☳6〕─1─朝鮮人や中国人は、日本人引き揚げ者達を襲い虐殺と強姦を行った。『ヨーコ物語』。昭和20年8月16日~No.14No.15No.16  @ ③ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 朝鮮人は、日本の敵である事を明確にし、敗北した日本に牙を剝き、容赦なく日本人に襲いかかった。
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 朝鮮には日本人残留孤児が一人もいない。
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 日本軍は、海外に約300万人の将兵を送り出していた。
 朝鮮から従軍慰安婦20万人が、強制連行していたと言われる。
 日本人従軍慰安慰は、朝鮮人慰安婦の10倍以上いたと言われ、その他に中国人、ロシア人、オランダ人、オーストラリア人、ベトナム人インドネシア人、フィリピン人等もいた問われている。
 つまり、日本兵5〜6人に一人の割りに従軍慰安婦がいた事になる。
 もし、日本兵従軍慰安婦を相手にしていたら、戦争などしていられないほど忙しかった事になる。
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 1938年 陸軍特別志願兵制度。
 1944年 徴兵制。
 日本外務省の「朝鮮人戦没者遺骨問題に関する件」(1956年)、軍人・軍属合わせて陸軍25万7,000人、海軍12万人の合計37万7,000人。
 日本軍には、志願兵と徴兵を合わせて11万6,000人の朝鮮人兵士がいて、12万6,000人の朝鮮人軍属がいた。
 そうした朝鮮人男子と朝鮮人慰安婦の話は、残されてはいない。
 戦没者2万2,345人で、靖国神社の英霊は約2万1,000人。
 朝鮮半島内での戦争被害者は、ごく少数であった。
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 台湾人の多くは、日本人として戦った。
 日本国陸海軍人及び軍属として戦死した台湾人は、3万3,000余柱で全て靖国神社に祭神として祀られている。
 軍人・軍属ではなく日本国民として戦って戦死者は、約20万人であった。
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 レオン・ユーリス「我々には、奮い立つべき戦いで勝った英雄がいない」(『トリニティ』)
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 批判する者は、歴史的事実を裏打ちする資料をくまなく集め、見落としがないように慎重に研究し、情緒的曖昧な賛成論を粉砕するだけの揺るぎない結論を持っている。
 事実を無視して批判する者は、人の誠意を踏みにじる悪意に満ちた極悪人であり、信頼・信用すべからざる下劣な犯罪者である。
 生きている批判者は、「死人に口なし」とばかりに、無責任に、ある事ない事、相手の迷惑を気にせず、好き放題に叫きちらす。
 批判される死亡者は、言われ無き罵詈雑言に対して抗弁が許されず、名誉はおろか人格さえも全てが否定された。
 批判する者は、人間失格を宣告する相手に対して全責任を負うべきである。
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 マーク・カプリオ「諸々の報告書は、多くの在日朝鮮人が帰国を希望しているようだと論じている。しかし実際には、在日朝鮮人の多くは戦争開始以前に日本に移住したのであり、戦争中(1935ー45年)、朝鮮人労働者の募集・徴用が政策となっても、日本は72万4,000人の朝鮮人を徴集しただけだった。……徴集のほか、多くの朝鮮人が、相対的な賃金の高さと労働環境のようさゆえに、自らの意思で日本に移住した。日本にわたる朝鮮人が多すぎるという理由で、日本は1942年、朝鮮人5,000人の来日を禁止せざるを得なかったほどである。」(「旧植民地出身の処遇」『アメリカの対日占領政策とその影響』P.235・236)
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 1945年末 北部朝鮮のキリスト教会は、多くの政党を結成し、共産主義勢力と新たな国造りで協力する事を表明した。
 ソ連の支援を受けた金日成は、宗教抹殺政策を実施して、宗教系政党やキリスト教会を弾圧し、宗教に関わりある全ての人民を迫害し、宗教を完全否定する人民のみを許した。
 北朝鮮共産主義体制のもとで地獄と化し、人民は軍国日本の支配以上の悲惨な状況に追いやられた。
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 敗戦国日本で戦勝国の一員として犯罪的暴動を起こす在日不逞朝鮮人
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 朝鮮半島にある日本資産は、約891億円(17兆円以上)。
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 韓国は、他のアジア諸国のように日本軍と戦って独立を勝ち取ったのではなく、一人の犠牲者も出さず無血で独立を手に入れた。
 日本と韓国は、戦争をした事がない。
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 2014年 2月5日 msn産経ニュース「特攻隊員の遺書申請も批判 世界記憶遺産で韓国紙 「軍国主義の病的な極み」[日韓関係]
 鹿児島県南九州市が特攻隊員の遺書などを国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に登録しようとしていることについて、5日付の韓国紙は「歴史を無視する日本の態度に批判が高まりそうだ」(東亜日報)などと報じた。
 朝鮮日報は、特攻隊について「日本の軍国主義の病的な極みを示している」と主張。朝鮮半島出身者を徴用して働かせた施設が含まれるとして、韓国が世界文化遺産への登録に反発している「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」に続き、日本が「また、なりふり構わない」動きを見せていると伝えた。
 東亜日報は、特攻隊には朝鮮人隊員がいたとし、朝鮮人の遺書も遺産登録に含まれれば「遺族はもちろん、韓国(全体)の反発が予想される」と報じた。
 一方、韓国日報は5日、日本政府が産業革命遺産を構成する長崎市端島炭坑(通称・軍艦島)の推薦書を1月末、ユネスコに提出したと報道。「韓国など周辺国の反発を懸念し非公開で提出したようだ」との韓国外交筋の話を引用した。」
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 韓国は、特攻隊員として戦死して靖国神社に祀られている朝鮮出身将兵売国奴と呼び捨て、人間とは認めず、親日派として軽蔑し差別した。
 死者に対する尊厳を認めず、勇者に敬意を払わず、たとえ敵であっても信念を持って行動して戦死した兵士への尊崇の念もない。
 それが、韓国人・朝鮮人儒教的本性である。
 所詮、日本人と韓国人・朝鮮人は分かり合う事が出来ない。
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 日本の朝鮮統治は、禍根が残る大失敗であった。
 日本は、国内のインフラより先に朝鮮や台湾に多額の血税を投入して実施したが、朝鮮では投資したわりには赤字経営であった。
 敗戦と共に、苦労して築いた設備や蓄えた財産を全て失った。
 朝鮮に関わって、日本には何のメリットもなかったばかりか、多くのデメリットしかなかった。
 その意味で、「日韓合邦」は無意味であった。
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 日本人戦没者総約310万人の内訳は、軍人・軍属が約230万人、民間人が約80万人であった。
 旧南州における民間人の犠牲者は、28万〜37万人。
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 北朝鮮では、三歳以下の乳幼児は足手まといになる為に殺害した為に、満州のような戦争孤児・残留孤児は存在しない。
 日本人避難民は、満州の中国人は信用したが、朝鮮人を信用しなかったがるえに我が子を朝鮮人に預ける事はしなかった。
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 朝鮮総督阿部信行・陸軍大将。朝鮮軍管区司令官上月良夫・陸軍中将。 
 朝鮮総督府は、敗戦で無政府状態となった朝鮮にソ連軍が進行し共産主義化する事を恐れ、穏健的な朝鮮人指導者に朝鮮建国準備委員会(建準)設置を要請した。
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 高校の歴史教科書『韓国史』「1945年8月15日正午、ラジオから連合国に無条件降伏するという日本国王の声が流れた。光復はこのようにもたらされた。光復は我が民族に限りない闘争の結果だった。日本の突然の降伏で国内進入作戦などを通じ直接、降伏を求めようとしていた我が民族の努力は水の泡となり、念願だった自主的な政府樹立もそれだけ難しくなった」
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 1945年8月15日 光復節
 夜 東京在住の朝鮮人達は、軍国日本が敗北して植民地支配が終了する事を祝う為に、皇居二重橋前に集まり「万歳!」を叫びながら提灯行列を行った。
 日本人は、朝鮮人と一緒に天皇と日本を守る為に戦ってきた戦友と信じていただけに、日本が敗北した事を喜ぶ朝鮮人に驚愕し違和感を感じて、しょせん日本人と朝鮮人は苦楽を共にできない相容れない人間である事を悟った。
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 満州の中国人は徐々に復讐に目覚めたが、朝鮮半島や日本国内の朝鮮人は一瞬にして復讐者となった。
 朝鮮人は、日本人が戦争に負けたと知るや手の平を返したように、苦楽を共にした日本人を襲った。武装して徒党を組み自らを戦勝国民あるいは朝鮮進駐軍と名乗り、敗戦国日本の法律を無視して、日本人に対して略奪や暴行、虐殺や強姦を繰り返し、疎開して家主のいない家や焼け野原となった一等地の土地を不法に占拠した。
 「火病」を民族病とする彼等は、権謀的虚言を駆使し、約束を反故にして守らず、責任とらず転嫁し、裏切って奪っても罪悪感を感じる事はなかった。つまり、日本人の様に気弱に「恥じる」という自責の念はなかった。
 敗戦に打ちひしがれ気弱になった日本人は、殺人や強姦などの兇悪な犯罪事件を多発させる朝鮮人の狂気に恐怖し、悲惨な被害にあった事を警察に訴え様としても逆恨み的な朝鮮人からの報復を恐れて泣き寝入りした。
 日本の警察当局には、敗戦国という弱味から、凶暴な朝鮮人犯罪集団を取り締まる事が出来ず、朝鮮人集団から被害に遭っている日本人を逃がす事が精一杯であった。
 朝鮮人暴徒は、連合軍SPをも恐れず、怖い者知らずで好き放題の犯罪行為を行った。
 朝鮮半島朝鮮人も、日本帝国の植民地支配からの解放を喜び、これまで日本人から受けてきた恨みを晴らす為に、日本人居留民を襲った。
 朝鮮半島在住の日本人難民70万人以上は、無法化した朝鮮に恐怖し、家財道具の大半を捨て、朝鮮人暴徒から逃れる様に着の身着のままで命からがら日本に逃げ帰った。
 朝鮮人は、朝鮮半島から全ての日本人を追い出した事に狂喜し、日本人が投資した数百億円の資産を戦利品として略奪した。
 アメリカとソ連は、日本に併合されていた朝鮮の解放について話し合い、北緯38度線を境界として管理する事で合意した。北半分をソ連軍の管轄地域とし、南半分をアメリカ軍の管轄地域とした。 
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 中国軍内で軍事訓練を受けていた韓国人部隊・光復軍は、朝鮮に凱旋する事なく重慶にとどまっていた。
 光復軍は、日本軍と戦ってはいないし、朝鮮半島を日本帝国植民地支配から解放してはいない。
 金日成率いる共産主義独立部隊は、ソ連軍と共に行動して朝鮮に進駐していた。
 日本軍と戦ったが政権の正統性というのなら、金日成共産主義勢力にあって、光復軍の韓国にはない。
 韓国は、連合軍の一員として日本と戦った対日戦勝国ではなく、軍国日本の戦争に協力した旧日本である。
 当時。韓国人は日本国籍を持ち、日本人と同様の権利を有し行使していた。
 戦前の日本は、朝鮮を植民地としてではなく、日鮮一体の下で日本の一部として扱っていた。
 だが、共産主義者が支配した北朝鮮は、暴力と死で支配された地獄と化し、共産党幹部のみが裕福となり飽食で肥え太り、庶民は貧困と飢餓で痩せ細り数百万人が餓死もしくは病死した。
 共産主義体制は、地上に地獄しか生み出さなかった。
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 山西省軍閥・閻錫山は、降伏した旧日本軍兵士約2,600人を私的な傭兵として半強制的に雇い、中国共産党との内戦に投入して500人以上を戦死させた。
 後年。朝日新聞は、反日運動家の中国人の「山西省で日本軍に毎日のように強姦された5人の女性がいる」という告発を掲載した。
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 8月19日 秋田県雄勝郷開拓団虐殺事件。ソ連軍(ロシア人兵士)や満州反乱軍と地元住民暴徒は、女子供を中心とした日本人避難民団を襲撃し、殺害し、強姦し、掠奪した。
 雄勝郷開拓団376人中253人が犠牲となった。
 集団自決した15歳以下の子供は、男児73人、女児66人。
 『満州開拓団雄勝郷の最後』「8月19日午後4時頃、多少小康を得たるも、手持ちの弾丸残り少なくなり、且つ疲労甚しく、このまま生き恥を宙外に曝さんより死して護国の鬼と化さんと、老幼婦女子二百六十余名、遙か東方を伏し拝み、互に相擁し、相労はり、あわれ痛ましくも手榴弾により、従容悲愴の最後を遂げたのであります」
 日本国民の婦女子は、戦陣訓の「生きて虜囚の辱め受けず」を叩き込まれていただけに、生きる為に捕まり人身売買として売られて娼婦にされるよりは、強姦される前に浄いままで死ぬ事を選んで集団自決した。
 靖国神社に祀られた日本軍兵士は、家族を守る為に戦った。
 こうした開拓民の悲劇は、満州各地に残っている。
 中国共産党反日派中国人達は、開拓民遭難の碑を破壊し、霊魂の尊厳を無視し死者を冒涜して、その上に抗日戦勝利記念碑に立てている。
 ロシアも、同様である。
 そこには、騙した軍国主義者と騙された日本人民という二元分離論は存在しない。 
 中国大陸は、負けれ逃げる相手には憐憫の情もなく狂暴に襲い、毒牙にかけるのに女子供も関係なかった。
 中国に深入りした他国人で、平和に、豊かに、幸せな一生を送った者はほんの僅かであり、大半は悲惨な末路を辿り自分だけではなく女子供を含めた家族全員が惨殺された。
 特に、中国共産党はその最たるものであった。
 日本人居留民は、満州国全体で155万人が生活し、開拓団関係者は約27万人であった。
 外務省と開拓民自興会の調査資料によると、国の移民政策による農業移民は、開拓団入植者は19万6,200人、少年の開拓義勇隊は2万2,000人とされている。
 開拓民や義勇隊の死者や行方不明者は、8万人以上である。
 満州から命からがら逃げてきた日本人難民は、ソ連軍によって暴行を受けて荷物を強奪され、強姦され、中には殺害された。
 朝鮮に辿り着いた日本人女性は、人種差別のオーストラリア人ら連合国軍兵士にさらに強姦された。
 敗戦国の国民には一切の権利がなく、戦勝国に何をされても抵抗できなかった。
 国際法は、表向きは敗戦国の権利を守ると謳っているが、それを実行するのは敵意丸出しの戦勝国であった。
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 清水徹「駅の柵のところに、2、3人の朝鮮人が来て、なにか大声をあげはじめた。日本人の悪口をいっているようであった。その数は5人、10人、20人と次第に増え、女も子供なで集まって来た。『バカヤロー』『日本人、早くかえれ!』『天皇陛下はどうした、思い知ったか!』いろんな悪口が投げられ、そのうち小石まで飛んできた」(『忘却のための記録』)
 鎌田正二「ソ連兵や朝鮮保安隊の掠奪と横暴は、残酷をきわめた。夜なかに雨戸を蹴やぶって侵入してきたソ連兵は、17になる娘を父親からひったくるように連行。娘は明け方に無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。みなソ連兵を朝鮮人が案内したのだった」
 石田一郎「北朝鮮では農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘2人を連れて、辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原(チョルウォン)にたどりついた。そこで見たのは、日本人の娘達がつぎつぎにまずソ連兵に犯され、ついに朝鮮人の保安隊に引き渡されさらに散々に辱しめられたうえ、虐殺されている光景であった。折角ここまで連れてはきたが、最愛の2人の娘達もまもなく同じ運命をたどるであろうことを不憫に思い、近くの松の木に縊(くび)って自決させ、これはその遺髪ですといって私に見せてくれた」(『ある戦後史の序章』)
 朝鮮人は、強者や勝者に媚びへつらい下僕の様に働き、弱者や敗者には容赦しなかった。
 ロシア人兵士や反日朝鮮人は、日本人避難民を襲ってい、集団強姦をして惨殺していた。
 日本人避難民達は、凶暴化したロシア人兵士と共に朝鮮人を避けながら日本を目指した。
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 アメリカ軍が日本本土侵攻を決行した時、日本に強制連行されたといわれる約200万人(一説に400万人)の朝鮮人と数万人(一説に十数万人)の中国人がどう行動したか?
 さらに、日本人である反天皇マルクス主義者や反神道キリスト教徒や反国家神社の仏教徒は、目の前に現れた天皇と国家の敵に対してどういう行動をとったかである?
 彼等は、全滅確実な状況下で、犬死にする事がわかっていても、家族を犠牲にしても、「国體」を守る為に軍部に協力して竹槍一本を持って戦ったか?
 命を大事にして生き残る為に、天皇と国家と民族、さらには自分以外の全ての「絆」を断ち切って降伏したか?
 朝鮮人(当時、人口約3,000万人)は、軍国日本が「国體護持」を条件として降伏するや、「君主は豹変する」が如く、一瞬で、何のためらいもなく親日の仮面をかなぐり捨てて古来からの反天皇反日の真顔に戻った。
 儒教価値観の朝鮮人知識層は、戦犯国家日本には一切の同情を見せず、むしろ、下等民族日本に支配されたという屈辱感から、日本人を地上から抹殺したいほどの憎悪に駆り立てられていた。
 朝鮮半島で生活していた70万人以上の日本人は、民族病である「火病」で豹変した朝鮮人の過激な復讐心に恐怖し、身の危険を感じて全員が逃げる様に日本に帰国した。逃避行中に、満州・中国と同じ悲劇に見舞われたかは、誰も証言しない為に不明である。
 独立を勝ち取った朝鮮人達は、権力を手に入れるべく徒党を組んで政争を始め、権謀術数を使ってテロや暴動を行い、政敵を親日派と決めつけて暗殺した。流血を伴った陰湿で陰惨な内紛は、朝鮮の宿痾である。
 日本在住の朝鮮人(200万人〜400万人)は、帰国を希望して日本海岸の港に殺到し、便船を待って野路した。焼け野原となった各港湾施設では、まともな宿泊所はなく、糞尿は垂れ流しとなりって衛生状態が急激に悪化した。その為に、野営地一体で赤痢などの疫病が蔓延し、医薬品不足で多くの者が犠牲となった。又、戦後の食糧不足から、朝鮮人と日本人は僅かな食べ物をめぐって争った。
 こうした騒動の責任は、日本側にあるとされた。
 朝鮮人は、自分達の今の悲惨な境遇は日本人のせいとして憎悪をたぎらせて暴れ回り、欲しいものは日本人の制止を振り払って奪った。
 日本人は、人の弱味に付け込んで、強欲に暴力で手当たり次第に奪おうとする朝鮮人を憎んで差別した。
 8月下旬。日本当局は、職を失った在日朝鮮人が巷に溢れた為に、彼等による暴動や騒動を防ぐべく帰国希望の緊急調査を行った。結果、200万人中193万人以上が帰国を希望した。
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 ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ著書『ヨーコ物語』
 2006年まで、アメリカの中学校で、朝鮮人を説明する為に使用されていた副読本。
 反日派在米韓国・朝鮮人団体は、悪意に満ちた捏造であるとして抗議し、公開の場でワトキンズ女史を吊し上げ謝罪を強要した。
 韓国の領事館員は、内容が真実と知りながら、国益を守る為に抗議運動を全面的に支援した。
 日本の外交官は、歴史的事実が葬られようとも外交問題になる事を避ける為に、彼女を見殺しにして保護し反論しなかった
 国際外交において、反論せず黙認する事は容認した事を意味する。
 ボストン・グローブ紙「さながら吊し上げ集会だった」
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 朝鮮に進駐したアメリカ軍兵士は、ソ連兵士や朝鮮人同様に日本人女性を見れば暴行し強姦した。
 朝鮮人は、新たなご主人様としてアメリカ人とソ連人に媚び諂った。
 朝鮮は、何時の時代でも事大主義に支配されていた。 
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*敗戦国日本での在日朝鮮人による暴動
 反日朝鮮人は、在日本朝鮮人連盟を結成し、戦勝国の一員であるとして「朝鮮進駐軍」と名乗り、疎開して家主のいない家や焼け野原となった一等地の土地を不法に占拠した。華僑と共謀して、各都市にある闇市を占拠し、縄張りと日本人同胞を守ろうとした地元の任侠派ヤクザと激しい抗争を繰り返した。
 さらに、凶悪化した朝鮮人愚連隊は、買い出しの日本人の荷物を奪い、行く当てのない女性を強姦して犯罪組織の売春宿に高値で売り飛ばした。
 在日朝鮮人は、列車に乗るや車両から日本人全員を追い出し、制止しようとする日本人車掌にを暴力ふるって車両を占領した。
 日本人達は、地方の農村地帯を歩き回って食べ物を買い出した帰り、クタクタになって列車に乗るが、在日朝鮮人に混んでいる車両に追い出され超満員となった状態で家路に向かった。
 在日朝鮮人グループは、買い出しして帰宅する日本人を襲って荷物を奪い、高く売って大金を稼いだ。
 無力な日本人は、かつては朝鮮人を共に戦う戦友と信じていたが、その親近感と信頼感を捨てた。
 在日朝鮮人は、連合国の一員との自負から、日本人を友人ではなく戦犯国の犯罪者として見下し、自称で戦勝国の一員である以上は特権があるとして暴虐な限りを尽くしていた。
 戦後の日本人による朝鮮人蔑視は、この時から生まれた。
 人は、弱った時に真の友人や信頼できる味方を知る。
 戦中、軍部が物資不足の中で、国民に飲まず食わずの耐乏生活を強要して備蓄した本土決戦用物資を隠匿物資であるとして、強奪して闇市で売り捌いて暴利を得た。日本人には高額で売りつけて反感を買ったが、朝鮮人には安く分けてやって感謝された。不満を言い募る日本人には、容赦なく鉄拳を加え、瀕死の重傷を負わせた。
 朝鮮人犯罪者は、日本人への犯罪行為を、日本支配への当然の報復行為であり、日本人によって殺害された幾千万人の同胞の復讐であると正当化した。
 敗戦に打ちひしがれ気弱になった日本人は、殺人や強姦などの兇悪犯罪を多発させる朝鮮人の狂気に恐怖し、警察に訴えて朝鮮人の逆恨み的報復を恐れて泣き寝入りした。日本人は、彼等を「三国人」として恐怖した。「三国人」とは、差別用語ではなく、何をするかわからない恐怖の呼び名であった。
 「朝鮮駐屯軍」の腕章を付け武装した一団が、鳩山一郎を襲撃して瀕死の重傷を負わせた。韓国人は、同じ様な事を、ベトナム戦争時でもベトナム人に行った。
 警察当局には敗戦国という弱味から、凶暴な朝鮮人愚連隊などの犯罪集団を取り締まる事が出来ず、朝鮮人暴徒から被害に遭っている日本人を助ける事が出来なかった。
 強気の朝鮮人犯罪組織は、連合軍のSPをも恐れず、怖い者知らずで好き放題の不法行為を行った。
 日本政府は、GHQの命令で特殊慰安施設協会を設立し、全国に連合国軍兵士専用慰安所を設置した。戦火に焼き出された日本人女性は、敗戦国の国民として、強制的に占領軍である国際連合国軍兵士の慰安婦・性奴隷にされた。
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*新たな朝鮮人テロリストによる破壊工作
 国際連合は、日本を侵略戦争を行う危険性のある犯罪国家として「敵国条項」に含めた。
 1945年
 8月18日 東京で、反日的民族組織である在留朝鮮人対策委員会が組織された。その後、全国で、在日本朝鮮人居留民連盟や在日本朝鮮同胞帰国指導委員会など300以上の反日組織が誕生し、協和会や一心会などの親日団体と反目して。日本国内の混乱で治安が悪化するや、両派は各地で支持者を拡大しながらいがみ合っていた。
 敗戦に伴い、日本企業の多くが倒産して失業者が巷に溢れた。
 資本にゆとりのある企業は、日本人労働者だけでも救済する為に、朝鮮人労働者を全て解雇した。
 一部の失業した朝鮮人労働者は、日本人による差別と激怒し、解雇した会社や経営者を襲った。
 朝鮮人は、強烈な自己中心主義者として、集団主義の日本人の様に情況を判断し、「やむおえない」として泣き寝入りして引き下がる事はしなかった。排他的個人主義の中国人同様に面子にこだわり、日本人がどうあろうとも自分の面子・名誉を守る為に暴動を起こした。
 ゆえに、日本以上に、朝鮮と中国では殺人や略奪を伴った暴動が絶えなかった。 8月26日 日本の各新聞社は、「講和条約後も米兵犯罪の裁判権放棄の密約があった」と報じ、アメリカ合衆国アメリカ人は治外法権で保護される事を知らせた。
 8月18日 福岡県若松市(現北九州市若松区)の海岸に、朝鮮人の遺体1,000体以上が漂着した。
 戦前・戦中、本人の意思、騙されて、強制連行、戦時徴用など、様々な理由で日本に渡った朝鮮人は、軍国日本の敗北で解放されて大挙して朝鮮に戻ろうとした。
 李徳晋「父は、麻生セメント工場に、連行されたと言うより騙されたのです」
 戦時中に連合軍の攻撃で多くの船舶が被害を受けて破損が多く、朝鮮人を送るだけの十分な連絡船がなく、さらに船舶を動かす石油も乏しかった。
 朝鮮人達は、西日本の日本海沿岸の港で、朝鮮に戻る為の船をめぐって暴動を起こしていた。
 無条件降伏した為に日本の官憲は、騒動を起こしている朝鮮人を鎮圧させる法的権限がなく、船をめぐる騒乱で死傷者を出さないようにする為に朝鮮人暴徒を港に入れないよう規制した。
 港の入り口で、日本の官憲と朝鮮人暴徒は殺気ばってもみ合っていた。
 一部の朝鮮人は、港に停泊していない老朽船を所有する地元漁師や船主に、朝鮮に渡る船賃として大金を渡した。
 時化の日。日本側の監視が緩んだ隙を見計らい、安全な航行に支障がきたし遭難の恐れがあるほどの定員オーバーで出港し、恐れた通りに沈没して多くの朝鮮人が溺れ死んだ。
 こうした遭難が起きたのは、日本の責任とされた。
 朝鮮人の犠牲は、如何なる原因、どんな理由があっても、問答無用的に日本の犯罪行為とされた。

 8月30日 名古屋少年匕首殺害事件。路上で少年3人が脅迫されて金銭を奪われ、匕首で切り付けられて1人死亡、1人負傷、犯人は拘置所から脱獄、韓国に逃亡した。
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 9月 日本国内で、在日朝鮮人戦勝国の一員として振るまい、日本人への暴力事件が起き始めた。
 「日本人は、道の真ん中を歩かず道を開けろ」
 日本の朝鮮総督府は、半島南部を占領統治するアメリカ軍に対して、朝鮮人共産主義活動に関する報告書を提出した。同時に、親日朝鮮人に反共産主義的臨時政府を樹立すり様に示唆した。
 朝鮮全体が反日色一色に染まった為に、親日派臨時政府は機能せず消滅した。
 自己本位の朝鮮人は主導権争いを始め、朝鮮はテロに次ぐテロで流血事件が絶えず混乱を極めた。
 全協の幹部で在日朝鮮人の指導者であった金斗鎔は、治安維持法で壊滅した日本共産党を再建する為に、監獄にいる日本共産党幹部の釈放を求めるべく政治犯釈放運動懇談会を開き、政治犯釈放推進連盟を結成した。
 隠れマルクス主義者である転向組日本人も、共産党指導者らの釈放を求めて参加した。
 9月1日 GHQは、同盟通信に対して「進駐軍兵士の犯罪の報道禁止」を命じた。
同時に、日本の警察当局に対して、進駐軍兵士の逮捕及び裁判を行う権利の放棄を強要した。
 2ヶ月後の11月に、GHQは「朝鮮人と中国人」も治外法権に含まれると通達した。
 これ以降、朝鮮人戦勝国に一員として犯罪を起こしても、日本の警察に逮捕されないとされた。その不逮捕特権で、朝鮮人の犯罪が急増した。
 9月2日 ミズーリ号で、日本と連合国が降伏文書に調印した。
 ソ連軍は、この日までに、日本領であった北方領土を含む全千島列島を軍事占領して、逃げ遅れた日本人を殺害し、捕らえた日本人女性を強姦した。ソ連軍兵士は、各地の占領地で同様の行為を繰り返し、戦勝国として日本人の財産を略奪した。
 戦時国際法は、8月15日からのソ連軍の軍事行動を合法的行為と認めている。
 ソ連は、樺太で捕らえた日本人難民は帰国させたが、約2万人の朝鮮人難民は労働不足を補う為に強制連行した。同時に、シベリアと朝鮮・中国国境周囲にいた朝鮮人数十万人を中央アジア強制移住させた。韓国も北朝鮮も、ソ連の自国民に対する非人道行為を黙認し、むしろ同胞を樺太に強制連行した日本を糾弾した。
 アメリカ・中国・ソ連反日活動を行っていた独立派朝鮮人は、新生朝鮮を建国する為に帰国した。半島各地に、460以上の政党や政治団体が結成された。上昇志向の旺盛な朝鮮人は、理想国家の建設以前に、限られた政府高官や軍隊幹部の地位争奪戦を始めた。
 政党各派は、個人的思惑で集散離合を繰り返し、自己の利益で不毛の権力闘争を始め、テロに次ぐテロで反対派の主要人物を暗殺した。政治闘争を好む朝鮮人は、政治信条の為に殺し合いを続け、大流血によって政界は大混乱におちいり、その過程で多くの有能な指導者を失った。
 権力志向の強い朝鮮人は、李氏王家への愛着心がないだけに、天皇と軍国日本に妥協して存続した李氏王家をゴミのように捨てた。
 朝鮮における儒教とは、「公」としての国家・民族の為ではなく、「個」としての私益の為に過ぎなかった。よって、全てを「公」で超越する天皇の様な存在は生まれなかった。朝鮮で重要視されたのは、中国的な「徳」を有した人格者であった。
 9月6日 アメリカは、日本から皇国・軍国主義を払拭し、自由・民主主義を日本人に滲透させるべく「降伏後に於けるアメリカの初期の対日方針」を発表した。
 教育面でも、これまでの神話に基づく日本を美化する皇国教育を廃止し、悪逆な犯罪を行ったという自虐的教育を推進する教育改革を命じた。それが、戦後の民主主義教育である。
 朝鮮建国準備委員会の呂運亨は、朝鮮総督から統治権を引き継ぎ、半島全土に朝鮮人民共和国の樹立を宣言した。
 朝鮮建国準備委員会は、朝鮮人民共和国を樹立し独立を宣言し、朝鮮総督府はじめ主要な建物から日章旗を降ろし太極旗(現韓国国旗)を掲揚した。
 アメリカは、朝鮮総督府の統治能力を高く評価して、アメリカ軍が上陸前し軍政を敷くまで統治を総督府に密命し、治安も朝鮮軍管区や日本の官憲に担わせた。
 9月7日 アメリカ占領軍が上陸して、朝鮮南部を支配下き、建物の太極旗を降ろし日章旗を再び掲揚させ、日章旗星条旗に付け替え。
 ソ連軍も、朝鮮北部に進駐した。
 9月8日 ホッジ中将率いる第10軍は、沖縄から朝鮮半島南部に進駐し、朝鮮総督府を占領して星条旗を掲げた。アメリカの占領統治は、1948年まで続いた。
 アメリカは、朝鮮の国立を否定した。
 朝鮮半島に進駐したアメリカ軍は、朝鮮の治安が朝鮮総督府と日本軍駐屯軍によって反日派の蜂起も混乱もなく保たれている事を確認した。
 9月9日 アメリカ軍は、朝鮮の実効支配者はソウルの朝鮮建国準備委員会でも上海の大韓民国臨時政府でもなく朝鮮総督府と認めて、朝鮮人をではなく日本人に降伏文書への署名を求めた。
 朝鮮建国準備委員会は、朝鮮総督府から委託された全ての権利を接収され、掲げた太極旗を全て降ろした。
 独立派500人は、アメリカ軍を解放軍として歓迎するべく太極旗を掲げて駐屯地に近寄ろうとした所、暴徒として発砲されて多くの死傷者を出した。
 9月10日 在日朝鮮人にとっての緊急課題は、帰還事業であった。小規模組織が個別に、社会の混乱と船舶の不足で運輸省や船舶会社と交渉していては埒があかないとして、大同団結して東京に朝連中央準備会を結成した。
 朝鮮人である事を絶対条件で、思想信条や出身階級に関係なく参加したために、準備会内での指導権をめぐる対立が激化した。
 反日派の共産主義者民族主義者は、親日派を日本の侵略戦争に協力し民族からの搾取に加担した裏切者として排除し、指導権を獲得した。その後も、全国で両派による主導権をめぐる暴力事件が多発し、日本人は朝鮮人の狂気に恐怖した。
 帰還を希望する朝鮮人が各港に押し寄せて、社会問題化した。
 GHQは、、その時々の感情で暴動化し易い反日朝鮮人を日本に留め置くのは危険であるとし、各港にたむろする朝鮮人達が犯罪に走り暴動を起こす事を恐れて、日本政府に速やかに朝鮮半島に送るように命じた。
 日本政府は、被災した自国民の救済と国外の在留日本人の帰還の為に少ない船舶を使用していて、朝鮮人帰還者に廻せる船には限りがあった。
 朝連は、日本側の事情説明に不満を爆発させ、強圧に必要な数の船舶を要求した。野宿する朝鮮人の間からも、日本の対応の悪さから感情的に激怒し、地元の日本人とトラブルを起こし始めた。
 GHQは、敗戦により日本経済の崩壊して日本人失業者が焼け野原の町に溢れ、食糧不足から餓死者を出し始めた食糧事情により、アメリカ軍輸送船を朝鮮人の帰還事業に廻した。
 翌42年3月までに、日本から140万人以上が帰還した。同時に、満州など中国各地に戦時動員されていた朝鮮人朝鮮人移住者が多量に朝鮮半島に引き上げてきていた。
 朝鮮経済が日本経済によって成り立っていた為に、日本経済が壊滅した為に朝鮮経済も崩壊し、朝鮮人労働者は仕事を失った。200万人以上の帰還者は、そのまま失業者として巷に溢れ、社会は混乱して暴動が各地で発生し犯罪が急増した。
 帰還せずに残った朝鮮人は、明治時代以降、日本に移住した朝鮮人移住者の子孫であった。彼等は、日本の学校で日本語で教育を受け日本文化に馴染んでいた為に、朝鮮語は話せず、朝鮮の文化や歴史を知らなかった。二世や三世である在日朝鮮人は、戦前の皇国皇民化の同化教育の犠牲者ではなかった。
 日本に住み、日本文化に囲まれ、日本語の中で生活していれば、朝鮮語を話す機会がなくなり、朝鮮文化を忘れるのは自然の成り行きで当たり前の事である。
 国家は、国家を統合し、国民の意思疏通を図る為に、全国で通用する標準語を設けそれ以外の言語を地方語・方言とした。言語の混乱から社会秩序の崩壊を避ける為に、子供には指定した標準語を自国語として教えた。物事の分別が出来る様になった青年には、第二言語として朝鮮語や中国語や英語を教えた。
 言語の統一は、国家として避けて通れない当然の事業である。
 言語を統一させない政策は、欧米列強が採用した植民地支配政策である。
 特に、「言霊」を信仰するの日本人は曖昧言語の多い日本語を愛していた。日本語は、民族言語として、日本国内にしか通用しない辺境の地方言語であり、世界中に通用する国際言語ではない。日本語は、国際連合公用語の一つとして認められていない。
 日本在住の朝鮮人子弟が、日本の学校で皇国教育を受け朝鮮語を話せなくなったのは、当然の事である。朝鮮人の子供が、日本人の子供と遊び、日本人の中で生活していれば、日本語を話して朝鮮語を話さなくなる事は当たり前である。
 日本は、日本語が分からない選挙権を持つ在日朝鮮人の為に、選挙票にハングルを併記して配付した。
 日本に生活する朝鮮人の子供が、日本語を話して朝鮮語を理解できないのは、家庭内教育を疎かにした親の怠慢である。
 だが、国際化を志望する現代日本良識派は、それを朝鮮文化抹消を目的とした計画的犯罪と認め、国際社会に訴えている。
 朝連は、帰還事業と共に朝鮮語や民族的習慣の習得させる文化教育に力を入れ、45年9月までに全国で28ヶ所の国語習得所を開設した。翌46年3月頃には全国で600以上を開設し、受講生の増加から講習所は朝連初級学院と改名され、そして朝鮮民族学校に発展した。この教育事業を取り仕切ったのが、日本共産党員でもあった金斗鎔民族対策部副部長である。
 だが、教師となった朝鮮人教諭の多くが日本の師範学校で正規の教育を受けておらず、当然の事として国家が認定する教員資格を持っていなかった。
 9月11日 アメリカ軍は、軍政を布くと宣言して、統一朝鮮としての朝鮮人民共和国及び建準を否認し、朝鮮の独立を承認しなかった。
 9月25日 金斗鎔らは、GHQに出頭して、金天海や徳田球一沖縄県出身)ら政治犯と思想犯の即時釈放を陳情した。
 GHQ内のユダヤ系ニューディーラーやソ連工作員達は、天皇制度を廃絶して日本を共産主義化する為に日本共産党の再建に取りかかった。
 日本の警察当局による厳しい弾圧に対して偽りの転向で収監を逃れた朝鮮人共産主義者達は、新宿の闇市近くに朝連準備委員会事務所を設置し、政治犯釈放促進連盟を結成した。彼等は、日本人共産主義者と共同して政治犯や思想犯の即時釈放を、GHQに陳情した。




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