🎌8〕─4─西暦、世紀が西洋キリスト教文明の伝統となったのは1752年頃からである。~No.73No.74No.75 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 西暦、世紀は、西洋キリスト教文明の古い伝統ではなかった。
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 中世ヨーロッパの年代記は、キリスト教会では教皇の在位年数で、各王国や諸領主の領内では君主や領主の在位年数で、それぞれ記載されていた。
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 西暦。キリスト教世界における時の支配者は、キリスト教会の総本山・バチカンであり、コンクラーベで選ばれるローマ教皇である。
 イスラム暦イスラム教世界における時の支配者は、アラーである。
 時の支配者は天地を創造した唯一の絶対神であったが、地上の人間社会では絶対神の代理と称する聖職者であった。
 世界における、時の支配者とは唯一絶対神であり、時の番人はその僕(しもべ)である祭祀者であった。
 宗教が、正統な時の支配者として認めるのは、天地創造の創り主である唯一絶対神だけであって、人間や法律・憲法ではない。
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 時の支配者は命の支配者でもあり、異端者や異教徒の虐殺を正当化する。
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 革命暦=人民暦。非宗教の時の支配者は、反宗教無神論マルクス主義者、神殺しの共産主義者である。
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 元号問題の真の目的は、時の支配者という地位の争奪戦である。
 つまり、日本の時をめぐる、日本民族のローカルと世界のグローバルの争いである。
 歴史的事実として、世界のグローバルは地球上にかつて存在していた数多くの地域のローカルを絶滅・根絶させてきた。
 何れは、世界基準であるグローバルな時の支配によって、ローカルな時の支配である日本の元号も消滅する運命にある。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、日本人とアフリカ人を奴隷として売買して金お受けをしていた。
 日本人を奴隷として売ったのは、日本人である。
 「人の命は金で自由に買える」という考え方は、現代日本人の中でも一定の支持を得ている。
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 政教分離の原則に従い「元号政令で定める」日本国憲法は、神の支配を排除し、宗教を否定している。
 日本国家及び日本国民は、宗教を否定し、社会・生活・教育から宗教を排除している。
 日本国憲法は、反宗教無神論として、神の上に存在し、宗教を支配している。
 その象徴が、靖国神社問題である。
 日本で、宗教差別・対立、宗教騒動・暴動、宗教テロなどが起きないのはその為であって、多神教による寛容だからではない。
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 元号否定論とは、特定宗教による宗教弾圧ににている。
 敬虔なキリスト教徒は日本教区内で宗教弾圧を行い、神社仏閣を破戒し、僧侶・尼僧、神主・巫女らに改宗を強要し、拒否すれば暴行を加えて教区外へ追放した。
 キリスト教徒は、時の支配として天皇元号を廃してイエス・キリストの西暦を採用しようとした。
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  鈴木洋仁 『「元号」と戦後日本』(青土社
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 2019年6月号 Voice「元号は『つくられた伝統』か
 『近代日本の歴史をどう見るか』のリトマス試験紙
 鈴木洋仁
 令和元年が始まりました。
 4月1日に政府が発表したこの新しい元号については、すでにさんざん論じられています。
 本稿著者もまた、浅学を顧(かえり)みず、テレビや新聞等でコメントする機会をいただいたので、ここでは繰り返しません。ただし、こうして、元号を多くの人たちが語ることそれ自体が、とても興味深いと感じている。つまり元号を語ることによって、日本という国は『奇妙』に安定して、一体感を保っているかにみえるのです。これは言い換えると、元号国民国家といての纏まりをつくるツールとして、機能しているかのように映ります。
 本稿では元号そのものをダイレクトに論じる、というわけではありません。それよりも、元号を語るときに何を語っているのか。あるいは、元号を語るとき、どういうことなのか。こういった点から、新しい元号をきっかけに考えてみたいのです。
 元号は日本唯一の存在か
 まずはその前に、『元号を使っているのは日本だけである』という、しばしば使われる決まり文句について確かめておきましょう。
 元号は、周知のとおり、古代中国に始まったとされています。皇帝が時間を支配する、という考え方に基づき、漢の武帝の時代(西暦紀元前140年)の『建元(けんげん)』が、史上初めての元号とされています。
 この考え方を取り入れた日本では、645年の『大化』が最初の元号といわれており、今回の令和が248個目です。今上陛下が126代目ですので、元号はその約2倍に当たります。慶応から明治への改元とともに、『一世一元』、すなわち一代の天皇に一つの元号を限定しています。現在では、天皇陛下の御世替(みよが)わりの際にだけ元号を改めますが、江戸期までは、吉兆(きっちょう)や自然災害からの復興祈願、あるいは政治状況といった、さまざまな理由によって、改元されてきました。
 そして、大化から昭和に至るまでの246の元号は、最終的にはすべて天皇が決めてきました。たとえ武家の力が強い時代であっても、最後には天皇元号を決めてきたのです。それこそが、『時の支配者』たる天皇の力の源泉だとも捉えられるでしょう。たとえば、明治天皇の父・孝明天皇は、その短い35年の生涯のなかで、弘化から慶応まで6回もの改元を行っています。
 そして、元号は、朝鮮半島や現在のベトナムといった漢字文明圏、すなわち、中国の影響力が及ぶ範囲の国や地域で広く使われていました。
 しかし、その『発祥国』である中国でも、清朝の終わりとともに元号を使わなくなります。このため現在では、少なくとも『一世一元』を制度として定めている国は世界中でにほんだけです。
 世界の紀元年
 ただし、台湾には、中華民国建国を元年とする『民国』という紀年法がありますし、北朝鮮にもまた故金日成の誕生年から数える『主体』という暦があります。ほかにも世界を見渡せば、『年代』や『時代』によって世界を捉えようとする習慣は、いくつか挙げられます。
 『時代を区分けする』という営みは、『元号』に限らず、さまざまに行われてきました。ジュラ紀白亜紀といった、恐竜の進化に基づく区分や、縄文、弥生といった、土器の様式をベースとする数え方もあります。もしくは、イギリスにおけるヴィクトリア朝時代、フランスにおけるアンシャン・レジームといった、政治体制に基づく区分もあります。
 そして、何よりも元号と比べられるのは、いわゆる西暦でしょう。キリスト教紀年に基づくこの数え方はあたかも『グローバル・スタンダード』であるかのように語られます。しかし、歴史学者の佐藤正幸氏が述べるように、この西暦は、世界の歴史のなかでは、そこまで古いものではありません。
 イエス・キリストの体現を起点とするこの年の数え方は、現在でも復活祭を中心に回っています。他方で、1年のサイクルは、紀元前753年を起点とするローマ建国記念=ローマ皇帝の即位記念で数えられていました。その後、3世紀末から4世紀初めにかけて、ローマ皇帝ディオクレチアヌスが、キリスト教徒を強く迫害。ここでキリスト教徒のあいだから、迫害者の在位に基づく数え方ではなく、主イエス・キリストの誕生をベースに年を数える方法を選ぼうと試みたところに始まるのです。
 とはいえ、キリスト教徒全体に正式に提案されたのは6世紀半ばです。さらに、それから200年を経った8世紀ごろに、ようやく、キリストの生まれる前=紀元前という概念が生まれます。つまり、このときになって、キリストの生誕を境にした区分が明確になります。
 それだけではありません。この区分そのものは、12世紀までほとんど忘れ去られてしまいます。『キリスト教紀年』が、フランスの神学者ボシュエの議論をきっかけにヨーロッパ全体に広まるのは、18世紀のことです。実際、大英帝国がこの暦を正式に使用するのは1752年のことです。
 このように、世界各地にはいろいろな年の数え方があり、そして、その使い方は長年同じではありません。紀年法としての元号は日本にしかなく、その発祥の地である中国にもありません。これに対して西暦は、世界中で使われている『グローバル・スタンダード』だから、こうした『ガラパゴス』的な元号は止(や)めるべき。そんな主張があります。
 この『ガラパゴス』的という形容は、イメージをつかむために便利ですが、佐藤俊樹氏が近著『社会科学と因果分析 ウェーバーの方法論から知の現在へ』(岩波書店)で述べるように、ガラパゴス諸島の動植物に、とても失礼な言葉であり、日本の元号をめぐる表現としてもまた、最適ではありません。
 なお、本稿の著者自身、『東洋経済オンライン』に寄稿した記事のタイトルに、編集者によって『ガラパゴス』と付けられた経験があります。不適当だと考えるなら、本気で断(ことわ)ればいい話です。
 しかし少なくとも、この『ガラパゴス』は元号に関するイメージを表しています。つまり、『元号を使っているのは日本だけ』という、しばしば使われる決まり文句と通底しているのです。西暦という『グローバル・スタンダード』があるのにもかかわず、わざわざ日本だけで元号を残している、それは時代遅れな『ガラパゴス』的状況だ、という語り口が元号について語られるときにみられるでしょう。
 元号をめぐる語り口
 では、そもそもなぜ、こうした語り口がみられるのでしょうか。
 それは、元号や西暦を時代区分のインデックスとする、その捉え方が、紛れもなく近代、とりわけ戦後という時代区分と関係しているからです。
 順を追って説明します。
 元号をめぐる語り口には、この小論で取り上げた型のほかに、大きく二つに分けられます。それは、『解体論』と『つくられた伝統論』という図式です。
 前者は、元号の存在が、近年に至るにつれてますます希薄になっていると捉え、後者は、『元号』は、近代になって、為政者たちによってつくり出された、と捉えるものです。
 『解体論』は次のような理屈です。
 元号には長い歴史があります。これを重視すれば、現在、元号の存在感は薄い、と感じられる。すなわち、元号は青土として残っています。にもかかわず、たとえば日本史や世界史のテストでは、出来事について西暦を使って覚えています。あるいは、普段の生活でも元号よりも西暦を使うほうが多くなっています。実際、今回の改元を機に、運転免許証は、元号と西暦が並んで記載されます。
 すると、元号は形骸化しているようにみえます。いわゆるグローバル化の影響により、世界に通用する時間の尺度が必要とされ、元号は日本でしか流通しておらず、どんどん使われなくなっているのではないか・・・。あるいは昨今、しばしば使われる『昭和くさい』『昭和っぽい』『昭和を感じ』といったかたちで使われるに『昭和』ついても、同じような説明ができます。
 『昭和』を含めて、元号という存在は、すべて古さや昔を表すフラットなインデックスになったといえます。普段、西暦を使えば使うほど、わざわざ元号を使うのは、昔話に限定されているのではないか・・・。こうした議論を『解体論』と呼ぶことができます。以前は使われていた元号は西暦に取って代わられ、もはや衰退していった、との考え方です。元号の位置が『壊れてしまった』『解体してしまった』との捉え方ともいえましょう。
 元号は長い歴史をもっていますから、古来、日本人に定着して隆盛を誇っていたと考えることもできます。そして、この数十年のうち、とりわけ、平成以降、元号の存在感が薄くなり、やがて消えていってしまうのではないか、という理路はたしかにありえるのかもしれない。
 こうした『解体論』に対して、また別の立場もありえます。それが『つくられた伝統論』です。
 誰もが自ずと受け入れている
 これは、天皇の在位期間と、元号の長さを一致させる一世一元に着目すれば、現在の『伝統』はつくられたものだ、という説明です。
 たしかに、現在の元号は、慶応から明治への改元とともに発せられた『一世一元の詔』に端を発しています。歴史上初めて、一世一元を明文化しました。その後、1889年(明治22年)の大日本帝国憲法の発布、おとび同年の旧・皇室典範と登極令の制定によって、法律的な基盤を固めます。
 ところが日本国憲法下において編(あ)み直された現行の皇室典範では元号は規定されず、法的根拠を失います。そこで政府は、元号を『事実たる慣習』として辛(かろ)うじて維持します。そして1979年(昭和54年)に、ようやく元号法が成立するのです。
 同法では元号政令で定めること、ならびに皇位の継承があった場合に限り改元すること、の二点のみを定めます。ここに至って、現在の日本国憲法下で初めて法的根拠を与えられます。さらに、『事実たる慣習』として続けてきた昭和という元号については、元号法の附則をもって成立したとする、みなし規定を法的根拠として与えます。
 こうした経緯に鑑みれば、なるほど元号の歴史、少なくとも、現在の元号をめぐる法律上の制度は、どれだけ長く見積もっても明治以降に『つくられた』と捉えられます。しかし、この『つくられた伝統論』には、もどかしさが付きまとういます。『つくられたものだ』といって切り捨てられず、元号が、ある種のイメージをつくっている状況をまた認めざるをえないからです。
 たとえば思想家の故・鶴見俊輔氏は『時代が元号によって区分されることは、日本人の歴史把握を相当にまどわせてきた』と批判しました。けれどもその上で、『現代の日本人にとって、大正時代の文化は、大正天皇の顔かたちとダブって、一つのまとまりあるイメージをつくっている』とも述べています(引用は、いずれも鶴見俊輔「大正期の文化」『鶴見俊輔集 第5巻』筑摩書房、1963~1991年、413ページ)。
 鶴見氏ほど『リベラル』の考えの持ち主であってもなお、元号による時代区分を批判しつつも、同時に『大正文化』と題した議論を展開しています。『歴史把握を相当にまどわされきてた』と、元号による時代区分の恣意性を咎(とが)めるいっぽうで、『大正時代』という区分の『イメージ』を基に議論しているのです。
 元号は、近代日本において『つくられた伝統』であり、そして、なおかつ終身御在位の天皇陛下と連動しているため、その生死と機を一(いつ)にします。それゆえ、天皇の表情・身体とともに、『元号』を、とある時代として『一つのまとまりあるイメージをつくっている』ことは、受け入れるほかありません。
 鶴見氏がそうであるように、たとえ、『つくられた伝統』としての元号=一世一元に批判的な論者であっても、その拘束力から出発せざるをえません。『天皇元号を軸に区切られた時代区分は一定の強い力をもつ尺度として成り立っていた』とみていました。
 先に触れた『解体論』と『つくられた伝統論』の両者の関係は、元号の『歴史の長さ』を重視すれば『解体論』を描くことができ、逆に、その『歴史の短さ』を重視すると『つくられた伝統論』を描けます。
 リトマス試験紙としての元号
 こうした点で、元号を論じる二つの語り口は、近代日本の歴史をどう見るか、のリトマス試験紙です。では、そのリトマス試験紙とは、どのようなものでしょう。
 米国の日本研究者ケネス・ルオフ氏の議論を補助線にして考えてみましょう。
 ルオフ氏は、先ごろ『天皇と日本人 ハーバード大学講義でみる「平成」と改元』(朝日新書)を出版されました。米国において、近代日本における天皇に関して研究する第一人者です。
 そのルオフ氏は、『国民の天皇 戦後日本の民主主義と天皇制』(木村剛久・福島睦男訳、岩波現代文庫、2009年)のなかで、『元号の使用は天皇が在位する期間に沿って、ものごとを考えるように日本に捉するものである』とのべています(同書283ページ)。
 鶴見氏と同じくルオフ氏もまた、とりわけ一世一元のもとでの元号が、時の支配者天皇という位置付けを固めている、とみています。加えてルオフ氏は、『西暦の訳語にはふさわしく、日本人にとって「西暦」は世界に通用するスタンダードだった』とのべています(同書283ページ)。
 元号は近代日本のナショナリズムを示し、西暦は近代日本のグローバリズムを表している、とルオフ氏の講義を解釈できます。しかしながら、こうしたルオフ氏の講義それ自体が、近代日本を見る上での縛りになっているのではないでしょうか。
 その理由は、二つあります。一つは先に確かめたように、西暦そのものが近代の産物である点です。二つ目は、元号による時の支配は、西暦導入以前から続いていたからです。
 歴史学者藤田覚氏は、江戸時代においても『天皇による時間の支配を意味し、天皇による国土と人民の支配・統治を象徴する元号が維持されたことは、現代に至るまで大きな意味を持ち続けた』(『江戸時代の天皇講談社、2011年、220ページ)と述べています。
 『元号は、政令で定める』、すなわち元号を内閣が決めるとしている現在の元号法は、その歴史のなかでは異質だというます。平成と令和という直近の二つの元号は、その歴史のなかでは決め方が異なります。
 ですから、こうした現時点から見ると、一世一元と終身御在位という明治以降の『つくられた伝統』のなかでの元号は、二重に、近代日本に縛られています。
 一つは、『天皇が在位する期間に沿って、ものごとを考える』という点で近代日本が生み出した仕組みであることです。もう一つは、その『つくられた伝統』すら、もはや制度上は残っておらず、政令、というこれもまた近代以降につくられた制度に基づいて決められて居ることです。
 そして、今回の改元をきっかけにして、あらためて考えたいのは、本稿で述べてきた二項対立の相対化です。
 元号と西暦、あるいは『解体論』と『つくられた伝統』といった、二者択一にこだわるのではなく、逆にそうした図式を、いかにして捉え直せるのか、という思考の胆力が求められているのではないでしょうか。
 もちろん、求められるのは本稿著者です。あるいは読者の皆さんはすでに、こうした図式から自由なのかもしれません。
 ただし、どのように歴史を捉えるにしても、もしくは今回の改元が、どのように演出されているにしても、歴史をどう受け止めるのかをめぐる絶好の機会であることに間違いはありません。
 具体的には、元号とは何であり、そもそも必要か否かといったテーマをめぐる思考こそ、従来の語り口から離れたところで考えるに値するテーマにほかなりません。」
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 江戸時代。日本が西洋に抱いた恐怖・脅威・危機感は、キリスト教による宗教侵略であった。
 徳川幕府は、一向一揆などの苦い宗教騒乱を経験してきただけに、宗教を敬して政治から遠ざける宗教政策をとっていた。
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 無宗教現代日本人の知力では、普遍宗教であるキリスト教の「隣人愛信仰」の真相が理解できない。
 理解能力がない日本人は、高学歴出身知的エリートに多い。
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 日本の元号を否定しキリスト生誕紀年の西暦を使用すべきと主張する日本人は、中世キリスト教が行った異端審問や魔女狩り宗教裁判、カトリック教とプロテスタントの虐殺や戦争、異教徒との虐殺や戦争をどう咀嚼するのか。
 さらに、中世キリスト教会や白人キリスト教徒商人が行った、非人道犯罪行為である日本人やアフリカ人の奴隷交易をどう正当化するのか。
 が、日本人を白人キリスト教徒商人に奴隷として売ったのは同じ日本人である。
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 西暦には、その暗黒史が秘められている。
 元号には、そうした悲話が折り込まれている。
 元号を否定する反天皇反日的日本人は、日本民族日本人が味わった悲話を無意味・無価値として葬り去ろうとしている。
 西暦を受け入れると言う事は、西洋が日本で犯した非人道的犯罪を無効にして許すと言う事である。
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 元号を護り維持するという事は、日本民族が辿ってきた苦難の歴史をしっかりと受け止める、受けた悲嘆を忘れずに抱きしめるという決意の表れである。
 歴代天皇が定めた元号には、悲しみを怒りや恨みに変えず受け入れ、過去は過去として忘れず、子孫の為・未来の為に前を向いて歩いていこうという決意が含まれている。
 元号が、日本に残って中国や朝鮮・韓国で廃止されたのはそういう事である。
 ゆえに元号は、民族主義天皇主義に繋がり、将来的に歴史を書き替えるという歴史修正主義を正当化する恐れがある。
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 バチカンローマ教皇は、キリスト教に改宗した日本人を奴隷にする事を禁止した。
 ポルトガル及びスペイン国王は、日本人を奴隷として売買する事を禁止した。
 白人キリスト教徒商人は、ローマ教皇ポルトガル及びスペイン国王に対して、日本人の奴隷交易できるように商売にならないとして禁止を解除するよう幾度も嘆願した。
 つまり、日本人の人権・自由そして命よりも自分達の金儲けの方が優先される、と。
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 ローマ教皇は、イエズス会など全ての宣教師に対して、日本人を奴隷にしない為に一刻も早く日本人をキリシタンに改宗させ、日本国をキリスト教化し、異教の神々=悪魔を聖なる炎で焼き滅ぼすように命じた。
 豊臣秀吉徳川家康江戸幕府は、キリシタン弾圧で対抗した。
 スペインは、徳川家康に対して、南蛮貿易を望むならキリスト教布教を認めるように求めた。
 徳川家康は、三浦按針の忠告に従い、キリスト教布教を拒否して南蛮貿易を断念した。
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 熱烈なキリスト教徒は、日本人キリシタン(40万人~70万人)を教皇庁直属の神聖騎士団に編成して、日本をキリスト教化する為の聖戦を考えていた。
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 英蘭戦争 イギリスとオランダの3次に渡る戦争。1652~54年、66~67年、72~74年。オランダは制海権を失った。イギリスは、日本との交易を断念し、新大陸アメリカの植民地開発に国力を回した。
 七年戦争(1756~63年) プロイセンは、イギリスの財政支援を受けて、オーストリア、ロシア、フランス及びその同盟軍と戦争をした。
 西洋諸国は、東アジア交易から撤退していった。
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