🎌12〕─1─日本の倫理、道徳、良心、常識の源泉は天皇の御稜威・大御心=陰徳にある。〜No.91No.92No.93 * 

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 天皇教は、宗教ではない。
 天皇は、信仰の対象ではない。
 天皇を教祖とし、天皇の言葉を教えとし、天皇を中心とした教団はない。
 天皇は、唯一の祭祀王にすぎず、譲位し隠居して上皇になるとただの尊い貴人=人間になる。 
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 2018年12月号 Voice「日本は世界最古の民主国
 イギリスの保守主義とは  竹田恒泰
 国民世論の『変わり身の早さ』
 では、現代の日本はどうなのか。日本人は平成の30年間を政治改革や構造改革の連呼のうちに過ごしてきました。その半面、慣習法や伝統を軽視する姿勢に傾くことで、われわれは国の存立自体を危うくしてはいないでしょうか。バーク(エドマンド・バーク)が指摘するように、伝統や習慣が破られれば、国民の自由や平等もまた揺るがざるをえない。
 大学卒業後、学者への道を歩んでいたわけではなかった私が、民主主義や憲法について学び直すきっかけになったのは、小泉政権下の2005年に皇室典範に関する有識者会議が設置され、女性天皇女系天皇を認めるか否かをめぐり、国を挙げて大議論になったことでした。
 当時、『愛子さま天皇になってもいいじゃないか』『男女同権の時代、女性が天皇でも問題ない』という世論が新聞やテレビで広まり、そうした声に有識者が賛同する光景に恐ろしさを感じたのです。
 旧皇族の家に生まれた人間」として何とか一石を投じなければ、という思いから、処女作『語られなかった皇族たちの真実』(2005年 小学館)を上梓(じょうし)したところ、テレビ出演ばどで自説を述べる機会が増えました。そこで『もし男系の血筋を引かない者が天皇になれば、天皇の血統原理が変更されることになり、天皇の正当性が揺らぐことになる。2000年におよぶ男系継承の伝統に対して男女同権を主張しても、何の意味もないことを知ってほしい』と訴えたのです。
 当時、私が驚いたのは、皇室や皇統に関する識者の基本的な知識の欠如に加え、国民世論のあまりの『変わり身の早さ』でした。
 メディアで自説を述べるようになってから、皇室典範の改正に賛成する割合は急激に低下しました。しかし私は同時に、女系天皇が歴史上、存在しなかったことが国民にどこまで理解されたのか、不安を抱きました。今後、同様の急変ぶりでいつ何時、女系天皇容認論が蒸し返され、皇室典範の改正を求める声が多数派にならないとも限らない。今後も同様の主張を続けていかなければならない、と危機感を覚えました。
 日本国民の倫理はどこから来たか
 そして日本の伝統と慣習を考えた際、天皇の存在こそがわが国にとっての慣習であり、伝統そのおのであることに気付きます。
 天皇の権限について明記したのは、明治22(1898)年に制定された大日本帝国憲法が最初です。それ以前に明文化されたものはありませんが、2000年以上にわたり皇室が存続してきた事実が、天皇の存在の正しさを自ずと証明していると思います。
 世界史を通覧すれば、いかに日本は平和で安定した時代が長かったかがわかります。また、東日本大震災時に世界が賞賛したように、『千年に一度』といわれる大災害のさなかでも整然と社会秩序が保たれている。
 この、諸外国が羨(うらや)むべき日本国民の倫理(エートス)がどこから来たかといえば、答えは戦後に始まった自由教育や平等教育には求められません。本家である西洋社会の秩序が、いまや乱れる一方だからです。
 日本人がもつモラル、マナー、ルールの源(みなもと)は、やはり父祖から脈々と受け継がれてきた慣習法や伝統に見出すべきでしょう。たとえば『もったいない』のように、わが国ならではの道徳観を示す日本語がたくさんあります。
 皇室はわが国の中心に位置する価値
 先ほど慣習法や伝統を守ることは、個人の自由や平等を守ることと矛盾しないと述べました。さらに慣習法や伝統を守る行為は、じつは『創世』や『革新』とも矛盾しないのです。
 たとえば毎春、天皇陛下が皇居の水田に稲をお植えになる『お田植え』という行事があります。そして秋になると陛下自ら稲を刈り取りをなさり、神々にお捧げになります。実りへの感謝とともに、来年の五穀豊穣をお祈りになります。
 天皇の祈りの眼目が五穀豊穣であることには、意味があります。他国から食糧を輸入できる現代とは異なり、かつては凶作で何千、何万人もの餓死者が出る時代があったからです。天皇陛下が神々にお祈りになるにあたっては、自ら作られたお米であるほうが感謝の意を捧げやすい。このように天皇が国民の生命を親身にお考えになっていることは、国民にとってまことにありがたいことです。
 じつは、歴代天皇のなかで『お田植え』を初めてなさったのは昭和天皇でした。歴代125代の天皇のうち、第124代の昭和天皇によって皇室の行事のなかに新しい伝統が創造されることになったわけです。さらに驚くのは、今上陛下はその伝統に革新を加えられ、種籾(たねもみ)を蒔(ま)くところから始められたことです。こうして新たな伝統が次々に創造され、革新が繰り返されていく。皇室が続くかぎり、このような伝統の創造と革新は永遠に続いていくことでしょう。
 慣習法や伝統を、旧来の風習に縛られ固定的なものと考えるのは間違いです。古来、日本は大陸や半島からさまざまな文物を輸入し、影響を受けてきました。さらに近代以降、西欧の憲法や議会といった制度を自ら積極的に学びにいったことで、日本はいち早く近代化を成し遂げ、同時に西洋の植民地にならずに済みました。
 建国から現在までの2000年以上、日本が1つの王朝を保ってきたのは、たんに伝統を墨守(ぼくしゅ)するだけでなく、それを命懸けといってよいほどの真剣な態度で更新し続けてきたからでしょう。伝統の創造と革新のなかで、無価値なものは時間の流れのなかで淘汰され、真に価値あるものが守られる。その『真に価値あるもの』が何かを見極めることが大切です。
 そしてわが国の中心に位置する価値観こそ、2000年にもわたる皇室の存在、そして天皇と国民の絆であることは、われわれ日本人にとって疑いようがありません。皇室を全力で『保守』することが日本社会の安定と発展を維持し、個人の自由や平等を守ること、すなわち同胞の幸せにつながる。これまた疑いようのないしんりである」
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 日本天皇の皇統・継承が男系から女系に変わった時、数万年の日本民族の歴史と2000年の皇室の歴史で培われ受け継がれてきた日本の倫理、道徳、良心、常識は消え去る。
 その時、日本民族日本人は、歴史・伝統・文化を持ったローカルな古臭い日本民族ではなくなり、歴史・伝統・文化を持たないグローバルな目新しい日本人に進化する。
 日本人のグローバルな進化は、高学歴出身知的エリートに顕著に見られる。
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 現代の日本国民日本人は、歴史・伝統・文化を持った日本民族日本人としてあてにできない日本人である。
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 皇統の正統性は初代神武天皇の即位であり、継承の正当性は神武天皇の直系子孫にある。
 血筋の正統性は、最高神・女性神である天照大御神の直系子孫にある。
 日本民族日本人にとって、天皇の皇統は即位の歴史であるが、天皇家・皇室の血筋は日本中心神話・高天原神話・天孫降臨神話という神話である。
 皇統と血統による天皇でなければ、天皇ではない。
 つまり天皇の祖先を天皇霊天皇神として祀れない者に天皇即位の資格はない。
 天皇宮中祭祀・皇室祭祀とは、究極の祖先神・氏神の人神崇拝である。
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 天皇の陰徳は、政治権力・宗教権威・軍事独裁の上に超然として存在し、虐殺を食い止め、戦乱や混乱を速やかに終息させ、不安や不満の荒れた心を穏やかに鎮める為に、日本を1つに纏める求心力として働いていた。
 天皇の陰徳で、日本の歴史は陰惨な虐殺が度々起きた西洋や中華の歴史に比べて血生臭さの少ない穏やかな歴史である。
 つまり、自然界・生物界における「完全な自由による弱肉強食という血の掟」が、天皇の陰徳で薄められていた。
 天皇の陰徳は、富める者や勝者・強者ではなく、貧しき者や敗者・弱者に寄り添っていた。
 天皇の陰徳は、古くもあるが新しくもある。
 昔からの川ではあるが、流れる水は今の水であって昔の水ではない、そして澱みがない。
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 明治中期までの熱烈な天皇信奉者は、下級武士、庶民、賤民、部落民などの下層民や貧困者達であった。
 そうした下層民や貧困者達が、天皇家・皇室、天皇・皇族を守る為に、勤皇派・尊皇派として武器を持って立ち上がって戦った。
 つまり、天皇という富士山の頂上は、下層民や貧困者とい富士山の裾野で支えられていた。


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