🏹12〕─1─日本の近代化・遵法精神への端緒は御成敗式目である。〜No.32No.33 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 武士とは、御恩とご奉公である。
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 日本は、性善説として騙す人間が悪い。
 中国や朝鮮は、性悪説として騙される人間が悪い。
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 日本人の遵法精神は、鎌倉武士の御成敗式目から始まり、徳川家康武家諸法度禁中並公家諸法度・法度宮公家諸法度・寺院法度・その他によって定着した。
 日本は数多くの法律・法度・掟・定めなどで雁字搦めに支配された、閉塞した、閉鎖された、息苦しい社会であった。
 それに比べて、中国や朝鮮には個の自由があり個人の解釈や個人の裁量が許されていた。
 日本は公・世間に支配され、中国や朝鮮は公がなく私・個が支配していた。
 その結果として、戦争・内戦、暴動・強奪、虐殺、人さらい、人身売買など有りと有らゆる悪・犯罪が、日本では起きづらかったが、中国や朝鮮では日常茶飯事的に起きていた。
 この為に、日本と中国や朝鮮は幾ら話し合っても、分かり合えないし、理解し合えず、打ち解ける事ができない。
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 2019年11月号 WiLL「香港デモは『文明の衝突』だ 石平/北村稔
 中国の権力者は、いつの時代も『無法無天』──拘束される法も、天(道徳倫理)もない。それでも中国人は『支配されること』に幸せを感じる
 ……
 裁判官に賄賂(わいろ)は当たり前
 石平 それにしても、なぜ日本は近代化することができ、中国や朝鮮はそれに続くことができなかったのか。今日の中国共産党北朝鮮、韓国を見るうえでも重要なテーマです。
 北村 ヨーロッパとおなじように、日本が封建制を経験したことが大きいでしょう。日本にはもともと近代化できる素地(そじ)があったのです。明治に近代、言うならば『西欧』を取り込んだとはいえ、それを止揚(しよう)させ、近代化を成し遂げた。
 石平 まさに『アジアのリーダー』でした。
 北村 中国の政治体制の特徴は、異質なものを認めず、個人に権力を集中させることです。秦の始皇帝から習近平まで、辛亥革命から中華人民共和国建国までの38年間を除いてずっとそう。
 石平 辛亥革命の意味は本来、始皇帝以来、2000年以上続いた皇帝制度を打ち破ったことにありました。
 北村 ただ革命後も、外国勢力が入り込んだ内乱状態でした。そして皇帝制度に逆戻りした。
 石平 清王朝よりも恐ろしい、毛沢東という皇帝が生まれてしまった。とはいえ、いまも昔も中国人は自分たちの上に皇帝を欲します。
 北村 中国人のある研究者は、『一人の人間に権力が集中していないと不安』と言っていました。日本人は権力を分散させ、それをうまく運用しようと考えます。でも中国で権力を分散させると『乱』が起きてしまう。
 石平 中国人は自分が一番賢いと思っているので、自己主張が強い。だから決めごとをするとき、西欧のような多数決も、日本人のように根回しをすることもできない。さらに相手の話を聞こうともしないので、意見がまとまるわけがない。意見がまとまらないから、誰かが独裁で決めるしかない。『和を以(もっ)て貴(とうと)しとなす』の対極にある人たちです。
 そんな中国人の民族性を表すたとえとして、こんなものがあります。
 あるお寺で『お水』がなくなったとき、お坊さんが一人で生活していれば、天秤棒を一人で担(かつ)いで水を汲みにいく。二人なら、天秤棒の両端を持つ。でも三人いると、誰も担ごうとしないので水がなくなってしまう。『個』が強い中国人は集団では生きていけないというわけです。
 北村 民族性の違いは社会制度にも表れっています。
 鎌倉時代の『御成敗式目』を読み直してみたんですが、裁判ではウソをついても、相手を罵(ののし)ってダメ。事細かにルールが定められていて、公平に裁判を行っていたことがよくわかります。これは中国の『律』にはないもの。日本は中国から律令制度お輸入しても、日本的なものに止揚させていたんです。
 日本や西欧で根付いている法治主義は『多数の意見を法律としてまとめ、それに皆が従う』という原理です。しかし中国の場合、社会の実体から帰納的に法律が生まれるものではなく、善悪は権力者の独断によって乱暴に決められてしまう。
 石平 かつて科挙で合格した人が裁判官を務めていましたが、科挙に法律の問題は出てきません。四書五経に法律の話はありませんから。でも彼らの一声で裁判は決してしまう。
 判断の決め手は『お金』です。科挙に合格するような人は、一族の繁栄を背負っている人が多い。でも給料では食べていくことができないので、賄賂を集めるというわけです。
 北村 留学生に『中国はいまでも裁判官に賄賂を渡しているか』と聞いたら、『そうだ』と答えていました。知人が中国で裁判を起こしてきたときも、弁護士に『裁判官にお金を渡して下さい』と言われたとか。
 石平 そんなことは日常茶飯事ですよ。
 北村 日本では御成敗式目の時代から〝アウト〟です。
 石平 中国では有力者にお金を渡さなかったら〝アウト〟なんです。
 北村 海を隔(へだ)てただけで、ここまで国柄が違うとは・・・。
 無法無天(むほうむてん)の権力者
 石平 中国の政治制度の悪いところは、権力を制約するものがないことです。
 たとえば、西欧は政治権力と教会が牽制(けんせい)し合っていたし、日本は幕府の上に天皇が存在した。幕府がいくら権力を握ったとしても、外形的には天皇の家来にすぎませんでした。
 しかし中国も朝鮮も、最後にはトップがすべてを決めることができる。権力にできないものは何もない。これは『無法無天』──拘束される法もなく、天(道徳倫理)もない──と言われます。
 北村 それは国民生活にも表れているかもしれません。台湾の友人によると、大学教授が学部長になった途端、強権を振るい出すそうです。日本では、学部長になっても上から仕事が降ってきて、そんな余裕はありません。
 石平 中国のように権力が無制限だと、権力側は無限に権力を行使し、支配される側も権力にモノを言われなく悪循環に陥ります。それだけでなく、だんだんと独裁者に支配されることに幸せを感じるようになる。
 ある中国人が日本のテレビで、習近平による監視社会を『犯罪が減るので、安心する』と言っていましたが、その典型です。習近平の無法無天ぶりに恐怖を感じていないです。
 北村 日本人には理解できません。
 石平 そんな中国人が最後に求めるのは、心優しい支配者です。悪いヤツが出てきたら、あきらめるしかない。我慢ならなくなったら易姓革命を起こす。
 北村 農民反乱から皇帝が殺され、新たな皇帝が生まれる。税制など、社会制度を整備し直してしばらく安定しますが、また農民反乱が起こる。一向に進歩せず、ただ歴史を繰り返しているだけ。『中華人民共和国は、アジアで最初の共和国だ』と言っていますが、実質的に皇帝制度じゃないですか。『古代国家』のままなんです。
 石平 国力をつけ、世界制覇を狙う古代国家・中国に対し、香港、そしてトランプ政権のアメリカは自由と民主主義を守るべく立ち上がりました。日本も足並みをそろえて、人類の未来のために戦ってほしい。
 北村 今日の香港は『明日の台湾、明後日の沖縄』ですからね」
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 法に基ずく封建制度は、日本や西洋に存在し、中国や朝鮮に存在しなかった。
 西洋の法とは、キリスト教であった。憲法十七条
 日本の法とは、聖徳太子憲法十七条(604年)と鎌倉武士の御成敗式目(貞永1{1232})年であった。
 中国にも法はあったが、王朝ごとに違っていて、王朝が滅亡すると法は廃棄され、新しい王朝が新しい法り、法理の精神は受け継がれる事はなかった。
 何故か、中国を支配した王朝が、漢民族だったり諸異民族だったりと価値観が違う人間だったからである。
 その意味でも、連続した中国4000年の歴史など存在しない。
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 世襲は、日本と西洋では効力があり、中国や朝鮮では余り役に立たなかった。
 中国や朝鮮で威力を発揮したのは、科挙(高等官吏登用試験・キャリア官僚試験)であった。
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 困窮する武士は、賄賂を貰う事は恥とされた為に、現金収入を得る為に庶民(百姓や町人)から内職仕事をもらって生活していた、あるいは庭を畑として野良仕事を行った。
 
 儒教社会では、賄賂や横領し、不正や横流しが、当然の如く行われていた。
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 中国は広大な為に、黄河流域系農耕民族、揚子江流域系農耕民、北方系遊牧民、西方系遊牧民とでは言葉も考え方が違う、その為に利用されたのが統一文字としての儒学である。
 各王朝は、儒学を中国を一つにまとめる方便して利用したのであって、儒教の道徳倫理を広め平和と発展をもたらそうとしたわけではない。
 読み方が違っていても文字が統一されていれば、誰が公文書・命令書・指示書を見ても理解できるからである。
 中華世界での儒教とは、その程度の常識であって、教養でもなんでもない。
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 儒教四書五経を読むには、高度な漢学の素養が必要で、優れた読解力や理解力のない無教養な愚者ではできなかった。
 聖人と小人の差別化はそこにあり、権力者や富裕者ではなかった。
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 聖人は徳があり、小人は徳がない。
 皇帝であっても、国王であっても、金持ちであっても、徳がなくなれば虫けら以下の小人とかわりはない。
 放伐禅譲易姓革命論は、ここから生まれてきた。
 例えば、王莽の儒教制度国家新王朝である。
 中国には、儒教はもちろん道教も存在しない。
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 聖徳太子は、儒教を教養の格差と理解し、より平等性公平性のある仏教を重んじた。
 憲法十七条の、精神としては儒教が主で仏教が従であったが、目指す方向は儒教ではなく仏教であった。
 日本・聖徳太子は、儒学を敬して遠ざけた。
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 朝鮮は、仏教より儒教を重んじ、中華王朝の法を無条件で受け入れた。
 朝鮮は、中国同様に、賄賂文化が根付き、腐敗・不正が蔓延した。
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 中華=中国では、天・天帝から統治権を授かった人徳者が皇帝となり全ての権力と権威を手中に収め、全世界を徳で教化するのではなく武力で暴力的に支配する。
 儒教は、その為の理論的道具である。
 日本の儒学者は、そうした世界を理想世界とし日本を下等下劣な野蛮世界と嫌い、劣等な日本民族日本人を棄て高等な中華人=中国人になる事に憧れていた。
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 日本と中国・朝鮮とは、根本的に違う。
 日本は、日常価値観に基づく御上・幕府の法を優先した。
 中国や朝鮮は、儒教価値観に基ずく天・天帝の道徳を優先した。
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