🗾3〕─1─現代日本の歴史は死んだ歴史である。〜No.8No.9No.10 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 生きた歴史とは、祖先が信じ、受け継ぎ、伝えた歴史である。
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 死んだ歴史とは、祖先が信じた歴史を認めず否定し、祖先から受け継がず、子孫に伝えず、自分の代で消し去る歴史である。
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 約2000年間。日本民族日本人は、民族中心神話と天孫降臨神話に基づく神代からの歴史を正しい歴史と信じてきた。
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 1946年のキリスト教価値観の原罪史観とマルクス主義価値観の階級闘争史観による教育改革、1980年代から始まった日本人極悪非道の重犯罪史観と反宗教無神論による教育から宗教排除によって、日本の歴史は死んだ歴史となった。
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 死んだ歴史で高得点を取ったのが、高学歴出身知的エリートである。
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 小林秀雄「『英国史』は第三流の史書である。何故かといふと其処には天才の刻印がないからだ。ここで言う天才とは、『神皇正統記』に明らかな様な歴史家の天才の意味だ。又それは、北畠親房にあつては、過去を正確に描いて未来を創り出した大歴史家としての条件が稀有な完璧を示しているという意味だ」(『モオロアの「英国史」について』 昭和15年)
 「僕は、日本人の書いた歴史のうちで、『神皇正統記』が一番立派な歴史だと思っています。親房といふ人は、非情な熱血漢であった。……親房は、書中、心の鏡を磨く必要を繰り返し言つてをります。悟性を磨く事ではない、心性を磨く事です。そして『心性明らかなれば、慈悲決断は其中に有り』と言つています。いかにもさういふものでありませう。この親房の信じた根本の史観は、今もなほ動かぬ、動いてはならぬ。その上を、どんなに移ろひ易い様々史観が移ろひ行かうとも。その動かぬ処にこそ、歴史の伝承といふものの秘儀があるのであつて、これは歴史変化の理論の与り知らぬところなのであります。」(『歴史と文学』 昭和16年)
「もう一つ、考古学的歴史観もよくない。これも歴史と称しながら、歴史にちっとも触れていないのです。たとえば、本当は神武天皇なんていなかった、あれは嘘だという歴史観。それが何ですか、嘘だっていいじゃないか。嘘だというのは、今の人の歴史だ。新井白石がこのごろ評判がいいのは、〈本当はこうだった〉という歴史をやったからです。しかし、歴史とは、みんなが信じたものです。昔の人が信じたとおりに信じたものです。昔の人が信じたとおりに信じることができなければ、昔の人が経験したとおりに経験することができなければ、歴史なんて読まないほうがいい。これは本居宣長の説です。宣長さんは、『古事記』の神話をすべて、あのとおりだと信じた。あれが神話時代の歴史であったのです。それが信じられなかったら、神話なんか読む必要がない」(『学生との対話』)
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