☵12〕─3─韓国・朝鮮の歴史とは創作であり宗教であり信仰である。~No.80No.81No.82

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 韓国や朝鮮の歴史は、慟哭を慰め癒やし、情緒を満たす願望の「こうあって欲しい」歴史である。
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 中国の歴史は、統治を哲学・思想・主義主張で正当化させる虚構の「こうあるべきである」歴史である。
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 日本の歴史は、科学や客観に基ずく実証の「こうあったであろう」歴史である。
 現代日本の歴史は、祖先は善い事もした事実を抹消し悪い事を強調する空虚な「言われる通り、そうあったのであろう」歴史である。
 その傾向は、歴史教育で高得点を取った高学歴出身知的エリートに強い。
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 2019年9月号 WiLL「韓国のウソに立ち向かえ 松本厚治
 まぜ韓国は〝反日〟を続けるのか。歴史の真実をつきつけ、韓国の虚構を暴け
 台湾は親日、韓国は反日
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 『韓国の伝統』は近代から
 あえて言いますが、韓国は世界で最も日本に似た国です。近代以降、ずっと日本の制度と文化を取り入れてきたので、社会の隅々まで日本の影響が及んでいる。
 日本は日清戦争を戦って朝鮮を独立させましたが、この戦争で誕生した韓国は、独立国の地位を獲得しただけではなく、それまであった旧朝鮮とはまったく違う国になったと言えます。中国からの独立、文化語としての韓国語の成立、近代的方法論による朝鮮研究など、韓民族誕生につながる核心的な課題は、あらから日本人によって達成されました。意外に感じる人は多いと思いますが、現在『韓国の伝統文化』と呼ばれるものの大方は実のところ近代以後に出現し、あるいはその意義が見出されたものです。その際、先導的な役割を果たしたのは日本人でした。本来、朝鮮半島の人々は自国固有の伝統文化などにあまり興味はありませんでした。
 『韓国的なもの』は、意識の世界では当時はほとんど存在していなかったのです。
 韓国の歴史書の口絵には慶州の石窟庵にある仏像の写真が載っています。新羅の時代につくられた見事な仏像です。発見されたのは1909年。日韓併合の前ですが、日本統監府の保護下にあった時代です。雨宿りのために洞窟に入った日本人の郵便配達夫が、雨ざらしになっていた仏像を見つけて大騒ぎになった。
 調査団が派遣され、大変貴重なものだということで、総督府が大がかりな工事をして保全に力を尽くしました。当たり前だと思う人がいるかもしれませんが、李氏朝鮮は仏教に敵意を持つ硬直的な儒教国家で、多くの仏像が見つかり次第破壊され、記録も残らず遺棄されてきたことを想起すべきです。
 1940年には、十五世紀に書かれた諺文({おんもん}ハングル)制作のいわくを記した『訓民正音解例本』が発見されました。慶尚北道(けいしょうほくどう)の民家で裏紙として使われていたのを見つけたのです。いまは国宝になっていますが、これが李朝の時代だったら紙クズ同然に扱われたでしょう。ハングルが貴重な文化遺産として重んじられるような時代になったからこそ、日の目を見たのです。
 朝鮮陶磁の美を見出したのも日本人でした。旧朝鮮には古陶磁をお宝として珍重する風波あまりなく、伝統を大事にしようとする意識も乏(とぼ)しかったようで、青磁の技術もはるか昔に滅び、誰もつくれなくなっていました。それを、目利きだった実業家富田儀作が私財を投じ、10年の歳月をかけて復活させたのです。今日、韓国のデパートや土産物店で売られている青磁は、伝承の技ではなく、富田が復元した(と一般に認められている)技法によってつくられたものです。朝鮮の地からいったん姿を消したものを、20世紀の初頭日本人が土中からよみがえらせた、古くて新しい芸術なのです。
 小倉進平も特筆に値する人物です。もともとは東大の助手で、万葉集の表記法などを研究していたのですが、思い立って朝鮮に渡り、朝鮮の古代語、特に『郷歌』の研究を始めました。郷歌は田舎の歌という意味で、新羅・高麗の時代に詠まれていた歌謡ですが、わずか25首しか伝わっていない。朝鮮の儒者から見れば、取るに足りない夷狄の時代の遺物のようなものでした。そもそも古代の朝鮮語の文献というものも無きに等しく、読み方もわかりません。小倉は判任官として総督府に勤めるかたわら、古語の研究を始め、休みの時にはロバに乗って地方に出かけ、方言を採取しました。中央から遠く離れた地方には古い言葉が残っている。そこに目をつけたわけです。朝鮮の人も、総督府も、いや日本の言語学界でさえ、あまり興味を持たなかった分野で、彼は周囲の無関心のなか、一人孤独な研究を続けていました。朝鮮語が科学的な研究の基礎を得たのは、まったく彼の献身的努力のたまものです。
 つまり、旧朝鮮の士人が見向きもしなかった『朝鮮的なもの』の価値を見出し、その伝統を再発見し、復活する試みは、日本が統治するようになってから、日本人によってなされました。韓民族の国は近代日本との『遭遇』によって誕生した、と言っても過言ではありません。
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 韓国語は福沢諭吉がつくった
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 どう首をひねっても、李朝時代の漢文から近代の語文を導き出すことはできません。『春香伝』のようなハングル小説があると言っても、伝統というにはあまりに微小なもので、漢字語と漢語成句の音を並べたその文章をいくら読んでも、現代の韓国語に通じるものを見つけることは困難です。
 近代朝鮮の代表的作家の一人金東仁の処女作は日本語作品で、彼はもともと日本語で創作していました。ある日、朝鮮語で書くことを思い立って机に向かったところ、まったく言葉が出てこない。当時、出来合いの文学用語がなかったのだから当然なのですが、その時頭が真っ白になったとのちに書いています。仕方がないから、まず日本語で文書を組み立てて、それを朝鮮語に変換して作品にしました。日本語から直に借りてきた言葉をふんだんにちりばめた文章は、当初はいかにも異様で不自然に感じられるものでしたが、それがいつの間にか定着して、今の韓国語になっています。
 巷間、韓国語と日本語が対立していたかのような言われ方をしていますが、これは19世紀の欧州で燃えさかった言語闘争の枠組みをそのまま持ってきたもので、当地にはそんな現実はありませんでした。近代のとば口の時点で存在した韓国語は、まだ土語と言ってもよいような段階にあり、とても日本語と競争できるようなものではありませんでした。日本語に出会うことによってはじめて、文化語としての発展の道を歩むことになったのであり、韓国語にとって日本語は育ての親のような存在だったのです。
 こういうことが文化総体として起きました。文明の模様替えのような変化があったので、今の韓国人は旧時代の文化を感覚的に理解することも、その良さを感じ取ることも難しいようです。昔の知識人は漢文を読んで、それを美しいと思う気持ちを持っていたはずですが、今の人はそれを追体験することができない。だから、文化的な観点からは、19世紀末を境に別の国が生まれた。言い換えれば、韓国としての内面の歴史は、この頃から始まると言ってもいいのです。
 古代と断絶
 読み取ることが難しく、現代の美意識や生活感情とかけ離れたものを〝自分たちの古典〟と感じられないのは当然でしょう。英文学者の柳宗鏑は、1962年に書たい『「韓国的なもの」とは何か』という論文で、『フランスでは自国的なものは伝統的なものという通則は成立するが、韓国ではそれは虚構にすぎない、いま韓国的と一般的に見なされている作品はどれも20世紀初頭の新文学誕生後に世に現れたのであって、伝統的なものではない』と論じて波紋を呼びましたが、言っていることは真実をついています。
 旧朝鮮の士人は、自分たちは豊かな古典の文化を持っていると思っていました。ところがそれは漢文で書かれた中国の書物であって、江戸にやってきた朝鮮通信使が自らの古典として意識していたものは、どれも中国の古文献でした。『論語』しかり、『史記』『唐詩選』しかり。『小中華』を自負する朝鮮人にとっては、中国の古典を自身の古典でもあったのです。それはモロッコアルジェリアの人々が、イスラム文明の中心だったバグダードでつくられたものを自国の文化だと考えるようなもので、別におかしなことではありません。
 しかし千数百年にわたって文化的に中国と一体化し、『小中華』であることを誇りにして生きてきた朝鮮は、日本に〝むりやり〟独立させられ、韓民族の国になってしまった。文明の内実がガラリと変わり、そこに大きな断絶が生まれました。現代の韓国人は『小中華』の時代がどのような国だったかをなかなか理解できない。むしろ知りたくないようです。
 韓国の歴史教科書は、紀元前2333年に壇君(だんくん)が即位して以来、一貫した民族の歴史があったと書いている。古代には高句麗新羅百済の3国がありましたが、どれも韓民族の国だったことになっています。その3国が新羅によって統一され、それから高麗、李氏朝鮮と続いて、大韓帝国大韓民国となり、今に至っているという。しかし実際の韓国は、近代になってそれまで受け継いできた伝統を放棄し、新しく出発した国です。そのことを端的に表しているの漢文です。
 日本人は、たとえば杜甫の詩を『国破れて山河あり、城春にして草木深し』という風に、日本語として読んでいます。日本人の多くは漢文というのは中国の古文だと何となく思っていますが、欧米の東洋学の世界では〝KANBUN〟は、あくまで日本の語文として教えられています。漢文学・漢字学の大家、白川静さんは日本における漢字は国学、つまり日本の文字であると力説されています。
 たとえば『山』という漢字を日本人に見せて『これは何か』と聞けば、100人が100人とも『やま』とい字だと答えるでしょう。もちろん音読みで『サン』とも読みますが、この字はあくまで『やま』です。だから『山を張る』とか、『ひと山あてる』とか『明日の試合が山だ』という言い回しが発生してくるわけです。中国古典の原義がどうあれ、日本語の『やま』に新しい意味やニュアンスが付加されると、それに連動して漢字『山』も変わっていきます。だから、実態として日本の文字なのです。
 ところが朝鮮では『山』は『サン』としか読まず、その意味はあくまで中国の古典テキストの集積によって決められている。『盛り上がった地塊』という意味のほかに、『山がそこにいらっしゃる』というに皇帝その人を指す、あるいは皇帝の衣服の模様のようなものを指すとか、日本人にはちょっと想像もつかないような意味であり、旧朝鮮の士大夫は、それを一応承知していなければならない。漢字はあくまで中国の文字であって、ここでは民族語との有機的なつながりがなりません。
 たとえば『過猶不及』を、日本では『すぎたるは、なおおよばざるがごとし』と読みますが、朝鮮では民族語との結びつきがないので『過・猶・不・及』という4つの漢字をこの順で棒読みし、末尾に日本語の『なり』にあたる言葉をつけます。こうした文書は朝鮮語とは言い難いものですが、彼らはそういうものとして漢籍を受け入れていたわけです。
 理解を超えた漢文
 それが、今ではまったく読めなくなった。韓国語の言語文化で育った人にとっては、漢字を上から下へと読み流す漢文は、発想の段階ですでに理解を超えるものになっています。実は漢字教育もいくばくかは行われているのですが、民族語とのつながりがないから、一般の韓国人にとって漢字は本質的にエジプトの聖刻文字(ヒェログリフ)みたいなものです。個々の文字をいくら覚えても、棒読み漢文は味読できない。意味はこうだと言われても、古人のように、その形式美や含蓄性を感じ取るには至らない。
 読めないということは、真正の古典がないということになります。ハングル小説があるじゃないかという人もいるかもしれませんが、何と言っても数が極端に少ない。80編くらいしかなく、それも大半が中国人が登場する中国の物語として書かれています。
 18世紀に成立した『春香伝』は朝鮮を舞台にした数少ない作品の一つで、国語文芸の代表作とも言われていますが、文は漢語成句や漢土故事に埋め尽くされ、あまり朝鮮的という感じはしません。
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 『驕(おご)れる者久しからず、ただ春の夜の夢のごとし』『夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡』と耳で聞けば、全然意味がわからないという日本人はまずいないでしょう。意味が通じるというだけでなく、母語が宿す言霊の力で、容易に核心の理解に到達できます。英文学は外来のアルファベット(ラテン文字)で書かれていますが、まったきイギリスの国文学です。自国の言葉で書かれているからこそ国文なのであって、国字だから国文だという認識は、仮名の普及と国文学の発展が並行して生じた日本の文学史に引き当てたもで、当地の現実ではありません。ハングル小説『沈清伝』には朝鮮を舞台にしたものと、中国を舞台にしたものがありますが、どちらも違和感なく読めるのは、作品の民族性が鮮明でないからです。こんなことは日本では考えられないでしょう?『源氏物語』や『平家物語』の舞台を中国にするなんてことは、どだい不可能です。
 要するに近代になって語文がそっくり入れ替わり、それまで存在した文献は『われわれのもの』と感じられなくなってしまったのです。いま私たちが目にしている韓国という国は韓民族の国で、韓国語を使っています。熊の血を引く民族神『壇君』を開国始祖として昔から崇めていた、ということになっています。しかし、旧朝鮮の士人がよみがえってこの国を見る機会があれば、自分たちとは全然違う、とんでもなく奇妙な国ができたものだと、さぞ嘆くのではないでしょうか。
 『これで完全な日本人に』
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 特殊な人の言動を拾っているわけではなく、いずれも当時のオピニオン・リーダーです。韓国の歴史教科書には民族総ぐるみで激烈な抗日闘争を戦ったなどとありますが、真っ赤な嘘と言うべきで、日本時代の晩期には、人々は概ね日本国民の意識を持ち、さまざま形で日本の戦争に参加していたのです。
 現に、日本の統治下で、反乱のようなものはほとんど起きていません。よく取り上げられる3・1運動も、あまり対決的であったようには見えない。少なくとも世界史の基準で見る限り、激烈な闘争が行われたとしてこの事件を記述するのは無理があります。この程度のものが大きく取り上げられるのは、ほかにこれといった抵抗の記録がないからです。
 中国大陸には大韓民国臨時政府なるものがありましたが、有志が集まってそう自称していただけで、当時アメリ国務省は、プロの運動家が『勝手につくったクラブ』(self constitutedclub)と認識していました。四半世紀にわたって実のあることはなにもせず、中国の支給に頼って何とか生き延びはしたものの、内輪揉めだけで終わってしまった印象です。要するに、いま韓国が大声で叫んでいる『抗日』は、実のところほとんど無いに等しいものでした。
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 クリスチャンの思想家咸錫憲は、『解放は盗人(ぬすっと)のようにやって来た』と書いていますが、これは当時の人々の偽らざる気持ちだったように思います。1945年8月、それは何の前ぶれもなくやってきて、意識を顚倒(てんとう)させました。ひたすら皇民化の道を歩んでいた人々は、天変地異のような激震に見舞われたのです。
 もし民族の心の拠り所があれば、たとえばロシア人なら、ソ連がなくなってもロシア正教があり、トルストイドストエフスキーの文学がある、チャイコフスキーの音楽がある。ところが朝鮮人には帰るところがない。どこに行けばいいのか。日本が来る前の、漢文化の世界に戻ることはもはや不可能です。
 歴史は信仰
 ふとあたりを見まわしてみると、自分たちが突然放り出された世界は、アメリカが君臨する世界でした。日本は悪い国で、正義の国アメリカがそれを征伐したのだという世界観が出来上がっていました。朝鮮はそれに適応する以外、道がなかった。いい悪いではなく、ほかに選択の余地がない。日本にあらかた同化し、日本国民として戦争に参加した人々が、日本を大声で糾弾しつつ、何食わぬ顔で被害者の席にもぐり込む。そうするほかに、国を成り立たせる術(すべ)がなかった。あとは日本がどれほど悪い国で、日本人は極悪非道だったかを、とにかくいろいろな形で言い募り、われわれはいかに日本と激しく戦ったか、ということを自他に言い聞かせるだけです。
 こんな話は丸ごと虚構に属するものですが、戦後の韓国では国が主導して仮想現実のような歴史をこしらえ、それをひたむきに国民に教え込んできました。韓国人は、ベトナム人のように、戦ってフランス、アメリカといった大敵を追い払った、輝かしい民族史を持っていません。だから、現実とかけ離れた異常な教育をするしかない。事実を脇に置いて、まるで違う歴史に差し替えざるを得ないのです。
 朴成壽(韓国精神文化研究院教授、国史編纂委員会編纂史室長)は、1980年代前半、日本の歴史教科書に対する是正要求のとりまとめ責任者になった人で、韓国の国としての立場を代弁してきた学者ですが、客観的な考証や実証では歴史の真実は把握できない、真の歴史とは、国民の愛国心を呼び起こすものでなければならないと繰り返し言っています。
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 価値の中立性と歴史的客観性によって日帝の野蛮と犯罪を暴くのではない、その逆です。中立と客観、文献や考証では、それらは隠蔽されると言うのです。
 この人は歴史は科学ではなく『信仰』だと言っています。どの民族にも自身の歴史信仰があり、それらはお互いに激しく対立し、何方の信仰が勝つかという『歴史戦争』が絶えず繰り広げられていると考える。たとえば、古代日本の半島進出を裏づける好太王碑文の解釈も、日韓に中国を加えた3国間で展開されている、現在進行形の歴史戦争だと述べています。
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 韓国には民族的宗教も、求心力になるような君主制もなく、自力で独立や解放を勝ち取ったという国民的記憶も、おぼろげなものでしかありません。国民的統合のより所は、あげて『愛国心を呼び起こす歴史』に求めるしかない、ということになる。韓国国家が、歴史認識に課している厖大(ぼうだい)な要求を満たすには、潤色(じゅんしょく)といった程度のことでは到底間に合わない。史料的根拠や客観性からまったく自由になった。信仰的歴史を追求するしかない。それなりに考えた上で、こういうことまで突き進まざるを得なかったのでしょう。
 日本人は知らぬが仏の状態ですが、かつて教科書紛争の前線に立って日本の歴史認識を糾弾してきた韓国の学者は、こうした歴史観の持ち主だったのです。
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 歴史に科学や客観は不要だと考える韓国人は、自分たちの『信仰』を貫いているのですから、『徴用工』問題にせよ、慰安婦問題にせよ、客観的な証拠を積み上げて反論してもいささかも動じることはありません。そのことに日本国民も遅まきながら気づき始めたようです。
 反日イデオロギー
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 長らく続けられてきた教育が、国民の意識を反日一色に染めあげていくにつれ、イデオロギーが自己運動を始める時代が訪れます。
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 反日のマグマが、言わばはけ口を求めてさまざまな箇所から噴出してきた時代、と言ってようでしょう。
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 これは日本にとって、憂慮すべき事態だと言わざるを得ません。
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 日本の友好国になるとはちょっと考えにくいが、中国と日本の間でバランスを取るのが得意だと判断する可能性は十分あると思います。
 一方、韓国はどうか。反日教育は今なお営々と続けられています。国民意識は尖鋭化する一方で、統一したからといってそれに歯止めがかかるとは考えにくい。日本ではよく、年間700万人を超える韓国人観光客が日本に来ている、などと言って楽観視する言説が見受けられますが、こんなものは問題の本質とは何の関係もありません。金正恩氏はスイスに留学していたから、人権や民主主義に理解があるだろう、などと以前解説していた人がいましたが、それと同じで、安心したいという気持ちが先に立つのでしょう。韓国の反日主義に歴史上最も近いものは、ナチ党の反ユダヤ主義です。一民族を総体として絶対悪視するイデオロギーが国家の正統意識と結合した時に何が起きるか、日本国民はもう少し真剣に考えなければならないと思います。
 韓国の危うさ
 ──日本はどうすればよいのですか。
 松本 これまで韓国側が問題をつくる出し、対立をかき立て、日本側は何とか事態を落ち着かせようと、その場しのぎの解決を試みてきました。韓国にはそんな発想はまったくありません。反日のマグマを常にため込んでいる状態ですから、噴火のない状態が長く続くことに耐えられないのです。
 関係が修復されてもしばらくたてば、全然別のところに無理やりにでも穴をあけ、マグマを噴出させる。こんなことをくり返してきたわけです。
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 ──反撃しろということですか。
 松本 韓国の要求についても受け身で応対し、『修復の糸口を探る』などと言いいながら、玉虫色の解決を模索するような外交は、もう打ち止めにすべきです。韓国の反日が危険水域を超えるのは時間の問題で、日本にはこれまでのようなことを続けていく余裕はもうありません。
 日本国民は外国とうまくやっていくのが外交だと思い込んでいるフシがありますが、本来のDiplomacyの意味は大分違います。日本の立場を強外部に投射していく、そういう外交に全面的に切り替えるべきです。
 ──基調を協調から対決に切り替えるということですか。
 松本 不必要な対立は避けるべきだし、協力できる分野はいろいろあるので、そこはうまくやっていけばよい。しかし、両国関係が『修復された状態にあること』を標準にする、つまり波風が立っていなければよしとする発想は、この際変える必要があると言うことです。日本を絶対的な負の位置に置き、反日に制動をかける上位の思想や規範を持たない異形の国家が、目の前にあるわけです。もう受身の対応ではダメだ。日本から主導的な動き、対決を怖れず、反日の危険を取り除くことに主軸を置くべきです。
 ──危険を取り除くと言われましたが、簡単にできることとは思えませんが。
 松本 それはその通りですが、問題の本質は単純です。ソルジェニーツィンソ連は嘘の上に成立していると言いましたが、反日国も同じです。戦後70年、日本と日韓関係について、吐かれ続けてきた数知れぬ嘘が、韓国人の怒りの情念をかき立てている。それを突き崩していく必要があります。韓国が提起する問題に反論してよしとすうのではなく、日本から主導的にことを起こしていくわけです。
 具体性があって、わかりやすいテーマを取り上げるのがよいでしょう。法律などは、かっちりした文章があるから、良いと思います。韓国でも法律の日帝残滓(ざんし)がしばしば取り上げられているくらいで、誤魔化しようのない事実だから、説明は容易です。
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 それが事実だと確認できれば、日本の主張にこだわることはありません。別にプロパガンダではないのだから。
 虚構を崩す
 ──史実を伝えるだけで、韓国が反日をやめるなどということが期待できますか。
 松本 事実をつきつけられることは、虚構の上に築かれた反日国家の急所を直撃するもので、韓国にとって実はこれが一番痛いのです。当然、頭から否定し、反撃してくるでしょうが、それでもよい。
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 いずれにしても、長い戦いになることは避けられない。そのために、日本国民も、日韓関係の真実について、知識を持つ必要があります。国民はあまりに知らなすぎます。
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 おかしいと思いますが、むしろ国民のせいではない。戦後、異常な使命感に駆り立てられた一握りの日本の学者が、日韓関係の真実にふたをし続けてきたわけです。歴史を国民の手に取り戻すためには、これまで意図的に無視されてきたことを、一つひとつ取り上げていく必要がある。
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 未来志向などと言われていますが、今日本に必要なのは、徹底的に過去を志向することです。歪められた過去の正体をつきとめ、嘘が大手振ってまかり通るような状態に終止符を打ち、自由闊達な議論ができるようにしなければなりません。
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 迂遠のようですが、それが日韓関係正常化の近道だと考えます。」
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 朝鮮は、統一新羅以来属国として、自己判断で自立せず、自己努力を無駄な事として捨て、ただただ、ひたすら大国の富みに頼り依存し縋り付いて生きてきていた。
 朝鮮は、中華儒教の正統論・正義論から、勝者・強者・大国に対して忠誠を誓って従った。
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 中華儒教は、事実に基づく近代歴史学を排除し、自分好みの作り物の歴史こそ正しい歴史であるとしている。
 中華世界で、何時の時代でも、事実に基づく正しい歴史を書き記す専門家はいなかった。
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 日本には、日本民族日本人が生み出してきた日本文明・日本文化、日本神道・日本仏教・日本儒教、など伝統的な芸能・芸術、心・精神・志、その他数多くの民族所縁の文物風習が存在していた。
 中国は、世界国家としてに日本よりはるかに数多く持っていた。
 朝鮮は、中国を忠実に模倣して民族的な文物風習を俗悪・野蛮として否定し切り捨ててきた為に、民族固有のモノは数が少なかった。
 つまり、民族の独自性は、日本と中国はあったが、朝鮮にはなかった。
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 朝鮮の伝統的民族的宿痾は、血で血を洗う党派抗争である。
 日本の植民地支配に於いて、朝鮮人の間に親日派知日派反日派敵日派との熾烈な抗争が存在し、「事大主義」と「夜郎自大意識」で強い方に味方している陣営が優位に立っていた。
 党派抗争とは、リベラルな儒教原理主義とリアルな現実主義の主導権争いである。
 朝鮮は誇る精神文化とされる「恨」と「怨」は、党派抗争から生まれた。
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 韓国の英雄であるキリスト教朝鮮人テロリストは、日本人共産主義者テロリストと同様に、現皇室の昭和天皇や皇族を殺すべくつけ狙ったが、テロ行為は全て失敗した。
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 日本国内には、昔から反天皇反日的日本人が少なからず存在している。
 日韓問題にしろ、日中問題にしても、問題の根源は韓国・中国との外交問題ではなく、日本の国益を害し日本国民の利益を損ねても韓国・中国に利益を与えようとする人権派良心派の日本人がいるという国内問題である。
 そうした日本人は、高学歴出身知的エリートに多い。
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 日本のこじれる外交問題の諸悪の根源は、日本人が持っている「取り敢えず謝っておこう」というその場しのぎの醜悪な態度、恥も外聞をかなぐり捨てた見苦しい根性である。
 日本の外交下手や外圧に弱いとは、そうした誰でも分かる見え透いた日本人の卑しさである。
 故に、現代の日本人は、江戸時代を逞しく生きていた武士でもなく、公家でもなく、まして百姓や町人でもないのである。
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