鮮人の言い分を正当として認めて日本を非難する。
 それは、昔も今も、そしてこの先も変わらない。
 日本は、絶望して、諦めるしかない。
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 世界の反天皇反日派は、戦争犯罪国家日本を極貧のダメ国家に落とし込む為に、少数派の在日朝鮮人を利用して多数派の日本民族日本人を支配させようとした。
 在日朝鮮人の反天皇反日暴力行動を支援させる為に、政界・官界・財界・学界そしてメディア関係者に同調者を植え付けた。
 在日朝鮮人の権利同調者の力は、現代においても根強く日本に広く根を張っている。
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 親日派知日派は、古朝鮮百済高句麗、古新羅渤海など。
 反日派敵日派は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国など。
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 キリスト教朝鮮人テロリストは、「恨」と「怨」から、昭和天皇や皇族を惨殺すべくつけ狙っていた。
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 戦後、日本全国で在日朝鮮人による殺人・強姦・強奪や暴動・騒乱などの事件が多発していたが、警察権を連合国占領軍(GHQ)に停止されていた為に、警察当局は日本人被害者を助ける事ができなかった。
 在日朝鮮人による傍若無人の犯罪行為が、日本全国を恐怖におとしめ、日本人の生命財産を脅かしていた。
 日本人被害者を助けたのが、「強きを挫き、弱きを助ける」事を信条とした権力に歯向かう任侠道の博徒系日本人ヤクザであった。
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 GHQは、在日朝鮮人の神戸・大阪騒乱が暴力的共産主義革命に発展する恐れがあるとして、神戸に戒厳令を発し、暴徒鎮圧の為にアメリカ軍を出動させた。
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 戦後の日本人による、在日朝鮮人への差別・憎悪はこうして険悪化した。
 つまり、朝鮮人は共に戦う戦友ではなく利敵行為の敵である、と。
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 在日朝鮮人の「第三国人」とは、差別の為の蔑称ではなく連合国(国連)が認めた世界的名誉称号であった。



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残念すぎる 朝鮮1300年史(祥伝社新書)

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