🎌7〕─2─世襲による万世一系の男系天皇・皇室が日本民族の歴史である。〜No.38No.39no.40 @ 

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   ・   ・  {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博} ・  
 万世一系男系天皇の、正当性は科学的宗教的伝統文化的男系父系Y染色体神話であり、正統性は最高神である女性神天照大神の血筋・血統である。
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 現代日本人は、昔の日本人以上に哲学・思想・主義主張が理解できない。
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 日本の天皇制度とは、日本民族の日本式自由と民主主義を守護する神聖な存在である。
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 日本民族日本人の祖先達は、虐殺と略奪が日常茶飯事として繰り返される地獄の様な中国大陸や朝鮮半島から逃げ出してきた、軟弱でひ弱で気弱な弱虫の弱者・敗者の群れであった。
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 天皇・皇室は、海の外から日本民族日本人を率いて日本を侵略し、先住民を虐殺して日本を統一した征服王朝ではない。
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 日本民族は、南方系海洋民と揚子江流域民の混血を多数派とする雑種民族である。
 日本人の直接の祖先は、南方系海洋民の縄文人であり、西方草原の民の子孫である黄河流域民の漢族系中国人や朝鮮人・韓国人とは縁が薄い、別系統のアジア人である。
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 2019年6月号 Hanada「令和時代と皇室の危機
 『万世一系』の天皇が日本の歴史  渡辺利夫
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 出生という運命
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 諸君の誰にもご両親がおられます。そのご両親のそれぞれに二人ずつのご両親(ご祖父母)が、さらには4人ずつのご両親(ご曾祖父母)があられます。さらに、そのまたご曾祖父母を生んでくれた幾世代もの祖先のことを想像してみますと、その数は幾何級数的(きかきゅうすうてき)に増加して大変な数になります。このきわめて多くの祖先の人々のうちのたった一人が欠けても、諸君はいまここに存在してはいないのです。
 そのように考えれば、自分が存在していることが『奇跡』のように感じられませんか。私どもの存在は、実に『運命的』なものだということに気づかされるのではないでしょうか。これを運命といわずしてなんといえばいいのでしょうか。諸君は両親を選ぶことはできません。血脈を選ぶこともできません。諸君は、その出生自体が運命的なのです。
 血脈のなかの旅人
 私どもの肉体や精神、性差、体つき、性格、その他さまざまな属性は、細胞に精細に組み立てられた遺伝子の情報伝達メカニズムを通じて、世代間で継承されてきたものです。
 諸君はいま、なにかに迷い悩み苦しみ、逆になにかに喜び幸せを感じていますよね。しかし、諸君のご両親もご祖父母もご曾祖父母も、そのまた祖先も、諸君と同じように迷い悩み苦しみ、なにかに喜び幸せを感じてきたのでしょう。諸君と血縁で連なる人々も、諸君と同様の絶望と歓喜に、時に胸を塞(ふさ)がれ、時に躍り上がっていたにちがいないのです。
 通信技術や輸送技術などは恒常的に進歩し、その進歩に追いつくのが難しいほどです。しかし人間存在は、それほど容易に変化したり進歩するものではありません。
 人間が出生し、成長し、成熟し、死にいたるプロセスは不変です。人生の過程で、絶望し、歓喜するその人々の人生のありようは、古来、不変なのではないでしょうか。『生老病死』というライフサイクルのなかで、人間はいつの時代にあっても、同じようなことに絶望し、歓喜してきたのでありましょう。著(いちじる)しく進歩したのは、人間社会の『表層』だけです。『深層』のほうはほとんど変わっていないのではないか。
 私は、人間の社会は進歩すると考える『進歩史観』の立場をとりません。むしろ人間存在は、同じことを繰り返すものだと考える『循環史観』の立場を支持します。それがゆえに、私どもは先人の絶望や歓喜のなかに学ぶべきを学んで、いまをよりよく生きるための智恵をえたいのです。これが歴史を学ぶということの意味です。
 『生者と死者』という言い方があります。現世に生きている者が生者です。私という生者を生み育(はぐく)んでくれたもののほとんどが死者です。私の祖父母も父母もとうに死んでいます。生者は、死者があって初めて生者なのです。この生者も、いずれ死者となります。死者がなければ生者も存在しないのです。私ども生者は、祖先からつづく長い血脈のなかを生きる一人の『旅人』だと思うのです。
 この現世を構成しているのが生者だけだというのは、とんでもない勘違いです。死者は社会のまぎれもない構成員なのです。死者は死者であるがゆえに、声を発することはできません。しかし、生者は死者の声を聞きながら生きる、そういう観念を失った社会は『根無し草』のように危ういと考えねばなりません。
 死者の民主主義
 逆説と諧謔(かいぎゃく)をもって知られるイギリスの思想家に、ギルバート・チェスタトンという人物がいます。少々ラディカルな発言のように思われるかもしれませんが、氏は次のようにいっています。ちなみに、ラディカルという語彙(ごい)の原義(げんぎ)は『根源的』です。私どもをはっとさせる刺激的で、しかし真実に迫る文章です。『死者の民主主義』という考え方です。
 『単にたまたま今生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭(かとう)政治以外の何物でもない。伝統はこれに屈服することを許さない。あらゆる民主主義者は、いかなる人間といえども単に出生の偶然によって権利を奪われてはならぬと主張する。伝統はいかなる人間といえども死の偶然によって権利を奪われてはならぬと主張する。・・・我々は死者を会議に招かねばならない。古代のギリシャ人は石で投票したというが、死者には墓石で投票をして貰わなければならない。これは少しも異例でも略式でもない。ほとんどの投票用紙と同様、十字の印がついているからである』(『正統とは何か』福田恆存安西徹雄訳、春秋社)
 幾世代にもわたり『民草(たみくさ)』が共通して感じてきたこと、考えてきたこと、これこそが『伝統』なのだとチェスタトンはいっています。伝統にこそ耳を傾けるべき価値があるのだ、といっているわけです。チェスタトンは『現世中心主義』の思想を徹底的に嫌悪しているのですが、その思想の基調に私も強くうなずいています。
 ここまでは、私どもが現世にいきてあるのは実に運命的なことだ、という主旨のことを述べてきました。しかし、私どもはもう一つの運命的な存在があります。生者と死者も、『国家』という文化的・政治的な共同体の成員として生きてあるということです。大変にわかりやすい例でお話ししましょう。 
 『無国籍者』は許されない
 諸君も、観光旅行や海外旅行などで外国に出かけた経験がおありでしょう。その際、諸君が必ず携行しなければならないものが、旅券(パスポート)ですよね。これがなければ、そもそも日本を出国することも、外国に入国することも不可能です。旅券を開くと、次のことが日本語で、次いで英語で書かれています。

 日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう。関係の諸官に要請する。
                 日本国外務大臣

 ……グローバルゼーションの時代だといくら叫んでも、この事実に変わりはありません。国家とは、私どもにとってのもう一つの運命的な存在なのです。
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 国家というものは、そのなかに生まれた人間にとっては運命的な存在の枠組みです。私たちは親を選ぶことができないのと同様に、国家を選ぶこともできません。国籍変更も、条件が整えば不可能ではありませんが、今度は移籍した国の公民として生きざるを得ないのです。『無国籍者』として生きることを人間は許されていないのです。
 日本史を解くキーワード
 次に、日本という国家は他国とは異なるどういう伝統をもって国家なのか、つまりは日本という国家の独自性について考えてみましょう。
 私は、日本の伝統の特質は3つのキーワード、1つは『同質的』、2つは『自成的』、3つは『連続的』という形容詞で語るのが適切だ、とかねてより考えてきました。
 日本は四方を海で囲まれた『海洋の共同体』です。同一の国土のなかで、ほとんど同種の人々が、他国では使われていない、その意味で『孤独的言語』である日本語(『国語』)を用いながら、生を紡(つむ)いできました。宗教上の争いが、日本に亀裂を生じさせることもありませんでした。
 第二次大戦直後の連合国総司令部(GHQ)による支配を別にすれば、日本が他国の占領下におかれたことはありません。同種の人々が孤立的言語の国語を用い、宗教上の亀裂もない『同質社会』、これが日本の大きな特質です。こういう『同質社会』は、世界でも日本以外に探し出すことは難しいのではないでしょうか。
 日本も、古代律令国家の時代にありましては、国家形成のために中国から多くのことを学びました。しかし、唐王朝が滅亡するあたりより、大陸からの影響力は次第に失せていきました。そして、日本独自の国家秩序が形づくられ、7世紀の初めには『天皇』という特有の称号と固有の年号が設定され、国名も『日本』とされるようになったのです。
 以来、1300年を超える連綿たる歴史が紡がれてきました。繰り返しますが、日本は世界史上に類例をもたない同質社会です。
 日本が同質社会であることは、中国と比較してみれば歴然としています。中国の歴史を彩(いろど)るものは、王朝の反復転変史です。易姓革命と呼ばれます。徳を失った皇帝は、新たに天命を授かった支配者によって命を革(あらた)められます。これが『革命』です。また、皇帝の姓もまた易(あらた)められるのです。これが易姓です。革命の『革』も、易姓の『易』も、いずれも『あらためる』という意味です。
 中国では、北方の遊牧民族騎馬民族による征服王朝が、しばしば出現しました。近くはモンゴルによる元(げん)朝、もっと近くになりますと満州族による征服王朝清朝です。つまり、多様な民族の混淆(こんこう)する『異質社会』が中国です。人類学の用語法でいいますと、同質社会日本の発展が『自成的』、つまり自ら成ったものである一方、異質社会中国の発展は『他成的』、つまり他文明の影響を徹底的に受けて形成されたものです。
 天皇は歴史の象徴である
 それゆえ、日本の歴史が連続的でsる一方、中国の歴史はきわだって非連続的です。異民族による征服、権力内部の大逆(だいぎゃく)や謀反(むほん)、内乱に彩られたものが中国史です。対照的に、日本ははるかに平穏な歴史を織り紡いできました。同質的で自成的で連続的な歴史をもつ日本人の体質がそうさせたのでありましょう。日本はやはり『海洋の共同体』なのです。私は、同質的、自成的、連続的の3つの形容詞からなる日本史をみつめることを提案しているのですが、このなかで『連続的』という形容を、目にみえる形で表象(ひょうしょう)している1つの重要なしきたりについて話してみたいと思います。
 伊勢神宮には式年遷宮(しきねんせんぐう)というしきたりがあります。直近では平成25年に執り行われました。20年ごとに内宮(ないくう)と外宮(げくう)の2つの正殿、14の別宮(べつぐう)を造り変え、神座(しんざ)を遷(うつ)すというしきたりです。持統天皇治世の西暦690年に始まったものですから、平成25年の遷宮は62回目、実に1300年の歴史があります。
 日本人は、一体、どうしてこんあ厄介(やっかい)なことをやりつづけてきたのでしょう。日本の歴史の連続性を再確認するための営為(えいい)なのであろう、と私は想像しています。日本の歴史が内乱や侵略などによって深刻な危機に晒されたのであれば、こんなしきたりが1300年にもわたって継続するはずがありません。
 いや、こうしたしきたりをなんとしても守りつづけようという民衆の意思が、日本の歴史を連続的なものとして継承されてきた、といったほうがいいうにも思われます。
 平成の天皇陛下は125代、令和の陛下は126代にあたります。この『万世一系』の天皇こそ、日本の歴史が、内乱や侵略によって深刻な危機の淵に立たされることなく、連綿として紡がれてきたことを証(あか)しています。このような存在を、他の国々の皇帝や王位のなかにみることはできません。
 現憲法では、天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴だとされています。たしかにそういっていいのですが、それだけでは足りません。むしろ、天皇は日本という国家と民族の連綿としてつづく『歴史の象徴』だといったほうが的確であろうと、私は考えます。
 御世替(みよが)わりです。明治、大正、昭和、そして平成までが過ぎ去り、令和がやってきます。『一世一元の制度』は、まことに優れた『制度設計』です。天皇家の血筋が瞬時たりとも途絶えることなく紡がれていることが証され、そして曾祖父母があり、祖父母があり、父母があって自分があるという私どもの血筋の連続性を、天皇家の血筋の連続性のなかに投影することができるからです。
 限りある個々の人間の人生が代々とつづく血筋のなかにある、そういう連続性を私どもに直覚(ちょっかく)させてくれるものが一世一元の制ではないか、そう私は考えます。平川祐弘氏によって教えられたのですが、内藤鳴雪(めいせつ)に次のような名句があります。

 元旦や一系の天子不二の山

 冬の富士山という真っ白い自然の巨塊に神々(こうごう)しいものを感じ取り、そこに一系の天子を仰ぎみるという清澄(せいちょう)な感覚は、鳴雪のような天才をもってしか表現できないものではありましょう。しかし、このように言語化されれば〝たしかにそのとおりだなあ〟という感覚に、多くの日本人は誘われるのではないでしょうか」
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 国際社会において、中国や朝鮮は理解されやすいが、日本は理解され辛い。
 日本が、熱意を込めて話せば話すほど誤解され、敬遠され、嫌われ、そして憎まれる。
 日本が世界で理解され、日本人は世界で愛されている、とは真っ赤な嘘である。
 人類の進化史・進歩史・発展史こそ正しいとする世界では、1000年も前、2000年も前を事を後生大事にしている日本など理解しない。
 現実の話、科学万能やグローバルを信奉する現代日本の中にも理解できない日本人が徐々に増え始めている。
 その証拠が、令和の御世替わりにおける、天皇制度や元号への批判や否定発言である。
 天皇元号反対派は、増える事はあっても減る事はなく、外国人移民(主に中国人移民)が増えればむしろ急増していく。
 その証拠に、天皇の戦争責任や戦争犯罪を問い続ける声は止まない。
 その天皇とは、平和を望み、戦争に不同意、戦争の早期停戦、歴史的人道貢献、キリスト教朝鮮人テロリストや日本人共産主義者テロリストらに幾度も殺されかけた昭和天皇である。
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 現代の日本人は、真面目腐って口先で言うほどに祖先を大事にしないし、祖先が信じた事を小馬鹿にして否定し、祖先が守ったモノをくだらない無価値として守ろうという意志もない。
 現代の日本人は、自分が信じる事と違えば、自分が気に食わなければ、自分の利益にならなければ、自分の金儲けに役に立たなければ、祖先が2000年以上の時空を越えて信じ命を捨ててまで守り後世に伝えてきた事を、「時代に合わない」のひと言で平然として捨て去る。
 それが、現代の日本人が誇らしげに言う「1,000万人行けど我行かず」である。
 つまり、自分の祖先をゴミのように捨てるのが現代の日本人である。
 それは、キリスト教的であり、共産主義的(マルクス主義的)な考えである。
 そこには、祖先を想う「温故知新」は微塵もない存在しない。
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 現代日本歴史教育は、民族主義愛国心の源泉である民族を否定し神話を抹消する目的で、子供達に民族を憎悪し歴史を嫌悪するように行われている。
 それが、GHQ占領期の東京裁判史観と言われるキリスト教原罪史観と共産主義マルクス主義)権力闘争史観、1980年後半からの中華儒教史観的な自虐史観という日本人極悪非道の凶悪人史観である。
 排他的不寛容なキリスト教共産主義マルクス主義)・中華儒教三者によって、日本の「救い」は何処にもない。
 民族としての2000年以上の歴史と伝統、先史時代を加えれば数万年の歴史と伝統は、海の外から侵略してきた宗教と哲学・思想・主義主張によってズタズタに引き裂かれ、無惨な残骸を晒し、日本人はその残骸さえも風化、消滅しようとしている。
 つまり、現代日本には見る所はない。
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 日本民族日本人は、万物創造の絶対神によって塵芥から創られ命を吹き込まれた「ドロ人形」ではなく、実の祖先を神として神社や神棚に祀った。
 日本民族日本人は、神として祀った祖先に偉大な霊力があるとは信じていなかったし、祖先の神が奇跡を起こし助けてくれるとは思ってはいなかった。
 祖先の神とは、信仰・崇拝・依存・依頼ではなく畏敬・畏怖・敬虔・崇敬などの拠り所に過ぎない。
 つまり、宗教ではなかった。
 その証拠に、教祖もいなければ中興がいないし、聖典も経典もなく、戒律もなく、布教活動もないし、信者・教徒もいない。
 それが、日本独自の祖先神・氏神の人神崇拝であり、血を神聖とする血筋・血統、世襲である。
 血の継承とは、祖先からの遺伝子とDNA、命と魂と霊魂、血と肉体、心と精神、志と気概を受け継ぐという事である。
 その覚悟が、血の相続である。
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先祖は、唯でさえ希望が少ない日本列島で、弥生の大乱のような殺し合いを起こさない方法を、絶望を如何にして乗り越え生きて行くを、皆が集まって知恵を出し合い工夫をこらした。
 そして、話し合い誰か大王として祭り上げる事に多数決で決めた。
 それが、特殊な血筋・血統を正統とする特別な一家系に世襲させる万世一系男系天皇制度である。
 ただし、大王=天皇に求めたのは、祈って人々に希望を与えてくれる神聖を帯びたカリスマであった、政治・外交・軍事そして宗教など俗事におけるリーダーシップではなかった。
 祖先達は、大王=天皇を個人的に崇拝・信仰・帰依する対象ではなく、畏れるべき崇敬・畏敬する尊き存在として崇めた。
 万世一系男系天皇制度を、日本の古層として根付かせる為に、約2000年という歴史的蓄積が必要であった。
 それが、日本国、日本民族が命を犠牲にして守る続けた「国體・国軆」である。
 特殊な血筋・血統を正統とする特別な一家系に世襲させる万世一系男系天皇家・皇室を不変不動の存在にする為に創られたのが、民族中心神話・天孫降臨神話の源流とも言える高天原神話である。
 男系世襲における特殊な血筋・血統の正統性とは、高天原神話の最高神である女性神天照大神の血である。
 その意味に於いても、女系相続は禁忌として排除された。
 特殊な血筋・血統を正統とする特別な一家系に世襲させる万世一系男系天皇制度には、2000年間、守り通してきた祖先の念い、智慧と工夫、祈りと希望が詰まっている。
 つまり、それが2000年の時空を越えて今に残る日本民族の伝統、文化、歴史、言語そして宗教である。
 ただし、賛成したのは多数であったが、少数の反対派もいた。
 反大王擁立に反対する少数派は、弥生の大乱の延長で殺し合いを続けた。
 日本列島に棲む人々を救い死滅させない為には、神聖不可侵の男系天皇家・皇室を守らなければならなかった。
 祖先は、儚い気休めと知りながらも希望を持って生きる為に行動した。
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 日本列島と中国大陸・朝鮮半島は断絶していて、友好・善隣関係など存在していなかった。
 日本民族日本人は、貪欲な領土欲を持つ好戦的な漢族系中国人や朝鮮人の侵略を恐れ、日本に列島に閉じ籠もり、武器を持って侵略者に備えながら生きていた。
 朝鮮半島南部で生活していた同族の倭族と同盟国百済を、唐や新羅などから守るべく軍隊を派遣していた。
 古代から、日本の戦争は、集団的自衛権生存権に基づく自衛戦争であった。
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 現代の日本人の最優先事項は「金」で、如何にして金を儲けて、自分一人だけの安楽な老後を生きるかだけである。
 そこにあるのは、現在の自分一人の今しかなく、過去の祖先も将来の子孫も存在しない。
 自分だけという他者排除の傾向は、高学歴出身知的エリートに多い。
 日本にそうした傾向を広めたのは、キリスト教マルクス主義共産主義)である。
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 キリスト教は、個人の信仰として、改宗を拒否する親や祖先を救済する事なく異教徒として切り捨て地獄に追い落とした。
 マルクス主義共産主義)は、個人のイデオロギーとして、自分一人の理想を実現する為に祖先の権威や家・親の権力を否定し破壊する。
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 日本では、「死んだ親兄弟がゾンビとなって子供や孫を襲って殺す」という話は流行らない。
 日本は、死者を念って墓参り・盆踊り・精霊流しを行う「死」と寄り添って生きる国であり民族である。
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 キリスト教朝鮮人テロリストと日本人共産主義者テロリストは、昭和天皇や皇族を殺そうとした。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、日本人を奴隷として売って金を稼いでいた。
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 天皇・皇室も、日本民族日本人も、日本人によって絶滅させられた在来種の日本産トキににている。
 それが、皇族の減少による消滅の危機、少子高齢化による人口激減である。
 日本の、男性の精子劣化、女性の卵子老化、生殖機能の退化、繁殖能力の衰退による日本民族日本人の消滅である。
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