・ ・ ・
関連ブログを6つを立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
神と神話を信じていた昔の日本は、俗世が神聖を支配する社会で、俗世は神聖の暴走を抑え込んでいた。
例えれば、原子力発電所の核燃料が神聖であり、核燃料の熱エネルギーを制御している混じりけのない真水が俗世である。
俗世に生きていた日本は、神聖の暴走を怖れ、その怖れを荒魂・和魂、御霊・怨霊と表現していた。
神聖の暴走を言霊・音と和歌・文字で見える化したのが、元号の詔であった。
・ ・ ・
現代日本では、言霊・音と和歌・文字の力が弱まり、暴走は神聖ではなく俗世で起き始めている。
・ ・ ・
天皇は、儒学者が中国漢籍から考案した元号を江戸幕府に提出し、徳川将軍の許可を得てから公布した。
・ ・ ・
2019年5月2・9日号 週刊新潮「夏裘(かきゅう)冬扇(とせん) 片山杜秀
将軍様と『万葉集』
令和から、元和(げんわ)という元号を思い出した。字面(じづら)が似ているせいもある。だが、二文字目が和なら、天和(てんわ)や昭和など、他にもたくさんある。字面よりも決め方なのだ。そこに連想されるものがある。
元和は慶長の次。慶長5年が天下分け目の関ヶ原。勝利した徳川家康が江戸に幕府を開くのは8年。大坂城の豊臣氏は20年5月に滅ぼされた。
その頃の元号は、明治以降のように一世一元ではない。天変地異や政治的重大事があれば変わった。改元を決め新元号を選定するのは、武家の時代になっても、相変わらず朝廷だった。
ところが家康は、徳川の威光が日本のすべてに及ぶべきだと考えた。徳川の力が、応仁の乱以来の戦国乱世をついに終わらせた。日本を平和は『徳川の平和』。天皇、元号、何するものぞ。
家康は豊臣を滅ぼしたのち、ただちに禁中並(ならび)公家諸法度を作った。その第8条は改元について。元号は、原則として中国で既に使用された元号から選ぶべしと定めた。ただし、もしも条件が揃えば、将来は日本独自の元号であっても可とするとも記してある。
とにかく家康は慶長20年に、『徳川の平和』をこの国に強く印象づけるため、すぐ改元したかった。中国で使用済みの元号を優先せよと定めたのは、意中の元号がそこにあったからと思われる。元和だ。中国では唐代に使われている。徳川を大元(おおもと)に平和が定まるとの含みだろう。新元号と禁中並公家諸法度の制定作業は、並行して行われた。慶長20年7月、元号は元和に。天皇を律する法度も効力を持った。
こうして家康は、言わば『元号制定権力』を朝廷から取り上げることで、天皇よりも将軍が偉いというイメージを、この国に作り上げた。
以来、『元号制定権力』は、江戸幕府から明治維新後の新政府に受け継がれ、現在に至っているのだろう。大正や昭和も平成も、そして令和も、政府の責任で考案され、制定された。その意味では同じである。だが、今回の令和は、新元号の見せ方が明らかに違っていた。
大正と昭和と平成は崩御とリンクした改元。国全体が喪に服していた。お祭り騒ぎには決してならない。為政者が嬉々として新元号の意味を語り、『私が決めました』と言わんばかりに露出するということは、ありえなかった。
でも、今年の4月1日は祭りだった。
『元号制定権力』の派手なパフォーマンスがあった。『天皇の元号』というよりも、『政府の元号』であるかのように感じられた。
この国に『第二の江戸幕府』や『第二の徳川家康』が現れた。令和は強力な幕府的政治の時代になるのではないか。私のひとつの妄想です。
……」
・ ・ ・
徳川家康は、日本や中国の歴史に詳しく、西洋の国際情勢や世界の経済事情にも関心があり、自分が知り得た知識を政治に応用した。
後の、歴代将軍は、徳川家康の実績を祖法として護り治世にあたった。
徳川幕府は、オランダから海外情報を得て、世界の事情をある程度は知っていた。
・ ・ ・
江戸時代の日本を重苦しく支配したのは、仏教でも神道でもなく儒教であった。
儒学者達は、幕府に朱子学を正学・官学と認めさせ、陽明学など諸派儒教を私学・邪学として表舞台から追放した。
儒学者の山鹿素行は、朱子学を批判してた事を幕府に咎められ、江戸から追放された。
儒学者達が目指す理想的聖人君主国家とは、中華世界・中華文明圏に組み込み、中華帝国・中華皇帝に臣下の礼をとる道徳国であった。
故に、儒学者達は中国への憧れが強かった。
つまり、日本を朝鮮国や琉球国のような国家にするする事であった。
儒学者は、中華皇帝と対等を主張する日本天皇を認めてはいなかった。
・ ・ ・
日本では、政治権力者や宗教権威者が代わっても、時の支配者は万世一系の男系天皇家・皇室だけであった。
日本に於ける時の支配者とは、農耕漁労の生業を司る生命の守護者でもある。
ゆえに、日本では、政治権力者や宗教権威者による敵対者への虐殺は起きず、金を使った裕福者による貧者の奴隷化もなかった。
時の支配者・生命の守護者である天皇・皇室を守ったのは、身分低き庶民(百姓や町人)、蔑まれた民(芸能の民や職人)、虐げられた賤民(非人や穢多)、差別された部落民(山の民・川の民・海の民)達であった。
・ ・ ・
世界における時の支配者・生命の守護者とは、宗教的な天地創造の唯一絶対神だけであり、人でもなければ、法律・憲法でもなかった。
時の支配者・生命の守護者の正統性は、唯一絶対神にだけ存在する。
何故なら、人は永遠の命を持たながゆえに必ず死ぬからでり、憲法や法律などいとも簡単に書き替えられるからである。
つまり、私欲・個人欲の強い傲慢な人間など信用できないからである。
人を殺しモノを奪うのは、神ではなく人であるからである。
それは、共産主義者(マルクス主義者)が行った歴史的な残虐行為を見れば明らかである。
・ ・ ・
共産主義の革命暦=人民暦は、宗教を否定する事で正統性としている為に、命溢れ満ち足りた幸せな神の天国暦・仏の極楽暦ではなく、死と暴力が支配する恐怖の地獄暦であった。
共産主義(マルクス主義)は、各地で大虐殺を行い、死体の山と血の池を作ってきた。
共産主義(マルクス主義)は、宗教的な死後の世界を否定する、虚無の思想である。
・ ・ ・
戦前までの日本は、天皇制度廃絶、天皇家・皇室消滅を暴力的人民革命で実行しようとした共産主義(マルクス主義)勢力と、一人孤独に戦っていた。
つまり、日本の戦いは共産主義者(マルクス主義者)との冷戦ではなく熱戦であった。
・ ・ ・