☳37〕─2─ベトナム戦争。韓国軍の大虐殺。韓国軍人の個人経営売春宿。血に飢えた韓国人。〜No.128 * 


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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博・  
 アレクシス・ダデン(コネチカット大学教授)「(韓国軍専用慰安所について)韓国も同じ事をしていたという主張は、日本の悪事を帳消しにはしない」
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 韓国軍は、白人の植民地を守る為にベトナム戦争に参戦した。
 最大規模約5万人で、延べ31万人以上を派兵し、約5,000人が戦死した。
 韓国人の技術者や労働者は、「個」人的利益目的でベトナムに渡った。最大約1万6,000人で、延べ6万5,000人が植民地回復戦争に協力した。
 韓国軍兵士は、アメリカ人兵士以上に勇猛果敢に戦って、北ベトナム軍や南ベトナムベトナム独立派を殺しまくった。
 帰国した韓国人兵士は、儒教的人種差別から、得意げにベトナムでの武勇伝やベトナム人強姦を語ったという。
 ダナンに、海兵隊第2旅団「青龍部隊」を。
 クイニョンに、首都ソウル防衛師団「猛虎部隊」を。
 ニンホアに、第9師団「白馬部隊」を。
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 ベトナム人は、韓国軍をアメリカの金目当てに雇われた残虐な傭兵と毛嫌いした。
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 ベトナム戦争の犠牲者。アメリカ軍は5万8,000人。
 サイゴン政府軍は、22万人。
 民族解放軍は、110万人。
 ベトナム人民間人は、335万人。半数以上が、女性や子供であった。
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 白馬部隊の連隊長は、全斗煥であった。
 猛虎部隊の大隊長は、盧泰愚であった。
 彼らは、後に韓国大統領に就任した。
 ベトナム戦争に出兵した韓国人は英雄とされ、帰還兵は精神的病気にならず例外なく出世した。
 韓国軍は、口で言うほど強くはなく寧ろ弱く、その戦果は無抵抗な民間人や女子供な殺戮とされている。
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 韓国軍は、日本軍のような慰安婦施設を持っていなかった。
 韓国軍人は、個人的に売春宿を経営し、ベトナム女性を強制連行して売春婦にした。
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 韓国政府は、外貨を稼ぐ産業としてキーセン(売春)産業を奨励し、売春婦希望者を募集した。
 仕事のない韓国女性は、金を稼ぐ為にキーセンに応募した。
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 韓国軍兵士は、軍律や軍紀を守る意志がなかっただけに、各地でベトナム人を見境なく虐殺し、女性とみるや幼女から老女まで強姦した。
 儒教的性差別から、ベトナム人女性を人間以下の家畜の様に扱った。
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 ベトナム人は、韓国人を凶暴なアジア人として嫌悪し、韓国人を見付けるや「ダイハン(大韓)」と罵倒した。
 身の危険を感じた韓国軍兵士や軍属及び技術者は、車に日の丸のステッカーを貼り、日本人に成り済ませて行動していた。
 日本人は、韓国人とは違って信用されていた。 
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 韓国軍兵士は、儒教的人種差別から、30万人以上(一説に100万人以上)のベトナム人を狂喜して虐殺し、強姦したと言われている。
 民間人では、女子供も関係なく9,000人以上が虐殺された、
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 韓国人兵士は、ベトナム人女性との間に「ライタイハン(韓国の混血児)」1,500にん〜3万5,000人を生ませ、そして捨てたといわれる。
 民族的純血主義から、混血児を穢らわしい獣の様に見下して捨てた。
 戦争の一般常識として。激戦地では、1人の混血児が生まれるには100人以上の強姦が必要とされている。
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 日本軍兵士の一部は、現地の女性を強姦したが混血児をつくらなかった。
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 ベトナム人は、血に飢えた残虐非道な韓国軍兵士を憎悪した。
 ベトナム人の、戦死者100万人以上、一般人殺害200万人以上。
 日本やアメリカなどでは反戦運動が世論を動かしていたが、韓国では反戦運動は盛り上がらなかった。
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 韓国では、「個」人的利益にならない事には興味がなかった。
 韓国の商法は、需要があるモノは何でも売るという野性的なモノであった。
 1950年代だけで、14万人の子供が金持ちの養子として輸出されたと言われている。
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 韓国軍のモットーは、「綺麗に殺し。綺麗に燃やし。綺麗に破壊する」であった。
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 1966年2月26日 タイソン大虐殺。韓国軍は、約1時間タイソン郡を攻撃して、380人以上を虐殺し、女性は強姦してから陰惨な方法で惨殺した。
 11月9日 クァンガイ村郊外で。韓国軍兵士による、キャンディや菓子を与えての少年少女銃殺事件。
 1969年10月 韓国軍兵士は、ベトナム南部のリンソン寺で尼僧を強姦しようとした所、居合わせた僧侶が咎めて止めようとしたので、逆上して銃を乱射し僧侶を含めた4人を惨殺した。
 韓国人・朝鮮人は、自分が不利な状況に追い込まれると、精神的に逆上して突発的に何をするか分からない民族的特性を持っている。
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 1968年3月16日 アメリカ軍によるソンミ村虐殺事件
 無抵抗な農民504人が虐殺された。男性149人。妊婦を含む女性183人。乳幼児を含む子供173人。
 生き残ったのは、3人だけであった。
 アメリカ軍は、国民世論の批判を受け、1970年に虐殺に関与した兵士14人を殺人罪で起訴し、部隊を指揮していたカリー中尉のみ有罪判決を下し、残りの兵士は上官の命令に従ったまでとして無罪とした。
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 農村無人化作戦。
 韓国人兵士による猟奇的虐殺。
 韓国軍は、100ヶ所以上で虐殺を行い、1万〜3万人を猟奇的に惨殺した。
 韓国軍による虐殺は、分かっているだけで9,000人だが、それ以外にも虐殺された被害者がいるといわれていうがいるが正確な人数は不明である。
 クアンナム省、3,340人。
 フーカイン省、900人。
 アンカイ村、728人。
 アンリン村、40人。
 ヴィンスアン村。100人以上。
 カンラム村、100人。
 キンタイ村、37人。 
 ゴーダイ村、380人。
 「女性は強姦された後、女性器に剣を突き刺されて惨殺された」
 「子供は、藁を被せられて焼き殺された」
 ジエンニエン村、112人。 
 タイヴィン村、1,200人。
 グエン・タン・ラン「韓国軍が村に来たのは朝9時頃。100人以上の歩兵が次々と村に入り、全25世帯、65人の村人を一箇所に集合させました。韓国兵はその中から、年頃の娘を見つけると、彼女を集団から引き離し、村人の前で輪姦を始めたのです。兵士達に銃を突き付けられた娘はなす術もなく、代わる代わる暴行されました。そして、最後の兵隊が事を済ませると、彼女を撃ち殺したのです。その一部始終を見せ付けられた村人が怒り狂い、韓国兵に襲いかかろうとしましたが、その場で射殺されました。韓国兵は私達を一度に殺さず、数人単位で射殺していきました。私の両親も親族も殺されました」
 ダグー村、41人。
 タンザン村、46人。 
 チュンビンクアンフック村、数千人。 
 ディエンニエン村、112〜143人。
 トゥイボー村、145人。
 トータン村、58人。
 トーラム村、43人。
 ニョーラム村、300人。
 ハミ村、135人。女性98人、生後すぐの赤ん坊を含む10歳以下の子供57人、60歳以上の老人14人。
 ビンホア村 女性、子供、老人など430人のベトナム人を虐殺した。269人の女性の内妊婦が21人。12人の女性は、死ぬまで強姦された。
 ビンアン村、1,004人。
 「妊娠していた二人の女性は、お腹を打たれて死亡した」
 「赤ん坊を抱えた女性を後ろから射殺され、泣き叫ぶ赤ん坊も射殺された」
 フォックピン村、68人。
 犠牲者は、1歳から75歳までの68名で、内女性が46名、1歳から16歳までが36名、10歳未満が23名であった。
 グン「韓国軍のやった虐殺は、子々孫々まで語り伝えゆく。韓国への怒りと恨みは永遠に消えない。復讐したいくらいだ」
 フォンニー村、69人。
 フォンニュット村、74人。
 トワン・ヴァン・ディエップ「早朝、100人以上の韓国兵が突然押し入ってきた時、私は慌てて家の中に逃げ込みました。家には両親と6歳の弟がいましたが、動揺した弟は私達の制止を聞かず家の外に飛び出てしまい、韓国兵に撃ち殺されました。まだ幼い弟を殺された両親と私は恐怖と悔しさに震え、ただ家の中で息を潜ませるしかなかった。
 隙間から外の様子を窺うと、40人ほどの村人が一箇所に集められ、銃弾を浴びせられているのが見えました。やがて私達一家も見つかり、外に連れ出され、両親を目の前で射殺されました。逃げようとする私も銃を乱射されました。右足に銃弾を受けて倒れ込んだ私は、死んだ振りをして韓国軍の襲撃をやり過ごす事が出来たのです。韓国軍は民家に火を放ち、村全体を焼き払いました」
 フック家の虐殺、10人。
 ファン・バン・フック「1969年2月12日 、戦車や装甲車を動員して、大勢の武装した韓国兵がやって来た。ベトナム解放軍とアメリカ軍の戦闘は、たいてい村の外で行われた。解放軍は、村が破壊される事を恐れて、村から離れた場所に拠点を構えて、アメリカ軍と何度も戦ってきた。しかし、今回は之までと事情が違った。韓国兵が、突然、家の庭に現れた。銃声がしたので、家族の内、4人は家の中に隠れた。6人は、大急ぎで、家から裏庭まで続いているトンネルを通って防空壕の中に逃げ込んだ。この防空壕は、アメリカ軍の爆撃を避ける為に、裏庭に深く掘られていた。
 無抵抗な農民や女性や子供には、何もしないだろろうと、村人は思っていた。しかし、韓国兵は、片っ端から、村人を探し出し、殺戮を始めた。家にいた女性は暴行され、ナイフで切られ、嬲り殺しにされ、青年や老人は射殺された。そして、家を焼き払われた。
 韓国兵は、家の中の4人を殺戮し、防空壕の中にいた6人に対して、数多くの手榴弾を投げ込んだ。防空壕は徹底的に破壊された。その為、6人の内、2人の遺体は発見できなかった。その跡地にお墓を建てた」
 ブンタウ村、45人。
 ブンラウ村、37人。
 ホアホンフラ村、数百人。
 ホアヒエップナム村、37人。
 グエン・ティ・マン「1月2日の攻撃では37人の村人が殺されました。村の男達は捕まれば確実に殺されるので、ほぼ全員が逃げました。まさか、残った女や子供には手を出すとは思わなかったのでしょう。しかし、韓国兵は女と子供ばかりの村人を整列させ、一人ずつ撃ち殺していったのです」
 ロンビン村、430人。
 南ベトナム政府は、同胞を虫けらのように惨殺する韓国軍の虐殺行為を問題視した。
 東南アジア条約機構加盟国も、韓国軍の人種差別的行為に不快感を表した。
 韓国軍は、ベトコンによる謀略で事実無根であると責任を転嫁して反省する事がなかった。
 アメリカ軍は、詭弁を労して言い逃れする韓国軍に困惑し、度々配置転換を行って地元住民の反発をかわした。
 アメリカ軍兵士は、かって日本軍将校が朝鮮人将兵や軍属の凶暴性に驚いた同様に、韓国人兵士のベトナム人捕虜への虐待や一般のベトナム人への人種差別に辟易とした。
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 西ハミ村 韓国軍は、計画的に虐殺する数日前から村人にパンを配って安心させ、その朝もパンが貰えると安心して集まった所を皆殺しにした。
 戦車は、村を更地にする為に、戦車が家や納屋と一緒に村人の遺体を踏み潰した。
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 韓国軍は、軍人や民間人の選別をせず、女子供に関係なく、無差別に皆殺しにし、
虐殺の手口は猟奇的で残虐であった。
 解放軍兵士ではなく一般の農民で、88歳からゼロ歳までの老人や女子供など無差別に見付け次第約1,200人を虐殺した。
 ・防空壕に逃げ込んでいた村人を、女子供や老人に関係なく全員を引きずる出して射殺した。
 ・生きたまま、子供の頭を割ったり、首を切り、四肢を切断して惨殺して、火の中に放り込んで焼いた。
 ・住民をトンネルに詰め込んで毒ガスで窒息死させた。
 ・女性は強姦した後に全員殺害した。
 ・輪姦した女性を生きたまま焼き殺した。
 ・妊婦の腹から胎児が飛び出すまで軍靴で踏みつけた。
 ・女子供を一ヶ所の穴に追い込み銃撃し手榴弾で皆殺しにした。
 ・住民を一戸に追い詰めて銃を乱射して殺害し、家に火を放って焼き払い、生存者がいてもそのまま焼き殺した。
 ベトナム人は、韓国人兵士の血も涙もない残虐性・残忍性から殺人鬼と憎んだ。
 韓国軍将校は、虐殺命令に従わない兵士は、命令拒否で軍法会議にかける事なくその場で射殺した。
 敬虔なクリスチャン兵士などは、良心の呵責に苛まれて自殺した。
 生き残ったベトナム人は、「韓国軍はアメリカ軍と違って事前通告をしなかった」と証言した。
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 タイビン村やゴ・ダイ村などには、韓国軍に虐殺された村人の慰霊碑や祈念碑が建てられている。
 「韓国軍が行った非道は忘れない」
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 フーイエン省。ファン・タン・ビン(フーイエン新聞編集長)「66〜68年にかけて、韓国軍はフーイエン省の海側のほぼ全域に駐留していました。ドンホア県をはじめ、フーイエン省には韓国軍による虐殺現場が点在しています」
 「ベトナム旧正月に当たる66年2月18日、フーイエン省内の基地を移動する韓国軍が道中にあるホンドア村を襲った。韓国兵達は村人30人を1ヶ所に集め、若い女性を強姦した。その後、村人は銃で皆殺しにされ、井戸の中に放り込まれた」
 「トゥイホア市のホアドン村では、シエンという名の少女が10人の韓国兵に輪姦された。彼女はその後殺害され、ナイフでバラバラに切り刻まれた」
 「我々は2年間をかけてフーイエン省の村々で起きた韓国軍による虐殺事件の聞き取り調査をしました。その中には我々も耳を疑うような事例が数多、含まれていたのです」
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 ハンギョレ21「1965年12月22日、韓国軍はビンディン省クインヨン市の村を襲撃し12歳以下の子供を含む50人以上の村民を虐殺した。韓国兵は2歳の子供の首をへし折って殺害し、別の子供は木に叩きつられ殺害後、焚き火に放り込まれた」(1999年5月6日)
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 韓国軍は、ベトコンのスパイと見なしたベトナム人(女性や老人に関係なく)を逮捕し、野営地に連行して、残虐な拷問にかけて自白を強要した。
韓国軍兵士は、連行した民間人が無実で真実を語っていても、自分が考えている事にあった供述をするまで拷問をし、思った通りの告白をすればスパイとして処刑した。
 自白しなければ、自白するまで拷問して殺害した。
 ベトナム人女性は、強姦した後に焼き殺した。
 韓国兵に捕まれば、生きて帰れる保証はなかった。
 韓国軍の拷問の残虐さは、韓国内に建設されている反日独立記念館における日本人の憲兵隊や警察官の蝋人形による拷問の様子を見れば、一目瞭然である。
 韓国・朝鮮人の猟奇的凶暴さは、永久に癒される事も救われる事もない鬱屈とした心の「恨」を、反撃される事のない自分より目下や弱者に向けて晴したいという渇望である。
 韓国・朝鮮人の行動心理は、空虚な心の「恨」を、自分は強者であり正義の味方だるという虚像を作り、嘘や捏造や歪曲で慰めようとする心理である。
 朝鮮の歴史は、起きたという出来事としての事実はあっても、歴史的真実は嘘で塗り固めた為に少ない。
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 ハミ村の「追悼碑」
 「青龍部隊の兵士が135人を殺した。ここは血に染まり、砂と骨とが入り交じり、家は焼かれ、火に焼かれた死体が絡み合い、焼けた死体を蟻がかじり、血の臭いが満ち満ちていた。爆風が吹き抜けると、さらに悲酸だった。破壊された家では年老いた母や父が呻きながら死に、子供達は恐怖に怯えた。逃げた人は銃撃されて死に、子供は死んだ母親のもとに這って行きお乳を吸った。……
 過去の戦場がはすでに苦痛を和らぎ、韓国人がここを再訪し、恨めしい過去を認め、謝罪した。そして赦しのうえに、この石碑を建てたのである」
 ハノイの韓国大使館は、未来志向から、追悼碑は両国の友好に有害になるとして碑文の修正削除を要求し、政府や省や県の幹部に賄賂を配って懐柔して味方に付けた。
 虐殺された家族を持つ村人は、韓国側の執拗な圧力に屈し、涙を呑んで碑文に蓮の絵を彫った石板を重ねて蓋をした。
 日本の左翼・左派の反戦平和市民団体は、現実に起きていた韓国軍による虐殺事件を無視して日本軍の虐殺事件を探し、なければ韓国軍による虐殺事件を日本軍による仕業と偽って発表した。
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 タイム誌は、度々、韓国軍による虐殺行為を報道したが、アメリカ軍の虐殺の影に隠れて社会問題化しなかった。
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 韓国軍が運営していた慰安所
 韓国人犯罪組織は、農村部から都市部に逃げてきたベトナム人避難民の女性や少女を騙し、強制連行し性奴隷の商品として性的慰安婦施設に押し込めて、韓国民間人(総勢は1万5,000人)の他にアメリカ軍将兵の相手を強要した。
 さらには、大金を稼ぐ為に、従軍慰安婦として命の危険を承知で危険な戦場近くの駐屯地に女性達を送り込んだ。
 韓国軍と民間韓国人は、郡民一体の管理売春を公然と行い、ベトナム人女性や少女を生奴隷として酷使し、稼いだ金を取り上げ、不平を言ったり反抗すれば猟奇的にリンチにかけて殺害した。
 強制連行された女性達は、慰安婦にされ、性奴隷の如く扱われて捨てられた。
 そして、数多くの混血児が生まれたが、混血児も捨てられた。
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 蔡命新(チェミンシン)「償う必要はない」
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 1970年 アメリカ議会下院外交委員会は、韓国軍による住民虐殺、物資の横流し、麻薬密売などの犯罪を追求する特別調査チームを設置した。
 ベトナムから、韓国軍の犯罪行為を示す膨大な数の証拠書類が提出された。
 その中に、韓国政府と韓国軍がサイゴンに設置した兵士専用の慰安所の存在を示す書簡が含まれていた。
 アメリカ軍司令部から韓国軍最高司令官・蔡命新(チェミュンシン)に宛てた、韓国軍内での犯罪行為の処置と再発防止を求めるものであった。
 韓国軍がサイゴン市内に開設したトルコ風呂は、韓国兵士専用の慰安所で、ベトナム人女性が、本人の自由意志あるいは強制として売春行為を行っている。
 そうした施設は、不正行為の温床になっている。
 韓国軍は、戦場での韓国兵士によるベトナム人女性への強姦し殺害する事件が多発し支配地住民とのトラブルが深刻化した事と、強姦して梅毒や淋病などの性病に罹る兵士が増えて戦力低下が憂慮された為に、サイゴンなどの都市と地方で韓国軍駐屯地周囲に通称「トルコ風呂」という慰安所を開設していた。
 蔡命新は、94年に執筆した自叙伝『死線幾たび』で、韓国軍が慰安所を運営し、ベトナム人女性を慰安婦として人権を無視し人道と道徳に反する性行為をさせていた事を認めた。
 ハンス・イケス「トルコ風呂は、当時サイゴンにいた人の間では、射精パーラーと呼ばれていました。若いベトナム人女性から性的サービスを受ける事だできたからです。
 トルコ風呂で働いているのはほとんどが20歳未満の農村部出身の少女だった。16歳だと語る人もいたし、もっと若く見える女の子もいた。素朴で華奢な少女達に夢中になる兵士も多く、彼らは周りから黄熱病と揶揄されていた」
 アンドリュー・フィンライソン「韓国軍の慰安所は、確かにサイゴンにありました。
 アメリカ軍司令官が指摘している韓国の慰安所とは、韓国軍の兵士に奉仕させる為の大きな性的施設です。韓国兵士にセックスを提供する為の施設です。それ以外の何ものでもありません。
 韓国兵がベトナム人女性をレイプしたり、個別に性的関係を持ったりするのを防ぎたかったからです。また、韓国軍将校が農村で女性を売春婦として囲う恐れもあり、こうした行為はベトナム社会と韓国兵の間で政治的トラブルに発展する危険がありかした。
 また軍にとっては性病も重大な懸念でした。慰安所ならば慰安婦の健康を管理できます。当時南ベトナムでは性病が深刻な問題になっていて、特に梅毒が蔓延していました。
 こうした売春施設で働いている女性はほぼ例外なく農村部出身の極めて若い女性でした。
 彼女達が施設に来た理由は様々です。貧困の為に家族に売られてきた少女もいたし、自らの意思で来た女性もいた。彼女達は、職を失って慰安婦となった。騙されて連れてこられた女性も当然いたでしょう。
 休息期間でサイゴンに滞在する韓国兵の数は時期や季節によってバラツキがありました。このため、そもそもは韓国兵専用として設立された施設ですが、韓国兵の数が少ない時期に、友軍の兵士も受け入れる様になったのです」
 ビン(元南ベトナム憲兵)「私の記憶では、あのトルコ風呂は1968年頃から75年のサイゴン陥落まで営業していました。北ベトナム軍によるゲリラ攻撃からサイゴン市内の主要な政府施設や橋などを守る任務につていた私は、米・韓両国の軍関係者と連絡を取り合う立場にありました。そのため、自宅近くにあったあの施設の事もよく承知していたのです。
 トルコ風呂からおよそ100メートル離れた場所に米軍と韓国軍が共同で運営するMPの施設がありました。女に飢えた彼らは夕方になるとジープやトラックを施設前に乗り付け、大騒ぎしながら先を争うようにトルコ風呂に押し寄せるのです。酒に酔った兵士が徘徊するのですから、住民の多くは不愉快な思いをしていましたが、『軍のやる事だから仕方がない』と諦めていました。
 クォン(南ベトナム空軍パイロット)「韓国軍はダナン市を北ベトナム軍の侵攻から守る目的でダナン市周辺にも展開しており、市内には幾つもの韓国人専用休息所がありました。サイゴンなど南部の都市では友軍としての韓国軍の評判は悪くありませんでしたが、農村地帯での虐殺やレイプの話が広まるにつれ、中部ベトナムでも多くの人が彼らに対し、得体の知れない不気味さを感じる様になったのです。
 もともと彼らは米軍の〝汚れ仕事〟をする役割でベトナムにやって来て、彼らもその立場を甘んじて受け入れていました。ただ、何に於いても〝米軍以下〟の扱いを受けていた韓国兵だったからこそ、戦争という極限下で、非人間的な行為に走ってしまったのかもしれません。私自身、韓国兵との交流もありましたが、68年、ダナンからほど近いハミ村で起きた韓国兵による虐殺事件で知人が殺されたと知ってから、彼らに対する見方がすっかり変わってしまいました」
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 1973年3月 韓国軍は、アメリカ軍が南ベトナムから撤収した後も最後まで残った。
 韓国軍は、兵站部隊として慰安婦を帯同して移動していた。
 ベトナム人娼婦達は、韓国語を話ながら韓国兵に媚を売った。 
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 1975年4月 サイゴンが陥落した日。サイゴンに留まっていた韓国人は、ベトコンによる復讐を恐れて日本大使館に保護を求めて駆け込んできた。
 日本大使館は、中立を守って、韓国人の保護を断った。
 韓国人が、各地で行った虐殺行為でベトナム人の復讐に合う事は自業自得であぅた。
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 金大中大統領は、2001年にベトナムを訪問した際に非公式に謝罪した。
 「不本意ながらベトナム国民に苦痛を与えた事を申し訳なく思う」
 野党副総裁の朴槿恵は、激しく非難した。
 「金大統領の歴史認識を憂慮する。歴戦の兵士の名誉を傷付けるものだ」
 金大中は、国内での厳しい批判を受けた為に謝罪した事を撤回した。
 韓国は、ベトナムにおける韓国兵士による虐殺事件について公式見解を行っていない。
 当然。謝罪もしなければ、反省もしないし、賠償金も払わない。
 そして。自国の歴史教科書から、韓国人による残虐行為の事実を隠蔽した。
 韓国は、歴史を改竄し、捏造し、歪曲し、日本とは違って決して直視する事はない。
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 アメリカ軍は、覚醒剤に溺れていたアメリカ軍兵士の「性」をどう処理していたのか?
 アメリカは、軍国日本が行ったと言われる従軍慰安婦(性奴隷)の問題を裁く権利があるのか?
 アメリカ軍は、日本軍とは違って慰安婦施設を利用する事を厳禁としていたと言われている。
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 アメリカでは、女性の人権を守る為に売春を犯罪として取り締まっていた。
 アメリカ軍は、娼婦を集める事が出来なかった為に、アメリカ人兵士の性処理の為に現地調達方式を採用した。
 「軍基地の軍事売春宿は師団長の承認で作られ、運営は大佐級の旅団長の管轄とされた。明らかにベトナムにおける軍売春宿は陸軍参謀総長イリアム・ウエストモーランド、サイゴンアメリカ大使館、そしてペンタゴンの支持で存在していたのである」
 アメリカ兵の多くは、戦争への嫌悪感を紛らわせる為に、マリファナ大麻を吸い、韓国人やベトナム人の女性を買ってセックスを楽しんでいた。
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 アメリカ軍と韓国軍は、従軍慰安婦を伴って侵略していた日本軍よりも品行方正で紳士的であったと言われている。
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 室谷克美「その数は1万から3万と言われ、韓国では負の歴史として認識されています。ライタイハンには大きく2パターンあり、一つは韓国軍人による強姦で生まれたケース。もう一つは、軍向けの飲み屋で働く女性などを〝結婚するから〟と口説き、性行為に及んで出産したケースです。〝いずれベトナムに戻ってくるから〟と言いながら、結局、逃げてしまった人が非常に多かった」
 徳岡孝夫「1973年、パリ協定によって米軍が撤退した後の事です。ベトナム中部のクイニョンという街の、しがないバーに行ったら、アオザイではなくミニスカートを穿いたベトナムの若い子がいた。そして、韓国軍兵士と韓国語で喋り、お金をもらって一緒にホテルに消えていった。従軍ではなく〝在留慰安婦〟といったところでしょうか」
 村山康文「私は、実際に4人のライタイハンにあった事があります。まず、戦争特需を狙ってベトナムへ渡った韓国民間企業の男性に犯された結果、生まれた人。次に、150人規模の韓国軍基地で配膳係をしていた女性が強姦されて出来た子供。そして、韓国軍兵士と自由恋愛のもとで生まれた人に加え、韓国軍の拠点基地だったクイニョンの売春宿の女性が出産した子供もいました」
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 1999年5月6日 ハンギョレ新聞紙の雑誌「ハンギョレ21」は、韓国軍による民間人虐殺やベトナム人女性強姦を告発する特集記事を掲載した。
 「女性を強姦した後、殺害して、妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで踏み潰す」
 「強姦の被害は判明している数の数倍はいるだろう。なぜなら、韓国兵は犯したあとに殺すからだ」
 2000年 ニューヨーク・タイムズは、ベトナム戦争時の韓国軍による虐殺の特集記事を掲載した。
 一部の韓国人は、、政府と軍に対してベトナム人への謝罪と賠償を求める市民運動を展開した。
 大多数の国民は、日本に謝罪と反省を求めている手前、事実が知れれば立場が悪くなっるとして無視した。
 6月27日 大韓民国枯れ葉剤後遺症戦友会は、2,400人を動員して、ベトナム戦争に於ける韓国軍の虐殺を報じたソウル市麻浦のハンギョレ新聞社を襲撃し、半日占拠した。
 戦友の名誉を冒瀆したとして、編集局長ら数人に傷を負わせ、破壊と放火を行った。
 警察当局は、軍を刺激しない為に、5名を逮捕して事件を有耶無耶に処理した。
 12月15日 ソウル市明洞の全国銀行連合会大会議室で、軍事評論家協会とベトナム戦争真実委員会による共同討論会が開かれた。
 蔡命新(元ベトナム派遣軍司令官)「民間人を守ろうとした軍隊は、歴史上我々だけだ。我はベトナム人の為に良い事をした。田植えもした。家も建て、子供の為にパーティも開いた。6人のベトコンを処刑したとされる小隊長を死刑にせよ、という意見も出るほど、良心的であった。毛沢東思想、農民のものに手を出してはいけないという思想を実践していたのは、我々である。
 米軍からの手当の月80ドルも使わないで、すべて郷里へ送金していた。ベトナム戦争で韓国人は外に出て、始めて自信を持った。国の為に戦って、枯れ葉剤による後遺症に苦しむ3万人以上の退役者がいる。
 私は孫の世代に、『良民を殺した』と疑われるのは耐えられない。
 極限状態で起きた稀な事件を、ベトナム派遣軍全体の事にするな。
 我々の名誉は政府、国防相が守るべきである。
 新聞、雑誌に二度と『韓国兵のベトナム人虐殺』といった記事を載せるな。500万人になる我々は、絶対に許さない」
 国防大学院長(元師団長)「今、韓国の資本がベトナムに入って感謝されている。不幸な過去を取り上げるのは国益に反する。ベトナムから賠償要求が出たら、どうするのか」
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 2013年8月 韓国国防部は、アメリカのニュースサイト「グローバル・ポスト」の取材を受けて答えた。
 「韓国軍が、組織的に民間人を虐殺する事は不可能。我が軍隊は厳しい規律と命令系統の下で任務を遂行しており、ベトナム人女性の性的搾取もまったくない」
 ベトナム戦争に従軍した退役軍人会は、ベトナム戦争にいて韓国軍は「人道に対する罪」を犯していないと主張し、そんな事実はないと完全否定した。
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 軍国日本は、西欧列強の植民地支配からアジアとアジア人を解放すると大見得を張って、一国で世界を相手に絶望的戦争を始めた。
 韓国軍は、白人の植民地支配を守り、アジア人の奴隷的境遇の改善に反対し、アメリカ軍に協力してベトナム人民軍を攻撃し、アメリカ兵に隠れてベトナム人民間人を虐殺した。
 日本国内で反戦運動が盛り上がり、市民や学生はベトナム戦争に反対した。
 韓国国内では、日本ほどの反戦運動は起きず、むしろ賛成派が多数を占めてベトナム派兵を支持した。
 キリスト教に改宗する韓国人は年々増加したが、日本人で洗礼を受ける者はほんの僅かにとどまった。
 日本人口の内、キリスト教徒は1%にすぎない。
 韓国のキリスト教徒は、人口の50%以上いる。
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 朴裕河(世宗大学日本文学科教授)「ベトナム人をどれだけ殺傷したか、されにはベトナムの少女をどれほど強姦したかについて、国立墓地や戦争記念館は沈黙を続けている」
 ハンギョレ新聞「ベトナム戦争に起きた民間人虐殺を最後まで認めようとしない韓国人の心にも……いつの間にか靖国は渦巻いているのかもしない」
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 現代韓国の社会や経済は、ベトナムでの虐殺によって発展した。
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 2014年3月7日 北朝鮮と深い関係にある韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)は、「ベトナム戦争での韓国軍民間人虐殺及び性暴力問題解決の為の訴え」という声明を発表した。
 従北勢力である挺対協は、北朝鮮が有利になっる事であれば如何なる問題も取り上げ、嘘と捏造と歪曲で騒ぎ立てている。
 従軍慰安婦問題で、日本を。
 ベトナム戦争で、韓国を。
 朝鮮戦争で、アメリカ軍を。
 当然。朝鮮戦争に於ける、北朝鮮や中国などの共産軍の虐殺は告発しない。
 極東アジア、日本と韓国の不安定化の最大の原因は、日本国内の反日的日本人達と韓国国内の従北勢力である。
 彼等の目的は、両国のアメリカ寄りの現政権を打倒して、両国を共産主義化して中国共産党政府の属国にする事である。
 反日的日本人が日本の事を真剣に考えて事と同様に、韓国の従北勢力も韓国の事など考えてはいない。
 彼等を裏で操っているのが、東アジアを共産主義化して支配しようとしている中国共産党であり、中国軍である。


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