☴133〕─1─陸軍特別攻撃隊員として戦死した14名の朝鮮人志願兵の御霊を、日本の神として靖国神社に祀った。昭和20年〜No.389@             

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 プロフィールに、6つのブログを立ち上げる。↗
   ・   ・  【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】 ・  
 親日派朝鮮人は1割。反日朝鮮人は3割、中間の朝鮮人は6割。
 現代韓国では、親日派知日派韓国人ゼロ、反日派韓国人7割、中間の韓国人は3割。
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 朝鮮人は、昭和天皇や皇族を暗殺しようとした信用できない民族であった。
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 朝鮮人を油断して信用すると、寝首を掻かれるか、後ろから斬られるか、後ろから狙撃される。
 モンゴル人や満州族朝鮮人を信用しなかったが、漢族は朝鮮人の裏切りを幾度もなく許していた。
 日本人は、朝鮮人とは親しくならずに接していた。
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 サルフの悲惨。
 朝鮮人は、伝統的な事大主義で、強い者・勝者に下僕の様に媚び諂い忠誠を誓い、弱者・敗者には居丈高として差別し暴力を振るい強姦し略奪し殺害した。
 昨日まで一緒に戦った味方でも、今日は何の躊躇いもなく敵となって攻めた。
 援軍に来てくれた明国軍が清国軍に敗北するや、清国軍に忠誠を誓って明国軍を捕らえて清国軍に差し出した。
 明国軍将軍は、朝鮮人の掌を返した卑劣に絶望して自殺した。
 明国は、朝鮮人ならやりかねない不義理でるとして怒る気さえ起こらず呆れ果て、人目を気にせず泣き騒ぎ手に負えない朝鮮人を見ると復讐する意欲もなくした。
 その余りにも軽薄で無恥で常識なさに、怒りより哀れさを感じた。
 自己中心的な朝鮮人は、自分一人が助かる事を最優先として、他人が生きようが死のうが気にもしなかった。
 秀吉の侵略から助けられた恩も、平然と忘却した。
 朝鮮人は、古代から大国・強国・勝利者に媚び諂う事大主義で生き残ってきた。
 それ故に、明国を裏切り清国に臣下の礼をとった。
 地政学的に、朝鮮は中華帝国の奴隷の如き属国であった。
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 シェイクスピアハムレット』「ハムレット『ホレイショー、もうダメだ。せめて、お前だけでも、生きて、伝えてくれ、事の次第を、なにも知らぬ人達にも、納得のいくように、ありのまま。……頼む、ホレイショー、このままでは、のちにどのような汚名が、残ろうともはかりがたい! ハムレットの事を思ってくれるのなら、ホレイショー、しばし平和の眠りから遠ざかり、生きながらえて、この世の苦しみにも堪え、せめてこのハムレットの物語を』」
 人は死という悲劇を迎えるにあたり、後世に嘘偽りのない自分の正しい物語を残し、自分の死が無駄ではなく誰かとつながっている事を望んだ。
 死に直面した虚偽のない人の物語を聞かされた者は、その真実の言葉を受け取り後世に伝える責任がある。
 日本の青年は、日本の為に戦い潔く戦死した。
 朝鮮の若者は、
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 日本は、建て前として口では必勝を叫んでいたが、本音として心では負ける事が分かっていた。
 負けると分かっていても、最後の意地を張り、命をかけて戦った。
 家族の為に、愛する人の為に、子孫の為に、祖国を、国體を、残す為に、後世に託す為に、よりよう条件で講和ができるように、一人ひとりが真剣に考えて逃げず隠れず、悲痛な思いで生きて帰れないと分かっていて死地に飛び込んでいった。
 生きて帰ると近いながら、激戦地へと出征していった。
 それが、日本民族日本人であった。
 自分の死が、誰かの為になると信じ、敵の大軍に向かって突撃していった。
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 鶴田浩二「自分が確実に死ぬ事が分かっていながら飛行機に乗り込んでいった仲間達と、それを見送らなければならない俺達がいた。そんな異常な状態に置かれた人間の心情は、今の日本人には分からんだろう」
 日本人の心情は、中国人や韓国人には分からない。
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 軍隊の主任務は、戦争に勝つ事である。
 戦争とは、全ての国民を守るのではなく、国を守る為に戦う事である。
 兵士は、国民の要請・嘆願ではなく、上官の命令で行動していた。
 戦時に於ける食料や医薬品は、民需ではなく軍需優先として、戦わない国民ではなく戦う兵士の為に特権的に配られた。
 高級将校は、全兵士を指揮して戦い決して前線には立たない為に生還する者が多い。
 日本軍の最終戦略は、国民ではなく昭和天皇を守る事であり、本土決戦ではなく国體護持であった。
 フィリピン、硫黄島、沖縄の激戦は、国體護持の為の本土決戦準備を行う時間稼ぎとしてアメリカ軍の足止めとして行われ、日本軍守備隊は捨て石となって全滅した。
 日本の「玉」は、国體護持であって国民ではなかった。
 皇国史観教育を受けた国民は、その歴史的事実を自覚していたがゆえに、臣民として軍隊に協力して戦っていた。
 昭和天皇は、そうした国民の皇室に対する愛情を痛感するが故に、被害が拡大する前に戦争を早期に終結させるべく密かに動いていた。
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 大東亜戦争は、勝てない事が分かっていても負けない事を信じ切って戦った、「滅びを覚悟」した総力戦であった。
 カミカゼ特攻隊として飛び立った若者達は、神国日本の不滅を信じ、霊魂の不滅を信じていた。
 銃後を守る女性や子供や老人までも、竹槍を持って侵略してくる連合軍と戦い、死を覚悟して昭和天皇と日本を守る為に一人でも億の敵を殺す事に昂奮していた。
 軍人も非戦闘員も、神代から守り受け継いできた「悠久の大義」の為に玉砕しようとしていた。
 全ての日本人は、決して、軍部に騙されてい被害者ではなく、一人ひとりが自分で考えて行動していた。
 昭和天皇や皇族が生き残れば、神国日本は永遠に生き残る、不滅であると信仰していた。
 全ての日本人が、日本は永遠に滅びないと信じていた。
 吉本隆明「私は徹底的に戦争を継続すべきだと激しい考えを抱いていた。死は、すでに勘定に入れてある。年少のまま、自分の生涯が戦火の中に消えてしまうという考えは、当時、未熟ななりに思考、判断、感情のすべてあげて内省し分析し尽くしたと信じていた」
 大西瀧治郎「戦争は負けるかも知れない。しかしながら後世において、我々の子孫が、祖先は如何に戦ったか、その歴史を記憶する限り、大和民族は断じて滅亡する事はないであろう」
 「後世に於いて、我々の子孫が、祖先は如何に戦ったか、その歴史を記憶している限り、大和民族は断じて滅亡する事は有り得ないだろう」
 特攻隊員約3,000人は、何処にでもいる平凡な青年達であったが、戦争という状況下で生きない事を覚悟して、愛するモノ・大切にしたいモノを守る為に壮絶な戦死を遂げた。
 掛け替えのない最も大事な自分の命を捨ててまで守り残したいモノの為に、若い命を散らし、「靖国神社の桜」になろうとした。
 特攻隊員の遺書には、死に際して、特攻を神に命を捧げる殉教として美化する事はせず、テロリストのようなアメリカ人への汚らしい罵詈雑言はなく、淡々と自分の運命を見詰め命を捧げるという熱い想いが純粋に綴られていた。
 「自分が死ぬ事で誰かが生き延び、誰かが生き延びる事で日本国家は何らかの形で残り、日本民族は導いて行ってくれる」と、確信していた。
 それは。死のみ前提としたものではなく、死して生きるを念頭に置いた滅びて後に甦る、という「滅びの美学」である。
 論理的でも合理的でもない、「敗れて勝つ」である。
 靖国神社には、悲劇的な悲壮感はあっても、悲惨な絶望感はない。
 山本七平「日本の軍隊はやれと言われた事は死んでもやるけど、やるなと言われた事は死んでもやらない」
 坂口安吾「私は戦争を最も呪う。だが、特攻を永遠に讃美する」
 「死にたくない本能と格闘しつつ、至情に散った尊厳を敬い愛する心を忘れてはならない」
 「我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得る事、その事を必死に愛し、守ろうではないか」
 「私はだいたい、戦法としても特攻隊というものが好きであった。人は特攻隊を残虐だというが、残虐なのは戦争自体で、戦争となった以上はあらゆる智能方策を傾けて戦う以外に仕方がない」(『特攻隊に捧ぐ』)
 宅嶋徳光「俺は俺達の運命を知っている。俺達の運命は一つの悲劇であった。しかし俺達は悲劇に対してそれほど悲観もしていないし、寂しがってもいんし。俺達の寂しさは祖国に向けられた寂しさだ。たとえどの様に見苦しくあがいても、俺達は宿命から離れる事はできない」(『くちなしの花』)
 佐伯啓思「勝ち負けは力の関係であり、時の運であり、状況の問題である。敗北はわかっても戦わなければならぬときはり、戦うべきときに戦うこと、それ自体に義がある。その義を捨てることは卑怯者のすることであり、卑怯者として生きることは義について死ぬより恥ずべきことだ。という観念が日本には伝統的にある。いや、これは日本に限ることではなかろう。ただ、その精神を『諦念と覚悟』としていわば日常的な道徳とし、そのような生き方を一種の美的な生ととらえたのが、日本独自の精神的伝統というべきであろう。この『諦念と覚悟』を宅嶋徳光は『運命』というのである。
 70年前に散っていった若者達のこのような言葉を聴くと、われわれの戦後とはいったい何だったのか、という気がしてくる」(『「滅びへ向けた自己犠牲」を失った戦後』)
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 アンドレ・マルロー「スターリン主義者達にせよナチ党員達にせよ、結局は権力を手に入れる為の行動であった。日本の特別攻撃隊達はファナチックだったろうか。断じて違う。彼らには権勢欲とか名誉欲などは欠片もなかった。祖国を憂える貴い熱情があるだけだった。代償を求めない純粋な行為、そこにこそ真の偉大さがあり、逆上と紙一重のファナチズムとは根本的に異質である」
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 戦争末期。日本男子は、赤紙一枚で嫌々召集され、戦う兵士に改造する為に軍隊に放り込まれ内務班で殴る蹴るの暴力で人間性を破壊され、戦死確実な南方の戦場へと強制的に送り出された。
 多くの輸送船が撃沈され、乗船していた兵下達は救助される事なく全員が溺死した。
 無事に南方の守備についても、補給が途絶えて約6割が惨めに餓死か病死した。
 祖国の為に喜んで戦場に行った日本人はごくわずかで、日本国籍を持って入りが故に強制的に銃を持たされて戦場に立たされた。
 徴兵される年齢ではない15歳前後の少年は、祖国を守る為に航空兵に志願し、特攻隊員として華々しく戦死して靖国神社に神として祀られた。
 17歳前後の乙女達も、看護助手として戦場に赴き、戦う日本軍兵士の手助けをして戦死するか自決した。従軍と認められた乙女達は、やはり靖国神社の神として祀られた。
 日本軍兵士達は、少年や乙女達を守る為に戦っているという自覚から、戦局が悪化する前に逃がせる少年少女達を後方の安全な地帯に移動させた。
 サムライは、非戦闘員である女子供を道連れにして死ぬ事は恥として逃がした。
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 C・サラ・ソウ(サンフランシスコ州立大学人類学教授)「当時、夥しい数の朝鮮人女性が、父親または夫によって売春宿に売られたり、あるいは一家の貧困から救う為に自ら進んで、その道を選んだりしていた。
 朝鮮の儒教的父権社会にあって、女性は使い捨て可能な人的資源として扱われたのだった」
 東アジアに於ける人的資源とは、大概、そうした人権無視のものである。
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 第二次大戦末期。アメリカ軍は、各戦場でアメリカ兵による現地女性への強姦事件を警戒して、前線兵士の為に軍隊管理の慰安婦所を開設した。
 アメリカのキリスト教団体や婦人団体は、異常なほどの潔癖症として、戦場でアメリカ兵が売春婦と寝る事に猛反対していた。
 アメリカ人青年は、敵を幾ら殺してもいいが、女と不浄行為はしてはならないと。、
 諸外国の軍隊は、例外なく、兵士の性欲を解消するために売春婦による慰安所を管理していた。
 国際司法機関は、日本軍の従軍慰安所朝鮮人女性を強制連行して性奴隷とした非人道的施設と告発したが、諸外国軍の地元人女性による慰安所は合法的施設と認めた。
 エリア・カザンアメリカ陸軍がタクロバン郊外に売春宿を開設していると聞き、私達は連れ立って様子を見に行った。そこはMPが管理していた。女性を買おうとする兵士達は、食べ物を買うのと同じ様に行列していた。その長い列は6軒の小さな小屋へと続いていた。料金は10ペソ、約5ドルだった。私の見る所、軍は利益を上げている様だった。……『ガールズオンパレード』で熱くなった兵士達はあたふたと小屋から出て行った。中にいた時間は、平均45分だったろう。彼等は、小屋から出ると近くの軍の性病予防センターに直行した」 
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 朝鮮半島人口の約2割が日本語を話せたが、残りの8割の朝鮮人は日本語を話せなかった。
 日本語を話せる朝鮮人は、京城や釜山などの都市に集中し、地方では朝鮮語しか話せない人が多く住んでいた。
 日本人警官で、地方に赴任する者は朝鮮語を覚える必要があった。
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 戦死した、陸軍特別攻撃隊員1,036人中14人の朝鮮人青年が含まれていた。
 金尚弼(24歳)「私は、日本人になって、日本の為に死のうとしているのではありません。日本を勝利に導いて、その暁に我々の武勲を認めさせ独立にもって行く事なのです。民族の魂は、売り渡しません。僕の考えは、きっとご先祖様も許して下さると思うのです」
 1944年4月3日 沖縄西方洋上のアメリカ艦隊を攻撃して戦死した。
 戦死した朝鮮人兵士は、日本の神として靖国神社に祀られた。 
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 特攻隊であった知覧基地の近くにも、売春宿があった。
 二十歳前後の少年航空兵の幾人かは、特攻に飛び立つ前に初めて女性の体を知り、女性の温もりから母親を思い出し、そして「カミカゼ」として飛び立っていった。
 現代に於いて、慰安婦を抱く事が非人道的犯罪行為とされた。
 特攻で戦死した少年航空兵達が祀られた靖国神社は、日本国内はおろ世界から戦争神社として廃絶を求められている。
 少年航空兵らの慰霊は拒絶され、若くして戦死した御霊は癒される事がない。
 それが、無宗教にして、霊魂を排除した、単あるモニュメントとしての国立無名兵士碑である。
 少年航空兵は、何の為に若い命を散らせたのか。 
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 鳥浜トメ「何かやらなければならない仕事があるから残されたということだよ」
 佐藤守航空自衛隊元空将)「(90歳で亡くなった知覧特攻平和記念館初代館長・板津忠正氏を偲んで)迷いなく志願した事などを穏やかに微笑んで語られた。思想信条で特攻を語る事は全くありませんでした。特攻の受け止め方は様々でも、無駄死にではなく、彼らの覚悟を後世に残されなければとお考えでした」
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 日本陸軍の主力部隊は、およそ400万人で、その大半が中国戦線から東南アジア全域に分散して配備され、日本国内には約46万人しか残っていなかった。
 本土防衛の為に130万人を動員したが、北は北海道から千島列島、小笠原諸島、南西諸島に配備するとやはり兵員不足となった。
 更に動員をかける為に、徴兵条件を緩めて、陸軍約315万人、海軍約150万人、その条件に当てはまらない若年層や高齢者や少女らを含めた女性を国民義勇戦闘隊として280万人を確保した。
 軍部は、一億玉砕のもとで本土決戦計画を立てた。
 この中には、朝鮮で編成された朝鮮人兵士は入ってはいなかった。
 天皇の臣民である日本国民は、国體を守るべく最後の一人になっても戦う決意で敵の上陸を待ち構えていた。
 日本民族日本人は、女子供さえも日本軍に協力して戦闘意欲が有り、戦えなければ足手纏いになって迷惑をかけない為に集団自決の道を選んだ。
 時代は、戦場も後方もない、兵士も民間人も区別せず皆殺しにする総力戦の時代であった。
 連合軍は、非戦闘地域である後方の都市や村を無差別に攻撃して多くの民間人を殺していた。
 武器弾薬が無い為に、無謀にも、竹槍や包丁で戦車や航空機や軍艦に突貫攻撃しようと固く決意していた。
 戦う意志の強い日本人は、戦う意志の弱い朝鮮人とは違うのである。
 戦う意志の強い日本人が心に思い抱いていたのは、天皇と日本を守る為に死んで行った靖国神社の英霊達であった。
 死んだ者達の思いを受け次ぐ為に、無謀と分かっていても死を恐れず戦おうとしていた。  
 先人の遺志を受け継ごうとする日本人にとって靖国神社とは、絶望的状況下での心の支えであった。
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 OSS(戦略諜報局)は、朝鮮半島内の反日レジスタンス運動を支援し破壊活動を実施する為に潜入工作員を潜入させた。
 反日派は、破壊活動を行う前に日本が降伏した為に功績を挙げる事ができなかった。
 朝鮮半島に君臨したアメリカ軍政政府は、本格的実戦経験のない戦歴なき哀れな光復軍を武装解除した。
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 三菱重工業などの日本企業は、日本の底力を信じ勝利の為に、朝鮮人や台湾人達を強制徴用ではなく戦時作業員として雇い、銃後での暴動を恐れて正規の賃金を払っていた。
 当時、朝鮮人も台湾人も日本国籍を持っていた。
 親日的台湾人は、日本国民の一員として、日本人と一緒に戦った事を誇りとした。
 反日朝鮮人は、自分らよりも劣った日本人に扱き使われた事を、子々孫々、末代までの恥として嫌悪した。
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 朝鮮の詩人・尹東柱(ユンドジュ)は、独立運動に関わったとして治安維持法違反で逮捕され、福岡の刑務所で獄死した。
 「序詞
 死ぬ日まで空を仰ぎ
 一点の恥辱なきことを、
 葉あいにそよぐ風にも
 わたしは心痛んだ。
 星をうたう心で
 生きとし生けるものをいとおしまねば」
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 1945年 連合国の潜水艦や攻撃機による海上封鎖が強化されるや、日本周辺海域も安全ではなくなった。
 日本と朝鮮との日本海航路も寸断され、日本に向かう朝鮮人労働者は激減し、食糧の移送も不可能となった。
 日本国内には、連合国に情報を流している利敵行為者が暗躍していた。
 連日連夜。日本の各都市は、連合国による無差別絨毯爆撃で焦土と化し、多くの非戦闘員が焼き殺された。
 戦後の日本の一部に、非戦闘員を狙った無差罰爆撃は、総力戦時代に於いて合法的戦略爆撃と認めている者が存在する。
 「勝者こそ正義。勝利の為には全てが合法」
 連合軍は、日本各地の港や航路に10万個の機雷を投下して海上交通路を封鎖した。
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 1月 最高戦争会議は、沖縄戦を前に,全軍特攻化の方針を決定した。
 全軍人は、戦争の全責任を引き受け、大元帥天皇に忠義を尽し、国体を護持するために、命懸けで特攻する事になった。
 1月20日 大本営は、本土決戦の準備を始める為に「帝国陸海軍作戦計画大綱」を示達した。
 アメリカ軍は、日本本土侵攻作戦「ダウンフォール作戦」を計画していた。
 実行時期を、南九州を目標とした「オリンピック計画」は同年11月1日に、九十九里浜相模湾への同時上陸の「コロネット作戦」は翌45年3月1日に決定した。 
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 2月 昭和天皇は、戦争の早期終結を望んでいたので、全ての首相経験者に今後の帝国の取るべきの方策を聴取したが、近衛のみが明確に早期終戦を主張した。
 重臣の意見は、昭和天皇同様に「一撃和平論」であった。
 2月上旬 台湾人ら女性37名は、宮古島の料理屋で働く募集に応募し、小型の木造機帆船に乗船して台湾の基隆を出港し宮古島に向かった。
 朝鮮人は含まれておらず、強制連行でもなく、従軍慰安婦でもなかった。
 船の乗客は、合計45名。雇い主の男4名。日本人見習い軍医1名。台湾人軍属医師1名。宮地伍長と篠崎曹長
 午前5時頃 船は与那国港に入港し乗客は上陸しようとした所を、アメリカ海軍グラマン戦闘機に機銃掃射された。
 死者は、8名。機銃掃射と海に落ちて溺死で7名の女性が死亡。篠崎曹長が海に落ちた台湾人女性を助けようとして溺れた。
 戦時の事である以上、篠崎曹長靖国神社に祀られた。
 負傷した5名は、日本人見習い軍医と台湾人軍属医師が手当てをして助けた。
 戦後。生き残った台湾女性等は、無事に台湾に戻った。
 現代に於いて、反日的日本人と反日朝鮮人によって事実は改竄され、悪意を持って歪曲され、死亡したのは従軍慰安婦として強制連行された朝鮮人女性50名で、日本軍は朝鮮人女性を見捨てたと公表して非難した。


 
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吉田松陰の実学―世界を見据えた大和魂 (PHP新書)

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