🎌7〕─5─家元とは血筋を根拠にした血族主義と血統主義による世襲制度である。〜No.47No.48No.49 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 皇室と天皇制度を廃絶するなら、民族文化の伝統である、世襲の家元制度を破戒し、血筋を正統性の根拠とする血族主義と血統主義も消滅させる必要がある。
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 穢れた身分低い芸能の民は、先祖の芸・芸風を受け継ぎ伝え残す為に、芸・芸風を守り維持するべく血族主義と血統主義で宗家を選び、世襲の家元制度をつくった。
 宗家・家元制度とは、排他的閉鎖的な世襲制度であった。
 日本社会は、世襲制度が多数派であった。
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 世界の伝統芸能・伝統演劇は、才能のある人間が個人として再演していて、芸能や演劇を創作した人物の子孫は芸や芸風を残す事に関与していない。
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 宗家は、血筋を根拠とした家名、屋号、名跡で受け継がれていた。
 歌舞伎で言えば、市川家・成田屋市川団十郎、尾上家・音羽屋・尾上菊五郎、などである。
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 家元制度の中には、歌舞伎のように女人禁制が存在する。
 現代では、その逆で男子禁制も存在する。
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 親の七光りは、親が生きていればこそである。
 親が亡くなれば、親の七光りも消える。
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 家元の原型は、天皇家・皇室である。
 天皇家・皇室は、日本民族の伝統文化である。
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 日本民族日本人は、混血の雑種民族である。
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 2019年5月2日 朝日新聞「新時代・令和 これからの天皇
 伝統を継ぐ者同士として  観世清和 能楽観世流26世宗家
 学習院初等科のころ、新天皇陛下には同じ『伝統文化』の世界に身を置く者として、ある種の励ましをいただいたことがあります。
 小さいころから父のつける厳しい稽古がありましたから、『放課後遊び、今日どう』と陛下に誘われても『父のお能のお稽古があるので』とお断りすることがよくありました。そんなある時、陛下に『わかった。お能のお稽古、大事だよね』とお声をかけられたことがありました。
 その瞬間、陛下も日本の伝統文化という、自分と同じ世界に身を置いておられるんだ、という共通の感覚のようなものを感じました。子ども心に、僕も頑張らなくちゃ、と。それが今の私の能楽人生の宝となっております。
 伝統は、先代が私に乗り移り、私が息子に乗り移り、そのようにしてつないでいくものなんです。我が家は観阿弥世阿弥から700年近く、父から子へと血縁で受け継いできた家なのですが、文字どおり、子は親の生き様をよく見ておくことが求められます。あの日、あの時、父はこうやっていたな、と。
 それも、父や祖父のやっていたことをただまねするだけではだめなんです。なぜそうしたのかと疑問をもたないと。そこから自分ならではのもの生まれてくる。上皇さまと新天皇陛下の関係も、これと同じではないかと推察いたします。
 伝統の重みは陛下も日々感じてこられたでしょう。私の場合、父の急死で31歳で家元を継承しましたから当時は無我夢中です。少し経ってじわじわとプレッシャーが追いかけてきました。まだ教わっていないこともありましたから。父の残した書き置きを、穴のあくほど読み返しました。
 『そこは先代はこうやっていた』と、長老方にも色々言われました。父親と比べられては、息子はたまったものではないですよ。でも、そうやって先代と比べてもらえることは、徳を積む一種の手段と考えれば、ありがたいことと、考え方を改めました。
 59歳といえば世間ではそろそろ定年退職し、ペースダウンさせた第二の人生を踏み出す時期です。陛下はそのお年で、これから、今より重い天皇のおつとめを始められる。
 でも、伝統文化の世界では実は年齢は関係ないのです。50、60は鼻たれ小僧、80くらいにならないと一人前ではありません。しかも家名を襲名すると、重い名前を継ぐことで責任が増し、舞台も磨かれてゆく、『皇太子殿下』から『天皇陛下』に変わられ、いわば家名襲名、これからが、本番でございます。
 そのために欠かせないのは健康です。昨年お会いした時、どうぞ、お体に気をつけてと申し上げましたらね、陛下に『あなたもね』と。(聞き手、斎藤智子)」
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 家元制度
 技能文化における一流一派の統宰者を家元という。その家元が免許状発行権を独占し、壮大な家元文化社会を構成したものを家元制度という。家元ということばの初見は、法隆寺鵤(いかるが)文庫蔵『年会日記』正徳(しょうとく)3年(1713)7月26日条によると、1689年(元禄2)で、法隆寺東大寺薬師寺などへ成人後僧となる少年を入寺させる権利を所持する家を意味した。また、先祖の墓を守る本家とか、武芸根源の本家、商家の根源本家などにも家元とよばれるものがあるが、史上重要なのは芸能諸流の家元である。この芸能家元の初見は、1757年(宝暦7)に成る馬場文耕(ぶんこう)の著『近世江都著聞集(こうとちょもんじゅう)』である。しかしその実体としての起源は平安時代にあり、公家(くげ)・社寺などに属した雅楽の家々、二条家・冷泉(れいぜい)家など歌の家、紀伝・文章(もんじょう)・陰陽道(おんみょうどう)の家などができた。鎌倉時代には、弓・馬の小笠原(おがさわら)家、衣紋(えもん)の高倉家などが成立、南北朝時代から戦国動乱期にかけて、能狂言の家や、浄土真宗本願寺、ならびに、貴族社会に香、書、歌、神楽(かぐら)、郢曲(えいきょく)、琵琶(びわ)、和琴(わごん)、蹴鞠(けまり)、鷹(たか)、神祇(じんぎ)、装束(しょうぞく)、庖丁(ほうちょう)、卜筮(ぼくぜい)などの家が確立して、秘伝の免許体系を整え、盛んに伝授するに至った。17世紀初頭に全国城下町に多数の武家貴族が創出され、これが江戸に参勤することなどにより、この大人口の新興武家貴族が、武芸ならびに遊芸を盛んに稽古(けいこ)するようになり、武芸には弓、馬のほかに砲術、剣術、槍術(そうじゅつ)、忍術、柔術その他多くの武芸の家元が成立した。また、香、茶、花なども前代未聞(みもん)の隆盛をみるに至り、茶道、香道、花道などのことばが用いられるようになり、日本の芸道がこの時代に成立するに至るのである。
 18世紀を迎え、三都を中心として、さらに全国の都市に富裕町人が多数成立すると、この町人たちが家元の遊芸文化に殺到して、盛んに茶、花、俳諧(はいかい)、音曲などを演じ、その人口は莫大(ばくだい)なものになっていった。こういう現象が成立するようになって、町人社会の稽古事(けいこごと)が隆盛化し、免許状を家元から直接伝授されることを希望する者が増大することとなり、やがて、家元が免許権を独占し、古代以来の免状伝授法に革命現象がおこることとなった。つまり、免許皆伝を受けた者は自分の高弟にさらに免許皆伝する権利をも与えられていた古代以来の完全相伝形式が否定され、町師匠(名取(なとり)師匠)は教授権のみを与えられ、いっさいの免許権は家元が独占するようになったのである。これが家元制度で、18世紀中ごろから町人社会に行われた茶道、花道、香道、音曲などの諸流に盛んに普及し、19世紀に入ると、笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、笛などの雅楽三管の家々まで家元制度を結成するに至った。さらに邦楽諸流をはじめ、あらゆる遊芸文化社会に大小さまざまの家元制度が出現した。
 明治以降もこの体制はほとんど変化なく存続したが、1955年(昭和30)ころまでは、これらの家元制度の大人口はほとんどすべて男性によって構成されていた。それが昭和30年代を迎えると、あらゆる芸能諸流に女性が殺到し、家元制度文化社会はたちまち女性に独占される状態となり、現代では、茶道、花道はいうまでもなく、能楽の謡(うたい)や演能にまで女性の進出は目覚ましいものがある。日本には、家元といわなくても、その実体が家元制度に酷似した講道館(柔道)とか、日本棋院囲碁)、その他多くの擬似家元制度があり、これらをも含め家元制度は、日本独特の文化社会をつくりだしている。[西山松之助]
川島武宜著『家元制度』(『イデオロギーとしての家族制度』所収・1957・岩波書店) ▽西山松之助著『家元の研究』(1959・校倉書房) ▽西山松之助著『現代の家元』(1962・弘文堂) ▽西山松之助著『家元制の展開』(1983・吉川弘文館) ▽西山松之助著『家元ものがたり』(中公新書)』
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 家元
 日本古来の芸道で,流派の正統としての権威を受継ぎ,流派の門弟を統率する家もしくはその当主をいう。すでに平安時代から,歌道や雅楽の分野に家元が形成され,戦国期には武芸の家元が現れたが,江戸時代には広くさまざまの芸道分野に,この制度が展開して今日にいたる。家元は,統制,教育機関を通じて全門弟にその権威を及ぼし,流派の諸芸の免許を与え,その流派にそむいた門弟を破門する。舞踊,邦楽,茶道,歌舞伎や,音曲,その他さまざまの分野にみられる制度である。なお,舞踊などでは流派によって家元とは別に宗家を立て,兼任する場合や家元引退後に宗家を名のる場合がある。
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 デジタル大辞泉の解説
 いえ‐もと〔いへ‐〕【家元】
 技芸の道で、その流派の本家として正統を受け継ぎ、流派を統率する家筋。また、その当主。室町時代に始まり、江戸時代に諸芸道の発展とともに、能楽狂言・舞踊・音曲・香道・茶道・華道・武道などについて多くいうようになり、現代に及ぶ。宗家(そうけ)。
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 家元とは、日本の芸道などを家伝として承継している家系のこと。またその家系の当主個人を指しても用いられる。
 
 概要
 日本の伝統的な芸能、芸道において、その流儀の最高権威伝承者またはその家系を指す。近代以前は一般的に世襲され、現在でもその傾向がきわめてつよいが、実際には養子・婿入りによって流内の有力者・実力者をその家系に組みこむなど、単純な血縁による世襲とも言いきれない部分がある。
 通常、流内の政治的な把握と、芸事に関する指導とをともに行い、流儀の正統性の由来とされることが多いが、場合によっては家元のほかに宗家を置くこともある(家元と宗家の上下や関係、役割分担は流儀ごとに千差万別である)。家元の主な役割は、流儀の政治的統率、芸事の掌握と規範性の保持、免状・資格の発行、玄人の養成などがあげられるが、近年は流儀の玄人会がこれに代わるちからを得ている場合も多く、家元と流儀内の権力関係についてはさまざまな状態が混在している。
 なお能などの分野では慣例的に家元を宗家と言習わして、家元の語を用いない場合がある。
 家元の存在する分野としては、各種の武術・武道、江戸期の公家家職に由来する有職故実・礼式の類、華道、茶道、書道、盆庭工芸、能楽、邦楽、日本舞踊、東八拳などがある。囲碁、将棋のようにかつては存在していた家元制度が失われた分野もある。ただし、西山松之助 『家元の研究』にみるように江戸時代における大半の武術流派には家元制度はとられてはいなかった。 歌舞伎や義太夫といった舞台芸術の家元について長唄の松島庄十朗は、かつては自らを家元と称する人は少なかったが、それが明確化されたのは国家総動員法に基づいた「技芸者之証」発行以降であると語っている。
 また過去に無かったものの後世になって家元制度が置かれているという場合があり、一例に「落語立川流」がある。これは落語協会を飛び出してきた立川談志が自ら家元となり創設したもので、それまでは落語家の団体に家元制度は無かった。しかし、談志の死後は家元制度を廃止して談志の弟子たちが代表や理事となって運営している。

 家元制度
 家元を中心として流儀の統率を行う制度を家元制度と称する。その内容ははなはだ多様であって一概に語ることはむずかしい。
 世襲による家元に流儀の芸事に関する規範性・正統性を求め、流儀の同一性を保持すること
 家元を政治的な権威として流儀内の統率を行い、上意下達方式を中心にして流儀の運営を行うこと
 経済的には流儀内の素人、玄人(職分)などから資金を集めこれを流儀全体のために家元が再分配するかたちをとっていること
 免状発行の権限が家元にあること
 家元個人またはその家の私的な部分と流儀の公的な部分とが未分化な状態にあり、家元の存在そのものが流儀の根幹にかかわる制度をしいていること、などが特徴として挙げられる。
 吉田和男は「日本の文化活動を維持してきたのは、一種のクラブである家元制度である。これは日本製の組織の形成である「講」の一種である。それは、一種のネズミ講のように、構成員が教えるものと教えられるものとして連鎖的に広がり、自ら供給し、自ら需要する形態をとる。」と述べている。
 家元制度は芸の同一性を保持し、流儀を中央集権的にまとめあげて一体感をもたらす意味では非常に効率的であるが、一方で資金や労力の面で流儀を実質的に支えている人々の意見が制度として反映されがたいという非民主的な側面も持ちあわせている。これに加えて流儀内の資金管理における税法上の問題、あるいは家元代替りに際しての贈与税相続税の負担による家伝の装束や伝書などの散逸の危険性、さらに芸事に関して家元がこれを充分に管理する能力に欠ける場合の流儀の運営問題などから、近年では家元制度を保持しつつ、実質的な芸事の管理、資金の出納については流儀の法人がこれを行うというかたちが多く見られるようになってきた。

 起源
 家元の起源は古く、実質的には平安時代にすでに「歌仙正統」の御子左家が登場しているし、雅楽に関しては奈良時代に家芸として確立していた例も知られている。こうしたものは宮廷における諸行事の際の役割分担が世襲化したものである。これらは武士の台頭とともに一時は衰退することになるが、新興の武家が公家文化を受容することで自らの権威付けを図る風潮が盛んになり復活していく。一方、武家社会でも鎌倉時代から小笠原家のような故実家が成立していたが、室町時代末期から江戸時代初期にかけて武家独特の様々な家芸を伝える家が成立していく。しかし今日イメージされるような家元制度は富裕町人層によって文化人口が爆発的に増えた江戸時代中期以降のものである。
 「家元」という呼称自体も家元制度とほぼ同じ時代になってからのもので、宝暦7年(1757年)の馬場文耕『近世江都著聞集』が初見とされる。それに先だって元禄期には寺院の住持を出す家系のことを寺元、家元、里元などと呼んでいた。
 家元というシステムの根幹の一つに秘技秘伝を相伝することによる家芸の独占化があるが、これはおそらく仏教とくに密教の伝来がその発端であると考えられている。すなわち師に対して帰依しその教義を受け継いでいくという姿が、家元に入門して秘技相伝を受けるという形式の原型となったと考えられるのであり、密教の印信が様々な流派における相伝書の手本であったと言える。これは世襲であることを必要としないが、一子相伝の形を とることによって家元の正統性が強調されるようになる。
また、江戸時代に官学となった朱子学系の思想的影響も受けていると指摘されることがある。師に無心に尽くすこと、家元の絶対性を是認することなど、家元による封建的・世襲支配構造などは朱子学の根幹をなす思想であり、非常に共通点が多い。社会構造が大きく変化した近代以降は、流派の再編や女性家元の登場など、家元の様態も質的な変化を遂げることになった。
 家元制度の特色として、家元と門人との間を名取りや師範などが介在する階層構造を取ることがあげられるが、こうした構造は熊野詣の御師-先達-檀那という階層構造や、浄土真宗本願寺教団の法主-一家衆-末寺-門徒という構造がその原型として考えられる。特に本願寺教団では法主世襲して宗教的権威を誇り、門徒喜捨を集め、「後生御免」という一種の免状発行権を独占したという点で家元制度に近いものとだと考えられる。
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 家元制度とは、祖先神・氏神の人神崇拝である。
 人神崇拝とは、魂・霊と命、血と身体、遺伝子とDNA、そして心・精神・志・気概、思い・想い・念いを全て欠かす事なく子々孫々まで受け継ぐ事である。
 それが、家の中の神棚である。
 日本民族日本人は、人を作った全知全能の創造神を信仰したのではなく、自分に直接の祖先を神として祀った。
 日本の宗教では、神が人を創ったのではなく、人が神を創ったのである。
 それが、家元制度の基本である。
 人は、両親によって家に生まれ、親戚・親族・一族の中で家族をつくり、親兄弟と共に家庭をつくって生活する。
 その中心にあるのは、神ではなく、人・家族である。
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 日本の伝統文化・民族芸能は、血筋の家元制度のもとで誕生し、改良されながら洗練されて所作・形が定まり、変化を受け入れながら進歩して古典となり、芸風が守られ、芸道が継承されてきた。
 変わらない所と変わる所があってこそ、日本の伝統文化・民族芸能である。
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 皇室は、最高神である女性神天照大神の血筋・血統を正統としている。
 天皇は、初代神武天皇からの男系男子相続を正統な皇統としている。
 神武天皇は、天照大神の男系子孫である。
 天皇霊天皇心は、正統な血統・血筋の子孫にのみ受け継がれ、血統・血筋を別にする赤の他人では受け継がれないし、祭祀を執り行って崇める事もできない。
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 現代日本では、反宗教無神論によって「神殺し」が行われている。
 日本から急速に日本民族日本人らしさが消滅している。
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 日本では、悪霊・怨霊への恐怖はあっても、死者が動き出しゾンビとなって人々を襲って殺すというホラー話は生まれないし、馴染まない。
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 日本を知りたいと思う外国人は、理解しづらいながらも知ろうと努力をしている。
 が、日本を嫌悪する日本人は、理解しようとしないどころか捨て去ろうとしている。
 そうした日本人によって、日本から日本らしさが急速に消えつつある。
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 武士の正統性とは、血筋・血統ではなく家の当主である。
 家を残す為ならば、血筋・血統を否定し、消滅させる。
 武士は、家を残す為に血の繋がらない他人を養子に迎えて当主に据えて忠誠を誓う。
 武士の信仰は、血筋・血統を正統とする人神崇拝ではなく、血筋・血統の価値を否定する仏教である。
 それ故に、百姓や町人が武士になり成り上がる事ができた。
 家を守る為の、家臣による主君殺しは存在する。
 武士道は、建前であって本音ではない。
 日本には、武士道など存在しなかった。
 武士社会とは、嫉妬、イジメ、嫌がらせ、意地悪、無視、役職を奪う目的で失敗させ、仕事がやり辛いように足の引っ張り合い、などが常態化したエゲツナイほどの陰湿なブラック社会であった。
 武士は、ストレスで早死にしていた。
 早死にしない為に、酒と女に溺れてダメ人間になるか、仕事ができない無能者を装うか、早く引退して隠居するか、であった。
 武士が職務で失敗すると、御役御免で蟄居なら良い方で、悪くすると家禄を没収されて領地外へ追放されるか、最悪になると切腹と御家断絶を命じられた。
 武士には、人権はないし、仕事や居住などの自由も認められていなかった。
 「武士道と云うは死ぬ事と見付たり」という、武士に求められていた「死の覚悟」とはそういう意味であった。
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 日本を占領した連合国は、日本大改造とキリスト教化の為に昭和天皇天皇制度を利用したが、皇室を存続させるつもりはなかった。
 11宮家の皇籍剥奪、皇室財産の没収、男系男子相続の徹底である。
 そして、護憲派と反天皇的日本人を育成する為の洗脳教育であった。
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 メディアは、「国民の知る権利」を絶対正義として、密室秘儀、門外不出、一子相伝など民族の伝統を白日の下に晒して金儲けをしている。
 その最大の目標が、天皇から神聖を剥ぎ取る為の皇室祭祀、宮中祭祀の暴露である。
 目的は、皇室と国民の親しみやすさ・親近感を高める為ではなく嫌悪感・憎悪感を醸し出す為である。
 メディアは、日本のグローバル化の為に、縄文時代を源流とする原始的呪術に基ずく日本民族神話と民族祭祀を絶滅し、ローカルな民族所縁の伝統文化を破戒しようとしている。
 そして、特定の血統・血筋を正統とする日本的なモノを消滅させようとしている。
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 外国人移民(主に中国人移民)が増えれば、日本民族日本人の血筋・血統信仰と言霊信仰は破戒され、消滅する。
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