🗾32〕─1─日本の伝統的祭りは、船乗りの縄文人が行った母性的自然神祭祀が起源となっている。〜No.143No.144No.145 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本民族の伝統的祭祀は、世界宗教史・人類宗教史から見ても古い祭りである。
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 日本神道には、教祖はいないし、教義はないし経典も聖典もなく、教団はないし布教活動もない。
 日本神道の信心とは、普遍宗教の信仰とは違い、よって信者や教徒はいない。
 日本神道の信心には、救世主や奇跡への思いはない。
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 2018年5月20日号 サンデー毎日「夢よりもなお狂おしく なかにし礼
 第30回 北島三郎と『まつり』
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 江戸歌舞伎の宗家市川團十郎のような存在にすることはできないだろうか。初代市川團十郎(1660〜1704)は荒事という芸を創始し完成させ、それによって江戸で絶大な人気を博してきた。荒事というのは、隈取(くまど)りをした超人的な力を持つ主人公が悪党をばったばったとやっつけていくという他愛のないもののように思われるが、そこには力あるものに対する反骨の精神、悪を見過ごすことのできない正義感、死してもなお守り抜く仁義、弱者に優しい侠気(きょうき)、親孝行など、大衆の心をかきたてるものがたっぷりと盛り込まれていた。それゆえに荒事を鎮め、世の禍事(まがこと)を振り払ってくれる厄払いの御利益のあるありがたいものとなった。なにしろ、芝居が終わると舞台は大勢の客が賽銭(さいせん)のごとくに投げた銭で埋まったという。というわけでいつしか歌舞伎の年初の演目には『寿曽我体面』『助六由縁江戸櫻(さくら)』『雷神(なるがみ)不動北山櫻』、『菅原伝授手習鑑』の『車引』、『国性爺(こくせんや)合戦』の『和藤内』、そして『暫(しばらく)』など荒事が並ぶことが吉例となった。
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 日本には、神社が大小取り交ぜて8万もあるという。それらがなんらかの形で祭りのようなものをやるのであろうから、祭りはどこの県のどこの町にも村にもある。どの祭りも特徴があり、趣向が凝らされていた、しかも歴史があり、人々に愛されている。季節も春夏秋冬まちまちである。しかし祭りの目的は変わらない。それは『五穀豊穣』『大漁追福』『安寧長寿』『商売繁盛』『無病息災』『家内安全』『夫婦円満』『祖先崇拝』『子孫繁栄』『万民豊楽』・・・。
 どこの祭りと決めてはいない。日本という国を空から俯瞰(ふかん)し、祭りに沸き騒ぐ人々の風景をうち眺めてみて、そして目を閉じ、瞼(まぶた)に浮かぶ情景を歌にする、そうしれば、どこの町や村の祭りと特定しなくても、日本人の心がざわめかずにはいられない。そんな言葉が紡ぎだせるのではないかと考えた。
 だがちょっと待て。かつての蝦夷地が北海道となったのは1869年であり、琉球王国で鳴らした国が無理矢理沖縄県にされたのは1879年である。この二つの地域については歴史上の様々な事象感情があることは想像にかたくない。だが今は、北の北海道にも南の沖縄にも、日本列島をその霊源とする日本的霊性の余波はきっととどいているにちがいないと考えて先に進むことにした。
 日本的霊性という言葉は鈴木大拙の著書『日本的霊性』によって知った。大拙先生は日本人には日本的霊性があるという。だからといって、日本人が他より優れているというわけではない。霊性はどの民族にもある。中国人の霊性、ドイツ人の霊性トルコ人霊性それぞれの国民、民族はその霊性をそなえている。しかしその霊性の『精神活動の諸事像の上に現れる様式には、各民族に相異するものがある』ゆえに『日本的霊性』というものがあることことが分かるのであると言う。
 日本には古くから神道というものがあったが、『神道にはまだ日本的霊性なるものが、その純粋性を顕(あらわ)して居ない』、平安人は大地を踏んで居ない貴族である。霊性のその実質性は大地にあるのにだ。
 鎌倉時代に入り、法然親鸞日蓮、禅などの仏教が積極的活動を開始し、日本人が宗教に生活の指針を求め始めた時、また平和時には田畑を耕す鎌倉武士が大地の偉大さに感嘆した時、日本人の霊性が覚醒したのであると言う。と同時に、氏神様信仰に近い日本の祭りもこの頃から活発になったであろうことは間違いないだろう。つまり祭りは日本的霊性歓喜の表現であると言っていいだろう。『人間は大地において、自然と人間との交錯を経験する。生まれるも大地からだ。死ねばもとより大地に帰る。大地はどうしても、母である。愛想大地である』と大拙先生は言う。
 この言葉に触れた時、私は『できた!』と思った。

 土の匂いの しみこんだ
 倅 その手が宝物

 この一行が『まつり』という歌の核である。」
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 日本の伝統的祭り、特に日本民族の祭りは、日本中心神話・天孫降臨神話の日本神道皇室神道に由来した神事が大半である。
 日本神道皇室神道を否定した時、日本民族の伝統的祭りは消滅する。
 古い祭りの源泉を遡れば、その原型は数万年前の縄文時代に厳かに行われていた母性的自然神祭りに辿り着く。
 日本の宗教的霊泉は、数万年前の南方系海洋民=縄文人が日本列島に持ち込んだ母性的自然神の神秘である。
 日本神道皇室神道を辿れば、縄文文化の神秘的祭祀に辿り着く。
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 日本文化の花鳥風月と虫の音は、父性的創造神の強い意志による創世ではなく、母性的自然神の体内から生み出す・にじみ出す・湧き出す心地よい息吹である。
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 縄文人は、日本列島を中心に南は台湾・沖縄から北は蝦夷地(北海道)・北方領土樺太・千島列島、西は朝鮮半島南半分に、巧みな航海術で広く住んでいた。
 縄文人は、船乗りであった。
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 数万年前の縄文文化が、日本文化となり、伝統的祭りとなった。
 日本の伝統的祭りに中華文化的な色彩がある面もあるが、それは揚子江流域の揚子江文明(現代の華南山岳地帯で生活する少数民族の祖先の古代文明)の影響であって、好戦的な北方系大陸草原民の黄河文明(中国・朝鮮)ではない。
 自然を愛する母性的揚子江文明は、自然を破壊する父性的黄河文明によって滅ぼされ、自然と共に生きる精神・心、神秘・霊性、魂・霊魂は少数民族琉球人・日本人・アイヌ人へと受け継がれていった。
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 日本民族とは雑種民族として、南方系海洋民、揚子江流域民、北方系大陸草原民、シベリア経由北方系大陸草原民の混血児である。
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 中国人(漢族)や朝鮮人は、北方系大陸草原民の子孫であり、日本民族とは直接には関わりがない。
 北方系大陸草原民の黄河文明は好戦的で征服が強く、揚子江文明の流れを汲むもの全てを地上から消滅させたいという指名に近い願望を抱いている。
 中華文明とは、黄河文明の事である。
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 日本が中華(中国・朝鮮)に近寄らず等距離で離れようとしたのは、心の底、魂の中に黄河文明への潜在的恐怖心があったからである。
 時に、追い詰められた恐怖心は、感情が理性を放逐し、相手を目の前から排除したいという憎悪を掻き立てた敵愾心を生み、残忍な攻撃心へと暴走する事がある。
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 日本民族日本人の本態は「窮鼠猫を噛む」で、逃げ場のない状況まで追い込まれると一か八かの心境となり、堪忍袋の緒を切り、「死に物狂い」となり、「死中に活を求め」て暴走する。
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 日本民族日本人の生き様は、一蓮托生の船乗りである。
 船乗りは、自然を観察し、天候・風・波・匂いを五感で感じ、嵐を乗り切り、海賊と戦い、陸地を目指し、浜に上がり土の匂いを嗅ぎ水を飲んで生き残った事を慈愛深い母性的自然神に感謝した。
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 日本の祭りは神輿や山車を氏子達が騒々しく荒々しく引き回すが、その神輿や山車の原型は舟形、つまり船である。
 神輿を担ぎ山車を引く氏子は、気性の荒い船乗りである。
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 中華や西洋や中東などの祭りで引き出される山車は、陸上の戦車か馬車などである。
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 船乗りは、難破しない為に、船に関する全ての知識や技術を持っていなければならないし、協調性が求められ、忖度、気遣い、配慮、空気・空気圧・同調圧力が欠かせない。
 つまり「和」である。
 船板の下は地獄である。
 船乗りは、その地獄の上で生活していた。


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