🎊2〕─1─世襲の正統。天皇即位は男系継承。財産相続は女系相続。〜No.2 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本天皇制度の原型は、黄河流域の黄河文明ではなく揚子江流域の長江文明にある。
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 日本文明は、長江文明の後継文明であって、黄河文明の亜流文明ではない。
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 現代日本人は、外国語を話して外国をよく知っているが、昔の日本人より優れていないし賢くもない。
 祖先が持っていた先天的遺伝子・DNAそして後天的智慧・知識・教養・品性・品格などを、現代の日本人が受け継がれているか疑わしい。
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 そもそも、日本民族日本人とは、優れていないし賢くもなく秀でたところもない、平々凡々としたごく当たり前の愚鈍な俗物である。
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 日本は、中国や朝鮮からの侵略に備えて国内を統一し、軍事国家として国力を自衛戦争に傾注する必要があった。
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 祖先は、中国や朝鮮の様に、幾つもの王権・王朝に分裂して半永久的に殺し合いを続けない為に最善の方法を集まって話し合った。
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 中華帝国(中国)の伝統的戦略は「戦わずして勝つ」で、侵略する相手国内に利益・金・美女を使って売国奴の内通者を作り、内通者に武器を与えて反乱を起こさせて内部から崩壊させ抵抗力を奪い、軍隊を派遣し犠牲者を出さずに占領する事である。
 国内に、自国民の親中国派・媚中派・従属派・隷属派・無抵抗派と中国人移住者が急増した時が滅亡への兆候である。
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 政略結婚(英: political marriage, marriage of state)とは、結婚当事者の家長または親権者が、自己や家(一族)の利益のために、結婚することになる当人たちの意向を無視してさせる結婚。 結婚する当人たちの気持ちを無視し、政治的な駆け引きや政治的な利用を主たる目的として、親や家長が決めてしまう結婚を指す。
 概要
 政略結婚が行われる主な理由は、たとえば下記のようなものがある。
・同盟を結び、戦争回避を目的としたもの
・侵略推進を目的としたもの
・結婚相手の君主の継承権(王位継承権 en:Order of succession)を得るため
・経済的支援を得るため
 神聖ローマ帝国(962年~1806年)やオーストリアを支配したハプスブルク家は政略結婚によって大きな成功を収めた王家の一つである。ハプスブルク家は婚姻を通じてブルゴーニュ公国、ハンガリー王国ボヘミア王国、スペインの君主の継承権を手に入れ、ヨーロッパ屈指の名門王家としてカール5世の時代にはスペイン領の中南米も含めた広大な領土を支配した。このことにより「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ。」と言われた。
 13世紀にユーラシアに領域を拡大したモンゴル帝国は、正式な国号を「大モンゴル・ウルス(大蒙古国)」というが、モンゴル語で「国」を意味する「ウルス」の原義は「人の集まり」や「人の集団」である。つまり、モンゴル帝国は、チンギス・ハンの一族を中心とした様々な部族の連合であった。モンゴル帝国では、部族の同盟にあたって婚姻が重視され、どこの部族に嫁をだすか、どこの部族から嫁をもらうかで、お互いに結びついていた。チンギス・ハンの孫のクビライの時代に元王朝(大元ウルス)として再編されたモンゴル帝国は、属国となった朝鮮半島の高麗王朝に対し、王世子に元の皇女と結婚することを義務付けた。代を重ねるごとにモンゴル人の血が濃くなるため、高麗王室独自のアイデンティティーを喪失することを目論んでのものであった。北元から玉璽を譲り受け、元王朝の権威を継承した清は孝荘文皇后などボルジギン氏のモンゴル王侯の子女との婚姻を進めてハーンの地位を主張した。また、満州国の皇弟愛新覚羅溥傑と嵯峨浩の結婚、大韓帝国皇太子李垠と梨本宮守正王第一女子方子の結婚も当時の日本による政略結婚とされる。
 日本の戦国時代(1467年~1568年もしくは1573年)においては、敵対する勢力同士の和睦や臣従、同盟関係の締結などにおいて政略結婚としての婚姻が行われており、織田信長の妹であるお市の方浅井長政へ嫁ぐ)など、広く行われていた。時には10歳に満たない者が、嫁に出されることさえあった。豊臣政権下において、徳川家康毛利輝元前田利家など5人の大大名の連名で、大名間の私婚の禁止の文書が諸大名に通達されたが、家康と伊達政宗によって破られた。江戸幕府では、これにより大名同士の結束が強まることを恐れたため、武家諸法度で大名同士の結婚には幕府の許可を要するようにするなど、強く規制した。

・地位を得ることを目的としたもの
 奈良時代から平安時代にかけての藤原氏などが、好んで用いた手段である。
 皇室は男系であるため、娘を皇太子と結婚させ、娘が産んだ皇子を天皇にすることにより、天皇外戚となり、政府高官を独占した(摂関政治)。
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 2019年8月号 WiLL「上皇陛下『韓国とのゆかり』発言の真意  竹田恒泰
 天皇も文明も文化もすべて中韓から享受した──って冗談じゃない!
 2019年5月13日、ユネスコの諮問機関が日本最大の前方後円墳である『大仙陵古墳仁徳天皇陵)』を含む『百舌鳥・古市古墳群』(大阪府)を世界文化遺産に登録するよう勧告した。
 朝鮮半島の南部では、前方後円墳が確認されている。そんな中、一部では韓国が古墳すら『朝鮮民族が日本へ伝えた』と主張してくるのではないか、という見方も出てきている。
 かつて上皇陛下は『韓国とのゆかりを感じています』とご発言。そのお言葉の真意とは、一体なんだったのか──。
 ゆかり発言
 『日本と朝鮮半島のゆかり』と聞きますと、まず始めに思い起こされるのは、平成13年12月18日に皇居宮殿〈石橋の間〉にて行われた、お誕生日に際しての上皇陛下の会見です。
 会見の中で、『翌年はワールドカップが日本と韓国の共同開催で行われますが、歴史的、地理的にも近い韓国に対し、陛下はどのような関心、思いを持っておられますか』という記者からの質問に対し、上皇陛下は日本と韓国の交流の中で、朝鮮半島から日本へさまざまな文化や技術が伝えられたことを『幸いなことだった』としたうえで、『私自身としては、桓武天皇の生母が百済武寧王(ぶねいおう)の子孫であると、「続(しょく)日本紀」に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています』とご発言になった。いわゆる『ゆかり発言』です。
 このご発言を聞いたとき、私は上皇陛下が言葉をお選びになっているなと感じました。桓武天皇の生母が朝鮮王の地を引く高野新笠(たかののにいがさ)という朝鮮氏族だったということを、そのまま仰るのではなく、上皇陛下は『「続日本紀」に記されている』として仰った。
 つまり、歴史的に意見が分かれるところで一つの意見に立ってご発言になったのではなく、あくまで『「続日本紀」に記されている』という事実を述べただけなのです。上皇陛下の言はともかく、『続日本紀』に書かれているという事実は変わりません。
 ……
 それこそ日本全国から何百という女性をお妃として受け入れ、家族になってきた、そのうちの一人が朝鮮王の地を引く帰化人だった〝ということが『続日本紀』に書かれている〟というだけの話であり、それ以上でもそれ以下でもありません。まったくもって今日の韓国人が小躍りする話でもないのです。
 ところが、これをメディアが『やはり、天皇は朝鮮王の子孫だった』とことさら重大発言のように取り上げた。どうとらえれば、そうなるのでしょうか。私には歴史を知らない者が勝手に想像して話しているようにしか聞こえません。
 皇室の祖先たち
 高野新笠が朝鮮王の血を受け継いでいるからといって、皇族や日本人が朝鮮民族の子孫ということではまったくありません。
 そもそも、初代天皇である神武天皇がすでに一族の中ではなく、三輪山の神の娘である比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)と結婚しています。
 そもそも遡(さかのぼ)れば、天孫降臨で地上に降りてきた瓊瓊杵尊ニニギノミコト)も山の神の娘と結婚し、その子である火遠理命(ホオリノミコト)も海の神の娘と結婚します。このようにして、皇室の祖先たちはさまざまな地域の有力な神や人の娘を迎え入れてきたわけです。
 その理由は明らかで、『天照大御神から「地上をしらせ(統治せよ)」と言われた瓊瓊杵尊はなぜ天皇に即位しなかったかのか、また、その子の火遠理命もなぜ天皇に即位しなかったのか』ということで明らかにすることができます。
 それは端的に言えば『天皇になる準備ができていなかった』ということに尽きるでしょう。天照大御神に命じられた瓊瓊杵尊にとって、葦原中国({あしはらのなかつくに}地上)は初めてくる土地ですし、もちろん知人も一人もいません。当然、よそから着た者が、突然『ここは私が統治することになった』と言っても、誰も聞く耳を持たないでしょう。
 そこで、地上に降りてきた瓊瓊杵尊が最初にしたことが〝ナンパ〟だったわけです。これは、しっかりと〝古事記〟に記されています。
 瓊瓊杵尊は笠沙(かささ)の岬(現在の鹿児島県南さつま市笠沙町の野間岬)で絶世の美女と言われる木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)と出会いました。そのとき、最初にかけた言葉が『あなたは誰の娘か』です。
 要するに、一番の関心事は『(どこの)誰の娘であるか』ということだった。今では到底考えられないでしょう。その後、木花之佐久夜毘売が山の神の娘であるということが分かり、瓊瓊杵尊はその場で結婚を申し込みます。
 日本の国土の大半は山ですが、もし山の神の娘と結婚できれば、子孫は日の神だけでなく山の神の系譜も引くことができ、また自分は山の神の義理の息子にもなれるわけです。
 その子で火遠理命天照大御神の子孫であると同時に、必然的に山の神の子孫にもなった。そして、火遠理命も海の神の娘と結婚し、その子である鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)も、また別の海の神の娘と結婚する。これを幾度となく、繰り返してきたわけです。
 そうすると、神倭伊波礼毘古命({ムヤマトイワレビコノミコト}神武天皇)は天照大御神の子孫であるだけでなく、山の神、海の神の子孫にもなります。
 そうした系譜の人物が大和の地に東征し、国を建てるということになったので、『このようなお方なら、みんなで支えよう』という空気ができあがったと『古事記』から読み取ることができます。
 その神武天皇も、大和の地で最も力のある大物主神(オオモノヌシノカミ)の娘である比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)と一緒になることで、大和の地における正統なる統治者としての地位を手に入れた。
 その後も『欠史八代』と揶揄(やゆ)される綏靖天皇(第二代)から開化天皇(第八代)までの天皇陛下も、日本全国から有力な豪族の娘を積極的に受け入れ、天皇の子が全国各地へ赴(おもむ)くことで大和朝廷の基盤を築き上げていきました。つまり、これらは歴(れっき)としたな〝同盟政策〟のです。
 このようにして、大和朝廷は統治範囲を広げていきました。大和朝廷の統治範囲を示す前方後円墳は、3世紀の初頭では大和盆地の一部にしかありませんでした。
 ところが、4世紀の末になりますと、北は東北の南部、南は九州南部にまで前方後円墳の分布範囲は広がっています。
 つまり、おおむね東北の一部を除けば、大和朝廷は3世紀に30ヵ国ほどに分立していた日本を4世紀末までに1国に統合し、日本列島の大半を統治していたということになるのです。
 ウリジナリ文化
 韓国の文化といえば、あらゆるものを朝鮮半島の起源だと主張する『ウリジナリ(朝鮮起源説)』です。これは韓国語で『我々の』を意味する『ウリ』と、英語の『起源』を意味する『オリジナル』を掛け合わせてつくられた造語です。
 ……
 韓国が起源を主張しているものは多岐にわたります。有名なところでは、侍、日本刀、剣道、空手、歌舞伎、折り紙、寿司、桜(ソメイヨシノ)など。さらには天皇や、中国起源の漢字まで。日本も中国も呆れ返っていることは、読者の皆様もご存じでしょう。
 日本の歴史教科書には、あらゆる文明や文化は中国大陸から朝鮮半島を経由して日本に伝わったと書かれています。
 ……
 ですが、それは中国が古代日本の文明を凌駕(りょうが)していった後の話に過ぎません。日本は昔から、素晴らしい文化と技術を持っていたのです。
 たとえば、磨製(ませい)石器。世界最古の磨製石器は日本列島から出土されており、朝鮮半島と比較しても1万年近く日本の方が古いと考古学の研究で明らかになっています。
 また、土器に関しても同じことが言えます。日本最古の縄文土器青森県の大平山元1遺跡で発掘されたもので、およそ1万6500年前のものだということが、AMS法の放射性炭素年代測定法の算定で明らかになっています。そしてこの土器は、調理の跡も確認されており、これも調理形跡としては人類最古のものです。初めてお酒を醸(かも)したのも日本人です。土器があれば、煮る、炊く、蒸すといった、まともな調理はできません。それに酒を醸すどころか、液体の貯蔵も不可能です。それほどまでに、日本の土器は古くから優れていたということです。
 もし日本人の祖先が朝鮮民族ならば、なぜ朝鮮半島には日本より古い磨製石器や土器がないのか、是非とも朝鮮半島の方々に説明していただきたいのです。
 日本から朝鮮へ
 ……
 また、稲作も例外ではありません。中国の揚子江中流域で稲作が始まったことは、私も間違いないと考えています。
 一方で、その稲作がいつ、どのようなルートで日本に伝来したのかといえば、今まで日本の歴史教科書は『朝鮮半島を経て九州北部に伝わり、日本列島へ次第に広まった』と書き続けてきたわけです。ですが、これも誤りだったことが、考古学の研究で明らかにされています。日本と朝鮮の初期の水田を比較すると、日本の方が朝鮮の水田よりはるかに古いのです。
 もし、朝鮮半島から伝わったというのであれば、朝鮮には日本よりも古い水田が少なからずなくてはなりません。ところが、それが一つとして発見されなかった。
 そのため、一部では日本が『朝鮮半島に稲作を教えたのではないか』という意見もありました。
 ですが歴史学会では、長い間『文明的なものは、すべて中国大陸から朝鮮半島を経由して伝わった』という考えが定説とされ、他の意見には耳を貸そうとしてこなかった。
 ところが、稲のブラント・オパール(土中に見られる植物に由来する珪酸体{けいさんたい})をDNA鑑定したところ、中国南部から日本へ伝わったものを日本人が品種改良し、それが朝鮮半島へ持ち込まれたということが明らかになりました。遺跡を調査しても、DNAレベルでも判明していますので、日本人が朝鮮半島へ稲作を伝えたことは間違いないでしょう。
 やはり、過去の人間の営みを知ろうと思うのであれば、多くの学問的視点から見つめ、考察する必要があります。
 ……
 よく日本語と韓国語が似ていると指摘されることがあります。ですが、それは李氏朝鮮の時代に日本がハングルを復活させ、漢語を使用していた朝鮮人に与えたからだと言えます。日本人が言葉の整理をすれば、多少なりとも日本語の影響を受けることは仕方ありません。
 それにいくら日本語と韓国語が似ていると言っても、日本語と韓国語では理解し合うことができません。イタリア語とスペイン語であれば文法が同じうえ、単語も70%近くが被さっていますから、おおむね会話が成立します。
 ……
 ですから、古代史研究家の長沼浩明氏の著書『日本の誕生』(ワック)でも書かれているように、比較言語学でいえばそんなに似ているわけでもないのです。
 また、中国でさえ同じことが言えます。中国が外国の言葉を輸入するときには、日本人が翻訳した和製漢語が定着しました。昔から日本は中国古典に精通していた学者が多いですから、おそらく当時の中国古典の研究者は日本の方が優秀だったのでしょう。
 だからこそ、中国の翻訳ではなく、和製漢語の方が積極的に使われた。現在でも、昔から存在した言葉は中国語で話されていますが、外来の言葉や概念のほとんどは日本人がつくったものです。それに現在、学術用語の70%は和製漢字が使われています。
 たとえば、『中華人民共和国』という国号の『人民』や『共和国』が日本製です。……
 ですから衝撃的なことに、和製漢字なくして中国人の会話はもはや成立しません。それはけっして学術的な言葉に限ったことではありません。……中国ですらこの状況ですから、ましてや韓国など・・・。
 独立国家『日本』
 これまで見てきたように、日本には朝鮮半島や中国大陸よりも文明が発達していた時代が明らかにあります。たしかに、中国人は枯れた土地で食料を確保するため必死に農耕に従事し、その中で深く耕すための金属器や記録用の文字も開発した。また暦を重要視し、天文学、物理学、数学などにも尽力(じんりょく)し、中国文明が日本を追い抜いた時期は確かに存在しました。
 そのような時も、日本は冷静に遣隋使や遣唐使を派遣した。しかも、しっかりと日本は『朝貢すれども冊封(さくほう)受けず』という聖徳太子の外交方針に従い、『日出(ひいづ)る処の天子、書を、日没する処の天子に到す』という中華皇帝・煬帝への手紙に代表されるように、中国と対等な関係を維持しつつも、敬意を表して最先端の文化や技術を受け入れてきた。
 その成果の一つが、奈良の大仏です。あれほど仏教に傾倒していた中国よりも、はるかに大きな大仏を日本はつくりました。これは、日本が最先進国であった中国を驚かすほどの仏教文化をつくり上げたことの証と言っていいでしょう。
 このように、日本は律令国家の時代から平安時代までの流れの中で、中華帝国に引けを取らない完全に独立した『国家』としての地位を確立したと言えます。
 また、当時朝鮮半島から仏教、陶磁器、養蚕技術などが流入してきたことは事実だと思われます。ですが、一方で日本人が伽耶({かや}任那)に住んでいたことも事実です。それが次第に侵食され、その後は白村江(はくそんこう)の戦いなどにより、さらに権益が失われ、最終的に日本人は朝鮮半島での拠点を失うことになった。
 この事実もまた、日本と韓国の歴史学会は認めようとしません。これを認めてしまうと、『日本人の祖先が朝鮮人だ』という定説が突き崩されてしまうでしょう。
 しかし、実際には11基の前方後円墳朝鮮半島の南部で確認されています。ですから、日本の古墳時代の時点では、すでに日本人が朝鮮半島の南部に住んでいたことは間違いないでしょう。
 しかも、大きさは朝鮮王の墓よりはるかに大きいです。……。
 朝鮮半島の歴史はかなり複雑です。それがさらに理解を難しくしていると、私は考えています。分裂を繰り返す中国の影響を受け続けた朝鮮半島も、常に一つの勢力であったわけではありませんから。
 ただ、その中でも日本が百済と友好な関係を持っていた、これは間違いなく『日本と朝鮮半島のゆかり』だと言えます。事実、白村江の戦いでは百済を助けるために大軍を派遣し、唐と新羅の連合軍と懸命に戦ったと日本、中国双方の記録に残っている。血統上のつながりは、そこからだけでは読み取れません。ですが、少なくとも百済が滅亡した後は、朝鮮半島から朝鮮の王族や多くの有力者が亡命してきたということは分かっていますし、そういう点では朝鮮と日本のつながりというものは見えてきます。
 ですが、その事実でさえ、それ以上でもそれ以下でもなく、日本人や天皇陛下朝鮮民族の子孫であるという学問的根拠には断じてなり得ないのです。
 現在、歴史学のウソを考古学がひっくり返し始めています。考古学というのは非常に科学的な学問です。出土物を調べ、分布や統計を処理し、金属組成を調べて発掘された鉱山まで調べていくと、確証たる真実が見えてくる。
 この先、より学問が発展し、歴史学がウソで塗り固められてきた牙城(がじょう)を考古学が崩し、内にある真実を解き明かしていくことを祈るばかりです」
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 日本民族日本人と漢族系中国人・朝鮮人・韓国人とは、同じアジア人といっても別系統のアジア人であり、別民族である。
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 朝鮮半島南部は、日本民族日本人にとって祖先が切り開いた祖先の土地である。 
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 百済武寧王は、日本生まれである。
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 古新羅王家の誕生には、倭人と倭族の手助けがあった。
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 キリスト教朝鮮人テロリストと日本人共産主義者テロリストは、昭和天皇と皇族を殺すべくつけ狙っていた。
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 現代の日本人は、架空の捏造された時代劇が好きだが、事実に基づいた歴史劇は嫌いである。
 高学歴出身知的エリートは、その傾向が強く、さらに宗教にも関心がなく、それ以上にローカルな日本民族神話を毛嫌いして魅力など感じない。
 その結果、日本国土や生活空間から日本民族神話が急速に消え始め、何時かは跡形もなく消滅する。
 そして残るのは、グローバル宗教・普遍宗教のキリスト教価値観である。
 その証拠が、日本独自の元号を廃止してキリスト生誕暦である宗教的西暦の使用である。
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 日本中心神話と天孫降臨神話による高天原神話は、女系天皇や女系宮家を「穢れ」として忌み嫌い完全排除してきた。
 女系天皇・女系宮家を語る日本人或いは万世一系男系天皇家を否定する日本人は、伝統・文化・歴史を重んじ愛する日本民族日本人ではない。
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 日本の正統性は、血の繋がらない私人ではなく、血の繋がった家・家系にあった。
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 高天原から降ってきた天孫族の神は、葦原中国(日本)の山の神と海の神の娘を娶る事によって地上を治らす(統治する)正統な権利を得た。
 神武天皇は、東征してきて大和の地に入り、大和の有力な神であり祟り神の大物主神の娘と結婚して大和を治める正統性を手に入れ、初代天皇として即位し日本国を建国した。
 日本統治の、正当性は男性にあったが、正統性は女性にあった。
 そこには、多産と豊饒を象徴する地母神(女性神)崇拝・(海洋民の)マナ崇拝・精霊崇拝があった。
 日本の宗教観において、崇拝と信仰とは違う。
 山の神の子孫が山の民であり、海の神の子孫が海の民であり、彼らが部落民の祖先である。
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 日本民族は、「結婚を神聖で特別な事」と信じ、儒教のように単に男が女を隷属させ子供を産ませる行為とは考えてはいなかった。
 ゆえに、中華儒教の男尊女卑による夫婦別姓を嫌悪して排除し、「親子は一世、夫婦は二世」として夫婦同姓を採用し夫婦和合を尊んだ。
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 娘を婚姻させる政略結婚の目的は3つあり、1つ目は対等関係による両家の軍事同盟を結ぶため、2つ目は相手を主君として認め臣下を誓うため、3つ目は相手を臣下として組み従えるため。
 1の軍事同盟を結ぶと2の臣下を誓う時は、自分の娘か重要な一族の娘を嫁がせる。
 3の臣下にするときは、家臣の娘を養女として嫁がせた。
 嫁いできた娘に相続権があれば、その相続権を持って相手の家を乗っ取り、領地・領民を強奪して我が物とした。
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 ヤマト王権・ヤマト政権な、戦乱を避け平和的に日本を統一する為に1と3の政略結婚を行い、そして前方後円墳建設技術を統一基準として伝えた。
 日本の統一感は、生活に根ざした実学として下から生まれた。
 中国と朝鮮の統一感は、生活とは無縁の観念的教条的儒学で意図的恣意的に上から押し付けられた。
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 古代の祖先は、ヤマト王権・ヤマト政権が赤の他人に乗っ取られて無意味な殺し合いが起きる事を恐れ、大王=天皇継承から女系を排除して男系のみとし、王権と政権を特殊な血筋・血統を正統とする特別な一家系に世襲として付託した。
 それが、現天皇家・皇室である。
 女系相続は、欲得に駆られた内戦を起こし、強欲な他国(中国・朝鮮)の軍事介入を許して戦争に発展する怖れがあるとして排除した。
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 特殊な血筋・血統の正統とは、民族中心神話・天孫降臨神話に基ずく高天原神話の最高神である女性神天照大神である。
 日本の神々や日本天皇は、絶対神によって創られ認められて即位するのではなく、母胎から産まれて即位するである。
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 世界史において、他国が嫁いできた王女が持つ王位・皇位継承権を主張して相手国を侵略する話は数多くある。
 その為に、他国人が他国の国王に即位した実例が数多くある。
 イギリス国王は、生粋のイギリス人ではない。
 それが、開かれた王家の実態である。
 成熟した人間にとって、自国の国王・君主に他国人が即位しても関心も興味もなかった。
 それが、正しい人類史・世界史・大陸史である。
 その考えを「万国の人民労働者の主権」へと極めたのが、共産主義マルクス主義である。
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 黄河文明黄河流域民(漢族系中国人)による領土拡大の膨張が東アジア全体に戦争を引き起こした。
 それは、現代においても何ら変わりはない。
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 先史時代。朝鮮半島南部に土着していた縄文人は、黄河流域民との戦争に敗れて逃げて来た揚子江流域民と乱婚してさらに混血化・雑種化して弥生人の祖先となった。
 好戦的な黄河流域民の一部が、北方から朝鮮半島北部に浸透し、北方に住んでいた古新羅人が戦いに敗れた半島内部に移住した。
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 古新羅人は、黄河流域民の子孫で戦乱に敗れて朝鮮半島に逃げて込み、慶州に定着して斯盧(しら)国を建国し、辰韓(しんかん)諸部を武力で統一して新羅(古新羅)と国号を改称した。
 古新羅は、更なる領土拡大の為に西の百済と南の伽耶を侵略して戦争を続けていた。
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 朝鮮半島南東部の伽耶(カヤ)諸国(金官加耶・金氏伽耶)には、縄文人の血を引く倭族が多く住み、ヤマト王権任那(みまな)と呼び軍事同盟を結んでいた。
 ヤマト政権は任那保護国として軍政府(日本府・任那政府)を置き、古新羅の侵略から伽耶を守るべく軍隊を派遣して戦っていた。
 ヤマト王朝の朝鮮戦争は、侵略戦争ではなく自衛戦争であった。
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 弥生の大乱時代。諸豪族は殺し合いを止めるべく、話し合いでヤマト大王(後の日本天皇)を創った。
 邪馬台国も同じ弥生の大乱期に誕生し、女王・卑弥呼と弟王が両王制として治めた。
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 日本人と漢族系中国人・朝鮮人・韓国人が、幾ら話し合っても、如何に親身に付き合おうとも、けっして分かり合う事はなく、そもそもが不可能である。
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 日本民族は、南方系海洋民と揚子江流域民の混血の主流とする雑種民族である。
 日本人の直接の祖先は、南方系海洋民の縄文人であり、漢族系中国人や朝鮮人・韓国人とは関係ない。
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 古代の祖先は、ヤマト王権・ヤマト政権が赤の他人に乗っ取られて無意味な殺し合いが起きる事を恐れ、大王=天皇継承から女系を排除して男系のみとし、王権と政権を特殊な血筋・血統を正統とする特別な一家系に世襲として付託した。
 それが、現天皇家・皇室である。
 女系相続は、欲得に駆られた内戦を起こし、強欲な他国(中国・朝鮮)の軍事介入を許して戦争に発展する怖れがあるとして排除した。
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 特殊な血筋・血統の正統とは、民族中心神話・天孫降臨神話に基ずく高天原神話の最高神である女性神天照大神である。
 日本の神々や日本天皇は、絶対神によって創られ認められて即位するのではなく、母胎から産まれて即位するである。
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