☲2〕─1─韓国のキリスト教会は狂信的な反天皇反日であった。〜No.3 

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   ・   ・  {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 中世キリスト教会や白人キリスト教徒商人は、日本人を奴隷として中国、東南アジア、南アジア、南北アメリカ大陸やヨーロッパにまで売って大金を稼いでいた。
 日本人は、国内外の合戦・戦場で捕らえた日本人や朝鮮人を奴隷として売っていた。
 日本人の本性は、血も涙もない薄情・非情な冷血漢である。
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 現代日本人は、歴史力がないために、その歴史的事実を否定して恥じない。
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 日本人で、いい人は2割で、悪い人は3割で、何方ともいえない人が5割である。
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 朝鮮人キリシタンには、排他的不寛容な原理主義者が多くいた。
 キリスト教朝鮮人テロリストは、日本人共産主義者テロリスト同様に昭和天皇や皇族を惨殺するべくつけ狙っていた。
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 上海にあった大韓民国臨時政府は、キリスト教徒の政権であり、テロリストの巣窟であった。
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 産経新聞iRONNA編集部
 大衆化した韓国キリスト教の正体
 韓国のキリスト教徒は国民のおよそ3割に上る。わが国では1%にも満たないが、隣国では「国家的宗教」として浸透する。むろん、大衆化した宗教は政治や社会とも密接に関係する。なぜ韓国はキリスト教国になったのか。iRONNA韓国リポートの新テーマ「宗教編」をシリーズでお届けする。
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 歴史の裏に宗教あり
 「あえてこの場所を待ち合わせ場所にした意味が分かりますか」。平昌五輪の喧騒がすっかり落ち着いた4月、韓国・ソウルの官庁街を走る目抜き通り「世宗路(セジョンノ)」の交差点で、キリスト教の牧師、洛雲海(ナク・ウンヘ)氏は、出会ったばかりの私にこう聞いた。世宗路は、景福宮の正門「光化門」から続き、かつて豊臣秀吉軍と対峙し国民的英雄となった李舜臣(イ・スンシン)将軍の巨大な銅像がある。近くに大統領官邸である青瓦台があり、各国の大使館や新聞社が立ち並ぶ歴史と政治の要所だからだろうと思っていた。
韓国のカトリック教会「明洞聖堂」で祈りを捧げる信徒たち=2018年4月4
 だが、洛雲海氏が指さしたのは交差点の一角にある20階建てビルだった。このビルの16階に、韓国で3番目に多い信徒を抱えるキリスト教メソジストの本部があるという。洛雲海氏は「韓国の歴史と政治に、キリスト教が深く根差していることの象徴と言えるでしょう」と教えてくれた。
 そもそも韓国は、国民の約30%がキリスト教徒と言われており、アジアの中でも特徴的な宗教事情を抱える。歴代大統領の信仰に目を向ければ、保守派で知られる李承晩(イ・スンマン)氏、金泳三(キム・ヨンサム)氏、李明博(イ・ミョンバク)氏らはプロテスタント、一方、進歩派で知られる金大中(キム・デジュン)氏、現大統領の文在寅ムン・ジェイン)氏はカトリックだ。
 朴槿恵前大統領の失脚劇にも宗教色が滲んでいたが、韓国の政治とキリスト教派はどれほど密接な関係にあるのか。その歴史と現状を知るべく、洛雲海牧師や韓国宗教文化研究所長、李進龜(イ・ジンク)氏らを訪ねた。2人が口を揃えて話すのは、文在寅大統領を支える進歩派のキリスト教グループ「正義具現司祭団」の存在だ。政権の動きや政策とキリスト教の勢力図はまさに連動していると同時に、韓国でキリスト教の影響力が増幅した背景に、日本の存在が深く関係していることも力説した。
 キリスト教勢力と政治勢力の連動は、アジアの中でみれば特異だが、世界的な視点でみればそう珍しいことではない。李明博元大統領はキリスト教団体の役員だったが、同じくキリスト教の信仰が深い米国のオバマ元大統領と親密な関係だったことが知られている。「信仰に基づく理念の共有は外交にも通ずる」と、洛雲海氏は指摘する。時として宗教は、政治に大きなうねりや変革をもたらすということだ。
 韓国のキリスト教牧師や伝道師が集まる会合を取材中、話を聞いた女性牧師の言葉が印象的だった。
「日本は民主主義といいながら、実態が伴っていないのではないか。安倍首相は政治家の家系出身で、血筋が政治を牛耳っているようにしかみえない」
 女性牧師の目に映る日本の政治のイメージでしかないが、この言葉の裏に、2016年11月のロウソクデモを通じて国民が政治を変えたのだ、という自負がうかがえた。隣国でありながら日本と韓国の政治的背景の違いはあまりに大きい。それだけに、韓国の政治を理解する上で、キリスト教の存在をどう捉えるかが重要な視点の一つだと実感した。(文と写真、iRONNA編集部 中田真弥)
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 なぜ韓国でキリスト教が爆発的に浸透したのか
 『島田裕巳』 2018/07/25
 島田裕巳宗教学者
 戦後の韓国社会では、キリスト教の伸びが著しい。米調査機関、ピュー・リサーチ・センターによれば、2010年における韓国のキリスト教徒の割合は29パーセントに達し、仏教を凌駕している。仏教は23パーセントである。
 キリスト教徒の割合は、1950年の時点では、まだ8パーセントだった。それが、1970年には18パーセント、85年には21パーセントに増えた。95年で26パーセント、2005年で28パーセントだから、伸びこそ鈍化している。
 だが、日本のキリスト教徒の割合が1パーセント程度なのに比べると、韓国でのキリスト教の浸透はすさまじい。実際韓国に行ってみると、親は仏教徒だが、自分はキリスト教徒だという人によく出会う。
 そこには、戦後の韓国における経済発展と、急激な都市化がかかわっている。都市化は首都ソウルへの一極集中と言ってもいい。
 日本でも、高度経済成長の時代には、産業構造の転換に基いて経済が大きく発展し、それに伴って都市化が著しく進行した。それまで伝統的な村社会に生きていた人々は、都市に信仰を携えてはこなかった。しかも、彼らは家や地域社会のというネットワークから切り離された。そうした人間たちを掬い取ったのが、創価学会をはじめとする新宗教だった。
 韓国では、日本の新宗教の代わりをキリスト教が果たした。韓国のキリスト教は、日本のキリスト教とは大きく異なるのである。日本では、キリスト教は、主に富裕層や知識人層に広がった。逆に大衆化は進まなかった。
 ところが、韓国では、キリスト教は庶民層に広がった。したがって、日本のキリスト教とは異なり、むしろ日本の新宗教に近い、現世利益や病気治療を中心とするものが受容された。その際には、韓国に伝統的なシャーマニズムがそこに取り込まれ、かなり怪しげなものとなった。なにしろ、説教師が神懸りしたりするのである。
 必然、韓国のキリスト教徒の中でも、知識人層はそうした土着化したキリスト教を評価せず、「あれはキリスト教ではない」と否定的にとらえている。安延苑(アン・ジョンウォン)青学大准教授と浅見雅一慶大教授との共著に『韓国とキリスト教』(中公新書)という本があるが、そこでは、大衆化したキリスト教についてはほとんど触れられていない。触れたくないというのが、著者たちの本音なのである。
 日本では、土着の神道と外来の仏教が融合し、それが新宗教の基盤にもなった。ところが、韓国には神道にあたるものがないし、仏教は、儒教による圧迫も受けてきた。そのことが、キリスト教の受容に結び付いたのである。
 ただ、「漢江の奇跡」と称された経済発展が曲がり角に達し、韓国も低成長の時代に入ると、キリスト教の伸びは前述したように鈍化した。それは、新宗教に近いキリスト教から活力を奪うことにもなった。最近の韓国では、プロテスタントからカトリックに改宗する人間が増えているといわれるが、現世利益や病気治療ではない、社会的にも認知された宗教が求められるようになってきたのであろう。
 もう一つ、韓国の宗教の特徴は、経済界と結びつきやすいということがあげられる。韓国は依然として財閥社会で、「10大財閥」が力を持っていると言われるが、財閥が強いということは、経済構造が十分には近代化されていないことを意味する。だからこそ、財閥をめぐってさまざまな事件が起こるのである。
 セウォル号事件の際には、この船の実質的なオーナーは、兪炳彦(ユ・ビョンオン)という造船業や海運、遊覧船を経営するセモグループの前会長だとされたが、この人物は、同時に救援派(クウォンパ)という宗教団体の開祖であった。この団体の正式な名称はキリスト教福音浸礼会である。
 救援派はキリスト教の異端とも言われるが、プロテスタントの場合、バチカンのような世界的な組織があるわけではなく、正統と異端を区別する仕組みが存在しない。救援派のような新宗教に近いキリスト教の宗派は、韓国にいくらでも存在するのである。
 経済活動を実践しつつ、宗教活動も行う組織としては、世界基督教統一神霊協会がよく知られている。いわゆる「統一教会」のことだ。この組織は、世界平和統一家庭連合に名称が変更されている。
 日本の統一教会と言えば、勝共連合との結びつきもあり、政治的な宗教団体のイメージが強い。だからこそ、日本共産党やそのシンパと対立してきたわけだ。
 しかし、韓国では、むしろ財閥グループとしての性格が強い。経済活動は、宗教活動を支えるための資金集めの範囲には収まらず、むしろそちらの活動の方が中心であるようにも見える。少なくとも、日本の統一教会と韓国の統一教会は、かなり性格が違う組織なのだ。
 韓国のキリスト教は、「富者は神の祝福を受けている」と主張することによって、資本主義のイデオロギーを支持する役割を果たしたともいわれる。宗教には、信仰によって人々を結び付ける働きがあり、韓国の財閥や経済グループの中には、その点で宗教を利用してきた勢力もあったことになる。
 韓国では、キリスト教が庶民層をも引きつける生きた宗教であるがゆえに、経済や政治と結びついていきやすい。弾劾された朴槿恵元大統領も、キリスト教の影響も受けた新宗教の教祖とその娘と深い結びつきを持ったことが疑惑の一つの焦点になった。
 以上のように、韓国社会を見ていく上で、宗教とのかかわりということは、現在でも極めて重要な側面なのである。
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 韓国のキリスト教はいかにして「反日感情」と結びついたか
 『iRONNA編集部』 2018/07/25
 洛雲海(日本基督教団韓国派遣宣教師)
 1945年に太平洋戦争が終わり、朝鮮半島が北と南に分かれ、大韓民国という国家が新しく生まれました。国家をつくる上で要になるのは、憲法です。1948年、韓国の憲法を定める最初の会議(制憲国会開会会議)が開かれましたが、そこで驚くべきことが起こります。
 国会開会を宣言する議長が発した第一声が、なんと神への感謝の祈りを議場に促す言葉だったのです。それは「大韓民国独立民主国第一次会議をここに開催するに至りましたことを、私たちは神に感謝しなければなりません」というものでした。
 日本では考えられないでしょうが、韓国という国はそのようにして始まったのです。その時の議長がだれかといえば、のちに初代大統領になった李承晩(イ・スンマン)でした。これは速記録にもきちんと残っています。このエピソード一つ踏まえるだけでも、韓国の政治とキリスト教がいかに密接に関係しているかがわかると思います。
 キリスト教といってもいろいろな教派や立場があります。保守系キリスト教、進歩系キリスト教、つまり、キリスト教にも右派、左派があるんですね。
 キリスト教右派、左派というのは、カトリックプロテスタントかで分かれているのではありません。カトリックプロテスタントも、大部分は保守でしょう。ただ、一部に進歩的な人たち、北朝鮮とも仲良くしていこうという人たちがいて、その人たちを左派と呼ぶわけです。そしてその代表がカトリックや「聖公会」の一部、また「長老教会」や「メソジスト教会」などのプロテスタントの一部の人たちです。
 そして政治的保守層のキリスト者たちは保守系キリスト教と結びつく傾向があり、政治的進歩層のキリスト者たちは進歩系キリスト教と結びつく傾向があります。歴代大統領の宗教をみれば、それは明らかです。
 例えば李明博(イ・ミョンバク)大統領はプロテスタント「長老教会」の長老でした。彼は長老教会の中でも「統合」と呼ばれる中道派に属し、保守から進歩までを含む一番幅が広い教派です。
 その後の朴槿恵(パク・クネ)大統領は非常に保守的な政治家でした。父親の朴正煕(パク・チョンヒ)を支持していたキリスト者たちは主として保守的キリスト者たちでしたから、同じような人々が支持していたとみてよいでしょう。
 そして進歩派で知られる現在の文在寅ムン・ジェイン)大統領は、カトリック信徒です。ご存じの通り、廬武鉉(ノ・ムヒョン)と文在寅は親密な同志ですが、彼らを支えているのは同じキリスト教グループです。
 政治的進歩を支えているキリスト者たちは、軍事独裁政権と呼ばれた時代に、民主化闘争のために命を張って戦った人々である、という共通点があります。彼らは多くの保守系キリスト教が体制側に立っているのに対して、弱きものの立場に立ってキリスト教の精神を具現化していくんだと、独裁政治に対抗したのです。中でもカトリックで構成された「正義具現司祭団」というグループが中心的な役割を果たしました。
 そして民主化運動が成功し政権交代が果たされた後、金大中(キム・デジュン)、廬武鉉大統領の時には、民主化運動をした神父や牧師たちが政権のブレーンになっていきました。その牧師や神父は政府の中枢部に入って行きブレーンとなっていきました。特に南北関係の核心的なポストに、神父や神学者が入っていったわけです。
 韓国政界は、表向きにはあまりキリスト教の存在はわからないでしょうが、国家の決定的なところにキリスト教徒たちが多数入っているのが現実です。
 日本のキリスト教徒の人口比率は、1%に満たないと言われています。一方、韓国のキリスト教徒はカトリックプロテスタントを併せて俗に30%ほどと推測されます。最近は韓国でもキリスト者人口は減ってきていますが、それでも日本とは大きく違いますよね。
 すぐお隣の国にも関わらず、なぜ韓国でキリスト教徒が多く、日本では少ないのか。それは、韓国において、本来結びつくはずのないナショナリズムキリスト教が結びついたことが大きな要因の一つだと、私は見ています。
 ナショナリズムキリスト教の結びつきを象徴する出来事として、「3・1独立運動」をみてみましょう。日本の植民地支配に抵抗して独立を願う人たちが立ち上がり、宣言書が読まれ、デモ行進が行われました。この宣言に民族代表33人が名を連ねたのですが、全員が宗教的指導者でした。
 その宗教の内訳をみると、キリスト教指導者が半分以上を占めている。これは注目に値すると思います。日本でキリスト教といえば、むしろ日本を超えた「世界」のことについて訴えているイメージが強いのではないでしょうか。日本のナショナリズムを鼓舞する人の中に、キリスト教徒たちはほとんど目につかないですよね。
 韓国では、政治的保守・右翼とキリスト教が結びつくことが多く、それが韓国でキリスト教徒の多い要因ではないかとする見方があります。でも、私の牧師としての立場からすれば、本来ナショナリズムキリスト教の教えは結びつかないものですし、むしろキリスト教ナショナリズムを克服していくべきものです。
 なぜなら、キリスト教では、神の前ではみな平等であると教えるからです。それが基本的人権の思想につながっていくわけですが、理由はそれだけではありません。キリスト教が世界に広がる過程も関係しています。
 キリスト教国家が他の発展途上の地域、あるいは非文明的な地域を植民地化しようと入っていくときに、宗教も一緒に入って広められていった歴史があります。入ってこられた側としては、もちろん好意的に受け入れる人たちもいたことでしょうが、当然反発する人たちもいるわけですね。
 侵略を受ける側は、侵略をしてくる側をよく思うはずがないですよね。搾取されていくわけですから、反発が起こります。もちろん、文明の力を取り入れて自らに利しようとする人たちはいるでしょうし、実際いました。織田信長が鉄砲を取り入れて日本を統一していったように、先進技術や文明の力を取り入れて手を組もうとする人たちもいますが、多くは反発します。
 そして、侵略者たちが信じている、核心になっているものに対しても反発が起こるのが普通でしょう。例えばキリスト教を信じているという侵略者たちが、口では愛とかなんとか言っておきながら、ものすごい勢いで搾取をして現地の人々を隷属化していく。そういうことが起こってきたときに、志のある人たちは反発しますよね。その反発は、侵略者たちが信じている宗教に対する反発にもなるわけです。
 でも、侵略者たちの力があまりにも大きいがゆえに、やがて取り込まれて、そして教化されるようなことが起こります。植民地化された国にキリスト教会が入っていき、現地が搾取され教化されるという形は、世界中のいろいろな国で見ることができるでしょう。
 南米でもカトリックの信徒がほとんどで、フィリピンでも同じです。それは、どのような宗教を信奉する国が現地を侵略し、また植民地化するのか、まさにそのことが影響するわけです。
 そこで韓国を考えてみましょう。韓国を植民地化した国はどこかといえば、日本です。ところで、日本はキリスト教国家と言えるでしょうか。その当時の帝国日本という国家の基軸となるような宗教があったとすれば、それは「国家神道」です。
 植民地化されると感じれば、朝鮮民族としての自負心を強く持っている民族主義者たちは抵抗するでしょうし、実際に抵抗しました。彼らは、自らを搾取し植民化しようとするものたちの背後にあるものにも一緒に反発します。宗教にだって反発するでしょう。そこで神社参拝の問題が特に出てくるわけです。
 もしも、日本の背後にある宗教がキリスト教であったなら、彼らはキリスト教に対する反発を持ったのではないでしょうか。しかし朝鮮半島ではそうではなかったわけです。それは「国家神道」でした。
 そしてもうひとつ、彼らの民族的な精神、あるいは民族独立の運動を支持する人たちがいました。それがキリスト教の宣教師たちだったわけです。
 朝鮮の人々から見れば、日本に無茶苦茶なやり方で入って来られたという思いが強い中で、宣教師たちはそんな彼らをかわいそうに思い、愛をもって助けようと、朝鮮側の立場になったことでしょう。
 宣教師たちからすれば、日本は朝鮮の人々の自由を奪っていく、そのような行為はキリスト教の愛の精神に反するわけですから、朝鮮の民族独立運動家と共に反日に動きました。それでナショナリズムキリスト教が結びついていった、という側面があったのではないでしょうか。
 ある神学者が唱えた理論で、「帝国日本触媒論」という考え方があります。触媒というのは、Aという物質とBという物質が一緒にいるだけではなんの反応もしないのに、そこに関係のない触媒が介入してくると、触媒自体は変わらないのに、AとBは激しく反応して新しいものを生み出すような役割を果たすものです。
 その触媒こそが日本だとする理論です。これは私もなるほどと思います。キリスト教と韓国のナショナリズムというものは本来結びつきようがないものなのに、そこに帝国日本というものが触媒のように入ってきたがゆえに二つは激しく反応して結びつくことになりました。「3・1独立運動」主導者の過半数キリスト教の指導者たちだったという例は、この結びつきが顕著に表れた例と言えるわけです。
 そして日本が負けたおかげで(韓国の民族独立主義者たちの側からみると「おかげ」ですよね)、ついに独立が可能になりました。そこで、これまで韓国で民族のために命を張って抵抗してきた人たちは、その後、国家においてどのような位置を占めると思いますか。当然、国家の指導層に出てくるわけです。
 基本的にキリスト教の教えは、愛による和解を願う赦(ゆる)しの宗教です。つまり現代における、「反日」的なメッセージとキリスト教の教えは必ずしも一致しません。しかし、朝鮮半島には、事実日本から痛い目にあったという過去があり、そのために複雑な思いを持った人々がキリスト教徒たちの中にもいます。日本からのさらなる謝罪が必要だと思っている人々も多いことでしょう。
 例えば、靖国神社に参拝する日本の政治家がいます。日本のある人々からすれば、参拝は英霊に対する当然の礼儀だと思うかもしれませんが、外国から見れば、それは宗教行為に他ならないでしょう。ある閣僚が、キリスト教信仰を持つ信徒でありながら靖国に参拝するというのは、本来ならありえません。
 少なからぬ日本人からすれば、政治家の靖国参拝は許容範囲というか、礼儀として受け止められるかもしれませんが、外から見ればそれは異常な行為に見えることでしょう。どっちの神を信じているんだと。帝国日本の時代に、宗教行為ではないからと強要された神社参拝に反発して、虐殺までされたキリスト教徒たちがいますから、「政治家の神社参拝」とそれらの出来事が重なって見えることでしょう。
 韓国とキリスト教の関係は奥が深いものです。これを理解すれば、韓国という国家を見る視点が変わり、現代に残る強い反日感情の根源などについても、真に理解することにつながるのではないでしょうか。
 (聞き手 iRONNA編集部、中田真弥)
 洛雲海(ナク・ウンヘ) 昭和39年東京生まれ。日本人。韓国政府招請奨学生として長老会神学大学校大学院に留学、博士課程修了(神学博士)。現在、長老会神学大学校助教授(組織神学)、韓国・セムナン教会協力牧師、聖学院大学総合研究所客員教授
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