💮3〕─3─令和は国書から採用したが、日本の知識・教養は中国古典である。~No.4 * 

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   ・   ・ {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・       
 2019年7月号 Hanada「一定不易   加地伸行
 天の孽(わざわい)を作(な)すや、
 猶(な)ほ違(のが)るべし。
 自(みずか)ら孽(わざわい)を作(な)すは、
 逭(のが)るべからず。
   孽 災難。
   違 避ける。逃(のが)る。
   逭 逃げる。

 4月1日、新元号が公表されてから、早くも二個月が経った。その間、新聞各紙は新元号について、ほぼ同じような説明を繰り返してきた。
 すなわち、新元号『令和』は、①国書である『万葉集』を出典とする。②従来は、中国の漢籍を出典としていたが、今回はそのような形ではなく、日本独自の形となっている。
 こうした説明に対して、もちろん、中国学研究者から異論が出た。すなわち、『令和』は、中国の詩文集の『文選』所収(しょしゅう)の張衡の作である『帰田賦(きでんのふ)』に基づいている、として。
 しかし、この異論はほとんど無視されており、何度もの『国書、国書、国書が出典』という声に掻(か)き消されていった感がある。
 そして二個月が経った今、もはや『令和』の由来、出所等は論じられることなく、このまま〈令和は、国書『万葉集』を出典とする〉という話になってしまいかねない。
 それでいいのであろうか。
 さらに言えば、『令和』の提案者と目される中西進文化勲章受章者の発言中に、老生のような中国古典研究者としては絶対に承服できない話が出てきており、これは黙って見過ごすことはできない。
 こういう発言である。『令和』の『和』に対し〈聖徳太子が作った十七条の憲法の「和をもって貴しとせよ」を思い浮かべます〉と(読売新聞4月17日付)。
 これはよくある誤謬(ごびゅう)である。聖徳太子は或る中国古典を踏んで『以和為貴』と記したのである。すなわち『論語』学而(がくじ)の『礼之用、和為貴』(礼の用は、和もて貴しと為す)が出典である。
 中西某は『論語はつぶさに研究したことがあります』(産経新聞4月29日付)と大見得を切っていたが、『論語』全五百章余の内、最初から12章目に出てくる『和為貴』を早くも素っ飛ばしているのではないか。
 因みに、『礼記(らいき)』儒行にある句、すなわち『礼之以和為貴』(礼の和を以{もつ}て貴しと為{な}す)も聖徳太子の念頭にあったであろう、右の『礼の』は『礼は』の意。
 その他、本誌6月号ならびに産経新聞5月12日付の拙稿『古典個展』において、老生、出典について詳述している。結論は、新元号『令和』は中国漢籍に出典があり、国書『万葉集』に基づくと言えない、とする。
 これは〈事実〉として文献に基づく、研究者の良心から発言である。しかし政治的立場から、すなわち〈国書に基づく〉ことを旗幟(きし)とするならば、それはそれでいい。歴史上、よくある政治的利用である。
 今回の元号出典騒ぎで痛感したことは、古典(出典)自体の伝統的意味が理解されていないことである。
 前近代まで、人々が学び身に付けるのを古典とした。すなわち聖人(これは観念的に創造した、人間として完全な理想像)が古代に存在し、聖人が集めたり記した文献を古典とし、それを後世の者は学び、その意味を〈祖述{そじゅつ}する〉ことが第一。その結果、自分の草(そう)する詩文において、身に付いた古典のことばを多く踏むことが教養であった。もちろん元号の選定においてもそうである。
 こうした古典意識には、中国礼賛はない。中国だの日本だのを超えた、あえて言えば、東北アジアにおける理想的文章すなわち古典を踏んで最高教養を内外に示す行為なのであり、かつてはそれが生きていた。
 しかし現代では、もうそれは消えてゆきつつある。それどころか漢籍だの国書だのと〈矮小化(わいしょうか)〉されつつある。東北アジアの古典は、国家を超えた文化という意識で存在していたのであった。一つの読み物といった普通の地位になりつつある。それも『和を以て貴しと為す』を聖徳太子作と誤読する無惨な姿で崩壊しつつ。
 古人曰く、天の孽({わざわい}災難)を作(な)すや、猶(な)ほ違る(のがる)べし。自(みずか)ら孽を作(な)すは、逭(のが)る(逃る)べからず、と。」
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 日本神道は、縄文時代の自然崇拝を古層にしているが、遡れば長江文明揚子江流域民(現・中国の少数民族の祖先)と南方系海洋民の宗教が源泉である。
 時代がくだることによって、大陸から様々な宗教や哲学・思想が渡来し、日本の宗教や哲学・思想と融合していった。
 中国の儒教道教などの諸子百家、インドや中央アジアの仏教、ペルシャゾロアスター教拝火教)、中東のユダヤ教イスラム教、西洋のネストリウス派などキリスト教諸派などが、ヒトやモノのシルクロード移動に伴って日本に渡ってきた。
 日本は地の果てとしてシルクロードの終着地であり、日本の首都奈良は国際都市として遊牧民族唐人(漢族系中国人ではない)はもちろんインド人、ペルシャ人、ユダヤ人など多く人種や民族が人数は少なかったがいた。
 日本民族日本人は、乱婚を繰り返してきた混血の雑種民族である。
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 中国の近代的知識・教養、学術語・科学用語などを表現する単語、熟語の70%は、日本が創り出した和製漢字である。
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 韓国は、和製漢字を使用しない為に文字をハング文字に統一して漢字表記を廃棄した。
 ハングル文字一本化とは、日本が作った和製漢字の排除である。
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 日本の古典的知識・教養は、漢書であって国書ではない。
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 古代の古典は、現代の人為的国籍に縛られない。
 古代の古典には著作権がない以上、誰がどう利用しようと自由である。
 数千年前に生きていた古代の人間と現代の人間は、血筋が繋がっているわけではない。
 古典が書かれた当時の古代文化が、近代化された現代文化と繋がってはいない。
 古代人が偉いかと言って、現代人も同レベルで偉いわけではない。
 ある面において、現代人は古代人よりも劣っている事がある。
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 古代ギリシャ人であるソクラテスプラトンアリストテレスなどの哲学者・思想家は偉大であり、数多くの著書を後世に古典として残しているからといって、現代のギリシャ人に感謝する必要があるのか。
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 中国の古典を学んで現代の中国人を尊敬し感謝する事は、くだらない話である。
 ましてや、古典を政治利用している中国共産党の中国に何の恩義もない。
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 日本の教養や知識とは、古代の中国古典、中世の仏教経典、近世のオランダ書籍、近代の西洋学などである。
 これらに比べて、日本独自の古典から紡ぎ出された教養や知識は少ない。
 キリスト教の聖書やマルクス主義共産主義)の書籍からきている教養や知識は、さらに乏しい。
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 日本民族の日本文化は、海の外にある素晴らしいモノ・優れたモノ・秀でたモノを取り入れ、真似し、模倣し、受け入れられるモノは素直に受け入れ、そのままでは受け入れられなければ改良して受け入れ、どうしても受け入れられない異質なモノはキッパリと拒絶し排除した。
 日本に合わない素晴らしいモノは「敬して遠ざける」事で、白痴となっり、思慮分別を放棄し、盲従して、無理矢理日本に押し込む事はない。
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 日本が拒否した最たるモノが、キリスト教共産主義であった。
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 儒教は、原理主義論語儒教を受け入れたが、朱子学が尊んだ四書五経儒教は形骸化して受け入れた。
 日本儒教は、中国や朝鮮で流行った主流派の朱子学より陽明学など諸派の影響が強い。
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 仏教は、改良に改良を加え、原形を留めぬほどに改造・変形させて受け入れた。
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