🎌10〕─1─天皇と国民(民族)及び帰化人との切断できない強い絆。~No.85No.86No.87 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 国民と民族は、100%同じではない。
 帰化人と渡来人は、別人である。

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 2018年10月号 正論「君は日本を誇れるか  竹田恒泰 
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 国民は『負担』と思っていない
 このように、皇室関係の議論で度々現れる『国民生活への負担』という言葉に、私は違和感を覚える。なぜなら『国民生活への負担』を憂慮なさるのは陛下なのであって、メディアや評論家ではないからだ。日本書紀に記された逸話を一つ紹介したい。
 第16代仁徳天皇hs、経済が疲弊して国民が生活に困窮している惨状を知り、税を3年間免除すると発せられた。3年後、まだ経済の復興が半ばであることをお知りになると、あと3年税を免除すると仰った。しかし、長い間税を徴収していなかったため、天皇の御生活は困窮を極めていた。皇居は荒れ放題で、雨が降る度にひどい雨漏りがあり、乾いた所を探してお眠りになる有様だったという。
 苦しい時に税を免除して下さった仁徳天皇に対して大きな恩を感じていた国民は、自分たちの生活は改善したにもかかわらず、天皇の御生活が困窮していることに疑問を持ったことと思われる。国民は不満をあらわに宮廷に乱入し、天皇のために御殿を新築して差し上げたというのだ。
 天皇が『国民生活への負担』を憂慮なさり、国民は『天皇への御負担』を心配するというのが、本来の天皇と国民の関係性ではなかったか。評論家などの『国民』が、皇室による『国民生活への負担』を語ってどうするのか。彼らは、自らが天皇の視点でものを語っていることに気付くべきである。天皇陛下が『国民生活への負担』を憂慮なさったら、国民としては『いえいえ、負担とは思っていませんので、ご心配に及びません』と答えるのが正しい振る舞いであろう。
 無論、天皇がひどい浪費をするのであれば、この構図は成り立たない。しかし、周知のように、天皇陛下は質素倹約に努めていらっしゃるし、歴代天皇も同様であった。中国や西洋の王や皇帝には、浪費の逸話はつきものだが、歴代天皇の浪費の話は伝わらない。天皇陛下が倹約に努めていらっしゃる以上、国民が、皇室による『国民生活への負担』に言及するのは、筋違いというべきであろう。
 『掛けた恩は水に流し、受けた恩は石に刻む』というのが日本人の精神性ではなかったか。天皇が『こんなに国民のことを思っているではないか』と、また国民が『天皇の生活を支えているのは国民ではないか』と言い立てるような日本であれば、とっくに滅びていたに違いない。天皇が国民を我が子のように愛してその幸せ本当の親のように慕って国を支えてきたというのが我が国の国柄である。このような天皇と国民の関係性の上では、皇室による『国民生活への負担』を国民が提起することはないはずだ。
 御意思に従わなかった忠臣
 このように『国民生活への負担』という言葉は、皇室の伝統を簡略化し、あるいは変更する切り札として使われてきたように思う。まして、それが陛下のお考えとなれば、それに対して『反論』する人などいるはずもない。そのため、議論されることなく、粛々と皇室の伝統行事が変更されてきた。」
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 現代日本に蔓延るの忖度や配慮という媚び諂い。
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 現代日本人は、本当の意味での、相手に対する思い遣り・気遣いを捨てている。
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 現代日本人は、本当の忖度や配慮が理解できない。
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 現代日本人は、自己愛と自己満足を優先し、他人の事を一切考慮しない。
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 天皇と国民(民族)の紐帯とは、時代で異なる。
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 高学歴出身知的エリート、特に出世・天下りを気にするエリートに、媚び諂いという忖度や配慮が根付いている。
 そして、ウソと詭弁と見苦しい言い訳。
 そこには、空虚な言葉が氾濫して言霊は死んでいる。
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 天皇・皇室に対する忠誠心や畏敬の念が最も強かったのは、非人・エタ・河乞食などの賤民や山の民・海の民・川の民などの部落民達であった。
 日本の天皇制度を支えていたのは、政治権力から切り捨てられ、宗教権力から見捨てられていた、貧民・賤民・卑民などの下層民達であった。
 事実、江戸幕府末期・幕末に勤皇派・尊皇派として活躍したのは下級武士と庶民からサムライになった浪人達である。
 彼らが忠良なる臣民として、外敵(ロシア・中国・朝鮮・その他)の侵略から天皇と国土と民族を命を捨てて守ってきた。
 現代日本人は、彼らとは違う。
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 キリスト教会とマルクス主義共産主義)は、日本民族日本人の美徳を無価値・有害として圧殺している。
 キリスト教会とマルクス主義共産主義)は、国民を天皇から切り離し、国民を味方にし、国民を使って天皇を攻撃しようとしてきた。
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 民族には、民族固有の宗教色のある物語が必要である。
 国民には、国民の物語は不要であり、国民の宗教は有害である。
 特に、外国人移民を増やす為には、国民意識を強め、民族意識を弱める必要がある。
 つまり、国民の為に民族を消す事である。
 外国人移民1,000万人計画が成功するかどうかは、日本人が日本民族への愛着を捨てる事にある。
 つまり、ナショナリズムの破棄である。
 その影響として、新生日本国から日本民族所縁の全てが形骸化し、消滅する。
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 現代日本人には、昔ほどのナショナリズムは存在せず、民族へのノスタルジーも希薄となっている。
 つまり、金にもならないものは無価値・無用として切り捨て始めている。
 金になるのであれば、中国資本や外国資本に惜しげもなく売って利益を上げている。
 事実。中国共産党系中国軍系中国資本は、日本国内で土地や建物、企業や工場を買い漁っている。
 中国共産党の対日戦略は二つ、西太平洋を支配する為に尖閣諸島・沖縄・沖ノ鳥島及び小笠原諸島を領有若しくは影響下に置く事、一帯一路構想における北極海航路確保及び北太平洋航支配の為に北海道に準軍事的拠点を築く事、である。
 中国共産党は、反日派敵日派として、日本との友好など本心から望んではいない。
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 『国體の本義』
 「我が国民の生活の基本は、西洋の如く個人でもなければ夫婦でもない。それは家である。家の生活は、夫婦兄弟の如き平面的関係だけではなく、その根幹となるものは、親子の立体的関係である。この親子の関係を本として近親倚(よ)り相扶(たす)けて一団となり、我が国體に則とつて家長の下に渾然(こんぜん)融合したものが、即(すなわ)ち我が国の家である」
 「我が国は一大家族国家であつて、皇室は臣民の宗家にましまし、国家生活の中心であらせられる。臣民……宗家たる皇室を崇敬し奉り、天皇は臣民を赤子として愛(いとお)しみ給ふ」


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