🗻14〕15〕─1─天皇の地位の正統性は、建国神話における初代神武天皇の即位であった。~No.53No.54No.55 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 天皇位における万世一系の皇統とは、初代神武天皇を祖とする直系の男系子孫の事である。
 皇室の血筋とは、最高神である女性神天照大御神を祖とする直系の男系女系双系子孫の事である。
 天皇制度は、天皇位の根拠である万世一系の皇統と皇室の血筋の二本柱を正統として支えられている。
 この正統な二本柱がなければ、正当な天皇制度とは言えない。
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 天皇とは、貧しい者・弱い者、傷付き者・病にある者に寄り添う存在である。
 それ故に、最も皇室を崇めていたのが賤民や部落民達であった。
 天皇・皇室・天皇制度を支えたのは、日本の下層民・貧困層であった。
 共産主義マルクス主義共産主義)が、天皇・皇室・天皇制度を目の敵にして滅ぼそうとしたのはこの為である。
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 社会で貧富の格差が広がる時、天皇・皇室は富裕層ではなく貧困層に寄り添う。
 皇室財産は、欧米や中華の権力者のように民衆・人民から搾取と強奪で増やすのではなく、庶民が僅かなモノを献上する事で得ていた。
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 幕末期、勤皇派や尊皇派になったのは、上級武士や豪商・豪農ではなく下級武士や貧しい庶民そして賤民や部落民達であった。
 幕府はもちろん諸大名など権力者や支配階級は、先祖から世襲として独占してきた既得権益を何としても守ろうとしていた。
 明治維新と共に武士階級が消滅したのは、明治維新が下からの社会変革や身分解消であったがゆえに当たり前の事で、別に特筆するべき事でもなかった。
 そもそも、武士・サムライは、人を殺し血と死に塗れた卑しい下層民に分類されていた。
 特に、戦国時代の武士は、卑しい下層民出身を誤魔化す為に天皇家の親族である源平藤橘の一つを家祖とするニセの系図を捏造した。
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 2018年11月号 Voice「日本は世界最古の民主国  竹田恒泰
 全知全能の神は日本にはいるか
 主権は『正しくあるべきだ』
 民主主義のベースにある主権の概念を初めて明解に定義したのは、フランスの経済学者・法学者のジャン・ボダンとされます。ボダンは著書『国家論』(1576年)のなかで『対外的主権』と『対内的主権』の二つを分け、主権を次のように定義しました。
 まず、対外的主権の定義は次のとうりです。
 『主権とは国家の絶対的で永続的な権力である』
 この対外的主権のあり方を、一般に『国家主権』と呼ぶわけです。長谷川三千子先生(埼玉大学名誉教授)は『民主主義とは何なのか』で国家主権について、このように解説しています。
 『国家は自らの国法を定め、国政を行うにあたって、他からの権力に従うことなく、独立してそれを行いうる、ということである。このような、いわゆる「国家主権と呼ばれる概念は、現在では、「国民主権」「君主主権」と言うときの「主権」とは、まるで別物の概念のように扱われている。けれども、考えてみれば、国家の内側において誰が舵取りをするのかという問題も、まずはその国家という船が沈没したり乗っ取られたりしないかぎりにおいてはじめて問題となるのであり、「国民主権」のことは放ったらかしておいて「国民主権」だけにかまける、などということは本来、事柄として通用しないことなのである』
 つまり、国民主権は国家主権が盤石であってこそ初めて成立する、というのです。たとえば、わが国固有の領土である尖閣諸島への中国船の侵入は『国家主権の侵害』であるのみならず、それを放置すれば『国民主権』をも脅(おびや)かされてしまう。日本人のなかに国家主権に対する危機感をもつ人は、はたしてどれだけいるでしょうか。
 一方で、対内的主権とはどのようなものか。ボダンは次のように定義しています。
 『市民や臣民に対して最高で、法律の拘束をうけない権力である』
 対外的な国家主権と同様、対内的な主権についても、ボダンはきわめて強い力であると考えていました。なにしろ『最高で、法律の拘束をうけない権力』ですから、これは絶対的なものといってよい。
 ただし、対内的な主権が何の制約も受けないかといえば、じつは違います。ボダンが『国家論』を著(あらわ)したのはフランス革命より約200年も前で、当時は国民主権ではなく、君主主権の時代でした。このとき最高の権力の持ち主といえば、『王(または皇帝)』を指します。しかしその王ですら、世界中のすべての支配者に対する絶対的支配者、すなわち『神』には従わなければならない、とボダンは説いていたのです。
 神から授(さず)かった王権は国民に拘束されない、というのが王権神授説の考え方です。しかし、その王権は神から与えられているからこそ『正しい』。あるいは『正しくあるべきだ』、そうボダンは考えたのです。君主が神に服しているかぎり、君主がつくる法律も神の意思を反映したものである。だから民も従う必要がある。その一方、王は神の意思に従った正しい国家運営を行なう義務がある。この両方の側面をボダンは主張した、といえます。
 日本『国民』も神の子孫
 キリスト教徒が信じる唯一絶対の神がこの世に存在するかどうかは別として、ボダンが説いた王権論はある種のフィクションです。『お前は優れた王だから、主権者としてこの国を統治せよ。それは絶対的支配者である神の意思である』というのは一つの方便で、それは事実ではありません。
 実際の歴史では、親族や諸侯との戦いに勝ち抜いた者が武力で国を支配しているだけで、いつでも王の座を奪われる可能性がある。そうした不安定な立場の人物がつくる法律に、絶対的な神の意思が働いているとは考えにくい。ただし、君主がもつ主権という概念が神の概念と対を成していたことを理解するのは重要です。
 じつは戦後日本の憲法学界においても、西洋の王権神授説の亜流ともいえる『皇権神授説』を主張する学者がいました。諭旨は『戦前の大日本帝国憲法下での天皇の地位の根拠は神意であったが、ポツダム宣言の受諾によって天皇の権威が否定され、主権が天皇から国民に移った』というもので、『八月革命説』の前提となっている説です。
 結論からいえば、この皇権神授説はあまりにも荒唐無稽で無理がある説だというます。同説は主として『天皇が神の子孫であること』『天照大御神が孫に当たる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅(しんちょく)を下したこと』という二点を根拠としています。しかし、これらはいずれも成立しません。
 まず『天皇が神の子孫であること』について、たしかに天皇が神の子孫であることは、『古事記』『日本書紀』に記されています。しかし『古事記』『日本書紀』からは『天皇』だけでなく、じつは『国民』もまた神の子孫であることが読み取れるのです。
 氏族の系譜について詳しい『古事記』の記述によれば、数百もの氏族の祖先を遡(さかのぼ)れば、神の系譜に辿り着くことが記されています。そして数多の氏族が数千年にわたり婚姻を重ね、子を産んできたわけですから、子孫の数は膨大な数になります。つまり祖先を遡っていけば、日本人の大半は神の系譜に連なる、といっても過言ではない。国民も天皇と同様、ほとんどが神の子孫なのだとすれば、戦前の天皇の地位の根拠を神の子孫に求める皇権神授説の根拠の一つは崩れることになります。
 皇権神授説のもう一つの根拠である、『天照大御神が孫に当たる瓊瓊杵尊に天壌無窮の神勅を下したこと』についてはどうでしょうか。
 まず、現代の日本人がほとんど知らないこととして『古事記』『日本書紀』の記述は、天皇の地位の根拠は天孫降臨の神話ではなく『初代天皇の即位』にある、という見解に立っています。大日本帝国憲法もこの見解を踏襲しており、帝国憲法はもちろん、教育勅語にも神話を持ち込まないという考え方は、両文の起草者である井上毅(こわし)によって徹底されています。天皇の地位の根拠を、神や神話ではなく初代即位という『歴史の事実』に求める見方は、帝国憲法下の日本における統一の公式見解だったのです。
 そもそも『天皇の主権が神勅に由来する』といわれるようになったのは戦後のことで、戦前にはそのような見解は、ごく一部の極端な論者が唱えたにすぎません。日本がポツダム宣言を受諾したあと、それこそ戦後につくられた『神話』であって、およそ学問的な態度とは言い難い。
 天照大御神が孫の瓊瓊杵尊に示した神勅の内容についても一つ、言及しておきたいことがあります。神勅の際、天照大御神瓊瓊杵尊に対して『国を知らせ』と命ぜられました。この『知らせ』という言葉は、『知らす』(天皇が広く国の事情をお知りになることで、自然と国が一つに束ねられること)の命令形で、『お知りなさい』という意味です。
 では、日本の国をお知りになることで、歴代の天皇はどのような存在になったのか。格好の例として、天皇陛下の『象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば』(平成28年8月8日)のなかに、天皇の役割について言及なさった部分があります。
 『私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました』
 このように、天皇とは何よりも『祈る存在』なのです。何を祈っているかといえば、国民1人ひとりの幸せです。さらに、この祈りとは神から命令されたわけではなく、自発的な行為です。だからこそ天皇の祈りは尊いのだ、そう私は考えています。
 天皇の祈りは本物
 さらに考えを進めれば、天皇がこの国をお知りになることがなぜ、祈ることにつながるのでしょうか。たとえば、映画を観るときのことを考えてみましょう。映画のなかの架空の人物に対してすら、私たちは相手の事情を察して『知る』ことで感情移入し、始めて物語の意味や登場人物の喜び、痛みを感じるようになります。では、これが実在の人物相手だったとしたらどうでしょうか。
 東日本大震災(2011年3月11日)が起きたあと、天皇皇后両陛下は被災地へお出ましになりました。避難所をご訪問になったときの映像を覚えている方も多いと思います。そのなかで、皇后陛下の次のお言葉がありました。
 『生きていてくれてありがとう』
 これはもう、他人ではなく身内に掛ける言葉といえるものです。親が子に対して、もしくは子が親に対して発する言葉でしょう。しかもそのお言葉が決してうわべだけのものではなく、御心からでたものであることが、映像からありありと伝わってくる。天皇と国民が一体となるような瞬間、愛に満ちた、たいへん美しい光景でした。
 また、私が東北の被災地にボランティアで訪れていたときのことです。中年のご婦人に対して『そういえば、この避難所に先週、天皇陛下がいらっしゃいましたね』と尋ねたところ、そのご婦人は『そうなんです』と答えた途端、泣き出してしまった。『思い出しただけで涙が止まらなくて』という。辺りを見回すと、周りの人までもらい泣きしている。陛下のお姿とお振る舞いに接した人が全員、涙を浮かべていたのです。
 そのご婦人は、震災で家族をすべて亡くしてしまい、『なぜ自分だけが生き残ってしまったのか』『どうやって死のうか』と思い詰めた夜もあったそうです。そんなとき、天皇陛下のお姿を見て初めて生きる望みが湧(わ)いてきた。他人事のお愛想ではなく『自分のことを本当に心配してくれる人』がこの世にいるとわかった瞬間、『もう少し頑張れる』と思えたそうです。天皇の存在が国民にとってどれほど有難いものであるか、この方は肌で知ったことでしょう。
 このようにして、歴代の天皇は日本のことをお知りになることで、国民の安寧を心から『祈る存在』であり続けました。その祈りがまさしく本物であるからこそ国民を感動させ、天皇との親近感や一体感を深めるのです。
 全知全能とは異なる日本の神々
 他方で西洋の主権の概念について見ると、君主主権にせよ国民主権にせよ、権威が成立する根拠を絶対的支配者である『神(の意思)』に求めています。フランス革命の指導者の1人であるシエイエスは、国民(民意)を神に代わる絶対者と捉え、その意思は『常に至上最高の法』としたのですが、その裏にはやはり神への意識があり、『絶対的な存在は決して過(あやま)たない』という世界観を主張する点で、じつは王権神授説と同根なのです。
 ところが古来、日本においては『唯一絶対の神がいる』という世界観そのものがない。実際、『古事記』『日本書紀』に共通するのは、宇宙が誕生したときに神が現れた、と記していることのみです。先に宇宙空間があり、そこに神々が誕生したという時間の流れになっている。
 他方、ユダヤ教およびキリスト教の正典である『旧約聖書』は『はじめに神は天と地とを創造された』と、すでに神が存在しているところから物語が始まります。しかし、いかにして神が生まれたかについては書かれていない。
 八百万の神多神教)の世界に生きる日本人と、唯一絶対の神(一神教)の世界に生きる西洋人との宇宙観、自然観はかくも違うわけです。
 付け加えていえば、人の根源が『大宇宙』『大自然』にあるとするのは、すべてが神から生まれたと考える発想に比べてより『科学的』である。といえるでしょう。
 このような自然観のもとにある日本の神々は、西洋の全知全能の神とは異なり、つねに『正しい』ということはありません。人は誰しもどこか欠点を抱えているように、日本の神もまた完全な存在ではなく。それどころか日本の神様は、時として過ちを犯すのです。
 ……
 ほかにも『古事記』に登場する神々は、諍(いさか)いや嫉妬、あるいは不倫までしてしまうような、感情的なところが多々あります。文学作品として読んでも面白い物語が展開されており、日本の神々の特徴をよく示しています。
 『外来』の王によるイギリスの統治
 結局のところ西洋の主権の概念は、これまた西洋的な全知全能という神の観念に紐付けられており、われわれ日本人の天皇観、宗教観からは違和感を覚えます。それはある意味で当然のことで、日本の場合は君(天皇)と民(国民)が対立したという歴史自体がないのだから、主権が君主にあるのか、民にあるのかを問うことは意味のないことであり、二重の意味でおかしいのです。
 仮にわが国において主権者の姿を捉えるとするならば、これまで繰り返し述べてきたとおり、君民共治という『歴史的事実』に求めるほかありません。
 ただし同じ西洋といっても、イギリスの場合、フランスのような大陸国家とはかなり事情が異なります。
 イギリスの正式名称は、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国で、『連合王国』という言葉が示すとおり、現在のイギリスはイングランドウェールズスコットランド北アイルランドの四つの国から成っていて、君主にエリザベス女王を戴(いただ)いています。
 ただし、実際の権力は議会にあり、王と議会は憲法の制約を受けています(イギリスの場合は不文憲法、前号参照)。このような混合政体を『立憲君主制』と呼びます。
 中世以来、イギリスでは国王(女王)と議会の話し合いによって国が保たれてきました。その原点は、フランスのノルマンディー公ギョーム2世によるイングランド征服(ノルマン・コンクエスト/1066年)にある、と考えられます。もともとギョーム2世はフランスの貴族でしたが、ドーバー海峡を渡って当時のイングランド王を敗死させると、ウィリアム1世(征服王)として新しい王朝(ノルマン朝)を創始しました。
 普通であれば、戦争に勝った人物が王になったら民衆は武力の前に服従するしかありません。しかしウィリアム1世は『外来の王』であり、フランス語しか話せなかった。そのためイングランドの民を服従させようとしても言葉が通じず、逆につまみだされるのではないか、という恐怖心もあったのでしょう。
 しかし、ウィリアム1世はバランス感覚に優れた人でした。その土地の伝統、慣習を尊重することによって、自分の統治を認めさせることに成功したのです。察するに、おそらく臣従した民とのあいだでウィリアム1世は次のような会話をしたのではないか、と想像します。
 『今日から朕(ちん)はイングランドを収めることになった。もとはフランスの貴族であり、私のことを知らない人もいるだろう。だが、これまであなた方が守ってきた祖法は尊重する。だから私を王として認めてほしい。その代わり税金を納めてくれれば、いままでとあまり大きな変化はないから安心してほしい・・・』
 君と民が不可侵の領域をお互いに認めれば、揉める事が起きる確率は下がります。有名な『君臨すれども統治せず』という君主の統治形式はイギリス発祥だといわれますが、それはまさに『外来の王』であったウィリアム1世の政治姿勢に端(たん)を発するのではないか。以後、君民不可侵の均衡(きんこう)を無視して崩してしまった王は、必ず反乱や処刑の憂(う)き目に遭(あ)っています。それを見た次の王は、再びウィリアム1世流の統治方法に立ち返って政治の均衡状態に戻る。イギリスではこの循環により、王と議会の関係が調和してきた歴史があります。
 ……」
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 日本民族日本人は、血と命が繋がっている家の祖先を氏神として祀っていた。
 日本の伝統的家制度とは、祖先神・氏神の人神崇拝で支えられていた。
 それ故に、古い日本の家には祖先神・氏神の人神崇拝の為の神棚が存在していた。
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 現代日本の家から神棚が消えている。
 家の仏壇とは、自分が知る限りの家族・親族の魂を供養する宗教儀礼装置であって、それ以外の知らない遠い祖先を祀る宗教儀礼装置ではない。
 日本人は祖先を大事にするが、仏壇は自分が知っている家族の供養の為であり、神棚は自分が知らない祖先=家を祀る為である。
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 自分の命と身体は、両親と祖父母から授かったものであるが、はるか気が遠くなるような祖先が1人も欠かす事なく命と身体を繋いでくれたから今がある。
 それが、祖先神・氏神の人神崇拝である。
 その象徴たる存在が、天皇・皇室であった。
 単に古いから尊いのではなく、命と身体を失う事なく受け継いできたその行為が尊いのである。
 何故なら、命と身体には何世代もの祖先の想いが詰まっているからである。
 命と身体を持つ如何なる動植物でも、それは変わる事がない。
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 祖先の想いが、煩わしく、重苦しく、嫌悪に感ずるから切り捨てたいと思っても、命と身体が有る限り不可能である。
 SF的に科学技術が進歩して、命と身体を捨てて意識だけをコンピューターに移し替えても祖先の呪縛から解放されない。
 何故なら、意思自体も祖先の想いで生まれているからである。
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 祖先の陰を消すには、自分の意思それ自体をも消し去るしかない。
 その有効な手段が、キリスト教マルクス主義共産主義)であった。
 キリスト教は、個人の宗教として、自分と絶対神との信仰契約であり、そこに祖先は一体関係しない。
 つまり、自分は隣人愛の信仰によって神の王国で永遠の命を授かって幸せになるが、信仰を持たなかった父母や祖父母さらに祖先は地獄に堕ちて永遠の苦しみを受けてもやむをえない、と言う宗教である。
 反宗教無神論マルクス主義共産主義)は、父母・祖父母を宗教的に葬る事を否定し、祖先に如何なる感情も持たず切り捨てる思想である。
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 天皇の皇道は、多種多様で柔軟に受け入れる相対的価値観である。
 キリスト教マルクス主義共産主義)は、不寛容と排他・排除の絶対的価値観である。
 つまり、天皇の皇道とキリスト教マルクス主義共産主義)は、水と油のように交わる事ができなかった。
 キリスト教は時代ともに変わったて、天皇の皇道を理解した。
 マルクス主義共産主義)だけは変わらず、天皇の皇道を滅ぼすべき人民の敵としている。
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 天皇の皇道は、日本民族日本人だけではなく、人種や民族に関係なく全ての人に向けられる。
 それ故、反ユダヤが世界常識だった時代に、世界の潮流に逆らって、ホロコーストから逃げてきたポーランドユダヤ人難民達を助けた。
 ソ連共産軍から逃げてきたロシア人学童やポーランド人学童を、戦死者を出しながら助け出した。
 人道貢献で戦死した日本軍兵士は、靖国神社に軍神として祀られた。
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 日本のこころ・良心とは、排他の中華儒教的道徳でもなく、不寛容のキリスト教的倫理でもなく、排除のマルクス主義共産主義)的大義でもない。
 ゆえに、グローバル的要素を強く持つ中華儒教キリスト教マルクス主義共産主義)は、ローカルな日本のこころ・良心を象徴する天皇を滅ぼそうとしてきた。
 中華儒教キリスト教マルクス主義共産主義)は、天皇位を広く開放し、天皇に即位できる資格を万世一系の皇族から剥奪し、天皇になりたいと野心を持つ者なら誰でも、日本人だけでなく外国人にも与え自由に即位できるようにしようとした。
 その結果として、1人の天皇だけではなく、複数の天皇が存在しても構わないと。
 日本民族日本人は、日本民族万世一系の皇族による天皇を守るべく、1人、孤独に死闘を繰り返してきた。
 日本民族日本人の歴史とは、中華世界(中国・朝鮮)はおろか世界から孤立した孤高の歴史である。
 日本民族日本人は1人・孤独、が生きる上での避けがたい宿命である。
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 日本民族日本人が中華儒教キリスト教マルクス主義共産主義)を嫌って日本から排除したのは、血と死で大地を埋め尽くす大虐殺を正当化しているからである。
 中華儒教軍事独裁の中華皇帝を、キリスト教は神の軍隊だる十字軍を、マルクス主義共産主義)は革命の闘士を。


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