☲38〕─2─カミカゼ特攻・特攻隊員の死を自己啓発に悪用する事は「死者への冒瀆」である。~No.146No.147No.148 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 親日派朝鮮人は1割。反日朝鮮人は3割、中間の朝鮮人は6割。
 現代韓国では、親日派知日派韓国人ゼロ、反日派韓国人7割、中間の韓国人は3割。
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 日本民族日本人は、朝鮮人や中国人(漢族)と違い、逃げる事なく勇猛果敢に戦い、死地に飛び込み、死を受け入れそして死んだ。
 日本民族日本人は、生きる為に死から逃げなかった。一か八かで戦争を引き受けた。
 日本民族日本人は、朝鮮人や中国人以上に勇気があった。
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 日本民族日本人は、軍律・軍機を遵守する、諸外国の軍隊が絶賛する優秀な兵士になった。
 朝鮮人は、陰湿陰険なテロリスト・暗殺者・スパイになった。
 漢族中国人は、法律や規則を一切守らない兵匪・官匪になった。
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 右傾化を阻止する為に受け手(消費者)の共感を主目的としたアマチュア史観を排除する。
 日本を正常に保つには、陰険にして諸悪の根源である悪しき右翼・右派・ネットウヨクの暴走を抑圧しなければならない。
 が、右翼・右派・ネットウヨクは社会の必要悪として、細々と、社会の片隅で、肩をすぼめて、弱々そうに、物音に脅えながら、ビクビクしながら生きていればそれでいい。
 何故なら、過去の残虐な戦争犯罪を起こした張本人が彼らであるからである。
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 信念によるカミカゼ特攻と偏狂・狂信による自爆テロとは、違う。
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 所詮。現代日本人には当時の日本人の事が理解できない、というより理解する能力さえもない。
 時代を分析して読み解く歴史力もない。
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 カミカゼ特攻の戦果はそれ程なかった。
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 20代前後の特攻隊員は、沖縄攻略で集結している連合国艦艇に対して突入していった。
 若い特攻隊員は沖縄戦勝利の為の「人柱」にされた。
 それは、本土の捨て石として見捨てられた沖縄県民に対する、本土が支払った代償である。
 戦艦「大和」と護衛艦艇による艦隊特攻も、戦渦に巻き込まれて死んでいく沖縄県民に対する本土が手向けた供え物・「生贄」であった。
 本土は、沖縄を見捨てたわけではない。
 日本人・大和人・本土人が、沖縄県民・琉球人・琉球民を差別し、軽視し、蔑視し見捨てたわけではない。
 沖縄を救う為に我が子が特攻隊として戦死した親は、切り捨てたはずの沖縄を呪わなかった。
 つまり、当時の日本人は現代の日本人とは違っていたのである。
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 吉田裕「防衛研究所にいらした服部省吾さんはずっと特攻のことを研究しています。服部さんによれば、特攻機は急降下するので、揚力で浮いてしまい、操縦が不安定になって攻撃目標の軍艦を飛ぶ越えて海に落ちるケースがかなりある、と。この分析は大変印象的でした」
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 第二次世界大戦後。世界は、アメリカを中心とした自由・民主主義陣営(西側陣営)とソ連中国共産党などの共産主義陣営(東側陣営)との長い冷戦状態に突入した。
 地球上で、両陣営による代理戦争は繰り返され、その無意味な戦火で大量の犠牲者が出た。
 人類史的実験であった共産主義は失敗して、正常な感覚を持ったソ連や東欧諸国は共産主義体制を捨て、東西冷戦は終結した。
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 アジア・太平洋戦争は、天皇制度民族国家日本とソ連中国共産党共産主義陣営との意味のある戦争であった。
 日中戦争の初動は、軍国日本とファシスト陣営との戦争で、軍国日本はファシスト陣営を撃破して勝利した。
 天皇制度民族国家日本は、共産主義陣営に敗北し、日本人はロシア人や中国人の共産主義者に虐殺された。
 アメリカなどの連合国は、軍国日本の猛攻で絶滅寸前にまで追い込まれたアジアの共産主義陣営を救うべく、ソ連中国共産党に援軍を送って助けた。
 共産主義陣営に手を貸したのが、ユダヤ系国際資本と各国の軍需産業であった。
 表向き中立を装いながら、その実反天皇反日的に傍観していたのがキリスト教会であった。
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 2018年9月号 中央公論「特集──日本軍兵士の真実
 絶望のなかにこそ一筋の希望がある
 なぜ、戦争を書くのか、書かないのか 
 対談 五木寛之×鴻上尚史
 ……
 鴻上 人間のたくましさですよね。
 五木 佐々木さんの場合でも、どんなに参謀に文句を言っても、現場の整備兵たちが必ず毎回爆弾を落とせるように、つまり体当たりしなくていいように飛行機を改造してくれていたわけで。
 五木 それもすごく不思議なんですよね。
 鴻上 すごいでしょう。それも一回目の特攻隊『万朶(ばんだ)隊』の岩本益臣隊長が、落とせるようにと指示を出して、整備兵の上官がOKしてくれたんだけど、不時着で飛行機をダメにしている。二機目のときは、その岩本隊長が亡くなっていて命令はなかったはずなのに、ちゃんと爆弾を落とせるように整備してくれたんです。
 五木 底辺の者の同志的結合みたいなものがあるんだろうね。
 鴻上 やはり現場では、特攻は意味のない命令だと思っていたんじゃないでしょうか。
 五木 基本的に、特攻を考え出した人間は愚かだ、と言ってしまうのは簡単ですが、ただおろかなのではない。特攻には二つの効果があって、一つは国民に対する軍部のいわば『パブリシティ(広報活動)』、それから、物量で攻めてくるアメリカ軍に対して、日本人というのは命を惜しまず自爆するような怖い相手なんだぞ、つまり本土決戦になったら大変なことになる、という対米『デモンストレーション』があったのでしょう。
 実際、特攻にはそれほど効果がなかったようですね。特攻で空母に機体ごと突っ込むより、爆弾を落としたほうが速度が出て、甲板を貫通してなかで爆発する可能性が高いという説が『不死身の特攻兵』のなかにも書いてあったけれど、命令した連中は、そこまで期待していないんです。アメリカに対する威圧行為と国民に対するパブリシティですね。
 ……
 五木 佐々木さんはプロ意識が強い人だよね。ちゃんとした技術を持っているから。
 飛行機少年だった僕が、特攻機で爆弾積んだ飛行機に乗っていったら、航空母艦に急降下して突っ込んでいく途中で怖くなって操縦桿を引いて逃げてしまうのではないか、それが不安で毎晩うなされていたものです。
 ……
 日本が負けるとは思っていなかった大人たち
 ……
 五木 なかったですね。かなりのインテリのなかには戦況を分析してこれはもうそろそろ危ないと思っていたかもしれないけれど、僕ら9割の日本人は負けるなんて夢にも思っていなかったと思いますね。一般市民は。」
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 生物の大原則は、弱肉強食である。
 自然に生きる事はとは、弱肉強食の理を自由の代償として受け入れる事でる。
 人類は、冷酷な弱肉強食の原則から命と身を守る為に、助け合う集団と信じ合える宗教を生み出し、集団で生活する社会を築いた。
 自然に生きるとは、弱肉強食に生きるという事である。
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 猫の戯れ。
 猫(強者)は、捕らえたネズミ(弱者)を食う前に、遊びながら痛め付け弱らせ動けなくなった所で食べる。
 窮鼠猫を噛む。
 ネズミ(弱者)は、猫(強者)に追い詰められった時、生きる意欲があれば死を覚悟して乾坤一擲の反撃にでて、猫を怯ませその隙で逃げるか、猫に恐怖心を与えて撃退し、生き残った。
 弱者が負けを認めた時、抵抗を止めた時、弱者には生きる資格がなくなる。
 猫とは、中華(中国)・ソ連(ロシア)・アメリカであった。
 ネズミは、日本であった。
 日本にとっての凶悪で凶暴な狂った猫は、血に飢えたソ連中国共産党などの共産主義勢力とキリスト教朝鮮人テロリストであった。
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 弱者の論理とは、負けを認めて抵抗せず下僕・奴隷として屈辱に耐えて生きる事ではなく、負けると分かっていても命・尊厳・名誉・体面を守る為に生き残る事である。
 その意味では、現代日本には真の弱者の論理は存在しない。
 リベラル派・革新派・エセ保守派そして一部の保守派には、弱者の論理は皆無である。
 強いて言えば、戦前の日本は弱者の論理を国家戦略としていた。
 日本には、歴史上一度も、強者の論理などは存在しなかった。
 アジアで強者の論理を持ち得たのは、中華帝国のみであった。
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 アメリカ軍は、日本・朝鮮・中国・朝鮮にスパイを送り込み協力者・支援者から、日本政府と日本軍の機密に近い情報を仕入れていた。
 キリスト教会は、全ての地域に存在し、あらゆる情報をローマのバチカンに報告していた。
 日本政府高官、日本軍人高級将校、政治家・官僚・学者・企業家にキリスト教徒が多数存在し、敬虔なく信者は教会のミサに参加し、中には内に秘めた罪を告白する為に神父に告解する者もいた。
 つまり、日本国内のカトリック教会と国際赤十字は自由に行動し、他国の組織と情報のやり取りを行っていた。
 日本の国内情報の多くが、こうした組織によって外国に知れ渡っていた。
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 日本民族日本人が絶対死のカミカゼ特攻をして守ろうとしたのは、神の裔・天皇を中心とした国體、ローカルな天皇制度国家日本である。
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 日本の戦争は、前半の日清戦争日露戦争ロシア帝国から母国を守る自衛戦争であり、後半のシベリア出兵・満州事変・日中戦争・太平洋戦争は共産主義勢力から天皇制度(国體)と民族国家を守る自衛戦争であった。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教徒は、日本人を奴隷として売り買いして金儲けをしていた。
 人口が少なかった朝鮮は、古代の統一新羅から中世の李氏朝鮮前期まで、人口の多い日本を侵略して抵抗する日本人虐殺し、女性やこどもの日本人を強制連行し奴隷とし死ぬまで使役していた。
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 日本国内はおろか世界は、全ての原因は日本にあったとして、日本を厳しく批判している。
 グローバルな世界常識・国際規範の受け入れを拒絶し、ローカル民族意識を盾に為て抵抗した日本が「悪かった」のだと。
 つまり、日本が取るべき正しい選択とは、アフリカ人のように絶対神の定めを受け入れ白人キリスト教徒の奴隷となりキリスト教に改宗すべきであった。
 そして、反宗教無神論共産主義を受け入れ、天皇制度を廃絶して全ての宗教を否定・破壊し、民族国家を廃止して人民共和国を樹立すべき、であったと。
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 カミカゼ特攻とは、命と魂の尊厳を否定した「きちがい」的自爆テロではなく、生き残る女性や子供など弱者に未来・将来を託す一筋の希望であった。
 それが、靖国神社の心である。
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 靖国神社を否定する事は、生き残る弱者(女性や子供)に命を犠牲にして託された、未来・将来への望みを認めず、命と魂の尊厳を否定し、望みを託す為に死を選ばざるをえなかった死者の念い・人の心を無価値としてゴミ屑のように捨て去る「人にあらざる」行為である。
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 靖国神社を否定する反天皇反日的勢力とは、中国共産党政府・韓国・北朝鮮などの近隣諸国であり、特定の日本人である。
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 カミカゼ特攻の想いとは、祖先から2000年以上受け継いできたローカルな民族を、子孫に2000年前まで受け継いで欲しい、それだけであり、それ以上でも、それ以下でもない。
 それを「悪」として否定したのが、キリスト教会と共産主義マルクス主義)であった。
 軍国日本は、キリスト教のグローバルも、共産主義マルクス主義)のグローバルも拒否し、ローカルな民族を守る為に武力で抵抗した。
 東京裁判史観の歴史教育は、拒絶と抵抗を繰り返した民族主義・民族物語、民族宗教・民族神話は、世界正義・世界平和に対する「悪の遺産」あるいは「負の遺産」と教えている。
 つまり、日本民族日本人は奴隷である事を受け入れろか、それが嫌なら日本民族日本人を消滅させろ、と。
 外国人移民1,000万人計画は、キリスト教においても共産主義マルクス主義)においても民族性を消滅させる最適な計画である。
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 日本の歴史には奴隷制度は存在しない。
 社会の最下層で生きていた非人・えたなどの賤民、海の民・山の民・川の民などの部落民あるいは小作人や下男・下女は、西洋や中華(中国・朝鮮)などの奴隷とは違っていた。
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 ソ連中国共産党共産主義陣営は、日本を共産主義化する「敗戦革命」を仕掛けるべく、日本人共産主義者を支援し、在日朝鮮人を煽り、GHQを利用した。
 が、失敗した。
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 キリスト教会は、日本をキリスト教化する為に「戦後布教」をマッカーサーの全面協力を得て積極的に行った。
 が、失敗した。
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 五木寛之「(8月15日の玉音放送の中で)その後、『国體は護持されます』ってラジオが連呼していたのは覚えています。国體を護持するための終戦だったんですね」
 絶望的戦闘、無益な特攻を続けたのは、続けられたのは、「国體護持」、つまり将棋の「玉」=「天皇」を守る事であった。
 西洋のチェスの駒は死ぬが、日本の将棋の駒は死なない。
 中華の囲碁は、白黒とハッキリ区別され、白は黒にならないし、黒は白にはならない。
 日本の将棋の駒は、白黒の区別がなく、敵の駒にもなるが、味方の駒にもなり、役目を保持しながら生き続ける。
 つまり、囲碁もチェスも生死の二項であるのに対し将棋は死がない生だの一項けである。
 その生の一項を正当化させているのが玉=天皇である。
 玉=天皇の正統な威信が、本来持っているはずの駒の敵味方とい区別・色分けを無力化し消滅させている。
 それが、昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵、という日本好みの人と人の関係性である。
 永遠に続く、永遠に変わらない、信頼し心許せる味方・友人などいなければ、憎悪し毛嫌いする敵・仇もいないのである。
 だが、それは日本だけに通用するが、中華(中国・朝鮮)では全くと言っていいほど通用しない。
 そこに、幾ら説明し話し合っても理解しあえない理由がある。
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 2018年9月号 中央公論「日本軍兵士の真実
 『歴史のメディア化』に抗して
 特攻ブームはなぜ生まれたのか?  佐藤卓己
 8月ジャーナリズム──『歴史のメディア化』の原点
 まず、8月10日発売の本誌特集に寄稿することの言い訳である。私は『増補 8月15日の神話──終戦記念日のメディア学』で『8月ジャーナリズム』の克服を主張してきた。8月6日(ヒロシマ原爆忌)から8月15日(終戦記念日)の間に戦争報道を集中する『8月ジャーナリズム』は、記憶の継承よりもその忘却へ補助線を引くイベントになっているのではないか、と。
 あるいは、こういってもよい。事実関係と客観性を重視する『歴史の論理』からすれば、終戦記念日ポツダム宣言を受諾した8月14日、あるいは降伏文書に調印した9月2日とすべきである。だが、現行の8月15日は感動や教訓の最大化を目指す一般(読者)向けの『メディアの論理』で選ばれた記念日である。英霊供養のお盆と玉音放送の記憶を重ねた記念日は、グローバル時代にふさわしいものなのか。
 国際的視野で戦争責任を論じるためには、終戦より開戦の12月8日(真珠湾攻撃)なり9月18日(柳条湖事件)が適当だし、敗戦責任にスポットを当てるとしても『終戦日』はグローバル・スタンダードである欧米の9月2日(VJディ)にあわせるべきだ。戦争とは相手のある外交事項であり、その記憶で無視できないのは『他者の存在』だからである。つまり8月15日を終戦記念日とする『8月ジャーナリズム』こそ、歴史的事実よりも国民的共感を重視する『歴史のメディア化』の象徴なのだ。
 こうしてドメスティックな(国内向けの)『8月ジャーナリズム』へ違和感を抱きつつ、この原稿を書く理由は『歴史のメディア化』に抗したいからである。執筆依頼のメールを読みながら、今年3月に桜の舞い散る南九州市(旧知覧町)の『特攻の聖地』で考えたことが脳裏をよぎった。
 ……
 21世紀の特攻本──『不死身の特攻兵』
 私は知覧見学から戻って、鴻上尚史『不死身の特攻兵──軍神はなぜ上官に反抗したか』(講談社現代新書)を読み始めた。
 ……
 鴻上の叙述は新聞誤報のメディア史という文脈からも興味深かった。最初の神風特攻は海軍の敷島隊だが、1944年10月29日付『朝日新聞』第一面は『神鷲の忠烈、萬世に燦たり』と大見出しで報じている。こうした特攻作戦を『崇高の極致』と心情倫理で讃美した新聞が、戦火が乏しいという理由から前言を撤回できるものではない。佐々木が参加した陸軍の第一回特攻の『大戦果』も同年11月14日付『朝日新聞』第一面に掲載されている。佐々木が突入した戦艦は『ものすごい火焔をあげて、のたうちまわっていた』と、見てきたような作文を掲載されている。鴻上はこう書いている。
 〈軍の検閲があるから、こういう記事を書いたというより、こういう記事を書いた方が国民が喜んだ、つまり、売れたから書いたと考えた方がいいだろう。売るのなら、売れる方向に記者は熱を入れる。筆を競う。それが、さらに次の特攻を用意した。〉
 まさしく『メディアの論理』の全面展開である。実際には生還した佐々木はこれ以後、『英霊』として特攻死を実現させるべく繰り返し出撃命令を受けた。軍にとっては『[天皇の]上聞に達した戦果』を修正できないという体面の問題だが、新聞も一度報じた『美談』を誤報として謝罪することはなかった。佐々木の場合、何の訂正記事もなく『三度目の出撃奏功。佐々木伍長戦艦に体当たり』(『朝日新聞』1944年12月9日)と報じられており、佐々木の実家では二度目の葬儀が催された。何と世論高揚の関係にも計量的分析で迫っている。特攻作戦開始から終戦までの約10ヵ月、『朝日新聞』が第一面で取り上げた特攻記事は128回、つまり2、3日おきに第一面に特攻記事が登場していた。このうち、鴻上が『センセーショナルに打ち出した』と認定する記事は、1944年に31回、45年に55回を数える。
 〈玉砕と転進が続く記事の中で、特攻隊に関する文章は、どんな「戦果」よりも勇壮で、情動的で、感動的でした。(中略)国民は感動し、震え、泣き、深く頭(こうべ)を垂れました。そして、結果として、戦争継続への意志を強くしたのです。〉
 このような国民世論への効果があったとすれば、戦果として期待できなくなっても特攻作戦を中止することは難しかったはずだ。総力戦においては、前線での武力戦よりもそれを支える銃後の心理戦が重視されたからである。問題なのは、心理的効果、すなわち感動を優先した特攻の解釈が戦時中ばかりか、戦後も継続されたことだろう。
 特攻の政治的な語り──『殉国と反逆』
 戦後における『特攻』のメディア史は福間良明が『殉国と反逆──「特攻」の語りの戦後史』(青弓社、2007年)で丹念に跡付けている。
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 特攻の『活入れ効果』──『「知覧」の誕生』
 ……
 この文脈において『「知覧」の誕生』所収の論文で私は最も衝撃を受けたのは、井上義和『記憶の継承から遺志の継承へ──知覧巡礼の活入れ効果に着目して』である。今日、知覧巡礼が社員研修や自己啓発の目的で行われており、それが生き方を見つめ直し、前向きな意識状態へ導く『活入』に利用されているというのだ。戦争という文脈を超越した崇高な生き方の模索、ここに特攻本ブームの秘密があるのではないか。
 井上は永松茂久『人生に迷ったら知覧に行け──流されずに生きる勇気と覚悟』(きずな出版、14年)の紹介から始められている。
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 しかし、井上が注目しているのは、2000年代以降になって『人生に迷ったら知覧に行け』という活入れ言説が、戦争を知らない世代から浮上した事実である。それを日本社会の右傾化(イデオロギー仮説)から説明するのは容易だが、説得力には乏しい。なぜなら活入れ言説の提唱者は必ずしも好戦的な復古主義者でないし、特攻作戦をふくむ戦争指導には批判的な視線を向けている場合も少なくないからである。知覧巡礼者が鴻上の『特攻批判本』の読者であっても何ら矛盾しないわけである。
 井上は活入れの論理的構造を、『かつて──いま』の時間と『彼ら──私たち』の関係から『断絶・対照関係に照準するタイプ1』(戦争と平和の落差から見いだされる感謝)と、『連続・継承関係に照準するタイプ2』(命のタスキをつなぐ使命感)に切り分け、知覧巡礼において、特にタイプ2が重要であると説明している。戦中派(生き残り者)をネガティヴに抑圧してきた『死者に対する負い目』は、1960年前後生まれを境として『死者に対する感謝と未来への利他・継承というポジティヴな使命感』に置き換えられたと指摘している。『1960年前後生まれ』といえば、まさしく私の世代である。
 〈特攻も戦争もダメだからといって、特攻隊員もダメ、とはならない。活入れの人びとは、特攻隊員の〉
 2000年代に顕在化した『歴史認識の脱文脈化』の前提として、1990年代に自己啓発メディアで進行した『内面の技術対象化』も指摘されている。自己の存在意識を受け入れるために、自らを問い直し、自己を再構成する心理的技術は、特攻隊員の遺書に隠さともに自ら受け入れる『遺志の継承』に役立てられた。こうした自己目的の意味操作においては、事実より目的を優先する歴史認識の脱文脈化が生じることは避けがたい。もちろん、こうした特攻記憶の自己利用には『死者への冒?』という批判も可能だ。たとえば、福間が『殉国と反逆』で引用している安田武の言葉である。『〝他人の死から深く感銘をうける〟というのは、生者の此岸な頽廃である』。
 それは共感の最大化をねらう『メディアの論理』への拒否反応でもある。井上はこうした反応を見越した上で、『遺志の継承』の有効性を指摘している。
 〈「遺志の継承」の枠組みでいえば、そもそも遺書とは本音を吐露する日記とは違い、宛先を持った、命と引き換えのメッセージの伝達媒体(メディア)である以上、感謝とともにその遺志を継がんとする者が後世に現れることは、まさに『死者とともにある』ことにかなうのである。〉
 転機の90年代──『歴史修正主義サブカルチャー
 『内面の技術対象化』が注目された1990年代の文化研究としては、倉橋耕平『歴史修正主義サブカルチャー ──90年代保守言説のメディア文化』(青弓社、2018年)が役立つ。倉橋が分析するのは90年代後半から始まった『歴史修正主義──ネット右翼』のイデオロギー的系譜だが、井上が引用した前出『人生に迷ったら知覧に行け』を、倉橋は自己啓発・能力開発が『日本アイデンティティ復権』に結びついた典型例に挙げている。特に第二章『「歴史」を「ディベート」する──教育学と自己啓発メディア』が、『歴史認識の脱文脈化』においては重要だろう。
 教育学者・藤岡信勝は90年代の保守論壇で大きな影響力を持った『新しい歴史教科書をつくる会』の発起人の一人であり、『歴史ディベート』の提唱者である。『自虐史観』として批判する東京裁判史観に対して、藤岡は自由主義史観、あるいは『司馬史観』を唱えていた。いうまでもなく、司馬遼太郎は優れた歴史作家であるが歴史研究者ではない。
 司馬の戦争小説といえば日清・日露戦争を扱った『坂の上の雲』が有名だろう。確かに過去を舞台にしているが、登場人物は私たちが容易に感情移入できる『現代人』である。つまり、こうした歴史小説の主人公には、読者が生きている時代特有の感情や思考パターンが投射されている。こうした読書で出会う歴史的人物は、実は私たち自身が想い描く自分たちの鏡像なのだ。その意味では『内面の技術対象化』に最適なテクストである。
 一方では伝統的な歴史研究者の営みは、過去に存在した他者を極限まで客観的に理解しようと試みるものであり、必ずしも居心地のよい作業ではない。歴史家は現存する史料で検証可能な限りでしか『事実』と認定しないが、作家は読者との感動を共有すべく『事実』を乗り越えて自由に『真実』をめざすことができる。
 藤岡を中心とした『新しい歴史教科書をつくる会』の歴史観も、歴史を『国民形成の物語』と考え構築主義的に理解していた。藤岡自身が『専門家の時代は去った』と述べたとき、歴史はアマチュアが受け手(消費者)本位で語る物語となっていった。
 そもそも歴史ディベートという二項対立ゲームでは、主流派の正論も異端の俗論も同じ土俵で対等に扱われる。真理の確定ではなく説得の優劣を競うゲームの審判を下すのが消費者であれば、共感を最大化する『メディアの論理』に対して事実にこだわる『歴史の論理』を持ち出しても勝ち目はない。自己啓発本における『ディベート関連書籍』の発行は90年代後半にピークを迎えた。こうした『内面の技術対象化』をさらに娯楽化したのが、90年代に大流行した『日独架空戦記』である(石田あゆう『架空戦記──〝日本の敵はどいつだ!〟』、拙編著『ヒトラーの呪縛──日本ナチカル研究序説』下、中公文庫、2015年を参照)。
 アマチュア史観を超えて──『日本軍兵士』
 こうして脱文脈化した歴史認識を『アマチュア史観』と総称してもよい。それに対して歴史研究者ができることは、事実をひたすら提示することだけかもしれない。その意味では、吉田裕『日本軍兵士──アジア・太平洋戦争の現実』(中公文庫、2017年)が広く読まれていることは歓迎すべきだろう。特攻本には描かれなかった兵士のリアルが、栄養状態、虫歯治療、体格・体力、知能検査、精神疾患、被服・装備などから詳細に検討されている。また、特攻の破壊力が通常攻撃よりも落ちる理由について、吉田は次のような合理的記述をしている。
 〈体当たり攻撃では、急降下する特攻機自体に揚力が生じ、いわば機自体がエアブレーキの役割を果たしてしまうため、機体に装着した爆弾の破壊力や貫通力は、爆弾を投下する通常の攻撃法より、かなり小さなものとなる。〉
 体当たり攻撃で撃沈した大型艦が少ないのはこのためだ。その非合理に抵抗した航空兵が佐々木伍長ということになる。悲劇というべきは、当時の特攻隊員にもそれが十分に自覚されていたことだ。こうした悲劇を『内面の技術対象化』によって感動に利用すべきではないのである」
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 中国と朝鮮は、古代から日本の仮想敵国で、過去の一時期・ほんの一時信頼し合う友好国であったが後は国交断絶の敵国であった。
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 しょせん、中国人や朝鮮人・韓国人、共産主義者マルクス主義者)、一部のキリスト教徒、その他には、100年や1000年かけて幾ら説明しても理解できない。
 何故なら、彼らは反日派敵日派であり、理解しようという気がない以前に理解する能力がないからである。
 それが理解できるのは、日本民族日本人と親日派知日派の外国人だけである。
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 日本国家と日本国民のグローバル化である外国人移民1,000万人計画により、ローカルな日本民族性は希薄となり民族所縁の靖国神社は何れは消滅する。
 つまり、女性や子供の弱者に託された死者(日本民族日本人)の望みは、日本国籍取得者日本人=日本国民日本人の急増で日本国土・風土から消え去る。
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 日本からナショナリズムなり民族性(日本民族日本人)を消滅させる最も有効な手段は、住民の総入れ替えである移民の受け入れである。
 人類がグローバル化で成功させた事例が、南北アメリカ大陸である。
 西洋人やアフリカ人を移民させる事によって、ローカルな中南米インディオ(インカ文明のアンデス人、マヤ文明のアステカ人)と北米のインディアンを駆逐した。
 インディオやインディアンの祖先は、日本民族日本人の祖先と同じ北方系極寒モンゴロイドである。
 日本民族日本人の別の流れの祖先である南方系海原モンゴロイドの子孫である、ハワイ人(カナカ族)もグローバルの流れで消えた。
 日本のグローバル化とは、ローカルな日本民族日本人をマイノリティー化する事である。
 その時、侵略者によってインカ皇帝が惨殺されアステカ国王が追放されハワイ女王は王位を剥奪されたように、日本天皇も消え去る。
 天皇を「日本国と日本国民の統合の象徴」としているのは、グローバルな日本国籍取得者日本人ではなくローカルな日本民族日本人である。
 日本で広がろうとしているグローバル化の根拠となる主要な姿は、普遍宗教のキリスト教か民族否定・反宗教無神論の人民共和制のマルクス主義共産主義)である。


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