☴19〕─3─ソウル市の新市庁舎(通称「ツナミ」)と東日本大震災の津波。~No.90No.91No.92 @ 

D38 地球の歩き方 ソウル 2018~2019 (地球の歩き方 D 38)

D38 地球の歩き方 ソウル 2018~2019 (地球の歩き方 D 38)

  • 発売日: 2018/08/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2011(平成23)年3月11日 東日本大震災東北地方太平洋沖地震福島第一原子力発電所事故。
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 韓国人特有の悪ふざけが、日本人の心を踏みにじり、死者を冒瀆し、霊魂・魂を汚す。
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 朝鮮人は、幼児か幼稚園児のような小悪魔的な純真無垢さ持って無邪気に行動している。
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 韓国旅行「コネスト」
 広く市民に開かれたソウル市役所
 「ソウル市庁(シチョン)」は、ソウル市の行政の中枢を担うソウル市役所・本庁舎です。現在のソウル市庁舎は2012年に新しく完成した全面ガラス張りのデザインで、完成当時は話題となりました。新市庁舎の隣に残る旧市庁舎は、1926年に京城府庁舎として建てられ、1946年以降ソウル市庁舎として長年使われてきましたが、現在はソウル図書館として運営されています。新市庁舎は地下5階から13階まであり、一部は市民たちにも開放。地下1・2階には「市民聴(シミンチョン)」と呼ばれる複合ギャラリー、8階にはハヌル広場ギャラリー、9階にはカフェもあります。「ソウル市庁」は地下鉄1・2号線市庁駅すぐとアクセスも良いので、ソウル観光の際に記念写真を撮っておきたい一箇所です。
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 2014年2月28日号 NEWSポストセブン週刊ポスト「ソウル市庁舎(愛称ツナミ)設計者「そう見えるのが醍醐味」
 「無神経」「不謹慎」「悪趣味」。いくら言葉を尽くしてもこの光景には怒りを禁じ得ない。日本では3.11から3年が経とうとしているが、韓国の首都・ソウルに、いま異様な建物がそびえ立っているのをご存じだろうか。
 地元住民が「ツナミ」の愛称で呼ぶこの建物は、ソウル広場のそばに2012年に完成した新市庁舎。特殊ガラスで覆われた“津波”のアーチが襲う先にあるのは、1926年、日本の統治下時代に建てられた旧市庁舎(現・ソウル図書館)だ。
 「まるで植民地時代の痕跡を津波が飲み込もうとする瞬間を捉えたかのよう」といわれるこのデザイン。現地の建築専門家の中からは「戦後最悪の建築物」との評価も聞かれるが、設計者のユ・ゴル氏は「津波のように見えるところこそ醍醐味。(津波に見えるという)批判は、新庁舎がダイナミックであり力強くソウル広場にはみ出していくように見える証拠。そういう意味では、称賛として受け止められる」と話す。
 デザインが決まったのは3.11以前とはいえ、日本の被災者感情を考慮すれば、計画変更があって然るべき。だが、この国は意に介さず。そのまま造ってしまうのは 「反日」だからということか。
 新市庁舎の建築費は3,000億ウォン(当時で約210億円)。一方、旧市庁舎(写真左)は撤去の声もあがったが、「痛ましい歴史を残す必要がある」と保存が決定。しかし、何もこんな形で残さなくとも」
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 韓国人・朝鮮人は、日本人では想像つかない手法で無邪気に楽しむ性癖がある。
 それが日本・日本人に対してであれば、悪趣味で、えげつなく、日本人の感情を踏みにじって喜んでいる。
 情緒という感情で、道義も道理も捨て去り、分別を失い、暴走する、 
 中国同様に「反日無罪」として、何をしても許される。
 そして、日本・日本人は、怒りもせず、抗議もせず、非難もせず、批判もせず、無言で温和しく受け入れている。
 特に、リベラル派・革新派・エセ保守派そして一部の保守派にその傾向が強い。
 日本人の中には、日本人の犠牲者よりも韓国人・朝鮮人や中国人の反日感情を優先し、反日的彼らに寄り添う日本人が少なからず存在する。
 彼らは、韓国人・朝鮮人や国人には寛大である。
 外敵に対して、現代の日本人は四分五裂し、戦前のように1つにまとまることがない。
 それを現代日本は、正常な多様性と賞賛している。 
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 HANKYOREH(ハンギョレ)「配慮のない無礼なデザインの結果‘津波
 登録:2012-06-19 07:59
 原文入力:2012/06/18 16:27(5359字)
 ソウル市庁建物はなぜ不評なのか?
 来る9月に新しいソウル市庁建物がドアを開ける。 新しいソウル市庁の建物に対する記事があふれ出ている。 建物の形が旧ソウル市庁舎を襲う‘津波’に似ているという意見が最も多いようだ。 6月16日土曜版<ハンギョレ>を見ると、キム・ハンミン作家が新市庁がエスプレッソ マシンに似ているというが、それを読むと我が家で使っていたトースターにも似ていた。 新市庁の太平路側にはバッタかエイリアンの目に似た部分まである。
 ←キム・ヒョンミンの感受性戦争、ランドマークあるいは凶悪小説の挿絵. キム・ハンミン、ハンギョレ
 ソウル市庁建築と関連して私もいくらか縁がある。 2008年地域部で地域チーム長として仕事をしている時、この問題を集中的に扱ったことがある。 ソウル市が新しいソウル市庁を作るとして登録文化財(近代文化財)であった旧ソウル市庁建物の会議室と翼の部分を自分勝手に壊した事件のためだった。 この破壊に対して初め強力に反発して原状復旧を要求した文化財委員会は結局後になってソウル市の‘バンダリズム’を全て追認してしまった。
 当時オ・セフン市長や李明博前市長は元々そのような人々であっても、文化財委員はいったい何をする人々なのかと思いながら腹が立った記憶が蘇る。 個人的にもソウル市の代表的風景の一つであり、ランドマーク建物と言えるソウル市庁舎に対して関心が強かった。 それで私のブログにも‘新ソウル市庁どのように作るべきか’という文を書いたことがある。 その文の内容の核心は歴史との調和、周辺空間との調和であった。
 ←2008年ソウル市が新市庁を作るために壊した旧市庁の会議室の姿. キム・キュウォン
 しかし今回公開される新しい市庁舎は設計が確定した時から残念だったし、その設計により建てられた建物が現れたのを見てもやはり残念だ。 すでにすべて建てられた建物なので今更何を言っても効果がない。 ところでこの建物を設計したユ・ゴル建築家がいくつかのマスコミとのインタビューで話した内容があまりに行き過ぎているという気がしてこの文を書くことになった。
 彼は5月31日<ハンギョレ>とのインタビューで「二つの建物の調和を優先的に追求しなかった。 むしろ他の建物が緊張を作り出す方が良いと見た。 多様性による調和もあると考える。 異質な二つの建物がお互いを引き立たせて見えるようにしながら共存しようという意図であった。 初めはぎこちなく見えるだろうが、二つの建物の差を経験すれば同じ建物二つよりさらに楽しめるようになると見る」と話した。
 ←旧市庁舎を襲うような新市庁舎 '津波'. ソウル市
 多くの市民がこの建物に対して目障りだとか、とんでもないと考えるのはまさにそのためだ。 ユ建築家は旧市庁舎が前にどかんと立っているにも関わらず、新しい建物を設計する際に初めからその建物との‘調和’を追求しなかったのだ。 二つの建物は‘結果的に’よく似合わないのではなく、‘初めから’似合わないように設計されたのだ。 当初から建築家に調和に関する考えがなかったし、結果的にソウル市庁の二つの建物は‘君は君、俺は俺'というとんでもない風景を演出することになった。
 私はこの建物の最も大きな問題が‘歴史’と‘隣’に対する無礼、または、配慮のなさだと考える。 換言すれば、この建物を設計したユ・ゴル建築家は自身が設計する新ソウル市庁一つだけを考えたのであって、直ぐ前に立っている旧市庁や周辺の都市風景を別に考慮しなかった。 それで市民はこの建物を見ながら不快さを感じるんのだ。 一言で言って、それは‘誰がなんと言おうが私は私がしたい通りにするの、周辺は何の関係があるのか’という唯我独尊の態度だ。
 ←旧市庁を襲う津波または暗雲のような新市庁建物. ハンギョレ
 旧ソウル市庁舎は現在ソウルに残っている日帝時近代建築物の中で代表的な3つの公共建物に含まれると考える。 残りの2つはソウル駅と韓国銀行だ。 ソウル市庁が本来の機能を失いながら3つの公共建物が全て本来の使途を失った。 ソウル駅は展示空間になったし、韓国銀行は貨幣博物館になり、ソウル市庁はソウル市資料館になった。
 3つの建物の中でもソウル市庁が最もわびしくなった。 残りの2つの建物とは異なり、ソウル市庁は核心空間の一つである会議室が取り壊され、内部もほとんど取り壊されたためだ。 会議室が最初から取り壊された理由はただオ・セフン前市長とユ・ゴル建築家が合作したこの‘津波’を作るためであった。 ‘プロクルステスのベッド’のように新しい建物に敷地を引き渡すために昔の建物の核心空間が取り壊された。 当時ソウル市はその空間を地下に‘移転復元’すると言ったが、今回どのようにしたのか気になる。
 ←バッタまたはエイリアンの目に似た新市庁舎側面の姿. ハンギョレ
 当時果たして誰がこういう意見を出して決めたのか気になったが、今回確認したことはユ・ゴル建築家は初めから旧市庁建物を壊そうと主張していたという事実だ。 彼は去る2月18日<朝鮮日報>とのインタビューで「私は区庁舎は撤去しなければならないと主張した。 近代建築の価値や美しさが殆どない建物だ。 保全しなければならないというので前面はそのままに置いて内部を変形した」と話した。 過去の建物をきれいに壊して自身の新しい建物を作りたかったが、そうはできなくて昔の建物は内部を‘変形’したと堂々と語った。
 私はユ・ゴル建築家のようなこのような視覚のために600年の歴史を持つソウルと2000年の歴史がある韓国で100年の歴史を抱いた建物や空間を見つけることが難しいのだと考える。 韓国の都市と建築からは、2000年の歴史はさておき50年、100年の歴史も探してみるのがきわめて難しい。 建物、道路、自然 皆同じだ。 過去のものならありったけの力を込めて壊してなくす。 それでともすれば5000年の歴史を振りかざす韓国で風景は50年にもならないものが大部分だ。
 ←金泳三政府時期の1995年に撤去される朝鮮総督府建物. ハンギョレ
 彼のこういう 'ひたすら芸術家的' な歴史意識は<朝鮮>インタビューの他の内容にもよくあらわれている。 彼は金泳三政府の時に歴史を正す次元で朝鮮総督府建物を崩すことには反対したとし、その理由をこのように説明した。 「朝鮮総督府は極悪な位置が問題だった、建物自体は建築的に美しく価値があった」と。 結局、ユ建築家の究極的関心事は建物の単独な美しさだけであり歴史や周辺都市空間との調和ではないのだ。
 朝鮮総督府の建物が論議をかもした時、撤去に賛成する市民は「総督府建物自体は悪くないが、景福宮キョンボックン)のまん中という極悪な位置のために崩さなければならない」と考えた。 ユ建築家はそのような考えの正反対に立っている。 そういえば旧市庁舎の後の‘津波’と慶福宮の正殿である勤政殿前の‘総督府’建物が似た歴史的、空間的不調和を見せる。 景福宮の真中を壊して総督府を作った建築家も旧市庁舎を崩して新市庁舎を作った建築家も、歴史と周辺脈絡を無視する意識には別段差がないという気がする。
 ←新市庁の津波部分の拡大. ハンギョレ
 インタビューの中で津波形の軒を設計する理由を説明した内容もやはり理解し難かった。 「真ん中に立って遮っている区庁舎の向こう側にあるソウル広場と対話しようとすれば、新館建物が渾身の力をこめて首を差し出すことになった。 結果的におもしろい設計ではないか。 新館が旧庁舎を克服しようと努める姿だが、これは日本との過去清算がなされず日本に関連したイシューに過度に反応する私たちの社会を反映しているようだ。」
 ここにも現れる問題はユ建築家は旧市庁を障害物程度にしか見なかったという点だ。 旧市庁舎の前に市庁広場があって、新しい市庁が旧市庁の後にあるならば、常識的な思考をする人は当然に新市庁を旧市庁と対話するように設計し、市庁広場との対話は旧市庁を通じてするように設計しただろう。 ところがユ建築家は新市庁が‘障害物’である旧市庁を飛び越えて市庁広場と直接対話するために建物の高層部を前に引き出し旧市庁を襲う津波のような設計をしたのだ。 これは自分だけが漢江(ハンガン)を楽しむといった川辺に高層建物を作る精神世界と違うところがない。
 ←新ソウル市庁舎の後面. いっそ、こういう単純なデザインが良かったかもしれない。 ハンギョレ
 また、自身の建物が「日本に関連したイシューに過度に反応する私たちの社会を反映しているようだ」と語る部分もよく理解できない。 ‘過度に反応する’そのような意識が私たちの社会にあるならば、建築家は当然それを純化して治癒する建物を設計しなければならないのではないか。 韓国社会にそのような過度な意識があるからと、自身も建物を'過度に'作ったということが話になるか。 常識的な判断力を持つ建築家ならば、過去の日本人たちの誤りを克服し、同時に現在の日本人たちと対話しようとする努力を新しい建物に入れなければならないことなのに、彼の設計にそのような姿は見られない。 ただ過度な姿だけが目につく。
 結論的にユ・ゴル建築家には旧ソウル市庁舎の歴史と存在に対する尊重感が全くなかった。 彼は設計過程で旧市庁を完全に除去したかったし、そうならないので旧市庁を完全に無視する設計をした。 例えば会議室空間をなくしたことと旧建物のスケールやデザイン、素材と全く関係のない建物を設計したこと、旧建物を威圧するような‘津波’デザインをしたこと、新しい建物の立地を旧建物と対称を成すようにせずに対照を作るようにした点などがその根拠だ。
 ←新ソウル市庁舎の多くの設計の中で、私はこの設計案が最も無難だったと見る。 ソウル市
 逆にユ・ゴル建築家が旧建物、歴史に対する尊重感があったとすれば、恐らくこのように作ったのではないだろうかと考えてみる。 先ずは自分の建物を作るために旧市庁の核心空間である会議室を傷つけなかっただろう。 第二に、旧市庁のデザインやスケール、素材などを考慮して新市庁を設計しただろう。 第三に旧市庁の後方はできるだけ旧市庁舎とよく似合うスケールとデザインの建物を(連結して)作っただろう。第四に旧市庁の東側(国家人権委員会側)の空いた空間には相対的にさらに自由なデザインの新しい建物を作っただろう。
 ユ建築家が旧市庁舎と別に関係のない新市庁を設計したとしても、一つだけ配慮したとすれば現在のような過度に異質な二つの市庁舎の姿は避けることもできたと考える。 それは新市庁舎をもう少し単純なデザインで設計したならば、旧建物との不調和や非対称を緩和することもできたということだ。 しかしユ建築家は最後までそのような一抹の配慮も見せなかった。 結局、新市庁が旧市庁を後から押しつけ襲うような無礼で配慮のないデザインで建物が完成された。
 ←水平的な形態を帯びているという点はこの建物の長所だ。ハンギョレ
 もちろん、この建物で高く評価する部分もある。 建物を垂直型ではなく、水平型で設計したという点だ。 ユ建築家は<ハンギョレ>とのインタビューで「山で囲まれたソウルは平地に作られた外国の都市とは違う。 山がランドマークになる都市であるから、あえて垂直的ランドマークは必要ないと考えた。」と話した。 この点に対しては全面的に共感する。
 国内外には昔の建物に対して礼儀と配慮を持つ新しい建物も多い。 ソウルでは新世界百貨店を最初に挙げたい。 また、英国では新しい建物を作る時に必ず昔の建物に配慮する。 写真を何枚か紹介する。 いつかもっと配慮があり思慮深い建築家が昔の建物に対する尊重感を見せながらも美しい新しい建物を設計するのを見たい。 ソウル市庁が良い事例になり得たが、今は流れ去った水となってしまった。 惜しくて残念だ。」


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