☯23〕24〕─1─権力闘争と腐敗堕落の朝鮮王朝。科挙と古代式中央官僚集権。勢道政治。世道政治。〜No.63No.64No.65No.66 * ⑩ 


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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博} ・   
 混合の思想とは、人口の半分を占める両班のもので極貧生活を送る庶民には無縁であった。
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 朝鮮儒教は、中国儒教同様に正統派であり、異端の日本儒教とは根本的に異なる。
 仏教も、朝鮮仏教と日本仏教は根本的に異なる。
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*朝鮮の歴史において。
 身分制度は、インドのカースト制度に匹敵するほど非人間的で血も涙もなかった。
 朝鮮は、儒教朱子学教育を受け科挙に合格した汚吏が横行する、官尊民卑で腐敗堕落した社会である。
 王侯貴族や儒教信奉者の両班階級は、特権階級として、高度な教養に満ちた優雅な生活を満喫していた。贅の限りを尽くした、天国の様な満ち足りた日々を送っていた。
 だが、それ以外の身分低い庶民は、人と認められず、過酷な重税を課せられ、家畜の様な重労働に狩り出され、奴隷の如く悲惨な生活を強いられていた。
 東アジアは、儒教価値観が支配するがゆえに、身分低い者にとって生き地獄であった。
 いまだかって、儒教価値観で理想国家が成立した事はない。
 儒教の理想主義は、人が生きる現実世界には存在しないし、極普通の生活者には通用しない。
 朝鮮は、特に、地獄であった。
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『朝鮮農業発達史』
 李氏朝鮮時代に、農業に大打撃を与えた天災は、旱魃が89回、水害が24回と記録されている。
 王朝と両班漢城と地方の役人も、被災者を救済する為の有効策をとる事なく、餓えに苦しむ農民から如何に農作物を税として搾り取るかに血道をあげた。
 百姓優位の日本と王朝優位の朝鮮では、正反対の被害対策と被災民救済策が取られていた。
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 1446年9月 李氏朝鮮の世宗は、文字普及政策として訓民正音の28文字を創設した。ハングル文字の誕生である。
 日本のカナ文字やタングートの西夏文字ベトナムチュノム文字の誕生に比べて、朝鮮は独自の文字創出が遅れた。だが、公文書は依然として漢文を公用語として使用していた。
 ハングルは、婦女子や無学な身分低い者の文字とされた。
 1506年 両班ら知識階層の猛反対で、中宗はハングル使用を厳禁とし、ハングル文字で書かれた書籍や私文書はことごとく焼かれた。
 朝鮮のエリート層である両班は、中国人に次いで優秀なる国際的教養者との自負を持っていた。
 彼等は、国際社会に通用する国際人になる為に民族的なものを嫌い、独自の民族言語や独自の民族文字を使用するよりも、儒教文化圏の一員として、国際言語である中国語と共通共用文字である漢字を学ぶ事が重要であると主張した。
 朝鮮を、世界帝国の中国に発展させるためには、民族性を捨て、中国人以上に中国人に成り切るべきであると。
 ゆえに、「名は体を表す」式に、祖先からの名を捨てて中国人らしい姓を名乗った。
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 梁啓超「いっさいの権利を壟断─独り占めし、国中で独立した人格と自由意思を持っていた者は、両班だけであったが、彼等こそ諸悪の根元である」
両班たちは任官だけを志し、細かく煩わしい規則、礼法である繁文縟礼に没頭するかたわら、民衆を禽獣畜生と同じように扱い、もっぱら搾取と略奪を行い、国庫に納めるのは3分の1にも満たない」
両班は徒党を組んで私腹を肥やし、殺し合う。彼等は政治が何であるかも、世界の大勢も知らない。事大主義で、親日、親露、親中と、そのつど、ころころと変わり、留学生が千人いても猟官運動に忙殺される以外には、社会がどうなろうと、いっさい顧みる事がない、新しい学校の一つも作らず、一冊の本さえも書かない。翻訳の一つもしない有様だ」
朝鮮人は空論を好み、激情にして、怒りやすく、ややもすれば命知らずで、すぐに昂奮して起ち上がる。朝鮮人は目先だけにとらわれて、将来の事はほとんど考えない。高官達も今日の権勢さえあれば、明日に国が滅亡しても構わない」
「朝鮮社会は厚顔で無恥、表面はよいのだが、心の中は悪くて、陰険で悪辣、節操を守る事がないから、亡国は必然の結果であった」
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 崔万理「日本やモンゴル、チベットなどには独自の文字があるが、それは野蛮な地域だからだ。我々が独自の字を持ったら、彼らと同様に野蛮になってしまう。そのうえ、我々は中国を宗主国として仰いでいるのだから、新しい文字を創る事は中国からしてみれば謀反であり、怒りを買う恐れがある」
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 ダレ神父「朝鮮の学者達は自身も、自国の文献に何ら信用を置かず、また決して研究対象にする事なく、中国の歴史書だけを読む事にしている。ときどき朝鮮語で書かれた簡略な歴史本に出くわす事もあるが、それは婦女子の気晴らし用の真偽取り混ぜた奇譚集に過ぎない。学者達はといえば、それを開いて見る事さえ恥辱だと思っている……(30ページ)
 中国と朝鮮の間には、学問研究と科挙において二つの明確な相違点がある。
 その一つは、朝鮮における学問はまったく民族的なものではないという点である。読む本といえば中国のもので、学ぶ言語は朝鮮語ではなく漢語であり、歴史に関しても朝鮮史はそっちのけで中国史を研究し、大学者が信奉している哲学体系は中国ものである。
 写本はいつも原本より劣るため、朝鮮の学者が中国の学者に比べてかなり見劣りするのは、当然の帰結である。
 これよりもっと大きなもう一つの差違は、朝鮮では自らの特権に過度に執着し、特権維持のために絶対権力を発揮する多くの両班が、国王と人民との間に存続している点である……(131ページ)
 朝鮮文字の本がほとんどない事、学者達が自国の言語を尊重しない事、そして何よりもこの国へ接近するあらゆる外国人を極刑をもって禁じている野蛮な法律がある事などが、朝鮮語をヨーロッパの東洋学者から遠ざける原因になっている……(144ページ)」(『朝鮮事情』)
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 ビショップ夫人「朝鮮人は自分の固有のハングル文字を軽蔑して、中国文字である漢字のみをただひたすら尊重するおかしな国民である」
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*中央集権における勢道政治・世道政治。
 朝鮮は、中国に倣って「孝」と「徳」を重視する正統派儒教を採用し、慈悲と公平を説く仏教を弾圧し、寺院を破壊し、僧侶を賤民として人身売買業者に売り払った。
 漢城中央政府は、王家の血縁者や王妃・貴妃の外戚によって支配され、高位高官は縁故で独占され、政治は私物化されていた。
 儒教は、男系社会を理想社会として、女系社会を世の破壊であるとして嫌悪していた。
 女系とは、皇統の断絶をもたらす反社会的革命として嫌った。
 ゆえに、「男尊女卑」を社会倫理の大原則としている。
 王朝関係者は、王朝文化を満喫する為に、国政よりも私腹を肥やす事にしか興味がなかった。
 正統儒教による人治政治によって、私的利害が優先され、賄賂や不正や横領や汚職は当たり前の如く行われ、人心の風紀は乱れに乱れた。
 地方の官吏は、貧民救済より自分の出世に血眼となり、中央の上司への賄賂に充てる為に貧民から暴力的に徴収を行い、滞納する者には厳罰を持って全財産を没収した。
 貧しい庶民は、その日その日を食い繋ぐのにやっとの生活を余儀なくされていた。
 天災が起きるや、救済される事がなかった為に多くの犠牲者が出て、餓死者や病死者の屍体が至る所に放置された。
 天災は、王族や両班の血縁による貪官汚吏によって官災となり、人災となった。
 由緒ある血筋を誇る両班は、正統派儒教で保障された特権階級として、その日暮らしの卑しい貧民から搾取して読書三昧の優雅な生活を送っていた。
 孝を最大の徳目として一族の利益を最優先し、科挙合格を金で買い、役職を金で買い、上級官吏への出世を賄賂で勝ち取った。大金を得る為に、官吏は公を紙くずの様に捨て、苛斂誅求の限りを尽くした。
 身分低い庶民は、将来への希望がなく、いつ死ぬかわからない生き地獄の様な生活を強要されていた。
 個人益の為に、血みどろの不毛な政争・党争を繰り返すのが朝鮮の実態である。
 朝鮮社会は、越えがたい非人道的差別社会で成り立っていた。
 朝鮮民族の特性は、弱肉強食社会の中で生まれた。
 朝鮮人の強靱な性格は、出世の為ならどんなあこぎな手段でも正当化されるという社会通念の中で、他人にを蹴り落としても「個」の利益を独り占めするという意気込みで鍛えられた。
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 李人種「我が国の人達は自分の事だけを考えて、他人はどうであれ、いささかも顧みることがなく、おれぞれの欲望だけを充たそうとした。他人は死のうが生きようが、国が亡ぼうが、興ろうが、自分だけが偉くなって、豊かになる事だけを、第一と考えている」
両班達が国を潰して、亡ぼした。常民達は、しばしば横暴な両班によって、殺された。少しでも気に入らない事があれば、終始殴られ、もし財物があれば取り上げられ、妻が美しければ、妾として奪われる。 小人のような常民は、自分の財産も、自分の妻も、自分の生命も守る事ができなくて、両班の我が儘に任せねばならないから、国の為に尽くす力もない。常民は少しでも思う事を喋れば、殺されるか、肘や、膝を折られてしまう。 常民は両班の刀剣の前に、ただの人間としての値打ちすらない。動乱が起きるのも、両班の所以である」(『血の涙』)
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 1724〜77年 第21代英祖の御代。7%前後であった両班が、倍の14%を超した。両班は、儒教価値観から汗を流して働く事を忌み嫌っていた。彼等は、中国の読書階級を見習い、働くだけが人の幸せでではないとして、庶民・領民に手本を見せる為に先頭に立って汗を流して動く事はなかった。
 実学者は、日本の武士を見習い、庶民の良き手本となろうとして進んで新田を開墾し、商工業を興そうとした。
 儒教的特権意識の強い両班は、汗を流して働く事は堕落であるとして実学を攻撃した。
 朝鮮は、儒教的教義を金科玉条とする両班によって活力を失って行った。
 朝鮮は、中国同様に、儒教朱子学を盲信して腐敗堕落し、混乱のうちに内戦を激化させて滅亡していった。
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 大倉喜八郎「朝鮮政府の無状なるさまおおいに言語に絶したり。昨年の飢餓の如き人民の道路に餓死する者、陸続として相望めども、官吏は恬として見ざるがごとく、なほも例によりて暴政を行へり。
 人民はもとより無気無力なれば、艱苦を忍んで暴政を甘んじ、更に竹槍蓆旗を掲ぎ出す程の気力も無き者どもなれば、一人として官吏の暴虐を責むるの意なく、政府は斯の如き者と思ひて只恐るること虎の如く、尊ぶこと鬼神の如し」1880年
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 男尊女卑の儒教社会では、高貴ある家庭の子女には名前を付ける事が許されたが、身分低い家庭では許されなかった。
 それ以前に、人とみなされず、戸籍すらなかった。
 儒教は、男子を大事にしたが、女子は子供を産むだけの家畜とみなした。
 韓流歴史ドラマにおける女性や下層階級の実態は、全くの嘘である。
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 崔基鎬「李氏朝鮮は、民衆に対する徹底した収奪と迫害によって、暗く、おぞましい五百年を韓民族にもたらした。 李氏朝鮮は腐敗しきって、国家の体をなしていなかったのだった。信じられないことかもしれないが、地方長官は無給だった。……(P.16)
 無給でも、金のなる木のようなものだったから、買官の対象となったのである。……そして任地に着任すると、民衆を無慈悲に搾取して、蓄財した。観察使は、道の司法、経済、軍事をはじめとして、すべての権力を握っていた。……(P.17)
 監司や、郡守に当たる守令も、まったく無給だった。それなのに高額の賄賂ををつかって、その地位を手に入れた。不正な手段を用いて、それ以上の収入が見込めたからである。そこで赴任すると、容赦なく民衆から収奪した。……(P.37)
 科挙に合格したからといって、かならず役人になるわけではなかった。そのうえ上級官吏も、下級官吏も、ほとんど給与がなかった。監司や、守令などの地方長官は無給だった。そこで賄賂をとることが、当たり前のように行われた。中国と同じように、役人と賄賂が一体になっていた。慕華思想といって、李朝が中国を師と仰いでいたのが、不幸なことだった……(P.38)
 両班は常民の妻や、娘や、財産をいつでも奪うことができたし、その生殺与奪の権を握っていた。常民は過酷な生活を強いられるなかで、淘汰されて、人口が減っていった。……李氏朝鮮では、常民は自滅するほかなかった。その結果として、両班だけが繁殖して、はびこるようになったのだった。……(P.112)
 両班には、納税、兵役、賦役の義務がなかった。……(P.113)
 両班からみると、体を使って働くのは卑しいことだった。これは、何とも滑稽なことだった。……(P.114)」(『日韓併合の真実 韓国史家の証言』)

 

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