☯65」─1─韓国版アウシュビッツ事件=兄弟福祉院事件。〜No.295No.296No.297 *     

週末ソウルでちょっとほっこり (朝日文庫)

週末ソウルでちょっとほっこり (朝日文庫)


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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 アジアにおいて。
 ホロコーストやジェノサイドは、中国共産党支配下にあった。
 アウシュビッツは、韓国にあった。
 日本には、ホロコーストやジェノサイドやアウシュビッツははなかった。
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 1975年 全斗煥政権は、1986年の第10回アジア競技大会と1988年のソウルオリンピックを開催し成功させる為に、浮浪者・障害者・孤児などを外国人の目から隠蔽する「浄化作戦」を命じた。
 内務部(現、安全行政部)は、浮浪者、障害者、孤児ら約3,000人を街中から強制連行し、釜山直轄市にある兄弟福祉院に強制収容し、強制労働や暴行で513人を惨殺した。
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 チン・ソンミ議員(新政治民主連合)「兄弟福祉院事件は浮浪者など社会的弱者を一掃しようとした国家次元の犯罪という事実を糾明できる法的根拠を用意しなければならない」
 ヨ・ジュンミン兄弟福祉院対策委員会事務局長は「兄弟福祉院事件が明らかになったことにより他の収容所に監禁された被害者の情報提供と陳情が相次いだ」
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 国際世論とアメリカ、カナダ、オーストラリアなどの反日派市民団体は、沈黙する。
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 2013年10月30日 ハンギョレ21「【国家が産んだ『生き地獄』の真実】
 独裁政権が乞食を取締り、闇雲に監禁
 人権蹂躙・不審死が横行した釜山『兄弟福祉施設』事件
 26年ぶりに真実糾明へ
 1987年は、ソウル大の学生、パク・ジョンチョルの死で始まった。
 1月14日未明、治安本部(現警察庁)南営洞(ナミョンドン)対共分室509号に連行されたパク・ジョンチョルは、数回の水拷問の末に亡くなる。 大統領府・国家安全企画部(現国家情報院)・検察・警察などの国家機関は、彼の死を組織的に『縮小・隠蔽』した。
 22年後『真実・和解の為の過去事整理委員会』が明らかにした真実だ。
 同じ年の3月22日、もう1つの死があった。名前の三文字だけが、かろうじて残るキム・ゲウォンである。彼は、全国最大の浮浪者収容施設『釜山兄弟福祉院』の収容者だった。
 蔚山(ウルサン)蔚州郡(ウルチュグン)の山を開墾する為、畜舎に監禁、1日10時間以上働かされた。警備員に『袋叩き』にされ亡くなった。検死結果は『腎不全症による死亡』に塗り返られた。
 あれから26年の月日が流れた。釈然としない死を巡る真実は、未だタダの一度も糾明された事が無い。
 1975〜1987年の死亡者だけで、なんと513人
 朴正熙(パク・チョンヒ)・全斗煥(チョン・ドファン)と受け継がれた軍独裁政権は、産業化の過程で、都市貧民となり、路頭に投げ出された人々を『片づけて当然の潜在的犯罪者』と見た。本人の意志とは無関係に、人目に付かない施設に監禁した。キム・ゲウォンも、その内の1人だったはずだ。
 死者は、1人や2人では無かった。釜山市と委託契約を結び『浮浪者』を収容し始めた1975年〜1987年までに、兄弟福祉院で亡くなった人は、なんと513人に上る。施設が、自主的に集計した人数でこれ程なのだ。 福祉施設からの生存者は、兄弟福祉施設について、人権蹂躪・性的暴行・強制労働が横行する『生き地獄』だったと証言した。
 飢えや暴力の結果の多くの死は『病死』として処理された可能性もある。一部の遺体は、医科大学の解剖学実習用として販売られたと暴露する者もいる。国家政策の野蛮性は、社会福祉法人の犯罪すら黙認した。パク・ジョンチョルの死によって危機に陥った権力側は、兄弟福祉施設事件を『縮小・隠蔽』した。
 加害者のパク・イングン一家は、26年間、引き続き社会福祉法人を運営している。
 清楚なスーツ姿に、金縁眼鏡をかけた男。10月23日ソウル江北(カンブク)区庁近くで会ったキム・スチョル(44・仮名)氏は、同じ年頃の普通の会社員と変わりなかった。そんな彼には、実の兄にさえ打ち明けられなかった秘密がある。約2年間、兄弟福祉施設に収容されていた事実だ。何とか忘れようと、敢えて口にしなかった。その一方、恥ずかしいと言う気持ちもあった。国家が収容者に被せた『社会悪』の烙印は、一般の人々の間でも通用した為である。
 両親と早くに死別した少年は、済州道(チェジュド)で育った。14才の時、長男が暮らす釜山に渡った。兄の家に泊まっていたある日、釜山駅に遊びに行った事が禍根(かこん)となった。
 制服を着た中年の男が、少年を呼んだ。平凡に見える人や身なりのみすぼらしいホームレスまで、約10人の大人と一緒にバスに乗せられた。兄弟福祉院に向かうバスだった。
 釜山市北区(プック)周礼洞(チュレドン)の山の中腹に建つ要塞の様な場所だった。少年は、兄の家の住所と電話番号を覚えていなかった。済州道(チェジュド)の自宅住所を誰かに話したが、家族には会えなかった。福祉施設での生活は、獣の様なものだった。収容者は、組長→庶務→小隊長→中隊長と序列体系が組まれていた。序列の頂点には、パク・イングン院長がいた。
 そして、暴力を行使する権限を持つ人々も又収容者だった。腕章をした収容者は残酷だった。常に腕章を剥奪される可能性があったからだ。国家に自由を強奪された人々は、こうして人間性まで失っていった。
 ほぼ毎日、理由の無いまま殴られた。長時間、逆立ちの状態で、気合いを入れられ、瞳孔の膜が剥けたが、一度として治療は受けられなかった。殴られ、バタバタと倒れた子供達が、その後どうなったのかは、今も分からない。頭を上げられなかったからだ。
 同性間の性暴行も多かった。彼もやはり被害者だった。福祉院の中には、約3,000人の収容者が、全て入れる規模の『セマウム(新しい心)教会』があった。絶えず殴られながら、神のお言葉を丹念に覚えなければならなかった。
 14才の少年を、どん底まで追い詰めたものは一体何だったのだろうか?
 維新の恐怖政治が絶頂期だった1975年12月、『内務部訓令第410号(浮浪者の申告・取締り・収容・保護と帰郷及び事後管理に関する事務処理指針)』が制定された。業務指針のみで、いわゆる『浮浪者』の強制拘禁が始まった。
 国家の定義する『浮浪者』とは「一定の住居が無く、観光業所・駅・バス停留所など、多くの人の集まる又は通行する場所・住宅街を徘徊する又は地面に座り、もの乞いもしくは物品を売り付ける事により、通行人を困惑させる乞食・ガム売り・物乞い商売など、健全な社会及び都市秩序を阻害する人々」だった。
 1987年2月に作成された新民党による『兄弟福祉施設、真相調査1次報告書』を見ると、警察は、浮浪者取締り件数に応じ、勤務評価点を受けていた。拘留は、2〜3点だったが、浮浪者を福祉施設に入所させた場合は5点が与えられた。
 1986年、兄弟福祉施設に収容された3,975人の内、警察の依頼による収容者は3,117人、区庁の依頼による収容者は253人だった。こうして満たされた頭数に応じ、福祉施設は『国庫補助金』を受給した。状況が、状況であるだけに、滅茶苦茶な拘禁が成り立ったのだ。
 浮浪者取締り件数に応じ、評価点を受ける警察
 1987年2月3日付<東亜日報>には、兄弟福祉施設で生活した人々による暴露記事が掲載。ヤン・某(当時26才)氏は、警察官の仕事をしている釜山の兄の家に向かう途中、突然降り出した雨を避ける為、釜山駅前の地下道へ行き、福祉施設に連行された。ソウルで暮すソ・某(当時32才)氏は、高校卒業後、無銭旅行中、釜山駅前で背中を丸めて寝ていたのが拘禁の理由となった。福祉院へ入った当時、成人だったこれらの人々は、強制労働に苦しんだと打ち明けた。
 1986年のある日、キム・スチョル氏は、15人の集団に混ざり、高さ5mを越える福祉施設の塀を越えた。誰かが事前に、梯子を置いておいた様だった。福祉施設のマークが鮮かな服を着たまま逃げた。警備員が追いかけてくる姿を見て怯え、薮の中で5〜6時間静かにしている必要があった。
 偶然見つけた線路に沿って、暗い人生のトンネルに入った。小学校も卒業出来なかった少年は、靴磨き・中華料理店の従業員など、仕事を転々とした。家を探して欲しいと、警察署に行く事すら出来ない身の上だった。再び福祉施設に送られる事は、明白だったからだ。
 家族に再会出来たのは、18才になった年だった。いつの間にか少年は、自分の生き方に責任を負う必要のある成人の入り口に立っていた。19才の時、困難に耐えれず、他人の物に手を付け、刑務所の世話になった事もある。家庭を持ち、子供を設けたものの、不幸は常に彼を困難に陥れた。立派な職場を持つ事は、簡単では無かった。約10年前、妻と別れた。
 「思えば、兄弟福祉院に監禁されたのが不幸の始まりでした。兄の家にいれば、技術でも習得する事も出来たでしょうから。」無残な過去を思い出しながら、彼は終始物静かに語り続けた。福祉施設で過ごして以来、自己主張が出来なくなったと話した。日常化された暴力は、あらゆる方法で傷跡を残した。
 現在は、パク・イングン院長の息子が代表
 ニュースは見るが、選挙には参加したく無かったと言う。自分には、関係のない世の中だった。そんな彼が、今年の夏、兄弟福祉施設を再び思い出したのは、別の兄弟福祉施設被害者ハン・ジョンソン(38)氏の勇気の為だった。
 昨春、チョン・キュチャン韓国芸術総合学校教授は、ソウル汝矣島(ヨイド)の国会議事堂前で『少しだけでも、私の話を聞いて下さい!!』と書かれたプラカードを持ち、1人デモをしていたハン氏に近付いた。1984年、12才の姉と共に、兄弟福祉施設に連行された9才の少年の話は『生き残った子供』と題する本になり出版された。
 続いて『障害と人権、草の根行動』など、多くの市民団体を中心に『兄弟福祉施設真相究明の為の対策委員会設置準備委員会』が構成された。これらの団体は、全国に散在している被害者証言と事件の関連記録を集めている。今後、政府による事件の真相究明と謝罪を要求する計画だ。
 兄弟福祉施設事件は、世間の関心を集めた有名な事件だった。2000年代には、不十分ながら過去の事実真相究明作業が行われた。ところで、この事件の真実は、全て明らかになったのか?それとも、まだ明らかになっていないのか?
 「1987年、兄弟福祉施設パク・イングン院長は拘束起訴され、個人的不正・横領だけに焦点が絞られた。浮浪者や乞食は『収容されて然るべき』と言う意識が、社会の底流に流れ、事件自体を国家が作り出した人権侵害犯罪とは見ていなかったのだ。しかも、1987年は激変する時期だった事もあり、早い内に露呈したものの、早い内に隠蔽された。
 『国家犯罪』の著者、イ・ジェスン建国(コングク)大法学専門大学院教授の分析だ。被害当事者のスチョル氏でさえ、自身の体験した困難を『犯罪』とは感じていなかったと話した。兄弟福祉施設被害者は、国家権力・市民社会の両方から排除された『権利』を喪失した人々だった。
 キム・ゲウォンが死に追い込まれる2ヶ月前の1987年1月、当時の釜山中央地検蔚山(ウルサン)支庁所属キム・ヨンウォン検事(現弁護士)は、パク・イングン院長を業務上横領容疑で拘束起訴する。ところが、その翌朝、釜山市長が、彼に電話をかけて来た。「パク院長を拘束してはいけません。早く釈放しなければなりません。」上層部は、捜査の縮小を勧めた。パク院長は、7度の裁判の末、懲役2年6ヶ月を求刑され、1989年に釈放された。最高裁は、2度『不法』監禁は、していないと判断した。
 パク院長は、獄中にいたが、釜山市は法人を存続させ続けた。何度か看板だけが変わった後、現在は、兄弟福祉支援財団となった。パク院長は、2011年まで該当法人の理事として活動、現在は息子のパク・チョングァン(38)氏が、代表理事を務めている。
 庶民の預金が、この法人に流れ込んだ状況も判明した。2005年、法人は、収益事業部増築工事費の名目で『釜山相互貯蓄銀行』から長期借入を開始、2009年までに118億ウォンの融資を受けた。昨年、釜山市は、借入金に関しての特別検査を実施。118億ウォンについての入出金内訳が明確に管理されておらず、約40数億ウォンは、使途不明だった。会計監査さえ受けていなかった。
 真相究明の為の特別法必要
 『国に謝罪して欲しいです』 キム・スチョル氏の素朴な願いは、真相究明の為の特別法など、制度的な用意されなければ不可能だ。2013年10月25日現在、勇気を奮い対策委準備会側に連絡して来た兄弟福祉施設被害者は、失踪者の家族を含めて31人。「兄弟福祉施設の話を沢山書いて下さい。記事になれば、他の被害者が名乗り出てくるかも知れません」別れ際のキム・スチョル氏の要望だった。
 26年間、口を閉ざして生きて来た人々の苦痛を、再び無視するのか?1987年、あの時のように…。
 今、その岐路に立っている。
  パク・ヒョンジョン記者」
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 2104年8月15日 zakzak by 夕刊フジ「韓国の歴史的恥部 路上生活者ら強制収容 大量の死者も 朴大統領ピンチ…  
 朴槿恵大統領は負の遺産を正視できるか(聯合=共同)【拡大】
 朴槿恵(パク・クネ)大統領率いる韓国で、恥部といえる人権侵害の実態が解明されようとしている。1970年〜80年代、路上生活者や障害者を強制収容し、暴行などで大量の死者を出した施設について、国会で真相究明の動きがあるという。韓国メディアは同施設を「韓国版アウシュビッツ」と呼んでおり、国際社会から厳しい目が注がれそうだ。
 問題の施設は、釜山にあった「韓国兄弟福祉院」(現在は名称変更)。韓国紙・ハンギョレ新聞(日本語電子版)は先月、最大野党・新政治民主連合が、同施設の真相究明や被害者救済を目的とした特別法を国会に提出する動きを報じた。
 法案作成に関わった同党の陳善美(チン・ソンミ)議員は「兄弟福祉院事件は社会的弱者を一掃しようとした国家次元の犯罪」と語るが、この施設で何が行われたのか。
 ハンギョレ新聞によると、兄弟福祉院は釜山市と委託契約を結び、75年から87年まで、路上生活者や障害者、孤児を強制的に収容した。収容者は強制労働が課せられ、暴行も日常的だったという。結果、収容者約3000人に対し、死亡者は513人。何と17%が亡くなったことになる。
 見過ごせないのが、こうした人権侵害が国家主導で行われた点だ。
 韓国の内務部(現安全行政部)が75年に制定した「訓練410号」が根拠となり、「路上生活者の申告、取り締まり、収容、保護と帰郷および事後管理に関する事務処理指針」が規定され、同施設への強制収容が可能となったという。
 報道通りなら、「日本軍による強制募集」の証拠が何一つ出てこない慰安婦問題とは異なる国家的犯罪ではないのか。
 ジャーナリストの室谷克実氏は「当時の韓国では『町の与太者を集めて根性をたたき直す』みたいなことが平気で行われた。そういう時代の惨事だろう」と指摘する。
 ソウル五輪(88年)前に、路上生活者やスラム街を外国人から隠すための“浄化作戦”が徹底されたことも、蛮行の温床となったようだ。
 訓令410号が制定された75年は、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の統治下のため、娘の朴槿恵大統領にも批判の矛先が向きかねない。朴氏はいつも「人権」を持ち出して日本を批判するが、自国の人権問題にどう取り組むのか。」

 

 


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ソウル五輪の軌跡

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