🗻5〕─1・B─百舌鳥・古市古墳群の世界遺産決定。世界遺産委は1600年の歴史性を称賛した。〜No.17No.18No.19 

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   ・   ・  {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博} ・   
 日本の天皇陵・古墳は、中国の皇帝陵やエジプトのピラミッドとは違う。
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 1600年以上にわたって貴重な民族遺産である天皇陵・古墳群の存続を保証してきたのは。天皇が持つ「菊の御威光」であった。
 天皇陵・古墳群を命を犠牲にしても守ってきたのは、地元住民と身分低く貧しい郷士達であった。
 天皇陵・古墳群は、現在も存在する天皇・皇族の祖先、男系の血筋・血統で繋がった直接な祖先の墓である。
 天皇陵・古墳群は、現在も存在する特殊な血筋・血統を引く特別な一家系の個人の墓である。
 天皇陵・古墳群を世界遺産に決定した事は、現在も継承されている天皇家・皇室の存在を正当に認めた事になる。
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 2019年5月14日 産経新聞「【世界遺産】都市部の歴史遺産、景観保全と世界への発信重要
「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産
 古市古墳群、(画像下から)誉田八幡宮応神天皇陵と仲姫命陵と允恭天皇陵=2017年6月30日、大阪府羽曳野市(本社ヘリから、宮沢宗士郎撮影)
 世界に例のない巨大前方後円墳が集中する百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群が、世界文化遺産登録へ大きく前進した。天皇陵を中心に1600年前の姿を今に伝え、古代国家の形成過程を物語る古墳群は、人類共通の歴史遺産にふさわしい。ただ、両古墳群は大都市にあるがゆえの景観保全という課題を抱えている。また、宮内庁管理の天皇陵などは立ち入りができないことから、今後は公開のあり方を含め、世界に歴史的価値をいかに発信するかが問われる。
 5世紀を中心に約230基の古墳が築かれたとされる両古墳群だが、戦後復興や高度経済成長に伴う開発で多くの古墳が破壊され、今は89基に減少している。
 「世界遺産の墳墓群で、両古墳群ほど都市部にあるケースはない」(堺市担当者)という状況の中、地元の堺、羽曳野、藤井寺の3市は古墳周辺にバッファゾーン(緩衝地帯)を設定。建築物の高さ規制や景観規制などを強化してきた。しかし、それはあくまでも景観保護のスタートラインに立っただけだ。規制前に作られた既存建物の扱いや、都市開発と景観保護のバランスなどクリアすべき問題は山積している。
 一方、皇室の祖先をまつる天皇陵などは立ち入りが禁じられ、内部の詳細は明らかではない。発掘は墳丘保護を目的にした範囲にとどまり、被葬者を納めた石室などの調査は行われていないからだ。これに対し、研究者からは「世界遺産になれば海外の人も増え、立ち入り厳禁の現状を世界が理解してくれるかどうか」として、墳丘を囲む堤の一部の公開などを求める声もあがっている。
 景観を保ち、陵墓としての尊厳を守りながらどこまで情報公開が可能か。「都市の中で生き残った歴史遺産」を将来に伝えるためには、世界的な視点も含めた国民的議論が欠かせない。(小畑三秋)」
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 5月14日 産経WEST「【世界遺産】古代国家形成の象徴 巨大権力を国内外に誇示
 「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産
 仁徳天皇陵古墳(手前)など=大阪府堺市(本社ヘリから、宮沢宗士郎撮影)
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)諮問機関のイコモスが、世界文化遺産に「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)を登録するよう勧告した。日本列島に国家はいつ誕生したのか。百舌鳥・古市古墳群は、その謎解きの大きな鍵を握る存在といえる。
 古代国家の成立は、国の法律である律令(りつりょう)が制定され、天皇中心の中央集権体制が築かれた7~8世紀の飛鳥時代というのが一般的。同古墳群ができた4~5世紀の古墳時代は、その前段階だ。大阪府立近(ちか)つ飛鳥博物館の白石太一郎名誉館長によると、当時は大和(奈良県)や和泉・河内(大阪府)、吉備(岡山県)など各地の首長による連合政権だったという。
 一方、中国大陸では4世紀、北方遊牧騎馬民族が南へ勢力を伸ばして朝鮮半島北部の高句麗(こうくり)に迫った。高句麗は半島南部の新羅(しらぎ)や百済(くだら)に侵攻。高句麗の南下を脅威に感じた大和政権は百済と同盟を結び、防衛力強化のため、百済から最先端の軍事力だった騎馬の技術を積極的に導入した。
 これにより、瀬戸内海を通じて大陸との外交を担っていた大阪湾に近い和泉・河内の勢力は、次第に政権の中枢を握るようになったとみられる。3~4世紀に大和を中心に築かれていた巨大古墳が、4世紀末から突然、大阪平野の和泉・河内の地に移ったのも、こうした力関係を示していると考えられる。
 「そのことを如実に物語るのが百舌鳥・古市古墳群の出現」と白石さん。国内最大の仁徳天皇陵古墳(堺市、墳丘長486メートル)をはじめ全国の巨大古墳ベスト10に5基が入っている同古墳群は、海上からみることができる大阪湾近くに築くことで国内外に巨大権力を誇示していたとみられる。白石さんは「東アジアの大きな変化の荒波に巻き込まれることになったことを示す」と説く。
 武器、甲冑(かっちゅう)などの金属加工技術だけでなく、文字の使用も本格的に始まった。日本書紀などには、王仁(わに)博士が論語千字文(せんじもん)を伝えたと記す。白石さんは「倭国(日本)が東アジアの文明社会に加わったのがこの時代。古代の文明開化ともいえ、国家がどのように形成されたかを示す貴重な歴史遺産だ」と話している。
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 5月14日 00:23 産経新聞WEST「「百舌鳥・古市古墳群世界遺産へ 全49基、ユネスコに登録勧告
「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産
 政府は14日未明、国連教育科学文化機関(ユネスコ)諮問機関のイコモスが、世界文化遺産に「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)を登録するよう勧告したと明らかにした。6月30日から7月10日にアゼルバイジャンの首都、バクーで開かれるユネスコ世界遺産委員会の審査で、登録可否が決定される。登録勧告は尊重されるのが通例で、登録はほぼ確実となった。陵墓が世界遺産になるのは初めて。
 登録が正式に決まれば、国内の世界文化遺産は昨年の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎県熊本県)に続き19件、自然遺産を含めた世界遺産は計23件となる。大阪府では初めて。
 百舌鳥・古市古墳群は、百舌鳥エリア(堺市)と古市エリア(羽曳野市藤井寺市)の計49基で構成。古墳時代最盛期の4世紀後半から5世紀後半、大陸と行き来する航路の発着点だった大阪湾を望む場所に築造され、航路からの眺望を意識したとみられる。
 両エリアには墳丘の長さが486メートルもある国内最大の仁徳天皇陵古墳をはじめ、大規模な前方後円墳が集中。巨大古墳の周りを中小古墳が取り囲み、被葬者の権力や身分の階層を示している。
 帆立て貝形や方形など幾何学的にデザインされており、築造技術の高さを示す。多様な規模と形状を持つ墳墓群は世界でもまれで、墳墓によって権勢を誇示した歴史を物語る。
 平成29年7月に国の文化審議会が推薦候補に選定。文化審は「推薦内容の見直しを迫られる可能性もある」との厳しい見方を示していた。だが、遺産の価値の説明を分かりやすくするなど推薦書を練り上げた。
 仁徳天皇陵古墳などは世界最大級の墳墓だが、世界的な知名度は低い。住宅街にあるため見学者の受け入れ態勢が十分といえず、府の担当者は「来訪者が一時的に増えるのは確実だが、来年以降も来てもらえるかが課題だ」と話す。
 来夏の世界遺産委では、政府が自然遺産に推薦した「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」(鹿児島県、沖縄県)が審査される。
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2007年9月 大阪府など4自治体が「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産登録を文化庁に提案
  10年11月 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の暫定リストに記載
  17年7月 国の文化審議会が国内候補とすることを決定
  18年1月 政府が、19年登録に向けユネスコに推薦書を提出
     9月 ユネスコ諮問機関が現地調査
 19年5月13日 ユネスコ諮問機関が登録勧告
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 6月21日号 週刊朝日「ようこそ 古墳の世界へ
 『百舌鳥(もず)・古市古墳群』が6月末からの第43回世界遺産員会で世界文化遺産に登録される見通しである。
 そこで、いまだ謎が多い古墳とは何か、どこに何があったのかなど、じっくり掘り下げてみたい。
 取材・文=鮎川哲也(本誌)
 ムラのランドマークだった
 3世紀から7世紀末にかけて大王(天皇)や王(豪族)の墓として造られた古墳は、単なる墓ではなく、地域集団のシンボルでもあった。
 『古墳は大王や王(豪族)の墓で、人々をムチ打って墓づくりに動員したのではなく、王を奉じる人々が積極的に関わったと考えられます。いわば共同体のシンボルといえるでしょう』と明治大学准教授の若狭徹さん。
 とくに前方後円墳を造るには文化と政治の中心であったヤマト王権の承認が必要で、前方後円墳ヤマト王権のメンバーである証しだった。中央から進んだ文化がもたらされ、経済的にも恵まれることを意味した。
 『前方後円墳築造の承認を受け、ヤマト王権との関係の深さを示すことで、王は他地域の王より優位になれたのです』
 前方後円を造ることが許された王はムラの人々から敬意を払われ、死後丁重に埋葬された。
 『王は古墳づくりの共同作業によって地域を上手に統治し、ムラ人の事績を表す埴輪の並ぶ古墳を見て、地域の安定を約束されたと感じていたでしょう。古墳は、いわば〝みせる王権〟ともいう存在でした』

 古墳を守り飾る埴輪
 円筒や人物、動物などを象(かたど)り、古墳に並べられた埴輪。
 ユニークな造形やユーモラスな表情もあり、古墳を彩る造形物である。
 古墳時代にはさまざまなものが造られ、そのいくつかは現在も目にすることができる。なかでもユニークなものは埴輪で、古墳の周囲や墳丘に数多く立て並べられた。
 『円形の埴輪は、古墳を守る垣根のような存在で、魔除けの意味もあったと考えられます』(若狭さん)
 円筒埴輪や盾持ち人埴輪は威嚇し、人物・動植物埴輪群像は、王の事績を示し人々を安心させるものだった。さらに、異彩を放つ造形で、常に人に見られることを意識した『公の芸術品』でもあったといえるかもしれない。

 豪華で華やかな副葬品
 大王や王とともに埋葬された副葬品。貴重な銅、鉄製品、そして豪華なガラス類は埋葬者の権威の象徴でもあった。
 古墳の周囲に並べられ、見られることを意識した埴輪とは異なり、副葬品は大王や王とともに埋葬され、儀式に参加したり、埋葬をしたりした一部の者しか目にすることができなかった。
 銅鏡や、銅剣、甲冑などの武具をはじめ、金や銀の装飾品など、豪華で貴重なものも埋葬された。副葬品に豪華で貴重なものが多いのは、埋葬された王や支配者の地位や権威を表すものでもあったからである。
 ただし、大王や王で絶対服従的に地域集団を支配したのではないので、敬意を持たれていたともいえる。そして死後も生前のような生活が送れることを願ったのかもしれない。
 豪華で貴重な副葬品の数々は、大王や王が死後の世界も豊かに生活を送れるようにした証しでもある。」
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 前方後円墳には幾つもの意味がある。
 1,政治的に、大王(天皇)の権力・権威・軍事力を豪族や地方の王に見せつけ反乱や内乱を抑え込む。
 2,軍事的に、高句麗新羅、中国などの敵対国から訪日した使節団に日本の武威を見せて、日本侵略の意図を砕く。
 3,宗教的に、穢れである死を封じ込め、高貴な魂が怨霊となって暴れないように鎮めるため。
 4,地方の友好的な王や豪族に前方後円墳を造らせる為の見本。
 経済的に、ヤマト規格を日本統一規格とする。
 最新技術を全国に広めて、地方を中央のようにして豊かにしてヤマトに対する嫉妬心を薄める。
 7月7日 産経新聞世界遺産委、古墳群「希有な物証」 1600年の歴史性を称賛
 「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産決定
 世界遺産への登録が勧告された「百舌鳥・古市古墳群」。大山古墳(仁徳天皇陵、左奥)や履中天皇陵(手前)などが広がる百舌鳥エリア=5月14日午前9時52分、堺市(本社ヘリから、安元雄太撮影)
 「1600年にもわたり守られ、保存管理された素晴らしい遺産」-。アゼルバイジャンで開催されているユネスコ世界遺産委員会で、6日に「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)が審議された際、各国の委員からは歴史性などを高く評価する声が相次いだ。
 文化庁によると、世界遺産委の委員21カ国中、同古墳群の審査ではオーストラリアやクウェートなど6カ国が発言。「古墳の規模の大小と多様な形により古代の社会政治的な構造が示された世界的にも希有(けう)な物証」(ジンバブエなど)、「1600年にもわたり守られ、現在では市街地にありながらも、高いレベルの法的保護のもとに保存管理された素晴らしい物証」(チュニジアなど)-と、いずれも同遺産の社会的価値を評価する内容だった。
 地域住民の活動を称賛する意見もあり、スペインなどからは「開発圧力に対する住民運動によって保護された古墳が構成資産に含まれているなど、地域社会にも根ざした資産」といった意見も上がった。
 世界文化遺産への登録に反対する意見や修正を求める意見はなく、文化庁の担当者は「関係機関の努力もあり、古墳群の普遍的価値が世界に認められた」としている。
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 中国の皇帝陵・墳墓は権力・権威の誇示であった。
 人民を、ムチを振るい、わずかな食糧で奴隷的重労働を強い、怪我をし病気になれば治療を許さず殺した。
 完成後は、皇帝陵・墳墓の秘密を守る為に建設に関係した人民を全員殺し、生前に仕えた侍女全員を皇帝旅の中に閉じ込み手殉死させた。
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 前方後円墳とは、ヤマト王権ヤマト大王のちの天皇と朝廷の霊的象徴であった。
 天皇陵とは、血筋・血統を正統とする万世一系男系天皇家・現皇室の祖先のお墓である。
 天皇陵を毀損する事は、血筋・血統を正統とする万世一系男系天皇・現皇室を否定する事である。
 天皇陵で祭祀を行えるのは、特別な血筋を正統に受け継いだ、特定の子孫だけで、血筋ではない赤の他人では祭祀を行えない。
 それが、血・血筋を大前提とする祖先神・氏神の人神祭祀である。
 血・血筋・血統の正統性とは、命と魂・霊・霊魂、血と身体、遺伝子とDNA、心と精神、志と気概などの、祖先から子孫への継承・伝承である。
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 日本で古墳に対する墓荒らしが少なかったのは、死の穢れに手を染める事に対する嫌悪感、高貴な魂の眠りを妨げて怨霊となって祟られる事に対する恐怖心、つまり宗教的迷信が強かったからである。
 死に対する嫌悪感と怨霊の祟るに対する恐怖心を、布教に利用したのが仏教であり、否定したのが儒教キリスト教であった。
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 墓泥棒は、世界中で、当然の権利の如く墓荒らしを行い、死者の尊厳を踏みにじり、魂の安息を破り、遺体を遺棄し、埋蔵品を強奪し売り捌いて金に換えた。
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 日本にも埋蔵品を奪う墓泥棒はいたが、盗掘された古墳は地方の王や豪族の古墳で、子孫がわからなくなった無縁古墳であでった。
 古墳を守る子孫がいない無縁の古墳・墓は、骨が残っていても魂がなく、その骨は死や穢れとは無縁で、魂がない以上は怨霊や祟りもない。
 日本における無縁とは命の断絶であり、消滅、無に帰す、事である。
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 日本民族日本人は、非科学的非論理的非合理的な心情に強い「罰当たり」を恐れたがゆに、明治まで日本全国の古墳が地域住民に護られて良い状態で残っていた。
 古墳の破戒は、近代化と共に始まった。
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 日本では、子孫の生と祖先の死は霊性で繋がっていた。
 その生と死の繋がりの象徴が、天皇陵・古墳と現天皇家・現皇室である。
 反宗教無神論者や反天皇反日的日本人は、その生と死の絆を断絶させ消滅させようとしている。
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 日本天皇は、中華皇帝と対等であった。
 朝鮮国王は、中華皇帝の家臣として、中華皇帝の承認をえ、勅命によって任命されて初めて即位し、中華帝国から暦・元号を授かって使用した。
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 日本民族の歴史は、天皇・皇室の歴史であり、民族中心神話・天孫降臨神話による宗教的皇国史観で綴られている。
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 日本の国土には、キリスト教価値観による原罪史観、儒教価値観による天命史観、マルクス主義共産主義)価値観による反宗教無神論階級闘争史観、その他の価値観による史観は存在しない。
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 縄文時代は、紀元前1万年前後から紀元前4世紀までの期間とさ、宗教儀式による自給自足の平和な時代であった。
 日本列島に最初に上陸した人類は、数万年前に、東南アジア・台湾・沖縄を経て、小さな木舟で南からの海流に乗ってきた南方系海洋民であった。
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 前方後円墳は、日本独自の埋葬方法で、ヤマト王権に支配された地域や影響がおよんでいる地域につくられた。
 朝鮮半島南部、旧百済王国にも前方後円墳が存在していた。
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 弥生時代は、古墳時代前の時代で、紀元前8~7世紀前後から紀元後2~3世紀までの期間とさ、弥生の大乱時代でもある。
 邪馬台国は、弥生の大乱期に誕生し、殺し合いの中で消えた。
 ヤマト王権は、弥生の大乱期の殺し合いに怖れをなした人々・豪族があつまり、話し合いで生まれた連合政権であった。
 大王は、何かの条件を持った豪族・一族から選ばれ、ここから天皇家・皇室の血筋・血統が始まった。
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