☵12〕─1─韓国メディアは、 日本の新紙幣1万円札の渋沢栄一は収奪の主役と激しく非難した。~No.74No.75No.76 

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 2019年4月9日 msnニュース KYODO 共同通信社渋沢栄一の新1万円札採用を批判 韓国メディア「収奪の主役」
 【ソウル共同】日本政府が新1万円札に実業家渋沢栄一肖像画を採用すると発表したことを受け、韓国メディアは9日、渋沢が「日本の帝国主義時代に朝鮮半島の経済を奪い取った主役だった」と強調した。
 聯合ニュースは、渋沢が設立した第一銀行が大韓帝国時代の1902~04年に朝鮮半島で発行した紙幣にも渋沢の肖像画が使われたとし、「朝鮮半島の初めての近代的な紙幣に登場し、韓国に恥辱を抱かせた」と主張した。
 KBSテレビも、朝鮮半島の収奪の歴史を象徴する人物の肖像を採用するのは「過去の歴史を否定する安倍政権の歴史修正主義が反映された可能性がある」との見方を伝えた。」
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 4月9日01:14 産経新聞「紙幣 20年ぶりに刷新へ 一万円札に渋沢栄一
 新紙幣について会見する麻生太郎副総理兼財務相=9日午前、東京都千代田区財務省(宮崎瑞穂撮影)
 政府が一万円などの紙幣を20年ぶりに刷新する方針を固めたことが8日、分かった。新札の肖像画には、一万円札が「資本主義の父」と呼ばれた実業家の渋沢栄一、五千円札は津田塾大創始者の津田梅子、千円札は「近代日本医学の父」といわれる医学博士の北里柴三郎の起用を検討している。早ければ9日にも麻生太郎副総理兼財務相が発表する。」
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 4月9日12:38 産経WEST「新紙幣に採用 3人はどんな人?
 ■日本の資本主義の父
 一万円札の肖像画に選ばれた渋沢栄一は「日本の資本主義の父」と呼ばれる人物だ。天保11(1840)年、現在の埼玉県深谷市の農家に生まれた。幕末に幕臣として仕え、明治維新後は新政府で働いた後、実業界に転じ、明治6(1873)年に設立された「第一国立銀行(現みずほ銀行)」など約500の企業の設立や運営に関わった。紙幣や国債などへの紙需要を見込み、国内で初めての製造会社として現在の王子製紙の創立にも参画した。関西でも「第三十二国立銀行(現三井住友銀行)」や東洋紡大阪ガスの設立に携わった。
 ■現津田塾大を創立
 五千円札の顔になる津田梅子は明治4(1871)年、政府が欧米派遣した「岩倉使節団」に6歳で加わった。日本で最年少の女子留学生5人のうちの1人とされ、帰国後は女子教育のための学校をつくりたいとの夢を膨らませ、家庭教師や華族女学校の教師に従事した。
 明治33(1900)年には、私立の女子高等教育機関として日本初の「女子英学塾(現津田塾大)」を創立するなどし、女子教育の先駆者としてその名を残した。
 ■破傷風の治療法開発
 千円札の顔に採用された北里柴三郎は近代医学に貢献した医学者だ。ドイツに留学して細菌学者のロベルト・コッホに師事。
 破傷風菌の純粋培養技術や血清を使った治療法を開発し、世界的に知られるようになった。
 帰国後も結核予防や細菌学研究に取り組み、大正3(1914)年には、北里大の前身となる研究所を設立したほか、慶応大医学部の創設にも尽力した。
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