🎍38〕─1─空海を旅する芸能の心髄をめざして。〜No.119No.120・ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・     
 日本は、仏と神が共存する仏教立国である。
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 日本仏教の庇護者は天皇・皇室であった。
 日本は仏教を国教とする仏教立国であった。
 平安時代以降、天皇・皇后の大葬は神式土葬ではなく仏式火葬で執り行われていた。
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 日本は、日本天皇が統べる仏教国家であった。
 中華(中国・朝鮮)は、中華皇帝が治める儒教国家であった。
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 伝統的日本のローカル宗教は、特殊な血筋・血統に基ずく特別な家系である天皇家・皇室によって守られてきた。
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 天皇家・皇室による宗教改革は、聖徳太子天武天皇聖武天皇行基桓武天皇最澄嵯峨天皇空海
 天皇家・皇室は、日本神道・神社と日本仏教・諸宗派は関係が深く、国内での不毛で無意味な宗教戦争を防いできた。
 天皇家・皇室がないと日本の歴史は語れない。
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 797年 空海は、『三教指帰(さんごうしいき)』を書いた。
 儒教は、昔の聖人君主の言葉や行動を暗記して自分1人が出世する為の学問であり、孔子は宇宙とは何かについて語らなかった。
 道教は、世捨て人として山や森林の奧に隠遁し、自分1人が仙人となって数千年の命を得る為の修行を説く学問である。
 人は、如何に古典を丸暗記しても聖人君子には成れないし、修行して数千年生きてもしょせんは限られた命でしかない。
 人は限られた命、終わりある命を如何に生きるか、が大事である。
 我々は、輪廻の輪から逃れ、如何にそこから逃れて仏になるか。
 仏教は、自分1人ではなく、皆とともに救われる道を教えている。
 皆と伴に救われる道を説いたのが、日本仏教である。
 突き詰めれば、儒教道教は私の自利自であり、神道と仏教は皆と一緒という利他他愛である。
 それは、中国や朝鮮の歴史を観れば一目瞭然である。
 日本人が自分に都合よく歪曲して読み解く儒教道教は、中華世界には存在しなかった。
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 2019年7月7日号 サンデー毎日「夢よりもなお狂おしく  なかにし礼
 空海を旅する芸能の心髄をめざして❸
 空海は24歳の時に書いた『三教指帰(さんごうしいき)』は広く世間の人に読んでもらうというより、息子が国家試験を受けて合格し、高級官吏になることを心待ちにしている両親親戚に向かって書いたいわば『わが道を行く』宣言である。中身について詳しく述べることは割愛するが、結論から言えば、世には大きく分けて、儒教道教、仏教の3つの道があるが、そのうちどれが一番優れているのか、それを解き明かしてみせようというのである。
 で、儒教先生と道教先生と仏教先生が問答風に自説を披露するのだが、儒教道教の先生2人は仏教先生にことごとく論破されてしまう。儒教道教の先生2人は『私たちの道が、浅い部分の真理にすぎなかったことに気づきました』と殊勝なことを言う。仏教先生は『大覚の勇者である仏陀は、何と崇高(けだか)くそびえていることでしょう。道教で説くあの神仙の小術や、儒教で唱えている俗塵(ぞくじん)の微風など、どうしてともに談ずるに足りましょう。人生はすべて、仏の光を浴び仏に向かって歩むところにその意味があるのです』と言い、最期に空海自身の言葉で『冠の綬(ひも)や簪(かんざし)で象徴される官位など、捨て去らないでよいものしょうか』と俗界の栄誉を捨てて、仏道に励むことを高らかに宣言するのである。この書によって両親親戚も説得され、空海は国家試験を受けることなく、自由の身になった。
 この『三教指帰』を読むと、空海がいかに中国の古典や仏教経典まで説話集などを深く広く勉強していたか。そしてそれらをことごとく頭にたたき込み記憶していたかが分かる。24歳の若者がこれほどの博覧強記を見せることに驚かないではいられない(以上『空海三教指帰」』加藤純隆、加藤精一・訳、角川ソフィア文庫による)。
 空海は南都奈良にある六つの宗教集団(倶舎{くしゃ}宗、成実{じょうじつ}宗、律宗法相宗三論宗華厳宗)の全てを学ぼうと思い、七大寺(東大寺興福寺元興寺、大安寺、西大寺薬師寺唐招提寺)を回り、経蔵(きょうぞう)にある教典を読み漁(あさ)った。
 が、心にひっかかるものがある。それは『大日経』のことだ。奈良時代の初め頃、インドを発祥とする密教の教えが日本に渡ってきていた。それは『大日経』という教典に基づく密教であった。しかし通常の仏教と中身がまったく違うため、いつしか人々に忘れられていたのだが、山岳修行をする僧たちはみな『大日経』の教えの片鱗(へんりん)を知っていた。それによると『肉体を通して悟りを得る。悟りとはすなわち体感することだ。つまり即身成仏である。その上、修行によって神秘を体験すれば、験力(げんりき)さえ得られる』と言っていた。『大日経』という密教の経典は、インドの諸宗教の一切を含み込んで一つにまとめようという意図を持っているらしい。早く読みたい。
 空海の強い思いが通じたのか、ついにある日、唐招提寺(とうしょうだいじ)で『大日経』の写しに出会うことができた。
 空海は『大日経』の読解に魂をそそぎ、半年経(た)ってようやく理解し、そして興奮した。
 この経は、まず大日如来(摩訶毘盧遮那仏{まかびるしゃなぶつ})を根本最高の仏(万物の慈母・宇宙の本体)としている。大日如来というのは密教によって生み出された存在であって、釈迦のように実在した人物ではない。それは永遠の真理そのものであり、一切の現象世界そのもののことでもある。それは森羅万象に内在し、万物に智慧(ちえ)と慈悲を与える。この考え方は、仏陀をあくまでも本尊とする従来の仏教を学ぶ者にはどうにも理解のいかないことだった。それゆえに、廃れたのであろう。しかし、空海は日本でたった一人、この思想をはっきりと喝破(かっぱ)したのである。空海の『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』にはこうある。『この密教の境地は、仏陀の心の奥底の境界です。秘密の中の秘密であり、覚(さと)りの中の覚りというべきものであります』(『空海「秘蔵宝鑰」』加藤純隆・加藤精一・訳、角川ソフィア文庫)。仏陀菩提樹の下で座禅を組みながら根本最高の仏である大日如来のことを瞑想(めいそう)していた。つまり仏陀の頭の中に入って見た景色こそが密教の境地なのだ。
 『大日経』は、人間の身・口・意(心)の三つを使って三密という行為ができる。手で印契(いんけい)を結ぶ身密、口に真言を唱える口密(くみつ)、心に本尊(大日如来)を観ずる意密、この三つの行法(ぎょうほう、ぎょうぼう)を積むことで、大日如来と呼応(こおう)して融合することを得、この世においてこの身このままで成仏できると説く。
 即身成仏できるということは、現世に対して肯定的であり、情念も煩悩さえも認めることになる。それまで死と禁欲の陰影におおわれていた仏教の世界に突如太陽の光が降りそそいだ。この明るさが空海の生命力をかきたてたのです。
 『この密教を深く学んで、日本で最初に密教を興そう』
 空海の胸に初めて野望らしきものが生まれた。そしてその為には、なんとしても唐に行かなくてはならない。
 第16次遣唐使船の4艘(そう)は803年4月に出航となっていたが、空海はそれに乗ることはできなかった。理由は、空海は還学(げんがく)僧(唐の仏教経典を手に入れて持ち帰る役目の僧侶)でも留学(るがく)僧でもない。一介の私度(しど)僧(官の許可なく仏門修行する僧尼)にすぎない。両親親戚や先輩の僧たちの努力もむなしく、銓衡(せんこう)からはずされた。ところが強運というものは持っている人を見放さない。この第16次遣唐使船4艘は難波津を出たのはいいが、日本海で時化(しけ)に遭い、日本に逃げ帰ってきた。もともと遣唐使は命懸けで乗るものだが、こんなことが続々と出た。そのため出港は翌年7月に延期され、欠員募集ということになった。まさに千載一遇(せんざいいちぐう)のチャンスだ。空海は今回は選ばれた。東大寺で得度(僧尼なるための受戒の儀式)し、頭髪をきれいに剃りおとし、墨染めの法衣を身につけ、船上の人となった。時に空海、31歳、804年のことである」
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 俗説として、空海が庶民の手習いの手本とするべく37文字からなる「いろは歌」を作った。
 日本の庶民は文字を手に入れ自分で思考するようになり、中華(中国・朝鮮)や西洋などで無学文盲として搾取され虐げられるだけの民衆・大衆・人民とは違う生き方を始めた。
 その為に、日本では、儒教の統治原則である「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」は通用しなかった。
 それゆえに、日本には「由らしむべし、知らしむべからず」が存在したと信じる日本人は、日本の歴史を知らないか、日本の歴史が理解できない。
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 中国の権力を握ったのは、科挙(官僚登用試験)に合格した士大夫で、血筋・血統を根拠とする世襲の王族・貴族と権力闘争を繰り返していた。
 中国における熾烈な権力闘争は、血筋・血統に基ずく世襲の王族・貴族、血筋・血統に関係しない士大夫・読書人、生殖機能を捨てた宦官、地方軍閥の4者で行われていた。
 中国の歴史は時代によって多少の変化があったにしても、前221年に成立した秦帝国から1912年に滅亡した清帝国まで、ほぼ同じような事を繰り返していた。
 朝鮮も、新羅が668年に唐の軍事支援で朝鮮半島を統一してから李氏朝鮮が1910年に日本に併合されるまで一歩も変わる事がなく、中国同様に同じ事を繰り返していた。
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 現実的思考の日本は、中華(中国・朝鮮)の自利で不寛容な観念的思考を排除してインド・中央アジアの利他で寛容な実相的思考を受け入れた。
 日本は、攻撃的な中華よりも平和的なインド・中央アジアとの親和性が強い。
 近代化する為には西洋の合理的論理的思考を受け入れる事でったが、日本は積極的で、中国は消極的で、朝鮮は拒絶的であった。
 日本と中国・朝鮮の違いはそこにある。
 現代日本でも、日本民族日本人は中国・朝鮮よりもインドに親しみを感じ、インドを思うと中国・朝鮮とは違い安堵感を感じる事ができる。
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 悠久の大河・黄河の桁外れに広い川幅に驚愕しても、ガンジス川の濁流に感じる涙が出るような有り難いものを見たという感動と癒やし慰め励ましはない。
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 日本民族日本人にとって、中華は一瞬の驚愕であり、インド・天竺は永遠の感動であった。
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 孔子は学びであり、釈尊は救いである。
 唐は勉学の学舎であり、天竺は修行の精舎である。
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 気の弱い・精神力の弱い日本民族日本人は、学識の学びよりも慈愛・慈悲の救いを求めた。
 日本民族日本人は、たまに好んで読んでいたが論語なら、毎日称えているのが般若心経である。
 精神修行の為に仏典の写経を行うが、教養を高める為に論語の写本は行わない。
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 日本民族日本人の教養・博学・博識とは、儒教ではなく仏教であり、高尚な漢文や漢詩ではなく低俗な和歌や俳句であった。
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 インド・天竺は、幻想的な蓮の花が咲き、香しい蓮の香りがたなびきく、仏さまが居られる有り難い世界であった。
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 昔の日本人は、死後の世界として魂・霊魂が西方にある御仏の極楽浄土・天竺に導かれる事を懇願したが、その手前にある聖人君主儒教世界・唐(から。もろこし)には興味も関心もなく行きたいとも思わなかった。
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 歴史に残る唐天竺の唐とは、漢字の通り仏教を信仰していた唐王朝玄宗皇帝前期の事で、仏教を弾圧した中国ではない。
 日本人が憧れた唐(から。もろこし)とは、反日派の中国共産党が死と暴力の恐怖で支配する現代の中国の事ではない。
 中国や朝鮮の中華世界は、国内では叛乱と内戦を起こし、周辺諸国には侵略戦争を起こし、その度に大虐殺と略奪を繰り返していた。
 日本は、その事実に恐怖し、歴史を鑑とし教訓として、中華世界を敬っても近付かず友好的交流を謝絶した。
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 日本人が好んで読んだいるのは『論語』のみである。 
 日本人は「論語読みの論語知らず」で、日本人の思考力では本当の儒教の恐ろしさを理解できない。
 『論語』のみを読んでも、四書五経を熟読して学ばなければ儒教を理解した事にはならない。
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 中華儒教の根本原理は、徳至上の「天命論」と王朝交代の「易姓革命」である。
 日本儒教は異端として、正統な中国儒教や朝鮮儒教とは異なる。
 それは、道教でも、そして仏教においても同様である。
 つまり、日本と中国・朝鮮とは根本的に違うのである。
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 仏教はインドで生まれた宗教であり、開祖はインド・釈迦族の王子ゴータマ・シッダールタ釈尊釈迦牟尼)であった。
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 第一回宗教改革。仏教立国の成立。飛鳥時代の仏教伝来から奈良時代東大寺建立まで。
 日本天皇は、中華皇帝から完全独立する為に、インド・中央アジアの寛容な大乗仏教は受け入れ不寛容な中華儒教は排除した。
 中華儒教を排除したのは、日本天皇を否定し天皇制度を崩壊させる危険性のある放伐禅譲易姓革命を正当化していたからである。
 中華の王朝交代の原則である易姓革命を排除する為に、天皇家・皇室は姓名を捨てた。
 中華儒教の天命論による易姓革命では、姓名を持たない日本天皇を殺害し、天皇制度を廃絶し、天皇家・皇室を皆殺し・根絶やしにはできない。
 王朝交代の易姓革命は、数百万人、数千万人の大虐殺をおこなった後に完成される。
 中華儒教の天命論は、数百万人、数千万の大虐殺を正当化させる理論である。
 日本国は、日本を守る為に日本神道と日本仏教を融合させ、中華儒教を敬遠した。
 日本仏教は、中国仏教や高麗仏教・朝鮮仏教とも根本的に違い、むしろインド・中央アジアの西方仏教に親和性が近い。
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 第二回宗教改革国家神道の成立。明治時代。ロシアの武力侵略とキリスト教の宗教侵略から母国日本と伝統的民族宗教を守るべく、皇室神道を否定する反天皇的宗教勢力を弾圧した。
 後の、共産主義弾圧も同様の理由で行われた。
 大日本国帝国憲法は、信教の自由を認めてキリシタン禁教令を廃止し、思想の自由から反天皇的思想・主義・哲学以外は認めた。
 キリスト教会は、日本をキリスト教化する為に信仰の自由を明治政府に強要していた。
 近代化は、殖産興業・富国強兵・近代教育である。
 その中心に据えられたのが近代的天皇制度である。
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 アジアのマルクス主義社会主義共産主義)は、日本が発祥で、日本国語(和製漢字)で広がった。
 中国共産党が使用してる思想用語の半数以上が日本人が創った和製漢字である。
 中国共産党中国国民党も結党理念は、日本のお陰であった。
 中国の近代化である孫文辛亥革命は、日本国と日本の右翼・民族主義者がいなければ成功しなかった。
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 日本の古代は、西方遊牧民族王朝の隋と唐の影響を強く受けていたが、平安時代初期に国家としての中国との交流を中止してからは影響力は弱まった。
 中国の近代化は、日本の影響力を強く受けていた。
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 第三回宗教改革。自由信仰時代。GHQは、国家神道を廃止した。オウム真理教など反社会的宗教団体が生まれた。
 アメリカ系キリスト教会は、日本をキリスト教に改宗させるべく靖国神社明治神宮など主要神社の焼却をマッカーサーに要望した。
 GHQ内のマルクス主義者や日本人共産主義者は、反宗教無神論から日本の宗教を破壊しようとした。
 ローカルな民族宗教を護る為に一人孤独に抗ったのが、昭和天皇であった。
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 第四回宗教改革。反宗教無神論時代。将来、血筋・血統に基ずく万世一系男系天皇家・現皇室の消滅で宮中祭祀・皇室祭祀である正統神道皇室神道が廃止・消滅されるかもしれない。
 つまり、日本民族が数千年護り伝えてきたローカル神話である日本中心神話・天孫降臨神話・天皇由来神話の廃絶である。
 天皇家・皇室の一子相伝である宮中祭祀皇室神道八百万の神々の物語である日本中心神話・天孫降臨神話は、不可分の関係にあり、天皇制度を廃絶し天皇家・皇室を廃止する事は日本中心神話・天孫降臨神話を消滅させる事である。
 言い換えれば、日本の中国化である。
 天照大神の直系子孫が絶えれば、天皇に即位するのは日本民族日本人でなくてもよく、中国人や韓国人・朝鮮人でも構わないし、アメリカ人やロシア人やユダヤ人、さらにはフィリピン人やインド人やアフリカ人でも構わなくなる。
 誰でも、自由に日本の天皇に即位する事ができる。
 反天皇反日的日本人は、その事を十分理解した上で、国防的近代的天皇制度による中央主権体制の否定、国體的天皇天皇制度の廃絶、そして昭和天皇の戦争責任及び戦争犯罪糾弾などの活発的に運動を行い、子供達に歴史教育で教えている。
 その歴史教育が、1946年のキリスト教史観及びマルクス主義共産主義)史観と1980年代の日本人残虐非道の極悪人史観=自虐史観である。
 俗に言う東京裁判史観である。
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 日本の根本宗教は、天皇教である。
 天皇の権威の源泉は、政治ではなく、宗教でもなく、私心のない母性的(家庭的)な道徳・良心・まごころ・慈しみである。
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 日本は、中華儒教絶対的価値観による中華文明圏の一員ではなく、日本神道・日本仏教・日本儒教その他の集合相対的価値観による独立した日本文明である。
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 日本にとって中華諸国(中国・朝鮮)は敵もしくは仮想敵で友好善隣などは幻想であったが、隣国である以上、深い入りするような親密関係を取らず「敬して遠ざける」の上辺関係で距離を置いていた。
 中国とは、894年の遣唐使中止以降は国交を閉ざした。
 朝鮮とは、新羅水軍や新羅人海賊の度々の襲撃と新羅系渡来人の叛乱を理由にして統一新羅との国交を断絶させた。
 そして、国内で反天皇反日本派渡来人を増やさない為に朝鮮半島からの移民・難民の受け入れを拒絶した。
 同様に、大量の中国人渡来・移民も日本崩壊・天皇制度廃絶に繋がるとして警戒した。
 親日派知日派は、百済高句麗、古新羅渤海であり、国内の高麗は高句麗からの難民であった。
 敵日派反日派は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮であった。
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 日本と中国・日本と韓国の長い友好関係は、悪意をもったウソである。
 日本にとって中国や朝鮮は、敵国であった。
  特に、中国共産党は紛れもなく日本の敵である。
 世界は、日本に同情しないどころか中国や韓国の言い分を認め、日本を厳しく非難している。
 反日派の中国人や韓国人・朝鮮人そして反天皇反日的日本人らによる宗教テロ事件が、度々起きている。
 世界の宗教団体や個人は、日本宗教界に加えられる反天皇反日の宗教テロ事件を黙認している。
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 隋・唐両王朝は、正統漢族ではなく西方遊牧民族の王朝で、異民族が武力で築いた中華制服王朝であった。

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