☶60〕─1─中国人の人身売買業者と朝鮮人の悪徳仲介業者が、脱北女性を売春婦として売り飛ばしていた。〜No.497No.498No.,499 * 


   ・   ・   ・
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・  {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正} ・   

 中朝国境は、昔も今も変わりがない。
   ・   ・   ・   
 儒教価値観が支配する社会では、身分の上下関係は人が如何に努力しても超える事が出来ない厳格さであった。
 上位者は、下位者を虫けらの如くあしらっていた。
 女性の地位は低く、男性の奴隷の如く扱われていた。
 身分低い家庭の女性には、人権などなはなく、時には牛馬以下の存在として使役を強要されていた。
   ・   ・   ・   
 江戸時代の日本が庶民文化で華やいでいた時期に、中国や朝鮮では人身売買が当然の如く行われていた。
   ・   ・   ・   
 2014年4月12日 読売新聞「脱北女性 中国で人身売買
 北朝鮮から中国に脱出した『脱北女性』が中国人ブローカー(仲介業者)などにだまされ、人身売買の被害に遭うケースが後を絶たない。売春を強要されたり、農村に『花嫁』として売られたりするのだ。悲惨な境遇から逃れようと命懸けで国境を越えたのに、新たな悲劇に見舞われた女性たち。心の傷は深い。
 監禁、売春強要の被害
 『お前たち脱北者が一人ぐらい死んでも、誰か気にするとでも思うのか?』
 昨年から韓国で暮らす30歳代の朴明姫さん(仮名)は、中国・黒竜省で脅されたことを思い出すたび、身震いする。
 北朝鮮北東部で生まれ育った朴さんは10年ほど前、飢えに耐えきれずに、中国に逃れた。その3日後、路上で公安警察を装った中国人に拉致されたのが、悲劇の始まりだった。黒竜江省の人里離れた建物に連れて行かれ、そこで中国人客を相手に売春を強要されたのだ。10人ほどの脱北女性が一緒だった。
 朴さんたちを脅したのは、経営者だった中国・朝鮮族の男らだ。売春を拒めば殴られ、『何度も死のうと思った』。夜中に脱出を図って捕まり、見せしめとして、皆の前でこん棒でたたかれ、半殺しにされたことも。
 9ヶ月後、建物から脱出に成功。親切な中国人にかくまわれ、韓国に逃げることできた。だが、中国にいる間は、激しいうつ症状に悩まされた。
 『過去はもう忘れたい。前を向いて歩けないから』
 韓国の地方都市のカフェで朴さんはぽつりと語った。
 強制された『結婚生活』
 韓国在住の40歳代の姜善礼さん(仮名)は2002年、北朝鮮の知人に『商売の元手を稼げる』と勧められ、中国語を話せないまま、手引きした中国人の案内で脱北した。だが、連れて行かれたのは四川省の農家。障害を抱える年下の男に売られ、結婚生活を強要されたのだ。
 男の家族に監視され、外出は禁止。同じ村に嫁がされた脱北女性の中には、敷地から出ただけで足の指を切断された人もいた。姜さん自身、近所の脱北女性と示し合わせて逃げたものの連れ戻され、『豚小屋につながれ、前歯が全部折られるまで暴行された』。
 04年には、四川省の別の農村に『転売』された。霧深いある夜、ようやく脱出に成功し、今度は朝鮮族の女にだまされ、天津の農家に売られた。
 『夫』が交通事故死したことを気に逃げ出し、韓国人牧師に助けられて、10年に東南アジア経由で韓国に来ることができた。
 韓国に入国する脱北者は女性の割合が高い
 脱北者7割 女性占める
 韓国統一省によると、昨年までに韓国に入国した脱北者は約2万6,120人。男女比では女性が7割を占める。食糧配給制が崩壊した北朝鮮では、女性が生計を担うことが多く、職を求めて脱北をするからだと分析されている。
 中国に逃れた脱北者は、支援者の手引きで東南アジアに越境し、入国管理施設での取り調べを経て空路、韓国入りするのが主流だ。
 中国には1万人以上が潜伏しているとみられている。
 脱北者数は、北朝鮮の大量の餓死者が出た1990年代後半から増えた。だが、2012年に本格始動した金正恩政権は中朝国境の警備を強化し、韓国入りする脱北者数は急減している。
 悪質仲介業者が手引き
 『当局に引き渡す』と脅迫
 韓国在住の脱北女性の3割が人身売買の被害者
 脱北女性の人身売買被害で多いのが、農村での『売買婚』だ。未婚の中年男性などが買い手となっているという。
 手引きするのは、悪質な一部のブローカーだ。大半は朝鮮語を話す中国の朝鮮族で、漢族や中国在住の脱北者が絡む例もある。
 北朝鮮住民が中朝国境の川を渡る場合、ブローカーに現金を渡して安全な場所まで誘導してもらうことが多い。ただ、脱北者は逮捕されれば北朝鮮に強制送還される。悪質ブローカーは『逆らえば公安当局に引き渡す』などと脅し、女性らを買い手に引き渡すのだ。
 韓国の複数の人権団体によると、中国東北部の都市部のカラオケ店で、脱北女性らが朝鮮族のふりをして働かされ、売春を強要されるケースも多い。
 未成年の少女が中国東北部でアパートなどで監禁生活を強いられ、インターネット上で対話相手に求められるまま、みだらな行為をする『ライブチャット』に出演させられる被害も相次いでいる。チャットの利用者は韓国の男たちだ。
 韓国の民間団体・北朝鮮人権情報センターの昨年の調査では、韓国在住の脱北女性の3割が『中国で人身売買被害に遭った』と回答。韓国の民間活動団体で脱北女性の救援に携わる関係者によると、中国では脱北女性は一人当たり3万元(約50万円)ほどで売買されている。この関係者は『人身売買組織は脱北女性を「豚1匹、2匹・・・」と数え、家畜扱いしている』と憤りを隠さない。
 韓国女性省の調べでは、脱北女性の半数近くが『1年間に自殺を考えるか、自殺を図ったことがある』と答え、うつ症状の発生率は26%に上った。……」
   ・   ・   ・  
 中国の人間無視の非人道的犯罪は、現代において酷いが、改革開放以前の毛沢東時代も酷く、さらに70年以上の昔は今以上に地獄の様に酷く人間は人間として扱われていなかった。
 正統派儒教は、男尊女卑と上下関係で中華世界に社会秩序をもたらしていた。
 中国は、古代から平穏な平和な時代はほんの僅かな年数だけで、大半の時代が命軽視の地獄であった。
 「徳」という絶対価値観を説く正統派儒教は、大陸漢族のみを人間として尊重したが、周辺に住む朝鮮人・モンゴル人・チベット人・ウィグル人・満州人・台湾人・ベトナム人そして倭人(日本人)を人間以下の獣と見下し、下等な生き物と差別していた。
   ・   ・   ・  
 2016年8月30日号 Newsweek「中国で性奴隷にされる脱北女性
 人権 祖国の弾圧と飢餓を逃れて国境を越えた女性たちは人身売買の餌食になり、さらに苛酷な虐待の犠牲となる
  パク・ジヒョン
 中国政府の自国民に対する人権弾圧はよく知られている。だが北朝鮮の抑圧や飢餓から逃れてきた女性たちが中国で人間以下の扱いを受けていることはあまり知られていない。私は真実を知っている。私も被害者の一人だったからだ。
 北朝鮮で大飢饉が起きた90年代以降、中国では脱北者、特に脱北女性を餌食にする人身売買が一大ビジネスになった。中国で働ければ、子供にひもじい思いをさせずに済む──そんな甘言に乗せられ、若い母親はブローカーの手引きで国境を越える。だが待ち受けているのはそれまで以上に惨めな生活だ。
 中国では脱北女性の需要は高い。工業化が急速に進んだため、農村部の若い女性は都市部や外国に流出し、残された男たちは嫁不足に悩んでいるからだ。彼らはブローカーに多額の報酬を払って妻を買う。
 脱北女性はノーと言えない。断れば、当局に垂れ込むとブローカーに脅されるからだ。強制送還されれば、北朝鮮に残った家族まで逮捕されかねない。女性たちは泣く泣く見ず知らずの男の妻になる。
 私が脱北を決意したのは98年。軍隊にいた弟が基地から逃亡した。弟が帰ってきたら逮捕しようと軍警察が家を張り込んでいた。病気で衰弱した父は私を呼んで耳打ちした。『弟を見つけて一緒に逃げろ』
 寝たきりでただ死を待つ父を残し、私は家を出た。父がどこに埋葬されたたか今も知らない。
 弟と合流した私は、中国との国境を流れる豆満江を渡った。ブローカーは弟を助けるにはカネが要ると言い、私は中国人男性に5,000元(約8万円)で売られることになった。その後弟とは一度も会っていない。
 他の脱北妻と同様、私の結婚生活も惨めなものだった。脱北妻は奴隷のように働かされ、性欲のはけ口にされる。けがをした妻や夫に飽きられた妻は別の男に『転売』される。
 当局の目を恐れる脱北妻は、どんなひどい目に遭っても助けを求められない。売春を強要されるリスクは常に付いて回る。妊娠すれば中絶しろと言われ、私のように中絶を拒否した場合、地元の病院での出産は望めない。生まれた子供は無国籍者となり、教育も医療も受けられない。
  野放しの闇ビジネス
 私のいた村には脱北妻が5人いたが、道で擦れ違っても声を掛け合うことはなかった。近所の人たちの目が怖いからだ。『所有者』の男たちは、私たちが共謀して逃げるのを警戒していた。逃亡を防ぐために、私たちには冬でもまともな靴は与られなかった。
 私は中国人男性の奴隷として6年間過ごした後、04年に当局に見つかり、他の数人の脱北女性と共に国境地帯の図們の収容所に送られた。最初の1週間は毎日5〜6人の男の看守が部屋に入ってきて、私たちを全裸にさせ、肛門や膣に現金を隠していないか調べた。生理中の女性を調べるときには、看守の脚に血が流れたが、彼らはお構いなしだった。看守はトイレにまで付いてきた。
 北朝鮮に送還され、半年ほど収監されて強制労働に駆り出された。脚に壊疽が起き、死期が近いと診断されて、収容所から放り出された。家もなければ、頼れる身内もいない。私は路上で物乞いをした。あるとき通り掛かりの医師が哀れに思ってこっそり脚を治療してくれた。
 私の物語はそれで終わりではない。息子を捜すために別のブローカーの手引きで再び中国に向かった。07年に北京で出会った韓国系アメリカ人の牧師の助けで、私たち親子はイギリスに渡って難民認定を受けた。私は生まれて初めて自由を知った。
 人身売買は国際法で禁止されており、中国でも違法だ。だが、闇のビジネスは野放し状態だ。
 祖国の悲惨な生活から逃れようとして人身売買の餌食になり、性奴隷にされている女性たち。世界がその実態に目を向けなければ、彼女たちは抵抗するすべもなく、希望も奪われたままだ」
・・・


   ・   ・   ・