☴133〕─2─日本国籍朝鮮人の協力を得る為に、朝鮮人華族7名を貴族院議員に任命し、洪思翊中将を南方派遣軍兵站総監とした。日本人特攻隊の覚悟。昭和20年3月〜No.390@              

李朝の武人と桜花―日韓史の中の洪思翊中将

李朝の武人と桜花―日韓史の中の洪思翊中将

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 プロフィールに、6つのブログを立ち上げる。↗
   ・   ・  【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】 ・  
 親日派朝鮮人は1割。反日朝鮮人は3割。中間の朝鮮人が6割。
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 軍国日本は、追い詰められていた為に日本国籍朝鮮人(人口約3,000万人)の協力を切望した。
 もし。この時、独立派朝鮮人反日朝鮮人朝鮮人テロリストが、日本本土と朝鮮半島で一斉蜂起して内戦を起こしていれば、軍国日本は内部から確実に滅亡し、朝鮮は念願の独立を手に入れていた。
 だが、反天皇反日朝鮮人は何故か動かなかった。
 朝鮮は、敵か、味方か、それとも別の何かか。、
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 朝鮮人労働者は出稼ぎ労働者で、日本人労働者とは違って技能を磨いて熟練工になろうい意欲はなく、少しでも給料が高い職場や飯場(はんば)を求めて渡り歩いていた。
 朝鮮人労働者の大半が非熟練工であったが、面子を大事にする彼らは、熟練工の日本人労働者より重労働をしてい給料が安い事に不満を抱き、差別と逆恨みした。
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 3月 軍国日本は、長引く戦争で数百万人の頑強な青年を海外に派兵して、国内には徴兵すべき青年はあまり残っていなかった。
 残っている日本男子は、軍務に耐えられない病弱な兵役不適格者か、兵役適齢期以下の少年かそれ以上の中年や初老であった。
 中年は、兵役経験者であるので、本土決戦要員として臨時召集して各地に配置したが、支給する武器はなかった。
 少年は、戦闘は不可能なので、各地にある工場や鉱山で勤労奉仕させた。
 兵士不足を補う為に、やむを得ず、日本人女性に竹槍を持たせて戦闘訓練をさせていた。
 ごく僅かな日本人は、反戦平和の信念から、戦場に立って人を殺すのを嫌って逃亡した。
 全ての日本人が、玉砕覚悟で国體護持と祖国防衛の為に戦おうとしたわけではなかった。
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 朝鮮人は、日本人同様に日本国籍を持ち、日本人同様の権利を持ち、外国では日本人として特権を許さ保護されていた。
 日本政府は、戦争の勝利の為と叛乱を防ぐ為に、朝鮮人の兵役や税金を免除したりと、機嫌を取る様に懐柔策を行っていた。
 すでに。日本国内の朝鮮人には、日本人同様に選挙権が与えられ、朝鮮姓での立候補も可能であった。
 選挙法を改正し、朝鮮に新たに18選挙区を設け、朝鮮人でも創氏改名に関係なく立候補を認め、半島の日本人と朝鮮人に選挙権を与える事とした。だが、敗戦と共に実現できなかった。
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 朝鮮人華族から、7名を貴族院議員に任命して国政に参加させた。
 当時。本国の国政に、本国人とは関係ない植民地人や属国人を参加させた国家は存在しない。
 民主主義国家アメリカですら、アフリカ系アメリカ人(黒人)に参政権を与えたのは1965年であり、政治家となる事を認められたのは何時か解らない。
 日本は、昔から独自の神道価値観で行動する、世界の常識に逆らう非常識国家であった。
 世界の宗教史で、祖先を神として祀り信仰する日本神道は、普遍宗教価値観では理解されない異常な宗教であった。
 儒教の宗教性なき祖先崇拝とは、根本的に異なる。
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 陸軍は、朝鮮人を大量に徴集するにあたって、朝鮮人を兵士として優遇する事を証明する為に、朝鮮人・洪思翊中将を南方派遣軍兵站総監としてフィリピンに派遣した。
 洪思翊中将は、軍需物資を管理し、配下の日本軍将兵に命令を出した。
 日本人兵士は、「軍人勅諭」を叩き込まれていた為に、上官である洪思翊総監の命令を大元帥昭和天皇の命令として盲従し、たとえ朝鮮名でも気にせず上官の命令とあれば戦死覚悟で敵に向かって突進した。
 軍部は、上級将校である朝鮮人創氏改名せず朝鮮氏名で通す事を黙認した。
 洪思翊中将は、貧しく身分低い農家出身で、後ろ盾になってくれる朝鮮人有力者はいなかった。才能と努力で、陸軍大学を優秀な成績で卒業し、昭和天皇に忠誠を誓って将官に任官した。
 そうした朝鮮人名のままの朝鮮人高級将校達は、各地の日本軍に配属され、昭和天皇と軍国日本を守る為べく日本軍兵士に命令を下していた。
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 權逸。日本名は権藤嘉觔。1938年 - 明治大学法学部卒業・満州国大同学院卒業・ 満州国審判官(裁判官)。
 日本は、古来、資産家は天皇と国家の為に働く優秀な子供を身分や家柄に関係なく生活支援する風習があった。
 中国や朝鮮は、儒教に従って、一族の繁栄の為に血縁者のみを金銭支援していた。
 日本は、神道に従って、日本人はおろか、朝鮮人や中国人や東南アジア人でも、国境を超えて社会に有益な子供に金を出して勉学をさせた。
 祖先神信仰の日本人は、自分の子供はもちろん赤の他人の子供も分け隔てなく、世間の為に役に立つ一人前の大人に成長させる事を無上の喜びとした。
 そうした脳天気な人間愛の気風から、中国が安定した幸福な国になる様に孫文ら中国革命派を支援した。
 中国人への好意は、中国特有の病的人間不信からことごとく裏切られた。
 現代に於いても、発展途上にあった中国に6兆円近い無償借款を行ったにもかかわらず、感謝された事は一度もない。
 韓国に対しても、同様である。
 両国は、何れも儒教価値観で動いている。
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 戦後。洪思翊中将は、捕虜虐待の罪で処刑された。
 日本は、国體と祖国の為に戦って死亡した洪思翊など朝鮮人将兵への感謝の気持ちから、日本の神として靖国神社に祀った。
 信仰心ある日本人は、祖先神信仰から、自分達が生きてここにいられるのは彼等の御陰であるとして感謝の祈りを捧げた。
 韓国は、洪思翊らを、日本の軍国主義に味方した裏切り者として売国奴の烙印を押した。
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 現代日本反戦平和市民団体や左翼・左派のマルクス主義者やキリスト教団体と一部の仏教組織も、靖国神社軍国主義の象徴として廃絶すべきであると訴えている。
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 沖縄守備隊である第32軍は、初期作戦案として、住民に犠牲を出さない為に首里城を難攻不落の要塞とし玉砕する方針を考えていた。
 本土決戦準備の為に一日でも一時間でも多く抵抗して時間を稼ぐ事が求められ、南部撤退による徹底抗戦案が決定された。
 突然の作戦変更で南部における陣地構築は中途となり、抗戦陣地と非戦闘員避難所を分けることができず、非戦闘員が戦闘に巻き込まれて甚大な被害を出した。
 大田実中将は、海軍陸戦隊主力を首里の根拠地司令部周囲に配置して防衛線とした。
 海軍司令部壕周辺に避難していた住民に対して北に逃げるように指示し、部下に安全な所に移すように命じた。
 「海軍の全てのトラックを動員して住民を北部へ避難させよ」
 海軍司令部壕総延長約450メートルは、住民の手を借りず、朝鮮人労働者を使わず、海軍兵士が掘った。
 陸軍第32軍司令部は、部隊移動に一台でも多くのトラックを必要としたが、海軍の「住民保護」目的のトラック使用を黙認した。
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 3月6日 日本政府は、本土決戦に備え国民義勇隊編成を目的として国民勤労動員令を勅令として公布した。
 これまで公布された労務関係の5勅令(国民徴用令、労務調整令、学校卒業者使用制限令、国民勤労報国協力令、女子挺身勤労令)を一本化したものである。
 政府と軍部は、昭和天皇の命令であるとして国民に死ねと命じた。
 昭和天皇の名前が政府や軍によって勝手に使われた事が、「天皇の戦争責任」とされた。
 3月9日・10日 東京大空襲。B29の大編隊は、軍需工場のない一般民家の密集地である下町を計画的に焼き払った。
 焼き殺された約10万人の大半が女子供であった。
 連合軍は、女子供に関係なく全ての日本人を敵として見境もなく、計画的に生きたまま焼き殺していた。
 3月11日 ウルシー環礁メレヨン島玉砕。
 日本軍守備隊6,426人中4,493人が餓死病死者し、戦死者はほんの極少数であった。
 3月17日 硫黄島玉砕。
 日本軍2万2,786人中戦死者2万100人。捕虜、1,023人。
 栗林忠道陸軍中将
 訣別の電文
 「戦局最後ノ関頭ニ直面セリ 敵来攻以来 麾下将兵ノ敢闘ハ真ニ鬼神ヲ哭シムルモノアリ 特ニ想像ヲ越エタル量的優勢ヲ以テスル陸海空ヨリノ攻撃ニ対シ 宛然徒手空拳ヲ以テ 克ク健闘ヲ続ケタルハ 小職自ラ聊(いささ)カ悦ビトスル所ナリ
 然レドモ 飽クナキ敵ノ猛攻ニ相次デ斃レ 為ニ御期待ニ反シ 此ノ要地ヲ敵手ニ委ヌル外ナキニ至リシハ 小職ノ誠ニ恐懼ニ堪ヘザル所ニシテ幾重ニモ御詫申上グ 今ヤ弾丸尽キ水涸レ 全員反撃シ 最後ノ敢闘ヲ行ハントスルニ方(あた)リ 熟々(つらつら)皇恩ヲ思ヒ 粉骨砕身モ亦悔イズ 特ニ本島ヲ奪還セザル限リ 皇土永遠ニ安カラザルニ思ヒ至リ 縦ヒ魂魄トナルモ 誓ツテ皇軍ノ捲土重来ノ魁タランコトヲ期ス 茲(ここ)ニ最後ノ関頭ニ立チ 重ネテ衷情ヲ披瀝スルト共ニ 只管(ひたすら)皇国ノ必勝ト安泰トヲ祈念シツツ 永ヘニ御別レ申シ上グ
 尚父島母島等ニ就テハ 同地麾下将兵 如何ナル敵ノ攻撃ヲモ 断固破摧シ得ルヲ確信スルモ 何卒宜シク申上グ
 終リニ左記 駄作御笑覧ニ供ス 何卒玉斧ヲ乞フ
 『国の為 重き努を 果し得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき』
 『仇討たで 野辺には朽ちじ 吾は又 七度生れて 矛を執らむぞ』
 『醜草(しこぐさ)の 島に蔓る 其の時の 皇国の行手 一途に思ふ』」
 栗林忠通「何時の日か皆の頑張りを讃えて涙して冥福を祈ってくれる時が来るだろう」
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 平成6年 天皇皇后両陛下は硫黄島で戦没英霊の慰霊を行う為に行幸啓された。
 今上天皇の御製「精魂を込め戦いし人未だ 地下に眠りて島悲しき」
 美智子皇后の御製「慰霊地はいま安らかに水をたたふ 如何ばかり君ら水を欲りけむ」
 日本人で、国の為に戦死した将兵や戦争や天災で死亡した者の宗教的に慰霊できるのは、神の裔であり祭祀王である天皇陛下のみである。
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 3月21日 日本陸軍ビルマ方面軍は総撤退して、マンダレーは陥落した。
 3月23日 レイテ島玉砕。8万4,000人中戦死者は7万7,000人。
 レイテ島の玉砕は、軍首脳の無能な作戦による悲劇であった。
 悲惨というしかない、惨憺たる戦いで、一方的な殺戮であった。
 それでも、日本人兵士は戦い続けた。
 「こんな馬鹿な作戦があるか」
 3月26日 アメリカ軍は、慶良間列島に上陸した。
 住民は、日本軍の負担になる事を恐れて集団自決した。
 軍による強制ではなく、空気による威圧で集団自決が起きていた。
 石垣島陸軍航空基地所属「誠第17飛行隊」の隊長伊舎堂用久中佐(石垣島出身)は、10機の飛行機を率いて、慶良間諸島沖のアメリカ海軍航空艦隊に対して特攻を敢行して戦死した。
 「敵が来れば、私はいの一番に特攻する。死ぬ事は何とも思わないが、我々が散った後の祖国日本がどうなるのか、それだけが心残りだ」
 辞世の句「指折りて待ちに待ちたる機ぞ来る千尋の海に散るぞ楽しき」
 石垣島の父親に宛てて遺書を残した。
 石垣島の島民は、アメリカ軍が攻めてきた時は、日本軍守備隊の邪魔にならない為に山へ逃げ込む避難計画を話し合っていた。
 避難先が、ハマダラカが生息するマラリア有病地である山間地であっても、戦時の非常時を考えればそれ以外に選択肢がなかった。
 戦時下に生きる人間にとって、マラリアで死のうが、銃弾で死のうが、同じ死であるにかわりがなかった。
 問題は、どちらの死が祖国防衛の為に役立つかであった。
 空襲が始まり、島民が自主避難する前に、軍から避難命令が通達された。
 それが、軍による避難強制とされた。
 島民は、日本人としての自覚から祖国防衛の為にどんな協力ができるか、臣民として日本軍守備隊の邪魔にならないようにするには如何するべきかを考えて行動していた。
 全ての日本人は、今は苦しくとも最後には必ず勝てると信じ切っていた。
 その諦めない気持ちが、絶望かにあった日本人を支えていた。
 3月29日 軍令部総長及川古志郎大将は,参内して南西諸島方面における戦局と積極的航空特攻を奏上した。 
 大元帥昭和天皇は、「天一号作戦は、帝国安危の決する事であり、挙軍奮闘もって目標達成に遺憾なきように」との希望を述べた。
 及川大将は、「航空機による特攻攻撃を出来る限り激しくやります」と答えた。
 昭和天皇は、一撃和平論から、「海軍にはもう艦がないのか?海上部隊はもうないのか?」とご下問された。
及川総長は,恐縮して辞し、昭和天皇の意向を連合艦隊司令長官豊田副武大将に伝え、残存艦艇による特攻作戦を再考す様に命じた。
 豊田長官は、同日に「畏れ多き言葉を拝し、恐縮に堪えず。臣副武以下全将兵殊死奮戦、誓って聖慮を安じ奉り、あくまで天一号作戦を完遂を期すべし」という緊急電文を天一号作戦部隊に発した。
 軍令部次長小沢治三郎中将や大前敏一参謀も、軍人は赤心を以て大元帥昭和天皇に忠誠を尽くすのみとして、準備不足なまま急遽立案された戦艦「大和」の海上特攻には反対しなかった。
 「軍艦を温存して国民に申し訳が立つと思うか」
 戦艦大和を旗艦とする第二艦隊の運命は、「一撃平和論」を追い求める昭和天皇の一声で決まった。
 この間。陸海軍の航空機部隊がカミカゼ特攻を決行し、多くの若者が戦死していた。 
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 3月末 連合軍の海上封鎖によって、日本と朝鮮をつないでいた下関=釜山連絡船は閉ざされ、ヒト・モノの往来は途絶した。
 国民徴用令(44年9月)で、朝鮮から日本に動員(日本国籍朝鮮人)として移動できたのは約6ヶ月間だけであった。
 だが、戦局悪化によって連絡船などの一般民間船も空襲されていた為に、危険を承知で日本への渡航希望者は激減した。
 朝鮮人の偽らざる思いとしては、日本国籍を持ち外国で日本人と同等の権利を行使できととしても、日本の戦争は日本人の戦争であって朝鮮人には関係ない戦争である以上、日本の戦争に巻き込まれる事は避けるべきであると。
 飢えと病に苦しみながら特攻、集団自決を繰り返して玉砕・全滅を覚悟で死力を尽くしている日本人は、他人事のように傍らでのほほんとしている朝鮮人への苛立たしさを募らせていた。
 困っている時に助けに来てくれて共に戦ってくれるのが真の友というのなら、朝鮮人は日本人にとって真の友ではなかった。
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 4月 大本営陸軍部は、本土決戦計画「決号作戦準備要綱」を完成させた。
 決戦準備の為に、民間人を総動員する計画を立てた。
 4月1日 李垠殿下は、軍事参議官となる。
 アメリカ軍、沖縄に上陸。
 日本海軍は、沖縄への全軍特攻を計画し、多くの青年を死地へ送り出そうとしていた。
 日本人は、老いも若きも全ての者が逃げる事なく、全滅覚悟で昭和天皇と祖国を守る為に勇敢に戦っていた。
 4月5日 第二艦隊(大和、矢矧、駆逐艦8隻)は、沖縄特攻作戦命令を受け、徳山沖において片道分の燃料4,000トンを搭載した。
 4月6日 連合艦隊司令長官豊田副武大将は、全軍特攻の天号作戦を発動した。
 訓令「皇国の興廃は正に此の一挙にあり。ここに特に海上特攻隊を編成、壮烈無比の突入作戦を命じたるは、帝国海軍力を此の一戦に結集し光輝ある帝国海上部隊の伝統を発揚すると共に、その栄光を後昆(こうこん。後世の事)に伝えんとするに外ならず」
 第二艦隊は、瀬戸内を出撃し、豊後水道を通り鹿児島沖を西行し、次で南下し沖縄沖に向かった。
 第二艦隊司令長官伊藤整一中将は、各艦に覚悟の訓示を信号で伝えた。
 「神機、将ニ動カントス。皇国ノ隆替懸リテ此ノ一挙ニ存ス。各員奮戦敢闘、全敵ヲ必滅シ、以テ海上特攻隊ノ本領ヲ発揮セヨ」 
 大和の乗員は、出航後の初めて艦内放送で,沖縄本島への海上特攻である事を知らされ、そして生きて帰れない事を覚悟した。
 死を覚悟した彼等は、当然の事ながら生き残りたいとは思ったが、現代日本人とは違って、特攻で死んで行く多くの戦友を見捨て一人だけ生きる為に敵前逃亡する気はなかった。
 昔の日本人は、命を守る為なら家族であろうと仲間であろうと見捨てて逃げる反戦平和教育を受けた現代日本人とは違い、命を捨てても天皇と国家と家族と仲間を守る為に敵を殺す軍国主義教育を受けていた。
 現代日本では。平然と。自分に都合の良い理由を列べて、親殺しや、子殺しや、兄弟殺しをして、涙を浮かべ悔悟の弁を列べるが内心では反省しない日本人が増え始めている。
 元大和乗組員の著書「戦艦大和の最期」にある言葉。
「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚める事が最上の道だ。日本は進歩という事を軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。敗れて目覚める。それ以外に、どうして日本は救われるか。今、目覚めずしていつ救われるか。俺達は、その先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか。」
 <現代日本にも通用する言葉であるが、昔の日本人以上に現状に対する鈍感な現代日本人には耳の痛い言葉である。>
 4月7日 戦艦「大和」の有賀幸作艦長と第二艦隊の伊藤整一司令長官は、護衛機なく艦艇特攻として沖縄に向かっう途中で敵大編隊の猛攻撃を受け最後の最後まで諦めず戦い、沈没が明らかとなるや総員退艦を命じ、艦と運命を共にして戦死した。
 戦艦「大和」における戦死者2,740人、生存者269人または276人。
 護衛していた軽巡洋艦「矢矧」沈没、戦死者446人。駆逐艦「磯風」自沈、戦死者20人。同「浜風」轟沈、戦死者100人。同「冬月」大破、戦死者12人。同「涼月」大破、戦死者57人。同「霞」自沈、戦死者17人。同「朝霜」轟沈、戦死者326人。同「雪風」、戦死者3人。第二艦隊将兵計3,721名が戦死した。
 サムライ精神を持つ日本軍人は、単なる鉄の塊である船と言っても我が身の分身という信仰的思い入れから見捨てる事なく、激戦を戦って満身創痍となって沈没する艦に命を捧げた。
 日本の軍国主義者は、帰る家が有り、待っている家族がいようとも、天皇と国家と民族の為に命を粗末にせず最後の最後まで諦める事なく戦い、戦い抜いて戦えなくなった時に潔く命を捧げた。
 それが、靖国神社の心である。
 中国、韓国・北朝鮮のどのアジア諸国アメリカなどの世界各国は、靖国神社を否定する。
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 神風特攻隊は、アメリカ海軍艦艇に特攻攻撃を仕掛けるがその大半が撃墜された。
 大和魂を持つ日本人は、絶体絶命の絶望の中でも希望を捨てず、最後の勝利を信じて自己犠牲的に戦っていた。
 サムライ日本人は、「諦める」と言う事を知らず、子々孫々の平和と幸福を夢見て自分の命を捨てた。
 大和心ある日本人は、立ち止まる事を知らず、後ろを振り向かず、うつむかず、小さい事にくよくよせず、前を向き、一歩でも前に進む事に全力を出し切った。
 現代の日本人にはない、生き生きとした躍動感に満ちた、活力ある雄々しさである。
 日本軍人の心の支えは、靖国神社に咲く「桜」であった。
 染井吉野は、日本の桜であり、決して朝鮮半島の桜ではない。
 日本人と朝鮮人は、共通性が乏しい、全く異質な人間である。
 日本文明・日本文化は、日本人が生み出した独自のモノであり、朝鮮とは無関係である。
 だが、朝鮮文化の大半は中華文明・中国文化の模倣である。
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 若い特攻隊員達は、戦死して靖国神社で会う事を約束して、沖縄へと飛び立った。
 彼らの慰めは、靖国神社の桜となって花を咲かす事であった。
 韓国・北朝鮮や中国そしてアメリカの一部は、靖国神社を全面否定する。
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 4月7日 鈴木貫太郎内閣成立。
 朝鮮系日本人の東郷茂徳は、外務大臣に就任し、A級戦犯として裁かれて有罪となり、死後は靖国神社に祀られた。
 東郷夫人は、ユダヤ人。
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 韓国や中国は、日本政府に対して、A級戦犯が祀られている靖国神社への公式参拝に猛反対している。
 日本の反戦平和団体は、アジア諸国の反対を理由にして靖国神社の廃止を訴えている。
 彼等は、歴史の裏表、全ての事実をくまなく調べ上げて、研究して理解し、知らないことは何もない。
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 4月15日 石垣島捕虜虐殺事件。石垣島守備の海軍対空砲部隊は、爆撃の為に上空を通過しようとしたアメリカ海軍爆撃機を撃墜した。
 警備隊員は、パラシュートで海中に降下した3名のアメリカ人兵士の身柄を拘束した。
 沖縄攻防戦の最中で、狭い石垣島には捕虜を収容する施設はなく、乏しい食糧も医薬品を島民や守備隊に分け合って戦っている現状において、海軍警備隊司令の井上乙彦大佐は即座に捕虜3名の処刑を命じた。
 戦後。1950年4月 井上乙彦ら7名は、捕虜虐殺の戦犯としてリンチ的縛り首で処刑された。
 日米の和解と平和の為に、石垣島に処刑されたアメリカ軍人の慰霊碑を建立した。
 之が、「バターン死の行進」と「九州帝大捕虜解剖事件」と並ぶ三大戦犯事件である。 
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 4月20日 千島列島、日本本土、朝鮮半島を防衛目標とする、国土決戦教令を制定した。
 4月21日 伊江島守備隊は、激戦の末に玉砕した。
 住民の半数に当たる1,500人が、日本軍と共に戦って死亡した。
 4月23日 ビルマ方面軍司令部は、敵軍がトングー防衛戦を突破した為に、慌てて南のモールメンに移動した。
 ラングーン防衛の敢威兵団(約3,400人)とアギャブ方面の策兵団(3万4,000人)は、敵軍包囲網の中に取り残された。
 日本軍約3万8,00人は、敵軍の重包囲を抜けてタイ方面に撤退する作戦を実行した。 残留部隊は、食料も医薬品も逼迫していて、敵軍突破の退却は困難が予想されていた。
 激しい戦闘で傷付いた日本軍将兵は、マラリアデング熱に冒されている者も多く、立って歩くのもやっとの者もいて、道なき道の、毒蛇や人食い虎などの猛獣が生息するジャングルを越えていかねばならなかった。
 困難な撤退で、敵軍の猛攻で玉砕する者、栄養失調や感染で体力をなくして落伍してそのまま死亡する者、毒蛇に噛まれて死亡する者、虎などの襲えあれて食い殺される者、絶望して自殺する者、多くの日本人兵士や軍属がビルマで死んだ。
 その数は、20万人以上といわれている。
 第28軍参謀土屋英一中佐「死臭の道」。
 生きて生還した者のうち幾人かが、捕虜虐待や現地民虐殺容疑で戦犯とされて処刑された。
 全ての日本兵士と軍属の霊魂は、靖国神社の祭神として祀られた。
 4月25日 連合国は、国際連合創設を決定する為の会議をサンフランシスコで開催した。
 大韓民国臨時政府は、正統政府として連合国の一員であると主張し本会議に参加させるように要請した。
 グルー国務長官代理は、「大韓民国臨時政府が韓国国民を代表しているとは認められない」として、李承晩臨時政府大統領の出席を断った。
 アメリカは、大韓民国臨時政府を正統政府とは認めなかった。
 ヤルタ会議に於いて。ルーズベルトスターリンは、朝鮮半島を独立させる前に信託統治する事で合意していた。
 4月30日 独裁者ヒトラーは、ムッソリーニの様な悲惨な最期を避ける為に自殺した。
 指導者を失ったナチス・ドイツは、崩壊した。
 ソ連軍は、ベルリンを占領した。ソ連兵は、生き残ったドイツ人女性を強姦し、瓦礫の中から貴金属を略奪し、抵抗する者は容赦なく射殺した。
 共産主義者が占領した地域は、一時期、無法地帯の様に強姦や略奪が行われた。
 ソ連軍首脳部は、強姦した兵士の間に性病が蔓延し戦力低下をきたしている事に頭を悩した。
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 2014年5月20日 msn産経ニュース【歴史戦】「米慰安婦像撤去訴訟に反日中国系団体が“参戦” 「日本は繰り返し謝罪」強調[「慰安婦」問題]
 米カリフォルニア州グレンデール市が設置した慰安婦像をめぐり、在米日本人らが市に撤去を求めた訴訟で、在米中国系反日団体が「日本政府は慰安婦制度を認め謝罪してきた」との意見陳述書をロサンゼルスの連邦地裁に提出したことがわかった。19日、都内で記者会見した原告の一人、目良(めら)浩一氏が明らかにした。
 団体は世界的に反日運動を展開する世界抗日戦争史実維護連合会(抗日連合会)。慰安婦像は在米韓国系団体が中心になって設置し、抗日連合会は水面下で支援しているとされてきたが表舞台に出てきた格好だ。
 意見陳述書は、訴訟とは無関係の第三者でも裁判所に提出できる。抗日連合会が今月15日に提出した意見陳述書は、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話などを引用して、日本が「慰安婦計画」を繰り返し認め、謝罪してきたことを詳述。河野談話の部分では、「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」との箇所を下線で強調している。
 目良氏は「グレンデール市が米連邦政府の独占的領域である外交権を侵したことが訴因であり、意見陳述書は訴訟の本質から外れている」と述べ、反論文書を裁判所に提出する方針を示した。
 訴訟では原告側代理人の弁護士事務所が撤退したが、目良氏は裁判続行を強調。撤退の理由について「シリコンバレーの(IT)会社による脅しが決定的な力であったようだ。このことを裏付けるのが意見陳述書だった」と語り、抗日連合会が企業に影響を及ぼした可能性を示唆した。
 訴訟は現在、被告である市側と文書のやりとりが続いており、初公判の日程などは未定となっている。
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 【用語解説】世界抗日戦争史実維護連合会(抗日連合会)
 米カリフォルニア州サンフランシスコ郊外のベイエリアを拠点に、世界的に反日運動を展開する団体。アジアを中心に世界に約50の組織が傘下団体として活動する。英語名は「Global Alliance For Preserving The History Of WWII In Asia」で「抗日」の文字はない。
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 日本にとって、協力的な親日的台湾と非協力的な反日的朝鮮は異なる。
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 2017年4月 Voice「戦争とテロを分かつもの
 『国家』の復権と統治能力の再生を  上島嘉郎
 大東亜戦争末期の昭和20年4月6日、日本海軍最後の水上部隊として戦艦大和以下の第一遊撃部隊は『一億総特攻のさきがけ』を命じられ、沖縄に向けて出撃した。迎え撃つのは米第五艦隊司令長官スプルーアンス大将だった。彼は1907(明治40)年、米海軍の少尉候補生として遠洋航海に出て横須賀に寄港し、日露戦争における日本海海戦勝利の指揮官東郷平八郎に出会っていた。
 『挨拶の言葉をかわしたわけでもなく、ただ眼前を通るトーゴーの姿を見ただけだったが、あの感動は忘れられない。以来、トーゴーは私のあこがれであり、私の師でもあった』(児島襄『戦艦大和』)
 『大和』の出撃を知ったスプルーアンスはこう考える。『戦いには計算も重要だが、もうひとつ、名誉という要素も加わる』そして『「ヤマト」は世界一の大艦でもある。私は、私の尊敬するトーゴーが育てた日本海軍の誇りを、トーゴー・スタイルで葬ることがトーゴーの霊魂にたいする手向けであり、日本海軍の名誉ある最期にもあると思う』。だから『大和』は飛行機では沈めたくない、と。スプルーアンスは麾下の戦艦、重巡を主力とする水上部隊に『大和』との砲撃戦を命じた。
 結果的には『大和』が偽航路を取ったことと米偵察機の位置情報の誤認が重なって、スプルーアンスは大和が佐世保に向かうかもしれないと判断 、それでは水上部隊は追い付けないことから、第58機動部隊に航空攻撃の許可を与え、『大和』は4月7日、坊の崎沖で艦載機の集中攻撃を受けて沈められた。
 この挿話は些事(さじ)にすぎないかもしれない。空虚な綺麗事という批判もできる。人間のもつ多様な面、愚かさ、崇高さが交錯して描き出されるのが戦場というもので、けっして一様に括(くく)れないが、人間の生と死に関わる尊厳の有無は重要である。戦争とテロを分かつものは、国家の行為としての戦争が辛うじて政治の手段に踏みとどまりうるのはの感覚ゆえである。
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 どんな民族、どんな国でも自らの存在理由を信じている。戦争とは、それを確認し誇張する欲求として究極的に生じる。日本がそれにどう向き合うかはクラウゼヴィッツ箴言(しんげん)を拳々服膺(けんけんふくよう)することだ。そして、かつてドゴールが語ったように『同盟国とは、助けに来ることがありえても、けっして運命を共にしない国である』ことを忘れず、自らの統治能力を再生、強化することだ」





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洪思翊中将の処刑〈上〉 (ちくま文庫)

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